トップへ戻る
おっとせい写真日記へ
「過去の日記」トップへ戻る
2004/09/01 [水]   

■今日、夏休みの宿題を大きく積み残していた麦人は学童保育を休み、1日自宅にこもって宿題を片づけることになった。計算ドリルと漢字ドリルがそれぞれ十数ページずつあるとのことで、果たして完遂できるのかどうか、心配していた。
 ところがどうして、麦人の馬力には親の俺も驚いた。午前10時に作業に着手した彼は、1時間やって10分休憩、というリズムで黙々とこなしていく。俺から机に向かわせる言葉を掛ける必要もない。俺が昼寝している間もずっとやっていた。
 結局、昼食の前後1時間半をのぞき、午後4時過ぎまでかかって彼は全工程を独力でやり遂げた。大学受験生なみの集中力である。課題を抱えれば、彼は何のかんのと着手を引き延ばしつつ、ちゃんと日程的な帳尻を合わせて納品できるタイプの人間なのだ。受験生で言えば、高校3年の夏まで部活に熱中し、その後の半年で受験勉強の鬼になるタイプなのかもしれない。
 子どもは当たり前だが成長する。しかし、親の見えないところでここまで力を蓄えていたとは思わなかった。ちょっと尊敬したかもしれない。

■神戸市から「健康診査のご案内」という郵便物が届いた。40歳の節目に、いろいろ検査してくれるのだという。身体は何ともなく、むしろ20代のときより運動している分健康ではないかと思っているが、31日付でウン十万の住民税を取られたことだし、モトを取るつもりで受けてみることにする。

■フォームメールへのお返事。
31 Aug 2004 14:54:46 +0900
→僕も寺山修司の映画でJ.A.シーザーを知ったクチです。何というか、使い古された言葉で言えば「情念」とか「血」とか「家族」といった、個人にまとわりつくシガラミみたいなものを、最近みんな見ないふりをしてるのかな、と思えてなりません。



2004/09/02 [木]   

■じじい じじい ニューじじい
 21世紀のニューじじい
 じじい じじい ニューじじい
 21thセンチュリー くそじじい
                  遠藤ミチロウ『二十一世紀のニューじじい』

 最近、じじいにも2種類いるような気がしてきた。
 一つは若い時分の自分を縮小再生産して縮んでいくじじい。
 もう一つは、10年後の自分のことなんか考える必要がないということで、捨て身になって拡大していくじじい。
 見ていてたのしいのは後者だし、自分もそうなりたいと思わなくもないが、周囲の若者はちょっと嫌かも。

■「コレラ菌の存在を否定するためにコレラ菌を飲み干した学者がいる」。今日の『トリビアの泉』で知った。
 こういう過剰な人間が大好きだ。見栄やプライドや自意識が溢れ出し、過剰な行為に出てしまう。「役に立つか/立たないか」「金になるか/ならないか」という視点から自分の行為を決める人間には、決して分からない境地だろう。
 「生きてる生きてる生きている」と感じられるのは、こういった過剰な人間だけの特権である。自分を死や狂気とと隣り合わせに置いてこそ、人は「生きてる生きてる生きている」と感じることができるのではないか。「生きる」ことを第一に考える「生きる」では、「生きてる生きてる生きている」を感じられないとうい逆説。友部正人の歌の言葉を借りれば「熱くならない魂を持つ人はかわいそうだ」ということだ。
※註:「生きてる生きてる生きている」は、日大全共闘がバリケードの中に記したものの一部。全文は以下の通り。
生きてる 生きてる 生きている
バリケードという腹の中で
生きている
毎日自主講座という栄養をとり
“友と語る”という清涼飲料剤を飲み
毎日精力的に生きている

生きてる 生きてる 生きている
つい昨日まで 悪魔に支配され
栄養を奪われていたが
今日飲んだ“解放”というアンプルで
今はもう 完全に生き変わった
そして今 バリケードの腹の中で
生きている

生きてる 生きてる 生きている
今や青春の中に生きている



2004/09/03 [金]   

■夜、眠っている麦人の隣に横になったら、麦人は俺の頬にちゅーとしてやおら起きあがり、空中に指でいくつかの文字らしきものを描いた後、にこっと笑ってまた眠ってしまった。
 麦人が薄暗い寝室の虚空に何を描いたのか、俺には読み取れなかったし、彼も記憶してはいないだろう。でも、麦人が俺に精一杯の愛情を伝えようとしてくれたことは間違いないのだ。
 明日は、麦人の下らないギャグと駄洒落に笑ってやろうと思った。

■1 Sep 2004 23:42:30 +0900
→おお少女革命ウテナね。そうそう、シーザーが音楽やってるって何かで読んだ記憶があります。2、3回番組を見ましたが、お話は何だかわけが分かりませんでした。サウンドトラック盤でも出ているようなら機会を見つけて聴いてみます。情報ありがとうございました。


2004/09/04 [土]   

■東大生が大麻所持で逮捕さる。「試験が終わった解放感」からだと。全く正しい使用法である。見つかるのがいけない。次からは見つからないようにやんなさい。あるいは、見つかる前に吸っちゃいなさい。そして、大麻解放の戦列に君も。LEGALIZED IT!!

■気持ちはわからんではないというか、そこまで追いつめた奴らが一番悪いだろうとは思うのだけれど、学校を占拠したり子どもを犠牲にするのはやめてほしい。真に憎むべき階級・敵の指導部に打撃を加える闘い方をしてほしいと真に思った。ロシアに限った話ではないけれど。
 エドワード・サイードの二番煎じみたいな議論だが、アメリカ帝国主義を筆頭とする「大きな奴ら」の非人道的・非道義的な振る舞いには、闘う側の道義を対置したい。奴らが非戦闘員・子どもたちの上に無差別に爆弾を落とすならば、「テロリスト掃討」の名の下に一般人に銃を向けるのならば、闘う側は、敵の心臓部のみに的確かつ深刻な打撃を加えるやり方をとってほしい。
 かつて血盟団は「一人一殺」のスローガンの下、「暗殺リスト」を作成し、団員一人がそれぞれ担当した暗殺対象者一人を殺害することを誓ったという。裏を返せば、「暗殺リスト」にはない一般人は攻撃対象にはしないということである。暗殺対象者の選定が的確だったか否かはさておき、テロリズムにはこういう倫理・謙抑制が必要なのではないか。

■文人が阿久沢に似てきた。にこっと笑ったところなんかそっくりだ。

■フォームメールへのお返事。
3 Sep 2004 20:56:21 +0900
→その本は知りませんでした。これは凄そうですね。さっそくアマゾンで注文しました。情報ありがとうございます。


2004/09/05 [日]   

■『華氏911』を観た。まず、ジョージ・W・ブッシュはほんとに頭が悪そうな顔だなぁと再確認。そして、マイケル・ムーアはほんとにアメリカ国家が好きなんだなぁと思った。ムーアは、「対テロ戦争」そのものに反対しているのではない。ブッシュ政権が9・11「テロ」に対して無策だったこと、イラク侵略がちっとも「対テロ戦争」ではなく、ブッシュ一族とその周囲の利権のために行われたことに怒っているのである。
 そのへんは俺とムーアの立場は異なるが、とりあえずブッシュ再選は困るという点では一致する。ていうか、ブッシュがまた大統領になるようではアメリカは取り返しが付かないほど馬鹿だということであり、再び三たび「テロ」を招き寄せるに違いない。それと、もうちっと痩せろマイケル・ムーア。

■映画を観ている間、やっぱり俺の頭の中ではソウル・フラワー・ユニオンが流れていた。「相も変わらず天動説/大義のための戦は続く/ウソで綴った歴史なら/コカコーラでセピアに染めた」、「チャーリー・ドント・サーフ やりゃいいのに/チャーリー・ドント・サーフ サーフィンの季節/チャーリー・ドント・サーフ パパ・ママのためにナパーム弾の星になる」(『チャーリー・ドント・サーフ』)。「戦火のかなたに消えてった/叶わぬ夢を抱えてった/どの塹壕にも同様の悲しい空がある」、「恐怖の夜まで飛んでった/希望を胸に勇んでった/大きなウソに飲み込まれたあいつの声がする」(『戦火のかなた』)。


2004/09/06 [月]   

■近所の公園で開かれた夏祭りで、学童保育の出店を出した。俺が責任者。ジュースとビールを売るのだ。
 本来は先週の土・日の予定だったのだが、台風接近のため、一週間遅らせてしかも1日だけの開催となった。この出店の売り上げは学童保育の収入予算に組み込まれているため、1日だけになってしまったのはかなり痛い。しかも朝から良くないし。
 実際、売り始めたらぽつんぽつんと雨が落ちてきたり、2、3回稲光が光ったりしてどうなることかと思った。あまつさえ目が回る。足下が揺れているような気がする。脳内出血でも起こしたのだろうかと不安になったら、何のことはない地震が起きていた(和歌山で震度3、神戸は3)。
 結局、天気も何とか持ちこたえて、売り上げ的にはなかなかの健闘であった。

■まぁ、どこにでもあるような夏祭りなんだけど、俺はこのお祭りがかなり好きである。毎年、ちゃんと河内音頭の音頭取りを呼んでくれるところがいい。昨年は河内屋菊水丸、今年は有名ではないけれど、暴走族の格好をして歌うなかなか威勢の良い音頭取りが来た。
 新聞詠み河内音頭はすごくいい。物語を声に出して何かを伝えることのカッコよさにおいて、講談と河内音頭に並ぶものはない。バンプオブチキンも10年くらい修行すればいい線まで行くかもしれない。
 屋台ではトルコ人が法被を着てシシカバブを売っていた。

■最近読み終わった本
加藤秀一『〈恋愛結婚〉は何をもたらしたか』(ちくま新書)
→「愛のある結婚は存在する。当然のことだ。だが結婚だけが愛ではない。これもまた当然のことだ。この自明の事実を歪めてきたものを、ここではイデオロギーと呼んでいるのである」(p137)。
→「人々がやたらと傷つきやすくなり、『人それぞれ』という相対主義に閉じこもっている現在、新聞にこんなことを書いたら直ちに『個人的な意見を押しつけるな』という類のうざったい抗議が殺到しそうだ。だが大正時代の少女たちは、『低脳者』『奴隷婦人』と罵倒されて覚醒したのだった」(p149)
→「誰もが内面的かつ私秘的なものと思いこんでいる恋愛が、実は個人を国家に短絡させる言説上の回路でありつづけたてきたという事実は、私たちに苦い教訓を与えるものだろう。自分の欲望、自分の夢という閉塞した幻想に浸っているときにこそ、ひとはかえって〈全体〉にすべてを譲り渡しているかもしれないのだ」(p161)


2004/09/07 [火]   

■プロ野球の合併話もいよいよ佳境に入ってきたようである。ファンではない面白がりとしてはなかなか楽しい展開になってきた。
 俺はプロレスファンである。プロレスファンは団体ではなくプロレスラーにつくものだ。団体が何度分裂しようが吸収合併されようが、リングの上にレスラーが立っていればそれでいいのである。団体なんかどうでもいい。俺の好きなレスラーが、かっこよくリングに立てる団体があればそれでいいのだ。
 球団合併に反対するプロ野球ファンが理解できないのはそこである。彼らは選手のファンではなく、球団のファンなのだろうか。自分の好みの選手がいるというところまでは分かる。しかし、その選手が引退なり移籍しても、もとの球団のファンでいるというあたりがどうもよく分からない。犬は人になつき、猫は家に馴染む、というのと同じだろうか。
 まあ、他人事だからどうでもいい。

■寝る前のひととき、子どもたちが阿久沢にまとわりついていた。ねそべって本を読む阿久沢に、麦人も文人もべたっとくっついたり、背中の上で寝返りをうったり、腕にしがみついたりしている。そうこうするうちに、文人の足が麦人の顔を踏みつけるかっこうになり、麦人がその足に関節技を決めたりする。文人が痛がると、麦人が文人にちゅうをしてやったりしていた。まるで子犬が母犬の乳を奪い合う光景とそっくりだ。
 こういう、原始的で動物的なコミュニケーションが、育児の基本であるような気がする。ただの直観だけど。

■フォームメールへのお返事。
5 Sep 2004 10:16:41 +0900
→これはこれはむーあ様。わざわざ日本語でのメールをありがとうございます。次回作ではぜひ、監督のスリムな身体での突撃取材を楽しみにしております。

6 Sep 2004 00:22:52 +0900
→小さい地震でも、身体があの震災をおぼえているんでほんとに怖いです。台風は天気予報を見ていれば心の準備ができるから何てことはありませんが、地震は必ず不意打ちですからねぇ。大きな地震がないことを祈りましょう。

7 Sep 2004 00:18:25 +0900
→そうそう。『K』とか『続・くだらない唄』あたりを意識して書きました。バンプ、ファンというほど聞き込んではいませんが、かなり耳に残りました。今の路線でもう少し熟成するともっとよくなるかも。5年後、10年後が楽しみです。


2004/09/08 [水]   

■7時半ごろ、「台風で警報が出たから学校は休みです」と電話連絡が回ってきた。それを寝室で聞きつけた麦人が飛び起きて「やったー!やったー!」と踊り回る。学校があるときはぎりぎりまで寝ているくせに何だその態度は。正しい小学生の生活態度であるとしかいいようがない。
 親は仕事があるので、午前中から開けてくれた学童保育へ送り出した。

■予備校の授業も途中で打ちきりになった。JRは各駅停車しか動いていない。それも本来は西明石行きが、高潮で神戸〜須磨間が通れないため神戸行きに変更になっている。仕方がないので乗る。朝の通勤電車なみに混んでいた。
 幸い長岡京で、前の席に座っていた人が降りたので、後はずっと座って行けた。が、大阪に近づくに連れてどんどん人が増える。座っている俺の顔が、前に立つおっちゃんの突きだした腹にくっつきそうになるくらいだ。どこからか傘が出てきて俺の膝を突き刺したりする。まあ仕方ない。震災の後、山陰本線で京都まで脱出したときのことを思い出した。
 普段なら1時間で帰れるところを1時間半かかって到着。摂津本山で降りると、幸い雨は降っていない。急いで子どもたちを学童保育に迎えに行き、手をつないで帰宅。ビニール袋がたくさん舞っていて、子どもたちはわっはわっは笑って大喜びだった。

■北島行徳『弾むリング』(文芸春秋)を再読。著者は、障害者プロレス団体「ドッグレッグス」の主宰者で、自らも健常者レスラー「アンチテーゼ北島」としてリングに立ち、障害者レスラーをぶちのめす男である。やっぱり、前に読んだところと同じ部分でうなずいた。「人間は割に合わないことにこそ、生きる喜びを見出したりする」(p78)。「体裁や保証といった価値観から解き放たれれば、幸せの形はいくらでも転がっている」(p222)。
 この男、分かっている。文章も何気に上手い。もっとたくさん本を出してほしいと思った。


2004/09/10 [金]   

■後期のレギュラー授業が始まっているので、割と淡々と仕事をこなす毎日である。9、10月は企画もの講座がたくさん入る季節なので、実は1年で一番忙しい時期かもしれない。受験生はプレッシャーを強く感じ始める季節だけれど、どの校舎にいっても笑い声が聞こえるので嬉しい。闘いを楽しめよ諸君。

■現役クラスの授業が終わった帰り道、電車の窓から眺めるオフィスビルやマンションの灯が好きだ。窓ガラス越しに会議用の机とか、食卓やテレビの光が透けて見えると何だかほっとする。特別ではない、ささやかな日常をしっかりと送っている人々の存在は心強いものだ。

■フォームメールへのお返事。
8 Sep 2004 12:38:05 +0900
→団体競技ならば団体に思い入れを持つことが普通なのでしょうか?自分が所属しているわけでもない団体に思い入れを持つってどういうことなのでしょうか?みんなが屈託なく野球やサッカー(そしてオリンピック日本チーム)を応援しているのを見ると、自分が見ていない(見たいと思わない)テレビ番組で話が盛り上がっているような取り残され感を感じます。

9 Sep 2004 02:59:33 +0900
→初対面で「俺」という一人称を使う人には会ったことがありません。あまりいい気持ちはしないでしょうね。最初から「俺」を使う人はおそらく親近感を示そうとしてそうするのでしょうけれど。


2004/09/11 [土]   

■文人が努力して結果を出した。
 10月に開かれる小学校の運動会で1年生はカンフーダンスをする。その振り付けの一つに「側転」があり、文人を含めてクラスで2人ほどできない子がいたという。先生が「家で練習してきてね」と言ったので、文人は一昨日、帰ってきてからずっと、寝室にふとんを敷いて練習していた。俺が見るところ、勢いが全然足りないので、尻と脚がほとんど持ち上がらないまま低空を動くだけになっている。「もっと勢いよくやれ」とアドバイスをするが、具体的にどうすれば「勢いよく」なるのかが言葉では伝えられず、もどかしい思いをした。俺が実演すると襖を破るおそれがあるので(いや、ほんとは手首をひねったりするのが怖いのだ)、麦人にやってもらう(彼は俺と阿久沢に似ず、運動神経が非常に発達している)。麦人も「ほらふみと!こういうふうにやるんだ!」とは言えるが、どこをどうすれば「こういうふうに」できるのかは説明できない。一昨日、文人はずっと、空中30センチくらいのところで尻を動かすだけの「側転」を何十回も繰り返していた。
 昨日は現役クラスの授業があって俺の帰宅は11時過ぎ。見ると、リビングの床の上に文人が大の字になって寝ている。どうしたことかと阿久沢に問うと「側転ができるようになって、パパに見せるんだって言って頑張って起きてたんだけど、力尽きて眠ってしまった」とのこと。阿久沢と二人で両手両足を持ち上げて寝室に移動させる。口をもぐもぐさせただけで、すうすう寝息を立てていた。
 翌朝、「ふとんで寝てる!」とか言いながら起床した文人は、「とうちゃん!側転ができるようになったよ!」とパンツ1丁で誇らしげに胸を張る。「見て!」と文人は、まだぐうぐう寝ている麦人を注意深く避けながら、見事に脚と尻を大きく旋回させて側転をしてみせた。「おお!すごいすごい!」と心の底から賛美してやると、にこにこになって何回も何回もやってみせた。
 阿久沢も俺と同等、または俺以下の運動神経しか持ち合わせていないから、何か特別なコツをアドバイスできたとは思えない。とすれば文人は、ひたすら練習の量をこなし、立派に回転できるようになったのだ。努力の勝利である。偉い。

■我が身を振り返ってみると、俺は生まれてこの方、努力というものをした記憶がない。俺には「努力する才能」が欠けていて、持って生まれた才能だけで全てを乗り切ってきたような気がする。親は「お前はもっと頑張りさえすれば…」としばしば嘆いたし、知り合いに「戸田さんは10持っている力のうち、3だけ使ってのんびり生きてますね」と指摘されたこともある。しかし、出さない力、出ない力は無いも同然なのである。
 努力によって向上することを知った点で、文人は既に俺を超えた。えらい。

■最近買った本。
高瀬隆和『岸上大作の歌』(雁書館)
北島行徳『ラブ&フリーク』(文芸春秋)
北島行徳『無敵のハンディキャップ・障害者がプロレスラーになった日』(文春文庫)
『J.A.シーザーの世界』(白夜書房)


2004/09/12 [日]   

■心の中でひっそりと手は合わせよう。でも、アフガンとイラクとパレスチナにおける死者たちに、同じだけの涙と関心が与えられない限り、9・11の死者に対する俺の追悼は、俺の心の中だけに留め置かれるだろう。いわゆる「テロ」攻撃は、「テロリスト」をそこまで追い込んだ強くて大きい奴らが最も悪いのだ。「テロリスト」は3番目に悪い。2番目に悪いのは、強くて大きい奴らとその仲間が世界各地でやっていることを知らない人々、知っていても見逃した人々、つまりわれわれだ。「テロ」は「テロリスト」が起こすのではない。超大国とわれわれが起こすのだ。

■ソウル・フラワー・ユニオンのライブ盤『ハイ・タイド・アンド・ムーンライト・バッシュ』を改めて聴く。やっぱりこれ凄いわ。『風の市』→『霧の滴』→『戦火のかなた』の流れはまさに激流である。「両手両足を縛り上げてヘッドフォンを耳に接着剤でくっつけてでも聴かせたくなる歌」だ。
 「魂鎮めの鐘が鳴る 祈りの唄が響く/あのイースターの春の朝 全てを賭けた蜂起/その唄は海を越え 時を越え今ここに/誇り高き自由の光 霧の滴に揺れる」(『霧の滴』)。

■少し秋っぽくなった。コーヒーが美味い。秋は景色や人の輪郭がはっきりする季節だ。

■フォームメールへのお返事。
10 Sep 2004 18:03:59 +0900
→T先生に伝えておきます。忘れてないとは思いますが。

10 Sep 2004 19:13:23 +0900
→昼間はそこそこ汗ばむけれど、朝夕はかなり涼しくなりましたね。僕はあなたとは反対に涼しい〜寒い方が調子よいのです。風邪をひかないように気をつけましょう。

11 Sep 2004 06:41:53 +0900
→なるほどなるほど。しかし、槇原が同性愛者の立場からあの歌を歌ったとしても、僕の感想は変わりません。異性であれ同性であれ、恋人の気持ちを想像もせずに「分からない」とは何事でしょう。一般に同性愛者は世間からの抑圧が強い分だけ、異性愛者よりも自己省察や分析が鋭いものですが、槇原に関しては全くあてはまらないようです。

11 Sep 2004 21:38:51 +0900
→私貿易は国交関係がない国の商人同士が行う貿易のことです。日宋貿易がその代表ですね。これに対し、日明貿易は、商人ではなく、明と日本の政府(幕府)の間で行われる貿易です。商人が貿易船を出すこともありましたが、それも形の上では室町幕府が派遣したということになり、その証拠に勘合を持参しました。


2004/09/13 [月]   

■麦人のスイミング進級テストに付き合う。背泳ぎ25メートルを30秒で泳ぎ切り、余裕で進級。
 人数の関係からか、麦人の回は2人だけでテストしていた。ロビーに張り出されていた組み分け表を見ると、もう一人の子は麦人より1歳上。スタート位置に立った2人を見て、小さい方が麦人だと思ったが、よく見ると横縦ともにむちむちと1まわり大きい方が麦人だった。立派に育ったものだと、毎日3回くらい思っている。
 親は子どもが赤ん坊だったころを知っているので、いつもそのころと比較してしまう。俺の腕の中でぐだっと横たわり、話しかけても何の反応もなかった麦人は、今や立っている俺のバランスを崩して手をつかせることができるし、全然面白くないギャグを連発して弟を笑わせている。生き物が成長するのは当たり前だけれど、つくづく、大きくなったものだと、毎日驚いている。

■それにしても文人は麦人のつまらないギャグによく笑う。今日も、どらえもんの何の工夫もない替え歌に大爆笑していた。「文人はお兄ちゃんの言うことに笑ってあげてえらいね」とほめてやったら、「だってほんとうにおもしろいんだもん。あははは!」と。いい弟でよかったな。

■最近読み終わった本。
高瀬隆和『岸上大作の歌』(雁書館)
→「血と雨にワイシャツ濡れている無縁一人への愛美しくする」「美しき誤算のひとつ我のみが昂ぶりて逢い重ねしことも」。岸上大作がもし自殺に失敗していたならば、還暦を過ぎた彼はきっと、21歳の時のこれらの歌を苦笑まじりに読み返すに違いない。そういう自分に会えなかったことは、岸上大作にとって幸福だったのだろうか。一つ言えることは、岸上が「恋と革命のために生きるのだと思った」と言い放って21歳で死んだことで、俺は「青い」「若い」ことの醜さを、羨望まじりで考え続けることができるということだ。
北島行徳『無敵のハンディキャップ・障害者がプロレスラーになった日』(文春文庫)
→「欠けたままの心であってもいいのだ。痛みをなくそうともがき、足りない部分を埋めようともがく。その繰り返しが、生きていくということなのだから」(p346)。

■フォームメールへのお返事。
12 Sep 2004 02:03:34 +0900
→『極東戦線異状なし?』は、もともとは会場限定発売でしたが、好評のためCDショップでも買えるようになりました。詳しくは、以下の公式サイトで。
http://www.breast.co.jp/soulflower/news.html
反戦がどうとか、メッセージがどうとかいう以前に、ロックはかっこよくなくちゃだめだと思います。ソウル・フラワー・ユニオンはかっこいいから、こういう露骨な政治的な歌もしっくりきます。


2004/09/14 [火]   

■朝、文人が久々に寝小便。「夢の中にトイレが出てきて、おしっこをしたの。夢かなーと思って起きたら、おもらしになってた」。彼が寝小便をするときは必ず夢にトイレが現れるという。

■そしてさきほど、麦人も久々の夢遊。台所方面にパンツをおろしつつ歩いていくので、「トイレはそっちじゃないよ!」と声を掛けると、「おぉ」と返事してUターンしてトイレに向かった。

■そして昨日一昨日と、俺は息子たちに蟯虫検査=ポキールをしてやった。尻2個×2回、延べ4ポキールだ。彼らは素直に俺の前で四つんばいになり、尻穴を堂々と曝してくれる。文人の尻はまだ、ほんのりと青い。


2004/09/15 [水]   

■先日、スポクラで有酸素運動をしつつ眺めていたテレビの大相撲放送で、高見盛というスモウレスラーを初めて見た。試合そのものはどうということもなかったが、試合前後の表情・気合いの入れ方にすっかり目を奪われた。塩も土俵に叩きつけるように、えいって撒くのだ。これだこれだ、俺が見たかったのは。プロレスでも相撲でも、こんな顔を人間がするのかってくらいの過剰な表情を見たいのだ。
 その話を家に帰って阿久沢にすると、阿久沢は「朝青龍もいい」と言う。夜のニュースで見てみた。ふてぶてしいヒール顔、全てを見下すかのような傲慢な表情にぞくぞくした。大相撲も面白いな。

■その路線で考えると、「ハッスルハッスル」は甘い。パンチが足りない。あれはやる方にも見る方にもどこかに照れが入ってしまい、感情が肉体を超えて放出されないのだ。アントニオ猪木の「ダー!!」(カウントなしの)に、今のところ敵うものはない。(カウント付きの「1・2・3、ダー!」は許し難い堕落形態である。「ダー!」は試合に勝った猪木が、突然拳を宙に突き出して叫ぶからこそ、観客の感情が大爆発するのである。「1・2・3、ダー!」のような予定調和は、猪木には似合わない)

■帰りのJRが、架線に落雷したとかで遅れに遅れた。先行列車が何本もつっかえていたようで、俺の乗った快速列車は尼崎から芦屋まで、自転車なみの速度でちんたら走っていた。乗客も迷惑だが、車窓から外を見ると、踏切という踏切に人や車が大量にたまっている。きっと踏切は何十分も閉まりっぱなしなのだろう。致し方ないとはいえ、夕方にこれはお互いにしんどいね。でも、夕焼けに浮かぶ尼崎周辺の文化住宅はいい感じだった。

■【宣伝】
↓ここ見て下さい。CD買って下さい。ていうかこのCD凄いと思う。
http://www7.ocn.ne.jp/~start-n/cd.htm

■フォームメールへのお返事。
14 Sep 2004 19:27:43 +0900
→あははは!それは何なんでしょう。そういう方面で仕事をしてみたいという隠された欲望が寝言に現れてしまったのでしょうか?足を掛けたくなる人は結構いるみたいで、うちも長男が誰かに必ず足を掛けて眠ります。誰も足を掛けさせてくれないときは、枕やふとんを抱え込んでいます。


2004/09/16 [木]   

■『J.A.シーザーの世界』の付録CDを聴いている。もうタマラン。
 9割以上予想通りのメロディ進行なんだけど、ちょっとしたところでこちらの予想を超えたうねりをうぃーんと持ってくる。『少女革命ウテナ』のCDも買ってしまいそうである。

■本体の書物には、シーザーが新宿のフーテンだったころの話がたくさん載っている。まさに「時代と共鳴した」音楽家なんだなぁ。
 俺が共鳴するはずだった時代は1980年代。どうしようもない。どの時代に生まれるかは運命だからどうこう言っても仕方がないが、「あの時代」に共鳴した人は時々羨ましく見える。「時代と新宿に自分を預けていれば何かをポーンと出してくれるんじゃないかとそんな風に考えていた」(p15)。

■栃木県で殺された2人の兄弟の父に、仕事とお金があって、珍走団時代の後輩宅に身を寄せたりしなければ、2人は殺されずにすんだのだろうか。思う。お金はやっぱり大切だ。お金だけが大切なわけではもちろんないにしても、お金で解決できることは多いのだから、必要なお金はきっちり稼いだほうがいい。

■小学校から麦人が持ってきたお便り(『開放だより』:神戸市立福池小学校施設開放委員会発行)の中に以下のような一文を発見。夏休み中のプール開放に関する感想だ。
「幼児と一緒に入水できて楽しかった」
 無理心中して自分だけ生き残ったのか?


2004/09/17 [金]   

■一昨日の日記で書いた「すたあと長田」支援CD『風ガハランダ唄』を3枚注文。2枚は関心ありそうな人に売るかあげるかするつもりだった。帰宅すると、「すたあと長田」に取材に行った阿久沢が、やはり3枚買ってきたという。同じCDを6枚も買ってしまった我が家である。夫婦善哉。
 「すたあと長田」からは、以下のようなメールが届いていた。
はじめまして。
今日、嫁も3枚買ってってくれました。
下の絵、怪しいチャンネルで見かけた経験があり、
怪しい人だわと思っていたら、なんとあくさわの夫。
やっぱり怪しい人だったんですね。
家族で同じCDを何枚も買うなんて…

感謝を込めて 
金田
■このCD『風ガハランダ唄』については、http://www7.ocn.ne.jp/~start-n/cd.htm
「すたあと長田」については、http://www7.ocn.ne.jp/~start-n/

■フォームメールへのお返事。
15 Sep 2004 20:17:30 +0900
→僕も「胎児のように丸まって眠る」に近い姿勢です。寝ているときって一番無防備だから、そもそも仰向けになったり大の字になったりするのはイキモノとしては自然でないようにも思います。犬が丸くなって眠るのと同じではないでしょうか。僕は兄弟が眠りながらシンクロするのが不思議でなりません。ふと見ると、平行移動したかのような同じ姿勢で眠っているのです。

16 Sep 2004 12:27:59 +0900
→彼らの遺した歌は今ここにありますよ。だから彼らはまだここにいるし、世界は変わらない、と思っています。さびしいけどね。


2004/09/18 [土]   

■ソウル・フラワー・ユニオン『エエジャナイカ』を改めて熟聴。
アタシが精出せば どなたが喜ぶの?
アア憐れ空しい将棋の歩
勝負を降りましょエエジャナイカ
勝ち負けどうでもエエジャナイカ
王様どうでもエエジャナイカ
エエジャナイカ エエジャナイカ エエジャナイカ
 昨日よりも今日、今日よりも明日がより良い世界で、より成長した自分でなければならない、という呪縛から自由になるべきだ。誰がそんなことを流布したのだろう。出世しなければならないということもなく、収入が増えなければならないということもなく、成熟しなければならないということもない。もうすぐ40歳の誕生日を迎えるので、改めて俺は決意した。新聞社を辞めるときに俺は意識的に「降りる」ことを決めたのだが、改めて俺は「降りた」。死ぬ日まで、だらだらと何となく幸せに生きていこう。10年後も20年後も俺は変わりようがない。進歩ではなく停滞を。目標ではなく足下を。俺はこれから、だらだら右肩下がりの人生を生きるのである。

■数十年前までは、現在の資本主義社会が社会主義に移行するという「成長神話」が生きていた。マルクス主義は成長史観だ。社会は成長し発展する。だから個人も成長し発展する、と、割とあっさり納得できたのではないか。
 しかし、20世紀社会主義が敗北・消滅した今、社会が今の資本主義社会から質的に変化・成長することを誰も信じない。一部特権階級のための社会から、万人が個性を発揮することが万人の幸福につながる社会に質的に変化・成長するということを、その中で個人のあり方・個人と社会の関係も変わりうることを、誰もリアリティを持って語り得ない時代である。
 となれば、社会・個人は量的に拡大する以外にイメージできなくなる。金持ちになること。収入の多い、安定した職業に就くこと。一発当てること。変化といえば、誰もそれしか望まない。そりゃ、しんどいだろうよ。拡大しなくたって、縮んだって、エエジャナイカ。

■昨日読み終わった本。
長谷川昇『博徒と自由民権』(中公新書)


2004/09/19 [日]   

■「何のために生きているのか」という問いに悩むのは愚かではあるが、悩んで当然の命題ではある。あえて解答を出すならば、「何のために生きているのかを考えるために生きている」ということでよいのではないだろうか。たぶんこれが俺の最終解答である。
 老婆(爺)心ながら。こんな解答に同意する若い人はいないと思うが、同意してしまった君、それはいけない。君は「何のために生きているのかを考える」手間を省こうとしているのだ。もっと時間をかけて考えなさい。

■文人がピアニカで『さんぽ』(あるこー、あるこー、わたしはーげんきー)の練習をしている。秋の音楽会で演奏するのである。金曜日の晩、文人は「全然弾けない」とピアニカの前で固まっていたので、俺が弾いて見せた。麦人も文人も「お父さんすごい!」と尊敬していた。今日はまず、文人の人差し指を俺が持って、4小節だけ一緒に弾いた。それを2回ほど繰り返してから、文人に1本指演奏をやらせてみた。次に、片手の指を全部使って演奏させてみた。「弾けたじゃん!」と拍手してやったら、にこにこして大きくうなずいた。「明日、またやってみるよ!」
 文人にはやはり、俺にはない「努力する才能」がある。眩しい。

■夜、阿久沢の同僚記者(20代おねえさん)がうちへ来て、みんなで近所の各国料理の店へ。ダチョウのたたき、チキンカレー+ナン、アフリカ大餃子、タイ風焼きそばなどをいただいた。
 2人ともハイテンション。文人はカレーをシャツにどぼどぼ零すし、麦人の下らない駄洒落も全開だった。帰宅後、風呂から出た子どもたちは、おねえさんの前をフルチンで平気で歩き回り、麦人は「素晴らしき男の魅力」なる、オリジナルの裸パフォーマンス(「すばらしきおとこのみりょく!」と叫びつつ、ちんこをつまんでぐるりと回す)まで披露していた。子どもたちは、まだ陰毛が生えていなくても、若い女性がいるとそれだけでたいへん嬉しいようである。

■フォームメールへのお返事。
18 Sep 2004 21:57:53 +0900
→ご意見ありがとうございます。僕の髭については賛否両論あるようですが、毎日剃らなくてもすむ、というメリットが大きいため、秋から冬にかけては毎年伸ばしております。お見苦しいこともあろうかと思いますが、平にご容赦を…。


2004/09/20 [月]   

■夕食後、阿久沢と『いかレスラー』のレイトショーを観に三宮へ。子ども2人も連行された。
 よくもまあここまでめちゃくちゃな設定・強引な展開のものを商業映画にしたなという力強さに感心した。その原動力は紛れもなくプロレスLOVEにあることを感じた映画であった。欲を言うなら、いかレスラーとたこレスラーのバトルシーンが少なすぎた。いかレスラーの下足パンチだけでも笑いが取れるシーンなのにもったいない。たこレスラーがオクトパスホールドを出さないのもやっぱりダメだろう。
 やっぱりプロレスはいい。プロレスを楽しむには、知性と熱い魂が必要だ。

■今日も高見盛の表情がいい。今日はハッスルハッスルをしていた。

■フォームメールへのお返事。
19 Sep 2004 22:05:23 +0900
→昔の写真は http://ottosei.com/archive/haji.htm に少しあります。自分でもなんじゃこりゃという感じです。


2004/09/21 [火]   

■「小学生の4割が『太陽は地球の周りを回っている』と思い、半数以上は月の満ち欠けを理解していないことが、国立天文台の縣(あがた)秀彦・助教授らのアンケートで分かった」(アサヒコムより)
 まず思ったのは、明日の朝、我が愚息どもに聞いてみよう、天動説を支持していたら面白いなぁということであり、次に思ったのが、「別に天動説4割でもでいいじゃん」ということである。
 素直な心で空を見上げれば、太陽が地球を回っている、とまず感じるのが自然なのではないか。「地球が太陽の周りを回っている」と「正しく」知っている子どもの多くは、地動説を深く実感する以前に、「正しい知識」を書物や大人から仕入れて、天動説に立つ子どもに優越感を感じたいだけではあるまいか(俺がその手の子どもだったからそう思うのだけかもしれない)。

■別の話をすれば、俺はパソコンを使って文章を書いたりネットを検索することはできるが、なぜパソコンがそのような動作をするのかはさっぱり知らない。htmlは書けるが、なぜそれがブラウザで特定の表示をするのかは分からない。キーボードを叩くからそういう風に表示されるのだ、こういうふうにタグで括ればこう表示されるのだ、という現象面だけを知っている俺は、天動説を支持する4割の子どもと何ほども変わらない存在である。

■連休中、麦人にはクロッキー3枚と防火ポスター1枚、文人にはピアニカ練習という宿題が出ていた。文人は前にも書いたようにピアニカを懸命に練習していたが、麦人は土曜日と日曜日にクロッキーを1枚ずつ書いたのみで、月曜の10時になって防火ポスターに着手。「呆れたよ。なんでちゃんとやらないんだ」と両親に言われて、俯きながら絵筆を手にしていた。夏休みの宿題を期日内にこなしたことで麦人を信頼しすぎて、ちょっと宿題管理が甘くなっていた親の責任もある。
 結局クロッキー1枚はやらずに就寝。「やらないで放っておきましたと言って、先生に叱られてこい。おしりをペンしてやって下さいと連絡帳に書いてやるから出しなさい」と命じたところ、麦人は「それだけはカンベンして下さい」と頭を下げたので許してやる。

■フォームメールへのお返事。
20 Sep 2004 23:07:48 +0900
→『J.A.シーザーの世界』、堪能してます。紹介してくれてありがとうございました。音楽を聴きながら、どこということもなくぱらぱらページをめくって、あちこち流し読みするのが最高に幸せです。CDの曲、どれも素敵ですが、僕は『煙草極楽浄土』がいちばんわくわくするかな。


2004/09/22 [水]   

■尋問の結果、麦人は地動説、文人は天動説を主張していることが判明した。
 麦人も、月の満ち欠けや月蝕の起きる理由については説明できず。

■明日は休講。『スウィングガールズ』を観に行くつもり。


2004/09/23 [木]   

■講義のない日だったので完全オフを決め込む。三宮で『スウィングガールズ』を観た後、元町で足裏マッサージを受けた。

■『スウィングガールズ』、面白うございました。面白い、の一言で、他のことを何も語らなくて済むところがいいと思った。飛躍するが、そういう人生の終わりを迎えたいものだと思う。
 「田舎の」「女子高生が」「ジャズをやる」という取り合わせの妙がこの映画の全てだと思うが、ただの思いつきを思いつきで終わらせず、本気で映画を一本撮ってしまうところがプロの仕事だなあと思った。この取り合わせがなぜ面白いのかを考えてみたいところだが、俺は田舎も女子高生もジャズもあまり知らないのでここで思考停止。

■マッサージ師さんが言うには、俺の足は扁平気味なのでどうしても腰に負担が掛かって腰痛が起きやすいのだという。また、扁平だと胃腸が弱いことが多いが大丈夫かという。さらに、親指の外側が角質化しているが、鼻の調子が悪いことはないか、とも。足の裏を一瞥するだけで、身体のどのへんに問題があるかが大雑把には分かるらしい。奥の深い世界だ。

■フォームメールへのお返事。
21 Sep 2004 10:22:47 +0900
→そうっすね。そういう話であれば、なるべく人が少ないところがいいですね。京都の町中のお寺はどこへ行っても人だらけですから、思い切って洛北に足を伸ばしてはどうでしょうか。大原三千院、鞍馬寺、貴船神社あたりがおすすめです。大悲山峯定寺という鞍馬のさらに北にあるお寺が僕のベストフェイヴァリットスポットなのですが、ここはかなり遠いです。


2004/09/24 [金]   

■祝日だが仕事。企画もの講義2本である。この季節は受験シーズンに向けて気分を盛り上げていこうという時期なので、日曜日や祝日ごとに何かある。次の日曜日もだ。ごはんをたくさん食べて乗り切ろうと思う。
 帰り、新快速に座れたはいいが、三宮まで寝過ごす。

■今日の麦人の言いまつがえ。シャンプーの詰め替えパックのことを「着せ替え」と。やっぱり普通にしていれば面白いのだ、この子どもは。

■メスカリン・ドライブ『イデオロギー・クッキング』を熟聴。ニューエスト・モデルより好きかもしれない。「いかにも彼女は女らしく/いかにも彼氏は男らしく/台所で君のあたり前を料理する」(『イデオロギー・クッキング』)。「気が変わる前にそら夢を捨てよう/気が変わる前にここを出て行こう」(『ブラッド・ゴー・アラウンド』)。
 「そら夢」と歌える、伊丹英子の言葉感覚が好きだ。他にも「季節風」を「きせつかぜ」と歌ったり(『マウンテンバイク・フロム・ヘブン』)。
 メスカリンみたいな、「身構えて聴くギャルバンド」ってのを、もっと聴きたい。

■さらに『関西フォークの歴史1』を聴く。若き日の高石友也が歌う『のんき節』。大正時代の演歌師・添田唖蝉坊の名作である。「名誉名誉とおだてておいて大事な倅(せがれ)をムザムザと/鉄砲のエジキに誰がした/もとの倅にして返せ」。
 フォーク・キャンパーズというグループが歌う『プレイボーイ・プレイガール』(原曲ボブ・ディランの替え歌)の歌詞が興味深い。「日本の島だよアメリカさん/沖縄返せ/沖縄返せ/沖縄返せ」。ナンだよ結局ただのナショナリズムじゃん。こういう人たちがおじさんおばさんになって、ニッポンチャチャチャとか、尖閣諸島は日本のものだとか、あほ面晒して浮かれているのだろうな。全共闘世代が日本の中枢になっても何も変わらかったのも当然だ。

■今日買った本。
小倉和夫『グローバリズムへの叛逆』(中央公論新社)

■フォームメールへのお返事。
23 Sep 2004 16:55:54 +0900
→僕の高校生時代はどう美化してもしきれないほどみっともないものだったので、『スウィングガールズ』は全く別世界の話として楽しめました。ハイティーンの男の子は(僕だけかもしれませんが)性欲と妄想だらけなので、もう一度若くしてやるといわれても、あんな日々はもうイヤ、どうかカンベンして下さいという感じです。それに比べると女の子ハイティーンはよさげですね。女の子が欲しかったなぁ。


2004/09/25 [土]   

■アサヒコムより。
子どもたちの妊娠中絶や性感染症が社会問題になる中、東京都が性交渉をしても許される年齢の「目安」を条例に盛り込むことを検討していることがわかった。都は22日、識者らでつくる「青少年の性行動について考える委員会」を初めて開き、年内に意見の提出を受けて最終的に判断する。都によると、こうした目安を自治体が示した例はないという。
(中略)
 22日の会合では「性交渉は中学卒業までは絶対にしてはいけない」という意見や「まず子どもと向き合い、家庭で話をすることが大切」との意見が出た。
 いろいろ考えてみると楽しい話題である。まず、この委員会の諸氏は、性交渉を禁止しようが何をしようが、するやつはするのだから意味がない、という当たり前のことすら分からないのだろうか。分からないのであればこいつらは馬鹿であるということでオワリだが、それではつまらないので、馬鹿ではないという前提でもう少し考える。
 禁止しても無駄だと分かっていて、敢えてセックスをするなというメッセージを発するのはどうしてだろうか。するなと言われればよけいに関心を持ってしたくなるのが若者の行動パターンである。禁止!と言ってみることで、セックスの楽しさ・気持ちよさを暗に若者に伝えたいのだろうか。「家庭で話をする」って、みんなで夕食を食べながらセックスを話題にするのだろうか?「このソーセージはお前のより大きいなカツオ!」などと会話しながらメシを食うのだろうか?それは勝手だが、俺は、家庭内で金八先生のホームルームよろしくセックスについて語ろう家族会議なんかやっている娘を口説きたいとは毛の先ほども思わないぞ。セックスは水面下で、ひたすら隠して、隠微にやるから楽しいんじゃなかったのか?「ふたりのことは誰にも内緒だよ/とくにママには秘密だよ/僕は君の父親のふりをして/君は僕の娘のふりをして/ふたりでひとつのベッドにもぐり込み/身体の中をあたためる」(早川義夫『パパ』)
 「青少年の性行動について考える委員会」とやらを検索してみたら、加藤諦三氏が委員長をつとめていた。こりゃやっぱりただの馬鹿の集まりなのかもしれないと思った。

■俺もとうとう40になったわけだが、今さら何がどう変わると言うこともなく、だらだらゆっくり衰えていくだけのことである。だから自分で40歳の自分をどう思うかよりも「あの人は40歳なのかァ」という他人の目の方が気になる。40歳ってどう見えるんですか?若かった頃(10代後半〜20代)の僕は、脂ぎったおっさんだと思ってました。やっぱりそうですか?

■フォームメールへのお返事。
24 Sep 2004 18:01:02 +0900
→いいえ、その本はまだ読んでないです。おすすめですか?

24 Sep 2004 23:57:38 +0900
→妻がケーキを焼いて、子どもたちはその上にクリームを塗ってフルーツをのせてくれました。文人は「肩たたき券」と「背中押し券」を作ってくれました。麦人も、自分で考えたというツボをあちこち押してくれましたよ。お父様も同じ誕生日なんですね。おめでとうございます。


2004/09/26 [日]   

■梅田のエストワンに彷徨いこんだ。若い女の子向けの服売り場が延々と並んでいるところだ。20秒に一度、「これかわいいやん!」「いや、めっちゃかわいい!」という声が聞こえる。彼女たちには「かわいい」以外にプラス評価のボキャブラリーがないようである。せめて「かわいい」「きれい」「すてき」の3つを使い分けるくらいしてほしいと思った。
服は「かわいい」だけでもいいが、「かわいい」以外に言葉を知らない彼女たちはちっともかわいくないと思った。

■その後、去年の生徒さんとしばし歓談。あれこれ悩むのは、悩むだけの可能性があるということなので、実はとても贅沢なことなのだというのが、40歳になった今だから分かる。

■愛をもって創られたアイドルポップスを聴きたい。宍戸留美、市井由理の衣鉢を継ぐ者は現れないか。松浦亜弥は凄玉すぎて、逆に感情移入できない。喩えて言うなら、群がって咲くひまわりのように存在感がありすぎるのだ。自分とあと少数の人しか知らない、校舎の裏に咲く百合の花、あるいはラフレシア、みたいなアイドルポップスを聴きたい。

■今日読み終わった本。
坂本多加雄『日本の近代2 明治国家の建設』(中央公論社)

■今日買った本。
若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』(集英社)


2004/09/27 [月]   

■日曜だが企画ものの講座をやる。そのあと心斎橋クアトロでソウル・フラワー・ユニオンのライブ。俺と中川はどうも波長が合うようで、ここ数回、最初の曲の予想が外れたことがない。今日は『エエジャナイカ』。

■このバンドは死者の魂と伴走するバンドである。客入れの音楽、開演前の最後の一曲がコンポステラの『プリパ』だった。篠田昌巳の魂、それと一緒に江戸アケミの魂がステージに降りてきた。
 『荒れ地にて』のイントロで、奥野真哉がボ・ガンボス『あこがれの地へ』のイントロを弾くのは定番だが、今日は奥野が演奏に合わせて「じぃごく〜、でもないー、てぇんごく〜、でもないー、たぁびのー、とちゅうのー、ひぃとよー」と歌い出したのにはちょっと驚いた。あれは、どんとがステージに降りてきたかったのだ。だから、奥野に歌わせたに違いない。この1シーンだけで、今日は来てよかったと思った。
 さらにドーナル・ラニー、伊丹英子も現れて、えらく充実したステージ。このメンバーで演奏する『満月の夕』には、ほとんど宗教的な儀式めいたものすら感じる。

■あまつさえアンコールを3回もやった(3曲ではない。出たり入ったり、3回だ)。今度、ボ・ガンボスのトリビュートが出るとかで、中川がレコーディングしたという『ポケットの中』をやった。「もらえるものは何もかも/ポケットの中につめこんで/自分一人が味方だぜ/楽しくやらんかい!」。なんかものすごく得した気分だ。最後の最後は『こたつ内紛争』。ここまで来ると、サービス精神どころではない、中川の誠意まで感じてしまった。偉いぞ中川。

■で、中西智子の二の腕がやっぱりよかったので、今度は整理番号取って、中西ポジションで聴いてみようかと、ちょっとだけ思ったりした。

■フォームメールへのお返事。
21 Sep 2004 07:22:39 +0900
麦人が宿題の期日を間違えていて、実は1週間以上の余裕があったみたいです。愚かなやつです。

26 Sep 2004 01:41:56 +0900
→なるほど。近いうち読んでみます。またおすすめがあればぜひ教えて下さい。で、「始めるまでが花」って、若いのに何を醒めてるんですか^^ 素直に喜びなさい。

26 Sep 2004 21:43:48 +0900
→うむ。浜崎あゆみの「自分のことを歌っていると思わせる」テクニックは超絶ものだな。俺はその秘密は「何言っているんだか分からない歌い方」にあると思う。「わぁでぅゆううぃ」とか歌っていて何言っているんだか聞き取れないからじっくり歌詞カードを見ざるを得ない。その結果、「自分だけがあゆのメッセージを受信できた」と思いこめるのではないだろうか。深田恭子は二の腕が大吉。

26 Sep 2004 22:27:54 +0900
→そうですか?僕はあんまり気にならないけどなあ。講師はみんなオトナの付き合いをしてますので、講師室が和気藹々ということにはなかなかなりませんが、仲が悪いわけではないですよ。僕に関して言えば、職員さんとの関係はかなり良好だと思っています(他は知りません)。ま、予備校たるもの、多少は殺伐としていた方がいいでしょう。

27 Sep 2004 01:04:00 +0900
→ラフレシア、うちの庭にも咲かないかなぁ…


2004/09/28 [火]   

■十三にある予備校に出講するようになってもう10年になるのだが、十三周辺って実はほとんど知らないのであった。今日、空き時間に商店街を歩いてみた。横浜ムードの喫茶店とか、190円ラーメンとかの怪しげな店の並びに、移動メロンパン屋さんが出ていていい匂い。2つ買って糖分補給して、現役クラスの講義に備えた。
 匂いってのはダイレクトでいい。脳細胞を働かせる前に身体が動くし、いろんなことを思い出す。デパ地下へ行くと、各種の屋台から漂うおいしそうな匂いでいっぱいだったバンコクを思い出す。

■運動会が近い。麦人も文人も練習の様子を報告したり、演じるダンスをやって見せたりする。
 つくづく俺はひねくれた子どもだった。運動会が楽しかった記憶など一度もない。真面目に取り組んだ記憶もない。その分を取り返すべく、保護者参加の綱引きでは死力を尽くして闘う所存である。

■昨日の『こたつ内紛争』で首を縦に振りすぎて、首が筋肉痛。

■フォームメールへのお返事。
27 Sep 2004 21:05:38 +0900
→今回のクアトロはちょっと豪勢でしたよ。中川は相変わらず目を見開いたり口を歪めたりして、まさにモノノケと化して歌いまくっていましたが、『風ガハランダ唄』の製作とか、今回のツアーに対する姿勢の部分で「頑張る中川敬」の姿が垣間見えて、ちょっとイイ奴なのかも、と認識を少しだけ改めました。
 くるり岸田の声は不思議ですね。まったり歌っているんだけど、聴き手の感情移入を拒むようなところがあって、『竹田の子守唄』は歌い手と聴き手の間を何度も往復するかのように聴こえました。


2004/09/29 [水]   

■夕食前にゲームをやっていた麦人と文人が、プレー上のことでなにやら喧嘩を始め、どちらかがコントローラーを床に投げた。俺は二人を叱責してその場でゲーム中止措置をとったところ、文人はいきなり手近にあった本を読み始め、麦人は子ども部屋に駆け込んで鍵を掛けた。鍵を掛けて閉じこもることは禁止しているので、その旨ドアの外から通告したらすぐに鍵は開いたが、それから麦人は20分ほどずっと閉じこもっていた。
 「ごはんだよ」と声を掛けたら、何事もなかったようににこにこして食卓に着く。乱れた心を浄化する場所として、あの部屋はちゃんと機能していた。

■今日読み終わった本。
小谷野敦『すばらしき愚民社会』(新潮社)
→第1章「バカが意見を言う世の中」、第2章「遺伝と階級」、第10章「禁煙ファシズムを斬る」が面白い。あとは学者業界、論壇業界内部の話が多い。俺は他人や社会に何か役に立つことはできそうもないので、せめて自分がバカにならないようにだけは気をつけたいと思った。
「知が多すぎれば、シニシズムに陥り、無知であれば、戦争反対の署名を集めることで自己満足するようなはめに陥る。知を備え、かつシニシズムに陥らないためには、どうしたらいいのか。笑われることを恐れないこと、負けることを恐れないことである」(p153)。

■フォームメールへのお返事。
28 Sep 2004 16:17:13 +0900
→人間は言葉で感じたり考えたりする動物だと思うのです。だから、プラス評価を「かわいい」でしか表現しないようになってしまうと、その分感じ方が狭まってしまうような気がしてしまうのです。それでは「へぇ〜」ボタンを押しているのと変わらないのではないかと。ご指摘の通り、せめて「どこがかわいいのか」を口に出してみるだけでもいいじゃないかと思うのですが。


2004/09/30 [木]   

■こちらの方は台風もさほど激しいこともなく、数時間、ざばざばと雨が降っただけで終わった。街全体がシャワーを浴びているようで気持ちいい。麦人と文人と俺とでじゃんけんをして、負けた者が10秒間、庭で踊るというゲームをした。

■1年生が運動会で踊るダンスの名前は『アチョー』という。ゴダイゴの『モンキーマジック』でカンフーっぽいダンスを踊るらしい。プログラムを見るたびに『アチョー』という文字が俺の笑いのツボを刺激する。アチョー。

■フォームメールへのお返事。
29 Sep 2004 12:56:08 +0900
→なるほど。感情を共有するための「鳴き声」という訳ですね。でも、もし、Aさんが「かわいい」と思っているのにBさんがそう思わなかったらどうなるのだろう。そもそもそういう可能性を予め排除して、同調することの快楽をのみ求めて、鳴くのだろうか。