2004/08/01 [日]
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■某大学のオープンキャンパスで講義。台風の中、ずいぶんとたくさんの受験生が集まっていた。日射しがない分、かえって出かけやすかったのかもしれない。
この大学では去年も講義したが、去年と同様に保護者同伴で来ている受験生が多く、そして保護者の方が熱心にメモをとっているので可笑しい。言葉遣いにも注意が必要だなと最初は気をつけていたが、中盤以降は普段と同様にかなりキツいことも言ってしまった(例:「過去問は直前になってからやりますという人がいるが、もったいない。今すぐに、、解けなくてもいいから眺めて下さい。何が、どのような形で出題されるかは、過去問を見れば分かる。答えをおぼえてしまうと直前にやるものがない?おぼえたって構わない。同じような問題が出るのだから、おぼえてしまえばそれに越したことはないです。ま、どうせ皆さんはそれほど頭がよくないでしょうから、おぼえてしまう心配なんかないでしょう」とか)。
間違ったことは言っていないのだが、保護者から大学にクレームが行くと申し訳ないな。次回はもうちょっと丁寧に脚本を作ってから行こう。
■新聞社時代の同期や後輩がぼちぼち管理職に昇進する年代にさしかかっているようだ。阿久沢から少し伝え聞いた。
支局デスクに同期中1番乗りで昇進した人とか、これから昇進しそうな有望株の名前を聞いて感じたのは、「性格の悪いやつから偉くなるんだなあ」ということである。
彼らの悪口を言っているのでもないし、そういう人たちが偉くなる会社のあり方を批判したいのでもない。「性格の悪いやつ」が上にいて、憎まれるのを承知で全体をぴしっと引き締めていてこそ、組織はきっちり回るということなのだ。偉くなるとはそういう立場になることであり、「性格の悪いやつ」でなければ勤まらない仕事なのであり、その代償として多少高めの賃金を受け取るのであろう。だから、それを自覚して引き受けないやつが偉くなると、その組織はたぶん困ったことになる。
昨今、「偉くなりたい性格の悪いやつ」があんまりいなくなってきたように思う。だからこそ、今度××支局デスクになるという○○くんには、是非とも頑張ってほしいものである。君ならできる。
■次に、もし自分が今も新聞社に残っていたらどんな仕事をしているかなぁと夢想してみた。確実に言えるのは、新聞製作の現場にはいないだろうということだ。社史編纂室とか世論調査室とか、読者投稿の整理みたいな部署なら何とか勤まったかもしれない。でも子どもはいなかっただろうなあ。それは困るので、やっぱりどこかで辞めていたに違いない。
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30 Jul 2004 23:13:54 +0900
→ありがとうございます。腰はだいぶよくなりました。筋肉が固くなっていたのが原因の一つのような気がします。鍛えるだけではダメで、しっかり伸ばさないとだめですね。子ども、大きい、というより、おお長い!、という感じです。ふとんの上で両手両足を伸ばして転がっているのを見ると、その長さに驚き呆れます。
31 Jul 2004 00:08:36 +0900
→らもさん、最後にものすごい作品を残して逝ったなあ、という気がします。死ぬことは、生きることの延長線上にあるんだなあと、改めて教えてもらいましたね。
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2004/08/02 [月]
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■小学生の親ともなれば、子どもたちの夏休みの宿題の進捗状況を監督しなければならない。
文人(1年生・弟)に関しては全く監督する必要がない。彼は、朝の5時過ぎに自分で起きて、家族のメンバーが起きてくる前にその日のノルマをこなしてしまうからである。止めないとどんどん先へ進んでしまう。来年以降も同じ調子でやってくれるとは期待していないが、とりあえず現時点では「勉強」という作業が好きらしい。まだ先の話だが、彼に関しては中学受験を考えてやってもいいかもしれない。近所に灘中あるしな。故中島らもの後輩になるのも悪くない(らもさん以外、これといった人材がいない学校ではあるが)。「塾へ行きたければいってもいいよ。みんなで勉強するところだよ」と振ってみたら、「!!」と顔を輝かせていた。まあ、珍しいタイプの子どもであることは間違いない。
そんな文人も絵日記はちょっと苦手みたいで、俺と一緒にネタを考え、一緒に絵を描くのが日課である。「とうちゃん、絵日記一緒に書こう」と声を掛けてくるのがキュートだ。
麦人(3年生・兄)は典型的な小学生で、勉強が大嫌いである。「一行日記」というのが宿題で出ているのだが(日々の出来事を一行だけ書くというもの)、彼は7月21・22日の2日分を書いただけで、後は白紙である。宿題やんな、と声を掛けると、さっと顔が曇る。漢字練習・計算練習をやると、終盤で必ず涙を流している。弟が妙に勉強好きなのでどうしても比較されてしまうけれど、麦人がスタンダードな小学生なのだ。やれ、と言われてやっているだけ偉いとしなければならないだろう。
■汗を流しながら窓を開けて夜風を呼び込んで、どんとを聴いている。
「フラフラで倒れても/ヨレヨレでやってこい」(『あこがれの地へ』)
「冷たい俺の身体を川に流しておくれ/お前だけが友達だった」(『カーニバル』)
「明日もどこか/祭りを探して/この世の向こうへ/連れてっておくれ」(『夢の中』)
「骨だけになって/でもでもいつも好き」(『ひなたぼっこ』)
「汚れた水だってきれいになるよ/二人で植えたケシの花」(『橋の下』)
いなくなって、そしてどこにでもいるどんと院である。
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1 Aug 2004 02:22:12 +0900
→うむ。俺も参加することにする。それはそうと松浦亜弥を聴くことを「退行」とは。あややはちょっとモノが違いまっせ。檀那さすがにお目が高い。音楽の情報は、好きなミュージシャンからだんだん広がって行く感じかな。Aのライブに行ったら、Bがゲストで出ていて、それが結構良かったからBのCD買ってみたりとか。あと、春一番みたいな、たくさんのミュージシャンやバンドがとっかえひっかえ出演するイベントだな。
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2004/08/03 [火]
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■土曜日に麦人が転んで膝を打ち、まだ痛いというので、朝外科医に連れて行った。レントゲンを撮った結果、特に骨に異常はないということで、消炎剤を貼って一件落着。
膝のお皿って、本当にお皿が骨の上に浮かんでいるのだ。初めて知った。
文人が「外科」を「がか」と発音していて(「むぎちゃん、がかは痛かった?」)、最初は可笑しくて笑いそうになった。が、よく考えてみると、音読みの「がい」を応用して読み方を推理していたのではないかと思う。なかなか鋭い。
■阿久沢が朝早く電話で呼び出されて出社。「殺しだって」。
遊軍の阿久沢が事件で呼び出されるのは滅多にないことだと思っていたら、ホントに滅多にない事件で驚愕した(加古川市で7人殺害)。河内音頭の古典(もともとは新聞詠みだが)『河内十人斬り』が、俺の頭に最初に浮かんだ。
■「政治的な立場の偏った映画は、あまり見たいとは思わないね」(小泉純一郎、マイケル・ムーア監督『華氏911』についてコメント)。こいつ、ほんっとーーーーーーーにバカ。
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3 Aug 2004 01:10:37 +0900
→そりゃ当たり前でしょう。それから、「対バン」と「ゲスト」は違うし、春一をオムニバスっていうのはかなり外してると思う。
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2004/08/05 [木]
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■1泊だけ実家に帰省してさっき帰ってきた。麦人文人を実家に2週間ほどホームステイさせるので、往きは俺も一緒についていったのだ。
向こうも暑かったが、旧い友人に久しぶりに会えてしみじみした。長い年月が流れたことと、互いが変わっていないことなどに。長い間顔を合わせていなければ、話さなければならないことも山ほどあるのだろうけれど、この人ならわざわざ話さないでも分かってくれるでしょう、とゆったりした気分になれるのがよいと思った。
■新幹線で文人が不思議な振る舞いをした。
文人は名古屋を出たあたりで眠りにつき、窓枠に突っ伏すような姿勢で新横浜まで眠り続けた。到着の車内放送が流れたので、彼を揺すぶって起こしたら、彼は不機嫌そうに「うーん」と唸った後、やにわに立ち上がって、前の座席に座っていた女性の髪留め(青色。後ろでまとめるやつ)に手を伸ばしてそれをつかみ取ろうとしたのである。あわてて彼の手を押さえると「あれがほしいんだよ…」と俺の目を正面から見つめて言う。いったんは座席に座り直した彼は、俺が目を離した隙に再び髪留めにリトライ。今度は両手をつかんで押さえ込み、座席に押し戻した。夢と現実世界が混同したのか。
乗り換えた横浜線の中で、「ふーはなんでさっき、女の人の髪留めを取ろうとしたの?夢を見たの?」と尋ねてみた。文人は「僕は昼寝なんかしてないよ!!」と堂々と反論した。彼の言動はどうにも予想がつかない。
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2004/08/06 [金]
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■ノドから耳にかけてがつーんと痛い。この2週間くらい続いているのだけれど、今日は特にひどい。夏風邪かも。来週の講義の準備をしながら、ときどき横になって汗をだらだら流しつつ休む。
■加古川の7人殺害事件について思う。
マスコミの論調は「事前に住民から容疑者の振る舞いについて警察に相談があったのに、警察がきちんと対応しなかったことが事件の遠因である」という方向にあるように感じる。
では「警察がきちんと対応する」とは具体的にどういうことか。住民の報告・密告に基づいて、一人一人の行動を監視し、尋問し、記録に残すということなのか。「警察はきちんと対応しろ」と言うのはいい。しかし、その「対応」が自分に向かう可能性があることを十分に想像した上で言った方がなおよい。
「警察や行政に徹底的に監視された安全な社会」をとるか、「多少のリスクは負った上での自由な社会」をとるかの議論はする価値があり、どちらが正しいとも一概には言えないだろう。しかし、当然のように「自分は警察や行政から監視されることのない『普通の人』である」と思いこむことは危険であるし有害である。
俺は地域課の警察官の情報収集(家族の構成・年齢・職業・連絡先など)は、「警察に個人情報は渡したくない」と説明した上で、毎回丁重にお断りしている。彼らは公安警察ではないので、説明すれば引き下がる。にもかかわらず、東灘警察署は我が家に新聞記者がいることを、どこかで聞いてちゃんと知っている。「知られて困る情報がないから構わない」という問題ではない。国家権力が住民一人一人のデータベースを整備することに対する不快感・警戒心はもっと持っていた方がよいのではないか。
■夕刻、博報堂のプランナーさんと密談。面白いことができるとよいなぁ。
■読むべし。
http://www.satani.org/sur/sur086.html
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2004/08/07 [土]
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■サッカー試合で中国人の「反日行動」が起きているらしいが、どうもあんまり真剣に考える気にならない。それは第一にサッカーに関心がないからだ。そして、国旗とか国歌とかを集団の圧力で拝ませたり歌わせたりする奴らもバカだし、逆に集団の圧力で妨害しようとする連中も同じくらいバカだと思うからである。そういうバカが集まる場からは距離を置きたいのである。
■終日ごろごろするなどして鋭気を養う。夕食は阿久沢と岡本の朝鮮料理店。子どもがいないときは辛いモノを食べる。釜山出身のまだ若い大将がオモニと二人でやっている店。メニューと一緒にガイドブックも置いてあって、それを眺めていたら、「釜山もいいですよ。バスで1時間で行ける慶州が、日本の京都と同じように古い町なんですよ」と、ホームタウンをいろいろ説明してくれた。
キムチ盛り合わせ、トッポッギ、サンゲタン、チヂミなどをいただいた。俺はウーロン茶で阿久沢はビール。たいてい逆に置かれる。
■さっきダイエーで「玄米黒酢」というのを買ってみた。“世界の荒鷲”坂口征二も飲んでいるとプロレス雑誌で読んだからである。これ美味い。舌に一瞬ビリッてくるのがいい。
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2004/08/08 [日]
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■サッカーで日本チームが勝って、中国人サポーターは暴動を起こしたのであろうか。俺が夢想したのは、中国人サポーターがグラウンドに乱入して、文化大革命期の紅衛兵のごとく日本チーム選手らをつるし上げて大衆団交を行い、中国人審判がレッドカードのかわりに『毛沢東語録』を突きつける、というシーンであった。
下らない妄想に浸っていたら、久しぶりに『毛沢東語録』が読みたくなり、amazonで注文。なぜか実家の書架にあった『毛沢東語録』を俺は小学生の時からパラパラ程度ではあるが目を通しており、愛読書とまではゆかぬが、「アメリカ帝国主義は尻尾に火がついた張り子の虎である」「やりすぎぐらいがちょうどいいのだ」という断片的な言葉にいたく胸をときめかしていた。上々颱風の紅龍も同じ部分が好きだったとみえ、そこから歌を作っている。
(参考)「張り子の虎 ホーイホイ/張り子の虎 ホーイホイ/ヘイ アンクルサム 尻尾に火がついてる/ヘイ アンクルサム 最後のあがきだね/黒い腹を抱えてヨタヨタ歩き/お前の行くとこ 必ず災いが起きる/張り子の虎 張り子の虎さ」(『張り子の虎』)
「恋をするなら 思い切り/何かをするなら 思い切り/『敢』という字で体当たり/やりすぎぐらいがちょうどいい/あなたと私でレボリューション」(『レボリューション音頭』)
■歌詞を確認するついでに、先日購入した紅龍&ひまわりシスターズの二十年前の音源を聴いているのだが、つくづく俺は歌で人生を踏み誤ったと思った。俺は、これらの歌々を、いつまでも感動をもって聴ける人間であるために、その時々の舞台設定を作り続けて、今日まで来てしまったのだ。もうどうしようもないので、これからもそうするだろう。いちおう後悔しているふりをしてみるが、全然してない。ていうか、後悔したって無駄だからそんなもの検討する価値すらない。
「鳥や獣でさえ/夢をみるというけれど/なぜに人だけがやるせない/夢を見続ける」(『波と風』)
「ほんとのことを言えば 物足りないのよ/じっと目をつぶって お祈りなんて/あたいのカラダには 熱い赤い血が/流れているってことを 忘れないでね」(『ひまわりシスターズのテーマ』)。
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2004/08/09 [月]
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■明日からしばらく講習が忙しいので、2週間分の汗をスポクラで流した。汗が流れるのは気持ち悪いが流れた後は気持ちよい。
■マリアが処女懐胎したとか、南無阿弥陀仏と唱えれば極楽往生できるとか、そもそも地獄と極楽があるとか、ガチで信じているやつはいない(信じている?ウソでしょう?)そんなものがないことくらい百も承知で、その世界に浸ってあれこれものを思う。これはプロレス的感性そのものだ。
マリアはどこの馬の骨とも分からないやつとセックスをして、あるいは妻子ある男性とセックスをして男の子を産んだのだが、相手が誰なのか、頑として口を割らなかっただけのことだろう。私生児に父がいない。神の子?まさか。まさかだけれど、そういうことにしておいたら面白いからキリスト教が生まれたのである。
阿弥陀如来なんかいるはずがないだろう。しかし、阿弥陀如来の本願を信じることで救われると信じることで救われるのだから、阿弥陀如来はいるに違いないのである。
ジャイアント馬場は、ただ片足を挙げて立っていたのではない。彼が足を挙げると、相手レスラーは馬場の足に吸い込まれるようにぶつかっていかなくてはならない。自分からぶつかっていく?とんでもない。馬場が偉大で強いレスラーだから十六文キックはどのような状態でも相手レスラーにあたるのだ、となぜ素直に発想できないのか。
■フォームメールへのお返事。
7 Aug 2004 20:40:58 +0900
→その二つの事件については詳細を知らないので、付け焼き刃のコメントを述べるのは控えておきます。言えることは、犯罪被害者にならないためのマニュアルみたいなものを、起きた事件の加害者に対する憎悪・恐怖とはまったく別のところで、蓄積しておきたいなとは思います。
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2004/08/10 [火]
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■今週は朝イチで講習が入っているので、6時45分に起きて7時15分には家を出なければならない。普通に会社勤めをしている人には当たり前の起床時刻かもしれないが、俺にとってはかなり早い時間帯に属する。
普段、我が家で一番早く家を出るのは、8時半までに小学校に到着していなければならない麦人と文人、その次が阿久沢、最後が俺という順番である。俺は毎朝、9時半ごろ家を出る。麦人と文人はうちの前が通学路になっているので、毎朝「いってらっしゃい」「いってきます」をする。文人はそそくさと通り過ぎるが、麦人は垣根にしがみついていつまでも手を振っている。子どもに「いってらっしゃい」を言える父親はあんまりいないと思うので、ありがたいことである。
■その子どもたちは今週いっぱい、おじいちゃんおばあちゃんのところへホームステイに行っていてうちにはいない。子どもの声がしないし、抱きついてくることもない。「何か賜り物を下さい」と寄ってくることもない(「賜り物」=おやつのこと。与えるときに「麦人と文人に賜るー」と宣言してから与えていたのでこういう名前になった)。ふとんの上で海鼠のように思い思いに横になっている姿も見えない。
いつのまにかうちは子どもがいて完結する空間になっていた。
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2004/08/11 [水]
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■仕事は忙しいが体調はすこぶる良好。帰りにスポクラに寄って、短時間ながら汗を流す余裕もあるほどである。どういうときに調子が良い/悪いのか、どうすれば調子が良くなる/悪くなるのか、自分でも最近分からない。調子が良いとき、やれることをやるだけだ。
ただしノドが不具合である。先週は講義が入っていなかったから、声帯は十分に休めているはずなのだが、前期終講以来の声枯れがずっと続いている。商売道具は大切にしないといけない。折りを見てうがい薬をもらいに医者へ行こう。
関係ないと思うが、ハナクソが大量に出た。
■今日読み終わった本。
川本三郎『荷風と東京─「断腸亭日乗」私註』(都市出版)
→「眼前の風景のなかに過去を見る。古典を重ね合わせる。いわば荷風はいつも風景を通して過去を見ている」(p494)。「この戦乱の日々、荷風が精神の平成を保つことができたのは、他ならぬ「日乗」のためだった。日々、日記を書き続けることで、精神の荒廃に陥る危険をまぬがれた。文が荷風を支えた。さらにいえば、「日乗」の硬質な文体そのものが、荷風に緊張を与えた」(p496)。
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2004/08/12 [木]
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■麦人が飼っているカブトムシに名前が付いた。「一徹」。『巨人の星』の星一徹からである。このカブトムシはエサの蜜が入っている容器を勢い余って毎回ひっくり返してしまうのでこの名が付いた。麦人はまだこのことを知らないが、名前を付けるのは親の権利である。有無は言わせない。
■今日買った本。
毛沢東『毛沢東語録』(平凡社ライブラリー)
網野善彦『中世的世界とは何だろうか』(朝日新聞社)
■フォームメールへのお返事。
11 Aug 2004 00:34:24 +0900
→情報ありがとうございます。
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2004/08/13 [金]
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■信じられないほど眠い一日であった。往きの電車で30分、移動の電車で40分、講師室で1時間、眠り続けたがまだ眠い。講義中はテンションが上がるのでほどほど良い状態になるが、そうでないときには体の奥底からねっとりした睡魔が噴き上げてくるようである。それでいてノドの調子は良かったりするのでわけがわからない。
別に睡眠不足だったわけではない。睡眠時間の長さ・自覚している疲労の蓄積度・仕事の量の多さと体調の因果関係がどうなっているのかよく分からない。因果関係なんかないような気もしてきた。
コンビニで買ったチョコレート菓子を食べて血糖値を上昇させて乗り切った。
■「一徹」がえさをひっくり返さないよう、木のえさ台を購入。160円。
■フォームメールへのお返事
12 Aug 2004 22:22:51 +0900
→おぅ あのときのあなたですね。ありがとうございます。今日のはコンセントレーションではなくて、仕事終了後のクールダウンです。何も考えず、ただぼーっとしていただけです。あのタイミングで質問の生徒さんが来ると、焦って再起動するのに5秒くらい掛かったりします。
それにしても、想いが通じるといいですね!ライバルは多そうですが^^ また、経過報告でも何でもよろしいので書き込みお待ちしいます。
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2004/08/14 [土]
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■ナベツネ・巨人オーナー辞職!うわぁ。残念。このままガクッとなって死んでしまいそうだな。それでも構わないけどね。
■ナベツネは辞める必要なんかなかった。スカウト対象にお金を与えて何が悪いのか。反省することなど何もない。資本主義社会とはそういうものだろう。君をこれだけ評価しているよ、ということを、まずお金で伝える社会なのだ。そして、経営者は労働者を抑圧するものだし、大きな会社は小さな会社を圧迫するものなのだ。オリンピックをはじめ、金にまみれたアマチュアスポーツこそが一番恥ずかしいものだ。
「たかが選手の分際で」「俺の知らない奴は入れられない」等の数々の名言ほど、資本主義という世の中がどうなっているのかをしっかりはっきり語ってくれたものはない。これらの発言に怒る人は、自分が生きている社会に対する認識が甘い。もっともっと渡辺尊師の有り難い真言をいただきたかったと切に思う。古田選手会長も、ストスト口ばっかりで言っていないで、死ぬ気でやってみろよダラ幹めが。
そして俺は、ナベツネに象徴されるような「強い者が勝つ」「金で全てを評価する」「でかいヤツが威張る」社会を打倒・解体したいと願う者である。そのためには敵の姿をよりはっきり見せてくれる方がよいのだ。カムバック・ナベツネ!
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2004/08/15 [日]
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■午前中のみ仕事。帰り、どこか具合が悪いのではと自分で思うくらいダルかったので、寄り道せずに昼過ぎに自宅に帰って、夕方まで昼寝して、三宮で阿久沢とタイ料理を食べる。あまり辛くなかったけれど、汗が出すぎてもナンなので、ちょうど良かったかもしれない。
食事の後カラオケへ。2時間半、かわりばんこに歌う。2人だけで行くのはずいぶん久しぶりの気がする。子どもがいなければこういう生活を続けていたのだろうか。それはそれで楽しかったかもしれないが。子どもたちは明日、2人で新幹線に乗って帰ってくる。楽しみである。早く触りたい。麦人は黙って膝の上に乗ってくるだろうし、文人は「とうちゃん!」と一言発してから抱きついてくるだろう。
■阿久沢と子どもたちを評していて、麦人は子どもらしい子ども、将来もまぁ普通にやっていきそうであるが、文人は「紙一重」であるという認識で一致した。同じものを食べさせているのになぜこんなに違う性格に育ち、なおかつ仲が良いのかが不思議である。親としては面白い。
麦人は神戸高校とか御影高校でも目指してもらうとして、「紙一重」は「紙一重」らしく育てるべきだろうか。第2の中島らもを目指して灘中でも受けさせるか。中学を卒業したら外国へ放り出すか。寿司職人や花職人の修行をさせるか。
2人とも先は分からないけれど、想像してみるのは面白い。
■カラオケで泉谷しげるの歌を数曲歌った。俺は彼の歌をこよなく愛している。70年代のフォークと、80年代のロックが特によい。
浪人時代、俺は東京の街を歩き回るのが好きだった。金がないから建物の中に入ることは滅多になく、新宿とか渋谷のビルの足下を徘徊していただけだが、その際、俺の耳には泉谷しげるの『80のバラッド』『ELEVATOR』『39度8分』『オールナイト・ライブ』がウォークマン(カセットテープのだ)で響いていた。
「ビルよ/黄昏れて/街のツラをしてるがいい/お前は味方だぜ/壊れるまで俺の街」(『俺の女』)、「地鳴りする都市よ/なぜ俺に力をくれる/風にならない都市よ/なぜ俺に力をくれる」(『翼なき野郎ども』)、「エイジ/青い奴らが手引きする/赤い街のゴミになる気かよ」(『デトロイト・ポーカー』)、「窓の外は黒い街/ありもしない社会の/口笛が聞こえる/俺はうろつき街の流れ者/別の国のための/ネジと鉄パイプになる」(『裸の街』)。
泉谷は「社会」は信じていないが「街」のリアリティを信じていたように思える。俺は、泉谷の歌を通じて東京の街と出会っていたのだ。何か、俺の知らないもの、知らなくてはいけないもの、知れば加速できそうなものが、東京の街にあったような気がする。バブル前夜、1980年代中葉の東京の街は確かに俺に「力をくれ」た。一晩中でも、俺はただただ歩いていた。
「壊れるまで俺の街」(『俺の女』)だったものが震災でほんとうに壊れたのを目の当たりにしたころから、俺はどこにも「俺の街」という感覚が持てなくなった。昔と違って多少はお金もあるから、ビルの中にも入って遊べるのだけれど、俺に力をくれる街は見あたらない。
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2004/08/16 [月]
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■うーむ。これは勉強になりました。特に終戦後1ヶ月の朝鮮総督府について。そして、終戦記念日が8月15日というのは確かにおかしい。大々的に式典を行い、報道することで見えなくなるものが確かにある。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/08/post_12.html
■麦人文人がホームステイ先の横浜のおじいちゃんちから帰ってきた。新大阪まで出迎えに行った。15時27分着ののぞみ号12号車。東京寄りと博多寄り、どちらの出口から出てくるか分からなかったので、俺と阿久沢で分担して待ち受ける。阿久沢の方に出てきた。文人はすぐに阿久沢の胸に顔を埋めていた。麦人はおじいちゃんに連れて行ってもらった新潟で採ったというカブトムシを俺に見せてくれた。
約2週間ぶりに自宅に帰ってきた二人は妙にハイテンション。特に麦人がうるさい。「アイムソーリーヒゲソーリー。私は日本語わかりませーん」とかいう面白くないギャグを何十回も繰り返し、そのたびに文人がけらけらと笑う。横浜のおばあちゃんに「麦人は吉本興業に入るといい」と言われたそうだが、宜なるかなである。
■麦人が♂カブトムシ1、♀カブトムシ2を新たに持ってきた。「一角」(♂)「徹子」(♀)「角子」(♀)と命名された。最初からいる「一徹」(♂)と合わせ、2カップルができる計算になるので、別々の容器につがいで入れてやったのだが、さっそく喧嘩をしている。一徹が徹子を追い回し、徹子は羽根を使ってまで逃げようとする。まるでDVである。一徹がえさの蜜を吸っていると、よせばいいのに徹子がちょっかいを出してまた突きまくられている。メスが来て浮かれているのだろう、と解釈しておく。
■フォームメールへのお返事。
15 Aug 2004 20:46:18 +0900
→僕はこう見えても人見知りをする性格なので、話しかけられれば別ですが、自分から話しかける勇気がありません。そんなわけで、講師室ではいつも孤独なのです。で、その件については、何かあれば直メールでお話を聞かせて下さいませ。ottosei@ottosei.com
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2004/08/17 [火]
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2004/08/18 [水]
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■「くるり」がたいへん気持ちよい。ものにもよるが、俺は最初に聴いてから「これはよい!」と感じるまで比較的時間が掛かるタイプである。自分の肌と脳みそにしみこんでくるのを待つのである。そのかわりいったんしみこんでしまえば長い付き合いだ。「くるり」も1年以上掛かっている。
■朝、カブトムシの「角子」(♀)が箱から脱走していた。蓋の閉め方が甘かったらしく、自力で持ち上げて開けてしまったのである。すごいパワーだ。
角子は二段ベッドの足下にうずくまっているところを麦人に発見され、箱に戻された。今夜は箱の蓋に輪ゴムが掛けられている。
■鎌倉のおばあちゃん(俺の母だ)に電話。麦人文人がお世話になったので。
彼らは鎌倉滞在中、おばあちゃんに連れられてテニススクールへ毎日通っていた。二人ともテニス自体は十二分に楽しんだらしいが、その様子を聞くに付け面白い。
麦人はテニススクールにお気に入りの女の子がいて、その子とダブルスを組みたくて、「組もう組もう」と、女の子が嫌がるのも構わず追っかけ回していたらしい。
文人は「あの子は艶がある」とのこと。ただそこにいるだけなのに、テニスコーチや年上の女の子に可愛がられていたそうだ。
だいたいこの2人の思春期が見えてきたような気がする。文人は放っておいても女の子には不自由しなさそうだが、麦人は大いなる勘違いをしたまま二十歳を迎えてしまいそうだ。俺は断然麦人の味方である。
■夕方前からものすごい雷。夕食前のひととき、電気を消して寝室に麦人と文人と3人で寝転がって、雷鑑賞会をした。
■オリンピックばっかりで、新聞に読むべきところがない。ラジオをつけても高校野球とおりんぴっくばっかりだ。他人が運動しているのを見て(聞いて)いるだけで何が面白いのか、毎回のことながらさっぱり理解できない。
俺はなぜ国体やオリンピックに嫌悪感を感じるのかを自分なりに考えてみた。おそらく「何不自由ない環境で練習して好成績を出して拍手喝采」というのがどうにもウサンクサイというか、屈託が無さすぎてつるんつるんと気持ち悪いのである。ロックバンドを結成したら、親は「下らないことやってないで勉強しろ」と叱るどころか、ギターにベースにドラムセットまで買ってくれて、挙げ句の果てにはライブチケットも100枚ほど買い取ってくれました、というところか。
実際にはケガやらスランプやらあるんだろうが、スポンサーからカネもらい、マスコミにちやほやされ、メダル取れば就職も安泰で、国によっては褒賞金だの一生暮らせる年金だのもらえるみたいだし、俺には全然思い入れる余地というものが見あたらないのである。
■あ、柔道やレスリングからプロレス入りする人材が出るのは楽しみである。出でよ第2の小川直也。ハッスルハッスル。
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2004/08/19 [木]
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■8月18日は文人の7歳の誕生日である。 八月十八日政変(1863)の日。
7年前の深夜、産気づいた阿久沢をタクシーで御影の助産院へ送り届けた俺は、当時2歳だった麦人が一人で寝ていた自宅にそのままとって返し、横になって連絡を待っていた。明け方に「産まれそうです」と電話があり、麦人を抱えてまたタクシーで助産院へと急いだが、既に文人は産まれていた。陣痛開始から30分という超安産だった。文人は胎脂をまだあちこちに付けたままの状態で阿久沢の腹の上にうつぶせになっており、あろうことか鼾をかいて眠っていた。普通、地上の空気を初めて吸った赤ん坊はわぁわぁ泣くものだ。生まれ落ちた瞬間から彼は変だった。へその緒を切ったのは俺だ。
■誕生パーティは近所のステーキハウス。この日文人は学童保育で38度の熱を出し、「ちょっとしんどい」と言っていたのだが、「肉!行く行く!」と大喜びでやって来た。
このお店はパフォーマンスしながら肉を焼いてくれる。塩や胡椒の容器を音を立てて振り回したり、空中に投げて受け止めたり、ぼうぼう炎を上げたりする。子どもたちはそのたびに大喜びで、気をよくしたのか若い料理人のお兄さんは、最後に風船でパンダとチワワを作ってくれた。
■講義で自習をしていた生徒さんがいたので注意した。何でそういうことをするのか、俺には全く理解できない。
予備校は中学や高校と異なり出席を強要することはない。大学のように、出席しなければ単位を落とすということとも縁がない。必要ならば講義を受け、必要ないと思えば別の講義を受けるか、自習室や自宅で勉強していればよい。従って講義の場にいるということは、必要だからそこにいるのであろうと俺は見なす。とりわけ夏期・冬期の講習は、安くても数千円の費用が掛かっているのである(レギュラーの講義だって同じことだが、短期講習はより費用と講義の「関係が密接」とは言えるだろう)。
観察するにその生徒さんはテキストを忘れて、致し方なく自習をしていたようなのだが、事情は全く変わらない。時間と費用を使ってそこにいる以上、忘れたテキストは隣の人に見せてもらうべきだし、教務に頼めば教材をコピーさせてくれたりもする。その講座を選択した必要性と、払い込んだ受講料を考えればそうすべきだろう。その気がないのなら、講義には出席せず自習室で自習をすればよい。俺が大きい声でべらべらしゃべる教室よりずっと能率があがるはずである。
百歩譲って、それでも教室で自習したいのならば、俺に気づかれないようにやってほしい。気がつかなければ何も問題はない。俺は狭量なので、関係ない本を開いているのが目にはいると動揺するのだ。
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2004/08/20 [金]
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■麦人が学童保育の「冒険旅行」という催しで天満のキッズプラザへ出かけ、びよんびよんと伸び縮みする直径5センチ、長さ15センチくらいのコイルのおもちゃをおみやげに買ってきた。本来は階段や傾斜を歩かせるおもちゃなのだが、麦人は下らない遊び方を次々に開発する。
1.股間にくっつけて左右に振ってみせる。
2.目に押し当て、「わあ!びっくりした!」と叫ぶと同時に目玉が飛び出すようにコイルを前に伸ばす。
3.鼻に押し当て、「象さん!パオーン!」と叫んで振り回す。
実に愚かな、子どもらしい子どもである。
■予備校の人々と難波で食事会。異様におかしくて腹が痛くなるほど笑った。
■今日読み終わった本。
パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』(イースト・プレス)
→これは名著である。多くの人に読まれるべき本である。例えば「最近、少年はキレやすく凶暴化しており、少年による凶悪犯罪が激増していて由々しき事態である」と思いこんでいる人は、最初の50ページを読んでみるとよい。いかに自分が騙されていたかをはっきり認識できる。そして、この本が優れているのは、誰が何のために我々を騙そうとしているかを明確に指摘してくれる点にある。
「ここいらで認めたらいかがですか。日本人はいいかげんな民族なのだ、と。そして、そこからまた始めるべきです。がむしゃらに働き、敵を食い尽くすという欧米の白人エリートのようなやり方は、日本人の体質にはマッチしないのです。だって、休暇もそうじゃありませんか。白人は何週間もまとめてガッととりますが、日本人はそのやり方に馴染めません。週休三日くらいのペースで、適度にちびちび働き続けるのが、日本人の性格に合っているのです」(p96)
「日本人は古来、コミュニケーションなしで社会を成り立たせてきたのです。その秘訣は『適当』『いいかげん』でした」(p114)
「『やればできる』…(中略)…やってもできない人が圧倒的に多いというのに、あまりにも無責任なことをいいます。『やればできる』は努力を勧めているようで、じつは暗に結果を求めています。教育者たるもの、そんなウソを教えてはいけません。『できなくてもいいから、やってみろ。それでダメなら生活保護があるさ』と教えるのが、本物の教育者です」(p305)
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2004/08/21 [土]
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■夏期講習も残すところ来週の1タームのみ。今年も乗り切れそうだ。当たり前のことではあるが、どれほど有能な講師でも教壇に立っていなければ何も教えられないのだから、病気なし・ケガなし・寝坊なしの基本原則を徹底しなければならない。無事是名馬也。
■1年ぶりにコンタクトレンズの定期検査に行った。左目に視野の欠損があるような感じなので、網膜剥離とか緑内障の可能性を否定するために、後日精密検査に来いと医者が言う。めんどうくさいが、毎月安くはない健康保険料を払っていることを考えると、病院通いもちょっと元を取ったような気がしてしまうのが情けない。
■最近買って読み中の本。
中山康樹『ディランを聴け!!』(講談社文庫)
→ボブ・ディランの全楽曲全バージョンの解説。例えば『ライク・ア・ローリング・ストーン』は7つの録音があるが、その一つ一つについて参加ミュージシャン・録音データ・出来不出来を述べたもの。著者の足元にも及ばぬにしても、俺も長年ディランを聴いている人間であり、いくつかは著者と見解を異にする部分もある(たとえば『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』に対する感想。俺はこの曲好きだ。著者は逆の評価をする)。この本を読んだからと行って、もはや俺の感想は変わりようがない。かといって著者の批評に対して異を唱えるつもりもない。いろんな聴こえ方をするディランの歌に、改めて、いいなあ、と思うだけだ。逆に一致したらしたで、ますますその曲が好きになる。『ハリケーン』とか。ローリング・サンダー・レビューの録音『ボブ・ディラン・ライブ・1975』に収録されている『ハリケーン』の圧巻ぶりなんかがそうだ。ほんまにこの音源は凄い。
■フォームメールへのお返事。
19 Aug 2004 22:04:52 +0900
→『ブラックジャック』の原作は全巻持ってますよ。上の子どもも好きで、テレビアニメも見ているみたいです。僕はブラックジャックのライバルで、どんどん患者を安楽死させるドクターキリコが好きだったなあ。
20 Aug 2004 09:02:32 +0900
→情報ありがとうございます!多くの人に見てもらいたいので貼っておきます。
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/
20 Aug 2004 11:08:29 +0900
→十三とか千日前とかのぐしゃぐしゃっとした街って、「生きてる生きてる生きている」という感じがして、元気が出るわけではないけど、ま、いっか、という励まされ方をしますね。写真はそのときの自分の気持ちに合ったものを脈絡なく撮っているだけですが、カメラを持っているだけで、自分の気持ちを象徴してくれる景色を探そうという姿勢になってよいものです。
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2004/08/22 [日]
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■スポクラで2時間ほど有酸素運動をしたほかは、自宅周辺で特に何もせずに過ごす。
■文人の誕生祝いに、阿久沢がラジコンのヘリコプターを買ってきた。「僕が組み立てる!」と麦人が張り切って手を付けたはいいものの、何を考えたのかアンテナをはさみでちょきんと切ってしまうという騒動が起きた。「これはだめかもわからんね」と俺が言った言葉にショックを受けた麦人は二段ベッドに頭を抱えて倒れ込んだ。
何とか被覆のビニールを剥いでくっつけることに成功し、「おにいちゃん!なおったって!」の文人の一言で、麦人はあっさり立ち直った。明日、二人で公園で飛ばすのだと言う。俺はきっと、最初のフライトで着陸に失敗してバラバラになると予想している。高いおもちゃだ。
■日本の公務員という連中は国民の血税・保険料を湯水のごとく無駄遣いし、私腹を肥やし、癒着業者に不正に支給して何ら恥じることのない、最も無能で恥ずべき集団の一つであると俺は考えているが(一人一人が職務熱心で良い人であることはありうるにしても、集団としてみた場合、および出した結果を見れば、そう評価されて然るべきである)、その恥ずべき仲間に自分の子どもを入れたいという親たち、すなわち日本国民は輪を掛けて恥ずべき連中である。つまりこの国民にしてこの公務員ありということで、妙に納得してしまうあたりがまたさらに恥ずべき状況である。
■湯を溜める途中の湯船に横たわっていた麦人の上に、文人が風呂蓋を落っことし、歯に当たったと言って麦人がわぁわぁ泣いた。風呂場に慰めに行ったら、ちょうど正常位の女性のような格好で脚を折り曲げた格好で、顔を赤くして泣いていた。
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2004/08/23 [月]
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■アメリカという国がどういう衰え方をするのかなぁという点に関心があって『ローマ帝国衰亡史』を読んだりしているのだが、イラクやアフガン、そして沖縄で米軍がやっていることを見れば、こりゃ長くないなあと素人目にも分かる。長くない、といっても数十年単位の話だ。俺の目の黒いうちにはある程度の展開が見えるようになっているかもしれない、というぐらいのことだ。
で、アメリカ属州日本に住む者としては、どのように身を振るべきか。この点、中国にすり寄る・日中韓で身を寄せる・東南アジアを含めた新大東亜共栄圏を目指す等、いろいろリスク配分を今から考えておいた方が良かろうと思う。
■アメリカ軍の沖縄での振る舞いについては、自衛隊沖縄基地の有志が自衛隊を離脱してでも嘉手納基地に殴り込みを掛けて然るべきだし、石破茂や安倍晋三、石原慎太郎などは普段の言動に照らせば横田基地に乱入して然るべきであろう。中国人が辺境の岩に上陸して旗を立てたくらいで大騒ぎする連中、こういった、国の誇りだの国を愛する心だの、胸を張って語る連中が、結局は強きを助け弱者を叩くことしかできないことが改めてよく分かる。
日本が、自分の国を自分で守れないから、アメリカ軍にこうやっていつまでも馬鹿にされるのです、と、正面から説くことができるヤツすらいなくなってしまったな。それは俺の敵には違いないが、今はそれすらもいない。
■麦人は阿久沢に手伝ってもらって読書感想文を完成させた。残る大物の宿題は自由研究だけとなった。
文人は昼間、頭にバスタオルを巻いて『ハッピーサマーウェディング』を延々と踊り続けたあげく、夕方、「天井からぱらぱらって何か落ちてきたら、僕のお腹が痛くなった」と謎の言葉を吐き、夕食を途中で切り上げて寝室で横になっているうちに眠ってしまった。疲れていた様子。
■フォームメールへのお返事。
22 Aug 2004 12:13:10 +0900
→残念!土曜日は用事があって行けないのです。そのかわり9月のクアトロには参戦予定。
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2004/08/24 [火]
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■アニマル浜口最高。プロレスラーは死ぬまでプロレスラーだ。そしてプロレスファンは死ぬまでプロレスファンだ。
■阿久沢の帰宅が遅いので、3人で夕食を食べて風呂に入る。文人が「おかあさんが帰ってきたら絶対に起こしてね」という。「毎日おかあさんに会えないといやだ。一日でもおかあさんに会えないと僕は家出する」と言う。
11時過ぎに帰宅した阿久沢にそのことを伝えた。阿久沢は「ふー。ふー」と何度も文人を揺すぶっていたが、ぴくりともしなかったようである。さっき寝室をのぞいてみたら、麦人と文人は、阿久沢を真ん中にして、助さん角さんのごとく両サイドを固めて眠っていた。
■昨日買ったCD。
『春一番ライブ'79』
岩井宏『30才』
→両方とも素晴らしい。とりわけ岩井宏は待ち望まれていた再発だ。このCDには収録されていないが『サラリーマンを馬鹿にしちゃだめよ』は名曲だと思う。岩井宏は不慮の事故で既に故人となってしまった。
■今日買った本。
加藤秀一『〈恋愛結婚〉は何をもたらしたか』(ちくま新書)
■フォームメールへのお返事。
23 Aug 2004 14:09:51 +0900
→妻がいつもお世話になっております。貴サイトの僕に関するコメント、拝見させて頂きました。本人が言うのもナンですが、僕は偏屈で、他人様が近づくのに全く値しない人間であります。遠くから眺めている分にはまだマシなのですが、近づいたり言葉を交わすとダメダメであることがバレてしまうのです。
23 Aug 2004 23:42:28 +0900
→信州ですか。僕は行ったことなくて、蕎麦と田中康夫知事くらいしか思いつきません。若い時の旅行って、お金と時間に追われながらたくさんのスケジュールをこなすものなのですが、おじさんになると何もしないために旅行に行くようになるのです。これはこれでいいものですが、今、若いときだからできる旅行を存分に楽しんで下さいね。
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2004/08/25 [水]
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■庭に植えてあった朝顔が、ここへ来てぱんぱんと花火のように咲き始めた。手入れを全くしないまま、蔓と蔓が絡み合ってジャングル状態となっており、心なしか葉の色も悪く見えていた。8月に入ってもなかなか花を開かないので、今年は葉っぱだけで終わるのかと思っていたところだった。
朝顔は俺の都合などどうでもよく、咲くべき時に咲いたのである。気持ちよいことだ。
■風呂場で兄弟が喧嘩している。麦人が文人より一瞬早く風呂から出たため、2枚ある風呂蓋を文人が2枚とも閉めなければいけないといって文句を言っているのである。「お兄ちゃん、僕が1枚占めるからちゃんともう1枚は閉めてよね」。「何言ってるんだ。俺はもう出るんだよ。お前はまだ入ってるんだからお前が閉めろよ」。「僕ももう出るんだよ」。
よくもまあここまで下らないことで喧嘩できるもんだと感心した。裏を返せば、そのくらいしか喧嘩のネタがないくらい仲がよいということでもある。
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2004/08/27 [金]
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■夏期講習全日程終了。今年も何事もなく乗り切った。
帰りに30分だけ足裏マッサージに寄る。足裏はちょっと痛いくらいの方がいい。最初に足裏全体を一通り触ってもらい、2周目はリクエストした部分をやってもらった。1周目にえらく痛かったところが、2周目は逆に気持ちいい。肩と腰が一気に軽くなった。
■疲れていないと言えばウソになる。こういう時はめしをもりもり食べるに限る。茄子やゴーヤー、瓜系の炒め物がうまい。
■右手だけでちんこを持って左手でメールしてる若造ってどうよ。なんばシティ公衆便所にて。
■フォームメールへのお返事。
25 Aug 2004 15:27:45 +0900
→子どもは家では関東言葉が多いような気がします。兄弟どうしや友達どうしでは関西弁っぽい。使い分けているのかなぁ。器用です。
25 Aug 2004 22:23:25 +0900
→麦人は誰かに抱きついていないと眠れないようで、必ず親か弟にしがみついて寝ています。誰も抱きつかせてくれないときは枕を抱いています。文人は、写真の撮り甲斐がある踊るようなかっこうで眠っていることが多いです。
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2004/08/28 [土]
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■俺はCD屋に足を踏み入れてはダメだ。絶対に手ぶらでは出てこられない。ほんのちょっと時間を潰すために入った梅田のタワーレコードで、
友部正人『誰もぼくの絵を描けないだろう』
J.A.シーザー『田園に死す』
の2枚を購入。
『誰もぼくの絵を描けないだろう』は長らく廃盤だったものの再発。坂本龍一が後ろでピアノを弾いている。高校生の頃、その名も友部くんという級友にこのLPを借りて初めて友部正人を聴いた。
1曲目、アルバムタイトルの『誰もぼくの絵を描けないだろう』。いきなり、友部正人のザラザラ声で「だれも、僕の絵を、描けないだろう」と来る。2曲目のタイトル『お日様がおっことしたものはコールタールの黒』。コールタールの黒?わけわからん。でも聴けば全て納得してしまう。唸ってしまう。言葉と声が世界を作る。それが歌なんだ、ということを教えてくれたレコードだ。
あれから20年以上の時が経ったが、「木々は寂しい手を広げ/夜空は白い爪を伸ばし/公園にはおまわりの影もなく/ぼくは犬のように足を折り曲げ眠った/ぼくはその夜不思議な夢をみた/それはどこか遠く夢の中」(『おしゃべりなカラス』)なんて歌われると、頭の中に真っ黒な夜がざわざわと音をたてる。
俺は自分がそうされるのがあまり好きではないので、他人に自分の好きな音源を勧めることはしないようにしている(よほど耳の傾向が近い人を除く)。が、両手両足を縛り上げてヘッドフォンを耳に接着剤でくっつけてでも聴かせたくなる歌というのもあるのだ。
■で、タワレコ梅田店には槇原敬之の『もう恋なんかしない』が大音量で掛かっていて甚だ不愉快。彼女と別れて自分で朝飯作ったら不味くて、彼女がいたら文句が言えるのにとか、もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対とか、歯ブラシを1本捨てなくちゃとか、よくもまあこういう気持ち悪いことを歌にして人前で歌い、あまつさえ銭を取ろうと思えるものだ。たとえるならば、すぐ前を歩いている人間が突然大便を垂れてそれを踏んでしまい、靴下に付いてしまったような気分だ。そして大便を垂れた本人は、きっと宝物でも置いておいたつもりなのだ。ひょっとすると売るために確信犯的にこういう糞な歌を書いているのかもしれないが、それならそのプライドの無さ加減を軽蔑する他はない。
おそるおそる俺は世界に問う。こういう歌で心を震わす人間というのがいるのか?いるのか?いないと言ってくれ。
■必要があって銀行で2万円ほどコインに両替したのだけれど、最近の銀行って両替の際に手数料を取るんだな。元々が両替商だから不当だというわけではないが、土曜も開けますとか、ATMの稼働時間を延長しますとかサービス良さげな顔をしておいて、こういうところで渋くなっていたとは気がつかなかった。
で、なぜ両替したかというと、学童保育の資金稼ぎのために土・日と近所の公園で開かれる盆踊り大会でビールやジュースの売店を出すためである。ところが台風16号が接近しているために盆踊りは延期となってしまった。
実はそのお陰で、神戸市役所前のソウル・フラワー・モノノケ・サミットに行けそうである。
http://www.breast.co.jp/soulflower/schedule/live.html#SFMS
■カブトムシの「一徹」♂が動かなくなっているのを麦人が発見。今日の明け方まであんなに暴れて、えさのゼリーの容器に頭を突っ込んでいたのに。以前死んでしまった♀の隣に埋めてやった。
昆虫ってメタリック系だから、カブトムシも死んだというより、「止まってしまった」という感じがする。祈冥福。
■今日読み終わった本。
網野善彦『日本中世の民衆像』(岩波新書)
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2004/08/29 [日]
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■土曜日の朝の8時前から麦人は近所のダイエーへ出かけていった(24h営業)。「ムシキング」とかいうゲームが新設されて、これが学童仲間で評判なのでやりに行くのだという。何回説明を聞いてもよく分からないのだが、100円玉を入れると様々な能力を持つカードが1枚出てきて、それをゲーム機に差し込んでカブトムシを使ったバトルをするというものらしい。
もちろん、このゲームのために新規に小遣いを与えることはしない。彼は自分に与えられた1ヶ月分の小遣い(学年×200円というのが我が家の規則である)の中から、最後の100円を使った。麦人は、小遣いをもらったら短期間のうちに全て使う。大半はその日のうちにマンガを買っている。「宵越しの金は持たねえ」男である。何かを買うために貯金するという発想は薬にしたくとも無い。
対照的なのは文人で、彼も1年生になって毎月の小遣いを手にするようになったのだけれど、彼は1度として使ったことがない。全て財布にしまい込み、ときどきテーブルに並べて金額を確かめてはにこにこしている。何のためにそんなに貯めているのか、と尋ねてみたら「一人暮らしするときのために貯めている。冷蔵庫とたんすを買うんだよ」という答えが返ってきた。
■昼過ぎまでうだうだして、夕方から神戸市役所前のソウル・フラワー・モノノケ・サミットのライブへ出動。 台風16号接近の強風の中、必死の演奏を繰り広げていた。
正直言って、ユニオンに比べてモノノケは最近ルーティンになっているというか、声が掛かればやりますよ、程度のものしか感じられないので(まあ仕方ないのだが。新曲もないしね)、この強風はライブ感・現場感を演奏者・聴き手ともが感じるためにはとてもよい自然の演出だったように思う。何だかんだ言ってもそこは一流のプロ集団であるから、演奏は常に水準以上だ。俺の中の今日のベストは『竹田の子守歌』。中川・伊丹・河村・中西の4重連コーラスは赤い鳥にも負けていなかった。
チンドン太鼓中西智子の二の腕が大変美しく、ああ俺はおじさんだと思ったり。
■久しぶりに伊丹英子を見た。バンドにはスピリット・プロバイダーが欠かせない。JAGATARAの江戸アケミ、上々颱風の紅龍、フィッシュマンズの佐藤伸治、ボガンボスのどんとがそうであった(ある)ように、ロックの神様との聖なる通路となる人間がいるバンドは強い。
出産後の伊丹英子はライブ2回に1度出演するかしないかという出席率になっている。寂しくないと言えばそれはウソになるのだけれど、今の伊丹英子は、毎回出演しなくとも、ソウル・フラワー・ユニオン(モノノケ・サミット)のスピリット・プロバイダーの役割を果たす存在に成長していると思った。ライブに不在なら、その不在でさえもロックの神様の道への通路になり得る存在である。いればもちろん、中川ではなく伊丹に目がいく。
■伊丹英子とドーナル・ラニーの娘「そらちゃん」を初めて至近距離で見た。もう反則的に可愛い。真っ白で目がくりくり。目の流し方がママそっくりだ。
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2004/08/30 [月]
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■子どもを寝かしつけてそのまま気持ちよく眠っていたら、テレビを見終わって後から寝室に入ってきた阿久沢が、いきなり俺の頭の下から枕を奪って自分の枕とした。ふとんに頭がごちんと落ちて俺は目が覚めてしまったので、こうしてキーボードに向かっている次第である。「枕がほしいなら自分で押し入れから出せ」と抗議しても、「いいの!寝る!」と取り合ってくれない。鬼嫁だ。
■麦人が、夏休みの算数の宿題をやったノートを紛失した。計算ドリル十数回分である。「ちゃんと管理しておかないからこうなるんだ。ノートが見つからないなら全部やり直しだぞ」と言い渡した。多分泣きを入れてくるだろうから、そしたら担任教師に手紙でも書いてやろうと心の準備をしていたら、何と今日だけで十回分以上やり直し、「あとちょっとで全部終わるよ!」と笑顔で言うのは俺の想定にはない事態であった。
麦人はその気になれば集中力も馬力もあるのだ。その気になればだが。
■明日は休みなので、ゆっくり台風を堪能する予定である。
■フォームメールへのお返事。
28 Aug 2004 22:24:29 +0900
→本当にどうでもよい歌ならば腹が立つことも不愉快に感じることもなく聴き流すわけで、世の中のたいていの歌は僕によってそういう扱いを受けています。僕の耳を傾けさせただけでも、槇原敬之は大した才能の持ち主だと思います。「どんなときも!どんなときも!」という歌も大概ですね。あまりにもキモくて、爆笑しつつ鳥肌が立ちました。
29 Aug 2004 18:55:14 +0900
→いやいや、済みませんです。補充プリントについては「オマケ」あるいは「ある時払いの催促なしの借金」程度に考えていますので、訂正とか再配布の予定はありません。小さいことは気にせずいきましょう。と自分で言うことか。
29 Aug 2004 21:05:59 +0900
→楽しかったですね!太鼓やサンシンといった楽器の音色にあれほど血が騒ぐのはなぜだろう。クアトロも楽しみだ。伊丹さんも日本にいるなら出てくれそうですね。
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2004/08/31 [火]
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■スポクラで1時間ほど汗を流した他は、終日自宅で台風情報を鑑賞しつつ、模擬試験などの原稿作成にあたる。マンションの中から外を眺めている分にはそう大したこともなさそうに見えるのだが、ほんの一瞬、照明が暗くなることが数分に1度くらいある。遠くの方ではサイレンも聞こえる。ハーバーランドのあたりでは国道2号が冠水したという。
地震に比べれば台風など何でもない。テレビやラジオをつけておけば、不意打ちを食らうことはまずないからだ。
■テロリストは俺である。モハメド・アタは俺である。子どもを殺す親は俺である。学校に乱入して無差別に子どもを殺す男は俺である。麻原彰光は俺である。同級生の首を斬った少女は俺である。ジョージ・ブッシュは俺である。奥平剛士は俺である。ローザ・ルクセンブルクは俺である。幸徳秋水は俺である。
俺は、彼ら/彼女らと同じ時間・空間を持つ可能性があったのであり、その可能性がある限り、俺も同じ振る舞いをした可能性がある。だから、彼ら/彼女らは、俺なのである。
その可能性について思いを致さぬ者どもこそ、俺の敵である。
■フォームメールへのお返事。
30 Aug 2004 01:45:30 +0900
→そうそう、本屋さんも手ぶらでは出てこられないですね。買っても読めばいいのですが、実は学生時代に買った本でまだ読み終わっていないのが何冊もあります。合計すれば何十冊という数になると思います。ひょっとすると死ぬまで読まない本というのが自分の書架にあるかもしれない、と思うと不思議な気がします。
30 Aug 2004 19:33:30 +0900
→いや!その言葉は全然下ネタではないです。そっち方面の意味しか知らない彼氏の教養が足りないだけです。手近な
国語辞典をひいてみてください。
30 Aug 2004 22:52:14 +0900
→槇原も全ての曲を聴いているわけではないので、彼自身に関する評価は控えたいところですが、僕が耳にした曲に関しては、ちょっとあんまりでしょうというところです。その他、ドラゴンアッシュ・長渕剛あたりは気に障りますね。曲単位で言うとそれはもう数限りなくありますが、『世界に一つだけの花』は近来まれに見る大ヒットでした。
好きな曲は何で好きなんかな。いい人はいいね、いい曲もいいね、としか言えないなあ。難しい。
30 Aug 2004 23:35:56 +0900
→それはもちろん、僕が尻に敷かれているからに決まっています。枕を取られて僕は、明け方まで眠れないほど腹が立ったのですが、妻の方は、枕を奪っても僕が怒らないだろうという信頼を僕に対して持っていたからそういう振る舞いをしたわけでもあって、それはそれでカワイイ奴だと思わないでもないわけです。長いこと一緒にいるといろいろ面白いです。
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