2004/03/01 [月]
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■昨日の夜、麦人と文人がなにやら言い争いをしていた。関係ないふりをして耳をすませていると、麦人が「弟のくせに俺に向かって偉そうに指図するな!」とそれこそ偉そうに言っている。文人も負けずに「なんでお兄ちゃんには指図しちゃいけないの?」。「俺の方が年が上だからだ!年が上の人には指図しちゃいけないんだ!」。面白いので俺も介入する。「ママはパパより年が下だけど、パパに指図するよ?」。麦人「大人はいいんだよ。子供はだめなんだよ」。文人がさらに畳みかける。「大人はいいのにどうして子供はいけないの?」。麦人「からだが大きいからだ!」。俺「じゃあ、文人が麦人より大きくなったら指図してもいいの?」。 結局、兄であろうが弟であろうが、偉そうに命令してはいけないということで落着。
■麦人が宅配便を受け取りに玄関まで出てくれたのはいいのだが、なんと受け取った俺宛の封筒(仕事もの)を俺に向かってフリスビーでも投げるかのように放り投げた。あまつさえ顔に命中したので、肉体言語をも使用して厳しく叱責した。そのせいで午前中は一言も口を聞かず。まあ仕方ない。
■麦人が口を聞いてくれないので、俺は文人と遊ぶしかない。着替えるときに「大阪名物パチパチパンチ」を披露して見せたら、文人は「それは、ボインチョップだね」とにやにやしながら言った。ボインチョップ。
■午後は麦人のスイミング進級試験。50メートルをビート板を持ってバタ足で2分以内で泳ぐというものだが、麦人は1分でクリアして余裕で11級進級。小学校の友達が同じ組にいたようで、ワッペンを見せ合って喜んでいた。
■さらに住吉で、保育園の退職された先生方を招いての謝恩会があったので、麦人を自動車に乗せて急行。今いる先生には卒園の時にお礼を言えるけれど、辞めた先生にはこういう機会でも作らないとお礼を言えない。こういう場を作ってくれた方には感謝である。 麦人も文人もお世話になった先生方である。麦人は久々に会うので照れていたが、最後はちゃんと「おせわになりました」とあいさつをした。
■夜も兄弟で言い合いをしている。麦人が「おいふみと!ちゃんと片づけろよ!」と偉そうに命令している。文人は怒りを含んだ声で「ちゃんと、って言わないで!ただ、片づけて、って言えばいいでしょ!」と。確かに最近、麦人はたいそう文人に対して偉そうにする。いつか釘を刺しておかねばなるまい。
■こう書き出してみると、意外に充実していた日曜日だった。micmicさんからいただいた山之口貘のテレビ番組ビデオの感想を書こうと思ったがまた明日。一言だけ書いておくと、詩って読んで歌ってナンボのもの。声を出せ歩きながら歌え。カラオケだって構わない。
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2004/03/02 [火]
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■「ケサラ、ケサラ、ケサラ/隠してた本当の夢は/階段を手探りで歩くことさ/ケサラ、サラ、ケル、ケサラ/ケサラ、ケサラ、ケサラ/隠してた本当の夢は/涙と歌道連れにして/レールを外れることさ」(リクオ『ケサラ』) ずいぶんと中途半端な外れ方をしたもんだが、これはこれでいいか。面白いしな。
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2004/03/03 [水]
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■今に始まった話ではないが、麦人は寝起きが悪い。小学校が徒歩5分の近さにあるからよいようなものの、8時30分始業のところ、起床は7時50分、家を出るのは8時15分過ぎといった体たらくだ。7時半に起こすのだが、ふとんの中に逆戻りしてしまう。 ふとんに逆戻りしてからの対応が難しい。ふとんをはがして「こら起きろ!」と高圧的に出るのが一つ。原則としてはこれが正しいと思うのだけれど、麦人は不機嫌なままテーブルに座り、嫌みのつもりか朝食に口を付けずに家を出て行くことがあるのでこちらも不愉快になる。 麦人は朝の時間に不機嫌でも帰宅後はいつも上機嫌なので、どうすべきか本人に聞いてみた。「『むぎちゃん、そろそろ起きてちょうだい』、と優しく起こしてくれ。それでも起きないときはだっこしてテーブルに連れて行って」とふざけたことをぬかす。が、ものは試しと次の朝やってみたら、にこにこになって起きてきた。 どうも麦人は褒めて伸ばす、自信を与えて成長させるタイプのようだ。 ■携帯電話をカメラ付きのものに買い換えようかと考え中。今使っているのは4年前に買った p209iという白黒液晶のもので、新製品が嵐のように出る携帯の世界では既に骨董品に属するのではないかと思われるが、ワインレッドの色合いと、軽くてすらっとした形態が気に入っていてなかなか踏ん切りがつかない。バッテリーは初代のがへたってしまったため、色違いのものを付けている。 ブラックジャック状態だ。 そんな2月の終わり、すぐ近所にドコモショップが開店したのをきっかけに、よし、カメラ付きにしよう、と8割方決意していたら、保育園の謝恩会である保護者が持っていたMDウォークマンくらいに小さいデジカメを見て心が揺れ動いているところ。写真撮るなら絶対にこっちがいいに決まっている。胸ポケットに入れて持ち歩けるのはすごくいい。実際のところ、俺にとって携帯電話はあれば便利というだけで、なくたってあんまり不便はないしなぁ。今のままでもいいかなぁ。 結局、携帯もデジカメもどちらも買わずに終わる予感。
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2004/03/04 [木]
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■梅田にタイ式マッサージの店ができたと聞いて居ても立ってもいられなくなり、そのためだけに梅田に出た。 学生時代に旅行したタイ・バンコクのワット・ポーの中にマッサージをやっている建物があり、そこで日本円にしたら数百円で1時間やってもらったのが最初である。かなり激しいストレッチで、全身をばきばきいわせてもらった。その時も気持ちよいと思ったけれど、まだ若かったから、そのありがたみは十分に分かっていなかったに違いない。トシを取って初めて分かる快楽というのは確かにある。 で、梅田でやってもらったそれは、ワット・ポーのよりはかなりソフトで、ストレッチと指圧を半々の割合で組み合わせたもの。それでも要所要所でうーんうーんと声が出る。足つぼマッサージもそうなんだけど、マッサージをしてもらっているときの意識状態というのは妙である。半覚醒半睡というか、頭の中で音もなく鮮やかな花火が静かに舞っているという感じがする。これがよいのだ。 施術前に見せられた注意書きに「施術中に卑猥な声を出さないで下さい」などとあって可笑しかった。
■関西のマッサージ店を全制覇してこのサイトにレビューコーナーでも作ろうかしらん。そしたらマッサージ代金を経費にできるかな。確定申告は15日まで、まんどくせー。
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2004/03/05 [金]
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■「もらえるものは何もかも/ポケットの中に詰め込んで/自分一人が味方だぜ/楽しくやらんかい!」(ボ・ガンボス『ポケットの中』)。「自分一人が味方だぜ」というところにオレンジ色の蛍光ペンを。これに心の底からうなずくことができれば何も怖くない。
■アエラを立ち読みしたら年金の話が載っていた。20代の頃よりは身近だけど、50代ほどには実感を持って感じられない話題だ。今年から介護保険料は徴収されるんだけど。 で、「年金改革後の老後はサバイバルだ」とか書いてある。おそらく今日の老人のような優雅な暮らしはできないよ、という程度の意味だろう。確かに俺が老人になったとき、俺の両親が送っているような生活を俺が送れるとは思わない(送りたいとも思わないが)。おそらく無年金老人・年金支給額が極端に少ない老人が激増するのだろう。とはいえ、文字通りのサバイバルとなってそのような老人がみな野垂れ死にするわけでもなく、要するに俺は(おそらく俺も含めて)大量の貧乏老人がどのようにして老いの日々を送るのか、いろいろ夢想しているわけである。 老人になればそれほどものを食べるわけでもないから食費はちょっとでいい。公営住宅に入居すれば家賃もちょっとでいい(おそらく低所得老人を収容するための公営住宅がたくさんできるのではないか)。仕事をしなければ朝から晩までユニクロの着古して十分だ。毎日ぶらぶら散歩して、お茶漬け食べて、図書館で本を読んで、テレビを見て寝ていれば十分生きてはいけるだろう。病気にかかればじたばたせずさようなら、だ。 今の老人みたいに優雅に暮らしたいと思うからいけないのである。彼らは、金を使わないと楽しめない気の毒な老人なのである。あるいは、あるから使っちゃうのだろう(もう貯金の必要もないし、子供の教育費もいらないしね)。自宅周辺をぶらぶらしてテレビ見て満足できる知性と教養の有無がポイントになるに違いない。あ、ネット用のパソコンは一人に一台、公費で支給してもらいたいな。
■この季節は予備校の講義はないけれど、テキストとか赤本とか原稿関係の仕事を自宅で一生懸命している。拘束はされないが締め切りは厳としてある。それでも気持ち的にはとても楽で、疲れれば昼寝もするし、肩が凝ればスポクラ行って身体を動かしてくることもできる。 何を言いたいかというと、そういう事情で俺は今、一日のかなりの時間を一太郎というワープロソフトと向き合っているわけなのだが、俺とワープロの付き合いは長い、と書きたかったのだ。大学1回生の時、同学年の友人に頼んで彼が属していた大学新聞のワープロを借りてビラを作った。京大でワープロを使った(手書きでない)ビラが出たのはおそらくそれが最初だ。まだワープロは相当に高価で、学生が個人で持つものではなかったのだ。 それから2年ほどして俺は自分のワープロを買い、山ほどビラも雑文も書き、卒業論文もそれで書いた。パソコンではなくワープロ専用機の「シャープ書院」という機械である。パソコンは当時、理系学生がデータ処理のために使うものだったのだ。その証拠に工学部の上級生に「卒論書くからワープロを1週間貸してくれ」と頼まれたことがある。 新聞社に入社してからは貸与されたワープロ(これも「シャープ書院」)で記事を書いたし、予備校講師になってからもしばらくはワープロ専用機で教材や模試原稿を作った。パソコンに買い換えたのは1994年、つまりちょうど10年前のことだ。一太郎でものすごくかっこええプリントを作ってみたいと思ったのがきっかけである。ネットではなく一太郎のためだった。 その後、アドビのpagemakerという高価なソフトで教材を作ってみたこともあったがちょっと俺には使いこなせず、結局一太郎を今日も使っている。
■テキスト原稿を作っている俺の横で『風光る』を夢中になって読んでいる麦人に「高校の教科書にも新選組が載ってるよ」と見せてやる。「新選組」「近藤勇」「浪士」といった文字に目を輝かせていた。
■フォームメールへのお返事 26 Feb 2004 21:32:16 +0900 →その後どうでしょうか。納得のいく進路が選べたのでしょうか。どういう選択をするにせよ、決めるときはごはんをちゃんと食べて、ちゃんと寝てからにしましょう。その後の報告待ってます。
27 Feb 2004 01:45:07 +0900 →『風光る』、妻が買ってきたのを横からどんどん読んでいるんですよ。麦人は「面白い面白い。新選組の3番組長は誰か知ってるお父さん?」などとおたくへの道を歩み始めました。マンガばっかり読んでて、という気持ちもなくはないのですが、ここまで子供を惹き付ける力は認めない訳にはいかないです。巻末を見ても時代考証はしっかりしてますよね。
28 Feb 2004 21:16:30 +0900 →「生きているうちに読んでおきたかった」ってアナタ、網野善彦さんの本は彼が亡くなったってあるんですから、絶版になる前に買って読んで下さいよ。
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2004/03/06 [土]
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■やめていただきたいもの。いきなり音が出るサイトと「小泉J一郎」「オウム真○教」みたいなバレバレのローマ字と伏字。
■小学2年生の時のクラスは、木造校舎にあった。昭和初期の建築物だったと記憶している。ぼろぼろとまではいかないものの、床はみしみし言うし、階段の手すりには昔の建築物ならではの丁寧な彫刻があったりして、幼い俺が時の流れを実感するには手頃な物件だったと思う。窓ガラスはアルミサッシになる前の木枠のやつで、風が吹くとがたがた揺れて、宮沢賢治の『風の又三郎』を彷彿とさせた。その窓からは裏山の防空壕も見えた。何千人という子どもたちがこの校舎を行き来しただろうし、敵機の爆音で校舎が揺れたこともあっただろうし、この校舎で遊んだ少年の何人かは戦地で亡くなりもしただろう。そういうことを想像するのに、あの木造校舎は素敵な器だったのだ。 この校舎は俺の卒業後、数年して取り壊された。 今にして思えば、あの木造校舎が俺の嗜好にかなり影響している気がする。手が届かないほど遠くではない、ほんの少しの昔。自分の父母や祖父母といった、体温や声が実感できる昔。その直接延長線上に今の自分がある、そんな昔。木造校舎はそんな「昔」を俺に伝えてくれた。後付けの理由かもしれなけれど、俺が近現代史を専攻に選んだ背景には、あの木造校舎があったような気がする。
■ちょっと別の話だが、中学校に教育実習に行ったとき、担当ホームルームに入ったつもりが、間違えて俺が中3だったときの教室に入ってしまい、思わず「あれ???」と声が出て大爆笑されたことがあった。あれは身体がおぼえていたのだろうな。思春期恐るべし。
■ボブ・マーリィの日本ライブを聴いている。「Everything's gonna be all right」。全部きっとうまくいくで。何度聞いても素敵な呪文だ。
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2004/03/08 [月]
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■たとえばプロレスファンの俺は試合を見てレスラーと握手して嬉しくなって家路につくわけだが、スポーツ紙や週刊誌を読み込めばレスラーや団体が何を狙ってああいう試合をしたかがある程度見通しがつくし、俺がマスコミ関係者で、団体幹部やレスラーと知り合いならば、もっと手に取るように分かるだろう。でもそれが幸せかどうかは分からない。次の興業から俺は、躍動するレスラー、顔を歪ませて技を叩き込み、それを受けるレスラーを、ぽかんと口を開けて目を丸くして見つめることはもうできなくなってしまうからだ。あ、ここでAが乱入してきたということは、次のシリーズではAとBの抗争を軸にしてチケット売るんだな、とか、他団体のCが初めてこの団体のリングに上がった、ならここはCに星を取らせて to be continued だな、とか、そんなことばっかり考えてしまうようになるからだ。幸せなプロレスファンであるためには、バックステージを気にしてはならないし、覗く機会があっても覗いてはだめだ。リングの上のレスラーだけを見つめていよう。バックステージを覗いたことで、レスラーや団体経営者になったような気になるのは愚劣だ。新聞社を辞めるとき、俺はそう思っていたし、今も思っている。チケットに番号が書かれたこの席に座って、この目で試合を見て、ラーメン食って帰るのだ。それだけを、俺はしたいのだ。
■再来週、ソウルに3日だけ行く。初めてのソウルだから、まず雰囲気を楽しむあたりから。1日目はめしを食う、俺は深夜徘徊。2日目はナンタ、この日も深夜徘徊。3日目にロッテワールドで子どもたちを遊ばせて帰る。こんな感じかな。東大門で服買う。マッサージしてもらう。
■確定申告書類をやっと書き終わった。その気になれば何時間もかかるわけではないのだが、その気にならないし、その気が持続しない。提出すれば、5ヶ月分ほどの生活費にあたる額が還付されるので、やらないわけにはいかない。おお、今年もいっぱい還ってくるなと、その金額を記入すれば多少は嬉しいのだけれど、もともと源泉徴収され過ぎていた分が戻ってくるだけなのだ。ヌカ喜びをさせて散財させようという財務当局の策略すら感じる。
■フォームメールへのお返事 5 Mar 2004 22:57:13 +0900 →いつでもウェルカムです。講義は割と普通にやってますんで、期待はずれかもしれませんが…。
7 Mar 2004 19:23:20 +0900 →うーん、若い人にすすめられる仕事ではないですよ。なろうと思ってなるもんじゃなくて、しょうがないな、予備校講師くらいしかできることがないな、あ、やってみたら向いているぞ、それに面白いぞ、という選び方をする仕事だと思っています。基本的には不安定な職種なんで、これで一家の大黒柱になるのはリスクが大きすぎます。ただ、不安定だから自由なのであり、安定とはすなわち不自由なのだ、ということを実感できたのはよかったです。そのへんを理解した上でこの仕事を選ばれるのであれば、歓迎します。
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2004/03/09 [火]
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■確定申告書類に記入しながら、俺の年収にもう1個ゼロがついていたらどうするだろうと夢想してみた。のだが、ほとんど何も思い浮かばない。かろうじて、週に1回マッサージに行きたいな、ということだけ思いついた。 いっぱい本を買いたいと思うが、本は買うだけではだめで読む時間が要るので、一定以上は買っても意味がない。CDもいっぱい欲しいが、これも本と同じ事情で一定以上新しいのを手に入れても仕方がない。身体は一つだから服もそんなには要らない。おいしいもの?うん、それは素敵だが、おいしいものはたまに食べるからありがたいのだ。実はマッサージも同じで、あれは月に1度とか2度やってもらうから強烈に気持ちよくて、その日を心待ちにできるのであって、スポーツ選手とかでない限り、毎日やってもらったら有り難みがないだろう。旅行とかもそうだろうな。年に4回海外旅行に行ったら、ただのルーティンじゃん。
■俺の中で何十回目かの友部正人ブームである。俺は勝手に「前期友部正人」と「後期友部正人」と2期に分けている。前期は『大阪にやって来た』『一本道』『にんじん』あたりの、ヘタに触ったら切れそうなくらい鋭くて繊細で強靱な歌ども。後期は『こわれてしまった一日』『遠来』『少年とライオン』あたりの、頭の後ろの方から夕日にかあぁっと照らされているみたいな気持ちになる歌どもだ。だいたい、1980年のあたりに前期と後期の分水嶺があるように思う。もちろん、どっちがいいとか悪いとかではない。 ここ1週間ほど気に入っているのは、その前期と後期の境目、過渡期とも言うべき時期の歌だ。具体的には『1976』『なんでもない日には』という2枚のアルバムである。 「目玉がひっくり返ることでもなければ/汚れたシーツをひっかくことでもない/漠然とした時間の中で生きること/手のひらにたまった青い海/僕たちはいちばん低いところへ降りていった/空に棒切れを突っ込んでやった」(『フーテンのノリ』)。「なんでもない日には/なんでもない歌をうたおう」(『なんでもない日には』)。 歌詞をいちいち解釈しようという気はまったく起きないし、すげぇ歌だろ、と他人に聴かせる気も起きない。これらの歌を聴いたときに、俺の中でもわぁっっと湧き上がる、密度の濃い感情がある。それは最初に俺がこれらの歌をきいた20歳前後のものと色合いは違っているかもしれないが、その濃さは時間がどれほど経っても変わることはない。友部正人の歌は、俺にとってそういうものだということだ。
■最近読み終わった本。 阿古真理『ルポ「まる子世代」』(集英社新書) →男女雇用機会均等法第1世代の女性たちが企業内でどのように扱われているか、なぜ彼女たちはみな苦しそうなのか(皇太子妃雅子の現状がまさにその象徴であろう)を考察した本。直接の取材・調査対象は女性だが、同世代の男性も読む価値大あり。自分たちがどういうコーホートに属するのか、を知ることは、訳の分からぬ自分探しなんかより優先順位はずっと高い。
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2004/03/10 [水]
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■来年度から新しく出講する予備校で写真撮影があったのでスーツを着て外出。カメラマンと制作会社の人以外誰もいない教室で、黒板の前で講義をしているような雰囲気で撮影した。パンフレットの制作会社の人が「慣れてますね」という。講義中に撮影されたことは何度もあるけど、こういう形で撮られたのは2回目なんだけどな。撮影のために立っていると思うと不自然になるけれど、生徒さんの幻を現出させればどうということはない。幻の生徒さんに向けて話しかけて手を伸ばせば、それっぽく撮れる。 デジタル一眼レフからパソコンに移した画像を見せてもらったら、ホントに予備校講師みたいに映っていた。オモシロイ。
■そしてスーツを着たままバナナホール。ソウル・フラワー・ユニオンのライブである。伊丹英子が欠席だったのは残念だけど、モノノケサミットでチンドン太鼓を叩いている中西智子がゲストながらフロントに立ち(伊丹英子の位置だ!)、頑張っていたので神懸かり度は高い。今日はニューエスト・モデルの歌をたくさんやった。今の歌より縦方向に身体が動くな。今日こそはスーツだし荷物も持っていたから後ろでマターリしていようと思ったが、やはり気がつけば前から三分の一のところで有酸素運動。このホールは前に行けば行くほどドラムとベースががんがん響いて気持ちがよい(後ろは今ひとつよくなかった)。 『荒れ地にて』が俺的にはこの日のベストパフォーマンス。ギターソロにはいるところで思い切り中川が音をはずしたのも含めてだ。『極東戦線異常無し』とかいう新曲で、戦争やめれという、非常にストレートな反戦歌もよかった。ブッシュやブレアをめたくそにけなした歌だ。フォークでこういうのをやられると薄笑いが浮かんでしまうのだけれど、ロックでガンガンやると、おおそのとおり!という気持ちになるから不思議だ。 大汗をかいてぐっちょんぐっちょんになったので、ソウルフラワーTシャツを1枚買って、バナナホール前の路上で上半身裸になって着替えた。Tシャツの上にスーツを着て帰宅。
■それにしても、楽器できる人っていいね。とくに太鼓とベースはいいね。俺は羨ましいと思う人ってそんなにいないんだけど、上手なドラマーとベーシストは羨ましい。彼らは、よく生きること・楽しく生きることの基本的なリズムが分かっているように見えるのだ。 でも、楽器の中で一番好きなのは人間の声だな。
■この日中川はリハで声を出しすぎて、声が出ないと言っていた。確かにハスキーヴォイスではあったが、それでもきっちりと一定レベルは保って最後まで歌いきった。プロとはこういうことやね。調子よいときに出来がいいのは当たり前であって、調子が悪くてもきっちりとやる、というのがプロだ。 次回は4月17日、京都の磔磔なんだけど、あろうことかこの日は上々颱風(京都会館)と思いくそカブっている。どうしよう。悩む悩む悩む。いっしょにやってくれないかな。
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2004/03/11 [木]
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■子供は安らかな寝息とほこほこの身体とやわらかいほっぺたを持っているので、10時になったから子供を寝かせようとふとんの中で一緒に横になっていると、仕事が残っていてもこちらもつい眠り込んでしまう。幸せである。 が、同時に子どもたちは、日に日に長くなる手足と、ごろごろと寝返りしつづける胴体も持っているので、明け方に俺の脇腹や顔に、それらのものが突き刺さって目が覚めてしまうこともしばしばある。今はそんな午前5時である。
■昨日はソウル・フラワー・ユニオンの『チャーリー・ドント・サーフ』が脳内でヘビーローテーションしていた。「誰も彼もが勝ちたがってる/勝たなアカンとバイブルにある/夢はやつらの手の中のサテライトに押し込められた/追い出せとデマゴーグ/群れなして吠えている/開け放った窓から世界の唄が聞こえる」「相も変わらず天動説/大義のための戦は続く/ウソでつづった歴史なら/コカコーラでセピアに染めた」。 あと『エエジャナイカ』。「勝負を降りましょエエジャナイカ/勝ち負けどうでもエエジャナイカ/王様どうでもエエジャナイカ」。 頭の中でこういう歌をぐるぐる回している行為は、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」「求めよさらば与えられん」を唱える行為と幾分も変わらない。 世界観や人生観を提示し、論理や理性による説得ではなく、より圧倒的な情動や不条理な力によって人々を納得させ動かそうとするものを宗教というのなら、ソウル・フラワー・ユニオンは紛れもなく宗教ロックの内実を備えている。中川敬事務局長・伊丹英子主宰の宗教団体と言って差し支えない(JAGATARAよりは理性・知性に傾斜はしているが。OTOがあっちの世界に片足を突っ込んでいったのも、俺にとっては何の不思議もない)。宗教の域に達しないロックなどロックの名に値しないのだ。従って、ロックライブが、例えば踊り念仏のような宗教的祝祭・儀式と酷似するのは当然のことなのである。
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2004/03/12 [金]
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■天気も悪いし一日中自宅で蟄居。こういうのが実は一番幸せです。「またひとしきり 午前の雨が/菖蒲のいろの みどりいろ/眼うるめる 面長き人/たちあらはれて 消えてゆく/たちあらはれて 消えゆけば/うれひに沈み しとしとと/畠の上に落ちてゐる/はてしもしれず 落ちてゐる」(中原中也『六月の雨』)。 よし怠惰に過ごすぞと決め込んだ方が、原稿仕事も進むことに気がついた。
■今さらだが文人がかわいい(麦人がかわいくないという意味ではない)。彼の肉体にはなんだか、ぬいぐるみのクマさんのような安心感がある。明日は保育園のお別れ遠足。大きくなった。 先週、保育園に迎えに行って、帰るから早く支度しなさい、と文人に声をかけたら、なんと同級の女の子が文人に靴下を履かせようとしていた。文人は絵本を読んでいた。別にふんぞり返って偉そうにしているわけでもなく、とても自然に、文人は足を差し出し、女の子は靴下を足にかぶせていたのである。親としては当然、自分で履きなさい、人に履かせるなんてとんでもない、と言うしかないのだけれど、もてる男というのは6歳にしてこうなのか、と唖然とした。我が息子ながら羨ましい。
■日本でこんなことを言っても仕方ないのはじゅうじゅう承知しているけれど、敵と、潜在的には味方である人々を峻別した闘いはできないのだろうか。イラク人を巻き込んだ作戦ではなく、アメリカをはじめとした外国軍隊・支援組織および、アメリカ本国に対する攻撃に集中することはできないのだろうか。そういう戦いに彼らを追い込んだのがアメリカとその仲間であることは分かっているけれど。
■最近買った本。 森達也『下山事件』(新潮社) 土井隆義『〈非行少年〉の消滅』(信山社) 倉本一宏『一条天皇』(吉川弘文堂) 香山リカ『就職がこわい』(講談社)
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2004/03/13 [土]
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■金曜はスポクラの日。3時間くらい滞在する。まず「ボディバー30分」。要するにウェイトだ。上半身から下半身までいろいろ鍛える。次が「バランスアップディスク」。塩化ビニール製の円盤の上に片足で立ったり膝立ちしたりする。体幹を鍛えるもので、確かにこれを始めてから電車で何にもつかまらずにずっと立っていられるようになった。それから40分ほど走って、仕上げにプールへ行き「水中ウォーク&ジョグ」というのをやる。水中で歩き回ったり腕や脚を振ったりする。全身の筋肉を使っている気がする。 普段は人前に立ってあれこれ指導する側にいるのだけれど、時々こうして指導される側になるといろいろ参考になる。例えば、毎回同じ動きをさせられても飽きるどころか、前回はできなかったことができたり、より大きく動けたりする。また、一人でもできないことはないけれど、集団でカウント掛けてもらうとより頑張れたりする。講義や予備校の存在意義ってのは確かにあるんである。
■今日のメニューの中では「バランスアップディスク」が、毎回いろいろ考えさせてくれる。円盤の上で静止して立つには、腹筋にしっかり力を入れて、上に伸び上がるような感じをキープすればよい。 上手いこと言えないのだが、そういう力は外部からやってくるのではなく、自分の中に発見する、というイメージである。俺たちはいろんな所へ行ったりいろんなことをやったりするのだけれど、それは自分の中をよく覗き込み、自分のチャクラを開くために必要なだけなのだ。だから、その気になればどこへ行かなくても全てのことは分かるはずだ。禅やマリファナはそのためにあるのではないか。
■阿久沢が異動することになり、今日は送別会に出席するため遅い。前々から子供からのリクエストが強かった焼肉へ3人で行くことになった。俺はもう肉には消極的な年齢なので、ユッケビビンバとキムチをあっさり食べ、子どもたちに焼肉を任せるつもりでいた。ところが、肉皿に生肉を四分の一ほど残したあたりで急速にペースダウン。二人とも目が宙を泳いでいる。どうやら、肉の脂が予想以上に胃にもたれているらしい。 「君たちが食べられるというから注文したんだよ。残したらもう焼肉には来ないよ」と言い渡したら必死になって食べた。それでよろしい。
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2004/03/14 [日]
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■俺たちは実にいい加減な学生運動家で、特に俺は節操も確信もなかったから、赤や黒や桃色のヘルメットをかぶって、考えながらビラをまいたりデモしたりしていたものだ。だから、節操と確信を持った(と自称する)白ヘルの連中に追いかけ回され、「腐敗した評論家集団」だの「脱落派」だの、さんざんな言われっぷりであった。言われるだけではなく、肉体言語をも用いて批判を受けたのである。 白ヘルに追いかけ回されたり仲間が殴られたとき確認し合ったのは「人民内部の矛盾は人民内部で解決する」ということだった。戦うべき相手は国家権力であり、白ヘル(伏せることもなかろう。中核派だ)はたとえ闘う方針が異なりこそすれ、味方なのであると。だから、向こうがこちらに手を出してきても、報復するのは誤った対応であり、ましてや警察に告訴するなどもってのほかであると。
■武装勢力によるニューヨーク攻撃や、今回のスペイン・マドリッドにおける攻撃による死者には、黙って手を合わせるしかない。武装勢力に告ぐ。無差別攻撃は中止し、敵の中枢に有効かつ深刻な打撃を与える戦術を考案せよ。というか、頼むから是非そうしてくれ。 その上で思う。ニューヨークやマドリッドでの死者には手を合わせ、攻撃者を弾劾する人に比べ、アフガニスタンやイラクでアメリカ軍による爆弾の雨あられで殺害された人々に手を合わせる人はどうしてこんなに少ないのか。この明らかな不公平こそ、武装勢力のエネルギーの原動力である。ニューヨークやマドリッドの死者数は細かに数え上げられるが、アフガンやイラクの死者数は概数でしか語られない。世界の半分には手厚い涙と花が捧げられるのに、もう半分はなかったことのように扱われている。そうである限り、攻撃が止むことはないだろう。 アフガンやイラクの死者は、かの国々が民主化するために(その是非は措く)必要な犠牲というか。ならば、ニューヨークやマドリッドの犠牲者も、アメリカの不義と横暴を知らしめるために必要な犠牲であると言うしかない。
■麦人は学童保育の催しで垂水に宿泊、文人は保育園生活の思い出に土曜保育(オプション申し込み制。文人はほとんど利用していない)に行きたいというので、珍しく俺と阿久沢と2人で午後を過ごした。三宮で岩井俊二監督『花とアリス』を観た。まあまあ面白い。ストーリーもさることながら、映画の中で使われていた携帯の着メロとか、高校の文化祭風景とか、そんなところの芸が細かかった。
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2004/03/15 [月]
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■麦人が学童保育の一泊旅行から帰ってきた。いちばん喜んだのは文人。お兄ちゃんがいないと退屈で落ち着かなくて仕方がないらしい。玄関のチャイムが鳴ったとたん「むぎちゃーん」と叫んでエントランスまで走っていった。 我が家では「阿久沢&俺」と「麦人&文人」の世代対立構図がほぼ完成の域に達しつつある。これはよいことである。
■最近読み終わった本 長山靖生『日露戦争』(新潮新書) →「その人に検閲を強いるのは、政治的圧力ばかりではない。見栄えの良いイデオロギー、より文学的に優れた表現に引きずられるその人自身の見栄もしくは野心が、検閲をするのだ」(p38)。「『詩』は、真実との密着度によって、時にはその作者の依って立つ思想さえも越えて、心に迫る響きを湛えているものなのだろう」(p186)。「日本人にとっても、『世界の一等国』の国民であるためには、単なる極東の日本人ではなく、たとえ嘘でも妄想でも、自分たちが特別な人間であるという物語が必要だったのだろうか。どうしてこんなことになってしまったのか。それは分からない。ただ、日露戦争がひとつの分岐点だったことはたしかである」(p200)。 香山リカ『就職がこわい』(講談社) →「たとえ『私らしくない仕事』に就いていても、トータルで『私らしい人生』であればそれでいいのではないだろうか」(p141)。「そうやって“小ネタ”に新鮮な驚きや納得を得ながら、そのうえ、遊んだり暮らしたりするのに十分な収入を得られれば、それはそれですばらしいことじゃないか」(p202)。「就職や仕事とあなた自身の価値には、それほど強い関連性はないのだ。とはいえ、親からの面倒くさい束縛や価値の押しつけから自由になり、社会や他人に対しておかしいときはおかしい、とモノを言えるようになることは、自己肯定感を得るためには絶対に必要なことだ。そして、そのためにとりあえずの仕事を持っておくことは、とても役に立つだろう」(p208)。
■仕事であれなんであれ、これがなければ自分ではない、この一つのために自分は生きている、というものの感じ方はやめた方がいい。小ネタをつないで生き延びる、というのが俺には一番しっくりくる。
■で、スマップの「ナンバーワンよりオンリーワン」とかいう歌を耳にするたび、なんか殺意をおぼえるようになった。ただそこにいるだけでオンリーワンってどういうことだよ。オンリーワンって、なろうとしてなるもんじゃなくて、そんなもんになりたくないと思っているのに気がついたらオンリーワンになっちゃって、困り果てるもんなんだよ。愚民どもはその他大勢で十分だ。ワンノブゼム。その他大勢で満足する術を身につけなさい。あんな鎮痛剤みたいな歌聴いて喜んでどうする愚民ども。
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2004/03/16 [火]
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■「君が今日も消えてなけりゃいいな/また今日も消えてなけりゃいいな」(フィッシュマンズ『ゆらめき IN THE AIR』)。5年前の今日、消えてしまった男の歌をやはり聴いている。 死の4ヶ月前のライブ録音『男たちの別れ』には、佐藤伸治の不在という伴奏がまつわりついている。終わりに近づく演奏が、まるで佐藤の死に向かって走っているように感じられる。「僕ら、半分 夢の中」「口ずさむ歌はなんだい?/思い出すことはなんだい?」(『LONG SEASON』)、は、4ヶ月後に旅立つであろう向こうの世界のことを既に歌っていたとしか思えない。あちら側から、こちらをみている。聴くたびにそんな錯覚に陥る。 「僕はいつまでも何もできないだろう」(『IN THE FLIGHT』)。消えてしまった男の声でこのフレーズを歌われると不思議な気持ちになる。歌に暗いトーンは一切なく、微笑を湛えてふわふわ漂いながら呟いている、といった雰囲気だから尚更だ。聴き手にこういう気分を味あわせるためにわざわざ消えてみせたのか、という気もするほどだ。
■きっと、来年も再来年もずっと聴いているだろうフィッシュマンズ。 願はくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃 西行
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2004/03/17 [水]
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■続けてフィッシュマンズ佐藤伸治について書く。 プロフィールを確かめたところ、佐藤は学年で俺より1個下。ほとんど同世代だ。彼の死で俺は、俺もいつの日か死ぬ、場合によっては佐藤のように、その日はいきなりやって来る、ということを実感した。一般論として人はみな死す、ということではない。 俺の同級生やちょっと上や下の連中にもぼちぼち死者はいるけれど、彼らを悼みつつも、その死を俺自身の死と結びつけて考えたことは実は一度もない。江戸アケミやどんとたち、大好きなミュージシャンも何人も向こう側にいってしまったけれど、アケミについてはいつかその日はくるような予感があったし、どんとはどんとで最初から向こう側にいた人みたいな感じがあって、不思議と欠落感はなかった。物語の大団円を見届けた、というところか。 そう、欠落感。俺は佐藤伸治を個人的に知っているわけではないから、彼の死に悲しさ辛さを感じているわけではない。ただ、この声でこういう歌を歌う男が、もうここにいない、ということがいまだに納得できない。彼の新しい歌を聴くことはもうできない、という冷厳な事実が許せない。それが死というものであって、その日は必ずこの俺を訪れるのだ。 佐藤が死んだ日から、俺は自分が既に死んでいる未来から今の自分を見る視点を手にしたように思う。俺の子どもたちは、そのくりくりの目で俺の死を見届けるに違いなく、それはすなわち、俺の死後からの視線である。 「雨は降ってたけど 今は笑ってた/明日はどうでもよかった 今は笑ってた」(『MY LIFE』)。今笑えるかどうか、それだけを考えていればいいのだと思う。 ■フォームメールへのお返事 8 Mar 2004 18:10:51 +0900 →結果どうでしたか?報告を待つ。 10 Mar 2004 22:26:13 +0900 →こういうところです。 http://www.mabuchi.co.jp/univer/univer.html13 Mar 2004 00:18:49 +0900 →いやぁ、レスナー退団、どうもガチみたいですね。あのキャリアの浅さで、あそこまで迫力出せるレスラーは将来恐るべしと思っていたのですが…。残念。WWEももう少しゆるりと仕事させてあげられないものか。もうかっているんだし。 13 Mar 2004 07:41:24 +0900 →どこがJAGATARAなの?様子教えておくれ、すまん。 15 Mar 2004 02:46:49 +0900 →企業の魅力って何?人は仕事しなくちゃメシ食えなくて、自分で会社を興す才能がない奴は就職するしかないんで、魅力があろうがなかろうが企業なり役所に入らないとメシ食えないわけです。魅力という積極的なものは求めてもダメ。ま、この程度なら我慢できるかな、というあたりでみんな手を打つんではないでしょうか。 15 Mar 2004 15:06:20 +0900 →卒業&就職おめでとうございます。息子たちを鍛えていただいてありがとうございました。おかげさまで二人とも、身体だけは大きく丈夫です。ここ2、3年、「自分らしく」とか「個性が大切」とかいう言いぐさがうさんくさくてなりません。僕も含めてこの世の圧倒的多数は凡人なのであって、そんな凡人に「個性」なんてものを求めるのは厳しすぎます。そして「個性」を見つけられず発揮できない凡人たちが味噌っかすにされる世の中はやはりおかしい。平凡に楽しく圧倒的に生きたいものです。お仕事頑張って下さいね。
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2004/03/18 [木]
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■今日は赤本の原稿書いて、スポクラで1時間だけ軽めの有酸素運動。行き帰り汗ばんだ。とてものどが渇く。
■子供も犬と同じで、かわいがってやった時間の長さ、スキンシップの濃密さで懐き方が違ってくるような気がする。正しい育児とかそんな高次元の話ではなく、もっと動物レベルのじゃれ合いが必要だという話だ。特に父親は、自分の腹の中に飼っていたわけでもなく、自分の身体に痛みを感じて産みだしたわけでもないのだから、母親以上にじゃれ合う時間を確保しなければならないと思う。父性とはじゃれ合いであると断言したい。 ちょっと前まで、俺─麦人、阿久沢─文人、という組み合わせが何となくできていた。これは、文人が産まれてから1、2年は阿久沢が文人に掛かりきりにならざるを得ず、麦人は俺の専属幼児だったからだ。ところが、1月に文人がインフルエンザで3日寝込んだとき、俺がいっしょにごろごろしていたのがきっかけで、「おとうちゃんおとうちゃん」とべたべたしてくるようになった。子供は触ると気持ちいいしな。
■今振り返って、あの時は幸せの絶頂だったなと思うときが何回もあって、例えば豊田勇造のライブを初めて見たときとか、京大吉田寮で上々颱風のライブを企画して、本番の一曲目、紅龍の三味線の音が鳴った瞬間とか、阿久沢と付き合うことになった時とか、結婚式でやっぱり上々颱風に来てもらって『愛よりも青い海』を歌ってもらった時とか、劇団幻影舞台ニューオーリンズ公演の本番直前、客電が落ちてバックステージで息を詰めていた瞬間とか、阿久沢が妊娠したことを電話で聞いて全力疾走した出張先の鳥取駅前とか、思い出せばいくつでもあげられる。 なんか十分じゃん。
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2004/03/19 [金]
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■ヤフーオークションで「関東大震災時の新聞」というのが出ていたので落札( 写真日記参照。#55-57)。日本史の本にはよく引用されているもので、特に史料的価値があるものではないけれど、リアルタイムで発行されていたものが手の中にあるとなんだかずしんとくるものがある。これが、江戸時代とかの古文書だとそんなにわくわくしないんだな。80年前の、ちょっと手を伸ばせば届く過去のものだから、じーっと眺めてしまうのだ。来年度の生徒さんに見せびらかして自慢する。 ■因みに、大杉栄殺害は日本史教科書にある憲兵大尉甘粕正彦の単独犯行ではなく、遺体の状況から、憲兵隊による集団暴行であることがほぼ明らかになっている。甘粕個人の思惑で実行されたのでないならば、それは憲兵隊=陸軍の組織犯罪であり、日本国家によるテロに他ならない。 さらに、大杉の名誉のために付言する。彼の死は、無辜の犠牲ではない。何も悪いことをしていない思想家が、意味もなく殺害されたのではない。大杉が真の革命家・無政府主義者であったのならば、震災の混乱に乗じて何かを企まないはずはない。大杉は無為に焼け跡を歩き回っていたのではない。何事かを胸に秘め、行動を起こしていたと考えるべきである。 憲兵隊=陸軍は、大杉が大日本帝国に対する巨大な脅威であることを正しくも察知して抹殺したのである。大杉栄・伊藤野枝は大日本帝国と正面対峙し、名誉の戦死を遂げたというべきである。そして、大日本帝国および帝国陸軍の恥ずべき資質は、7歳の橘宗一を同時に殺害した点に現れており、のちの南京大虐殺をはじめアジアで蛮行の限りを尽くす萌しは既に現れていたと言うべきである。
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2004/03/20 [土]
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■うちの息子どもの家庭学習は、主にベネッセコーポレーションの進研ゼミに依存している。この会社の教材開発に掛ける労力は相当なもので(俺も高校教材開発の手伝いをさせてもらっているからなおさら分かる)、小学生・幼児向け教材の場合は、教材に向き合わせる・計算や漢字練習などの単純作業にモチベーションを持たせようとする仕掛けが凝らされている。 仕上げたページにシールを貼るのは進研ゼミのお家芸のようなものだが、最近はそれに加え、鉛筆であるコーナーを塗ると「がんばれ!」などのメッセージが出てきたり、水を含ませるようになっている特殊ペンで塗ると正解が浮かび上がったりする。計算問題を出題する電卓のようなものも付録で付いてきて、正解が出ると褒めてくれる。子供が喜んで取り組むのは親としては有り難い反面、そこまでしてやらないと取り組まないのかなぁと思うと、少々複雑な気持ちではある。
■子供の自主性など無視をしても有無を言わさず叩き込んでおかなければならない勉強というのは確かにあって、四則計算や読み書き、子供の作り方(または作らない方)、貨幣経済・資本主義の基本的な仕組み、ごく基本的な物理法則(車や汽車にぶつかったら死ぬ・高いところから落ちたら死ぬ・強い力で殴ったら死ぬetc)、礼儀作法などがそれにあたる。これらについては、文句言わずにやれやゴルア、と強制しても、やらないなら飯を抜くぞと脅迫しても、子供が生き延びるためには許されると考える。 そこから先、三角関数とか英語とか歴史とかエネルギー保存則なんかは、選ばれし者だけがやればよい気もする。やれ!と言ってやらせるんじゃなくて、その面白さを知っている者の背中を見て、いいな、何をやってるんだろう、と思った者だけが、やればよいのだ。 日本史を教えるのが仕事だから、日本史を勉強する気になってもらうのも仕事のうちだと考えてはいるが、正直、「なんで歴史を勉強するのか分かりません」という生徒さんには、「分かるまで勉強しなくていいよ。分からなければ一生やらなくていいよ。そのかわり君に選挙権は要らないよね」と言いたいところなのである。
■ソウル旅行のプランをそろそろ本気で立てる気持ちになってきた。
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2004/03/21 [日]
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■有友自遠方来不亦楽乎。 micmicさん夫妻札幌より来たる。南京町でラーメン食べてから我が家へ寄ってもらう。こたつ周辺でコーヒー飲んでうだうだして楽しかった。思えば吉田寮では毎日こんな感じだった。思い出した。明日はもう少しメンバーを増やしてうだうだ。 ■欲しいと思ったソフトウェア。頭の中で考えた文章や図を、キーボードを叩かずともディスプレイに表示してくれるようなツール。ヘッドギアで脳内信号を拾い、USBケーブルでパソコンに読み込むのだ。寝転がっていても原稿が書けるぞ。 難点は、下らない妄想を読み込んでしまうことだ。あとで点検して、そういったノイズを削除しておかないといけないだろう。そうしたら今とあまり手間は変わらないかもしれない。没。
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2004/03/22 [月]
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■有友自近方来不亦楽乎。micmicさん夫妻とあと2人、吉田寮に住んでいた人々と小さな同窓会みたいのをやった。同窓会的なものは気恥ずかしいのが一つ、場所や日時の都合で参加できないのが二つ、そんな理由でほとんど出席していないので新鮮だった。一昨年の中学校のミニ同窓会以来か。 十数年の時間が経っていれば、仕事や家族を抱えて学生時代とは変わって行かざるをえないのであって、それはむしろ当然である。変わらなければ困る。だから俺は荒井(松任谷)由美の『卒業写真』が大嫌いなのだ。あの頃の生き方をあなたは忘れないで、だと?人に期待する前にお前がそうしろお前が。 しかしながら今日は、それぞれ変わっていない部分がクローズアップされていた。変わりようがない部分というべきか。十数年では芸風はなかなか変わらないのだ。 変わることを恐れる必要はない。環境に合わせてどんどん変わればよい。それでも変わりようがないモノを深く信じればよい。
■うちの子どもたちはインドアだ。これは俺に似た。 日曜日、天気も悪くないのに一日中家の中にいた。テレビ見たりマンガ読んだりしている。麦人が2時過ぎに「3時になったらおやつくれる?」などと言うので、「3時まで外行って遊んでこい。そしたらあげるよ」と条件を出したら、「そんならおやつはいらない」と言う。文人も横から「僕もいらない」と。そんなに外遊びが嫌いなら無理強いする必要もないのだが、「退屈だ退屈だ。なんかない?」とか言い出すから始末が悪い。 楽しいことが家の中に見つからなければ外行って探してこい。楽しい人生送るためには必須の技術だよ。
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2004/03/23 [火]
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■阿久沢にお相伴して、大阪では6月公開の 『タカダワタル的』の試写に。映画を見るまでもなくライブに足を運べばいいようなものだが、映像であれ高田渡のご尊顔を拝することができるのはめでたいことである。8割方、ライブを収録している映画で、1曲を途中で切ることなく最後まで撮ってくれているのがありがたい。いつものくせで、一曲終わるたびに思わず拍手しそうになった。 ここ10年くらいの高田渡でまず圧倒されるのは、彼の顔だ。どうすればこんな皺が刻まれ、どうすればこんな髭がはえるのか。一言で言えば、実にいい顔である。うむ!という声が出てしまう。その顔からあの歌々が流れ出てくれば、もう納得するしかない。その点からすれば、映像の素材として高田渡を取り上げるのはなかなか素晴らしい着眼だと思った。 高田渡がライブで歌う曲の9割は30年前から歌っているレパートリーなのだけれど、20代の渡さんより今の渡さんの方が圧倒的によい。重みが違う。重たいわけではなく、歌声やギターの音色によって伝わる以外の部分で、こちらのなかにずっしりと伝わるモノがある。高田渡の積み上げた年月と、俺がそれなりに成熟してきた年月がうまくシンクロしている感じがする。高田渡は「お前はどうやってトシとってきたよ?」と問いかける鏡のようで、彼を見るとき、うん、まだまだやりようはあるようなあ、とぎらぎらしない積極性のようなものが自分の中に見つけられるのである。 ■拾得のライブのシーンで、昨年亡くなった坂庭省吾さんが高田渡と一緒にマンドリンを弾いていた。中学・高校生の頃、高石友也&ナターシャーセブン、自切俳人とヒューマンズーでよく見たっけ。ハスキーで高い独特の声が好きだった。合唱。 ■俺の隣の席で嬉しそうに画面を見、ときどき歌を一緒に口ずさんでいたいい感じのおじさんがいた。あれは誰かと阿久沢に問うたところ、桂南光さんという落語家だそうだ。有名らしいが知らなかった。
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2004/03/24 [水]
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■ヤシン師最後のメッセージ。 http://blog.nettribe.org/btblog.php?bid=nekokabuで読んだ。 In his last public statements before his death, however, he held out the prospect of a cessation of attacks in the event of an Israeli withdrawal from Gaza.
"If the Zionist entity completely evacuates the Gaza Strip, we can start a new phase of calmness in order to discuss the issues of Jerusalem, the West Bank, the prisoners and the refugees," he said in remarks published on a Hamas website last week.
(フィナンシャル・タイムズ オンライン版より)
「もし、イスラエル(文中では「シオニスト全体」)が完全にガザから撤退をするなら、私たちは攻撃を止めて、エルサレムや西岸や囚人や難民の問題を討議するための新しい穏やかな局面をスタートさせられる」と先週、ハマスのサイトでヤシン師は発表した。
He was also quoted this month as saying Hamas would be ready to join the PA in governing the Gaza Strip once Israel withdrew.
イスラエルがガザが撤退した暁にはガザを統治するパレスチナ自治政府にハマスは入る準備があるとも語っている。 テロリストとは誰のことか。暴力の連鎖、なる、曖昧で無責任な用語はお断りだ。シオニスト国家およびアメリカ帝国主義中枢に深刻かつ的確な攻撃あれかし! ■「過激派」という言葉を使う人間はそれだけで信用に値しない。 「激」、それが「過」ぎている、という評価自体に価値判断が含まれている言葉なのだから、使う前に、誰が、何のためにそのような価値判断をしたのかを吟味しなければならない。もちろんそれは、ある時点で支配的な勢力を持っている連中(国家権力であることが多い)が、ある集団にマイナスイメージを植え付けるために使う言葉なのであって、時代と空間に規定された薄っぺらな言葉だ(たとえば、後に明治政府を形成する幕末の尊王攘夷派・長州藩「激」派が当時の「過激派」だったことを思い起こせばよい。逆に彼らから見れば新選組は佐幕「過激派」なのだ)。その薄っぺらさを自覚せずに「過激派」というものが存在するが如く語るやつは信用できない。 たとえばハマスやイスラム聖戦が「過激派」だというのはシオニスト国家やアメリカ帝主義から見てそうだというだけだ。パレスチナ人も俺も、彼らを「過激派」とは思わない。圧倒的な暴力に対抗するために暴力を行使することは、正しいとは言えないが間違っているとはもっと言えない。「過激派」という言葉は、そのような抵抗を否定し無視するために考え出された言葉である。再三繰り返すが、この言葉を使うやつは信用しない。馬鹿であると断言する。 ■明日からソウル。天気は良いみたい。
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2004/03/27 [土]
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■ソウルから帰ってきた。楽しかった楽しかった。感想は追々書くとして、日程のみを心覚えにメモしておく。 ■【一日目】KE722便で関空から仁川。空港から旅行会社にピックアップしてもらい、免税品店→ソウル市内へ。ホテルにチェックインしてすぐに焼肉店→『ナンタ』→ホテル。焼肉屋で取った「生だこ」がほんとに生で、足がうにうに動いている。目を離すと皿から逃げようとする。口に入れると吸盤が張り付いて痛い。 『ナンタ』、これは面白かった。ツイン2部屋を取り、俺・麦人、阿久沢・文人の組み合わせで寝た。俺は深夜徘徊して東大門市場でも行くつもりだったが麦人と一緒に爆睡してしまいダメ。 ■【二日目】朝起きてホテル近辺に見つけたダンキンドーナツで朝食。コーヒーが極度にまずい。いくらなんでもこれはないでしょうというレベル。 朝食後足裏マッサージ店へ。麦人文人に待合室で携帯ゲームをやってもらい、その間俺と阿久沢で足裏のツボをいらってもらった。マッサージのあとはなんだかぐったりしていい気持ちに疲れる。 お昼は阿久沢の友人の映画脚本家さんとタッカルビ。これは(も)美味い。阿久沢経由で脚本家さんから聞いた話。「新しい教科書を作る会」は朝鮮語サイトを持っているのに、それに反対する勢力は日本語サイトしか作っていないので、韓国人は日本人の歴史観はみんな「作る会」的なものだと思っていて、危惧しているという。これは一本取られた。向こうの方が本気だなこりゃ。朝鮮語勉強しなきゃ。少なくとも英語の100倍は真剣にそう思う。 午後はロッテワールド。これは子供サービス。子どもたちはアイススケートが気に入ったようで、特に文人は1週につき10回以上尻餅を付きながら頑張っていた。競技者とおぼしき女子高生が制服のまま、パンツ丸見えになるのも構わずぐるぐる回転していたのが格好良し。俺はロッテワールド内にある民族博物館で新羅とか高句麗とか百済とか伽耶の遺跡や遺品を見た。 夕食は、これもロッテワールド内の民族食堂というところでサンゲタン。これは(も)美味い。美味い美味い美味い。トイレに行きたくなった文人に、朝鮮語会話帳を持たせて「トイレはどこですか?、と聞いてみな」と店員さんのところに行かせたら、ほんとにそこに書いてあるとおりに話してちゃんと通じていた。「トイレまで連れて行ってくれたから、カムサハムニダ、って言ったよ」と。 ■【三日目】この日も朝食はダンキンドーナツ。コーヒーはほんとにおいしくないが、飲まないと調子が悪いので薬と思って飲む。そして韓国式垢擦りへ。子どもたちは風呂のみ入る。おねえさんが担当だったらどうしようと心配していたが、俺の担当は屈強なおにいさんであった。背中に真空お灸をしてもらった。派手な内出血のあとが十数カ所できた。麦人が「あ!おとうさんがテントウムシだ!」と。 昼食は子供のリクエストでまた焼肉。カルビが美味い美味い。日本の焼肉店とは別料理としか思えない。 ホテルからピックアップの車に乗り、免税品店を経由して仁川空港へ。免税品店で便意を催したのでトイレに座ったら、大便がキムチ色だ。しかも肛門が辛い。
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2004/03/28 [日]
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■文人の卒園式。親の贔屓目でも何でもなく、文人が一番堂々と返事をし、一番大きな声で歌を歌っていた。 ■麦人文人が0歳の時から8年以上お世話になった この保育園とも、とうとうお別れである。確実に言えることは、この保育園がなければ、少なくとも文人はこの世に産まれていなかった可能性が高いということだ。そして、文人が今の愛すべき文人になるには、親の俺たちだけでは足りなかった。ここでお世話になった先生方や友達のお陰で、文人は文人になった。将来、文人が何かにつけて立ち戻るであろう最初の記憶がここであることは幸福だと思う。 育児が全て「楽しい」とは口が裂けても言うまい。「楽しくない」「しんどい」ことは山ほどある。が、「楽しくない」「しんどい」を含みこんだ、2回りほど大きい「楽しい」に到達することができる。子供と共に親も成長する、とかいう言い方はちょっと恥ずかしいが、やはり育児は「楽しい」と言ってよいのではないか。「楽しくない」「しんどい」と「楽しい」が反対語では ないと、俺は確信している。 ■韓国は日本と微妙に違う。最初に気づいたのは赤信号( 写真日記#61参照)。日本の赤信号は「気をつけ」をしているが、韓国では肩を怒らせ足を踏ん張っている。なんだか威張っているみたいだ。
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2004/03/29 [月]
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■韓国の観光地では日本語がほとんど不自由ない程度に通じる。下手に英語を使おうものなら「日本人ですか?日本語でどうぞ」と言われてしまう。足裏マッサージ室では「ちょっと痛いですよ」「気楽にして下さい」「大丈夫ですか?」としばしば日本語で話しかけられる。日本がかつて植民地にし、あまつさえ日本語使用を強制した地において日本語を使って会話することに躊躇がないわけではないが、英語や朝鮮語よりも日本語の方がお互い便宜なので、ついこちらも「はい」「大丈夫です」「気持ちよいです」と答えてしまう。ここで意地を張って、朝鮮語をマスターするまでは旅行しない、というのは不毛というものであろう。 躊躇を感じ続けつつ、とりあえずは「アンニョンハセヨ」「カムサハムニダ」を駆使し、少しずつ朝鮮語をおぼえていくというのがよいと思った。 ■朝日新聞書評欄『六本木六丁目残影』の紹介記事にあった言葉。「どこにでもある小さな幸せが、カネのちからで奪われてほかのどこにもない街に姿をかえたとき、そこに大きなビジネス・チャンスは生まれても、小さな幸せが生き残る余地はない」。俺も大きなビジネス・チャンスより、どこにでもある小さな幸せが好きである。 俺の来し方をつらつら思うに、どうやら弱いもの・不利なもの・消えゆくもの・負け組・時代遅れのものに対してアディクトする心性があるようだ。正しい間違っているという問題ではなく、嗜好の問題だ。嗜好の問題だからこそ、論理的・倫理的正誤の基準よりもさらに根深いものだと思われる。これでこれからも行くしかない。 ■覚え。 http://mikitty.web-zz.com/。なんか面白い。 ■メールフォームへのお返事。 23 Mar 2004 21:08:44 +0900 →パリの教会には「懺悔コーナー」があって、悪事を告白するボックスがありました。みなさんもどうぞここを懺悔コーナーとして活用して下さい。僕も「にしむらさん」に謝っておきます。ごめんなさいごめんなさい。 24 Mar 2004 01:53:32 +0900 →桂南光=べかこ、なんですか?いや実は、その「べかこ」というのも初耳なんです。申し訳ない。 24 Mar 2004 09:27:05 +0900 →ご教示ありがとうございます。シオニスト国家=イスラエル、ですから、あながち誤った訳でもなさそうですね。それとも、アメリカの対パレスチナ政策に影響を及ぼしていると言われるシオニストのロビー活動の含めての意味なのでしょうか。 26 Mar 2004 11:05:04 +0900 →合格おめでとうございます。僕の後輩ですか、ご愁傷様。というのは半分だけ冗談ですが、いろんな意味で充実した大学生活をおくれるトコロだと思います。キャンパスも人間関係も京都の街も十分に活用して、楽しい人生の礎を築いて下さいね。
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2004/03/30 [火]
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■「テロに対する戦い」ってなんだろう。 「テロ」ってのはある種の行為を指す言葉だが、行為に対する戦いってなんだ? 「テロ」の実行行為者?「テロ」の計画作成者?指示者?資金提供者?「テロ」の支持者?支持者だとして、どこまでが「テロに対する戦い」の対象なんだろう? 「テロ」とされる行為を行うものに対する「テロ」は「テロに対する戦い」の対象なのか?ヤシン師が仮にテロリストだとして、アリエル・シャロンの行為は「テロリストに対するテロ」にあたると思われるが、これは「テロに対する戦い」の対象にしなくてよいのか? もしアリエル・シャロンに対して攻撃が行われた場合、俺は消極的にせよ支持を与えるが、そうしたら俺も「テロリスト」か? いずれにせよ、「テロに対する戦い」は俺を敵に回しているようである。ならば俺も「テロに対する戦い」に対する「戦い」を準備しなければなるまい。 が果たしてそれでよいのか世界よ。
■三宮でベネッセの会議。今年のセンター日本史は素人が作った問題だということで意見が一致。こういう問題の作成者こそ氏名を公開しろって。
■最近読み終わった本。 阿部謹也『日本人の歴史意識』(岩波新書) →「日常生活の中で『世間』の人間関係にかまけている人は歴史と直接向き合う機会が少ない。しかしそのような人でも歴史と直面することがある。『世間』の中でうまく適応できずにいる人である。『世間』とうまく適合している人は『世間』を知ることができず、その本質を理解することができない。しかし『世間』とうまく折り合うことができない人は『世間』の本質を知り、歴史と直接向き合うことができる。そのような意味で歴史はまず『世間』とうまく折り合えない人が発見していくものである」(p203)
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2004/03/31 [水]
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■俺たちは「訳が分からない」状態にいることに我慢する修行をしなければならない。 「訳が分からない」ことは人間にとって苦痛なため、俺たちは適当な理由をでっちあげて納得し、安心しようとする。なぜ最近、都で流行病やら落雷が相次ぐのか?それは菅原道真を大宰府に左遷したからだ。なぜこの村は今年こんなに不作だったのか?あの神主が祈年祭で適当に祝詞をあげたからだ。なぜ子供は勉強しないのか。受験体制が悪い。なぜテロが起こるのか。極悪非道なテロリストがいるからだ。 安心したい気持ちはよく分かるし、俺の中にもそういう気持ちはあるけれども、それは駄目なのである。不愉快な「訳が分からない」固まりを、ハラの中にじぃっと飼い続けて、考え続けていくしかない。ひょっとすると目が黒いうちに答えは出ないのかもしれないが、俺の知力と寿命が有限である以上、それも致し方なかろう。
■自分の仕事に引きつけて言えば、早晩、受験勉強における競争と、いわゆる「詰め込み」が再評価される日が来るだろう。 子供の無気力・幼稚化の主因が受験勉強に求められ、「ゆとり」だの「生きる力」だのがもてはやされたのは、上に書いたように、手っ取り早い適当な理由を受験に求めて安心したい、という心理が、社会全体に働いたからに他ならない。 一定以上の知識がない者に考えることはできないし、知識はある程度は詰め込むものである。問題は動機だ。なぜ詰め込みが必要なのか。いや、「動機に自由あれ」(大杉栄)である。志望大学にはいるためでも、純粋な知識欲でも、親に強制されたからでも、みんながやっているから、でもなんでもよい。本人が自分で納得のいく動機さえあれば。
■今日読み終わった本 大塚英志『「おたく」の精神史・1980年代論』(講談社現代新書)
→宮崎勤もオウム真理教も酒鬼薔薇聖斗も、俺の一部であると覚悟しなければなるまい。ある時代に生きたということは、とりわけ思春期にその時代を生きてしまったということは、否応なしに俺の中にも彼らはいるということだ。
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