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2003/03/01 [土]   

■「はしれ〜、こうそくの、ていこ〜くかげきだん」と麦人が繰り返し歌うので俺までおぼえてしまった。実に耳に残るフレーズだ。頭の中で勝手にヘビーローテーションしている。宣伝としちゃあなかなかのものだな。『サクラ大戦』なんて3日前まで知らなかったのに。
 で、これって「高速の」?「光速の」?「帝国歌劇団」?「帝国過激団」?

■現在のところ、麦人に対して最も影響力を持っている人間は俺だ。俺が麦人を叱ると、彼は塩をかけられたなめくじのようになってしまう。だから俺は、なるべく彼の落ち度を見ないようにしないといけない。
 実は3日連続で俺は麦人を叱って、彼をなめくじにしてしまったのである。
 一昨々日の夕食時、マヨネーズが好きな麦人は、付け合わせのゆで卵にマヨネーズがかかったところを独占しようとして、他人がその近辺に箸を付けるだけで「あー!あ−!」と声を出して牽制していた。うるさいので「お前だけのものじゃないよ」と注意をしたら箸を置いてうなだれてしまった。
 一昨日は、プロレスごっこをしていて、文人のこめかみのあたりを、足の甲で大きな音がするくらい蹴り飛ばして泣かせた。「頭を攻撃してはいけない!」と強めに注意をしたら、突っ伏してふとんに涙のあとを作っていた。
 昨日の朝は、遅刻するから早く着替えろというのに着替えようとしない。「今日は体育ある?」とマンガを読みながら尋ねてくる(体育がある日は自宅から体操服で登校する決まりなのだ)。「自分の時間割は自分で見な」と答えると、そのままマンガを読み続けていた。もう一度「早く着替えなさい」と言っているのに、「今日は体育は…?」などと怠慢こいているので、「自分の時間割は自分で見ろ!」とちょっと腹が立って言い捨ててしまった。麦人はきゅっと口を結んで立ち上がり、時間割を見て、体操服に着替えて、食卓についたものの、一口も食べようとしない。そのまま「行ってきます」と小さな声で言って、出て行ってしまったのである。

■もちろん、帰宅するときにはもうにこにこになっていて、夕食前にちょっとだけプロレスをしていた時に、「今朝はごめんなさい」と俺の目を見て謝ってくれた。俺も「叱ってごめんね」と、麦人のほっぺたをぷにぷにしてやる。「時間割くらい見てくれてもいいって思ったんだろ」と聞くと、「うん!怒ったからごはんを食べなかった」と大きく頷いた。これはなかなかよいこである。


2003/03/03 [月]   

■大阪府議が府立高校の卒業式に朝鮮の民族衣装やチャイナドレスを着た女子生徒がいたことを「キャバレーみたい」と発言したという。しかも府議会の場で。
 この男の品性の欠如、および、民族衣装を見ればキャバレーしか連想できない教養と経験の貧困さは言をまたず、大阪府の労働者・学生・市民諸君は、石を持て追う如く府議の座から叩き落としてしかるべきである。この府議は女子高生を性的な眼差しで眺めていたから「キャバレー」発言をするである。女子高生をそういう眼差しで「見てしまった」「見えてしまった」のならそれはその時点で仕方がない。が、自分が府議としてその場にいたのであれば、そういう自分は恥ずかしい存在として徹底的に隠さなければならないのである。にもかかわらず、府議会の場でしれっと発言した彼には、そういう感覚が全くないということだからだ。
 たとえば、俺を例にとって話をしよう。夏期講習で最前列に女子生徒が座っていることがある。最近の女の子は、暑くなると下着同然のような服装で街を歩くので、その女子生徒の服の胸元も極度に深くて広かったりする。予備校の大教室に座ったことがある人は分かると思うが、予備校の教壇は学校のそれよりかなり高く、講師は最前列の生徒をかなりの急角度で見下ろす形になる。で、その気になれば俺は、その女子生徒の乳の谷間くらいはすぐにのぞけてしまうし、何かの拍子に目に入って動揺することも、年に2回くらいはあるのである。しかし、講義が終わってから俺が講師室で「今日、最前列の生徒のオパーイが見えたよ!まるでキャバレーみたいだ!」としゃべることは決してない。オパーイが見えてしまって動揺した自分を、俺は深く恥じているからである。そういう目で女子生徒を見る人間は、教壇に立ってはまずいからである。俺は男の子の親だが、女の子の親御さんの気持ちも想像はできる。そのような人間がいる場所へ、子供を送りたくないであろう。
 しかしながら。この府議の「キャバレー」発言を、差別発言だ、と居丈高に糾弾する人々もまた、俺は好きになれない。民族衣装=キャバレー、という図式を作ったからこの府議が差別者だとするなら、それはキャバレーのおねえさんたちに対してあまりにも失礼ではないだろうか。

■日曜日は麦人の通うスイミングスクールの進級テストがあった。いちおう競技会形式で、コースが決まっていて、用意ドンでスタートする。時間や順位は関係なしに、課題として与えられた泳ぎの型が身に付いていればOK、というものだ。今回は背泳ぎで、麦人は見事、15級から14級に進級した。
 面白かったのはテストの前の儀式だ。競技会の雰囲気を出すためか、プールサイドに全員で整列をした。そこにしょぼくれた吹奏楽の音が流れてきたので、よくよく耳を傾けてみたら君が代である。確かにプールサイドに日の丸も掲揚されている。しかしこれは非常にまずい。なぜなら、プールは1階にあって、保護者が見物する場所はガラスで仕切られた2階部分だから、我々は日の丸を眼下に見下ろす形になる。不敬だ。案の定、君が代が流れている間、保護者席では誰も起立する者はなく、自分の子供に声援を送っているばかりだった。
 麦人はここでも圧倒的な運動能力を見せ、2位に2馬身の差を付けて5コース中1位でゴール。うらやましい。俺も彼の年頃でこれだけ運動ができれば、このような偏屈な人間にはなっていないような気がする。


2003/03/05 [水]   

■私大に合格した人々から続々と報せが舞い込んでくる。国公立もそろそろだろう。

■私事ではあるが、俺が2年も浪人して京都大学に入りたかった理由は主に学生運動をやりたかったからである。京大は1970年代後半まで竹本処分粉砕闘争などで赤ヘルメットの学生が山ほど大騒ぎしており、さらに1980年代に入ってからは学寮問題が紛糾していると聞いていたからである。
 ではなぜ学生運動がやりたかったかというと、ヘルメットを被って手ぬぐいで覆面して棒を振り回したり石を投げるという、羽田闘争(1967)以来の、伝統的新左翼ファッションにたいへん憧れていたからだ。
 とはいえ、俺が入学した1980年代半ばには、京大といえども学生運動は既に伝統芸能の域に達しつつあり、「ヘルメットなんか被っていたら“一般学生”の理解が得られない」などとぬかす朝日新聞じみた良識的な意見を山ほど聞いた。愚か者め。ヘルメットの有無で主張に耳を傾けるかどうかを決めるような輩には何も期待しておらぬ。もっと言えば、俺はヘルメットを被って暴れたいのであって、“一般学生”とやらに理解されようとされまいと、どうだっていいんだ。
 それでは、俺はなぜヘルメット・手ぬぐい・棒の新左翼ファッションに憧れたのであろうか。3歳の時テレビで見た東大安田講堂攻防戦(1968)の微かな記憶が、「お前もオトナになったらこのように闘うのだ!」と語りかけたのだろうか。実際、俺は幼稚園で忍者刀を振り回し、子供用ヘルメット(黄色。おやじが冗談で「中核」と書いた)を被って「安保!粉砕!」と叫びながら走り回って、先生に「大学生になってから頑張ってね」と諭された記憶がある。

■ところが、もう少し根は深そうだ。今から900年ほど前、同じようなファッションで実力を持って自らの主張を貫徹しようとした者たちが、やはり京都の地を席巻していたのである。言わずと知れた、南都北嶺の僧兵たちだ。彼らのいでたちが新左翼ファッションと驚くほど似通っているのは、とても偶然とは思われない。おそらく意識してはいなかったであろうが、新左翼コマンドたちは疑いもなく僧兵の末裔である。院や朝廷を護持した北面の武士たちは、さしずめ精鋭の機動隊というところであろうか。僧兵たちも新左翼コマンドたちも、顔を隠し頭を覆うことで、日常を生きる生身の自分から、仏のため・世界同時革命のために闘う理念的存在に自分を飛躍させようとしたのであろうか。網野善彦の本とかに何か書いてありそうだな。
 だから俺は、デモのことを「パレード」などとふやけた呼び方をし、市民に訴えるように歌を歌ったりするなど明るく振る舞う最近の風潮は肌に合わない。ばりっと覆面をして、鍛え抜いた密着デモで嵐の如く交差点を制圧し、機動隊の壁を打ち破り、市民に畏敬の念を起こさせるような「街頭デモ」をやりたいのである。


2003/03/06 [木]   

■先日、立命館大で出題された日本史入試問題。良問である。
 スポーツに関連し、空手チョップなどの技で人気を集め、放送が開始されたばかりのテレビの前に人々を釘付けにし、1963年に死去したプロレスラーは誰か。
 あ.ジャイアント馬場    い.アントニオ猪木
 う.白井義男        え.力道山


2003/03/07 [金]   

■年末から来年度のテキストをもう一人の先生と共同で編集していたが、めでたく作業が今日中に完了する目安がついた。今回は一太郎で完全版下を作って印刷屋に持ち込むという手順で作った。
 テキスト作りは嫌いではないし(模試作りはどっちかというと嫌いだ)レイアウトはこちらの思い通りになるし、校正の手間も省けるし(校正はするんだけど、日本史素人の他人が打ち込んでいないだけミスは少ない)、ちょっとしたプリントを作るときもデータを切り出して加工すれば速いし、自分で全部やってしまうのはメリットの方が大きいのだが、300ページ近いデータを、レイアウトも同時に考えながら打ち込むのは、やっぱりくたびれた。人間が一日に打鍵できる回数には上限が設定されているような気がする。仕事でその回数を使い尽くしてしまうと、サイトを更新しようという余力が失われる。
 これで大きなヤマは越えたんだが、まだ赤本×5・模試20問くらい・マスコミ就職作文の添削×約50通、3秒で思いつくだけでこれだけある。頑張ってるよ俺。

■一太郎13を使っていて思ったこと。慣れの問題が8割以上だと思うが、MS-Wordって使いづらい。
 日本の将来を案じる人は多いが、「心の教育」やら教育基本法を手直ししてマスターベーションをするのではなく、やはりここはマハトマ=ガンジーのひそみにならって、スワデーシー運動を推進すべきではないだろうか。グローバリズムに対抗するためにもだ。MS-Wordではなく一太郎を使え。MS-IMEではなくATOKを使え。Windowsではなくトロンを使え。スタバでなく珈琲館で飲め。シティではなく三井住友に預金せよ。アメリカンホームダイレクトのちゃんちゃらりーんという親指と薬指を立てて振るCMに唾棄せよ。もちろんどうでもいいことではある。

■ドリアン助川ってのは嫌いではなかった。俺は絶叫系が好きなので福島泰樹とか叫ぶ詩人の会も結構ツボにはまる。久しぶりに叫ぶ詩人の会を引っ張り出して聞いてみた。
子供たちよ
もう一生逢うこともない子供たちよ
貧しさから抜け出せたのか
それともあのままか
なるべくなら危ない橋は渡らず
なるべくなら罪に手を染めることなく
安らかでいて欲しいと思うのだ
平和でいて欲しいと思うのだ
たった一度逢っただけなのに

子供たちよ
記憶の中の子供たちよ
お前らもまた歳を取りいつしか親になるだろう
俺は今なら恥ずかしげもなく平然と胸を張って言える
俺は今ならしらけずにお前らのために言える

Love & Peace
Love & Peace
Love & Peace
               叫ぶ詩人の会『Love & Peace』
 「なるべくなら」というところに俺はドリアン助川の誠意を感じる。「なるべくなら」怒りを暴力で表現しないでほしい。「なるべくなら」自分や他人を傷つける方法で闘わないでほしい。「なるべくなら」自爆テロはやめてほしい。でもやっぱり、「なるべくなら」だ。
 そんなドリアン助川は最近、TETSUYAと改名して朝日新聞の読者投稿欄の回答者になっている。俺は彼が武田鉄也のようになって、2代目金八先生になりやしないかと危惧している。TETSUYAに改名したのもその布石ではないのか。

■親になって初めて分かったり、できるようになることもいくつかあって(逆もある)、「Love & Peace」と堂々と言えるようになるのもその一つだ。どういう正義や理屈をつけようとも、毛も生えずセックスもしたことのない子供の上に爆弾を落としてはイカンのだよ。絶対にだ。


2003/03/08 [土]   

■阿久沢から聞いた話。
 麦人と阿久沢がいっしょにマンションを出て、それぞれ会社と小学校へ行こうとしたら、麦人と同じマンション&同じクラスのNさんも一緒に出てきた。麦人は実はNさんに気があって、あっという間に阿久沢を置き去りにして、Nさんに接近していったという。それも、肩を押しつけるようにして、ねぇ、ねぇ、とにじり寄っていったのだという。そのまま麦人とNさんは阿久沢の視界から消えて、一緒に登校したらしい。
 帰宅した麦人にその後の展開を聞いてみると、「Nさんは何も返事をしてくれなかったよ…」と言う。「いろいろ話しかけたんだけど、どんどん早足になって離れていった」そうだ。「しょうがないから、大きな声で、『14級に進級したぞ!』(スイミングスクールもいっしょなのだ)って言ったんだけどなあ」。
 イカンなぁ、麦人よ。押すだけじゃイカン。あと10年たったら、父ちゃんがしっかり教えてやろう。

■最近、麦人が文人をパシリに使っている。リビングで寝ころんだまま、「ふみと!『遊戯王』の20巻を持ってこい!」と命令すると、文人が「はーい」と言って取りに行くのだ。兄弟はこんなもんだが、いちおう「弟をパシリに使ってはいけない!」と叱責するのも親の任務だ。汚職議員が出たら「遺憾である。国民の信頼を裏切って申し訳ない」とコメントするだけはする自民党幹事長みたいなもんだ。

■大学入試問題のミスが多い。解決方法は簡単で、予備校講師にチェックさせればいいのだ。事前に見せろとは言わない。試験が終わった後、採点を始める前に見せてくれればよいのである(実施している大学もある)。何事も内部チェックというのは意味がないとまでは言わないが、不十分なものだ。後で恥をかくくらいなら、前に少し手間を掛けた方がよいと思うよ。

■忘れていた。確定申告やらな。17日までだったな。
 予備校講師業を始めて、最初の2年くらいは確定申告も目新しくて面白かったが、もう最近はめんどくさいの一言に尽きる。検算なんか全くしていない。文句あるならそっちで検算してくれという気持ちだ。還付金を振り込ませる銀行口座番号だけは3回くらい確かめるけど。


2003/03/09 [日]   

■今日買った本
キム・テグォン作・朴正明訳『北朝鮮版 力道山物語』(柏書房)
篠弘『現代の短歌』(三省堂)


2003/03/10 [月]   

■日曜日は昼過ぎから、阿久沢と子供2人が京都の友人のところへ行ってしまったので、俺は一人で本を読んだり仕事したりして夜まで過ごした。家の中はしーんとしていた。子供がいなければ、毎日がこんなに静かなのか、とふと思ったりした。

■今朝の新聞に、総理府だか厚労省だかの、育児アンケートの記事に関する記事が載っていた。要するに若い世代は育児を負担に感じているという趣旨の記事であった。読みながら、なぜ子供がいるといいなあと思ったのかをつらつら思い出してみた。
 俺と阿久沢は仕事の都合で別居生活が長かった。結婚して1年間は別居。俺が新聞社を辞めて同居したものの、1年後に阿久沢の転勤でまた別居。さらにその1年後にやっと再同居できて、数ヶ月後に阿久沢が妊娠したのである。
 鳥取の予備校で修業していた時期は、俺はかなり金に不自由していたが、今の予備校に移ってからはそこそこ収入もあり、阿久沢の収入を合わせれば、若夫婦としては相当な世帯年収になっていた。そのままダブルインカム・ノーキッズなら、その気になりさえすればかなり裕福でオサレな生活もできたのである。実際、あの頃は毎晩のように俺と阿久沢は、西洋居酒屋風の店で外食していた。
 ところが、半年もしないうちに俺は飽きた。より正確に言うなら、うまいもん食って、あちこち旅行して、ええ服着て…という生活には、やる前から退屈した。質のいいものを買う・消費する、という行為には、俺は短期間のうちに飽きてしまうだろう、と予想が立った時点で、俺は実際に飽きた。
 子供がいると、確かに金はかかるし自由に使える時間は減る。これは間違いない。だが、子供がいなかったとして自由に使えるであろう金と時間で、オサレな生活をして何が面白いかというと、どうも全然面白くなさそうだ、と俺は感じたわけだ。
 ちょうどその時期、俺と同世代の人々が親になり始めていて、赤ん坊を見る機会が増えた。少し間を置いて同じ赤ん坊を見に行ってみると、前はできなかった芸をするようになっている。これはいい。これはかわいい。俺専用の赤ん坊がほしい。と俺は痛切に思った。そしたら、あっさりと来てしまった。俺は、阿久沢の子供時代を見てみたかったので、女の子だといいな、と思っていたのだけれど、俺の夢には白い下着を着て「むー、むー」と言いながらスクワットをする男の子が現れた。長男・麦人の誕生と入れ替わるようにして、実家で16年近く買っていた犬が死んだ。阿久沢が安産だったのは、生涯で11匹の仔犬を産んだ彼女の加護のおかげだと思っている。

■生まれる前と生まれてからは、これがまた全然違う。子供はリセットが効かない。子供が生まれた時点で、「この子供が存在しない」という選択肢はなくなるのである。よく、子供がいてよかったですか?という質問があるが、ナンセンスだ。子供がいてよいか悪いか、という質問の背後には、「子供がいない」という選択肢が予定されているが、そういう選択肢は俺には最早ないのだ。子供はここにいる。これからもいる。それが全てだ。そのことが分かってから、俺は腹が据わったと自分で思う。
 人がオトナになる時期がどんどん後ろにずれている、といろんな本に書いてあるが、俺がオトナになったといえるなら、それは子供が生まれた時なんだろうと思う。「自分はまだオトナじゃないから親にはなりたくない」というのは、俺に言わせれば何もわかっちゃいない。親になってオトナになるきっかけを掴むのだ(もちろん、子供がいないオトナだってたくさんいるが)。
 とはいえ、子供の夜泣きが止まらないときは、どこかに停止ボタンがついているといいな、と真剣に思った。

■でもやっぱり子供は手が掛かるし、仕事との兼ね合いも大変だし、いろいろ腹の立つことも多い。でも、こいつは俺の子供であり、俺が好きになって結婚してもらった女の子供なのだ。こういうものどもに手を掛けるためにこそ、俺は生きているのではなかったか?
 そして、もし俺に子供がいなかったら、と仮定してみると、ぞっとする。それは、麦人と文人に会えなかった、ということだからだ。俺の側にいるのは「子供」という一般的抽象的存在ではない。麦人と文人という宇宙に一つずつしかない個性なのだ。彼らの発する言葉・表情・描く絵・訳の分からない振る舞い・寝小便、全て含めて、彼らが存在しない、などということはおよそ俺には考えられない。
 いつしか彼らは俺たちの下から離れ、俺たちの期待(別にこれといって期待はしていないけど)を完全に裏切るオトナに成長するかもしれない。たとえそうであっても、赤ん坊だった彼らを育てた経験は、俺たちにとって宝石箱のようなものだし、きっと今現在、そしてこれからの経験もそうなるだろう。老人になって、財産も健康も何もかも失っても、この宝石箱はきっと手元に残るに違いない。

■麦人が小学校からもらってきた学校通信に「電話番号を聞き出そうとする電話が相次いでいます。かなり巧妙な掛け方をしてきますので、ご家庭でお子様とどう対応するかを話し合って下さい」とあって、ずいぶん首をひねってしまった。電話を掛けてくるということは電話番号を知っているわけで、今さら何を聞き出そうというのだろう。阿久沢と「訳わからんな」と話し合っていたら、麦人が「友だちの電話番号を聞こうとするんだって」と説明を入れてくれたのでようやく理解した。ちゃんと書け>学校。
 さらに「体操服を変えてほしい、という意見に対して校長先生より、まだたくさん検討することがあるので、一年間かけて話し合っていきたいとのご返答がありました」って、そんなもん5分で決められるだろ。体操服一つに一年も検討しないと決められないなんて、無能としかいいようがない。こういう返答することが自分の無能ぶりをさらけ出していることに気がつかないなんて、無能の自乗だ。ま、業者からのリベートとかいろいろ検討しないといけないんだろうな。こんな校長はリストラだ>神戸市教育委員会


2003/03/11 [火]   

■あなたは今話題の睡眠時無呼吸症候群(SAS)ではないか、と阿久沢がいう。確かに俺は強烈ないびきをかく。自動車を運転していて眠くなったのでSAで一眠りしていたら、自分のいびきが車内に反響して、うるさくて目が醒めたことがある。子供たちも「パパのまね」と言って横になり「ごー、ごー」といびきをかく真似をする。
 夜中、ぐおおおお、といびきをかいたあと、俺の呼吸は確かにしばらく止まっていて、またぐおおおお、というのだそうだ。そして日中は眠い。これも症状に当てはまる。俺は昼食を摂ると眠くて仕方なくなるので抜いてしまうことが多い。俺は、誰しもが昼間は眠いものだと思っていたのだが、そうではないのだろうか。
 もっとも、JRの運転士のように仕事中に寝てしまったことはないし、たとえ教壇の上で眠ってしまったとしても他人に危険を及ぼすようなこともないから、放置していても構わない気もするが、そのうち診てもらった方がいいかもな。

■水中ウォーキングの時、右手と右足、左手と左足が同時に出てしまう。筋肉を大きく使おうと意識すると、必ずそうなってしまう。
 何事もそうだ。意識しなければできないことをやろうとするとおかしなことになる。そうならないためには、意識しなくてもいいくらいまで練習するしかない。


2003/03/12 [水]   

■麦人の宿題に何が出ているか、彼がちゃんとやったかどうかは、いちおう親がチェックする。宿題は「れんらくちょう」にまとめて書いてあるのでそれを照合する。これは先生が板書するものをそのまま書き写してくるらしい。その「れんらくちょう」の記載に「けいど」「かんど」というのがあって、最初は何のことか分からなかった。麦人に聞いたら「計算ドリル」「漢字ドリル」の略だという。なるほど。「マクド」という略し方と通じるものがあるな。
 小学1年生を修了間近の麦人の宿題は、「けいど」「かんど」に「100マス計算」「あのね帳」(「あのね、先生」という書き出しで、その日あったことを書くというもの。ちゃんと書けばそれなりの感想を書いてもらえるが、いい加減に書くと「あ、そう」というつれないコメント付きで返ってくる)。

■「ぶっちゃけ〜」っていう言い回しをよく耳にする。これは全国区なのだろうか。「ぶっちゃけた話〜」の縮約型だが、どうも俺は「ぶっちゃけ」という語感からは路上に広がったゲロを想起してしまう。「ぶっ」っていうところで口から嘔吐物が飛び出し、「ちゃけ」で路上に広がっていく感じ。


2003/03/13 [木]   

■12日はソウル・フラワー・ユニオンのライブ。心斎橋BIG CATだ。外形的にはまず、伊丹英子が育児休業で欠席だった。ダブリンにいるとのこと。さらに、ベースの河村が弦が2本増えてギターに転向していた。ベースには新しい人が入った。河村氏には悪いが妥当なところである。
 今日の演奏で一番キたのは、『杓子定規』〜『BIG APPLE』のメドレーかな。
大きなビルの谷間でよく見る奴らが
小さな蟻を踏みつぶすハナシしてたよ
                          『杓子定規』
イラク攻撃でアメリカに同調しておかないと、北朝鮮問題でアメリカに守ってもらえないとか、そういう小利口な知恵ばかり回る国民にいつからなったのだろう。そういうカス知恵を現実的思考だとか、外交だとか、国益だとか信じ込めるようなサル指導者しか、いつからいなくなってしまったのだろう。昔からかな。
 少々驚いたのは高田渡の『自衛隊に入ろう』をカバーしたことだ。新しい歌詞を付け加えるかと思って聴いていたが、ただカバーしただけ。あまり感心しない。

■バンド経営もなかなか大変なのは外から見えるだけでもよく分かるが、中川はライブのたびに新曲を3曲以上持ってくるから恐れ入る。聴くべしSFU。

■懐かしくて、ついBBSに書き込んでしまったサイト。俺もトシだワイ。
http://members.tripod.co.jp/euro2002/orita/orita_top.html


2003/03/14 [金]   

■俺は洗濯が好きだ。時間さえ許せば、回転している洗濯機を脱水が終わるまでずっと見ていても苦にはならない。干されている洗濯物を眺めているのもなんだか嬉しくなる。太陽が当たって順調に風に揺れている洗濯物を眺めていると、よしよし、という気持ちになる。もう少し暖かくなったら、バルコニーに寝椅子を出して、本を読んだり昼寝をしたりしながら、洗濯物が乾くのを眺めるのである。

■13日は昼過ぎまで原稿仕事をして、2時過ぎに『週刊ゴング』『週刊プロレス』を買って家に帰ってきて、読みながら昼寝。3時過ぎに麦人が帰宅して目が醒めた。ぴんぽんが鳴ったので、ドアホンの解錠ボタンでマンション玄関のドアを開けたつもりが、寝ぼけていたのかうっかりセコムの非常警報ボタンを押してしまい、ウワンウワンとサイレンが鳴り響いた。管理人さんに謝りに行き、セコムから掛かってきた電話にまた謝る。

■文人を迎えに行って、3人で『どらえもん』の映画を観に三宮まで。週末や春休みは混むからな。『パーマン』と『どらえもん』の二本立てで、『どらえもん』は『風の谷のナウシカ』と『もののけ姫』と『ハリポタ』を(良く言えば)引用しているとのウワサなので、そのへんを楽しみに観ようと思っていたのだが、『パーマン』の途中から思いくそ寝てしまった。気がついたらゆずが歌うエンディングテーマが流れていた。やはり睡眠時無呼吸症候群なのか。
 『パーマン』たちは、お互いの正体を知らないまま仕事をしてるんだね。なんか面白かった。

■ふとんにくるまりながら、文人に映画の感想を聞いてみたら、「ううーん。面白かったんだけどね、どういえばいいのかなー。あのねー、ちょっと悲しくなって泣いちゃった」と答えた。彼は優しい子供なのである。


2003/03/15 [土]   

■最近、甚だ気に入らないのは、「正直言って、これからの日本、無理して生きてても希望なんかなさそうだし…」(某サイトからコピペ)というあちこちで見かける言い草である。希望なんかなさそう?ほな死め。今すぐに。

■日本国に未来があろうがなかろうが俺の知ったことではないが、日本なり世界なりに、希望を持って人々が生きることができた時代や場所なんて、これまでどれほどあったというのだ。もうちっと歴史を勉強せよ。飢えと戦乱に脅かされてきた期間の方が圧倒的に長いのだ。それでもみんな、頭を抱えたり空を見上げたりしてどうにかこうにかやってきたんだよ。これまでの日本もこれからの日本も、希望なんてそのへんに転がっていることなんかありゃしない。
 希望とは何だ。就きたい職業に就くことか。買いたいものを買うことか。食べたいものを食べることか。繰り返し言う。そんなものが100%実現する時代は、これまでも、そしてこれからもありゃしない。にもかかわらず、「これからの日本」に「希望なんかなさそう」という言い方を選ぶと言うことは、「これまでは希望があった」という認識を持っているのに違いない。
 では「これまでの日本」にあって、「これからの日本」になさそうなものとは何か。それは「買いたいものを買う」に帰結するのではないか。要するにこの手の言い草は、これからはバブル経済期のような消費行動ができないであろうことを「希望がない」と言っているに過ぎないのだと思われる。あるいは単に、自分が年老いて限界を感じ始めたということなのだろう。
 もう一度言おう。希望なんかなさそうだと思うなら、今すぐ死め。それができないなら、絶望することすらできないほど精神が疲弊しているだけのことだ。それを時代やら環境やらのせいにするな。

■希望とか未来が自分の外にあると思えばこの世界にも日本にも未来はないが、自分の内部にあると分かればどこに行ったって同じことだ。自分の中を掘って掘って掘りまくれ。そこでしか見つからないのが希望だ。俺自身が未来であり希望である。文句あるか。

■麦人が同級生の女の子のほっぺたにキスをしているらしい。女の子にいやがられた、と俺にぬけぬけと報告するので、絶対に今後はしてはいけない旨、厳重に申し渡す。「分かった。これからは自分にプレッシャーをかけてキスはしないようにする」と麦人。なんだか将来が恐ろしい。神戸の種馬、とか言われないように、中学校に入ったらすぐにコンドームの使い方を教えなければならないだろう。

■そんな麦人は昨日、小学校で初歩の性教育を受けてきた。1枚もののプリントに男の子と女の子の下着姿が描いてあって、その横に板書を写したとおぼしいメモ。
おちんちんをだいじにする
ぼうりょくをふるわない
だいじなところをせいきという
赤ちゃんのもとをつくる
「ぼうりょくをふるわない」って何だよって聞いたら、「おちんちんをぶったり蹴ったりしないこと」だそうだ。ほう、だいじなところをせいきというのか。じゃ、脳みそも目も足も消化器も性器なのか。おもしろすぎ。
 風呂に一緒に入って、「いいか、お前たちは最初、パパのこの中にいて、おちんちんを通って出てきたんだぞ」と指さしながら説明してやったら、二人とも神妙な顔をしていた。文人は「ふーちゃんはね、パパになったら女の子のパパがいい」と言う。「名前は何ていう名前にするの?」と尋ねたら、「ポポ!」と答えた。ハムスターか小鳥の名前みたいだな。麦人は「赤ちゃんはよだれを出すからイヤだ」そうだ。


2003/03/16 [日]   

■BBSでも紹介したが、
http://members.tripod.co.jp/pulausoichiro/top.html
この人のイラク旅行記は非常に面白い。俺が予備校で教えた生徒さんの友人だそうだ。
 俺などは未だにどこかで「行動の意義」とか「位置づけ」なんてことを頭のどこかで考えてしまうクセが抜けないが、この人は素のままで、ひょい、とイラクに行って帰ってきた。その身軽さが、今起こりそうな戦争が俺たちの日常と地続きなのだということを雄弁に物語る。とりあえず自分の身体をそこに運び、自分が見たもの感じたものをもとに考える、ということは、やろうとする人は少なくないが、成功する人は少ない。これはその数少ない例である。…などと俺なんかが批評する資格はないから、とにかく読め。どんな表現も、結局はその人自身が感じられるかどうか、だ。
 成人式を迎えたばかりの人のようだ。とすると俺が高校を卒業したか浪人していたかの頃に生まれたことになる。こういう若い人が出てきたということ一つとっても、日本のこの20年というのはそうそう無駄ではなかったと俺は思うし、なんかこれからも面白いことが起きるんじゃないかと楽しい気分になるのである。

■晩ごはんの時、麦人が自分でおかわりをよそいに行って声をあげる。「この、…ごはん機の横にあるお菓子は何?」。
 麦人は9割9分、日本語を正確に操るようになったが、残りの1分は誰も足を踏み入れていない雪原のような新鮮さを保ったコトバを吐き出す。「ごはん機」発言の前に、彼は2秒ほど必死で正確な用語を頭の中で探し回っているのだ。既に衰え過程に入っている俺などとは違い、「知っているけど出てこない」のではない。「丸くて電気で米のご飯を炊く物」にあたるボキャを、彼は持っていないのだ。そして2秒の間に彼は「ごはん機」なる新しい日本語を生み出した。この2秒の間に、彼の脳みその中ではいろんなものがぷちぷちと繋がって、要するに少し賢くなったのではないかと思う。

■文人の保育園ノートに、「『どらえもん』の映画を観ました」と書いていたら、文人が横からのぞき込んで「これは消しなさい」と言う。漢字も使っているから内容は正確には分からないはずなんだが、彼はこの保育園ノートは、親と保育士が代わりばんこに文人の悪口を書き合って、笑って馬鹿にするためにあると思っているらしい。仕方がないので消した。

■保育園に文人を迎えに行ったら、女の子Yちゃんが額に絆創膏を貼っていた。帰り道に文人に事情を聞いてみたら、「Yちゃんがね、Kちゃんの顔をじーっと見ていたらね、Kちゃんが怒ってひっかいた」らしい。実際はもう少し複雑な事情があるのだろうが、子供の世界も一筋縄ではいかない人間関係があるらしい。

■何かの本で読んだこと。書名は忘れてしまった。「ある集団が、その集団にとって最も大切な価値観を外敵から守ろうと必死の努力をしている間に、その価値観が薄れたり、消滅したり、正反対のものに入れ替わってしまうことは一般的に見られる」と。


2003/03/17 [月]   

■仕事でお世話になっている人が結婚されたので、そのお祝いを買いに三宮〜元町へ。ペアのマグカップを選びに行った。センター街の一本浜手の筋に、よさげな陶器店があって、そこで清水焼のマグを購入。
 仕事で清水焼やら有田焼やら酒井田柿右衛門やら教えているけど、今日まで陶磁器にはあまり関心を持ったことがない。新聞記者をやっていた頃、懇意にしていただいたお寺の住職さんが「焼き物に興味がない?そうでしょうねぇ。人間はいつか土と炎に還っていくから、自分みたいに年寄りになるほど、焼き物に関心が出るんです。あなたみたいな若い人が焼き物に縁がないのは当たり前ですよ」と語ってくれた。ううむ、なるほどと得心したことを憶えている。
 未だに俺は珈琲館が毎月10日にくれたり、スターバックスで売っているようなマグカップで日々のコーヒーをいただいているが、今回のマグカップ選びで、良い焼き物はなかなか良いと思ったよ。こういうのでコーヒー飲んだらおいしいだろうなと想像できた。俺も土と炎に少しずつ近づいているということか。

■合掌。レイチェル・コリー


2003/03/18 [火]   

文人が描いた絵を写真日記にアップした。なんか嬉しくなる絵だ。

■愛媛新聞から。
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2003年03月15日(土)
入試に差別語正解の設問 松山大が謝罪

 2月11日に行われた松山大人文学部の2003年度一般入試の「日本史」で、正解に差別語を解答させる設問があったとして、県同和教育協議会(会長・加戸守行知事)は14日、松山市山越6丁目の白鳳会館で、青野勝広学長らと出題の意図などについて話し合った。同大側は「差別語への認識と配慮が足りなかった。受験生が心を痛めることになり深く反省している」と謝罪した。
 同協議会によると、指摘した問題は、江戸幕府が定めた身分制度の特定身分名を問う2題で、正解が身分をいやしめていう賎称(せんしょう)語となる。
 同日は、青野学長と出題責任者ら6人が出席。「高校教科書の内容に沿って出題した。(作製時には)担当者の間で問題ないと判断した」と説明。今後の取り組みとして▽出題マニュアルを作り、人権問題の妥当性の検討▽入試問題のチェックでの役割分担の確立▽入試委員の人権感覚の向上―などを報告した。
 山本宗一・同協議会事務局長は「松山大の説明に納得できた。同和教育のさらなる発展のため、互いに協力したい」としている。
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 はぁ?というのが正直な感想だ。訳がわからないことが多すぎる。
 まず、「江戸幕府が定めた身分制度の特定身分名を問う2題」とは穢多・非人・かわたなどを正解とする問題であろうと容易に想像できる。
 考えなければならない問題は5点ほどある。

(1)「穢多」「非人」「かわた」は差別語か。
(2)「穢多」「非人」「かわた」なる用語を入試問題で問うことに意義があるかどうか、
(3)仮にその意義があるとして、入試問題で問うことが「差別語への認識と配慮が足りない」「受験生が心を痛めることになる」のかどうか。関連して、これらの用語を問うことが、出題者の人権意識の欠如を示すものなのかどうか。
(4)松山大学は「問題作成時には担当者の間で問題ないと判断した」にもかかわらず、その判断を翻したのはどのような認識の変化が生じたためか。
(5)県同和協議会事務局長は「松山大の説明に納得できた」とあるが、説明のどの部分に納得したのか。

 (1)ある言葉が誰かを傷つけるかどうかは、その言葉が置かれた文脈による。穢多・非人・かわた等の用語は、その歴史的な経緯から、デリケートに扱わなければ、誰かを傷つける言葉=差別語になる危険が極めて高い言葉ということができる。
 だからこそ、(2)この言葉が入試問題という文脈で問われることの意義が問題となる。およそ日本史の入学試験問題は、高校日本史教科書に登場する用語をめぐって作成される。そのことは松山大学のいう「高校教科書の内容に沿って出題した」という説明からも裏付けられる。文部省の教科書検定によってオーソライズされた教科書に載っているデータは同様にオーソライズされているのだから、大学入試問題で解答として要求しても構わない、という論理であり、これは一般に承認されていると俺は考える。だからこそ、高校教科書の範囲外から出題されると批判の対象となり、場合によっては受験者全員に得点が与えられるような措置が執られるのである。
 実は、この種の問題は、1999年度センター試験日本史B本試験でも出題されているのである。
近世の身分制と職業について述べた次の文ア〜ウについて、その正誤の組み合わせとして正しいものを一つ選べ。
ア 略
イ 略
ウ 牛馬の死体の処理に携わり、かたわら農業に従事するものを非人とよんだ。
 穢多と非人の相違を問う、センター試験としては難問のレベルに属する。それはさておき、この問題に関して部落解放を掲げる団体が大学入試センターに抗議したとかいう類の話は聞いたことがない。
 また、高校日本史教科書で最もシェアが高い山川出版社『詳説日本史B』には以下のように記述される。
…このほか、一般の僧侶や神職をはじめ、儒者・医者・修験者・陰陽師・などの宗教者、芸能者など職業によって区別される小さな身分集団が多数あった。その中で、下位に置かれたのがかわた(長吏)・非人である。かわたは百姓と同じように村を作り、農業を行い、皮革の製造やわら細工などの手工業に従事したが、死牛馬の処理や行刑役などを強いられ、江戸幕府の身分支配の下で「えた」という蔑称で呼ばれた。また貧困や刑罰により非人とされるものもあり、村や町の番人や清掃・乞食・芸能に従事した。かわた・非人は居住地や衣服・髪型などで他の被支配身分とは区別され、賤視の対象となった。
 以上のことを勘案するに、江戸時代の身分制度と職業の関係、および職業に関連した差別が存在したことは高校で教えるべき内容であり、すなわち大学入試問題として出題することは適当である。その理解を問うために、穢多・非人といった用語を問うことに問題はない、と俺は考えるのである。

■…ちょっと疲れた。続きは明日。


2003/03/19 [水]   

■阿久沢様のお力で、松山大学の日本史問題が手に入った。
幕府は農民や町人の下位に一定の政治的意図をもってあらたな身分を定め、それぞれに蔑称を与えた。これらのうち(1)皮革製造を生業としつつ死牛馬の処理や行刑役をしいられた人々と、(2)物乞い・遊芸をしながら村や町の番人や清掃に従事させられた人々は何と呼ばれたか、それぞれ記せ。
解答は(1)穢多、(2)非人ということで問題はないだろう。
 では、このような問題が差別的か否か、ということを考えなければならないが、俺の日常経験の範囲からは、このような問題が出たことによって差別意識を持つ受験生が現れることは想像しがたいし、被差別部落出身の受験生がこの問題を見たからといって、差別されたと感じることもまた想像しがたい(俺の想像が及ぶ限りの話である点は留保する)。理由としては「政治的意図をもって」「しいられた」「従事させられた」という表現から、出題者がこの種の差別を肯定的に捉えていないことは十分に伝わるからである。
 しかしながら、俺がひっかかっているのは、この問題が差別的か否かではない。
 松山大の入試問題作成者・責任者は、この問題を一旦は是として出題したのである。日本史の専門家ならば、今日に残る被差別部落の源流の一つが近世被差別民にあることを知らないはずはなく、今日も正に差別語として穢多・非人という言葉が用いられることは百も承知のはずである。それでもこれらの言葉を解答に選んだということは、これらの言葉が差別的に機能しないと判断したと同時に、これらの言葉を知ることで、身分制度の実態をよりよく理解しておくれ、というメッセージを込めたのだと俺は思う。
 ところが、どうして「深く反省している」などと簡単に言ってしまうのか。「受験生が心を痛めることになり」などとコメントしているが、そういう受験生が本当にいたのだろうか。受験生から「このような問題は出してほしくない」と言われたのだろうか。よしんばそのような抗議を受けたとしても、ひとたび穢多・非人を解答として求めるべきだと判断したのなら、なぜその立場を説明しないのか。「君はこの問題で傷ついたかもしれず、それに関しては謝罪する。しかし、これらの用語を問うことにはこういう意味があるのだ」と、どうして言えないのか。
 県同和教育協議会とやらも同じだ。抗議を申し込んだということは、この協議会の中に被差別部落出身者がいて、この入試問題に深く傷ついたからではないのか。自分の出自を軽蔑されたら、たとえ謝罪を受けても相手をそう簡単には許せないのではないか。地区であれ国籍であれ民族であれ。それが、どうしてこの程度の説明で「松山大の説明に納得できた」と言えるのだろうか。本当に、差別されて刻まれた傷は癒えたのか。

■俺の感じたことをまとめると、こうだ。
 県同和教育協議会は、穢多・非人という用語を記号として捉え、これらの言葉が使用されている文書は全て差別的だとして抗議した。抗議を受けた松山大も、同和関係団体の抗議は全て正当であり受け入れる以外の選択肢はないと「絶対的正義」の記号として捉え、謝罪した。謝罪を受けた県同和教育協議会も、謝罪を受けたことを「勝利」の記号として捉え、問題を収束させた。
 一言で言えば、言葉狩り、である。狩る方も悪いが、狩られる方がもっと悪い。


2003/03/20 [木]   

■あるいは俺たちが知らないようなとんでもない兵器がイラクにあって、サダムがそれ今すぐにでもを使おうとしているのかもしれない。あるいはイラクからテロ組織に兵器が渡っていて、日々なんとなく暮らしている人がたくさん殺される計画が立てられていたのかもしれない。それは何らかの理由で俺たちには知らされず、一部の国の指導者だけが知っているのかもしれない。
 だから、いくら反対の声が大きくても、イラクに爆弾の雨を降らせるのだ、とブッシュやブレアは(あるいは小泉も)、心を鬼にして自分に言い聞かせているのかもしれない。
 たとえそうであったとしても、それは彼らだけが知っていることであって、俺たちが知っているのは爆弾が落ちればやっぱり何となく暮らしている人々が間違いなく殺されるということだけだ。ここでサダムを殺らなければ大変なことになる、というのも、あるいは真実なのかもしれない。が、爆弾を落とせばイラクの男も女も子供も動物も、殺される。そのことを俺たちは知っている。

■ならば態度を決めるときにどちらを判断基底にするか。俺たちが知らない情報に基づいて行動する指導者たちを信頼するか。爆弾が落ちれば殺される、サダムの政治とは関係のない人間たちの死体が、60年ほど前に同じように空爆によって殺された俺たちの同胞と重なってしまう自分を信頼するか。
 どちらもありだとは思う。どちらが正しいのかは、まさに歴史が証明しよう。そして俺はこの戦争には反対する。俺が知っているのは、戦争が始まれば俺や俺の子供と同じようになんとなく生きている人々が間違いなく殺される、ということだけだからである。

■つーか、亡命してくれよ、サダム。メシおごるからさ。


2003/03/21 [金]   

■13歳のシャーロッテ・アルデブロンが アメリカ・メイン州の平和集会で話した内容■
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アメリカ人がイラクに爆弾を落とすことを考えるとき、
頭の中で想像するのは軍服を着たサダム・フセインとか、
銃をもった黒い口ひげの兵隊とか、バグダッドのアルラシード・ホテルの
玄関フロアに「罪人」と説明つきで描かれた父ブッシュ大統領のモザイク画
とかでしょう。

でも、知っていますか? 
イラクに住む2400万人の人たちのうち半分以上は15歳以下の子どもなんです。
1200万人の子どもですよ。私と同じような子どもたちです。
私はもうすぐ13歳ですけど、もっと大きい子たちや、もっとずっと小さい子たちが
いて、女の子ではなくて男の子もいるし、髪の毛は赤毛じゃなくて茶色だったり
するでしょう。でも、みんな私とちっとも変わらない子どもたちです。

ですからみなさん、私をよ〜く見てください。
イラク爆撃のことを考えるときは、
頭の中で私のことを思い描いてほしいからです。
みなさんが戦争で殺すのは私なんです。

もし運がよければ、私は一瞬で死ぬでしょう。
1991年2月16日にバグダッドの防空壕で、アメリカの「スマート」爆弾によって
虐殺された300人の子どもたちのように。防空壕は猛烈な火の海になって、
その子どもたちやお母さんたちの影が壁に焼きつきました。いまでも石壁から
黒い皮膚を剥ぎ取って、お土産にできるそうです。

けれども、私は運悪くもっとゆっくり死ぬかもしれません。たったいまバグダッドの
子ども病院の「死の病棟」にいる、14歳のアリ・ファイサルのように。
湾岸戦争のミサイルに使われた【劣化ウラン】のせいで、彼は不治の白血病にか
かっています。

さもなければ、生後18か月のムスタファのように、内臓をサシチョウバエの
寄生虫に食い荒らされて、苦しい不必要な死を迎えるかもしれません。
信じられないかもしれませんが、ムスタファはたった25ドル分の薬があれば完治
するのです。でも、みなさんが押しつけている経済制裁のためにその薬がありません。

さもなければ、私は死なずに何年も生きるかもしれません。サルマン・モハメド
のように、外からではわからない心理学的打撃を抱えて……。彼はいまでも、
アメリカが1991年にバグダッドを爆撃したとき、幼い妹たちと経験した恐怖が
忘れられないのです。サルマンのお父さんは、生きのびるにしても死ぬにしても
同じ運命をと、家族全員を一つの部屋に寝かせました。サルマンはいまでも、
空襲のサイレンの悪夢にうなされます。

さもなければ、3歳のとき湾岸戦争でお父さんをアメリカに殺されたアリのように、
私は孤児(みなしご)になるかもしれません。アリは3年のあいだ毎日、お父さん
のお墓の土を手でかき分けては、こう呼びかけていたそうです。
「だいじょうぶだよ、パパ。もうパパをここに入れたやつらはいなくなったから」と。
でもそれはちがったみたいね、アリ。そいつらはまた攻めていくらしいもの。

さもなければ、私はルエイ・マジェッドのように無事でいられるかもしれません。
彼にとっては、学校へ行かなくてよくなり、夜いつまでも起きていられるのが
湾岸戦争でした。でも、教育を受けそこなったルエイは、いま路上で新聞を売る
その日暮らしの身の上です。

みなさんの子どもや姪や甥が、こんな目にあうのを想像してみてください。体が
痛くて泣き叫ぶ息子に、何も楽になることをしてやれない自分を想像してみて
ください。崩れた建物の瓦礫の下から娘が助けを求めて叫ぶのに、手がとどかない
自分を想像してみてください。子どもたちの目の前で死んでしまい、そのあと
彼らがお腹をすかせ、独りぼっちで路上をさまようのを、あの世から見守るしかな
い自分を想像してみてください。

これは冒険映画や空想物語やビデオゲームじゃありません。イラクの子どもたち
の現実です。最近、国際的な研究グループがイラクへ出かけ、近づく戦争の
可能性によってイラクの子どもたちがどんな影響を受けているかを調べました。
話を聞いた子どもたちの半分は、もうこれ以上生きている意味がないと答えました。

ほんとに小さな子たちでも戦争のことを知っていて、不安がっているそうです。
5歳のアセムは戦争について、「鉄砲と爆弾で空が冷たくなったり熱くなったり
して、ぼくたちものすごく焼け焦げちゃうんだ」と語りました。10歳のアエサルは、
ブッシュ大統領にこう伝えてほしいと言いました。「イラクの子どもが大勢死にます。
あなたはそれをテレビで見て後悔するでしょう。」

小学校のとき、友だちとの問題は叩いたり悪口を言い合ったりするのではなく、
相手の身になって話し合うことで解決しましょうと教わりました。相手の行動に
よって自分がどう感じるかをその子に理解してもらうことで、その行動をやめさ
せるというやり方です。

ここで、みなさんにも同じことをお願いします。ただし、この場合の“相手”とは、
いま何かひどいことが起ころうとしているのを待つしかないイラクの子どもたち
全部です。ものごとを決められないのに、結果はすべてかぶらなければならない
世界中の子どもたちです。声が小さすぎたり遠すぎたりして、耳をかしてもらえ
ない人たちのことです。

そういう“相手”の身になれば、もう一日生きられるかどうかわからないのは
恐ろしいことです。

ほかの人たちが自分を殺したり、傷つけたり、自分の未来を奪ったりしたがったら、
腹が立つものです。

ママとパパが明日もいてくれることだけが望みだなんて、悲しいです。

そして最後に、自分がどんな悪いことをしたのかも知らないので、何がなんだか
わかりません。

(翻訳:星川 淳さん)
記事原文→ http://www.wiretapmag.org/story.html?StoryID=15291
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シャーロッテ・アルデブロンは、アメリカ・メイン州のプレスクアイルで
カニングハム中学校に通う13歳。
彼女への感想は、お母さんのジリアン・アルデブロンまで。
aldebron@ainop.com

★グローバル・ピース・キャンペーン★
OPEN-J BOOMERANG 309【13歳の演説】
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■転載・転送・大歓迎■


2003/03/22 [土]   

■摂津本山駅前で日本共産党がイラク戦争反対の演説をしていた。70歳を越えるかと思われるおじいさん党員。
 俺が日共を好きになれない理由は山ほどあるが、その一つに「ビラを手に持って、そこに書いてあることだけを演説する」というのがある。学生時代にいろいろあった民青同盟の諸君もそうだった。
 組織として責任ある言葉だけをマイクで話そうということなのかも知れないが、そんな誰でもできる演説なんか聴きたくないし、そういうやり方をよしとする党員各位も好きにはなれないのだ。政治演説も予備校の講義も演劇も、言わなければならないことはあらかじめ決まっているとはいえ、その場の空気や気持ち次第で抑揚も声の大きさも身振りも変わっていかなければならないという点で俺にとっては同じものである。伝えようとする・語りかけるとは、そういう姿勢だろう。
 で、昨日見た老党員も、ビラを片手にそこに記された文字を読む、という演説をやっていた。だが、一通り読み終えた後、彼はビラを持った手を下に下ろし、ビラから目を離してまっすぐ前を見て話し始めた。「今の若い皆さんは、平和な世の中で幸せに暮らしていると思いますが、私が若かった頃は戦火がたけなわで…」。
 日本に直接戦火は降りかかっていないかも知れないが、アジア・太平洋戦争後も世界は平和ではなかったし、百歩譲って日本が平和だったとしても、それはそれなりに若者は生きるのしんどそうだし、この老党員の話には全然シンクロしない。が、俺はそうは思わないよ、と俺に思わせる程度には、彼の話は俺に届いた。
 その人が見えるような話を聞きたいし、文章が読みたい。

■麦人が学童保育の「お別れ会」(学童保育に通えるのは5年生まで。要するに5年生の追い出しコンパだ)で垂水のユースホステルに泊まりに行ったので、今夜は俺と阿久沢と文人の3人で過ごしている。文人は麦人がいないと退屈かつ寂しいようで、やたらと親に甘えかかってくる。「ふーちゃん、お兄ちゃんがいないとお菓子も独り占めできるし、テレビも好きなのが見られるね」と言ってみたが、何も言わない。「お兄ちゃんがいた方がいい?」と訊ねると、大きく頷いた。「お兄ちゃんに無理やり見せられるテレビも面白いよ」とも。
 一人いないだけで、家の中が異様に静かだ。


2003/03/23 [日]   

■昼間、イラク戦争関係の日記サイトをぼつぼつ見て回ってきた。戦争致し方ない論(さすがに戦争万歳論はない)と戦争反対論に二分されているが、日本人の悪い癖である「問題を単純化して分かった気になって思考停止」が早くもあちこちに見られる。立ち止まるな!賛成反対どちらにしても、脳みそ絞れ。
 俺の感じるところでは、「気持ちでは戦争反対」なんだけど「北朝鮮から飛んでくるかもしれないミサイルのことを考えると…」という二つの問題意識の間を宙ぶらりんになって、その宙ぶらりんに耐えかねて、早々に自分の立場を固めてしまおうとしているのではないか。

■「『戦争反対』って当たり前のことを当たり前に言うよりも、『戦争は必然だ』って彼氏が言った」ことにどえらく感動している馬鹿な女子高生もいる。「戦争は必然だ」っていうのもずいぶん月なみだと思うけど、俺だって戦争が地上からなくなるなんて正直言って思ってないよ。朝鮮人の義兵闘争や、フランスのレジスタンスや、パレスチナ人のインティファーダや、東チモール人の独立戦争は支持するよ。俺も、大衆的実力闘争で闘うぞ!と叫んだことがある。でも、それを続けたら痛い目を見る人が多いからどうにかしようぜって話だろうに。そこで止まるな。
 「フランスは第二次世界大戦の時にアメリカに助けてもらったのに何だ!」とか怒っている大馬鹿な男子高校生。勉強したんだね。じゃ、太平洋戦争の時に原爆を落としたあの国の味方をするこの国の首相を殺しに行け、今すぐ。
 一つだけ、ううむ、と思った言葉は「こういう時だけ戦争反対を唱えて自分だけ綺麗なふりをするな」、というもの。その通りだ。

■戦争で最も痛い目を見るのが一般市民であることはいくら強調してもし過ぎることはないが、それは今日はおいておく。この戦争がやむを得ないと考える人々の多くも、それは承知の上で発言しているのである。おそらく日本の指導者たちも。そういう人々も俺も、自分が被害を受けるわけではないのは同様なので、イラク市民の犠牲を引き合いに出して説得するのはあまり気持ちが良くない。だからやめる。フセイン政権に虐げられた人々のためにもこの戦争はやむを得ない、というのも同じだからやめろ。
 機会があれば戦争反対デモにも行くつもりだが、戦争反対戦争反対、と呪文のように唱えるのは好きではないからしない。ライブの時に強制される手拍子みたいだからだ。黙って考えながら歩きたい。できれば、関心が薄れて人が少なくなってからデモには参加したい。

■前にも書いたように、この戦争の是非は歴史が決めるだろう。俺はこの戦争に反対する。それは、短期的(10年くらい)にも長期的(100年くらい)にも、この戦争は始めるべきではなかったし、避けることができただろう、と歴史が審判を下すと予想しているという意味である。俺も知らないことが多すぎるし、誰にも公開されていない機密情報もあるだろう。だから、本当なら俺はこの戦争に対する判断は保留すべきなのだが、予想としてものを言うことは許されると考える。

■この戦争のとりあえずの感想は「結局は強い者(フセインもブッシュも)が自分たちの好きなように世界をかき回し、正義の名において正当化することが21世紀も続いてしまった」ということに尽きる。ベトナム戦争は俺が生まれる前からの話だからともかく、この戦争は俺たちの世代が社会の中核となってから起きた戦争だ。その責任を深く自覚する。
 この戦争は長引くだろう。バグダッド陥落は早いかもしれないが、その余波は深く広く長く続くだろう。だからしつこく考え続ける。

■日記サイトを見た限りでは、次のような論点に集約されて議論は単純化される。
 ・イラクの大量破壊兵器破棄のために戦争以外の手段があったか?
 ・フセイン政権が弾圧した反政府派や少数民族を救うために戦争は正当化できるか?
 ・「正しい戦争」「やむを得ない戦争」は存在するか?
 ・戦争は人殺しだから許されないか?
 ・民間人の犠牲は許されるか?
 ・日本政府の「アメリカ支持」は是か非か?
 こういう浅い呼吸でものを考えるのはちょっとな、という感じだ。

■軽く深呼吸していくつか思うのは、タリバン政権もフセイン政権も、アメリカが育てたものだったよな、ということだ。前者はアフガニスタンでソ連を苦しめるため、後者はイラン・イラク戦争でイランを苦しめるために。それが巡り巡ってアメリカの手を噛んだわけで、結局アメリカは余計なことをしたために自分も苦労するし、周囲にもどえらい迷惑をかけたわけである。
黒い腹を抱えてよたよた歩き
お前の行くとこ必ず災いが起きる
                 上々颱風『張り子の虎』
ってわけだ。今回の戦争も、おそらく同じことになる。それもかつてない規模で災いが起きるだろう。
 力が正義だ、とは短期的にはそうなんだけど、長期的にはそうじゃない、ってことがだんだん分かってきたから国際連盟なり国際連合なりが作られて、利害を調整してあんじょうやりましょうや、って歴史は進んできた。世界の一部に不幸があったり、富や正義が偏在すれば、それは巡り巡って世界に害毒を及ぼすから、なるべく多くの国々が同意できるような枠組みを作りましょうや、っていう認識は、少しずつではあるが浸透してきたのだ。
 今回アメリカがやったことはその逆行な訳で、安保理なり国連が機能しないからアメリカが代わりにやったった、ではなく、国連や安保理で多数派を得られなかったことが事実なのである。独仏露がどのような理由でアメリカに反対したかは問題ではない。反対したという事実が問題なのだ。それを無視した結果、どういう悪循環が起きるかこそが問題なのだ。しかも、アメリカは世界に冠たるダブルスタンダードの国なので、お前に言われたくないよ、という感情的反発は今後、強まりこそすれ弱まることはないだろう。
 イラクの大量破壊兵器をどうする、国連決議無視を放置するのか、というのも「現実的」な議論には違いない(じゃ、なぜイスラエルを空爆しないのか、アメリカの決議違反は構わないのか、という反論はすぐに可能)。イラクを破壊してその後の中東世界が心配ではないのか、仮にイラクが大量破壊兵器を保持していたとしてもそのリスク管理と戦争のどちらが賢い選択か、というのも「現実的」な議論だったはずである。この戦争は何としても避けるべきだった。

■では、この戦争は避けられたか?アメリカがやる気にならなければ起きなかっただろう。それだけだ。アメリカ経済が戦争を続けなければ回らないから、アメリカにとっては不可避な戦争だった、と言えばそれまでだけれども。
 従って、世界の反戦運動が反米運動の色彩を帯びるのは避けられまい。それがアメリカが蒔いてしまった種である。不幸なことだ。


2003/03/24 [月]   

■戦争が奪っていくのは日々のなんとない幸せな暮らしなので、俺は精魂込めてなんとなく幸せに生きたいと思う。日曜日は学童保育の会計処理のため、あるお宅にお邪魔して領収書の整理など。親たちが作業をしている間、子供たちは近所の公園へ遊びに行った。文人は2人のおねえちゃんといっしょに幸せそうに砂の山を作っていた。
 テレビで戦争に関する討論番組が写っていていやぁな気持ちになる。反対派にしても賛成派(致し方なし派)にしても、口角泡を飛ばして相手を論破したり説得しようとする意気込みが、どうにも不愉快だ。

■俺は、他人を説得して自分の意見に賛同させたり、他人を何らかの社会運動や政治潮流に巻き込もうとすることを放棄した人間である。学生時代や社会人になってからのいくつかの経験を通じて、そういうことにつくづく向いていない人間であることに残念ながら気づかざるを得なかった。
 俺はひとの気持ちを思いやったり親しくしようという徳に欠けているうえ、偏屈で人付き合いがたいへん苦手である。こういう人間が社会運動のフロントに出ることはできない。また、俺の人徳のなさゆえに、俺の場合、他人を説得しようとする言葉・共感を得ようとする言葉は、ことごとく逆効果を生む。逆に、俺に向かう言葉もそうだ。俺を説得しようとするなら、説得してはならない。
 ああ、この人の考えていることは正しいのではないか、と俺が思うのは、言葉そのものではなくて、言葉の後ろにいるその人の佇まいとか、考え込んでいる姿だ。早川義夫が
掘り下げて語るべきはあなた自身さ
後出しジャンケンするな
オカモチのハエになるな
愛のある批評でなければじーんと来ないぜ

感動はどこからやってくる
幸せはどこにある
本当の評論ならばあなたの歌が聴こえてくるはず
                 『批評家は何を生み出しているのでしょうか』
って歌っているように、例えば戦争について語っていても、その人自身のことが語られているような文章なり表現だけが、俺を動かす。
 デーブ・スペクターをはじめとする討論屋は、どうにもこうにも不愉快だ。オカモチのハエだ。

■デモに行きたい。顔を上げずに、黙って考えながら歩きたい。

■最近読み終わった本。
加藤詩子『一条さゆりの真実』(新潮社)
北博昭『二・二六事件全検証』(朝日選書)
山田風太郎『戦中派不戦日記』(講談社文庫)


2003/03/25 [火]   

■今日は今日で、反戦デモに参加する資格などないなぁと思った一日。
 アメリカ軍の中で内ゲバが起きてけが人が出たとか、アメリカ兵がイラク軍にとっつかまったとか苦戦しているとかいうニュースを耳にすると、9・11の第一報をラジオで聴いたときの時のようなにやにや笑いが抑えられないでいることを正直に告白する。イラク頑張れとは思わないけれど、アメリカ軍が簡単に勝利をおさめては面白くない、ちったぁ苦しめ、と囁く悪魔が俺の中にいることはちゃんと書いておこう。その一方で、アメリカ人もイギリス人もイラク人も死なないでくれよ、っていう思いもちゃんとあるんだけれど。
 9・11の時にも書いたような気がするが、こういう反米意識ってのは、太平洋戦争に敗れたことに淵源があるのではないかという気がしてならない。

■午前中、スポーツクラブで汗を流す。短時間で追い込んだので、ちょっと首が痛い。明日は休もう。ロッカールームにちょっと痴呆気味のおじいさんがいて、ロッカーに荷物を入れたとたんに自分のロッカーがどれだか忘れてしまったらしく、裸のまま大変に困っていた。スタッフを呼んであとは委せた。このおじいさんに会うのは今日で2回目。

■午後は新開地で開かれていた、ドキュメント展「湊川新開地古今遊覧」というのを見に行った。昔からあるお店のマッチとか食器とかが展示してある。20世紀はなんだか懐かしい。
 新開地は大正〜昭和初期にかけて、遊郭街福原を後背に置き、今の渋谷なみに栄えた歓楽街だった。写真を見ると、ずらりと並んだ映画館には幟やらポスターやらがぎっしりと飾られ、道は人でいっぱいで、当時のざわめきがきこえてきそうなほどだが、戦災で大きな被害を受けて今や見る影もない。まあ、ドヤ街の佇まいだ。俺は新開地みたいな「昔は華やかだったけど今は廃れちゃった」っていう街に惹かれてしまう。今、華やかな街を歩きたいとは思わないが、廃れてしまった町のそこかしこに残る、華やかさの名残りみたいなものを探して歩くのが好きだ。きっと、あと20年もすれば日本全体が新開地みたいになるのだろう。そしたら俺は毎日散歩して回るのだ。


2003/03/26 [水]   

■春先の雨はいい。寒いんだか暖かいんだか全然曖昧で、激しくもない雨が。これから何か始まるかもよという予感と、別に始まらなくてもええやんというふやけた優しさと。

■昼過ぎまでうだうだして、夕方からマスコミセミナーで論作文の講義と面接の練習をする。みんな、行きたい会社に入ってくれるといい。予備校で教えても同じことを感じるのだが、ある場所から次の場所へジャンプしようとする若い衆を少しだけお手伝いするのが、俺に与えられた役割のようだ。跳び箱を跳ぶときの補助係みたいな。

■帰りの阪急電車の中で酔っぱらいのおじさんが大声で独り言を延々としゃべっていて面白かった。動物は怖い→教員は阿呆だ→教育は大切だ→親を大事にしろ→イスラムでは親を殺されたら子供が殺しに行くんだ、と論点が猫の目のように移りかわって、聞くものを飽きさせない。
 以前、阪急宝塚線と神戸線には、なんっちゃって車掌が出没した。やや知的障害があるように見受けられる20歳くらいの男の子が、ホンモノの車掌よりも車掌らしく駅名アナウンスをし、乗り換えの案内をし、「電車とホームの間が離れているところがあります」と教えてくれる。出発の際には指差しをしてドア付近の安全確認も怠らない。その姿勢がとっても真摯で、彼を見続けるために用もないのに終点まで乗ってしまったほどだ。

■10時ごろ帰宅。子供たちはちょうど寝室で寝かしつけられているタイミングだったので、そーっと荷物を置いて、服を脱いで風呂に入った。湯気に包まれてぼーっとしていると、ピカチュウのパジャマを着た文人が浴室の扉を少し開けて覗きに来た。にやーと笑って、小さな声で「パパおかえり」と言い、また寝室に帰っていった。かわいいやつ。


2003/03/27 [木]   

■今でも一番好きな季節は自分が生まれた秋なんだけど、春もいいなぁと実は思っている。最初に、おお春!と思ったのは、大学に入学して寮に入って、真夜中、目抜き通りに寮自治会の立て看板を出すため、誰もいないキャンパスを大きな立て看板を抱えてえっちらおっちら歩いていたときだ。花粉を含んだ空気が、何か始まるよ、と教えていた。そこから始まった「何か」の中のいくつかは、今でも俺の中にある。
 時は流れ、逃げも隠れもなき中年に達した今も、春の空気は何かわくわくすることの始まりを告げようとする。でも、もう俺に新しく始まることなどそうそうあるわけもなく、別になくたって十分に楽しんでやっていける。俺は、そのわくわくする予感をそれ自体として嬉しく思えるようになったのだ。春万歳。

■水曜日は予備校のオープンキャンパスというのがあった。まあ、顔見世興行みたいなものだ。日本史の学習法を1時間で説明する、というのが俺に振られた役目だが、最初はたるそうに聴いている受験生(もちろん今日が初対面)が、途中から顔を上げて、じぃっと話を聴いてくれるようになるのが単純に嬉しい。俺も捨てたもんではないじゃん、と思い上がるのはこんなときである。

■使ったな、劣化ウラン弾。クラスター爆弾。鬼畜米英、と書きたい気持ちをぐっと抑えて(あ、書いちゃった)、確実と思われる事実は押さえておこう。たくさんの人が殺されれば感情的にもなるし、感情的になるべき局面もあろう。が、戦争を止めるには、戦争はしたくないという人間がいなくてはならない。俺にそういう人間を増やす力はないが、自分がそういう人間でありたいと思う。とりあえず。

■週刊プロレスの記事を読んで、冬木弘道がホントに死んじゃったんだ、っていうのがようやく実感を持ってきた。ジャイアント馬場が亡くなったときはただただ驚いたばかりで、今でも悲しみより驚きの方が大きいくらいだ。見る者の神経を逆なでする理不尽大王・冬木弘道が、死んで、葬儀でみんなに涙を流してもらって……そんなキャラの崩し方があるかい。理解できねーよ。
 冬木弘道。自分の末期ガンまでも興業のネタにしたレスラー。どうせネタだろうと言われ、多くのプロレスファンが死亡記事を見るまで、彼の病気について半信半疑だっただろう。虚実皮膜のプロレスを、文字通り生と死を賭して演じたレスラー。俺は記憶する。

■冬木弘道を哀悼して、トップページをしばらく黄色にします。


2003/03/28 [金]   

■昨日(27日)は差し迫った原稿締め切りもなく、のんびりと一日を過ごした。昼寝も少しした。落ち着いて昼寝したり本を読んだりする場所と時間があれば、俺はもうそれでいいよ。もっとも、そのためには多少のお金の余裕もいるし、気持ちの余裕もなければならないし、身内や親しい友人が幸せでないとだめだし、そのためには結局世の中が平和でないと困る。けっこう贅沢な望みなのだ。

■夕方、文人を保育園に迎えに行くと塗り絵をしていた。ここ数ヶ月、彼は塗り絵にはまっていて、迎えに行ってもきりのいいところまで塗り終えないと帰ろうとしない。そんな彼を見ていると、まるで職人のようだ。右半身はぐっと脇を締めて色鉛筆を握りしめ、左の肘は逆に前に張りだして紙を押さえ、なんというか、姿勢がキマっている。表情も真剣そのもので、舌をときどきぺろっぺろっとして、上唇を舐めあげる。使う色はピンク・黄色・オレンジ色と暖色系が中心で、美意識にも確信が見られる。こっち方面に進む人間なのかな。要観察。

■暖かくなってくると、冬は家の中で大事にされていた赤ちゃんたちが、抱かれたりベビーカーに乗せられたりして、街にその姿をあらわす。おぉ、という感じで、ついつい見入ってしまう。目が合ったりすると妙に幸せな気持ちになる。
 赤ちゃんが佳い部分はたくさんあるが、俺は「無意味にぱたぱたする手足」が最高に佳いと思う。麦人や文人くらいに大きくなってしまうと、手足はもはや合目的的にしか作動しない。食べものを取ったり、テレビを付けたり、弟を殴ったり、服を着たり、という目的がないと動かないのだ。ところが赤ちゃんの手足は、まったく意味もなく上下に動いたり、脚をつっぱたり曲げたりする。それも、とても楽しげで力いっぱいに。そういう無意味さに、生の本質の一つを見るような気がする。


2003/03/29 [土]   

■昨日、文人を保育園に迎えに行くと、部屋の隅でふとんを敷いて寝ていた。お昼ごはんの後、腹痛を訴えたとのこと。熱も37度台半ばある。おなかに来る風邪が流行っているらしい。帰りがけに病院へ行こうかと手をつないで歩き始めたら、保育園の廊下で吐いてしまった。「鼻がつーんとする」と涙声になる。そのまま病院へ連れて行く。やはり風邪とのこと。週末は自宅安静で決定。気候もいいし、ごろごろしていれば治るだろう。

■一昨年の9・11事件あたりから、報復戦争や今回の対イラク戦争に反対する人々に対して「平和ボケ」という悪罵が投げられることが目立ってきたように思う。なんかヘンな感じだなぁとつらつら考えていたが、その理由が分かったような気がしたので書き留めておく。
 まず事実として、日本は1945年8月に敗戦を迎えて以来、他国なり組織的な戦闘部隊と戦争状態に入ったことはない。すなわち、60年ほど「平和」の中にあったのである。ということは、「平和ボケ」なる批判をする側もされる側も、「平和」の枠外に出たことはない。「平和ボケ」批判とは、「平和」の内側にある人間相互の間で行われる批判ということだ。
 ある者が別の者を「平和ボケ」と批判する場合、本来は、戦争とは何かを知っている者だけが批判する資格を持つ。そうでない者が「平和ボケ」を批判するときは、自分の頭の中で「戦争とはこういうものだろうから、こういう備えが必要なのだ」と、報道や書物などで集めた知識から戦争についてのイメージを組み立て、国家として個人としてどう準備・対処するかを考え、そうでない政治家・個人がいると批判するのであろう。
 俺がヘンだなと思うのは、「平和ボケ」批判をする者は、自分が戦争というものを知っている(少なくとも「平和ボケ」している者よりは)と信じているように見える点なのだ。例えば、敵がこちらに向けてミサイルの準備をしている→だからこちらも迎撃ミサイルの準備をするべきだ、というのは、本当にリアリズムを根底に置いた対応なのだろうか(そうでないとは俺も断言はしない)。徹底的な殲滅戦を行うというのであればそれも一方策かなという気がするが、国民の生命・安全を守ることを第一義に置いた場合、そういう単純な論理操作が「平和ボケしていない」ことの証左になるのだろうか。むしろ、それこそが「平和ボケ」なのではなかろうか。
 日本に住む者は、好むと好まざるとにかかわらず、「平和ボケ」以外の生き方はできなかったのだ。俺は「平和ボケ」していない、と思う者たちが立案する「平和ボケでない」政策の単純素朴さが俺はおそろしい。戦争を避けるために古人が四苦八苦して編み出してきた手練手管を、しっかり学んでほしいのだが。
 現在の防衛庁長官である石破茂氏は鳥取選挙区選出の代議士だが、俺が鳥取にいた頃に行われた総選挙の際の演説で、彼はこう発言した。「我々政治家は、政治改革でを流します!だから国民の皆さんも、PKO法案でを流して下さい!」。俺はすごく不安なのだ。例えば単純を通り越しすぎたシンプルすぎる彼のアタマの構造に、俺はたいへん不安をおぼえる。


2003/03/31 [月]   

■昨日読み終わった本。
野口武彦『幕府歩兵隊』(中公新書)
→「別に『天皇』とか『将軍』とかパーソナルな忠誠対象がなくても、兵士はけっこういい戦争をする──それが幕府歩兵隊が後世に伝える《物語》なのである」
「武士の甲冑姿から帝国陸軍のカーキ色の群れへの過渡期に、一種異様な風体で出現してすぐ消え去った幕府歩兵隊の残像は、しかしただ童話の鉛の兵隊のように歴史館に陳列されているだけの遺物ではない。なるほどその活動は一回的であったけれども、来るべき《国家一朝有事》のとき、誰のために誰が血を流すのかという永遠の問いかけを後世に発し続けているのである」

■昨日は阿久沢の知り合いのマスコミ関係者が2人、子供を連れて遊びに来てくれた。いや、もともとは俺の学生時代の友だちなのだが、俺は人付き合いが悪いし、マスコミ業界からケツまくって逃げた人間なので業界に関わる話はしたくないし、いつのまにやら俺の知り合いから阿久沢の知り合いにシフトした形になっている。
 その2人の中の1人がしゃべるしゃべるしゃべるしゃべるしゃべるしゃべる。よくこれほどまでに自分のことやら自分の知り合いの話やら自分の仕事の話ばかりを延々としゃべることができるものだと、プラスにもマイナスにも感心した。
 俺もかつては口数が多い方だったが、阿久沢と結婚してから無口になった。それは阿久沢の方が口数が多いからだ。二人でべらべらしゃべりまくっていたら、家の中がうるさくてかなわないし、俺は仕事で一日中しゃべっているので、家に帰ってまでしゃべりたくはない。かといって聞き上手というわけでもない。阿久沢は仕事で会った人とか見た映画のことを一生懸命話してくれるのだが、俺は全然知らない人と映画のことを2分以上説明されると、訳が分からなくなってしまう。「うむうむ」と、一生懸命話してくれる阿久沢に感謝の意を込めてうなずくのだ。