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2003/06/01 [日]   

■31日は京大吉田寮で講演会。颱風が心配だったが、ほとんど雨も降らず無事に終了した。60人ほどの人が来たそうで、まあまあ成功の部類に入るか。
 ここ数日の日記に書き流したことをとりとめもなく語り散らした。心構えとしては、寮生を挑発して怒らせて吊し上げてもらおうと思っていたのだが、割とおとなしく聴いていたのが意外と言えば意外であった。
 そうそう、5月28日の日記で俺は、寮祭パンフに掲載されている「銀座湯」の広告が手書きであることを批判したのだが、それは実は「銀座湯」のおばちゃんが手書きで寄越した原稿ということだ。俺は寮祭実行委員会、または企画者が自分で適当に書いたのだろうと勝手に思いこんでいた。この場で不明を恥じ、お詫び申し上げる。

■かつての寮生や予備校のOBら、懐かしい顔もいくつか。
 講演終了後、学部学生が授業の課題で折田先生像について番組を作るので、折田先生像に最初に色を塗った男として取材させてほしいとのこと。ゴルゴ13となっている折田先生像の前でカメラを回す。当時、吉田寮を取りまく状況や、バブルに浮かれて明るく健全になっていった街やキャンパスに言いようのないいらだちを感じていたため、大学のあちこちにスプレーで落書きをしていたこと、折田先生を赤く塗ったのもその一環で、別に折田先生の像をどうこうしてやろうという意図は全くなかったこと、などを正直に話した。「旧三高の方々が、折田先生像があのようになっていることを『悲しい』と言っているが、それについてはどう思うか?」と問われる。「それについては申し訳ない、ごめんなさいとしかいえない。しかし、キャンパスは現在と未来の学生のものであり、過去の学生が悲しむのは理解できるが、致し方ないことだ。むしろ、肯定にせよ否定にせよ、像を飾ることの是非をめぐって様々な意見が出ることは喜ばしいことである。折田先生もきっと喜ぶだろう」と答えた。

■キャンパス建物多すぎ。息苦しくなった。吉田神社とか周辺をちょっとぶらぶらしてから帰宅。


2003/06/02 [月]   

■一日オフ。原稿仕事をちょっとだけかたづけて、後は家のことをしたりしなかったり。昼過ぎにスポーツクラブへ行って筋トレと有酸素40分ほど。帰宅後、子供が遊び回る中、フローリングに枕だけ置いて仮眠を取る。こういうのが一番気持ちよかったりする。

■麦人が電話でアポを取って友だちと遊ぶようになった。平日は学童保育でイヤと言うほど遊んでいるのだから、週末くらい自宅でマターリしておればよいと思うのは大人の考えに過ぎない。彼は番号簿を見て、プッシュボタンを押して、「もしもし。とだむぎとです。今日、遊びたいんだけど、いいですか」と相手の親御さんとネゴシエーションする。初めて自分ひとりで電話をかけたときは「この棒は何を押せばいいの?」と聞いてきた。─(ハイフン)がプッシュボタンにはないからだ。
 商談成立の確率は高くはないが、自分の欲求を、近代的な道具を通して、自分一人ではっきり相手に伝えている。「個人」がそこに立ち上がりかけているのである。ちょっと感動した。また育児の一幕が終わったような気がした。

■子供って一定の年齢に達するまでは、友だちと同じ場所にいても、一緒に遊ぶことってできないのだ。それぞれ関係のない方を向いて、自分が好きなおもちゃで自分一人で遊ぶのだ。それが3歳を過ぎたあたりから友だちと走り回ったり、協力して穴を掘ったりするようになる。自分の子供がよその子と顔を見合わせて笑い合っているのは、実に佳い光景であった。


2003/06/03 [火]   

■「現実が、それほど大切か。世界には人生には、現実よりもっとたいせつなものがあるのではないか。そして、それがなれけばいくら豊かになっても強くなっても、私たちの胸には一抹の『虚しさ』が残るのではないだろうか」(香山リカ+福田和也『「愛国」問答』p20)

■帰り道、JRの踏切を渡ったあたりで昨年度の生徒さんに声を掛けていただいた。有り難いことである。突然だったのでたいした話もできなかったが、幸多かれと祈ります。


2003/06/04 [水]   

■おとうさんきんぎょが死んであかちゃんきんぎょだけになっていた金魚鉢に、新顔を2匹入れた。琉金と小赤。これで小赤2、琉金1の3匹構成となった。文人に「あかちゃんきんぎょをおとうさんきんぎょにして、新しく来たのをあかちゃんきんぎょとおかあさんきんぎょにしようか」と世代交代を提案してみたが「今のままでいい」と却下された。
 新しく来た小赤は、以前からいる小赤の四分の一くらいの大きさしかない。というか、数年の間にもとからいる小赤が大きくなったのだ。その分色素が拡散したのか、新顔2匹に比べるとなまっちろく見える。その大きい小赤は琉金の後を追いかけて、けつのあたりをつついている。

■最近買ったCD。
よしだたくろう『ひきがたり』
吉田拓郎『月夜のカヌー』

■ちょっと久しぶりにフィッシュマンズを長時間聴く。人はいつでも見えない力が必要だったりしてるから悲しい夜を見かけたら君のことを思い出すのさ。


2003/06/05 [木]   

■風呂上がり、素っ裸の麦人がふとんに寝そべってポーズを取っている。左腕で頭を支え、横向きに寝て、脚は「く」の字を横にしたような形で折り曲げ、奇妙な笑顔を浮かべている。何やってんだお前と聞いてみたら、「ピンクチラシの真似」と返事が返ってきた。神戸市迷惑防止条例徹底施行!(嘘)

■スポーツクラブへ通い始めてもう10ヶ月近くなる。自分は運動嫌いだと思っていた俺にしては上出来である。つらつらそのあたりの事情を考えてみるに、俺は運動そのものが嫌いなのではなく、学校時代に避けることが難しかった運動にまつわる人間関係と命令・服従の関係が嫌なのである。
 小学校・中学校時代は、「逆上がりができた人から自分の列に戻ってよい」と教師が言えば俺は必ず最後の一人か二人であったし、かけっこをすれば人目を気にしつつびりであったし、跳び箱の上で前転するなんて恐ろしくてギャラリーにごまかし笑いを振りまきつつ跳び箱を跳ばずにスルーしていた。
 それでは競技ではなく、楽しむためにやる野球やサッカーや山歩きはどうかというと、これも人間関係が超面倒くさそうだ。練習や試合が終わった後、打ち上げに行きましょうとか言われて、断ることを想像するだけで鬱陶しい。何を好きこのんで、仕事以外の場所でそんなことに首をつっこまねばならないのかと思う。
 そこへくるとスポーツクラブは大変よろしい。誰とも会話せず、自分の身体のことだけ考えて、もくもくとマシンを動かし、トレッドミルで走り、フリーウェイトをしていればいいのだ。筋トレの集団レッスンを受けても、インストラクターさんは「しんどいときは休んで下さい」と言ってくれるから、周囲を気にせず自分がやりたいようにやることができる。他の会員も、自分の姿を鏡に映してフォームチェックに忙しいから、俺が多少失敗したり手を抜いたりしていても誰も気にしない。まあ、ときどき隣のトレッドミルから話しかけてくるおっさんがいるが、苦しいふりをして無視である。黙って走っておれ。
 そして家に帰って、阿久沢に「ほれ、筋肉がついたぞ。腹がへこんだぞ」と自慢するのだ。阿久沢に自慢していれば俺は十分に満足なのである。


2003/06/06 [金]   

■午前中、歯科検診へ。歯・歯茎とも問題なし。

■スポーツクラブ、最初はもっぱらジムエリアでマシンを相手にうんうん唸っていたのだが、最近はプールにも足を踏み入れている。
 泳げと言われれば多少は泳げないこともないが、泳ぐとなると何も考えず、頭の中を真っ白にして真剣に手足を動かさないといけない。それがもったいなくて、俺はプールでは歩くだけにしている。歩いていると、あれこれくだらないことを考えることができるから、歩く方が好きだ。大股で歩いたり速く歩いたり、水を蹴飛ばして歩いたり、いろいろバリエーションがある。
 「歩いてみよう」なるレッスンもある。インストラクターさんの指導のもと、様々な歩き方で500メートルを歩くというものだ。おじいさんおばあさんがメインのクラスのようだが、インストラクターさんが強い負荷のかかる歩き方も教えてくれるので、きっちりやればかなりのものだ。頭の中で歌ったり、家に帰ってからやらなければいけないことを反芻したりしながら、一生懸命歩く。
 しかしそれにしても、一部のおばあさんとおばちゃんたちはどうして黙って歩けないのだろう。何かを伝えるために話すのではなく、ただ話して音を立てることに意義があるという話し方をする。それはそれで一つの文化だと思うが、横向かないでさっさと歩け。邪魔だ。もっと言えば口がくせー。あんまり息を吐かないでくれ。

■吉田拓郎の最新作『月夜のカヌー』、これ実は傑作なのではないか。
 俺の考えでは、吉田拓郎の額がハゲの領域に達したと100人が100人認めるようになって以後の作品は、基本的に全て駄作である。が、これはいい。一曲目のイントロが聴こえた瞬間に、おおこれは!と感じるものがあった。歌詞カードをよく見れば、おお!岡本おさみとのコンビ復活ではないか!これは拓郎、本気だぜ。はやくガン治して帰ってこい。
 2曲目で、夜遊びする少女に対して「親はいるんだろ」「もう帰った方がいい」と歌いかけるのには最初、拓郎老いたり、と思ったが、50代半ばのおやじはそう言わなくてはならない。ここで「もう帰った方がいい」と言わないおやじは援交おやじだ。
 誰かが若者たちに言わなければならないのだ。「もう帰った方がいい」「君に才能はないのだから、普通に暮らせ」「サラリーマンを馬鹿にしちゃだめよ」「いつまでも若くはない」と。拓郎は、その役割を厳かに引き受けたのだ。この覚悟、美しくないはずがない。


2003/06/07 [土]   

■文人が「昨日は夢がみれなかった」という。毎晩、同じ夢をみているのだという。何の夢をみているのかと問うと、それは内緒だという。「すぐにママや先生にいうからだめ」と言う。「絶対に誰にも言わないから教えてよ」とお願いしたら、「じゃあだっこして」と言うので抱き上げてやったら、耳元で「×××の夢」と教えてくれた。なるほど。納得。

■最近買ったCD。
ニューエスト・モデル『ビースツ・ヒッツ』

■なんか結構草臥れているみたいで、12時間以上連続睡眠。いろいろ面白げなことを考えたような気がするが全部忘れた。麦人が脚をOの字にして、両手を万歳の形にしているのが面白かった。

■南の海へ行きたい。南の海はなんだか「結論」という気がする。そこに行き着くために人生があるような。もちろん輪廻転生があるからそこで全てが終わりになるわけではない。が、南の海は、輪廻転生の節目みたいな感じがするのだ。そんなわけで今年の夏も沖縄へ。

■昼間は麦人の同級生が遊びに来た。身長は文人の方がほんの少し大きい。やはりこいつは巨大だ。ひとしきりキューブで遊んだ後、てんでにおもちゃの剣を手にしてちゃんちゃんばらばらしていた。いつの時代もこれが基本か。襖や壁を突かないようにだけ注意して放置。


2003/06/08 [日]   

■久しぶりに麦人と長時間にわたりプロレスごっこをした。彼の得意技の一つに、ウラカン・ラナ(<ウラカン・ラナ・インベルティダ>向き合っている状態からジャンプし相手の頭を両足で挟み、そのまま相手の股をくぐる様に体を反らして丸め込み、フォールする技。日本ではウラカン・ラナもしくは、ウラカンと略されて使われる)を背中側から掛けて敵を後ろ向きに倒す、という技がある。どう考えても掛ける側にダメージが大きいプロレスの王道を行く技だが、この技を今日受けてみたところ、麦人は後ろに倒れ込む際に後方の壁に頭を打ち付けるというアクシデントが起きた。身長が伸びているので、目測を誤ったらしい。

■その麦人を風呂上がりに体重計に乗せてみたら28キロもあった。道理でプロレスごっこをしても容易に制圧できなくなったはずだ。しかも贅肉が全くない。尻や腿、胸から腕にかけてのあたりに呆れるほど筋肉が付いてきている。ぺちぺち叩いてやるとにやにや笑って得意そうである。生まれた時は3キロちょっとしかなくて、あおむけになってふにゃふにゃ泣いているだけだったやつを、俺たちがここまで大きくしたのだ。単純に嬉しい。

■夜、ダイエーへ買い物に出た阿久沢を追って、「ふーちゃんも行く!」と文人が大急ぎで玄関を飛び出した。結局追いつけなかったようで、「ママいなかった…」と半泣きになって走って帰ってきた。


2003/06/10 [火]   

■以前、ここで引用したモダンチョキチョキズ『ふられ節』の歌詞に間違いがあることが分かった。俺の聴き取りが悪いのである。正しくは
心 メーター振り切って
外向きの車座で
トホホ人生だけ呑み込んで
ゆるゆるゆるーい
だ。「心 メーター振り切っ」た「トホホ人生」。泣き笑いしそうです。

■京都の町を、夜が明けるまで目的もなく、一人でぶらぶら歩き回っていた20歳の夏をふと思い出す。俺の原型はやはりあの頃にほぼ固まっているような気がする。目的もなくぶらぶらするのが京都の町から時空が広がって人生全部になっただけで。あの頃俺は疲れ果てて吉田寮に帰り着き、夕方までぐうぐう眠って一番風呂に出かけたものだった。今度も、疲れ果てたらどこであろうとぐうぐう眠るのさぁ。


2003/06/11 [水]   

■電車に乗るときに横入りするやつが俺は嫌いだ。横入りに限らず、「みんなが欲しい/したいと思うことを公正な手続きを経ることなく、我先にゲットしようとするやつ」ってのが気になって仕方がない。横入りしようとするやつ、降りる人が済む前に乗り込もうとするやつは身体を張って阻止する。そのためにこそ俺の図体は大きいのだ。
 これは正義を愛するとかそういう感性というより、俺の生育歴のどこかでそういう嗜癖がインプットされているのだ思う。いろいろ思い出そうとしているが、なかなか思い当たる節がない。一番嫌なのは、横入りするやつではなく、そういうどうでもいいことが気になる自分自身なのだ。

■学校から帰ってきた麦人に熱がある。元気はあるが37.8度。のども少し痛い、頭がふらふらするというので医院へ行って風邪薬をもらってくる。「熱が下がれば学校へ行けるよね」と何度も繰り返す。勉強は嫌いだが友だちと会えないのはつまらないらしい。


2003/06/12 [木]   

■阿久沢が「最近の女の子って身長が高いのか。予備校でもそうなのか」と聴く。雑誌で、背の低い女の子たち(ミニーちゃんとかいうらしい)の悩みが特集されていたという。そのミニーちゃんとかいうのは、身長155センチくらいなのだそうだ。
 俺は自分を基準に物事を考えるので、女の子=自分よりは背が低い、として一括整理している。だから、155センチの子も165センチの子も同じに見える。「私って背が高いんで…」と言われて初めて、ああほんとだ、大きいんだ、と気づく体たらくである。よって、最近の女の子が大きいのかどうかはよく分からない。ただ、小さめの女の子は俺の鼻の穴がよく見えるだろうなあ、と考えてしまって、ミニーちゃんとは並んで歩くのは遠慮したい、などと思うのみである。

■麦人が風呂から上がってから、5分ほどエキジビジョンマッチを戦う。今日の麦人はゲームキューブの「大乱闘スマッシュブラザーズ」のキャラクターの動きを真似たかっただけのようで、さっぱり闘志が伝わってこない。くるくる回ったり、あちょーとか叫んでヘンなポーズを取るだけだ。あっさり捕獲して三角締めを決めてフィニッシュ。そのまま寝かしつけ。

■今日読み終わった本。
内藤陽介『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)


2003/06/13 [金]   

■麦人が小学校の国語の授業で俳句を作っているらしい。大半は彼の作る駄洒落と同様、コメントに困る出来だが、一つだけとんでもない名作をものした。

  古 い 井 戸 誰 も 使 わ ず 夏 が 過 ぎ    麦人

 彼は一生分の文才を今日、一気に使ってしまったかもしれない。

■次々に俳句を詠みながら、麦人は文人と組み体操をやっていた。


2003/06/16 [月]   

■サイトを置いてあるサーバーがダウンしていたので、この日記も更新をほっとらかしにしておいたが、この週末もいろいろなことがあった。

■【金曜日】
 麦人が学童保育で怪我をして帰ってきた。天気が悪かったため、室内で野球ごっこをしていて近くにあったパイプ椅子に顔をぶつけ、右目のすぐ右を切って外科医で1針縫った(写真日記参照)。目でなくてよかった。かなり危ないところであった。バンソーコがまぶたにかかっているので瞼を開きにくいらしく、右目に連動して左目もまぶたが半分ふさがったような状態になっていて、ちょっと人相が悪い。

■【土曜日午前】
 麦人の授業参観。今度、生活科の授業で、商店街の店主さんたちにインタビューする「街探検」というのをやるので、そのリハーサルとして参観に来た保護者を店主に見立ててインタビューする、というもの。5人一組のグループになって質問しに来るのだが、「何という店にインタビューに来たのか」を言わずにいきなり「一番よく売れる品物は何ですか?」などと聞かれるので戸惑う。適当に「豚肉です」と答えると、「違うよ、文房具屋さんでしょ!」と利発そうな女の子に叱られた。
 麦人のグループは挨拶も抜きに「今日のニュースは何ですか」ときた(新聞販売店へのインタビューらしい)。ちなみにグループ名は「ハテナフルーツグループ」。麦人が考えたらしい。

■【土曜夕】
 難波knaveへ早川義夫ライブを聴きに行く。佐久間正英がギターでサポート。上手い。
 ジャックス時代のマスターピースから、『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』からも数曲、復活後のソロワークからもばりばり、と、とにかくたくさん歌いたい、という気持ちが伝わる、よいライブであった。ただ、早川のライブはどうしても息を詰めて、身体を硬くして、唇を噛み締めて聴く、ということになってしまいがちなので、首が痛いし肩は凝る。もっとも、それだけのテンションを聴き手に要求する歌い手は早川義夫くらいのものだ。聞きながすのではなく消費するのではなく癒されるのではなく、闇と向き合うため歌。
 今回、一番届いたのは『父さんへの手紙』かな。「ねえ父さん」という呼びかけのフレーズを丁寧に歌っていた。「ねえ父さん/あらゆる儀式は/わざとらしく無駄で滑稽なものだよね」「相も変わらず僕は偏屈で/人と同じ気持ちになれない」「ねえ父さん/いつになったら/僕は素直になれるのでしょうか」。
 早川は相変わらずの存在感だが、ステージに登場してピアノの前に座るまでの間と、歌い終わって「ありがとうございました」と言ってステージを横切って控え室に戻るまでの間は、小柄な、優しそうな「ただのおじさん」に戻っていたのがよかった。すごくスケベそうな口元だと思った。
 音楽の趣味というのはあらゆる嗜好の中でも最も保守的なものの一つで、若い頃に聴いていた音楽は一生聴き続けることになるそうだ。阿久沢が何かの本で読んだらしい。確かに、俺が今現在聴いている音楽の大半は、10代後半〜20代前半にかけて聴いていたものの延長線上にある。逆に、俺は例えばビートルズやストーンズを含めた洋楽に今ひとつのめり込めないのだが、確かに若い頃にもあまり聴いていなかった。
 あのころ、ジャックスは幻の、伝説のロックバンドで、レコードも全て廃盤、お茶の水ジャニスで借りたカセットテープがほとんど唯一の音源だった。部屋の中を真っ暗にして、机にうつぶせて「敵はもっと遠くにいるんだから〜」とつぶやいていたものだ。あの早川義夫が、また歌い始めて、あの声で、俺の目の前で『堕天使ロック』歌ってるんだぜ。俺にとっちゃ、これはものすごいことなんだ。


2003/06/17 [火]   

■ここ何年か、雨が少ない、梅雨らしくない梅雨が続いたせいか、今年の梅雨は妙に身体にコタえる。とにかく眠い。疲れが身体の中にこもっている感じ。電車に乗って座席に腰をかけたら30秒後には寝ている。大量の涎が流れる。
 こんなときこそジムへ行ってほんとに疲れてしまうとスッキリするのだろうが、その気力が湧かない。原稿仕事が溜まっていることを口実に家に籠もっている。悪循環。明日は短時間でもジムへ行こう。

■子供たちが毎晩、ごろんごろんと寝返りを打つ。一晩でふとんの端から端まで、2往復はしていそうだ。転がるだけではなく、ギャグマンガによく出てくるような奇天烈なポーズを取るかのように、手足をあっちゃこっちゃに曲げ伸ばししつつ転がっている。ああやって、骨と筋肉を大きくしているんだろうなぁ。子供の寝返りはすくすくすくと音がするようだ。が、俺の顔に踵落としするのはやめてもらいたい。

■最近読み終わった本
伊田広行『シングル化する日本』(洋泉社新書)
→「そもそも、父性・母性が本質的なものならば、それに反する行動(父性・母性観と相容れない現象)をとる者が多いことがおかしいともいえる。本質視しておきながらそれが喪失されていると嘆くのは理論的に矛盾している」(P161)。いや全くその通り。父性の復権やらを説く連中が馬鹿であることは直感的に分かるのだが、賢い人にその理由を説明してもらってたいへんスッキリした。

■最近買った本
池内了『物理学と神』(集英社新書)
武光誠『大和朝廷と天皇家』(平凡社新書)
鈴木淳史『美しい日本の掲示板』(洋泉社新書)


2003/06/18 [水]   

■今日読み終わった本
香山リカ+福田和也『「愛国」問答』(中公新書ラクレ)
→「いつのまにか、右と呼ばれる陣営の人々がひどく貧相になり、浅く、乾いた、埃むさいものになってしまったなぁ、と感じるようになった(福田和也)」。ビンラディンとサダムに声援を送り、もしくは自ら意味もなく人間の楯になりにバグダッドに赴き、スタバやマクドを焼き討ちするのが右翼だと俺は思う。
 それはともかく、最近新書ばっかり読んでいる。職場の行き帰りの電車の中がメインの読書タイムなのでそうなっているのだが、机にハードカバーをどしんと置いてにらめっこもそろそろしたい。

■「ふーちゃんはやさしいので、女の子にすごい人気ですよ」と保育園の先生。確かに文人は、身体が大きくて優しいので、なんとなくぬいぐるみのくまさんを彷彿とさせるところがある。「憧れ」の対象にはならないが、周囲に女の子が集まってくるのは文人のようなタイプなのだろう。ちょっとうらやましい。

■電車の中で眠りこけて涎を流す俺を見かけたと、生徒さんからフォームメールをいただいた。いやもう、今年の梅雨はダメダメです。下手すると目の焦点が合わないくらいぼーっとしてしまうときがある。
 梅雨といえば、高1のとき、キクチという同級生が濡れた廊下を走っていて転倒し、頭を打って記憶喪失になったという事件があった。梅雨といえば吉田寮の廊下といい居室といい置かれていた、雨漏り受けの赤バケツを思い出す。梅雨の頃はもう授業へ出る気力が完全に失われていて、寮にいる時間が長かったせいもある。

■関西文理で、最初から最後まで延々と最前列で下を向いて寝ていた(ように見えた)生徒さんがいたので、教壇から脚を伸ばして机前面の板を軽く蹴飛ばして威嚇。そしたら授業の後、「僕は寝ていたんじゃありません」と抗議を申し入れてきた。確かに下は向いていたが寝ていたのではなく、やる気があるから最前列に座っていたのに心外である、と。俺には寝ていたように見えたが彼は否定しているので、確かに俺の確認不足は否定できず、その旨は謝罪した。来週の授業で大衆の前で名誉回復をしてあげなければなるまい。
 俺は小心者なので、俺の視野に授業を明らかに聴いていないと見える人の姿が入ってくると、動揺する。眠たくて寝てしまうのは仕方ないというか当然で、俺も「眠いときは10分寝て、それから聴いて下さい」と常々言っている。が、彼のように授業中ほとんど顔をあげることもなく、「これはメモしておいてね」的な指示も無視し、寝ているが如き姿勢をとられると、どうにも気になって仕方がない。後部座席にいてくれれば気にもならないが、最前列でそれをやられると、喧嘩売ってんのかてめえ!とメラメラしてしまうのだ。繰り返すがこれは俺が小心者だからいけないのだ。しかし、それとメラメラしてしまうことは立派に両立する。
 予備校の講義に出席義務はなく、大学のように単位で拘束することもないし、更に日本史の講義は自由席である。来たくなければ来なければいいし、ユルい聴き方をしたいのであれば教室後部に座ってくれればいいのに。

■帰りの新快速で、立ったまま寝そうになっている女子高生をハケーン。ドアにもたれながら「速読英単語」を眺めつつ、膝をがくんがくんさせていた。揺れる車内でバランスをとるため、両手の振りも付いていた。何かしてあげたいと思ったが、してあげられることは何もナシ。活を入れて目を覚ましてあげるのも変だし、ましてやふらふらしないように支えてあげたらチカンだ。俺も立っていたから席を譲ることもできない。高槻で快速に乗り換えるまで、女子高生の舞いを眺めていた。勉強頑張れよ。


2003/06/19 [木]   

■携帯から授業の進度とか各種情報が見られるようにしたいと思って、簡単なサイトを作った。俺のドコモ(3年前に買った)からはいちおう見えているが、他社の携帯からどう見えるのか心配だ。お暇なときにチェックしていただけないでしょうか。
http://ottosei.com/i/
です。その他、こんなコーナーや情報があったらいい、というのがあればアドバイス下さい。トップページのメールフォームからでもメッセージ投げて下さい。

■梅田の地下街でお昼ご飯に「おろしきしめん」を食べたらこれが美味くて、つい同じものをもう一つ食べてしまった。げっぷが出るほどものを食べたのは久しぶりだ。体調が下向きの時はものを食べるに限る。
 昔、予備校の先生が、「(1)ストレスの蓄積 (2)睡眠不足 (3)食欲不振 この3つのうち、2つがそろうと一気に体調が崩れるから、1つだけにとどまるように気をつけなさい」とアドバイスしてくれた。俺の経験からもこれは正しいので、今度は俺が生徒さんに伝えている。今の俺の場合、睡眠不足はちょっとどうしようもないので、ストレスと食欲不振には気をつけたい。多少体重が増えてもいいから、しばらく大量にめしを食べることにする。

■フォームからのメールにお返事。
18 Jun 2003 20:16:24 +0900
→Everything's gonna be all right.はボブ・マーリーの『No woman, No cry』です。倉木麻衣って誰?
18 Jun 2003 23:49:24 +0900
→梅雨時はパジャマだけじゃなくて街中臭いですね。僕も授業しながら自分のシャツの臭さにラリってることがあります。


2003/06/20 [金]   

■若干過ぎてしまったが、6月15日というのは俺が生まれて初めてデモ行進というやつに参加した日である。1980年6月15日。高校1年の時だ。安保粉砕を掲げて1万人が集まったのは、たぶんこれが最後だったのではないかと思う。一人でてれてれと歩いていたら、いきなり横にいた隊列がスクラムを組み直し、旗竿を地面と平行にして機動隊にぶつかったり、逆に静かに歩いている部分に機動隊が楯で殴りかかってきたり、真夏のような日差しの下、ナカナカに鮮烈な経験だった。
 これといって目標もやりたいこともなく、悪い意味で脱力した人生を過ごしている俺だが、それでも他人と比べて多少自慢できることがあるとするなら、人生の割と早いうちから、自分の主張なり批判なりを誰かに伝えようとあがいていたことなのかもしれない。中身がどんなに薄くても、デモに出たりビラ書いたりミニコミ作ったり、聞いてくれよ!と無理やり話し込んだり。ここ10年くらいはそれすらどうでもよくなっているが。
 「何の野心もなく/終わりに向かって走る」(早川義夫『音楽』)という姿勢に憧れている。


2003/06/21 [土]   

■麦人が自主的にローマ字の学習を始めた。ぱどタウンなるバーチャル都市生活サイトを阿久沢が見つけてきて、麦人を住民登録して少し体験させてやったらハマってしまったのだ。バーチャルマンションに住み、隣人にメールで挨拶を送ったり、街へ買い物に行ったりするのだが、麦人は自分でメールが書きたいと、阿久沢にローマ字表を作ってもらって練習を始めたのだ。
 彼はのみこみだけは早いので、ローマ字が子音+母音で構成されており、全てa・i・u・e・oの五段にきれいに整理されることは既に理解している。キーボードの配置をマスターすればあっという間だろう。
 麦人はどうもIT系バーチャル世界と親和性が高い。早いうちから積極的にそういう環境を与えて、思春期に達する前に少し飽きさせておいたほうがいいかもしれない。文人は古典的に読書家なんだが。

■なんかすごくしんどいんですが。プレーンな疲労が溜まっているだけなのでたちは悪くないしんどさなんだけど。人間様が気候ごときに左右されるのは腹立たしいのだがどうしようもない。湿気多すぎ。

■保育園で文人とラブラブな女の子のお兄ちゃんが、麦人の同級生であることが判明した。「いっしょに遊びに来てもらったらどうだ?」と麦人に水を向けてみると、「あんなやつは!忘れ物ばっかりしているやつだ!クロッキー帳を毎日忘れてるんだよ!」と、毎日筆箱や給食袋やめがねやドリルを忘れている人間とは思えない自分棚上げ発言をした。文人も「Nちゃんも悪いことを一つだけする。毎朝、ふーちゃんを抱きしめるんだよ」と。二人とも、それなりに楽しい人間関係を作っているようではある。

■麦人の抜糸完了。傷口を改めて眺めてみれば、ほんとに目のすぐ横だ。1センチもない。不幸中の幸いだった。


2003/06/22 [日]   

■家族で有馬温泉の外湯に行った。もともとは阿久沢の誕生祝い&腸閉塞快気祝いで1泊しようかという話だったが、4人で泊まると1泊10万近くかかることが分かって瞬時に断念。車で風呂だけ入りに行き、帰りにどこかで御飯を、とデフレ社会対応の誕生祝いとなった。
 俺と麦人は男湯確定だが、文人は微妙なところだ。少し前までは「ママと一緒がいい!」と女湯に傾きがちだったが、今日は男湯に来た。

■あぁ☆ 気持ちよい。細胞に沈殿した疲れが融けていく感じ。よく眠れそうだ。
 ここのお湯は鉄分が含まれているせいで赤っぽく濁っている。麦人も文人もこの色を恐れて湯船に入ろうとしない。「入れよ」と声を掛けてもにやにやして首を振るばかり。身体だけ洗ってあとは上がり湯に浸かっているのみだった。
 麦人くらいの小学生から1歳ほどの小さい子まで、子供がわらわらとお湯に浸かっていたけど、裸の子供というのはいいもんだね。毛が生えてないちんちんは邪なものがなく、まさに無邪気、という感じがする。
 有馬温泉まで有料道路が往復1200円、入浴料が4人で2000円弱、風呂の後のジュースやアイスで500円弱。

■麦人に生まれて初めてのメル友というかネット友だちができた。「としぼー」くんという小学校5年生。おぼえたばかりのローマ字で返事を書いていた。「すげえたのしい!」と麦人。


2003/06/23 [月]   

■ふゆこさんのうたぽりでセーラームーンに関する日記を読んで、麦人が生まれる前に阿久沢と二人で毎週テレビ放映を観ていたことを思い出した。あまつさえ『セーラームーンR』に至っては劇場版まで観に行ったのであった。

■何が面白かったかというと、悪者に追っかけられたセーラームーンが「もう、日本の政治が信じられないっ!」などとさりげなく社会批評をしていたり、タキシード仮面がかっこつけて登場するものの、結局セーラー戦士の足を引っ張って助けてもらうという、仮面ライダーシリーズで言えばライダーマン的な情けなさ全開ぶり、プロレスの選手入場&リングアナウンサーのコールを彷彿とさせる変身シーンが俺の琴線に触れたのである。
 更に言えば、かつて『ゴレンジャー』等の戦隊ものは、男部隊の中に紅一点という構成が通常だったが、『セーラームーン』ではこれが完全に逆転している。男女雇用機会均等法に象徴される女性の労働市場進出の反映を俺は見た。セーラー戦士たちに助けてもらうタキシード仮面に、自分を重ねて観ていたのは言うまでもない。
 まだまだ妄想は続いた。セーラームーンは月のお姫様らしく、未来世界ではタキシード仮面とともに月の女王として地球を統治しているらしい。はて、この地を治らしめたもうはずのお方は、太陽神=アマテラスのご子孫であらせられるあのお方ではなかったのか?ということは、セーラームーンが地球を統治するに至るいずれかの日に易姓革命が勃発し、アマテラスのご子孫であらせられるあの一族は、月の一族によって抹殺されてしまったのか?『セーラームーン』とは、天皇制と闘う長い長い物語の序章であるのか?

■それにしても一番衝撃を受けたのは、セーラーマーズの決め台詞「火星に代わって折檻よ!」だった。折檻はやめて下さい…。

■麦人の眼鏡の度が合わなくなってきたので作り替えた。俺も阿久沢も強度近視(コンタクトレンズ使用)だから仕方ないのだが。あれほど大きな目玉をくっつけておきながら、何も見えていないとは納得できない。


2003/06/24 [火]   

■確か1年くらい前まで、麦人が週に1回、文人が3日か2日に1度のペースで寝小便を垂れていたような気がするのだが、もう2人とも夜中にトイレに自分で起きるようになった。時折麦人が寝ぼけて、あらぬ場所に放尿しようとする程度だ。もう生暖かく濡れたパジャマを脱がし、シーツを剥がしてバスタオルを敷き直すこともなくなった。
 更に、おむつを使うこともなくなって久しいが、俺の手はまだおむつを畳んでおむつカバーにあて、子供の尻に宛ってマジックテープをとめる手順をおぼえている。1日4回やったとして2年で3000回、2人で6000回はおむつ替えをしたのだ。洗った布おむつを干すときの、パンパン!という皺を伸ばす音もまだ耳の奥に残っている。
 無我夢中のうちに、気がついたら去っていった日々だが、その結果大きく厚ぼったくよく笑う肉塊が2つここに寝ているので、別に淋しいということはない。


2003/06/25 [水]   

■早めに寝たり、仕事に出かける前に1時間でも仮眠を取ってからだとすこぶる好調である。要するに睡眠不足がしんどい理由なのは明白なのだけれど、今夜みたいに雨がざんざん降ると興奮のあまり寝てなんかいられるかい。雨が地面を叩く音は、気持ちを立たせもするし和らげもする。

■最近読み終わった本
鈴木淳史『美しい日本の掲示板』(洋泉社新書)
→2ちゃんねる論。2ちゃんねるは取り立てて新しいものでも奇異なものでもなく、二条河原落書や連歌のような日本の伝統文化の上にしっかりと位置づけられるのだ、という議論。さほど新鮮みはないが、スレッド=連歌、という対比は面白いと思った。初句が1=「こんなスレを立ててみましたが何か?」、付け句が「2ゲットズザー!」、三句が「良スレキタ━━━━━━( ´,_ゝ`)━━━━━━ !!!!!」…ということらしい。なるほど。

■最近買った本
柴田和志『チャー坊遺稿集 1950〜1994』(飛鳥新社)
→言葉が意味を失うぎりぎりまで磨き上げていくと、ある地点からその言葉は異様な輝きを放ち始める。ステージの上で、詩と呪文のちょうど真ん中に言葉をぶら下げ、その輝きを解き放つ祭儀をしていたのが村八分というバンドだったのではなかろうか。「そのこと決死のわざなり」と宮澤賢治は言った。チャー坊は文字通り、「決死のわざ」を生きた。
 「美しいものは解釈を拒絶する」(早川義夫)とはそういうバンドのためにある言葉で、言霊の存在をなんとなく感じ取れる程度の感受性しか持たない俺たちは「まくらならべてねたのよい/うらの畑でねたのよい」とつぶやきつつ歩いていればよいのだ。

■最近買ったCD
頭脳警察『頭脳警察ファースト』


2003/06/26 [木]   

■有事がらみの議論はしないよりした方がいいとは思うが、「仮想敵からの攻撃の可能性がある」→「防御的先制攻撃の可能性」→「法や装備の整備」、と一見論理的に無理なく議論が進んでいることに危機感をおぼえる。
 ひとたび戦争が起きると、そういう正規軍なり武装勢力同士の戦闘という本筋以外の部分で予想も付かないような事態が生じ、人命や財産が失われる。太平洋戦争で言えば沖縄戦や原子爆弾投下や、各都市への米軍による空爆、満州へのソ連侵攻などがそれにあたる。マスコミなどで知る限り、現在すすめられつつある有事対応の諸政策は、そういう本筋以外の部分に対する恐れを持たずにすすめられているように思えてならない。これはリアリズムの欠如だ。
 「敵が攻めてきたら守る。敵が攻撃してくることが確実なら、やられる前に攻撃することも守備のうちだ」。確かに反論することは難しいが、こういったキレのいい議論から零れ落ちるものこそが戦争の核心なのではないか。国家やら民族の運命やらを憂慮するヒマ人はこの手の論理操作をしていればよいが、俺たちにそんなヒマはない。
 その意味で、先日のイラク戦争で起きたことの詳細をもっと知りたい。「アメリカ軍が短期間の戦闘で勝利」→「フセイン像引き倒し」という分かりやすい本筋から零れたものは何か。

■絶対的正義として振る舞おうとする人はサダムだろうがブッシュだろうが金正日だろうが大嫌いだ。もう一つ付け加えるなら拉致被害者家族の会。誰も批判・反論をしづらいのをいいことに、最近のデカイ面は目に余る。マスコミを利用して運動しているのなら、多少マスコミから迷惑を被ったところで自業自得だと思うが。

■『頭脳警察ファースト』、名盤だ名盤だとあちこちで聞くから、眉に唾をして聴いてみたのだが、こりゃほんとに名盤だ。ぶっとびました。「君達にベトナムの民を好き勝手に殺す権利があるなら/我々にも君達を好き勝手に殺す権利がある/君達にブラックパンサーを殺し/ゲットーを戦車で押しつぶす権利があるなら/我々にもニクソン・佐藤・キージンガー・ドゴールを殺し/ペンタゴン・防衛庁・警視庁・君達の家々を/爆弾で破壊する権利がある/…/我々を邪魔する奴は容赦なく抹殺する/世界革命戦争宣言をここに発する」(『世界革命戦争宣言』)
 諸手を挙げて賛成はしなくとも、アルカイダやハマスやアルアクサ殉教団や日本赤軍をはじめとする武装勢力の行いに心の少なくない部分で共鳴してしまう俺であるが(ま、気持ちはわからんではないな、という感じ)、さすがに大声で主張はしないしトップページに「断固支持!」とか書くこともしない。だが、パンタがトシのパーカッションに乗せてギターをじゃんじゃかかき鳴らしてこういう気っぷのいいアジテーションを絶叫するのを聴くと、共鳴する心の部分がぐんぐん大きくなっていくのを止められない。少なくとも反戦集会で『イマジン』を朗々と歌うより1万倍マシだ。


2003/06/28 [土]   

■今日も午前中、少し寝てから仕事へ。好調。俺の場合、寝ればたいていの問題は解決する。俺は軽度の睡眠時無呼吸症候群なのではないかと自分で思う。「寝ているパパはぐわーぐわーとうるさい」といつも子供には言われるし、阿久沢にも「一瞬、息していないときがある」と指摘されるし、昼間は机に突っ伏せばすぐに眠れるくらいいつも眠いのだ。

■今の仕事が天職だとか思ったことはないが、かと言って他にやりたい仕事があるわけではない。今の仕事は嫌いではないので、何となく続いているだけのことだ。
 地下鉄に乗っているとき、俺っていったい何をやりたい/やりたかったんだろうと真剣に考えてみたのだが、どうしても考えつかなかった。強いて言えば、一日中街をぶらぶら歩いていたい、という程度である。それを記事にして売ったり本を書いたりしたいのではない(新聞社勤めが長続きしなかったことで証明済み)。ただ、太陽に照らされたり風に吹かれながら、本屋や喫茶店に入り、路地裏の匂いをかいだりして歩きたいだけだ。一歩歩いたら一円あげます、なんて会社がどこかにないだろうか。
 いやまあなんというか、何と志の低い人間なのであろう。でもシアワセだからいいのだ。


2003/06/29 [日]   

■俺はタトゥーなるロシア娘たちのことは、今回騒ぎになるまで知らなかったのだが、テレビで歌わなかったとかイベントが中止になったとかいう一連の経緯は、俺のプロレスファンの琴線に触れてしまった。これガチなのかよ!アングルなのかよ!アングルだとして誰がブック書いてんだよ!テレ朝が抗議声明出したらしいけど、これもアングルなのか?ほんとに怒ってるのかもしれないけど、次の商売に結びつけようってどこかで考えてんじゃないのか?
 見てないからよくわかんないんだけど、テレビに出演しながら途中で引き揚げちゃったらしいな。プロレスならこんな感じか。タッグマッチやっているのに、一人だけ選手が無言で控え室に戻ってしまった。残った猪木が敵に袋だたきになって、無効試合でゴング乱打。観客は訳わからんでブーイング。猪木が「てめーこのやろう!戻ってこいばかやろう!」とかマイクアピールして、この日の興行はおしまい。次回興行で新たな軍団が結成されるのか?それともこれはガチで、控え室に引き揚げてしまった彼は、そのまま全日に移籍するのか?
 で、タトゥーって何する人なんだ?どうでもいいやそんなこと。でもタトゥーから目が離せない俺。

■模試原稿を作る合間に、子供をスイミングスクールに送り迎えしたり、自分もジムへ行ったりして一日が終わる。今年はどうも低気圧と湿気に弱い。昼間ではどうにもぼおっとして、子供のちょっとした振る舞いにもすぐむかついていたのだが、夕方になって晴れてきたら、心身共にしゃきっとしてきた。これも年齢のせいか。詮無いことよのぅ。

■昨日の続き。やっとやりたいことを思いついた。衣類を洗濯機に入れて、回っているところをずっと見ていたい。そして干して畳みたい。以上。