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2004/04/01 [木]   

■先週の土曜日に卒園式を済ませた文人の、最後の登園日だった。送り迎えもとうとうこれで本当におしまいだ。育児はこんなふうにして少しずつ終わりを告げていく。寂しいことこの上なし。保育園児の文人はほんとうに可愛かった。こんな子供に育つとは想像していなかった……。
 暗くなった帰り道、文人が聞く。「とうちゃんは小学生になるとき、何を考えてたの?」。懸命に33年前の記憶を探ってみるけれど、教室の匂い・新しい教科書の匂いしかおぼえていない。さらに文人は「小学校、楽しみだ。でも、ちゃんと行けるかなあ」と。大丈夫だ。ちゃんと行けないような小学校なら、このとうちゃんがぶっ壊してやる。

■昼間は小学校教員志望のもと生徒さんと歓談。講師室に質問に来ていたのがついこの間だと思っていたら、もう今年は採用試験を受験するのだという。今さらながら時間が経つのははやい。年々はやい。受験生の時から子供が好きで、教員志望だという話は聞いていたので、ぜひ初志を貫いてほしい。
 俺は小学生の親の立場として、教員に知っておいてほしいこと、親からみてヘンだと思う学校や教員の話をさせてもらった。上司や教育委員会の方を見ないで、子供や親に顔を向けていれば、たいていの教員は良い教員になると思うのである。教員になろうと決意した学生時代は、きっとみんなそうだったに違いないのである。俺のもと生徒さんには、今の気持ちを持ち続けてもらいたいと思った。


2004/04/03 [土]   

■文人は1日から麦人が通う学童保育へ一緒に通っている。最初の日は環境の激変についていけず、収拾がつかないほど大泣きとか脱走したりとかするのではないかと、あまり遠出せずに自宅待機していたが、大丈夫だったようである。麦人を放って一人で帰ってきた。文人曰く「むぎちゃんは、早く帰ろうって言ったのに、友達と遊んでいて全然歩かないから先に帰ってきた」、麦人に言わせると「Kくんと帰るからちょっと待っててって言ったのに、文人がどんどん先に歩いて行っちゃった」。立場が異なれば認識も異なる。正しい「歴史」などどこにもなく、どのような立場を選択するかが問題なのであろう。

■夕食後、麦人がプロレスをやろうという。「本気でかかってこい!」などと言う。「泣いても知らないぞ」と決意のほどを確かめたところ「誰が泣くもんか!」と強気である。よし、ならば、ということで、少々ヒール色を強めてタイガージェットシンのような引きつった表情を作り、まず麦人の頬を大きな音で痛くないように張り飛ばした。続いて彼の尻を川田利明ばりのサッカーボールキックで軽く蹴り上げ、さらにマウントポジションを取って藤田和之の如くタコ殴り(のふり)だ。
 俺の圧倒的優位に、文人が麦人に加勢して俺を押し倒そうとする。いつも文人は俺の味方をして麦人にキックを打つのだけれど、本質的には麦人文人の平成世代連合を結んでいるので、麦人が本格的にやばいとなればためらわず俺に立ち向かってくるのである。その文人にも、ジャイアント馬場ばりの逆水平(馬場さんみたいにそうぅっとね)を食らわす。いつもの受け専門のとうちゃんが攻撃型ヒールに豹変していることに子どもたちは動揺を隠せない。
 麦人の上にのしかかって腕の動きの自由を封じたら麦人が泣き出した。つられて文人も泣き出した。ここでヒールをやめたら格好が付かないので、マッチョポーズを取ってリング(ふとんの上)をのし歩いていたところ、麦人が「おとうさん、ひどいよ!」と泣き声で言う。「こんなおとうさんはいらないよ!」とほんとに怒っている。文人も「おかあさんが帰ってきたら、おとうさんのことをきらいになってって言うからね!」と涙まみれの顔で言う。そして二人は靴を履いて、玄関から外へ出て行ってしまった。どうやらちょいとヒールに徹しすぎたようである。
 5分ほどして2人揃って帰ってきた。国道2号のあたり(徒歩1分)まで家出していたらしい。すまん、とうちゃんが悪かった、おかあさんにはないしょにしておいてくれ、ということで和解して3人で入浴。

■フォームメールへのお返事
1 Apr 2004 18:27:45 +0900
→ようこそいらっしゃいました。鳥取予備校の生徒さんからメールをいただくのは初めてです。この仕事で最初に教壇に立ったのが鳥取予備校でした。あの頃は授業も講師室もめちゃくちゃでしたなーあははは。鳥取予備校で修行させてもらったからこそ、何とか今日まで続けていられるわけで、今も感謝しています。日程その他の条件が合えば講習に行くつもりは大ありです。S校長に投書して下さいませ^^ 

2 Apr 2004 13:42:21 +0900
→「<民主>と<愛国>」、もちろん持っています。ただし、持っているだけで3ヶ月以上です。ごめんなさい。今月中に読みます。

2 Apr 2004 17:06:34 +0900
→遠距離恋愛ですか。まかせて下さい。僕は京都−横浜、松江−横浜、松江−鳥取、鳥取−神戸間の遠距離恋愛経験・別居結婚経験を持つベテランです。数々の困難を乗り越えて2児の父となりました。今は携帯もネットもあるんだから、僕のころよりずっと距離は縮まっているはずですよ!きっと大丈夫。


2004/04/04 [日]   

■昨日今日と春期講習。今年度の仕事始めである。毎年、最初に教室で顔を合わせるときは緊張もするし、こんな感じでいいんかいなと不安になる。今回もそうだ。が、毎年そう評判は悪くはないからたぶんこれでいいんだろう。日本史について語ることは喜びである。それが伝わればさらに喜びである。今年も頑張れそう。

■学童保育の例会。新1年生が大量に入ってくれて吉。でも交流会とかは苦手だ…。ごめんなさい。みなさん大好きです。

■桜は嫌いではないが花見は好きではないかもしれない。酒は飲まないし、敷物を敷いて花の下で飯を食べるのもなんだかなあ…である。それって人間とのコミュニケーションで花とのコミュニケーションではないような気がする。あ、花見って人間同士のコミュニケーション行事だったのか?一人で花の下を歩くとか、阿久沢と二人で歩くのならいいかもしれない。
 哲学の道で眺めた夜桜は良かったなあ。豊田勇造の『桜吹雪』を聴いた20歳だったから尚更。「四月の初めは夕暮れのこと/風があんまりなまめかしくって/ぶらっと外へ出てみたら/春は薄い桃色霞/川のあたりをぼかせてみせる/夕暮れもぼかせてみせる/人通りはあんまりない/桜吹雪」。その時はこの歌を愛でるために一人で花見をした、気がする。
 あと、桜の下で死ぬるのはもちろんいいですね。願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃 西行 よくもまあこれほど満願成就な死に方を思いついたものだと感心する。欲が深いな西行さん。

■枚方のちょっと時代に取り残されたようなデパートにうっとり。こういうデパートのエスカレータやエレベーター、ゲーセンを行ったり来たりしていたのだ、小学生の頃。


2004/04/05 [月]   

■朝から雨なので子どもたちを映画に連れて行ってやろうと提案すると大喜びである。犬と熊とどっちがいいか?と尋ねると、二人とも、熊がいい、というので『ブラザーベア』に決定(犬は『クイール』)。
 六甲アイランドのシネコンは7割の入りと言うところ。正直言って、内容はディズニーの中でもカス、フィル・コリンズの音楽がなければ睡眠ものだと思われたが、まあ子供が楽しんでいればいいや、と思って観ていた。
 ところが、だ。終わってから二人に「面白かった人?」と尋ねると、文人は「はーい!」と手を挙げたのだけれど、麦人は挙げない。「面白くなかったんか?」「ううん。眠くなって寝ちゃったから、話が分からなかった」と言う。このやろう。お前らのために糞シネコンで糞ディズニーの糞映画を観に来たのではないか。しかし、眠いのは生理現象だから仕方ないと言えば仕方ないし、映画が面白くなくて寝ていたのならば麦人を褒めるべきだとも言える。腹は立つが叱るわけにもいかず、以後3時間、俺は極度に不機嫌な状態が続いた。

■唯一興味を惹かれたのが、主人公たちの村では、人々は成人するにあたり、祖先霊の集合体である「ビッグスピリット」からシャーマンが預かってきたトーテム(熊・鷲といった動物で象徴される。愛・勇気・知恵、といった意味が込められている)を信じて生きるという風習である。これは、いわゆる「自分らしさ」を自分で探すのではなく、外部から与えられ、それを受け入れて生きるということである。信じ、受け入れることが、その人間を幸福に導くと信じられているのである。
 今みたいに、トーテムを自分で探さなければならない、というのは、しかもそれが賞賛される社会ってのはシンドイよなあ。いや、自分で探した方がベターだとは俺も思うんだけれど、外部から与えられるというのもありだよ、っていうのを弁えた上で自分で探すようにした方がいいんじゃないかと、ふと思った。


2004/04/06 [火]   

■午前中赤本の原稿を仕上げて、昼はスポクラ。ゆるゆると。

■夕方に鍼灸院で右肩にハリを6本刺してもらう。新学期の開講も近いし、少しでも早く治しておきたいのである。鍼灸師の先生は「こことこことここに2本ずつ入れると効くと思いますが、大丈夫?怖いことないですか?」と何度も確かめる。「何本も刺すと、怖がってそれっきり二度と来なくなる患者さんがいるんですわ」と。俺は東洋医学は何となく好きなので(このへんはオウム真理教の人々と相通じるものがあると感じる)、ツボとかハリとかに全く抵抗はない。「どんどんやってください」ということで、6本刺して電気も流してもらった。おかげでかなり軽くなった気がする。
 身体の外からメス入れたり薬飲んだりがメインの西洋医学に対して、身体の内部の治癒力・回復力を高めていこうとする東洋医学(と大雑把に理解している)。この、自分自身の内部から、ってのがどうもクセモノらしいということを最近は考えている。ハリは効くんだよ。そうじゃなくて物事の考え方の問題だ。でもこれらは全て通底している。1980年代という時代を考えるとどうもそんな気がする。

■個性を大事にする、という方針を掲げることじたい既に個性を大事にすることに反しているわけだが、ほんとに文部科学省は馬鹿だな。
 学校は読み書きそろばん、ようするに学力だけしっかり付けてくれればそれでいい。生きる力とか個性とか心の教育とかよけいなことをするんじゃない。したらしたでそれをネタに子供に話をしてやるからまあいいけどな。

■さて文人の入学式も近い。もちろん日の丸には頭を下げず、君が代も着席して歌わないわけだが、保護者には何のおとがめもない。しかし学校の先生が同じことをすると処分されるらしい。処分までしないと歌われない歌・頭を下げられない旗はかわいそうだ。文部科学省と教育委員会こそ、日の丸・君が代の品位を落とし、ひいては皇室の尊厳を汚すものである!不敬だ!
 それにしても雅子は気の毒だ。ダイアナの例もあることだし、もう離婚して自由にしてやれよ。子供が出来ない・鬱、まさに日本の象徴になっちゃったじゃないか。ここらで天皇制は自然消滅ということにしようじゃないか。


2004/04/07 [水]   

■だーかーらっ、俺はやめとけってあれほど言ったんだっ!どうなってももう知らないからな。イラク人はなるべく死ぬな。死なずに敵を倒せ。自衛隊は早く帰ってこい。命と税金を無駄遣いするな。

■終日、自宅周辺で過ごす。原稿仕事と家事。

■麦人文人は『SASUKE』を朝から楽しみにしていて、番組が始まるまでに夕食を済ませてテレビの前に座り込んだ。チャレンジャーが関門をクリアしたり、あるいは無様に水中に転落するたびに立ち上がって踊り回る。これほど全身で全智全霊を込めてテレビを楽しむ人たちは見たことがない。
 女性チャレンジャーが失敗すると麦人は「女の人はおっぱいがびよーんてなるから落っこちちゃうんだよ!」嬉しそうに文人に説明する。文人も大笑いしながら「そうそう!おっぱいがびよーんだよね!」と相づちを打つ。あまりに楽しそうなので、特例として番組が終了する11時まで視聴を許可した。

■ノド痛い。熱が出そうな悪い予感も。


2004/04/08 [木]   

■イラク各地でシーア派蜂起・サマワでもシーア派蜂起とくれば、サマワ復興のために派遣された自衛隊はどうするべきか?イラク人に銃を向けるか?このままおめおめと日本に逃げ帰るか?とんでもない。イラク人のために来た自衛隊なのだ。
 現地司令官は決意する。かつて大日本帝国はアジア解放のために戦った。自衛隊が、この世界を一元的支配の元におこうとするアメリカの犬であってよいはずはない。日本が真の国家であるためにイラクでできることは何なのか?誰にも喜ばれない、学校の修理屋の真似事をすることか?断じて否!
 「バグダッドへ!。敵はバグダッドにあり!。ムスリムと連帯し、CPAを打倒せよ!」。平成のサムライ・自衛官たちはベレー帽に代えてカフィーヤを頭に巻き、バグダッドへ向けて進撃を開始した。
 北一輝よ現れよ。

■現実問題としてはただちに帰ってくるが大吉であろう。

■ノド痛い。熱はないんだけど、熱があるようなイヤな感じが続くので医者行って薬もらってきた。風邪ごときで医者にいくのは意味ないなと思いつつ、健康保険料払っているんだから3割負担といえども行かないと損だという気持ちが交錯した。

■光玄の『ばれたら終わりや』をヘビーローテーション。これ名盤だわ、やっぱり。神戸市民は特に必聴。「手をつないでもいい/嫌いだった野郎たちと/仕掛け人の腹わた/引きずり出せるなら」(『R−2』)。

■アメリカ軍空爆によるファルージャの死者たち(死体写真あり。クリック注意)。子供が多い。テロリストはどちらなのか?
http://english.aljazeera.net/InPictures/Falluja-Siege07-04-20041.htm
http://english.aljazeera.net/InPictures/Falluja-Siege07-04-20042.htm
http://english.aljazeera.net/InPictures/Falluja-Siege07-04-20043.htm
http://english.aljazeera.net/InPictures/Falluja-Siege07-04-20044.htm
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http://english.aljazeera.net/InPictures/Falluja-Siege07-04-20046.htm
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http://english.aljazeera.net/InPictures/Falluja-Siege07-04-20048.htm
http://english.aljazeera.net/InPictures/Falluja-Siege07-04-20049.htm
http://english.aljazeera.net/InPictures/Falluja-Siege07-04-200410.htm
http://english.aljazeera.net/InPictures/Falluja-Siege07-04-200411.htm
http://english.aljazeera.net/InPictures/Falluja-Siege07-04-200412.htm
http://english.aljazeera.net/InPictures/Falluja-Siege07-04-200413.htm
http://english.aljazeera.net/InPictures/Falluja-Siege07-04-200414.htm
http://english.aljazeera.net/InPictures/Falluja-Siege07-04-200415.htm
http://english.aljazeera.net/InPictures/Falluja-Siege07-04-200416.htm



2004/04/09 [金]   

■ヘタレ国家と言われても構わんから自衛隊は撤退しちゃえ。そんなヘタレの日本なら大好きです。ここは胸を張ってヘタレよう!

■30歳代の大人2人については半分は自己責任だと思う。官房長官福田が渡航自粛を呼びかけている地域に入ったからこうなるんだと言わんばかりの口調で話すのはムカつくが(元はといえばおめーらが自衛隊なんか送り込むからこうなったんだ)、一面はその通りといわざるを得ない。たとえ自分がイラク人を援助しにきたつもりでも、日本人であるというだけで拘束・殺害される可能性があることは承知していただろう。しているべきである。
 もちろん、だからといってほっといていいわけはない。アメリカに尻尾を振ってみせるために送り込んだ自衛隊をサマワに置き続けることと、前途有為な3人の命と天秤にかければ、自衛隊を撤退させる方がいいに決まっている。政府もメンツがあるから「撤退要求→すぐ撤退」というわけにはいかないと思うので、日本政府のメンツが立つような筋道を誰か考えてくれ。
 18歳の少年の場合はちょっと違う。親や周囲の大人は止めなかったのか?送り出すときにこういう事態を予想しなかったのだろうか。麦人文人が同じことをしようとしたら、尊敬はするが身体を張って阻止するつもりである。出発前夜にパスポートと航空券を燃やす。

■ここでこんなことを言っても仕方ないのだが、武装勢力ももうちっと人質を選べよ。弱い者を拉致るなよ。やりやすいところから手を付けるのがムジャヒディンなのかよ。尊敬できねえな。せめて自衛隊の指揮官とか日本の外交官とか、石油利権を漁りに来た商社マンとか、そういうのを狙えよ。弱い者いじめは支持されないぞ。

■明日は文人の入学式。文人は小学校と学童保育の区別が今ひとつついていないようで、「もう入学式は済んだよ」と不思議そうに言う。今まで毎日保育園に通っていたので、毎日通うところが保育園から学童保育に変わったと思っているようである。春休み期間は朝から夕方まで学童にいるからね。
 「学童で友達できたか?」と尋ねると、胸を張って「できない!」と言う。でも学童保育は楽しいそうで、毎朝嬉々として通っている。心配はなさそうだ。
 朝、家を出るときは麦人と二人そろって「行ってきます!」と手を振るのだが、指導員さんに聞くところによると2人ばらばらに来るらしい。どのあたりかでわざと別ルートを取っているようだ。兄弟の付き合いは長く親しく続くから、こういう付かず離れずの感覚がいいんだろうなあ。面白い。


2004/04/10 [土]   

■われわれイスラム教徒であるイラク人民の息子は、おまえたちへの友情と尊敬、真心を示してきた。しかし、不幸にも、おまえたちはわれわれの友情と真心を拒否し、不義理をもって応え、異教徒の米軍を補給面で支援し、兵士たちがわれわれの神聖な土地を侵し、汚すのを助けた。また、われわれの血を流し、子どもたちを殺した。だから、同じことをもって返答するのがわれわれの義務である。おまえたちとおまえたちの友情は歓迎されない。

 おまえたちはそうした立場でわれわれに戦争を宣言した。われわれは、おまえたちの3人の子どもはわれわれの武器の中にいると告げる。われわれはおまえたちに2つの選択肢を与える。おまえたちの部隊を撤収し、来た所に戻るか、われわれが彼らを生きたまま焼くかだ。おまえたちに与えられる猶予期間はこのテープが放映された日から3日間だ。
(2004年4月9日 時事通信社 専門ニュースサービスから抜粋)

■この声明はもっと真剣に読まれるべきである。彼らからの、現在までのところ唯一のメッセージだ。自衛隊は撤退するべきではない、人道支援を行っていたのだから撤退する理由がない、などとほざく輩は、太字部分を熟読せよ。この部分に限っては俺に反論はない。その通りである。日本人は、アメリカ人に手を貸すことで、イラク人虐殺に手を染めた。その報復がこの3人の上に加えられるべきだとは思わないが、彼らをこのような蛮行に駆り立てた第一原因は、日本政府にある。そのような日本政府を放置した日本国民にある。
 戦争に反対する者・自衛隊派遣に反対するものに対して「現実を知らない」「国際情勢に目を向けない」「平和ボケ」なるレッテルが貼られることが多いが、自衛隊が本気で人道支援をしている・できていると思う者たちこそ現実を知らないというべきである。

■サマワ周辺で迫撃砲・投石事件頻発→今回の人質事件とは無関係に人道支援活動は不可能→今回の件とは無関係に自衛隊撤退→人質解放、という流れにならないかなぁ。というか裏ではそう動いているはず。うまくいくといい。
 ただし、自衛隊派遣に反対した人たちが自衛隊機で帰ってくるのはあまりにみっともないので何とかしてくれ。

■文人の入学式。2年前の麦人の時と同じ式次第だった。文人がブレザーの裾からシャツをでろんと出していた。君が代で着席するのも同じ。回りを見たら、保護者は立っているだけでほとんど歌っていなかった。
 どちらかといえばトピックは麦人の方にあった。入学式の日、2年生以上は先生の着任式のため通常通り登校しなければならなかったのだが、麦人はなぜだか休校だと思いこんでいて、親も出席しないんだから登校したってしかたないだろうとそれを疑いもしなかった。で、麦人は意気揚々と直接学童保育へ向かったのだが、指導員さんに「今日は着任式じゃないの?」と言われて動揺。学校へ向かったところ既に着任式は終わってみんな下校してくるところと擦れ違ったため、どうしていいか分からなくなってめえめえ泣きながらうろうろしているところを親に発見され、結局泣きながら入学式に出席した。3年生の初っぱなから味噌が付いてしまい、ショックが大きかったのだろう。

■後退戦を丁寧に戦うべし。それが俺の仕事のような気がしてきた。


2004/04/11 [日]   

■朝顔の種を蒔いた。彼らを遺した親朝顔と同じ場所に。
 朝顔とかひまわりとか、蒔いておけば後は放置して済み、その割には派手な花を咲かせる植物を育てるのは楽しい。去年の夏など、ぱらぱらと蒔いただけの朝顔が、7月に入ってからまるで打ち上げ花火のようにぱんぱんと毎朝花を開いてくれて小気味よかった。今年も期待している。

■今後機会があれば育ててみたいもの。動物ならインド象。植物ならラフレシア。あと、女の子。

■1年生になったので、文人は今日から一人でスイミングに行き帰りするのである。もう十分それは可能で、本人も分かっているのだけれど、玄関で彼はにやにや笑いながら「こわいこわい。一人じゃ行けないよ」と繰り返す。1年生のプライドと、いつまでも親に護られていたい気持ちのせめぎ合いが彼の笑顔に丸見えだ。
 俺だって、もうちょっと送り迎えしてやりたいのはやまやまなのである。「今日もバタ足上手だったねぇ」とか言いながら、文人の手を握って夕日を浴びて帰り道を歩きたいのである。野生動物ではないから、歯を剥いて巣から追い出すことはしないけれど、少しずつ突き放すのも親のつとめなのだ。
 たぶん今の時代、親がどのタイミングでどんなふうに子供を突き放すか、というのはしっかり考えておかないといけない問題の一つだ。子供に手間を掛けること、子供を構うことは割と無条件で善であると思われる時代である(そうでなきゃ、働いている娘息子を実家に置いておく親がいるわけない)。親が構えば子供も構ってもらうことを期待する。永久にそれが続くなら良いが、どうやっても親が死んだ後、子供が数十年生きなければならないのだ。子供は実家を出るべし、親は追い出すべし。
 問題はタイミングだ。小学校へ一人で行く。スイミングへ一人で行く。買い物に一人で行く。鎌倉のおじいちゃんちに兄弟二人で行く。そういう積み重ねの中で、実家から突き放す・飛び出すタイミングをお互いに測っていくのだろう。それが出来ていれば、早い時期から、実家を離れても食べていける仕事・キャリアを獲得する準備もする気になるだろう。

■…などという心配をしなくても、文人はたぶん20歳過ぎくらいに「彼女と暮らすから引っ越すわ」とか言って、にこにこ、あっさりと家を出て行く気がする。麦人は長居しそうな予感。


2004/04/12 [月]   

■文人を散髪に連れて行った。文人はいろんな部分で俺に似ていて、床屋さんが大嫌いだというのも俺の幼少期と同じである。具体的にはバリカン(「うぃーんうぃーんいやだ」)と刈り上げ(「はげはいやだ」)を忌避している。ここ数年、文人の髪の毛は阿久沢が庭でカットしていた。それでもいざカットしようとすると、30分以上はごねるのが通例であった。
 でも、いよいよ明日から小学校1年生としての生活がスタートする。「1年生だからかっこよくしよう。パパの行く床屋さんは上手だからそこへ行こう」。「うぃーんうぃーんしない?はげにしない?坊ちゃん刈りもいやだ」と何度も念を押す。「ちゃんとパパが床屋さんに頼むから、大丈夫」。と、数回同じやりとりを繰り返し、ようやく床屋さんに行く同意を取り付けた。
 ところがあてにしていた床屋さんが満員で、今日はあきらめようかと思って家に引き返す途中、近所にありながら今まで存在が眼中に入らなかった小さな床屋さんが国道2号の向こう側にあるのに気がついた。試しに行ってみようか、と入ってみたら、優しそうなおじさんが「いらっしゃい」してくれて、意外にも文人は素直に理髪椅子に登った。
 30分後、文人は「気持ちよかった。痛くなかったよ。今度もここに来る」と、現金なものである。

■うちの子供たちは、例えば彼らがまだ経験したことがないAという提案(たとえば海外旅行へ行く・行ったことがない公園に行くetc)をすると、まず不満を表す。「いやだ。B(経験済み)がいい」と言う。ところが、半分無理やりAに連れて行くと、十中八九、「Aは面白いね!」と大喜びなのである。そろそろ、「自分たちが未経験なことでも、父ちゃん母ちゃんが連れて行ってくれるものはたいてい面白い・後悔はしない」ということを学んで欲しいのだが。

■イラク人質事件について、その全体像が分かるのはおそらく10年後くらいだろう。今現在、日本政府と武装勢力がどんな交渉をしているのか(あるいはしていないのか)、自衛隊は撤退するのかしないのか、武装勢力内部とその周辺でどんなやりとりがされているのか、俺には見当がつかないし、知る手だてもない。憶測であれこれ言うのは俺と阿久沢の間だけにしておきたいと思う。
 ただ、今回の声明文を読んで、日本人がイラク人(の少なからぬ部分)にどのような目で見られているのかを、日本人はしっかり受け止めるべきである。一番大事なのはそこだと思う。
 日本政府はひょっとしたら本気で「自衛隊は人道支援に行っている」と思っているのかもしれないが、そうは思っていない人々・全く歓迎していない人々が、イラクにはいるのである。それをしっかり自覚することが、今回の事件で得られる最大の教訓である。「自分はAと思っていても、相手はそうは思わないかもしれない」という想像力は基本中の基本だと思うが、今の日本政府・日本国民はそれすら失っているのかもしれない。それでは困るのでもう一度太字で引用する。
 「おまえたちはわれわれの友情と真心を拒否し、不義理をもって応え、異教徒の米軍を補給面で支援し、兵士たちがわれわれの神聖な土地を侵し、汚すのを助けた。また、われわれの血を流し、子どもたちを殺した。」
 「おまえたち」に俺が含まれていることを、俺は自覚し恥じる。

■今日読み終わった本。
土井隆義『〈非行少年〉の消滅』−個性神話と少年犯罪−」(信山社)
→俺は馬鹿なヤツを見ると「馬鹿!」と指摘することで満足してしまうが、筆者は決してそういうことは言わず、誰が見てもそいつが馬鹿であることを納得できるように言葉と論理を積み上げていく。学者とはそういうもので、だから俺は決して学者にはなれない。心の奥底に「この馬鹿野郎がぁぁぁぁぁっ!!」という熱い叫びを持っていない学者はハナクソ以下である。その意味でこの学者は信用できる。すげえ面白い本である。俺はこれからもう一度読むよ。
 「個性」というものは自分の中に原石のように埋まっているものであり、個性は努力して確立するのではなく、既に完成された自分の中に「発見」するものである、というのが近年の若者のメンタリティだ、という指摘には瞠目しました。だから『ヒカルの碁』も『テニスの王子様』も『遊戯王』も、最初っから強いんだな。
 「自分にしかできないことがある」「自分を見つけるために生きる」、嘘だぜ。そういう思念が君を苦しめる。君はワンノブゼムだ、君は大勢の中の一人だ、君はただのにいちゃんねえちゃんだ、君は何の変哲もないただの人だ、凡人だ凡人だ。『世界でただ一つの花』、ありゃ悪魔の歌だな。


2004/04/13 [火]   

■文人の最初の登校日。朝、文人は「学校、何をやるの?教科書は持って行かなくていいの?(俺「最初の日は教科書は使わないんだよ」)でも、先生が教科書出しなさいって言ったらどうするの?ううううう」と、不安にさいなまれて顔を歪ませて頭を抱えていたのであった。
 行ってしまえば楽しんで帰ってくるのは分かっているのだが、不安なのは当たり前である。でも文人は乗り越える力がちゃんとあるので、抱きしめて肩を叩いて送り出せばよいのである。
 案の定、帰宅後はにこにこであった。「明日も学校行く!」と俺の目を見てはっきり言った。
 学校がいいところだとは口が裂けても俺は言わないけれど、これから十数年、君は学校という場にいることになるだろう。ならばせいぜい楽しむことだ。

■おととい首相宛に「自衛隊撤退しろやゴルア」という趣旨のメールを送ってみたところ、さっき返事が来た。
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 小泉総理大臣あてにメールをお送りいただきありがとうございました。いただいたご意見等は、今後の政策立案や執務上の参考とさせていただきます。
 皆様から非常にたくさんのメールをいただいておりますが、内閣官房の職員がご意見等を整理し、総理大臣に報告します。あわせて外務省、外務省、内閣官房安全保障危機管理担当、防衛庁へも送付します。
 今後とも、メールを送信される場合は官邸ホームページの「ご意見募集」からお願いします。

                   内閣官房  官邸メール担当
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> 外務省、外務省、内閣官房安全保障危機管理担当、防衛庁へも送付します

とあるところを見ると、自動返信機能ではなく、いちおう内容をチェックした上で返信しているようである。文章はコピペに決まっているが。
 メール送ってちっとは役に立つのか立たないのかは分からない。たぶん立たないであろう。自己満足と言われればその通り。でも、自己満足だから、と冷ややかに眺めているよりは寸分マシであると思って送った。

■社会や政治を変えようと思って人々が行動を起こすとき、その行動に意味がある、すなわち社会や政治を変えるのに有効である、というリアリティが必要だ。その手の行動としてすぐに思いつくのは、街頭デモ・ビラまき・署名・関係機関にメールを送るというあたりだが、正直言って俺はそのどれにもリアリティを感じることができない。
 もちろん署名やメールは求められればするし、余裕があればデモにも行くけれど、「やらないよりはまし」程度の気持ちしか俺にはない。おそらくこの感覚は多くの人に分かってもらえるのではないだろうか。
 だからイラク戦争反対・自衛隊派遣反対の声が日本では盛り上がらない、というのは、そういう考えを抱く人が少ないのではなく、リアリティを感じる回路がまだ見出されていないということだと俺には思われる。人々がリアリティを感じない回路で反対の意見を表明しないからと言って責めることはできない。むしろ誠意ある態度とも言えるだろう。
 じゃあどうしたらいいのか、俺に分かるはずもない。が、一つ言えるのは、「見て聞いて考え続ける」ということである。昨今の日本人は、宙ぶらりんが不安なのか、戦争反対・賛成いずれにしても、自分はこうだ!という立場を決め、それ以降は思考停止に陥りがちのように思われる。例えば「現実を見ろ」と主張する戦争賛成派のほとんどは、「現実を見ろ」と言うことによって自分は現実を見ているつもりになって、そこで終わっている。
 俺は普段あんまり人と話をしないので、飯を食いながらイラク戦争について意見交換などはもちろんしない。が、ネット上でいろんな人々の発言を見ていると、ああ、こういう風に「見て聞いて考え続ける」人々はちゃんといるなあ、と安心するのだ。


2004/04/15 [木]   

■ふとんの上で海鼠のように思い思いに眠っている息子たちだが、小便に起きるたびに親に寄り添って横になる。俺の横は麦人、阿久沢の横は文人、と位置が決まっている。麦人は3年生になっても父親に添い寝してくれるのはありがたいのだけれど、脚を俺の腰に乗せたり、寄り添うつもりでがんがん寝返りをぶつけてくるので俺は眠れない。麦人の愛には申し訳ないんだけど、俺は麦人がさっきまで寝ていて今は空席になっているスペースに移動する。何時間かすると、小便に起きた麦人はまた俺の横に来る。その繰り返しである。
 子供の寝顔を9年も見続けてきたが、いいものはいい。寝息が顔に掛かるとさらにいい。

■昨日までに読み終わった本。
森達也『下山事件(シモヤマ・ケース)』(新潮社)
→「汽車は走り続ける。本来の路線だった隣り合わせのレールは、いつのまにか大きく距離を開けながら、遙か彼方に遠ざかっている」。
 ここに君がいるのは、あそこに君がいたからだ。君が向こうへ行くためには、ここを通らなければならない。君は、あそことここと向こうの間でしか生きることはない。あそこと、ここで、いったい何があったのか。それなくして君はどこにもいない。ファッキングな自分探しなど今すぐやめよ。飯を食ったら歴史を学べ。

森浩一『山野河海の日本史』(朝日新聞社)
→長年の研究によって蓄積された知識を、おもちゃ箱を丁寧にひっくり返すように並べてみました、というスタイルの本。知識として俺に何が付け加わったのかと言われるとよくわからないのだが、きれいなビーズやかっこいい刀をたくさんみることができてよかったなあ。

■フォームメールへのお返事
4 Apr 2004 18:15:06 +0900
→はーい、こんにちは。

4 Apr 2004 23:18:31 +0900
→そうですね。もうなんかそれだけで十分だと僕は思ってしまいます。何にもなる必要はないし、誰かの役に立つ必要はないし、歴史に名を残す必要もないし。

7 Apr 2004 22:36:40 +0900
→一人前のレジうち職人ですね。「あるべき金額」と「実際にある金額」がぴったり合うと、妙にうれしいもんです。ささやかだけど大事なシアワセ。

7 Apr 2004 22:41:06 +0900
→スエード、名前は知っています。おすすめアルバムを紹介されたし。

10 Apr 2004 14:03:45 +0900
→うーん、その女の子が人前でべたべたするのが好きなら別に構わないと思います。が、そういう子は少ないと思うので、まだ見極めが必要です。ていうか、一番楽しい時期ですね。すてきな春を。


2004/04/16 [金]   

■危ないから行くなと政府が言っているのに居ても立ってもいられずボランティアに行っちゃったり、危なければ危ないほど「すげえ写真を撮ってやる!」と張り切ってしまうのが個性というものである。個性個性と持ち上げる人たちは、その辺をよく弁えた方がいい。

■午前中は予備校の教科部会。年々受験生は減少しているので、どこもなかなか大変である。教務の苦労が忍ばれた。俺の仕事は目の前にいる生徒さんにしっかり日本史を教えることである。教室と黒板があって生徒さんがいれば俺の仕事はそこにあるのだから、それを誠心誠意やるべし。

■夕方からは今年から出講する現役予備校で講義。大阪中心部から少々離れた私鉄ターミナル駅前にある予備校で、生徒さんがすれていない。いい「気」が教壇と教室の間をぐるぐる回っている感じがした。あと教室が小さいのがいい。マイクなしで授業するのは気持ちいい。なかなか仕事をしやすい予備校であった。


2004/04/17 [土]   

■鷺沢萠自殺。35歳。読んだことないし、これからもたぶん機会はないだろう。病死・自殺問わず、30代後半は危ない年代のようだ。阿久沢の大腸ガンもそうだ。気をつけろ仲間たち。何とかサバイヴしそうな俺。

■来週からいよいよ仕事が本格始動なのだが、とにかく眠い。いくらでも寝てしまう。つくづく俺は馬力のない男である。安心して寝るために生きて働くとしよう。
 NHKに二瓶記者という人がいる。俺が朝日新聞の松江支局で働いていた頃、島根県警記者クラブでいっしょだった。イラク日本人人質事件の際、首相官邸だったか外務省だったかの中継でよく出てきた。朝9時のニュースに映っていたと思うと夜9時にも出てくる。毎日朝から晩までずっと働いていたようである。偉いと思った。俺も新聞記者を続けていたら、あのくらい頑張れたのだろうか。

■横山光輝といえば、少年チャンピオンに連載されていた『マーズ』をまず思い出す。核爆弾が凝縮したようなロボット「ガイア」がいて、それは少年マーズが命じるか、マーズ自身が死ぬことで爆発し地球を滅亡させるほどの破壊力を持つ。実はマーズは、大昔、地球人が宇宙の脅威になることを予見した異星人が、地球を滅亡させるために地中深く眠らせておいたのであった。
 ところがマーズは地球人との交流を深め、自分を創った異星人の思惑とは裏腹に、地球を守ろうとする。マーズを殺害しようとする異星人と、マーズおよび彼を守ろうとする地球人、という筋立ててあった。
 最終回、マーズを付け狙う異星人は全滅した。これでめでたしめでたし、ではなく、なんとマーズは、地球の覇権を握るためにマーズの身柄を確保しようとして醜く争う地球人に愛想を尽かし、自ら爆発の命令を発してしまう。「このとき太陽系第三惑星は消滅した」。
 小学校5年生だった俺は震撼した。俺は、地球の人々が何とか互いに許し合い、なるべく争いが起こらず、平和に暮らしてほしいというベタな願いを抱いているけれど、それを意識するきっかけのひとつは横山光輝『マーズ』にあった。合掌。
 こういうお話。http://www5d.biglobe.ne.jp/~tenmade/D-mars.html


2004/04/18 [日]   

■昨日から近所のダイエーが24時間営業になった。便利になったといえばいえないこともない。しかし、ダイエーで働く人はしんどいだろう。24時間開いているとなれば、それまで8時には大阪の職場を出ていた人も、終電まで働くことになるだろう。便利だけど誰も幸せになっていない気がする。早く気づけよみんな。

「民主党、参院比例区に歌手の喜納昌吉氏を擁立へ 」。
 やめれ!歌手は歌え!政治家は誰でもできるが、『花』は昌吉にしか歌えない。しかも民主党…。

■↑と、このニュースを最初に目にしたときには思ったのだが、考えが変わった。昌吉のパワーが、民主党ごときに吸収されるはずはない。民主党を利用できるという目論見があるから、昌吉はこの話を受けたのであろう。
 昔、ある対談で昌吉はこんなことを言っていた。「メジャーからレコードを出して、喜納昌吉も魂を売ったと言われるがとんでもない。メジャーのパワーをこちらが引き回すんですよ。そのくらいのパワーがこっちになければ何もできないんですよ」(記憶に頼ってるので表現は全然違うと思う)。対談の相手は豊田勇造。自主制作にこだわっていた勇造は、メジャーから音源を出すことで根底にある大切な何かが失われることを危惧する、という趣旨のことを言っていたと思う。どちらが正しいという問題ではなく、どちらの道を取るにしても、自分のやりたかったことを見失わなければよいことだ。
 政治家・喜納昌吉にも期待しよう。でも夏休みに俺が沖縄に行くときは「チャクラ」で歌ってくれよ。

■夜は京都・磔磔でソウル・フラワー・ユニオン。同じ時間帯に京都会館で上々颱風もやっていたのだが、今はあんまり癒されたい気分ではないので上々颱風には不義理をさせてもらった。
 磔磔は今年で30周年だという。俺が最初にこのライブハウスの重い木の扉を開けたのは今から19年前だ。ここはあのころと何も変わらない。こういう、古い酒蔵の中に、ロケンロールとかパンクとかギラギラした音楽が流れるのがいかにも京都。30周年おめでとう。
 でソウル・フラワー・ユニオンだが、新曲てんこ盛りで前向き前向き。マスターピースの数々もさらに練り上げられていた。最後の2曲、伊丹英子登場!『満月の夕』は伊丹ばかりに目がいってしまい、中川が何を歌っていたのかさっぱり印象に残っていない。伊丹のお囃子と視線の動きが会場を完全にコントロールしていた。やっぱりこの巫女はすごい。
 伊丹英子が歌う『海行かば山行かば踊るかばね』のお囃子(「玄界灘越えやって来た/オモニが唄えば/サバニに乗ってやって来たオバァが踊れば/アイヌモシリに風よ吹け吹け/フチが唄えば/魑魅や魍魎山河を撃て撃て/夜が明けても」)を聴いていたら、ローザ・ルクセンブルクの言葉を思い出した。「私は嘗て在り、今もあり、これからも在る(だったかな?『ローザ・ルクセンブルク 獄中からの手紙』の冒頭にあった気がする。ただいま現物が手元にない)」。過去と現在と未来は等価であり、過去<現在<未来、とする価値観は近代資本主義社会固有のものに過ぎず、普遍ではない。なんか全然脈絡がないのだけれど、そんなことが脳みその中でぐるぐる回っていた。

■こんな着メロあるのかぁ!!驚いた。携帯変えようかな。今の俺の携帯は着メロをダウンロードできないので。
http://mobile.goo.ne.jp/melody/16/2/%A5%BD%A5%A6%A5%EB%A1%A6%A5%D5%A5%E9%A5%EF%A1%BC%A1%A6%A5%E6%A5%CB%A5%AA%A5%F3/2SITE_ID/result1.html


2004/04/19 [月]   

■イラク人質問題をめぐって「自己責任」という一見自明の言葉が飛び交っているが、これはかなり眉唾物である。
 「自己責任」という言葉は、おおよそ以下の文脈で使われる。(1)今回、3人組は不用意にイラクへボランティアや調査・報道活動をしに赴き、武装勢力に拘束されたことは「自己責任」に基づくものであり、本来政府が救出する必要もない。(2)今回は特別に救出してやったのだから、かかった費用は本人と家族で分担せよ。
 もし、サマワで駐屯地に引きこもって1日3万円の手当をぼったくっている自衛隊に攻撃があり、自衛官に死者が出たら、政府や国民はどういう言葉を投げかけるであろうか。今回の人質事件のバランスを考えるならば、俺の口からは「自己責任だ」としか言いようがない。だって、そうなる危険があるのを承知で行ったんでしょう?自衛官だって奴隷みたいに連れて行かれたわけじゃなし、イヤなら命令を断るか、自衛官を退職すればよかったでしょ?分かってて、好きこのんで危険な場所に行って死んだり怪我したんなら、自己責任じゃないですか?
 まぁ、そんなこと言うのは、俺とmicmicさんくらいのもので、政府は死んだ自衛官を最大限に空虚な言葉で賛美し、国民も薄い涙を落としたりもするのだろう。
 しかし自衛官が死ぬのも誰かに責任はあるのだ。戦争なんだから、自衛官に爆弾をぶつけたやつも悪いが、そこに自衛官を行かせた政治家も悪い。石破“バカボン”茂防衛庁長官と小泉“薄笑い”純一郎首相である。彼らを閣僚・首相に選んだのは誰か?衆議院議員と参議院議員である。では、その議員たちを選んだのは誰か?我々国民である。となって責任は無限拡散し、誰も追及されることなく終わる。もう一方にある「イスラム過激派が攻撃した」という事実だけが残って終わりである。
 今回のイラク人質事件であの3人は、誰からも命じることなく、自分自身の決断でイラクに赴いた。それはまさに自己責任であり、どこへも拡散することなく彼らの上にかかってくる。そういう目に見えやすい「自己責任」だけ、この国の国民は追及するのだ。矮小な国民どもよ死ね。だーれが、こんな糞国家・芋国民を尊敬するか!
死ね 死ね 死ね死ね死ね死ね 死んじまえ 黄色い豚めをやっつけろ
金で心を汚してしまえ
死ね 死ね 死ね死ね
日本人はじゃまっけだ
黄色い日本ぶっつぶせ
死ね死ね死ね
世界の地図から消しちまえ 死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
                    『死ね死ね団のテーマ』
 ■しかしながら3人のもと人質にも言いたいことはある。あなた方の正義感と勇気には敬意を表するが、もっと自分たちの行動を「政治的」にとらえてほしい。拘束されて人質になるという事態は予想の範囲外だったかもしれないけれど、銃撃されて死亡ということくらいは覚悟の上だっただろう。そういうふうに、民間人に危害が加えられたら、日本政府はそれを理由に自衛隊をいつまでも居座らせるだろうし、派兵を強化したり、イラク人に銃口を向ける口実にもするだろう。
 実際、この件を通じて、自衛隊を早期に撤退させることは難しくなった。世論も派遣賛成の方に傾いているかのように見受けられる。その「責任」は自覚してほしいものである。特に今井くん。君はまだ子供なのだから、人を助けるのもいいが、まず自分の生活をなんとかしなさい。

■阿久沢とほんの少しだけ老後の話をした。毎日、一緒に散歩して図書館に行って本を読んで、帰ってきてテレビを見たらそれでいいのではないか、と。公営住宅に住めば、月10万円くらいでやっていけるんじゃないかなぁ。


2004/04/20 [火]   

■今週から本格始動。好調。講義するのはやっぱり気持ち良い。身体を壊さないこと。よく眠りよく食べること。きちんと入試問題を研究すること。当たり前のことを当たり前にちゃんとやる1年にしたい。

■イスラエルの蛮行に思う。ひょっとして、彼らを全員ガス室に送らなかったのは間違いだったのかと。アドルフの警戒は正しかったのかと。もちろんアンネ・フランクの笑顔がすぐにそういう妄念を打ち消してはくれるのだが、一瞬でもそういうことを俺に考えさせるだけのことをしているぞ。アリエル・シャロンが俺の前に姿を現したら、俺はためらいなく殺す。貴様とブッシュが、この世界に憎しみをばらまいているのだ。俺の子供が生きる世界をこれ以上汚すな。糞どもが。
 ハマスの幹部の一人マフムード・ザッハール氏のインタビューを新聞で読んだ。この人もおそらく、遠くない将来にイスラエル軍のアメリカ製軍用ヘリで命を奪われることを覚悟しているであろう。それでいながら冷静に「報復を急がず、ねばり強く抵抗闘争を続けていく」「抵抗闘争の継続こそ我々のやり方だ」と語る。シオニストどもの冷酷な暗殺作戦は、このように冷静で達観した闘争者の魂を生んでいるのである。ナチスのユダヤ人虐殺がアンネ・フランクを生んだのと同様である。

■フォーム・メールへのお返事。
15 Apr 2004 17:03:51 +0900
→なるほど、そういう経路で「スエード」情報が僕のところにやってきたのですね。僕は自分の気に入った音源ばかり繰り返し聴く人間なので、こういう機会がないとなかなか新しい領域に手が伸びません。「ツタヤ」で見てみます。

18 Apr 2004 01:23:44 +0900
→そうか!磔磔にいたのか!今度のライブもよかった!「ワケわからんぐらい感動」ってほんまに正しい感動だと思う。その情動とマグマを、自分のバンドで表現して下さい。ちなみにそのコピーバンド、伊丹さん役はどんな人?


2004/04/22 [木]   

■いい具合に身体が疲れる。半分は肉体労働だからな。しかも急に気温が上がったし。目を閉じると30秒後には夢を見られる。
 まだペース配分がうまくいかない。精神・肉体とも好調なだけに、最初の1限目で飛ばしに飛ばしてしまったりして、4限目あたりでふらっときたりする。

■麦人・文人の小学校で授業参観&懇談会があった。俺は授業があってどうしても行けないから阿久沢が行った。1年生と3年生の教室を行ったりきたりしたらしい。文人はクラスで並はずれて大きいそうだ。
 同時に音楽の時間に使う楽器や、体操服の販売会があって、麦人のソプラノリコーダーがうちに来た。さっそく麦人は吹き鳴らす。まだ指で穴を押さえきれないから、空気が漏れて甲高い音が出る。うるさい。でも、ぴーひゃらぴーひゃら聞こえると、いかにも小学生がうちにいるなあという気分になってたいへんよろしい。
 あれは俺が小4の時だったかなあ。クラスでリコーダーを振り回していたら、先っぽが遠心力で外れて飛んでいき、蛍光灯に当たってその破片が飛び散ってしまい、先生に大目玉を食った記憶がある。あ、いや、あれは俺じゃなくて同級生だったのかなあ。中学生の時、箒を振り回して蛍光灯を割ったのと混同しているかもしれない。懐かしい記憶は自分と級友の境目もなく、朧な春霞の向こうへと。


2004/04/23 [金]   

■難波→枚方へ移動。今年度は校舎移動が週に2日ある(うち1日は3カ所移動)。ここ数年、あんまりなかったパターンなので新鮮な感じ。阪急回数券・京阪回数券・大阪市鉄道局回数カード・スルっと関西・ICOCA・JR回数券2種を入れたり出したり。

■イラクで人質になった人たちに費用を請求するという。冗談だと思っていたら本気らしい。呆れた馬鹿どもだ。小泉・福田以下、愚かな政治家どもには、近代国家とは国民の生命・財産を守るためにあるのだというイロハから教えてやらなければならないのか。
 とりあえず日本政府は人質を無傷で帰国させるという結果を出しているのだから、苦労したことについてこっそり愚痴を言うくらいは許してもよいだろう。「もう。行かないでって言ってるのに行っちゃうんだからぁ」。だが、それは彼らの業務である。業務には給与という形で対価が支払われている。その一言で終わりだ。
 おそらく政府は、自分たちが自衛隊を派遣したことに反対する人たちを救出しなければならないことにいらだちを感じたのだろう。政府の方針に従って派遣された自衛官については政府で責任を持つが、そうではない人々は持たない。政府に同調するか否かが、「自己責任」を負わせるのか否かを分けている。これは断じて許してはならない。
 政府に対する反対派、多数派に対する少数派を含み込んで自由社会は成り立つ。反対派・少数派であるからと言って、彼らの生命・財産を守らなくてよいという話にはならない。たまたま、政府の一政策(たとえば自衛隊の海外派兵)に同調しないからといって、国民の生命・財産を守るべき国家の業務が、少数派・反対派には及ばなくてよいとする根拠は何なのだろう。「頭が悪い」「馬鹿」であるとしか、俺には思えないのである。
 改正が検討されている教育基本法には、「国を愛する心を育む」だか何だかが盛り込まれるらしい。政府に反対するからという理由でこの国は国民を守ろうとしないのに、一方的に愛されることだけを要求する国家とはマカ不思議である。片思いを要求する日本国家。

■個人的には、あの3人(特に今井くんと高遠さん)と友達になりたいとは思わないが、糞日本政府と、矮小な芋国民の誹謗中傷からは全力で守りたい。胸を張っておれ。心配していた人々には謝ってもよいが、糞政府と芋国民には絶対に頭を下げてはいけない。

■ある政策をとるとき、その政策がひょっとしたら誤りなのではないか、少数派の危惧が当たっているのではないか、という畏れが、政権担当者には必要だと思う。政府があくまである方針で突き進むとき、それを是としない少数派が、政府とは別の、時には相反する実践を行う。それは実は、政府が取らなかったオルタナティブを代行する役割を果たすことさえある。人質の3人の存在は、イラク人の日本に対する信用を高めることにつながっていただろう。彼らが人質にならずにイラクで活動を続けられていたならば、自衛隊などには逆立ちしてもできないような、信頼関係が生まれていた可能性がある。そういった、「政府の方針には反するけれども、トータルで利益につながる反対派・少数派」を認めることができない、この国の指導者の狭量さには目を覆うものがある。
 俺はアメリカ大統領・政府に対しては最大限の憎悪を抱いているが、アメリカ人・アメリカ社会はそう嫌いではない。それは、アメリカには(少なくとも9・11までは)、「行き過ぎを押さえる」「自分に気がつかないことを気づかせてくれる」「政府ができないことを代行する」少数派・反対派を許容する風土があるように感じているからだ。マイケル・ムーアみたいな。


2004/04/24 [土]   

■昨日買ったCD。
『SWEET DREAMS for fishmans』
 フィッシュマンズのトリビュートカバーアルバム。曽我部恵一とかクラムボンとかUAとか。
 フィッシュマンズが出した音と、俺の耳と脳で受けた音は別物だ。俺には歌ったり演奏したりする技術がないから、フィッシュマンズがどんな風に聴こえたかを再現することはできないけれど、ミュージシャンたちはそれができる。俺が聴いたフィッシュマンズと、これらのミュージシャンたちが聴いたフィッシュマンズにどれくらいの開きがあるのだろうか。その振幅の大きさが大きければ大きいほど、やっぱりフィッシュマンズは大きくて豊かな存在だったなあと再確認してしまうのである。
遠藤賢司『純音楽一代−遠藤賢司厳選名曲集−』
 もう、どこまででもついて行きますです。

■中曽根康弘とか佐藤栄作ってのは打倒対象というか、明確に「敵」という認識を持てるのだが、小泉純一郎に関しては、まず軽蔑が先に立つ(石原慎太郎もそうだ)。「変な人がいるもんだね」「あなたとは意見が違うのだから説明しても仕方がない」「状況を見て判断します」としか言えない政治家は、少なくとも政党政治家の名には値しない。政党政治とは言葉によって己の拠って立つ思想を説明し、国民の支持を訴えることが基本であるにもかかわらず、小泉ほどその基本作業を蔑ろにしている政治家は見たことがない。
 だが、こういう愚劣な政治家の時代に、得てして取り返しのつかない出来事が起こるものである。一刻も早く小泉内閣を打倒すべし。馬鹿は芟除すべし。


2004/04/25 [日]   

■今日25日は麦人の9歳の誕生日。生まれたばかりの彼はまだ無表情で、初対面のときとても大きな目玉を見開いて、じーっと俺を見ていた。こっちは話しかけているのに目が合わないことも多かった。あのころは子供というより神さまに近かった。前世の記憶がまだ残っているかのように、天井を見つめて仰向けになっていた。他のどんな赤ちゃんより麦人はかわいかった。客観的に見てもモノが違った。麦人に比べたら、よその子供は豚か猿だと思った。
 今は、学童保育の友達9人とゲームしている。阿鼻叫喚の騒ぎである。あの神さまはどこへ行ってしまったのだろう。誕生日プレゼントは「ナルト」のゲームソフト。

■昨日読み終わった本。
岡野友彦『源氏と日本国王』(講談社現代新書)


2004/04/26 [月]   

■麦人のめがねに涙のあとがあった。どうしたことかと尋ねてみた。「今日、みんなゲームに夢中になっていて、『お誕生日おめでとう』と言ってくれた友達が一人しかいなかった」と。なんとかわいいやつであろう。ハッピーバースデー。

■学童保育所の総会。年に一度、活動方針やら昨年度の総括やらを採択する場である。
 会の最後に指導員さんから提案があった。「いつも遊んでいる某公園を掃除したら、近所の方がお礼を言ってくれました。保護者も含めて、今度みんなで日を決めて掃除することにしませんか?」と。その理由は以下の如し。普段使用している公園を掃除することは良いことである。お礼を言ってくれた人は婦人会の関係者である。このたび学童保育の運営委員に新規に就任してくれた人は東灘区連合婦人会のお偉いさんである。婦人会のお覚えをめでたくしておくことは、学童保育が地域の中で運営されていく上でプラスの効果を持つ。
 うっ。俺の妖怪アンテナがびんびんする。こういう、どこからも反対しにくい「善き事」は、どうにも胡散臭いのである。いや、俺もどこが「善き事」でないのかと言われると言えないのだが、「どこからも反対しにくいこと」は、そうであるが故にこそ、反対すべきであるような気がしてならない。
 正面から議論するとたぶん俺の違和感は言葉になってくるような予感はするけれども、角が立つので今回は自粛。掃除の日が決まったら、その日は別の予定を入れてしまおう。


2004/04/27 [火]   

■「プロ市民」という言葉は揶揄、もしくは非難の意味で使われることが多いようだ。特にイラクで人質になった高遠さん・今井さんに対して、この言葉が悪罵として投げかけられている。
 しかし「プロ」って、本来は褒め言葉ではないだろうか。自分のやっている仕事は誰から見ても恥ずかしいものではなく、この仕事によって自分はこの社会で存在を主張するのだ、というものを持っている者を「プロ」と称するのであろう。
 「プロ市民」も同様である。プロの政治家がもう一方にいる。政治家は国家権力を担う立場にあるから、時として国民の権利・自由を侵害し、他国民を不当に侵すこともあり得る。国家権力こそが人権に対する最大の脅威であるというのが近代の常識であり、国家権力の暴走を抑制するために近代憲法がある。「プロ市民」とは、近代憲法の理念を実体化すべく行動するプロである。国家権力を監視し反対行動を組織することは、国民の自由や生存権を保つ上で必要なことだ。その組織者として「プロ市民」はいるのであり、その行動は尊敬されてしかるべきである。決して「プロ市民」という言葉が悪い意味で使われてはならない。そういう社会は未熟か、自由ではない社会だ。
 「プロ市民」が批判されるのは、「プロ市民」がプロに徹していない時だけだと思う。今回、もし高遠さんと今井さんに批判される余地があるとするならば、例えば自衛隊が撤退するまで自分たちが解放されないよう武装勢力を説得しなかったことではないか。「プロ市民」として、自分たちをだしに、徹底的に日本政府を揺さぶりきれなかったことにあるのではないか。

■学生のころ、「ニセ市民」とよく言っていた。我々学生部隊は赤とか黒のヘルメットをかぶり、覆面をしてデモに出るのだが、学生部隊の前にノンヘル・素面の「一般市民の列」というのがある。ところがこの「一般市民」という連中は、元赤軍派だったり釜ヶ崎で鍛えられていたりで、いざ機動隊との衝突となると、実はひよわなヘルメット学生など足下にも及ばないくらい強いのである(ヘルメットの中身は俺やmicmicさんだから当然ではある)。どこが「一般市民」なんや!という敬意を込めて、「ニセ市民」と呼んでいた。

■フォームメールへのお返事。
21 Apr 2004 03:16:54 +0900
→おお、楽しそうですね。奥野は演奏中のクールな表情と、やたらテンションの低いMC、落ちない逆のギャップがポイントです。ライブ見てみたいね。

21 Apr 2004 12:25:41 +0900
→堺雅人?堺正章なら知ってます。

21 Apr 2004 20:22:28 +0900
→予備校の空調はだいたいサービス過剰に設定するものらしいです。教室の人数が少し変わるだけでも室温が変わってしまうので、調整は至難の業なのです。カーディガンは必携ですよ。風邪ひかないようにして下さい。

21 Apr 2004 21:00:49 +0900
→どちらも嫌いです。その問いは演繹的に考えて答えが出るものではありません。自分はどういう立場を取るのか?で答えが決まります。で、僕の立場は、民主主義のもとにおける戦争も、独裁体制下の平和もいずれも拒否する、です。

22 Apr 2004 21:15:54 +0900
→人生の達人になりたいですね。お茶入れて、ねこをさわって、散歩して、花に水をやって、みかん食べて、ご飯食べて寝る。そういう平凡な毎日を楽しめるような老人になりたいです。そのためにこそ知性と教養が必要なのだと最近思います。

24 Apr 2004 20:14:30 +0900
→僕には友人といえる人はごく少ないです。たぶん、片手にも足りません。ひょっとすると、一人もいなくてもなんとかやっていく人種かもしれません。友人も親友も必要不可欠なものではないと思っています。それが分かれば、友人のちょっとした親切がすごく嬉しいし、逆に無関心な態度を取られても「ま、そんなもんだよね」で済んでしまいます。必要ではないけどたまたま自分の横にいる存在、だから大切にしようかな、というのが基本的スタンスかな。

24 Apr 2004 23:29:24 +0900
→おや、2chに出てましたか。どこだろう?3年前、関西文理学院のスレッドで、地下鉄の中で鼻くそをほじっていたと書かれ(これは事実)、以後、腹が立つだけだと思って予備校関係のスレッドは見ないようにしています。今はプロレス板とニュー速+くらいしか見てないなあ。

25 Apr 2004 22:20:37 +0900
→朝顔は「節句蒔き」なので、来週くらいに蒔くのが本当はちょうどいいのです。僕は気が早いので、先々週に蒔いてしまいました。芽が出ると意味もなく嬉しいです。


2004/04/28 [水]   

■今日は「書写」の授業がある、と朝食を食べ終わった麦人が言う。前回の授業では、筆を忘れた人が多くて先生が怒り、お説教になって授業が潰れたのだという。で、麦人は筆とか書写セットを持っているかというと持っていない。親に何も言わないから親は買ってもいないである。で、今になって彼は、筆がない、書道セットもない、とあっけらかんと言うのである。「どうするんだ?困るだろう?」と問うても、「まあ、今日は鉛筆でやるよ」と、屁とも思っていない様子である。
 学校が始まってしまうのでとりあえず麦人を家から追い出す。阿久沢が「あいつ、ばかじゃないの?」と怒る。とはいうものの、書道セットがなければ本人も困るだろうし、先生も授業に差し支えるだろうからと、阿久沢は大雨の中ダイエーに走り、書道セットを買って小学校へ届けてやった。いいお母ちゃんだ。

■夕方帰宅してテーブルの上に鍵と財布を置くと、そこに文人の筆箱がある。「文人、筆箱はどうした」と聞くと、「きのう時間割をするときとうちゃんが筆箱って言わないから忘れちゃったよ。先生が鉛筆を貸してくれた。いい先生だなあ」と、こちらも馬鹿負けするほどの呑気ものである。

■強風で麦人の傘が壊れた。把手が折れた傘を振り回して、麦人は妙に嬉しそう。

■先週はえらくくたびれたが、今週に入ってちょっとペースがつかめてきた。ノド痛い。柚子茶を飲んで寝ることにする。

■フォームメールへのお返事。
27 Apr 2004 16:14:01 +0900
→うーん。プロ市民がボランティアをしないかどうかは、プロ市民をいかに定義するかの問題なので、そうだとも言えるしそうでないとも言えそうです。ただ、「ボランティアは宗教から出てきたものだから日本人にはできない」というのは違うと思います。仮にボランティアが宗教に由来するものだとしても、奈良時代の行基、鎌倉時代の忍性をはじめ、日本のお坊さんとボランティアは切っても切れない関係にありますし、日本人が無宗教であるという認識は誤りであると考えております。

27 Apr 2004 21:35:02 +0900
→麦人に代わりましてどうもありがとうございます。本人も分かっていると思います。いずれ彼も、9歳の誕生日に8人の友人と1人の弟が隣にいてくれたことに感謝する日が来るでしょう。

27 Apr 2004 22:56:38 +0900
→あはは〜、ほんとだ。悪口じゃありませんね。数学科K先生についての書き込みが面白いですね。


2004/04/29 [木]   

■1日の最初の講義、15分目くらいまではノドがきつきつで、額までずーんと重たくなってくるのだけれど、15分を過ぎたあたりで急にノドが通って楽になる。声も前に伸びる感じ。その瞬間がいい。

■私、反日分子の味方です。売られた喧嘩、私も買います。


2004/04/30 [金]   

■麦人と文人がナルトのゲームソフトのキャラをまねて戦うのが面白い。忍法ナントカカントカ〜!と麦人がポーズを取ると、文人がゲームの通りに受けを取り、キャラのお約束の捨てぜりふを言う。「むぎちゃん、僕はキャラを変えるよ」と言って、文人はまた別の動きをする。「漫才コンビみたいだ」と阿久沢が言う。
 麦人だが、今日、遊びに来た友達と延々4時間以上にわたってゲームに興じたため、阿久沢により3日間のゲーム禁止令を通達された由。

■4月の身体測定の結果が学校から帰ってきた。2人とも神戸市平均より10センチ近く身長が高く、3キロ以上体重は重い。特に文人はすでに3年生なみの身長を誇る。教室の中にいる文人を見ると、「うすらでかい」という形容がぴったりだ。趣味とか話し方がかわいらしいだけに、そのギャップがたまらない。彼が女の子にもてる秘密はその辺にあるのやもしれぬ。

■別に負け惜しみを言うわけではないが、俺はきっと「勝ち組」になったら居心地悪くて逃げ出すタイプだと思う。朝日新聞社になぜ長居できなかったかというと、あの会社は世間的にはやはり「勝ち組」であって、そこにいたまま年齢を重ねる自分というのがどうにも信じられなかったからだ。もちろん「勝ち組」だろうが「負け組」だろうが、自分の仕事をきっちりする人はするのであって、単に俺にその器がなかっただけのことである。いったん入社した会社を自分の都合で辞めるとか、いったん結婚したのに離婚するとか、仕方ないことではあるけれど、一度自分で決めたことを覆すのは、基本的には恥ずかしいことであり、そう感じる気持ちは失ってはならないと俺は思っている。
 で、俺は「勝ち組」と「負け組」の境界線にやや近いあたりの「負け組」にいて、薄い不安とコンプレックスとプライドを抱えながら、ああだこうだと笑っているのが性に合う。

■フォームメールへのお返事。
29 Apr 2004 23:55:10 +0900
→こちらこそ舌足らずな書き方で申し訳ありません。僕は「29 Apr 2004 23:55:10 +0900」さんが「日本人にボランティアはできない。なぜならボランティアは宗教から発するものだからだ」とおっしゃる背景には、日本人は宗教とは無縁である、という理解があると読み取ったのですが、そうではなかったのでしょうか。
 僧侶を例に出したのは、たとえボランティアが宗教に発するものであったとしても、日本にも宗教的バックボーンを持って今日言うボランティア活動にあたる実践をした宗教者が数多いたのだ、従って日本人にボランティアはできない、ということはないのではないか(三重否定!)ということを言いたかったのであります。