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2003/09/01 [月]   

■つけん島でバナナボートが転覆したことを、思い返すたびににやにやしてしまう。麦人も「バナナボートがひっくりかえったのが最高だったな!」と、後述するように彼の責任であるにもかかわらず、帰りの飛行機の中で何度も繰り返していた。
 バナナボートっていうのはバナナの形をした細長いボートで、上に4〜5人がまたがるようにして乗り、水上バイクで引っ張ってもらって海上をうぃんうぃん走るものである。俺と阿久沢は、その名前からもっと穏やかな乗りものをイメージしていたのだけれど、実際は相当にスピードも出るし遠心力もかかる、かなりハードなものだった。スタッフのおにいさんにライフジャケットとヘルメットを身につけるように指示され、「万一、ボートがひっくり返ったら、すぐにボートから離れて下さい」と言われた。その「万一」があっさり起こったのでもう可笑しくて仕方ないのである。
 ボートの先頭に座った麦人は、楽しくて仕方がなかったようで、ボートの傾きに合わせて身体を右に左にぐいぐい振り回していた。おや、ちょっとバランス崩れすぎかな、と思った瞬間にボートがひっくり返った。乗る前に「すぐにボートから離れて下さい」と言われたのを思いだして、すぐにロープから手を放した。
 ライフジャケットのおかげで身体はプカプカ浮いた。すぐににやにや笑う余裕もあった。水上バイクを運転していたお兄さんは「一番前の君!名前は?むぎとくん?むぎとくん、あんまり身体を傾けちゃだめだよ!」と麦人に注意を与え、麦人は「はーい。ごめんなさい」と謝っていた。俺も同乗していた他の家族に「すみません」と詫びたものの、得をした気分でいっぱいだった。岸に着いたら麦人は「もう一度乗りたい!もう一度ひっくり返ろう!」と言った。

■砂浜に寝っ転がったり、浮き輪に乗っかって波間を漂ったりして仰向けになって目を閉じると、太陽が真っ赤に瞼の裏に染み渡る。ああ、きれいだなあ、と思ってすぐ、これは俺の血の色なんだ、と気づく。なんてことはない。きれいなものもすてきなものも、全部自分の中に眠っている。外からやってくるのではない。いろんなところに出かけるのも、きれいなものを見るのも、いろんなことをするのも、自分の中のいいものに気づくためなんだ。

■TINKTINKのCDを聴いている。これはなかなかよろしい。琉球のミュージシャンって、良くも悪くも重いんだけど(喜納昌吉も林賢バンドも)、彼女たちは重たくはない。かと言って軽いのでもない。他愛のない歌詞を、おぼえやすいメロディーラインに乗せて歌う。「みんなの歌」とか「ポンキッキーズ」に似合いそうだ。それでいて、三板を使い琉球衣装を身にまとい、自分たちの根がどこに生えているのか、正面から主張している。「明るく元気になる歌」ってのをここまで真面目に演ってる人たちって、あんまり出会ったことがなかった。
 特筆すべきは、TINKTINKはカラハーイで毎晩3ステージをこなしていることである。それも、多くはいちげんの観光客相手に、だ。若い歌手でこれだけ場数を踏んでいるのって、あまり例がないのではないか。立ち姿といい、会場への視線配りといい、客いじりといい、それはそれは堂々たるものであった。アジア進出→日本へ逆輸入、というプロデュースをしてもらっているみたいだけど、これだけ華があれば、どこへ出しても大丈夫でしょう。釜ケ崎の夏祭りとかにも似合いそうだ。

■8月31日、麦人は泣きながら宿題の仕上げをしていた。もう、絵に描いたような小学生の姿なので笑いそうになった。


2003/09/02 [火]   

■衒いでもインテリヤクザぶるのでもなく、真剣に大麻を解禁してほしいと思っている。酒が飲めない俺は、どうやって精神を緩めたらよいのか。確かに世の同世代の人々に比べれば、格段にストレスがかからない環境にいると自分でも思う俺だが、それでもアタマの力を抜いてほぅとしたい時はある。そんなときアルコールを使える人はいいけれど、俺は食うか寝るかしかない。不公平だ。
 煙を肺に入れて染み込ませたときの、ココロが天空にすぅっと引っ張られ、カラダが地球の自転とシンクロする全能感。風が皮膚に当たるだけで笑えて笑えて仕方のない幸福感。深い呼吸とともに俺は緩みたい。
 ほんとに真剣な話、大麻解禁を政策として掲げる政党があれば、カンパもするし選挙運動にも身体を動かすつもりだ。間接税を300%かけてもよい。

■業務連絡。関学生様。メールの転載許可、ありがとうございます。近日中に日記に書きます。

■沖縄焼けの結果、鼻の頭から皮が剥けてきた。肩と背中はまだひりひり。

■TINKTINKが気持ちいいよ!なんなんだこれは!久しぶりにあれこれ考えてみたい対象である。とりあえず似ているものをあげておこう。70年代後半のアイドル歌謡だ。松本隆や筒美京平がバリバリに曲を提供していた頃のアイドル歌謡。二十数年経った今でも、俺の奥底で時々鳴り響いてしまう歌々。
 浜崎あゆみはそのパーツが簡単にコピーできてしまうが故にアイドルではなく、モ娘。は集団でなければオーラが立ち上らず、メイキングオブが見え見えであるが故にアイドルの名に値しない。手が届きそうでいて、日常の此処ときっぱり断絶している世界を構築していたのがアイドルだった。だから、アイドルに彼氏がいるだけでニュースになった。
 TINKTINKに俺はそれに近いものを感じる。ていうか、感じているような気がするのでもう少し考えてみようと思っている。


2003/09/03 [水]   

■帰宅したら麦人と文人がまたシンクロしてふとんに横たわっている。もう何十枚も写真におさめてきたシーンだけど、やっぱりまたシャッターを押してしまった。
 これだけ頻繁にシンクロしているのは偶然ではないと思う。麦人が寝返りを打って姿勢を変えると、数分以内に文人も寝返りを打って、同じような手と足の角度を取る。逆に、文人が先に姿勢を変えて、麦人がついていくこともある。やはり、眠っていても何らかのチャンネルを通じて、彼らはは何かをやりとりしているようなのだ。面白い。
 女子高で、同じクラスの生徒たちの生理周期がだんだんそろってくるという話を聞いたことがあるが(生理が「うつる」と言うらしい)、それと似ているような気がしないでもない。

■今日もティンクティンクを聴く。
心の底から明るい笑顔で
二人は双子のあかばなジェミニ
とびきり可愛い姿で迎える
二人は双子のあかばなジェミニ

お日さまのもとで暮らしてるから
疑うことなどは知りません

情熱の華
合言葉はみんなを見つめて咲いています
                    『双子座=ジェミニ』
とは、何と堂々たるアイドル宣言!「どこかにきっとある」「ほんとのいい気持ち」(上々颱風『阿国のテーマ』)を伝えるのは自分たちである、とティンクティンクは厳かに告げる。ニライカナイを遙かな沖にのぞむウチナーこそ、「ほんとのいい気持ち」の源なのだ。彼女たちが琉球衣装をまとい三板を手にするのはダテではない。そうであれば
弱気はおいていく 輝くあしたのため
元気はつれていく あふれる未来のため
                    『未来のため』
などという、見ようによっては陳腐な歌詞に生命が宿る。やはり歌とは、単なる歌詞とメロディーの組み合せではなく、誰がどのように歌うか、だ。。

■背中と肩の皮がぼろぼろ剥けてきた。汚い。でも剥くの大好き。


2003/09/04 [木]   

■沖縄の大物ミュージシャンは自分のライブハウスを持っていて、ツアーとかで沖縄にいない場合を除いて、ほとんど毎晩そこに出演している。喜納昌吉&チャンプルーズの「チャクラ」ネーネーズの「島唄」りんけんバンドの「カラハーイ」などがそれだ。常打ち小屋というやつだ。
 ライブをやれば客はそこそこ入るからミュージシャンはメシを食える。こうすれば、本土のCD会社に振り回されずに自分たちのペースとポリシーで歌える。CDが売れればそれに越したことはないが、売れなくても歌っていける、そういう場をしっかり作り上げている。根を生やす、とか、足場を固める、っていうのはこういうことを言うのだろう。インディーズ、なんていって謙虚になる必要はない。CD会社からすれば、「プロのミュージシャンであること」イコール「CDがたくさん売れること」「中央のメディアにたくさん露出すること」なのかもしれないが、そういうものから離れたって歌は歌えるし伝えることができるのだ。

■大阪や京都でこういう場所ができないかなあ。大阪・京都といえば、関西フォークやブルーズのメッカ。俺が鎌倉を捨てて京都に来たのは、関西フォークが立ち上がった土地の風に吹かれるためだ。憂歌団や上田正樹、有山じゅんじ、ウエスト・ロード・ブルーズバンドが毎晩ステージに立つようなライブハウスを新世界あたりに作れないだろうか。吉本興業や大阪プロレスと提携して、3部構成にしてもいい。観光客だってたくさん来るだろう。どうしても出たいというならつんくやウルフルズを出してやってもいいし。


2003/09/05 [金]   

■肉体を極度まで疲れさせて眠るっていうのが、イキモノとして真っ当なありかたであると、今日改めてよく分かった。有酸素運動を70分続けて仕事して帰宅してごはん食べたら、子供と一緒に朝まで寝てしまい、一度も目が醒めず。

■毎日こうならそりゃ健康だろうが、肉体が疲れると仕事になんないし、仕事をした後だと肉体を疲れさせる気持ちにはあんまりならない。ま、いよいよ今週から後期が始まった。「無事是名馬」を座右の銘として、あと4ヶ月半、休講なしで仕事する。


2003/09/06 [土]   

■先週の今頃は沖縄にいたなぁと思うとちょっと悲しくなるのだけど、それはそれとして、津堅島で波に漂っていたとき、俺がアタマの中でずっと歌っていたのは、あまりにもベタであるが、どんとの『波』(アルバム「DEEP SOUTH」収録)だった。「お〜いお〜いお〜い波〜、お〜いお〜いお〜いまた〜、お〜いお〜いお〜い波〜、答えておくれ」。この歌に送られて水葬してもらったらシアワセだろうなぁ。今でも歌いながら身体が揺れてしまう。

■講義が終わって質問応対をしていたら麦人が携帯に電話を掛けてきた。「あのねおとうさん。むぎと。」と、ひよひよした声が聞こえる。麦人は以前から同学年の子供たちの中ではひよひよ声でしゃべる方なのだが、電話を通すとさらにひよひよ度が増幅する。続けて彼は「あのね、言いたいことが2つあるんだけどね」と言う。俺はここでちょっとびっくりした。要件の個数を最初に言うって、仕事電話の基本やん。お前小2のくせに、どこでそれをおぼえた?大人でも誰でもできるわけじゃないぞ。
 その2つの「言いたいこと」とは、「おかあさんは何時に帰ってくるの?」「お腹空いちゃったからお菓子食べてもいい?」だったんだけど、我が子ながらちょっと賢いやつだと思った。


2003/09/07 [日]   

■最近読み終わった本。
池内了『物理学と神』(集英社新書)
→毎日子供と一緒にいると「人生やり直しできたらどうかなぁ」とか妄想してみることがある。小学生に戻れたら、中学生に戻れたら、などと。この本を読んだ時も、もしもう一度大学生になれるとしたら、今度は理学部で数学とか物理学とかやってみたいなあという気にほんの少しだけなった。でも、きっちり妄想してみたら、たとえ17、8に戻ったとしても、やっぱり文学部に入っていい加減な大学生活を送って、予備校講師にしかなっていないと思った。

■最近買った本。
谷村志穂『10年後の「結婚しないかもしれない症候群」』(草思社)
→10年前、新聞社の社員だった頃、支局長に言いつけられて花見の場所取りをしていたとき、『結婚しないかもしれない症候群』を読んで暇つぶしをしたことを思い出して。
保坂幸博『日本の自然崇拝、西洋のアニミズム』(新評論)


2003/09/08 [月]   

■麦人の友だちが遊びに来た。最初テレビゲームをやっていたが、文人を味噌っかすにしていたうえ、麦人が「ばかやろう」等の暴言を吐き、文人を叩く音も聞こえたため、ゲーム禁止措置をとった。小学生二人は「じゃあ、野球をしようぜ!」と、プラスチックバットとボールを携えて隣の公園へ出かけていった。と思ったら、10分もしないで帰ってきた。打ったボールがどこかへ行ってしまったという。「阿呆。見つかるまで探してこい」と言い渡して二人を公園に追い返した。まったく最近の若者はモノを大切しないんだから。5分ほどして「あった」と言って帰ってきた。それ見たことか。

■オレがオフに入ったら(来年1月以降の話)、プーケットに行こうと阿久沢と話が盛り上がっている。沖縄がほんとに楽しかったので、もっと南の海へという趣旨だ。子供は海で遊ばせて、大人はタイ料理を食べるのである。あわよくば俺は大麻を嗜みたいのである。子供にはなるべく早いうちに外国を見せてやりたいしね。3月にはいるとチケットが高くなるから、麦人の学校は休ませて2月中に行きたいところだ。
 大人だけなら、コ・サムイとかコ・サメットとか追求するところだが、子供連れの場合はやはりメジャーな場所を選ぶ。万一、奴らが迷子になったときとかを考えると、日本語、せめて英語が通じる人がいるのといないとでは安心度が違う。


2003/09/09 [火]   

■帰宅したらふとんの上で文人が泣いていて、阿久沢が一生懸命なだめていた。麦人が荷物を持ったままの俺のもとに駆けつけて、「文人が何か考えていたことが分からなくなって泣いている。お母さんが文人が考えていたことはママには分からないよって言っているんだけど、文人は泣いているの」とよく分からない説明をした。
 阿久沢によると、文人は頭の中で思いついたアイデアを広告の紙にたどたどしい文字でメモしていたのだが、3つのうち2つまでメモしたところで残りの一つを忘れてしまい、それが思い出せないといって泣いているのだという。「ママ、ふーちゃんは何を考えていたの?」と訊ねられても、ふーちゃんの考えていることはママには分からないんだからそんなこと言われても困るよ、と言い聞かせているのだが、納得せず泣きっぱなしなのだという。
 文人が描きかけたメモを見ると「●(ブロックの絵1個)のふねとはなとさいふ」「もつけとます(?意味不明)」「ままが●●(ブロックの絵2個)よ●●●●●(ブロックの絵5個)」が、胡散臭い健康食品の宣伝の行間を縫うようにして書き込んである。ブロック作品の構想を練っていたとみえる。
 面白いと言えば面白いし、困ると言えば困るのだが、何年かして文人の人格というモノが誰から見ても固まってきたとき、このエピソードも「そういえばこいつは、6歳の時はこんなだった。だからこんな人間になったんだなぁ」と納得するにふさわしいモノであるに違いない。文人はその後もしばらく泣き顔だったが、麦人とじゃれあっているうちに笑顔になり、眠っていた。兄弟ってやっぱりいいなぁ。

■先週から後期授業が始まっている。気力体力ともにかなりいい調子なのだが、ちょっとまだ上滑りな感じ。調子いいだけに、生徒さんを眺める余裕なく飛ばしてしまっている気がする。

■最近読み終わった本。
谷村志穂『10年後の「結婚しないかもしれない症候群」』(草思社)
→なんだ、みんな結婚してるじゃん。
神坂次郎『元禄御畳奉行の日記』(中公文庫)
→記録マニアとして残す日記こそ、後世の人々にとって意味がある。俺はもちろんそんなもの書けないけど。元禄時代の藩士って、9日に1回出勤すればよかったんだってさ。


2003/09/10 [水]   

■暑いとき、何もしなくていいのなら最高だが、何かしないといけないときは最悪だ。秋風が待ち遠しい。秋風が吹いてくると、生き残ったぜ、さあ冬だ、という気持ちになれる。

■micmicさんより、手作りの北海道直送イクラ醤油漬けをいただいた。湯気の立つ白飯の上に乗せていただく。いやもうシアワセ。これで十分。


2003/09/12 [金]   

■麦人が通う学童保育から仕事中に電話が掛かってきた。左耳の下が腫れて痛がっているという。おたふくかぜは数年前に文人からうつされて既にやっているはずだが?髄膜炎に発展して病院で点滴したはずだが?その点滴がすごく痛くてトラウマ化し、今に至るまで「そんなやつは点滴するぞ!」と脅すと従うのだが?
 俺は授業をほっぽって帰るわけにはいかない。阿久沢に電話すると、急いで仕事を切り上げて医者に連れて行ってくれるという。1時間後、再び電話してみたら、「やっぱりおたふくかぜだったよ。顔が変形しているよ」。一度かかっていても、再び反対側が腫れることはままあることらしい。
 授業が終わって急いで帰宅すると、リビングの床におとなしく座ってビデオを見ていた。左側の耳下腺が腫れて、大きく張り出して顔の左半分が大きく見える。左半分だけキム・ジョンナム状態。普段よりおとなしいものの熱はなく、よくしゃべっているので一安心。冷えピタを貼り、氷枕を作って寝かしてやる。

■ここ2日ほど、授業は快調。そう思っているのは俺だけかも知れないが。

■今日読み終わった本。
田澤拓也『無用の達人 山崎方代』(角川書店)
→俺の実家近くで暮らしていた奇人歌人の伝記。人間は面白いが短歌はさほどでもない。


2003/09/13 [土]   

うたぽりのふゆこさんと、夫君のカズマさん、愛息うたくん(1歳)が、博多から神戸へ来襲。万を辞して迎撃。……するはずだったが、麦人のおたふくかぜ(あるいは反復性耳下腺炎)看病のため、計画をちょっと変更して歓待した。お昼に南京町で飲茶、夜に六甲山へ夜景、というコースだったが、折からの荒天のため六甲山は濃霧に包まれており、展望台からの夜景は断念せざるを得なかった。残念。しかし、もう一度来ていただく理由ができたので、まさに禍福は糾える縄の如し。

■もとはと言えば数年前、高校生であったふゆこさんのメルマガと個人サイトを読んでいたのが始まりであった。高校生とは思えぬ、いや、高校生だからこそか?その文章は、一瞬読み手の視界を失わせるほどの鈍くて強い光を放ちつつ、立派に芸として成り立っていた。実はそのころの文章も、俺のPCの奥深くに保存してあったりする。
 その後、BBSに書き込みしたりメールをやりとりするようになり、ふゆこさんはカズマさんと結ばれ、俺は結婚式に呼んでいただき、そしてふゆこさんは19歳でうたくんの母親になった。「年齢が成熟度に比例すると考えてる人ってチョ〜終わってる」とは、ふゆこさんの最近の日記の一文だ。その通り。
 カズマさんもカズマさんである。角度によってはその筋の方に十分見える坊主頭に髭を蓄えたその頭部と、うたくんをあやす柔和な瞳と語り口と、20代前半にしてレンタルサーバー会社(急成長中!)を経営する手腕と、Webデザインの圧倒的なセンスが、いまだに俺の中で一つの像を結ばない。それはカズマさんの才能の豊かさと多彩さの証明である。酒も煙草も嗜まず甘いものを好み、運動を憎むという点で俺と共通点が多いので嬉しい。
 オフラインで人付き合いに消極的な俺であるから、ネット上の知り合いもごくごく限られている。それが博多と神戸を往復するほどにお近づきになれたというのは、やはりそれだけの必然性があったということだろう。それを信じて、これからもおつきあいのほど、よろしくお願いしますです。

■それにしてもうたくんのかわいさに痺れまくった一日であった。彼は今まさに言葉を獲得し、二本の足で望む方向へ進む方法を身につけつつある。まさに人間になろうとしている時期なのだ。幸あれうたくん。

■帰宅してみんなでテレビの高校生クイズ大会を最後まで見た。どうでもいいことにひゃあひゃあ喜んだりひいひい泣いたりするのが高校生ということなのだ。生きていく中で起きることの大半はどうでもいいことなのだから、そのたびにこれだけ喜んだり泣いたりできれば、きっと笑って死んでいけるに違いない。若いっていいなあ。と素直に思って見ていた。
 俺の母校である神奈川県立横浜緑が丘高校が出場していたことはまあどうでもいい。あんまり思い入れもないし。


2003/09/14 [日]   

■日付が変わる頃に小腹が減ってきた。夕食の白飯が保温釜の中に丼一杯分余っていて、micmicさんからもらったイクラ醤油漬けもそれに見合う分残っている。ほくほく白飯の上にイクラをのせてかっこんだらさぞかしよろしかろうと思うのだが、俺はさっき有酸素運動を50分したばかりなのである。ここでいくら丼を食べてしまったら、有酸素運動の成果が帳消しになってしまう。しばし躊躇した後に、思いきりかっこんだ。旨かった。幸せであった。

■俺はデブや成人病の脅威から自由な立場を確保した上で飯や菓子を食いたいからフィットネス通いをしているのであって、体脂肪を落とすこと自体が目的ではない。そこに立ち戻って考えれば俺が取るべき行動は自明だったのである。このように、目的と手段は時に入れ替わって、俺たちは立ち迷ってしまうことがままある。それはそれで楽しいこともあるけれど、今回のようにイクラ丼をめぐって立ち迷うのは何としても誤りである。

■文人が泣きながら寝室からやってきた。「ごはんの後に遊んでいたオレンジ色のブロック5個をどこに置いたか思い出せなくて心配になって眠れない」と。一度は寝室に追い返したものの、いつまでもピスピスと泣いているので、リビングの明かりをつけてやり心ゆくまで探させることにした。2分もしないうちにテーブルの上に置いてあるのがあっさり見つかり、彼は安心して眠りについた。
 翌朝、「夜中につまらないことを思い出して泣くのはやめてくれ」と文人に頼んだら、「それはとてもできない。ふーちゃんのくせだから」とにこにこ笑いながら返事されてしまった。困った男だ。


2003/09/15 [月]   

■プロ野球にはほとんど関心がないので、阪神が優勝してもしなくてもどちらでもいいのだけれど、いにしえファンにしてもにわかファンにしても、なぜあんなに盛り上がるのかにはちょっと興味がある。…と書き記して終わる程度の関心だが。

■何かにつけて道頓堀に飛び込む関西人の習性が、禊からきていることは間違いなかろう。阪神優勝という神聖なる瞬間を祝うためには、日常生活で付着したケガレを取り除かなくてはならないのだ。しかし、それがなぜ道頓堀なのだろうか。阪神タイガースはそもそも兵庫県の球団なのだから、尼崎の運河でもメリケン波止場でもよさそうなものだが、そこはやはり、阪神タイガースは兵庫県ではなく「関西」を代表する球団であり、「関西」といえば「大阪」、「大阪」といえばミナミがいちばんそれらしい。ミナミで禊ができる水浴び場といえば道頓堀ということなのかもしれない。
 まあどうでもいいが、最近はやりのJR飛び込みだけはやめてね。家に帰れなくなるから。


2003/09/16 [火]   

■現役生のクラスで授業している間に阪神が優勝したので、帰り道は梅田に立ち寄って人々の喜びの表情を眺めてから帰宅。JR大阪駅御堂筋口のバスターミナルに、甲子園帰りと思われる200人ほどのファン集団が手に手にメガホンを持ってさかんに六甲颪を歌ったり、監督や選手名を叫んでいた。一段落するたびに風船がひゅうひゅうと宙を舞う。胴上げをしたり旗を振り回す者もいて、歩道橋は鈴なりの野次馬。俺もその中の一人。大騒ぎをする集団を、警官隊が包囲する形で規制に入っていたが、私服警官や指揮官も笑顔で群衆を眺めていたりして、割とゆるい感じで盛り上がっていた。
 喜んでいる人や楽しんでいる人を見るのは楽しい。みんな大きな口を開けて笑っている。あるいは口元に笑みを浮かべている。歩道橋の上は秋の風が吹いていた。

優勝を告ぐる号外胸に抱き改札前の顔黒き人
紙テープルーズソックスに絡め叫ぶ ランディ・バースの名は知らねども


2003/09/17 [水]   

■文人が最近はまりこんでしまっている泥沼は「寝ている間に、今考えていることを忘れてしまったらどうしよう」だ。ふとんを敷いて、いざ寝ようと言うときになって彼は、「寝ると忘れちゃうよぅ…。どうすればいいの?」と悩み出して、ふとんの中でいつまでもピスピス泣いているのである。
 昨日は、“昨日保育園に持っていくのを忘れた紙のお金と紙の財布を明日もまた忘れないようにする”“公園で拾い集めたBB弾は全部で26個”“虫歯ができかけているのでアメとガムは食べてはいけない”の3点を忘れるかもしれない、というのが彼を悩ませ、「パパがメモしておいたから心配いらない」と、そのメモを見せるまでアタマを抱えて泣いていた。
 どうすればいいのか?

■この方がいいかな。
優勝を告ぐる号外胸に抱きおじさんは今宵も歩道で眠る

さっきまで六甲颪を喚きたる君よホームで虎シャツ脱ぐな


2003/09/18 [木]   

■俺は自他共に認めるコーヒー好きで、ブラックを、1日に特大マグカップ5〜7杯は飲む。コーヒーが体内に入らないと何もする気がしないし、実際にできない。コーヒーがないと仕事が手につかず生活に支障が出るので、中毒状態と言って構わないのだろう。
 にもかかわらずというべきかだからと言うべきか、コーヒーの味にこだわりというほどのこだわりはない。インスタントの粉末や、スーパーで売っているUCCではさすがに困るのだが、コーヒー豆専門店で売っているレベルの豆ならばだいたい満足である。
 何でこんなことを書くのかというと、要するにこれが俺のレベルというものを端的に現しているような気がするからである。こだわりがないわけではないがどうしてもというレベルではない。芸が無いわけではないが才能というレベルではない。
 ま、それでもコーヒー飲んでいるときは幸せなので、別に不都合はない。

サマルカンド トルファン チベット おそらくは地名のみ知る縁なるべし
8歳がマッチョバディを誇るとき大胸筋に連れちんこ震える


2003/09/19 [金]   

■8月2日・14日の日記に、関西学院生による折り鶴放火事件について書いた。一学生の所行になぜ学長以下、大学関係者が頭を下げなければならないのか。とりわけ学生たちが代わりの折り鶴を折るなどの行為が理解できない、という趣旨である。そのことに関して現役の関西学院の学生さんからメールをいただいた。ご本人の承諾をいただいたので引用する。

(引用ここから)
せんせいあのね 関学生です。 折鶴の事件のことで一言。 先生は連帯責任の気持ちがよくわからないとおっしゃいました。 正直な気持ちを書きます。 私は折鶴を折りました。 確かに私も14万羽その人に折らせたい気持ちでいっぱいです。 では、なぜ、私は折鶴を折ったのか。 それは、自分の通っている大学のイメージを悪くしたくないから。 なぜ、自分の通っている大学のイメージを悪くしたくないか。 それは結局イメージの悪い学校に通っている自分にふりかかる偏見が怖いから。(今年の就活する身では特に…) 関学生はそのような世間知らずばかりじゃない!!それを世間に認めて欲しいがための行為であります。 自分はそいつと大学は一緒だけど、 中身は違うってのをアピールしたい って気持ちが強い。 …確かに関学生が事件を起こしたことにより、小6の修学旅行以来折らなかった折鶴を折り、少しでも遠ざかりかけていた平和への思いをもう一度取り戻した気もします。 私が折鶴を折ったわけ。 それは連帯責任を負うことではなく、自己のイメージを防衛しつつ もう一度平和をよく考えたかったからに他なりません。誰もその人の尻拭いをしているわけではありません。その人の起こしたことによって自分にふりかかる火の粉を折鶴を折ることによって少しでも少なくし、 いや、むしろそれをプラスに変えるために我々は折鶴をおったのだと思います。もちろんその行為には真に平和を願う気持ちもこめていることも併せて記しておきます。
(引用ここまで)

要約すると「関学のイメージを防衛することで、自分が不利益を被ることを避けたい」「この機会に平和について考えてみたい」の2点が鶴を折った動機ということのようだ。マスコミには後者の理由付けが前面に押し出されていたが、前者はほとんど耳にしなかった。率直で貴重な発言だと思う。

■俺が思ったのは、出身大学ではなく個人で評価される時代だ、と言われてはいるが、まだまだそれは遠いな、ということだ。大学当局者も学生も、就職という選別の場ではとりわけ、大学のイメージやブランドがモノを言うことを敏感に察知している。関学というブランド大学ならなおさらだ。
 そのブランドが危機に瀕したとき、大学当局者も学生も暗黙のうちに、ブランドを防衛する共同行動に出た。それが学長による迅速な謝罪であり、学生たちによる折り鶴製作だったということだろう。
 さらにこの学生さんに聞いてみたい気がする。対外的なイメージが修復されたかどうかはアンケートでも採ってみなければわからないことだからおいておくとして、折り鶴を折ることで、あなたたち自身の内的な関学ブランドは修復されたのだろうか。例えば就職面接でこの件に触れられたとして、ああいうアホな学生もいるけれど、自分たちはそうではない、関係ないと言い切る自信を手にすることができたのだろうか。

■今日読み終わった本
東浩紀・笠井潔『動物化する世界の中で』(集英社新書)
→親子ほど年が違う二人の往復書簡。ネット上で行われたものをそのまま活字に起こしたとのこと。プロレスで言うなら、ロープに飛ぶ速度が違いすぎて、芸風が違いすぎてまったくかみ合わない試合を見せられた気がした。ジャイアント馬場 VS CIMAとか、長州力 VS えべっさんというところである。アタマのいい二人ですらこうなのだから、やはりネットというのは意見を戦わせて一つのものにまとめていく場としては向いていないのかもしれない。


2003/09/20 [土]   

■先週からいい風が吹くようになった。朝晩は気持ちよい。今日から髭を伸ばすことにする。

■昨日読み終わった本。
長谷川つとむ『会津藩最後の首席家老』
→別に鬼畜薩長と言い立てるつもりもないし、幕末の薩長両藩に学べなどと下らないことを言うつもりはもっとない。ただ、日本人は最近、強い者や勝った者を正しい・素晴らしいとストレートに考えがちなのを深く憂える。闘争と対立がそこにあるなら、まずは弱い者・敗れた者の側に身を置いて状況を眺めたい。


2003/09/21 [日]   

■土曜日は息子たちのスイミングスクールの日。就学前の文人と小学生の麦人とはレッスンの時間帯が違う。文人は親が送り迎えをするが、麦人は一人で往復することになっている。麦人はいつも「文人はいいなあ」と言っている。
 ロッカールームで文人の着替えを手伝っていて、彼の手足が非常に長いことに気がついた。彼が同年代の子供たちの中で飛び抜けて大きいことは気がついていたが、その大半は手足の長さだったのだ。幼い頃はピカチュウに似た体型が可愛らしかったのに。そんな文人はブリーフがよく似合う。「宇宙一白パンツが似合う男」と我が家では呼ばれている。
 麦人は肩・胸・尻・太ももの筋肉の発達が著しく、足腰が格段に安定してきた。ちょっと前まではプロレスごっこでも軽く押したり引いたりすればすぐにグラウンドに移行できたものが、今ではそう簡単に倒れてくれないし、倒れても足の力で技を全て跳ね返してくる。考えてみたら、彼はあと3年半で中学生になるのだ。何だかすごい。
 中学生というと、俺にとってはついこの間のことという感覚がある。小学生時代はかなり遠い感じがするのだが。中学生〜高校生の時期に培ったものの感じ方・考え方は、まっすぐに現在に繋がっているからそう感じるのだろう。

■このCDは必ず買う。
http://www.recosell.com/cd/00/00/30/00003033_1.html
岡本おさみ、好きなんだよ。あがた森魚の『襟裳岬』を想像しながら、発売日を待つことにする。中川敬の『洛陽』はこの際どうでもいい。頭の中でプレイできるから。
 中川敬といえば、モ娘。の『ハッピーサマーウェディング』を歌わせたらかっこいいと思う。あー父さん母さん…のところとか。髪を振り乱して、汗を撒き散らして、いっしょうけんめいこいをしました〜。目に浮かぶ。

■フォームメールへのお返事。
24 Aug 2003 14:34:13 +0900
→だいぶ日があいてしまいましたが、引用させていただきました。ありがとうございます。自己の行為を真摯に見つめられていることに敬意を表します。

3 Sep 2003 08:44:12 +0900
→3人でシンクロですか!それは微笑ましく壮観だろうなあ。もしかすると、親も寝ている間に知らず知らず子供たちとシンクロしてるかもしれませんね。血が繋がっているとはそういうことかも。

6 Sep 2003 16:13:36 +0900
→親と話すときは標準語に近いです。というのも、僕も阿久沢も神奈川県の出身で、標準語を話しているからです。でも、学校とか保育園では神戸弁を話しているみたいですよ。

7 Sep 2003 22:15:04 +0900
→どうしたぁ?寂しいときはまずお腹一杯ごはんを食べよう!

10 Sep 2003 22:40:07 +0900
→朝日にいるうちに烏賀陽さんに会ってたらどうだったかなあ。辞めるのが半年くらいは遅くなったかもしれない。

11 Sep 2003 23:05:57 +0900
→いえいえ。授業の前はやることがないのでたいてい寝てますが、遠慮なく起こして下さい。今週の木曜日はMDレコーダー置いてなかったけど、誰かに録音頼めたのでしょうか?「人」がつく弟さんたちによろしく〜。

11 Sep 2003 23:42:43 +0900
→はい、すみません。altには「日替わり画像」と表示してますが、実際はリロードするたびに違う画像が出るようになってます。どうぞお楽しみ下さい。

12 Sep 2003 20:05:35 +0900
→mmmmm?

13 Sep 2003 03:43:45 +0900
→自分の満足のために作っているサイトですが、そう言っていただけるとすごく嬉しいです。

13 Sep 2003 16:25:59 +0900
→はい。行ってみました。足跡はまだ付けてません。ていうか、せっかくサイト開いたなら、BBSの方で宣伝して下さって結構ですよ。

14 Sep 2003 00:42:21 +0900
→「禍福は糾える縄の如し」が僕の座右の銘です。彼氏ができて幸せがやってくれば、嫉妬されて不幸になるのもワンセットなのです。周囲を、世界を敵に回しても彼氏を愛するパワーを持ちましょう。てか、祝福されてばっかりより、その方がぜったい楽しいと思う♪

15 Sep 2003 05:03:39 +0900
→家入さま。先日はほんまに楽しい一日をありがとうございました。卓球ゲームは僕の方がはまってしまい、子供がいない時に一人でこっそりラケット振っていたりします。子供たちに素晴らしいプレゼントいただいたのに、こちらからはリサイクルもの(内容はバリバリにイチオシなのですが)でちょっと反省しまして、今リベンジを計画中です。うたくんによろしく。今度は博多でお目にかかりましょう。

15 Sep 2003 14:33:45 +0900
→東京の方でも中央線への飛び込みが多いもんだから、「中央線トーマス化計画」なんてのが雑誌に載ってました。こっちでも電車のフロントに全部顔を描いたら、あほくさくなって飛び込む人が減るかもしれません。

18 Sep 2003 21:28:19 +0900
→そうなんですか!カメラ付き携帯は音が出るのか!知らなかった。名案だと思ったのですが、それじゃあちょっとダメだなぁ。D先生=中島らも説、一票入れます。でも、D先生もらもさんも怒りそう^^

20 Sep 2003 19:44:21 +0900
→ありがとうございます。受験生ともども、これからは体力勝負、健康一番という部分が大きくなるので、今年も何とか頑張って乗り切りたいと思います。麦人は僕にそっくり、という評判ですので、僕も元カレさんにそっくりということになりますね^^ 胸はキュンとしないと思いますが。


2003/09/22 [月]   

■昨日読み終わった本。
ローレンス・オルソン『アンビヴァレント・モダーンズ』(新宿書房)
→今さらではあるが、民主主義とナショナリズムが表裏一体のものであると納得した。民主主義・自由主義・個人主義・ナショナリズム・人権・国際主義。それぞれが何を目指すものであり、相互にどういう関係にあるかはつらつら考えてみなければなるまい。俺にその能力はないから、本を読むだけだけど。

■昨日から友部正人のライブ盤『はじめぼくはひとりだった』を聴いている。1987年の限定自主製作盤で、「0402」が俺の持っているCDのシリアルナンバーだ。
 最初に友部正人を聴いたのは高校生の時で、その名も友部くんという同級生が『にんじん』と『誰も僕の絵を描けないだろう』を貸してくれた。何て声で、何てギターで、何て言葉を吐くんだと、そのときも今も思っている。すげえ倦怠感で、でもキラキラしたピアノを弾いているのは誰だろうと思えば、ジャケットに写っているのは坂本龍一だった。
 ボブ・ディランの歌を母国語として聴くことは叶わない俺だが、友部正人の歌を母国語で理解できることは幸せである。上手いこと言えないし言う必要もないのだが、普段使っている言葉をこんな風に組み合わせて並べてみるだけで、これだけの広がりと強度を持つ世界が広がるということ、それを自分が完全にとはいわないが感じ取れることが嬉しい。多分、英語圏の人がボブ・ディランを聴くときに受け取る興奮を、俺は友部正人から受け取っていると勝手に想像しているのだ。
 カラオケのハイパージョイに『大阪へやって来た』が入っていた。びっくり。この間行ったときは歌う度胸がなかった。いつか度胸がついたら「あれはいけない/これがいいのさ/でももう結構/僕は誰が素敵な奴かを知っている」「みんなでお祝いしてあげたいんだけど/その娘/大阪の女の子なんだよォ」とトーキングブルーズしてみたい。


2003/09/23 [火]   

■あー、嬉しいねえ。宍戸留美新アルバムだって。欲しいCDが次々出るのは嬉しいねえ。予約しました。

http://www.towerrecords.co.jp/sitemap/CSfCardMain.jsp?GOODS_NO=689023&GOODS_SORT_CD=104

 史上初の自己プロデュース・自己マネージメントアイドルのルンルンも30歳だそうだ。人間は年齢じゃないとも言えるけれども、年相応という言葉も嫌いではない。結局は似合っているかどうかだ(「一生青春」とかいうのは大嫌い)。16歳の時のキャッチフレーズ「ルンルンはミニが好き。」も似合っていたし、30歳でアイドルであり続けるルンルンもしっかり宍戸留美という人間に似合っている。ゆえに俺は宍戸留美を応援する。
 そして何よりも1990年、新聞記者の仕事で国道9号を西走中、カーラジオで耳にした『Panic in my room』に震えた俺の魂を何よりも頼もしく思う。俺は(基本的には)間違っていない(と思う)。昔も今も。

■涼しくなってきた。有り難いことだけど、夏の疲れが出るきっかけでもある。生徒さんにややその兆候あり。たくさんごはんを食べて、早く寝るように、と話をする。俺も注意しなければ。

一日を喋り疲れて午後九時のホームに一人の帰巣本能が立つ


2003/09/24 [水]   

■元ちとせ『ノマド・ソウル』を阿久沢が買ってきた。あがた森魚というかヴァージンVSの『百合コレクション』がカバーされているので、この曲だけ聴いた。あがたの歌の中では十指に入るくらいに好きな曲である。ううーん。なんか違うよ、というのが率直な感想である。
 『百合コレクション』はこんな歌。俺のとくに好きな2番の歌詞を記す。歌詞だけ掲げても仕方ないかもしれないが。
一秒一秒毎に変わる君
一雨一雨毎にそよぐ百合
マッチボックスにそよぐ夜の影
ゆめうつつのまま触れたる唇抱きしめて
ラストシーンにくるくる踊る北極星を視た
シネマが終われば街灯りもない淋しい星でした
旅の果てに訪ねた星ですね

サヨナラは(It's only) モウイイノサ(百合collection)
それでもあなたがほほえみ咲くかと
サヨナラは(It's only) モウイイノサ(百合collection)
振り向けば秋空に沈む星
 ラストシーンでくるくる踊る北極星ってのはジョルジュ・メリエス?パティ兄弟?映画はぜんぜん詳しくないが、19世紀末とか20世紀初めのSF映画のラストシーンだったと思う。ああいった粒子の粗い映画の画面のように、あなたもこの歌の情景を想像して下さい、というのがあがた森魚のメッセージであると俺は解釈している。
 廃墟の中での出会いと再生っていうのが、俺にとってこの歌のイメージだ。だから、あがた森魚の乾いた軽快なボーカルはこの歌に合っている。「サヨナラは/モウイイノサ」という歌詞は「もうあなたと離れることはない」という強いメッセージ性を含むが、この部分は片かなで表記され、あがたもこの部分は片かなとして歌っていると俺は感じる。つまり、「サヨナラは/モウイイノサ」というメッセージはさらっと聞き流してくれ、ということである。逆に、「百合コレクション」とはパリ・コレクションのもじりに過ぎず、さしたる意味はないのであろうが、「ラストシーンにくるくる踊る北極星」と相まって、この歌の幻想感を高める上で重要なフレーズである。
 元ちとせの声の質は湿性である。良く言えば感情を含みやすく、悪く言えば耳の中でずるずると引きずる声だ。この歌との親和性は良くない。決定的な誤りは、「サヨナラは/モウイイノサ」の前で曲のテンポを緩め、この部分をこの歌の中心として押し出してしまったこと。そして、「(It's only)/(百合collection)」を歌わなかったことである。
 救いはライオン・メリィのアコーディオン。こっちに集中して耳を傾けているといろんな光景が目に浮かぶ。

■24日は俺の誕生日なので、阿久沢がスポンジを焼き、麦人がクリームとフルーツでデコレーションしてくれた。有り難いねえ。写真は明日アップ。

■夕方、近所の公園へBB弾を拾いに行った文人がなかなか帰ってこない。心配になって探しに出たら、べそべそと泣きながら我が家に向かってくる文人が見つかった。どうしたのかと訊ねると「公園でオレンジ色の特別のBB弾を拾ったんだけど、大事に持って帰ろうとしたら道にぽろっと落ちて、穴に落ちちゃった」とのこと。


2003/09/25 [木]   

■今読みつつある本。
保坂幸博『日本の自然崇拝、西洋のアニミズム』(新評論)
→「ある一つの文明に住む者が、その人生の歩み方において基準とするものがもしあるとするなら、そして人生の決断と、それほど大げさな場合ではなくとも、常日頃の考え方や物事に対する感受性に何か拠り所になっているものがもしあるとするなら、私たちはそのものに対して『宗教』という名前を与える十分な権利を持っていると考えます。そして、私たちにとって、その拠り所となっているもの、それが『自然』なのです」(P5)。好著のヨカーン。

■ふとんの中で、麦人が「パパはお仕事が大変だねえ」と言う。「そうでもないよ。大人になったらお仕事をしないといけないけど、そのかわり夜はずっと起きていてもいいし、お菓子をいくら食べても叱られないし、自分のお金を何に使ってもいいし、マンガをずっと読んでいてもいいしゲームをいくらやっててもいいんだよ」と答える。すると麦人はぶんぶんとかぶりを振って、「ずっと子供のままがいい」と言う。横から文人も「子供がいい。子供でアニメとか見るのがいい」と言う。
 彼らの言葉にはいろいろ解釈の余地があるが、とりあえず言えるのは、そう不幸ではない子供時代を過ごしているということだろうか。ちょっと安心した。

■今こういうことを言っても説得力に欠けるであろうが、30年後、40年後に再考するために書き留めておく。老人が誇りを持って晩年を生きるために必要なのは、生活に不自由のない資金よりも、自分の意志で生を終わらせるための、青酸カリの一粒ではないだろうか。


2003/09/26 [金]   

エドワード・サイード氏死去。合掌。
(参考)http://homepage2.nifty.com/hashim/911/asahi20020917.htm


2003/09/27 [土]   

■自分への誕生日祝いとしてクイックマッサージへ行った。足つぼと上半身を30分ずつ。終わったらふらふらになったほど気持ちよかった。
 月に1回の割合で揉んでもらっているこのチェーン店には男性スタッフと女性スタッフがいて、どちらが担当になるかは時の運である。おやじとしては女性スタッフがあたると嬉しい反面、ソフトすぎて物足りない。もっと強くして下さい、と注文はできるのだが、それでも足りない。2回言うのは申し訳ないので、妥協してしまう。男性スタッフがあたると最初は「ああ…」と思うのだが、揉み始めるとぐいぐいツボを突いてくれて、うーんうーんと声が出てしまう。気持ちよいことこの上なし。ま、男性女性どちらにしても満足できるので、どちらでも構わないのである。
 マッサージが気持ちよいと最初に感じたのはいつだっただろうか。子供の頃は、大人が肩を揉んでもらって気持ちよさそうにしているのを見て全く理解できなかった。自分が同じようにやってもらっても、死ぬほど痛くてくすぐったいだけだったからだ。学生時代にタイへ行ったとき、ワット・ポーでタイ式マッサージをしてもらった。悪くはなかったけど、せっかくだから体験してみよう、という部分が大きかった。
 本気でマッサージが気持ちよくなったのは30代に入ってだいぶ経ってからのような気がする。トシをとったということだが、楽しみが増えたということでもあるのでよしとする。

■長らく日本は平和ボケ以外の生き方ができない国だったのだから、平和ボケという言葉をマイナスイメージで使う者こそボケである。戦争というものをリアルに知らない者が、迎撃ミサイルだの派兵するだの、お子ちゃまの戦争ごっこ感覚で語ることこそ、平和ボケ中の平和ボケである。そういう威勢の良い言葉を重ねることで、平和ボケから脱却できると思いこんでいるあたりがボケボケだ。石原慎太郎とか小泉純一郎とか小沢一郎とか安倍晋三とか、俺はやはり大嫌いである。


2003/09/28 [日]   

■麦人は小学生だから、毎日一人で学校へ通い、学童保育に寄って一人で帰宅する。文人も、保育園の送り迎えこそ保護者同伴だが、最近は休日に公園へ一人で1時間くらい遊びに行くようになった。産まれてからしばらくの間は片時も親(特に母親)から離れなかった二人は、着実に離陸/着陸のトレーニングを積み重ねている。
 今はまだ、飛行機やスペースシャトルのように必ず戻ってくるけれども、遠からず月や火星のように自分の公転軌道を確立して、親のもとに着陸することはなくなるのだろう。親との距離がどの程度の場所で公転を始めるのか、月と地球ほどか、太陽と冥王星ほどなのかは、まだ見極めが付かない。
 27日は俺の母の誕生日であった。俺と俺の両親の距離はたぶん太陽と海王星くらいはあると思うが、それでも引力がないわけじゃなし、見えないわけじゃなし。これでよしとする。

■文人は公園で何をしているかというと、ひたすらBB弾を拾い集めているらしい。家へ持って帰ってはビニール袋にためこんでいる。現在56個。「100個になったら何かふーちゃんにプレゼントをくれる?」と聞くので、「パパのチュウだ」と答えてやったら、憮然として「そうじゃなくて、もっとふーちゃんが喜ぶものがいい」と言った。


2003/09/29 [月]   

■28日は麦人の小学校で運動会があった。敷物と弁当と水筒を携えて出かけた。半分くらい日が照りつける一日で、けっこう暑かった。自分の子供が出場する種目以外は関心が湧かないので、敷物を敷いてグラウンドに横たわって目を閉じる。頭の横を子供たちが駆け抜けていく。
 麦人が出場したのは「かけっこ」「魚魚…という歌に合わせて踊るダンス」「玉入れ」「大玉送り」であった。かけっこでは今年も余裕で一着だったが、昨年に比べると身体が重そうだ。筋肉が付いた分、軽快さは失われた。「魚ダンス」は上手かった。特に骨盤をくいくい動かすあたりがいい。本人さえその気なら、ジャニーズ事務所に売り飛ばしてもいい。玉入れと大玉送りはワンノブゼムに過ぎないので、取り立てて書き残すべきことはない。
 彼は白組に属していて、他学年の競技中は「しーろ、ちゃちゃちゃ!」と、熱心に応援していた。かと思えば、競技そっちのけで隣の女の子と談笑に熱中しており、何事に対してものめり込まないバランスの良さを今日も発揮していた。醒めもせず熱くもならず。でも親には甘える。面白い子供である。

■運動会の華といえばやはり騎馬戦だが、最近は潰し合いではなく相手の帽子を奪ったら勝負あり、ということになっているようである。5・6年の合同種目として行われ、1回戦は殲滅戦、2回戦は一騎討ち、3回戦はキャプテンフォールマッチで行われた。全体的に迫力無し。だいたいこういう種目では、興奮してつかみ合いになって鼻血が出たり、格闘に夢中になるあまり、騎馬が解体・自滅するなどのシーンが見ものなのだが。
 その代わりといっては何だが、朝礼台の上に立って号令を掛ける先生が、戦いの間中祭太鼓を叩いていた。これがもう、先生よりもこっちが本職ではないかと思うほどの大した腕前で、体育倉庫から突然だんじりが飛び出してくるビッグサプライズがあるのではないかと期待するほど素晴らしかった。

■俺も保護者参加競技の綱引きに出場し、勝利。

■自分の子供が小学校に通って運動会やってるってのは、当たり前のことではあるが不思議な感じがする。俺自身が小学生で、運動会やった記憶があるのに、俺は保護者席で子供が走ったり踊ったりするのを眺めているのである。何というか、リレーで次の走者にバトンを渡して、控えコーナーでそいつが走ってるのを応援している気分だ。


2003/09/30 [火]   

■風が冷たくなってきた。現役クラスの授業が夜まであったので、夜風を全身で楽しみつつ家路を急いだ。
 冬にこたつに籠もってミカンを食っているのが好きだ。台風の時にしっかり窓を閉め切ってテレビの台風情報を見るのも好きだ。外界の危険から、シェルターによって防護されているというシチュエーションが心地よいのかもしれない。たぶん母親の子宮にいたときの感覚だろう。早く冬が来るといい。

春はまたいつでも来るさとともだちの慰めのごと秋風は吹く

■ノド痛い!この半年くらい、慢性的に咳が止まらない。3年前もそれで医者に行ったら、結核かもといわれて、六甲アイランド病院でCTとられて、結局何もなく帰ってきた。ま、職業病だろう。コーヒーをたくさん飲むことにする。