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2004/10/01 [金]   

■文人が「ピアノを習いたい」宣言をしたと(阿久沢談)。なんかいかにも文人で、たいへんよろしいと思った。近所のヤマハ教室にでも通わせてやろう。
 西洋風「丘の上の一軒家」的生活を演出したかったと思われる我が母上の指示で、俺も小学校に上がる前にピアノ教室に通わされていた。が、才能もなければ努力もしなかったので、ただひたすら苦痛なだけであった。母上に練習を強要されて、上手く弾けなくて泣いてしまい、涙が付いた手を擦り合わせていたら、10センチはあろうかという巨大な垢がよじり出されてびっくりしたことを覚えている(それくらいしか覚えていない)。それを発見した母上にさらに叱責され、また悲しくなったしまった俺だった。

■夜中、麦人が鼻血を出して起きあがってきた。手ぬぐいで拭いてやる。彼は何もしないのによく鼻血を出している。血が余っているのだろう。


2004/10/03 [日]   

■明け方から午前中いっぱい雨がしょぼしょぼ降って、運動会はあっさり中止になった。午前中のみ授業。せっかく阿久沢が作った弁当も、帰宅してから食べることに。火曜日に順延になったが、平日の昼じゃ、うちは父ちゃんも母ちゃんも行けないじゃん。
 文人は少しがっかりしているようだが、麦人は何とも思っていない様子。一番がっかりしたのは親かもしれない。夜、ふとんの上で文人に「アチョー」を踊ってもらった。

■なんとなくJAGATARAを引っ張り出して聴いている。『ロビンソンの庭』のケースの中になぜかU2が入っていて、ついそれも3回転ほど聴いてしまったりと寄り道しつつ、今『ロビンソンの庭』を聴いている(我が家には『ロビンソンの庭』が2枚ある。俺と阿久沢が連絡の不行き届きで別々に買ってしまったのである。他にも何枚かそういうのがある)。

「何度となく夢の海を一人漂ってた/目に映るものは過ぎ去りし日の君の笑顔/荒れ果てた楽園を後にして今/ユラユラ揺れる街並みは欲望を詰め込んで」(『夢の海』)

「もう一度大草原の片隅で話しよう/降りしきる雨が僕の身体をゆっくりと洗い落とす」(『夢の海』)

 かつて居た「あこがれの地」から遠く離れ、そしていつの日かそこへ帰って行くのだ。俺だったらそれは生まれる前の国だったり幼稚園時代の思い出だったり小学校2年の木造校舎だったり高校の文芸部室だったり吉田寮の大広間だったり幻影舞台芝居小屋だったり喫茶MGだったり、そして今ここだったりする。

■「プロだから「やればできる」のだ。誰もが「やればできる」と考えてはならない。」(ターザン山本『落合イズムとは?』)

■フォームメールへのお返事。
30 Sep 2004 09:09:47 +0900
→それは何だかどきどきする関係ですね^^ 幸せな方向に転がるように祈っております。紅葉の京都はいいだろうなぁ。素敵スポットが見つかったらぜひ教えて下さい。

2 Oct 2004 17:47:59 +0900
→たぶん、そうやってあれこれ考えるために生きたり誰かと付き合ったりするんですよ。僕と妻の頃は携帯もメールもなくて、月に何万も電話代を使っていたなぁ…。どうぞお幸せに。

2 Oct 2004 18:29:20 +0900
→特に猫好きというわけではないのですが、街で出会う犬はたいてい飼い主がくっついていて、写真撮るのを遠慮してしまうのです。猫はたいてい孤独にしてますからね。実は一番撮りたいのは人間です。でも、これは犬以上に遠慮しちゃいます。


2004/10/04 [月]   

■3時過ぎに麦人のもとへ近所のTくん(保育園時代からの友だち。小学校は別だが同じ学童保育に通う)からお誘いの電話があり、麦人はTくんの家へ遊びに行った。文人に「お前も行くか?」と聞いてみたら首を振った。ところが麦人が家を出て5分もしないうちに寂しくなったらしく、「やっぱり行く」と文人も出かけていった。
 ところが、10分もしないうちに文人だけ帰ってきた。「どうした?Tくんち分からなかったのか?」。「ううん、分かったんだけど。ピンポン押せなかった。恥ずかしい」と。
 「うちの鍵と同じ形だったから、これを持って行くよ」と、我が家の玄関の鍵を持って行こうとする。「同じ形でも開かないからダメだよ。大丈夫だからちゃんとピンポンしなさい」と何度も諭したら、やっと「うう。ううう」と頭を抱えつつ再び出かけていった。

■2週間ぶりにスポクラへ。筋トレのレッスンに入る。ここ数日、腰が洒落にならないほど痛かったが、少し動いたら急速に楽になった。
 あと、俺は全体的に右側の筋肉が左側に比べて弱いような気がする。特に脇腹。

■ニッティ・グリッティ・ダート・バンドの『ミスター・ボージャングル』がよくてよくてよい。中川五郎の訳・いとうたかおの歌で聴いたのが最初だ。いとうたかおバージョン、中川五郎バージョン、そしてニッティ・グリッティ・ダート・バンドバージョン、どれも好きだ。歌の力ゆえだろう。
南部じゅうの見世物やお祭りでわしは踊ったと
涙まじりに語る十五年の犬と二人の旅
犬が死んで二十年経った
今もじいさん嘆き通し
一杯の酒が飲みたくて今でも踊るのさ
でもいつもは酒場の片隅で空のグラスとにらめっこ
頷き喋るじいさんに誰かが叫ぶよ「踊って」
ミスター・ボージャングル
ミスター・ボージャングル
ミスター・ボージャングル 踊って
 吉田拓郎の『落陽』に出てくるじいさんに似てるな(「サイコロ転がし有り金無くし/すってんてんのあのじいさん/どこかで会おう/生きていてくれ/身を持ち崩しちまった男の話を聞かせてよ/サイコロ転がして」)。こういうじいさんたちのためにこそ世界はあるのだし、神さま仏さまはいるのだと思う。善人なをもちて往生を遂ぐ、いかにいはんや悪人をや。

■こんなのができているとは知らなかった。→「早川義夫公式サイト」

 日記が読める。ありがたい。それから、犬の写真が泣けるほどいい。
 金沢でライブがあるみたい。金沢、いいなあ。この日仕事は休みなんだよなあ。
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12月11日(土) いい人はいいね、金沢はいいね。もっきりやで逢おうね。

会場 金沢 もっきりや
出演 早川義夫
開場 19:00 開演 19:30
料金 前売3500円 当日4000円(ドリンク代別)
発売 11月1日より。
問合せ もっきりや 076-231-0096

■今日読み終わった本。
今谷明『室町の王権』(中公新書)


2004/10/05 [火]   

■今日は仕事頑張りました。その一言で十分な一日。


2004/10/06 [水]   

■今日も雨が降り、今日に順延されていた運動会は再び中止となる。雨男(女)は誰だ。

■まだちょっと蒸し暑いが、久しぶりにスーツを着て出勤。秋冬はスーツメインでいくことにする。何と言っても面倒がない。ネクタイをあと2本ほど買わないといけないけれど。
 以前、「スーツを着なくて済む仕事に就きたいんですけど…」と大学生から相談を受けたことがある。社会人が基本的にスーツ&ネクタイで仕事に臨むのは、取引先や取材先など社外の人間と会うときにその服装でいれば、とりあえず相手を軽んじていないことを手軽に伝えられるからである。逆に言えば、たかだがスーツを着るだけでそれが伝えられるのであれば、着ればよいのだ。
 ただ、ここ数年のように夏の最高気温が30度台後半に達するようでは、スーツ着用は不合理を超えて無理だと思う。汗でぐちゃぐちゃになって仕事どころではないし、相手にも失礼であろう。フィリピンやインドネシアの大統領はポロシャツで執務しているようだ。日本もそうすればいいのになあ。

■麦人が風邪をひいたらしく、36度台後半の微熱を出している。耳下腺も少し腫れている。風邪をひくと耳下腺にくるのは、俺の体質を受け継いでいるのだ。喜ぶ場面ではないが、何となく嬉しい。


2004/10/07 [木]   

■2度も順延された麦人文人が通う小学校の運動会がようやく行われた。さすがに休講して運動会を見物するわけにはいかないので、最初の30分だけ見て仕事に行った。二人の出番は後の方で、彼らが動き回るシーンを見ることはできなかったが、他の学年のリレーを実に熱心に応援している姿をしっかり目に焼き付けてきた。麦人はクラスの前に出て白旗を振り回し、文人は応援席で手足をばたばたさせて白組を応援していた。その甲斐あってか、今年は白組の圧勝だったそうだ。

■学校の先生は多くを背負い込まず、保護者も学校に多くを期待しないほうがいいと思う。
 少なくとも俺は小学校に学力を付ける機能は期待していない。それは民間教育産業の方が得意なのだから、そっちに任せてもいいのではないか。また、小学校に「心の教育」を施したり「生きる力」を与えることなど全く望まない。そんな訳の分からないことまで教員に責任を負わせるのは酷というものである。あるいは、校内で児童が加害者になる殺人事件が起きたとして、校内の安全管理についての責任が問われることは当然としても、児童がその行為に至るまでの経緯についてまで学校のせいにするべきではないだろう。そんなことまで学校や教員に期待してはいけないし、学校と教員も自分の仕事だと思ってはいけない。
 しかし、運動会や校外学習や、友だちとのトラブルをいかに解決するか、校庭に乱入してきた野良犬といかに仲良く遊ぶか、といったことは小学校でしか経験できないのだ。運動会で勝ったうれしい、と今日一日、うちの子どもたちは胸一杯に思っていた。それだけで十分、感謝するに値することなのである。

■麦人は明日、校外学習で朝の7時起きだという。「起きられないかもしれない!起こしてね!」と何度も親に念を押すにもかかわらず、11時近くまで文人を追いかけ回したり、阿久沢や俺にクイズを出したりして寝ようとしない。「早く寝なさい!」と俺に言われてふとんに横になった後も、ハリーポッターの本を眺めている。「こら寝ろ!」と強めに言われて強制消灯された後も、「私は時計です。チックタックチックタック」とつぶやいて、両手を90度に開いて「3時です!9時です!」などと言っている。つくづく面白いやつだ。

■「幸せとは人々を意味もなく支配しているトラウマの一種である。」(ターザン山本)


2004/10/09 [土]   

■阿久沢によれば昨日、麦人は校外学習で農業体験学習をしたという。納屋にあった鉄鎌を手に取ろうとしたところ、鎌の下から無数の蜘蛛が、まるで『となりのトトロ』に出てくる「真っ黒黒助」のように這い出してきて、とても驚いたという。気分が悪くなって弁当を食べられなかったという。面白いので先ほど本人から詳しい話を聞き出そうとしたが、「うん…。くもがでてきた」と言うばかりで、多くを語ろうとしなかった。ほんとに怖かったらしい。

■麦人はダイエット中。おやつにお菓子を食べないことにしたらしい。スイミングで同じクラスの女の子に「お腹が段になっている」と指摘されたのがショックだったのだ。
 決して肥満しているわけではないが、確かに最近、むちむちしてきたのは事実。毎晩風呂上がりに俺に腹をつまんで見せつけるが、基礎代謝が高いので、少しカロリー摂取を減らせばどんどん贅肉が落ちているのが分かる。

■フォームメールへのお返事。
6 Oct 2004 22:37:05 +0900
→おや、僕も残念です。もうTシャツの季節も終わりですね。見たかったなあ。

7 Oct 2004 00:39:17 +0900
→おぉ、関西人になったのですね。歓迎します。新快速に乗って神戸に遊びに来て下さい。MY田MM子さんはずいぶん前にメールくれてから連絡がないです。鎌倉に住んでるそうです。MY田さん!見てたら連絡おくれ。Tなさんが会いたがっているぞ。

8 Oct 2004 22:13:38 +0900
→そういう時は遠慮なく呼びとめて下さい。武者小路のあの文章は、このサイトの過去日記のどこかに写した記憶があるので、ヒマがあったら(ないか!)探してみて下さい。また来週持って行きますよ。台風、いよいよ近づいてきました。ちょっと楽しみです。被害がないけどお祭り騒ぎ、という程度に荒れてほしいです。


2004/10/10 [日]   

■台風は逸れて、関東へ行った。昨夜のニュースでは台風がもろストライクゾーンに入ってくる感じだったので、すっかり気持ちが台風休講モードに入ってしまっていた。朝、ほんのちょっとしか降っていない雨の中、仕事に行く身体が重い。

■理想の生活。
 ああ、退屈だなー暇だなーと立ったり座ったり寝ころんだり、本を読んだり音楽を聴いたり空を眺めたり庭の雑草を抜いたりする。街中散歩して犬や猫や草の写真を撮る。昼寝しすぎて夜眠れなくなり、コーヒーを飲みながら深夜ラジオを聴く。トシとったら、たぶん同じようにトシをとっても活発に動き回っているだろう阿久沢の後ろを、「ワシもワシも」とついて歩く。
 何となく人生後半の目標みたいなものが見えてきた。それは、目標などなくても、なりたい自分などなくても、価値ある人生など送らなくても、ヒトはじゅうぶん幸せに暮らせるのだということを、我が身をもって明らかにすることである。

■俺は学生時代、やるべきことはほとんどやっていないが、やりたいことはだいたいやったので、「気が済んだ」ということなのかもしれない。偉大な人間は「済まない」のかもしれないが、俺は凡人だし精力も乏しいので、一度イケば満足なのである。

■同僚の先生から聞いた話。最近は、予備校や保護者への苦情が保護者経由で来ることが多いという。すなわち、生徒はたとえば講義内容に不満があっても、直接講師や教務に言うのではなく、親に言いつける。それを親が予備校に電話を掛けて文句を言う、というのである。
 もちろん、苦情や要望はどんどん言っていただきたい。それは当然の権利である。授業料を実際に負担しているのは保護者だから、保護者が文句を言うのも筋として間違っているわけではない。しかしだ、小学生じゃないのだから、まずは自分の口から苦情は言うべきではなかろうか。それでも予備校が動こうとしない場合、あるいは子どもだと思ってナメられていると感じた場合にのみ、保護者を動かすべきであろう。
 そもそも、高校生以上の子どもが、親に予備校の講義内容についてまであれこれ詳しく話すこと自体が俺には信じられないよ。「予備校楽しいか?」「つまらん」。「授業分かるか?」「わからん」。「勉強してるか?」「……」。「来年は合格しろよ」「……」。予備校生とその親の会話なんかこれでいいのである。
 最近の若者、親と仲良くしすぎ。親を好きすぎ。親も好かれて喜びすぎ。こういう親子に限って、夫婦関係に不安・不満があると、当事者同士で相談する前に親にいいつけて、さらに問題をこじらせるのだ。だめ。今から親離れ・子離れの修行をせよ。


2004/10/11 [月]   

■一日休み。昼前まで寝て、昼食後にスポクラへ行き、帰って夕方までうだうだしたりうとうとする。夕食はブリ鍋。秋冬は毎日鍋でもいいと思う。
 子どもたちが赤ちゃんだったころ、鍋は離乳食代わりにもよく作ったものだ。煮えた魚は骨をちゃんと除去すればそのまま口に入れてやれたし、柔らかくなった白菜も、豆腐も歯の生えかけた赤ちゃんには好適だ。最後の雑炊なんか、そのまんま離乳食である。熱い豆腐を冷ますときに「ふー、ふー」と親が吹いていたのを見ていたのか、言葉を覚えはじめの文人は、豆腐のことを「とうふフッフッフッ」と呼んでいた。
 うちの子ども(特に文人)はテーブルマナーがなっていないので、鍋の時もあれこれ注意をする。最近うるさく言っているのは、「鍋から自分の取り皿に取るときは、必ず取り皿を鍋の近くまで持って行きなさい」である。麦人は一度言えば身につくのだけれど、文人は何度言ってもダメなのだ。テーブルマナー以前に、自分が他人にどう見られているかに全く関心がないに違いない。その代わり、自分が自分をどう見るかには深い関心を抱いている子どもなのだ。

■MDウォークマンが動かなくなったので修理に出した。その際、ヨドバシ梅田のポイントがだいぶたまっていたのでipodを購入。半分くらいポイントでカバーできた。
 CDをいったんパソコンに移し、それからUSBでipodに転送するという仕組み。これが笑っちゃうほど大量の曲を録音できる。パソコンを使って仕事をするときバックグラウンドで常にCDから読み込ませ続け、現在のところ600曲ほど録音されているのだけれど、それでもipodの容量の5%も使っていない。おそらく、俺の手持ちのCDを全て録音してもまだ余裕があるに違いない。そんなにたくさん録音する曲があるのか?という批判は至極もっともなのだが、それを通り越してこの容量のデカさが妙に潔くて気に入った。
 シャッフルして次に何が出てくるのか分からないようにして聴くのが楽しい。早川義夫の次にソウル・フラワー・ユニオン、さらに宍戸留美、そして上々颱風、ボ・ガンボス、バディ・ガイ、フィッシュマンズ、大正九年と続くと頭がぐるぐるする。でも全部俺の好きな歌い手たちなのだ。ぐるぐるうれしい。

■麦人がテレビコマーシャルで「We will, we will, rock'you!」を聴いて気に入ったらしいのだが「びーべるびーべるぼんちゅー!」と大声で歌っていた。文人と戦いごっこをしているとき、「お前なんか俺の足下にも申し訳ない!」と叫んでいた。
 一方、仕事をしている俺の横に立ち、「おとうさん!駄洒落を考えたから聞いて下さい!」と満を持して発した駄洒落は「このお金はおっかねー!」。
 麦人には、自分の何が「売り」になるのか(何がならないのか)を教えてやらねばならない。


2004/10/12 [火]   

■「オットの日記を読むと、家事は全部オットがしているように読める。ずるい」との抗議が阿久沢からあったので、釈明しておく。
 我が家の家事分担はおおよそ、食事作り・掃除→阿久沢、洗濯・電気機器や電子機器のメンテナンス→俺、となっている。その他の細々した家事は、その都度気がついた方、手の空いている方がやる。
 要するに阿久沢の抗議は、昨日の日記で「夕食は鍋」と俺が書くと、ほんとは自分が支度をしているのに俺がつくったみたいだ、ということである。今後は正確に記述することにする。

■麦人と文人の最近のお楽しみは、風呂での我慢大会だ。湯船につかり、蓋を閉めて、水面と蓋の間の狭く暑苦しい中で、何分間我慢できるかを競っている。現在のところ、麦人の「9分」というのが最高記録らしい。一人が湯船につかっている間、もう一人がちんこ丸出しにして洗い場でぼーっと座り込んでいるのが情けなくていい。

■フォームメールへのお返事。
10 Oct 2004 23:39:38 +0900
→保護者を通さないと動かない予備校にも困りますね。生徒さんからの苦情も、中には我が儘・自分が努力しないことを棚に上げるetcといったこともありますが、中には正鵠を射ているものもあるわけで。その論文楽しみですね。面白い発見があったら教えて下さい。

11 Oct 2004 11:40:51 +0900
→それは凄すぎ。ipodの中に住んでいるシャッフル小人に、どんとの魂が乗り移ったに違いありません。僕のipodにもその2曲は入っています。この中の小人もどんとに憑依しないかなぁ。


2004/10/13 [水]   

■最近麦人が3日と空けずに鼻血を出す。夜、寝ているときに出していることが多く、朝起きると枕カバーやシーツが赤く染まっている。鼻血以外は何もなく元気そのものなのだが、念のため血液系の病気の可能性を否定しておきたいので、夕方病院へ血液検査に連れて行く。検査結果は金曜に出るとのこと。
 お医者さんの話では、鼻の奥にあるナントカという部位が成長期に薄くなって出血することはよくあることで、麦人の場合もそれではないかと。
 病院までの道で、腕に針を刺されることに怯えて泣きべそをかいていた麦人だが、検査室では「3年生?大きくなったね!」と言われて胸を張って腕を差し出していた。見栄は人間に必要である。

■兄弟で風呂に入っている麦人と文人が、湯船の中で二人で同時にバタ足をしているらしい。4本の脚が水を叩く音、風呂桶に膝小僧が当たる「ごつん」という音が家中に響き渡る。二人とも真剣にやっているらしく、声は聞こえない。
 いつも不思議な気持ちになる。彼らは確かに俺(と阿久沢)を原因としてこの世に現れた存在だけれども、今では完全に別個の存在として、俺を凌ぐエネルギーを発散させているのだ。俺から発した存在でありながら、もう俺がコントロールしきれない場所まで、彼らは歩き出している。
 自分と自分の周りにあるものを、自分のコントロール下に置くことが幸福だろうか。そう、自分の24時間を自分のものとすること、自分の周りの空間を自分の色で染めること、俺はそれを願って若い日々を過ごしてきたのだった。しかし、それは原理的に不可能である。生も死も自分で司ることができない人間は、自分の人生をコントロールできない。
 子どもの存在はそのことを実にあっけらかんと教えてくれる。子どもがいるために仕事に制約はできるし、行きたいときに行きたい場所に行けないこともあるし、経済的な負担は大きい。それは確かに俺の可能性を狭めたに違いないのだけれども、人生そうしたもんなのだ。そういう制約があることで、俺の輪郭がよりはっきりするのだ。
 そして何より、自分以外の者の笑顔を見るために、自分の何かが制約されることは、幸いである。そのことに気づくことも、幸いである。もちろん、子どもがいなければ気が付けないなんてことはない。でも、子どもがいると誰でも簡単に気づくということだ。

■電車で座席に座ったとたんに眠ってしまうので当惑している。読書とかしたいんだけどなー。

■フォームメールへのお返事。
12 Oct 2004 13:11:24 +0900
→ありがとうございます。安心しました。僕もメシ作れと言われれば作れないことはないのですが、阿久沢の方が圧倒的に早くて上手なので、任せてしまっているのが現状です。


2004/10/15 [金]   

■ipodがなかなか面白い。機能もさることながら、物体として大事にしたくなる何かを秘めている。液晶に傷が付かないように、専用の透明シールを買ってきて貼り付けた。
 きっとアップルのコンピューターにも同じような何かがあるのだろうな。今さら乗り換えるつもりはないが、アップルにこだわるユーザーの気持ちがちょっとだけ分かる気がした。

■本宮ひろ志氏の「国が燃える」休載へ 集英社
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 集英社は13日、「週刊ヤングジャンプ」で連載中の漫画「国が燃える」(本宮ひろ志作)を、28日発売号からしばらく休載することを明らかにした。同作は、旧日本軍が南京で市民を虐殺する様子を9月の掲載誌で描き、「真偽不明の写真を使っている」などの抗議を地方議員のグループや読者から文書や電話で受けていた。

 「国が燃える」は02年11月から連載。昭和初期の若い官僚の半生を描いている。集英社の編集部と作者で参考資料を再検証したところ、今年9月16日と22日の発売号に「不適切な資料を引用していた」という。集英社は「単行本で修正・訂正をし、『週刊ヤングジャンプ』誌上で経緯を読者にお知らせしたい」としている。 (アサヒコムより)
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 こういういちゃもんをつける奴らが一番下らないのは当然だが、同じくらい下らないのが、抗議を受けたくらいで休載する集英社であろう。こういうのをヘタレという。馬鹿がいちゃもんをつけてくるのは、まぁ馬鹿だから仕方がないのである。馬鹿のいちゃもんを真に受けてヘタレる奴らこそ、言論の自由を内部から掘り崩す敵だ。いちゃもんをつけられて休載するくらいなら、最初から載せるなヘタレが。
 当該作品は立ち読みしたが、絵になるならなんでもネタにするぜという本宮ひろ志の勢いで描いた作品という印象を受けた。続けて読みたいという気にはならなかった。


2004/10/16 [土]   

■話にならないくらい眠い一日であった。それほど疲れているわけではないのだが、何かもう、一瞬でも気を抜くと意識が飛びそうなほど。
 理由の一つはわかっていて、授業前にタイ式マッサージを受けてしまったためである。午前中に会議があったのだが予想を大きく上回って早く終わってしまい、午後の授業が始まるまでやたらと時間が空いたのだ。マッサージの後は身体がリラックスするのは重々承知していたけれど、ここまでとは思わなかった。担当してくれたおねえさんが上手だったということだな。

■こういう時はとにかくものを食べるに限る。帰り、梅田の阪急百貨店で北海道物産展をやっていたので(各売り場に行列ができていた)カマンベールチーズケーキを買い、帰宅してべろべろ食べた。甘いものはいいなあ。多少太ってもいいから、この季節は血糖値を高めて乗り切るのだ。

■日本の将来は暗いとみんな言い、俺もそう感じてはいるのだけれど、暗いって具体的にどうなるのだろう。国の借金はとりあえず俺の借金ではないし、貧しくなったとて雨風凌いで3回のごはんを食べることくらいは何とかできようし、空の雲でも眺めていれば暇つぶしもできるだろうし、そうこうするうちに阿弥陀様がお迎えに来るだろう。。未来が明るくないと生きていけないのか?
 暗いのは日本の将来より、俺たちの脳内ではないかと。


2004/10/17 [日]   

■麦人文人が赤ちゃんから小学校に上がるまでお世話になった保育園のプレイデイ(運動会みたいな催し)があった。卒園児に案内の手紙を送ってくれるのがありがたい。俺も阿久沢も仕事があったので、往きだけ俺が送っていって、帰りは二人で帰宅させた。かつての級友が集まって、ちょっとした同窓会になって盛り上がったようだ。記憶以前の友人はやはり特別なものがあるのだろう。
 0歳だった麦人を保育園に預けた最初の日、「お願いします」と先生に手渡したら、気配を察した麦人はわあわあ泣いた。その先生の背丈を、今日の麦人は追い抜いていたという。文人は「○○ちゃんの顔が大きくなっていた」と。
 自分が育った場所に戻る機会があるっていうのはいい。俺が通った幼稚園はずいぶん前に廃園となり、今では老人病院が建っている。

■今は第3次産業が肥大した時代なので、人間関係のスキルがない者、人間関係そのものが苦痛な者は生き辛いのである。新聞社時代、なんで社員同士であんなに飲み会をするのだろうかと(取材先と飲むのならまだ分かる)疑問に思っていたが、要するに社内人脈がないと仕事がやりにくいのだ。ヒラ記者時代ならともかく、管理職になったとき、他部署に顔が利かないと仕事にならないだろう。だから今なら、月に一回県内の記者を全部動員して強制的に飲み会をやっていたのも理解できる。理解できるが俺はだめだ。
 俺のような者は江戸時代なら、一日誰とも口をきかずに竹細工を作ったりしていればよかったのだろうなあ。予備校という働き場所があってほんとうによかったと思っている。

■フォームメールへのお返事。
13 Oct 2004 09:30:00 +0900
→どうもありがとうございます。麦人の場合、最近鼻くそをほじる快楽を覚えたようで、どうもそれが原因のようです。夜、右の鼻穴をほじほじしていたら、見事に翌朝そこから鼻血が出ていました。

13 Oct 2004 23:52:37 +0900
→お子さん、何事もなくて本当によかったです。詳細は分かりませんが、ご両親にちょっと心配をかけてみたかったのかな?うちの子どもは今のところ、「仕事場を抜け出して車を運転するのも手がガクガク」するほどのことはしでかしておりません。時おりプチ家出はしますが、10分以内に帰ってきます。今までで一番驚いたのは、文人が2歳の時、中華料理店で何か気に入らないことがあって、取り皿を床にたたきつけて割ったことです。

16 Oct 2004 14:06:02 +0900
→「付き合う」というのはほんとにひとそれぞれのやり方があって、これとこれをするから「付き合っている」という決定的なものはないのだと思います。あなたとその彼は、小説やテレビドラマに出てくるような「付き合い」はしていないのかもしれないけれど、お互いに関心を持ち合っていればそれで十分「付き合っている」と言えるのではないかと思います。ただ、あなたが望む「付き合い」と、彼の望む「付き合い」の形が異なることはあり得ることですから、そこは何度も摺り合わせて、一番ぴったりな形を作り出して下さい。「付き合う」か「付き合わない」かで悩むより、互いに関心を持ち合っている状態を楽しんで下さいよ。


2004/10/18 [月]   

■昼から三宮で会議。出版社の編集の方々と教材作成について数時間打ち合わせる。窓のないホテルの一室が会場だったので、時間の経過がよく分からない。しかし、出席者がみな有能なので、予定より短時間でかつ予定以上の議事をこなす。その後、創作和食のお店で夕食。久しぶりにお腹が苦しくなるまで食べた。

■最近読み終わった本。
林屋辰三郎『中世の開幕』(講談社現代新書)
みうらじゅん『色即じぇねれいしょん』(光文社)
→みうらじゅんはマンガがあんなに詰まらないのに、なぜ文章は面白いのだろう。「歌や演奏はうまいとかヘタとかではなく、歌う人間の何というか、フェロモンに依るところが大きいことを学んだ」(p262)。


2004/10/19 [火]   

■麦人が朝から咳をしている。夜になっていっそう激しくなった。ふとんをしっかり被って、あったかくして眠るように申しつけた。寝入った後は静かなので一安心している。風邪が流行っているようだ。
 麦人の調子が少しでも悪いと、文人が「熱を測ろうか!?」とすぐに体温計を出して熱を測ろうとする。普段は「いらねえよ!」とつれない麦人だが、今日はおとなしく腋を上げて、文人に体温計を挟んでもらっていた。

■最近、兄弟の仲がとみによろしい。寝る前にふとんの中で抱き合う儀式を毎晩やっている。文人によれば「学童保育でけんかしていたら、おにいちゃんが来て止めてくれた」のだと。麦人は「最近、弟がちょっとかわいいと思うようになった」と。
 親に似ず、佳い子どもたちである。

■今日の授業で、「『漢書地理志』は紀元前1世紀の日本について云々」という話をしたら、授業後に生徒が2人連れ立って質問に来た。「紀元前とか紀元後って何ですか?」と言う。「これは西暦といって、西洋人はキリストが生まれる前と生まれた後で時間を区切っているのだ」と答えたら、にこっと笑って小首を傾げて「どうしてですか」と。俺「どうしてもこうしてもない。そういうことにしているんだよ」。生徒「そのとき日本では何年なんですか?」。俺「日本ではそのころまだ元号を使っていないから、日本で何年というのはありません」。「うーん、難しいですねぇ…」と立ち去っていった。
 分からないことを質問に来てくれるのは嬉しいし、どんなことでも聞いてくれた方がそれはもちろんいいのだ。この質問も例外ではない。が、そこは疑問を持ったり考えたり理解するところではないだろう。1月1日から1年は始まるわけだが、それはそういう約束なのであって、理由などないのと同じことだと俺は思う。毎日、いろいろ勉強になります。

■フォームメールへのお返事。
17 Oct 2004 20:44:05 +0900
→僕も若い頃は鼻血に限らず、いろんな場所からいろんな液体を流しましたが、最近はとんと出なくなりました。枯れてきたのか安定してきたのか…。


2004/10/20 [水]   

■次男・文人の名前はBUND=共産主義者同盟からもらった。共産趣味者である俺の命名である。が、そんな由来を離れて「文人」という名前は見れば見るほど佳い名前だと思う。武ではなく文なのだ。武でしか解決しない物事が多々あることは承知しつつも、文を貫くのだ。別に理科系に進んでも構わないから、君は文人(ブンジン)を貫くのだ。
 その文人は今日、風邪で学校を休んだ麦人のために、麦人の担任に「休みます」と記入した連絡帳を手渡すため、3年生の麦人の教室に入ったそうだ。そしたら、「戸田の弟か!」「よく似ている」「でかい」「でかいでかい!」とさんざん声を掛けられらしく、帰宅後たいそう不機嫌だった。実際よく似ていて大きいのだから仕方ないのだが…。

■麦人は咳がひどくて学校を休んだ。朝、俺が病院へ連れて行って風邪薬をもらう。ついでに先日の血液検査の結果を聞いてきた。異常なし。
 俺も阿久沢も仕事があるので、麦人は今日、半日一人で留守番をしていた。「電話には出るな」「ピンポンが鳴っても出るな」と厳重に申し渡して俺は家を出た。一日中マンガを読むなどして過ごしたらしい。帰宅して「寂しいことや怖いことはなかったか?」と尋ねても「全然」と平然としている。数年前には考えられなかったことだ。あぁ、子どもは大きくなるんだなぁ。


2004/10/21 [木]   

■台風トカゲ23号のおかげで予備校が休講となった。後で補講しなければならないので労働時間としては楽になるわけではないのだけれど、何となくうきうきする。人生にはこういうイレギュラーが大切なのである。
 小学校も休校となった。麦人は昨日も風邪で休んだため、丸2日家に籠もりきりということになったが、もともとがインドア趣味の子どもなのでさほど苦痛ではないようである。文人とカードゲームしたりテレビゲームしたりばらばらにマンガを読んだり、それなりに楽しく過ごしたようである。ただ二人とも、30分に1回は俺の膝の上に載ったり(麦人)、胸に顔を埋めたり(文人)、スキンシップを求めてくるのがややうっとおしい。
 部屋の中にいると、屋外はかなり賑やかだ。斜向かいの酒屋さんのビール瓶ケースがひっくり返る音はするし、どこかの塀のプラスチック板が剥がれて庭に飛んできていた。いつもなら台風の時には3人でじゃんけんをして、負けた者が10秒間、庭に出て雨に打たれつつ踊るというゲームをするのだが、ちょっとヤバい感じなので1回だけにした。負けたのは文人。

■加川良が今さらながらよい。後ろ向きに明るいところが。「君は君のことが好きでありますように/僕は僕のことが好きでありますように」(『流行歌』)


2004/10/23 [土]   

■忙しいときに限ってOS再インストールなんかしてみたりして。ただの逃避だ。そんなわけでおやすみなさい。


2004/10/24 [日]   

■甲信越で大きな地震だと。しかも震度6弱が3回も。その後も大きな余震がたびたび起きていると。
 余震はほんとうに恐ろしいのだ。最初の揺れで刻みつけられた恐怖を、何度も何度も呼び起こすのが余震である。阪神・淡路大震災から10年近くたった今でも、俺の身体はあのときの恐怖を覚えている。だからちょっとした地震も怖い。
 地震は、他人事とは思えぬ。かといってボランティアにいく余裕はないので、カンパで誤魔化すことにする。

■逆に言えば、自分で体験がないとどこか他人事と思ってしまうということだ。俺の想像力なんてそんなものなのであろう。

■夜、三宮へ「MASK DE 41」のレイトショーを観に行く。お話も面白かったが、冒頭近く、FMWの荒井昌一リングアナが冬木弘道(サムソン夏木、というベタな役名になっていた)をコールするシーンに、うわぁ、ときてしまった。2人は今、あの世で興行してるだろうか。そして、田口トモロヲと戦うレッド・ファルコンはハヤブサだよ!ハヤブサが試合しているんだよ!死者が2人、再起不能の大けがを負ったレスラーが1人。なんて時が経つのは早いんだろう。なんてあのころは幸せだったんだろう。
 プロレスはやっぱりいいなぁと、改めて思った。「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けば分かるさ」
 忘れるところだったが、中川五郎がかなり重要な雰囲気担当という感じで出ている。

■ipodに手当たり次第に手持ちのCDを入れて、シャッフルして聴いているのだが、普段だったら絶対にCDのトレイには乗せないだろうという歌が掛かるのが面白い。今日は南こうせつ『お前が大きくなった時』。中3のとき、野外ライブで聴いた記憶があり、たぶんそれ以来だ。
 「お前が大きくなった時/あの青い空に/白い紙飛行機が/夢をはこぶだろうか/お前が大きくなった時/あの枯れた大地に/咲いた名もない花が/命を語るだろうか」。あっさりした疑問形が悪くないなと思った。「夢をはこんでほしい」とか「はこばなくっちゃいけない」とか言っても、んなもんどうしようもないもんね。淡く願い続けるという姿勢が好ましいと思った。

■フォームメールへのお返事。
21 Oct 2004 22:55:26 +0900
→緊張していないわけではないのですが、緊張がいい刺激になるというか、ドキドキとかアガっちゃって何を話していいかわからないということは、ないですね。脳みそがいい具合に脳内麻薬を出してくれる感じになります。テキストが脚本、自分は役者兼演出家のつもりで講義しています。どうしても緊張するのなら、頭の中でBGMを鳴らしてみたり、自分にあたるスポットライトを妄想してみたり、ちょっと派手な服を着て役者気分で発表してみるとかどうでしょうか。

22 Oct 2004 13:23:26 +0900
→おおー。いい線まで来てるではないですか。ここまで来たら突破してください。よい報告をお待ちしています。

22 Oct 2004 19:31:20 +0900
→あのな、すぐに漫喫を出て自習室に籠もるように。


2004/10/25 [月]   

■休日は兄弟喧嘩が増える。一日顔を突き合わせていれば、子供のことゆえ、ちょっとしたことで衝突するのは致し方ない。
 午前中は、ふとんの中にいた麦人に文人がフライングボディプレスを仕掛けて麦人が泣き、夕方には諍いの果てに文人が家出をし、夕食時には最後にわずかに残ったご飯のお代わり権をめぐって紛争が生じ、俺が「半分こ」を命じたら麦人がふてくされてひっくり返った。
 コンフリクトが生じるのは、一緒に暮らしている以上当然のことだ。数十分の後にはへらへら笑い合いながら遊んでいるので、まあいいんだろう。中学生くらいになって、ちょっとしたコンフリクトで怪我したりものを壊すようになるとちょっと困るんだが。

■こういう時、昔だったら元号を変えたり遷都したりしたんだろう。もっと昔なら首長を屠って神の許しを得ようとしたんだろう。
 文明の進歩によって昔よりずっと多くのことが人間によってコントロールできるようになったからなかなか気が付くことができないだけで、どうしようもないもの、理解できないことは、この世に山ほどある。だから神とか宗教というものがあるのだ。
 どうしようもないものは山ほどあるが、戦争と差別はそこには含めない。それは人間が起こすものであり、人間がどうにかできるものだ。

■我が家の冷蔵庫にバームクーヘンとプリン、炊飯器の横には栗まんじゅうがある。近所のケーキ屋に行けば、山ほどケーキがある。考えるだけで幸せだ。甘いものはほんとにいい。特に秋は、甘さが力となって身体にしみわたるのだ。
 あと、栗鹿の子があれば言うことなし。

■今やりたいこと。地方都市の人のいない商店街を歩く。

■最近読み終わった本。
三浦展『ファスト風土化する日本』(洋泉社新書)


2004/10/26 [火]   

■さっき、麦人がふとんの端から端までごろごろと寝返りを打つ瞬間を目撃した。
 寝室をのぞいたら、兄弟で抱き合って寝ているので、ああ佳い光景だなあと思ってみていたら、麦人が外側の左足を文人の身体に掛けるようにして、全身で文人に抱きついた。重さを嫌がってか文人が身体を逸らすと、麦人は文人を追いかけるように寝返りを打った。しかし、その方向が若干ずれていたために文人を再び抱きしめることはできず、麦人は文人をどこまでも追いかけてごろごろと転がり続け、壁にぶつかってそこで丸まって止まった。

■阿久沢が忙しい。子供が起きている時間にはなかなか帰宅することができない。台風は来るし地震は来るしで、仕事柄致し方ないのだけれど、大腸ガン手術からまだ2年も経っていない。朝日新聞の偉い人には、阿久沢をあんまりこき使うなと言いたい。

■俺も忙しい。立ち止まると眠ってしまいそうになる。


2004/10/27 [水]   

■京都で仕事の日。何だか、この曜日は毎回雨が降っているような気がする。

■この予備校に出講し始めた頃は、ついつい懐かしさに京大近辺まで足を伸ばして古書店などのぞいたものだが、最近はどうでもよくなってとんと足が向かない。校舎が建て替えられて、もう自分の学校という感覚がなくなってきているし、学生時代はほんとうに過去になったのだ。俺は、自分の過ぎ去った学生生活のことを思い出すより、子供たちの来るべき学生生活のことを考えるのに忙しいし、その方が楽しい。もうちょっとじじいになったら別かもしれないけれど。
 吉田寮の行く末について、卒業後十数年経っても心配している人たちもいるようだが、何かもうどうでもいいやというのが正直なところである。今、住んでいる人が考えて、行動すればいい。必要ならカンパくらいはするし、機動隊に石を投げるくらいのことはする。

■授業の後、いったんクールダウンしてから質問の生徒さんが来ると、アタマが再起動するのに時間が掛かる。熾火に、ふうううっっと息を吹きかけて炎を立ち上げるような手続きがいる。論述問題の答案のような、構えて答えなければいけないような質問だと特に。

■思いやりの心とか、他人の気持ちになって考える、なんて信じない。彼の地の人々の身に起きたことが、明日は自分にも起こりうるのだと想像するだけだ。全世界の、そして新潟の、豊岡の被災者に幸いあれ。


2004/10/28 [木]   

■最近よく耳にする「あり得ない」という表現は変だと思っていた。最近の「あり得ない」は、実際に目の前で起きていること、自分の身に起きていることに対して用いられることが多く(「こんな成績あり得へん!」「この煮物、あり得ないくらい不味い!」など)、それってそこにあるんだから、十分あり得てるじゃん、と思ったからである。
 だけれども、今日、俺は仕事をしながらあり得ないくらい眠かった。目を開けていること自体があり得ないくらいだ。自分でも今ここに起きていることを信じられない。それが昨今の「あり得ない」なのだと理解した。
 一瞬でもしゃべるのを止めると意識が飛びそうなので、いつもよりハイテンションで延々しゃべりつづけた。結果的には普段より情報量が多い講義になったのではないかと思う。

■つくづく加川良がよい。「生まれつきってわけでもないが/背中に大きな穴があいたまま/さあ忘れ物を思い出しとくれ/でも答えなんて言わせないでおくれ」(『知らないでしょう』)。

■今回人質になった彼がなぜイラクに入ったのかは知らない。ともかく無事であってほしいと思う。どうせまた「自己責任」を振り回す輩が湧いて出てくるのだろう。自己責任は当たり前のことだが、いかなる理由があろうと窮地にある国民に救済の手を差し伸べるのが政府の仕事である。そのために俺たちは役人どもにメシを食わせてやっているのだ。

■阿久沢は明日から新潟へ出張。余震が続く中、心配でないといえば嘘になるが、仕事だから仕方がない。さっきダイエーへ懐中電灯と長靴を買いに行っていた。


2004/10/29 [金]   

■阿久沢は早朝に家を出て新潟へ。阿久沢も大変だが、俺は俺で仕事と育児と家事があるから大変である。
 両親とも働いていることが、麦人と文人にどういうふうに捉えられているのかはよくわからない。おそらく、生まれた時からそうだったから、そういうもんだと思っているのだろう。しかし麦人は、俺か阿久沢か、どちらかの帰宅が遅くなると、「お父さんとお母さんと両方家にいないと寂しい」と言う。有り難いことである。

■朝起きたら軽く喘息が起きていたので、気管拡張剤のシールを胸に貼る。これがあれば怖くない。朝からどうなることかと一日の仕事を心配していたが、始まったら調子良い良い。何事もやってみないと分からないものだ。

■夜の通勤電車は嫌いだ。みんな我がちに乗り込んで座席を取ろうとするから。その表情が醜い。気をつけないと俺もその一群に簡単に飲み込まれてしまうから、座らないと決意してやせがまんをする。


2004/10/31 [日]   

■今日はこういうところで
http://blog.kansai.com/jobseminar/
話をしてきた。俺なんかでよかったのか今でも疑問に思っているが、学生さんたちは楽しそうに聴いてくれたので、いちおう役に立ったのだと思うことにする。
 写真日記にアップしたのは、講演後の交流会。

■「(テロが)繰り返される理由はなお存在している」。「あなたたちの安全はブッシュ(大統領)やケリー(上院議員)やアルカイダの手にあるのではなく、あなたたち自身の手にある。いかなる国も我々の安全を脅かさないことが、自らの安全を守ることになる」。
 俺にはどうしてもビンラディンの言い分の方が正しく(あるいは説得力を帯びて)聞こえるのだが。

■文人の乳歯が抜けた。これが3本目。麦人も文人も赤ちゃんの頃、前歯が生え始めたことにいたく感動して、何度となく指で撫でてみたものだ。その乳歯が役目を終えて抜けていくのは嬉しい反面ちょっとさびしい。育児はきっと、そういう思いの繰り返しなのだろう。
 文人はジャムの空き瓶に乳歯を保存している。

■フォームメールへのお返事。
30 Oct 2004 23:07:44 +0900
→なんと!そんなところで目撃されていたとは!ipodのイヤホンは開放型で、外の音もよく聞こえていますから、この次は声を掛けて下さい。オフになったら京都を一日かけてぶらぶらしたいですねぇ。