2003/01/01 [水]
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■31日は7時半まで京都で仕事で、ガラガラの新快速に乗って神戸の自宅に帰ってきたら、ちょうど紅白でモーニング娘。の出番だった。今夜だけ復活と聞いていた後藤真希がいない。きっと控え室で おっとせい日記現メンバーから「今頃なにしに来たんだよ〜」とか言われて、十数人に集団リンチを受けて出演できなかったんだろうとか、下らない妄想をめぐらしていたら、ステージを駆け回る娘。たちのぶっとい脚が実に存在感を増して見えた。
■その後は紅白とイノキボンバイエを交互に切り替えてつまみぐい。サップが気持ちよいほど強かったので、ちょっとあっけにとられてしまった。拍子抜けに近い。もうちょっと戦いを見せてくれよーという気持ちだ。 サップ─高山戦にも、ミルコ─藤田戦にも言えることなのだが、勝負がついた後に爽やかに握手をしたりハグしてお互いを讃え合うのはやめるべきだ。負けた方はマイクを握って「こんなんで勝ったつもりになるなよ!」と負け惜しみを言い、「次は必ず勝つ!」と叫んでマイクを投げつけないといけない。勝った方も勝った方で「いつでも相手になってやるぞバカヤロー!ダァァァー!」と絶叫すべきだ。当然、両サイドのセコンドは大乱闘となり、ゴングは激しく連打されるのだ。そうでないと、こっちの熱く燃えた気持ちにおさまりがつかないのだ。 ■石川さゆりの『天城越え』がやっぱり凄い。 寝乱れて 隠れ宿 九十九折り 浄蓮の滝 とか 走り水 迷い恋 風の群れ 天城隧道 とか、計算し尽くしてメロディの上に言葉を乗せているのは百も承知なのに、ビリビリきてしまうのは作詞者・作曲者、そして石川さゆりのプロの技と言うべきであろう。 この歌はセックス時の歌という解釈があり、俺もそれに同意するのであるが、そういう小賢しい謎解きを遙かに超えて余りある力がこの歌にはある。 坂本冬美の復活を切に祈る。
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2003/01/02 [木]
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■紅白で、BOOMの横で『島唄』を歌っていたラテン系の外国人男性の姿が、一夜明けてますます俺のココロに鮮明な像を写している。出来損ないの軍服みたいな衣装で、太っているからぜんぜんフィットしていない。「僕はこの歌が好きなんだ!この歌をシャウトするために生まれてきたんだ!だから聴け!」というオーラを満身から迸らせ、肩を怒らせたり腕を振り上げたり顔を引きつらせて、蒸気機関車のようになって歌っていた。俺などは彼に合わせて身体を揺すったり肩を上げ下げしてしまったほどだ。 なーんか、ああいう熱さって忘れていたなあ。青春とか、熱血とか、思いこんだら試練の道を、的な、1980年代に青春を過ごした俺からすれば、最も避けて通らなければならなかった熱さだ。今年はああいう感じで講義してみようかしらん、という気持ちに少しなった。でも一日1コマやったら力尽きてしまいそうだ。
■用事があってコンビニまで出かけたら(元日から原稿仕事しています、はい)、牛丼屋さんやコンビニはともかくとして、国道2号沿いにある3軒のラーメン屋さんが2軒も営業していた。せわしない世の中だ。
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2003/01/03 [金]
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■手先の器用な横浜のおじいちゃん(阿久沢のお父さん)が、模型飛行機とグライダーを組み立ててくれた。麦人と文人は嬉々として近所の公園のコンクリート山(プリン山というそうだ)の上から滑空させていた。 そっと勢いを付けて手を離すと、模型飛行機&グライダーは空気の中を滑るようにしてふらふらと舞い、地面に降りていく。いつか地面に落ちることは分かっているんだけど、それまでの束の間、毎回異なるダンスを踊る。重力には逆らえないけど、黙って言うとおりにはしねえよ、最短距離で落ちたりはしねえよ、という心意気が感じられる。 「おまえはおまえの踊りを踊っているかい?!」江戸アケミの叫びを胸の中で響かせながら、俺は麦人と文人のために模型飛行機&グライダーを拾いに行ってやるのである。
■夕食後、麦人がぴいぴいと口笛を吹いていたので横浜のおじいちゃんに注意されていた。「麦人、夜中に口笛を吹いたらだめなんだよ。なんだったかな、何かが来るんだよ。動物だ。なんだったかな」。麦人は「いたち。たぬき」。文人は「きつね。ぞう」と手当たり次第にリストアップしていたが、正解は出てこなかった。結局、「とにかく何かが来るからだめだ」ということになっていた。麦人はもちろん納得せず、ぴいぴいと風呂に入っても吹き続けていた。
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2003/01/04 [土]
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■昨日読み終わった本。 竹中労・かわぐちかいじ『黒旗水滸伝・下巻』(皓星社) 「(竹中労)宗教は死者との契約だというのは、そこなんです。死んだ人間はね、生きた人間に裏切られて怒ることもできなければ、抗議することもできない。だから死者との契約は守んなきゃいけない。それが宗教の根本なんですよ。」 「(太田竜)靖国神社というのはね、本当に近代の天皇制の大黒柱です。死んだ人を全部ね、国家の統制の下に完全に囲い込もうというんだからね、逃さないというイメージですよ。死んだ人まで鎖つけて、縛っておこうというんだから。」 「(竹中労)ぼくは正面の敵は、いわゆる右翼ではない、国家神道だと思ってるわけですよ。民衆の真正面の敵はね。国家神道の復活だけはどうしても許しちゃいけない。」
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2003/01/05 [日]
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■前々からあれこれ考えていたが、「臓器提供意思表示カード」の携帯および、骨髄バンクのドナー登録をすることに決めた。もっとも俺は気管支喘息が持病なので、後者の登録を受け付けてもらえるかどうかは微妙である。 自分自身なり身内にトラブルが起きないと真面目に検討する気がしないのが俺の限界ではある。震災も育児もそうだ。ま、こうやって少しずつ手の及ぶ範囲を広げていくのが凡人にはふさわしいのだろう。
■風邪をひいたのか、昼食のラーメンの油がよくなかったのか、夕方から麦人&文人はゲロを吐き下痢をしている。麦人はゲロを吐きながら「助けてくれ〜」とつぶやき、文人は糞を垂れながら「わ、つぎつぎにでてきた」などと言っていた。熱はないので、今のところは経過観察中。これで熱が出てきたらインフルエンザである。六甲アイランド病院へかつぎ込んで点滴をしてもらわねばならない。早くよくなれ。
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2003/01/06 [月]
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■子供たちの風邪?食あたり?は快方に向かいつつある。昨日は下痢も嘔吐もしなかったとのこと。手術後の阿久沢も、多少ジグザグはあるが、おおむね右肩上がりに体調はよくなりつつある。昨日の朝に阿久沢のお父さん&お母さんが横浜に帰り、俺も仕事があったから、手術後初めて阿久沢が一人で子供たちの面倒を見ることとなった。少し不安もあったようだが、「『子供の面倒を見なけりゃ』と思ったらしゃきっとなった」とのこと。さすがお母さん、というより、役割をもつことで人は元気になるっていうのは本当かもしれないと思った。老人もむやみに病院に入れないで、できる範囲で仕事をしてもらうのがいいのかもしれない。 とはいえ、今後体調を崩すこともあるかもしれないので、この機会に俺も多少、料理の修業をすることに決めた。自分で食べるものはなんとでもするが、人様に食べさせるものは全然だめだからな。 ■で、下痢と嘔吐に苦しんだ麦人&文人は、お互いの苦しい思いを語り合っていた。麦人「うえーーーって3回くらいゲロが出たんだよ!」、文人「ふーちゃんは、どぼどぼどぼどぼどぼどぼって、うーんてしないのに自動的にうんちがいきなり出た!」。麦人は表情が、文人は語りがなんか面白い。 ■麦人には 椎名林檎公式サイトにあるシューティングゲーム、文人にはウィンドウズ付属のペイントで遊ばせておいた。麦人は「きゃーきゃー」「んんん!」と声を出しながらマウスを握りしめる。文人は画面をピンク色で塗りつぶしてうっとり。
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2003/01/07 [火]
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■電車待ちをしている人々が、ドアが開くや否や降りる人をかき分けるようにしてわらわら乗り込んで、席を取ろうとするのがなんかいやだ。電車がホームに入ってくるとそわそわし出すのがいやだ。ともすれば自分もそうなってしまいそうなのが一番いやだ。 そういうときは、座ろうという気持ちを持たなければよい。列の一番後ろに並んで、ゆっくり最後に乗り込めばよい。それだけで、少しだけ穏やかに電車に乗れる。
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2003/01/08 [水]
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■一昨日、テレビで「あなたの夢を実現します」みたいな番組をやっていた。有名寿司店でトロを食べる、女子プロレスラーに復帰する、という夢を、テレビ局が支援するという企画。トロを食べているおばさんの顔がすごくよかったので、俺も、俺の夢ってなんだろう、とつらつら考えてみた。 …考えないと思いつかないくらい、夢って特にないなあ。上々颱風のライブを主催するってのが夢だったんだが、それは2回も実現してしまったのでもう夢ではない。
■夢っていうのはきっと、実現しそうもないけど、可能性がゼロではない、という狭間に漂う幻のようなものだ。だから子供の時、野球選手とか宇宙飛行士とか言っているのが似合っている。トシ食って、実現できそうなこととそうでないことがだんだんはっきり見えてくると、夢はほんとに幻になっていく。会社で出世するとか、独立して社長になるのが夢、という人もいるけど、それは夢じゃなくて目標っていうのがふさわしい気がする。あまりにも現実と地続きだから。
■で、俺の夢だが、「プロレスの興行を主催する。マッチメイクも俺がして、選手コールも俺がして、花束贈呈も俺がして、レフェリーも俺がする」ことである。三沢光晴 vs 武藤敬司を至近距離で見たい。
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2003/01/09 [木]
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■戸田文人先生の浜ビーズ最新作はこちらに→ ★■昨日買って読み終わった本 ミスター高橋『マッチメーイカー』(ゼニスプランニング) ■なんか身体が疲れてる。とにかく眠い。ストレスやアタマが疲れているというわけではなく、単純な肉体疲労なので不快な感じはない。こたつに潜り込んで惰眠を貪りたい。
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2003/01/10 [金]
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■麦人が『ハリー・ポッター』シリーズをぐいぐい読む。全部読み終わったら、同じ本を何度でも読む。学校に行く前に読む。帰宅して夕食の用意ができるまで読む。風呂に入ってふとんにはいるまでの寸暇を惜しんで読む。 両親の血を引いて活字中毒になったのかと思い、他の本(『ドリトル先生』シリーズとか)を与えても読まない。「あとで読む」とは言うものの、ハリポタ以外手を伸ばすつもりはないようである。ハリポタ恐るべし。
■文人がNHKの『まんてん』を見てから登園するのが習慣となっている。俺も洗濯物を干す際、洗濯機と庭を往復しながらちらちら見ているのだが、主人公の女の子の胸(オパーイ)が非常にでっかいのが気になってしかたがない。あれはなかなかのものである。文人もそれが目的なのかもしれぬ。
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2003/01/11 [土]
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■今日買ったCD ボブ・ディラン『ローリング・サンダー・レビュー』 市井紗耶香 in CUBIC-CROSS『C:BOX』 →両方とも大当たり。その気になればやるじゃないか市井。いや、ディラン御大ももちろんですが。
■麦人の技が痛い。パンチ、チョップやキックを背中や胸板で受けている分にはまだしも、脇腹とか骨に食らうと悶絶ものなのだ。彼は、取っ組み合ったり関節の取り合いには関心を示さない。助走を付けての膝蹴り、ドロップキック、後ろからの意表をつくパンチに執着している。UWF勢を迎え撃った藤波辰巳や越中詩郎の気持ちである。 今日も膝小僧に正面からキックを食らって、しばらく脚が動かせなかった。ミスター高橋の本を読め!今日をもって、プロレスごっこでは「弱気」以外の打撃は禁止とした。最後のヴァーリ・トゥードはDSEの故森下社長に捧げた。30秒ほどで麦人のTKO勝ち。
■阿久沢の腹具合は相変わらず今ふたつといったところだが、朝、「ケーキが食べたい」と言うので、ナンバ高島屋でアンリシャルパンティエ謹製「の」の字ロールケーキを買って帰る。こういうので、ゆっくりとだけど、回復しているのが分かってうれしい。 帰りのJR神戸線はまた人身事故で遅れていた。どうなっているんだ。こういうのに慣れるのはいやだなぁ。
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2003/01/12 [日]
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■麦人の通う学童保育は、土曜日の夜からから月曜日まで2泊3日でスキー&雪遊びに行くのだけれど、俺が月曜日仕事なもので、麦人は欠席になってしまった。阿久沢はもちろん無理だ。申し訳なし。麦人は一人で2泊できればいいのだが、「寂しい。できない」というので、致し方がない。 ふとんの中で「今何時?」と聞く。9時半だよ、と答えるよ、「そろそろみんなバスに乗ったかなあ…」とつぶやいて大きな眼をしぱしぱしていた。悪かった悪かった。来年は必ず行けるようにするし。 その代わりと言ってはなんだが、2月には恒例の札幌ツアーである。 micmicさんちの近くの公園で、イヤというほど橇滑りをするのである。 ■休みの日は俺が夕食を作ることにする。今日はかに玉と麻婆豆腐。まずまずの出来。子供はおかわりをした。明日は鯖味噌とほうれん草のおひたしの予定。
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2003/01/13 [月]
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■昨日は、学童保育のスキー&雪遊びに連れて行けなかった罪滅ぼしに、子供らをポートピアランドに連れて行った。連休中日だというのに閑散としている。客が全然来なくて、一組の客が来るたびにその都度動かしている乗り物も多かった。飲食店も全然やる気がなく、こちらから声を掛けないとオーダーを取ろうともしない。確かにこれでは 潰れる罠。 面白かったのは「クリフハンガー」という、ロープで身体をつるして空中20メートルほどの高さで空中ブランコするやつだ。周囲に20人くらいの人が集まっているのだが、怖いので誰もやろうとしない。誰かがぶら下がって絶叫するのをひたすら待ち望んでいるのであった。係員も特に声掛けなどの営業をするでもなく、寒空の下、みんな施設を囲んで突っ立っていた。 ■零下何十度だかの小屋があった。文人は看板の顔が怖いといって近寄ろうともせず( 写真日記参照)、麦人だけ入った。入場料がもったいないので、俺は外で待機して、麦人の分だけ券を買って送り出した。すると、入って15秒もしないうちにまた入り口から飛び出してきた。「入ったら真っ暗なんだよ!」と。ちゃんと受付のお姉さんに返金してもらっていたのが面白い。 ■それにしてもこの遊園地はぶんぶん振り回したり、すげえ早さで走ったり、三半規管にキビシイことこの上ない。もうちょっと和める施設がないとツライなあ。 麦人が生まれる前、ここの水上ステージでJWPプロレスの試合があって、阿久沢と二人で見に来たことがあった。プールの中でブレーンバスターを打ったりして、ほとんど芸能人水着大会のノリだったのが懐かしい。そうそう、あのとき怪我で休場中だった故 プラム麻里子にサインしてもらったんだっけ…。プラムも今は亡く、この遊園地も消え去る運命。嗚呼諸行無常盛者必衰。 ■その後、近くの神戸市立青少年科学館でプラネタリウムを見たが、始まるや否や眠ってしまい内容は不明。子供は「おもろかった」と言っていたので、面白かったのであろう。
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2003/01/15 [水]
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■今年は寒い。暖冬だ暖冬だと毎年言われていたが、この冬は誰も言わない。 寒いとはいっても、俺が子供のころはこんなもので、毎朝霜柱を踏み壊したり、水たまりに張った氷を叩き割りながら登校したものだ。戸外に出るたびに「寒い!」とお約束のように呟き、手を擦りあわせて白い息を吹きかけるのが冬なのだ。うちの庭で、洗濯物を干すときに、久々の霜柱を見つけた。子供が見つける前にざくざくと踏んでやった。冬には友部正人の古めの歌が似合う。このところ、夜、仕事帰りにアタマの中で歌っているのは『おしゃべりなカラス』。坂本龍一がバックでピアノを弾いているやつだ。 木々は寂しい手を広げ 夜空は白い爪を伸ばし 僕は犬のように脚を折り曲げ眠った 僕はその夜不思議な夢を見た それはどこか遠く山の中 流れのない澱みに浮かんで 泡たちが何かぶつぶつ呟いていた 今の時代に帆を張ればどこかとんでもないところへ行きそうな おしゃべりな風がそう呟いていた 人生の応援歌、っていう言い方を時々見かけるが、それは違う。歌のために人生があるのだ、本当は。 ■マッチ擦る束の間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司) ■最近読み終わった本 樋口裕一『ホンモノの文章力』(集英社新書) →仕事上の参考文献として。「ありのままに書く」なんてあり得ない、という主張が俺の考えとシンクロしていて気持ちよかった。当たり前のことを分かりやすく教えるというのは難しいことだが、予備校講師の存在価値はそんなところにある。それを改めて思った。 ■昨日買った本 北博昭『二・二六事件全検証』(朝日選書)
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2003/01/16 [木]
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2003/01/17 [金]
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■昨日は麦人の授業参観に行ってきた。1月の神戸は震災を考える季節だ。震災についての授業。新聞記事を読んだり、当時の写真(震災に関する副読本がある)を見たり、「もしまた地震があったらどうしますか?」と考える、という内容であった。 俺が住んでいる東灘区一帯は、長田区と並んで阪神・淡路大震災で最も大きな被害を受けた地域の一つである。この小学校も当然避難場所になったし、遺体も安置されていた。 神戸で大地震などもう数十年は起きないだろうから、今さら地震をシミュレーションしても仕方ねえだろという気もした。それより、刃物を持った暴漢が学校に乗り込んできたときに教師がどう対応するか、どう逃げるかを考えた方がまだ意味があるだろうと思ったが、授業での子供たちの発言や反応は非常に面白かった。 先生「もし今地震が起きたら、この教室はどうなると思いますか?」 子供1「時計が落ちてきて、針が飛んで目に刺さる!」 先生「他には?」 子供2「壁に貼ってあるものが落ちてきて、画鋲がはずれて目に刺さる!」
先生「地震が起きるとドアが開かなくなることがあるんだけど、どうしてか分かる人?」 子供3「地震で揺れて自動的にカギが掛かるから」
先生「地震が起きたらどうするの?」 クラス全員「机の下に潜る!」 先生「そうだね。じゃあ、どこを一番しっかり守らないといけないのかな?」 子供3「おしり!」
先生「地震がおさまったら校庭に避難します。その時にどんなふうにするのかな?」 クラス全員「並ぶ!」 先生「そうです。では、どうして並ばなければいけないのかな?」 子供4「並ばないと、ぶつかって転んで焼け死ぬから!」
先生「みなさんは、もし地震で家族の人と離ればなれになったら、どこで待ち合わせするか決めていますか?」 子供5「天国」 子供3=麦人である。前回、春に初めて行った授業参観では、麦人はあからさまにやる気がなく、机に伏したり隣の席の子にちょっかいを掛けたりしていたが、今回は積極的に挙手するわ、大きな声で先生の話に反応するわで長足の進歩を見せていた。それなりに小学校を楽しんでいる様子であった。 あと、俺が通っていた小学校ではストーブは教室の後ろにあったのだが、ここ(神戸市立福池小学校)では教室の前、すなわち先生が授業をするときの立ち位置のすぐ後ろに置いてあった。股火鉢とまではいかないが、それに近いものがある。少子化に伴う教員の高齢化に対応してストーブが移動したのであろうか。 ■あなたがもし、センター試験を明日に控えてどきどきしている受験生なら、この言葉を贈る。 ねこばすになれ。 大きく眼を見開いて、歯をむき出しにしてにやにや笑いながら試験会場へ行け。額に、志望校の名前が浮き出るくらい、そこへ行きたいと念じておれ。 見開いた眼は正誤判定を確実にするのに役立つだろうし、ニヤニヤ笑う口元は、あなたに気持ちの余裕をもたらすし、周囲の受験生にプレッシャーを与えることができるだろう。 たかが受験、されど受験だ。健闘を祈る。
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2003/01/18 [土]
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■8年前の覚え書き。 《1月16日》 京都でセンター試験の講評を作る仕事があって、帰りに阿久沢と待ち合わせて大阪船場のアカチャンホンポで、4月に生まれてくる赤ん坊(=麦人)のための衣服などを買いそろえた。手持ち現金のほとんどを使い果たし、夕食の串カツはカードで支払った。食べ過ぎて帰り道ちょっと気持ち悪くなる。そして、気持ち悪いほどに真ん丸で大きな月を見た。
《1月17日》 熟睡していたら、突然「ずずずーん」と、マンションという名のアパート(ハーバーランドの近く。築28年、6階建ての6階)を突き上げるような衝撃があり、続いて、怪獣がマンションをつかんで振り回しているかのような大揺れが来た。地震だということはすぐに分かったが、身動きが取れるような生やさしい揺れではない。できることは何もない。建物が崩壊するのではないかと思うほどの揺れだったが、今更どうしようもない。とりあえず隣に寝ていた阿久沢の上に覆い被さる。阿久沢は「あれあれ?何?何?」と言うのみ。怖いので眼をぎゅーっと閉じていた。本棚の本が背中の上にバラバラと落ちてきた。 揺れがおさまったら、ふううう、という感じだった。あー、建物崩れてないよ、生きてるよ、と一息ついたら、すぐに余震が来た。こりゃいかん、とりあえず外に出よう、と、ダイニング兼リビングへ出ると、もうとんでもない状況だ。冷蔵庫は歩き出して中のものは床に散乱しているし、食器棚の中のものも床に吐き出されて、ガラスの破片まみれだ。裸眼では0.1見えない俺は、コンタクトレンズか眼鏡を探したが見つからない。仕方なく何も見えないまま、室内用スリッパを履いておそるおそるドアを開けて外に出て、壁を触りながら階段を使って戸外へ出た。途中で階段が崩れてなくなっていたらどうしようかと思っていた。 戸外にはたくさんの人がいた。目に見える範囲に崩壊した住宅はない(後で知ったが、このあたり一帯は地盤が比較的堅く、例外的に被害が軽かった)。緊張しているので寒さはあまり感じなかった。妊娠中の阿久沢の腹を冷やしてはまずいと思い、すぐ近所の神戸市医師会病院の当直室のドアを蹴飛ばすが反応なし。電気はついているのに。 うろうろしていたら、阿久沢の知り合いの産経新聞記者2人に会う。彼らの自動車で、朝日新聞神戸支局へ連れて行ってもらった(当時、阿久沢は神戸支局員だった)。俺は朝日を辞めた以上、死んでも朝日の社屋に足を踏み入れまいと決意していたのだが、今回ばかりは(死んでも不思議ではない体験をしたということで)避難させてもらった。その道のりで、ハーバーハイウェイが倒壊しているのを見た(裸眼でも見えた)。これは、とんでもないことになっているのだということを初めて実感した。 支局の編集室も資料やら機材やらが散乱していたが、阿久沢は腹に毛布を巻いて電話取材を開始する。電話がなかなかつながらず難航するなか、号外記事を書き上げていた。震災発生を伝える第一報=1月17日朝日新聞号外は阿久沢の筆によるものである。 俺は当直室のベッドでゴロゴロ。「火事場の馬鹿力」が解けていく時の現象なのか、眼を閉じると瞼の裏に不思議な幾何学模様が現れて、形を変えては消えていく。それが1時間以上続いた。そして、俺の身体の中を、無数の霊魂が通り抜けていくのを確かに感じた。あれは震災犠牲者たちであったのだろうか。 正午を過ぎて、被害状況がある程度分かってきたところで俺は自宅に帰ることにした。朝から履いている室内用スリッパで、元町を経由して自宅へ。滅茶苦茶な街、崩壊したビルにもあっという間に慣れてしまう。ていうか、慣れないとやっていられない。遺体のそばも通り過ぎていたと思うが、裸眼では見えなかった。 自宅に戻り、家具の残骸を片づける。ガラスの破片を特に念入りに掃除。奇跡的に電気だけが通っていた。これは本当にありがたかった。ホットカーペットで暖をとれたし、電熱器で調理もできた。「何が何でも無事に生まれてきてやる」、というお腹の中の子供の執念を感じた。出講していた各予備校に電話し、「生きてますよ〜」&「以後の出講は勘弁して下さい」、と連絡した。 阿久沢は夕方に帰宅。夜までテレビを見ていた。学生時代にお世話になった住友則彦先生(地震学)が取材されていて、記者に「どうして予知できなかったんですか」と責められていた。できるわけないだろが馬鹿野郎。 外ではサイレンとヘリコプターの音がうるさい。夜になって外を眺めたら、西の空が真っ赤に焼けていた。それが多数の犠牲者を出した長田区の火災だった、と知ったのはずっと後のことである。(長くなったのでまた明日)
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2003/01/20 [月]
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■(続き) 《1月18日》 冷蔵庫の中のものを調理して食べる。することもないので、テレビで被害状況を眺める。早くも「次は東京だ。備えは?」的な番組をやっている局もあってムカついた。 後になって、「震災の状況を取材したいと思わなかったか?新聞記者を辞めたことを後悔しなかったか?」と何人かの人たちに問われたが、それは全くなかった。まだ記者をやっていたらどうだったかなぁと想像はしてみたが、こんな日に家族をうっちゃって仕事するなんてイヤだと思った。やはり向いていなかったんだなぁと再確認した。 俺たちはまず、「このまま神戸に残って赤ん坊を産めるかどうか?」を考える必要があったが、2日目の段階でそれは無理だと分かった。ライフラインの復旧には半年から1年かかると言っている。ガスも水もないところで出産するのは、やはり避けたい。神戸脱出の方針は決まった。では、いつ・どのように?交通機関の状況を知るために、テレビをさらに見続けていた。 県庁のATMが開いているというので、30分ほど歩いて引き出しに行った。そこいらじゅうの建物が一人バックドロップしたようにひっくり返っていて、泣き笑いするしかない。山手幹線はすごい渋滞で、赤色灯を回転させた緊急車両も止まったままだ。瓦礫を踏み分け、倒壊した建物を迂回して30万円ほど引き出して帰宅した。 夜もひたすらテレビを見る。神戸市地下鉄が新神戸〜谷上の間だけ動いているという。JRは福知山線広野駅から動いているらしいので、谷上からタクシーで広野へ、そこからJRで福知山へ出て、山陰本線で行けるところまで行って、京都に出ようという案に決定した。
《1月19日》 再び山手幹線を東へ。新神戸駅まで、瓦礫とサイレンの街を1時間ほど歩く。地下鉄に乗って六甲山を越え、谷上駅を降りたら、コンビニとパチンコ屋が平常通り営業していたのにくらくらした。山一つ越えるだけでこんなに日常なのか。 渋るタクシーの運転手を説得して、JR広野駅まで。福知山駅に着くと、避難民でラッシュ時並みの雑踏だ。気が利かないJR西日本は、こんなときも過疎地用の2両編成を走らせている。大勢の人がわれさきに乗車口に殺到するので「妊婦がいるんだ。押すなコラ!」とつい大声を出してしまった。車内では強引に1席確保して、阿久沢を座らせることができた。空席がなければ、土下座してでも誰かを立たせるつもりであった。 電車は園部止まりだったので、そこからタクシーで京都まで。宇治に阿久沢の同期入社だった元女性記者(結婚退職)の自宅があったので、そこに泊めていただくことになった。ご主人の産経新聞記者は、俺たちと入れ替わりで神戸に入るという。大変だ。
《1月20日》 しばらく神戸には戻れないようなので、京都市伏見区に部屋を確保した。赤ん坊はこの家に帰ってくることになる。念のため京都の産婦人科で診察してもらったところ、赤ん坊は地震の衝撃でか逆子になっていた。阿久沢は実家近くの助産院で出産することになり、とりあえず帰省。新幹線で東へ。
《後日》 JR横浜駅前で、統一協会が「被災者の方々に募金をお願いします!」と叫んでいた。俺にも募金箱を突きつけるので、「僕も被災者なんですが」と言うと、「あっ…」とか言って立ち去ろうとした。「他に言うことはないんかボケ」と、募金箱を叩き落としてやった。自分の良心を確認するために、災害や戦争を利用するなとは言わない。結果としてプラスになれば決して悪いことではない。しかし、その自覚は持っていただきたい。
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2003/01/21 [火]
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■震災の思い出話を書いていたら、リアルタイムの生活に日記がついていけなくなった。一気に取り戻す。 《1月17日》 神戸市役所前で毎年開かれている『追悼・連帯・抗議の集い』でソウル・フラワー・モノノケ・サミットのライブを聴く。麦人を肩車して、二人でふらふら揺れながら聴く。もう何度も連れてきているので、麦人も知っている歌は一緒に歌っていた。グッドミュージックなライブにも連れてきているし、プロレスにも連れて行ったし、あとはコンドームの付け方を教えてやれば、俺の麦人に対する教育は終わったも同然だ。 今日のモノノケは奥野真哉(key)が欠席で、その代わりドーナル・ラニーが入った。これはこれで面白い。全体的にシンプルな代わり、弦楽器がキラキラ聴こえる。『インターナショナル』ってやっぱりいい歌やね。“圧政の壁破りて堅き我が腕/今ぞ高く掲げん我が勝利の旗”。こういうフレーズにビビッとくる。
《1月18日》 大阪でイラク戦争反対のデモに参加。千人までは行かぬが、数百人はいたのではないか。集会で他人の演説を聴くのはタルいので、デモ出発の時間を見計らってデモだけ参加した。こういうことをして何になるのかという問いには、何にもならないかもしれないが、なるかもしれない、と答えておけば十分であろう。一人一人が、役に立つか立たないか分からないようなことをしこしこと続けるうちに、ヨノナカは自ずと変わっていくものだ。過程に奮迅すればよし。
《1月19日》 肉じゃがとブリ照り焼きをつくる。照り焼きは上手にできた。肉じゃがも味は上々、しかしメークインが煮くずれしてしまった。「煮るときの水が多いのではないか」と阿久沢のコメント。 阿久沢はテレビを見たり新聞を読んだりして怒るようになった。体力が回復してきた証だ。
《1月20日》 貴乃花が引退だという。夕刊紙面の半分がその関係記事で埋まっていた。そんなに大ニュースなのか?自分の価値観と、マスコミに現れる世間的価値観のギャップを感じたひととき。小泉首相のコメントもテレビで見た。貴乃花引退がそれほどのおおごとであるというより、小泉がその程度のことで引用されるレベルの首相だと受け取った。
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2003/01/22 [水]
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■麦人がインフルエンザにかかった。昨日の夜から熱が出て、ふとんの中でうなされていた。時々目を醒ましておかしなことを言う。「この下に…!!うえぇぇん(泣)」とか。朝、熱を測ってみると38度あるので学校を休ませて町医者に連れて行った。ひさびさにおんぶすると、これが重い重い。ビデオ&マンガ&ハリポタで一日ごろごろさせておいた。 ■ SOUL OF どんと 〜どんとトリビュート Soul Show〜のチケット入手(ヤフオクにて)!どんと院と魂の交流をしてくるのだ。 俺にとっては、ボ・ガンボス時代のどんと作品が一番親しみやすい。『カーニバル』は何度聴いてもほんとに不思議な歌で、どんとは大昔から彼岸にいて歌を歌っていた、3年前に、じゃあね、という感じでそこへ帰っていったんだ、そして、今でもそこで歌い続けているんだ、としか思えないのである。 つめたいおれの体を川に流しておくれ おまえだけが友だちだった
太陽は昇り一日がほこりの中で始まった 人はあふれて右へ左へ 何も変わったことなどないと唄っている 今日はカーニバル
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2003/01/23 [木]
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中学生時代の同級生で、現在スイス在住の世界的ビオラ奏者・神谷未夏氏よりのメールである。無断引用だが許せ神谷。 -------------------------------------------------------- お元気ですか? あなたは私の知人友人の中でも 心から平和を望む人 そして行動力と愛の人だと思うので こういう運動があることを至急お知らせしたく 今年な年賀状さえ省略してしまった筆不精な私ですが あつかましながらもBCCでメールさせて頂いています。 一昨年前のテロ以来 報復がまるで美であるかのような 間違った考えや 更には 報復を利用しようと考える人々によって 私達の不安 不信は 益々大きなものになってしまいました。 イラクを攻撃する事で また 何の罪も無い一般市民が どれだけ巻き添えを食らうのでしょう。 やられたらやり返す というような事が正当化されてしまったら 人々の良心は何処へ行ってしまうのでしょう テロで亡くなった方々の遺族の多くも 家族の死を報復の理由にして欲しくない といって ニューヨークタイムスなどに 大統領宛の手紙を載せたりする キャンペーンを行っていますが 日本でも 日本政府の アメリカへの加担を食い止めようと 多くの人々が立ち上がり 来週3大紙にメッセージを掲載する事で 世論を高めようと頑張っています。 今日の新聞を読んでも 独仏の大統領が やはり世論に動かされ 戦争反対を公に唱えたようです。 少し面倒に思われるかもしれませんが 詳しい事を下記のホームページでご覧になってください。 本当に著名人はじめ 多くの方が立ち上がっていますよ あなたも自分達の考えを もっと世論に訴えかけませんか? 賛同して寄付された方の全員のお名前が 紙面に出ます あなたの勇気が周りの方をも動かす事になるかもしれません たった1パーセントの人々が強く望めば 世の中の波は変わる ということも 実験的に証明されています。 http://ikenkoukoku.com/私は今これを 全世界の友人に向けて送っていますが 参考までに 振り込みは日本国内からだけでなく 例えばスイスからですと postgiro を使ってもできました。 振込みの締め切りは28日まで ということで 私自身も今日詳細を知ったため 大変急で申し訳ありませんが 皆さんの行動力を信じています。 平和な世の中になって こんな重いメールじゃなく もっといつものように ふざけたメールばかりを送れるようになって欲しい, と心から願っています。 どうかよきご理解を! まだパソコン内のアドレス帳が整理されておらず 複数のメルアドにお送りした方もあるかと思います いま一度最新の有効なのをお教え願えれば幸いです。
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2003/01/24 [金]
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■インフルエンザ麦人は学校を休んで3日目。もう熱も下がって体力も回復してきているが、咳とムカムカ感が残っているというので、念のため今日だけ休ませた。俺がオフの時に合わせて病気にかかってくれた。親孝行な長男である。 お昼は近所のなか卯へうどんを食べに行った。天ぷらうどんを食べる麦人を観察していると面白い。まず浮かんでいる青ねぎを一掃し、うどんを一本ずつつるつると食べ、汁を啜ってから、最後におもむろに天ぷらに着手した。きっちり、嫌いなもの→普通のもの→好物、の順番に食べているのだ。 このこと一つとっても、彼が公務員とか大企業サラリーマンに向いていることが分かる(とりあえず今の段階では)。それは受験勉強向きの性格であるということでもある。将来の幸福のために、現在の辛苦を耐え忍ぶことが彼にはできるのだ。しかも、辛苦→幸福の過程をプランニングし、己の欲望をコントロールすることができるのである。 ■ほぼ全快した麦人は、家の中で退屈しきっている。俺は確かに今日は授業がないが、だからといって家でぼーっとしているわけではなく(多少はするが)、一太郎を使って原稿を書いているのである。気がついたらネットサーフィンしていることも多々あるとはいえ、いちおう自宅勤務なのである。 それなのに麦人は俺の膝の上に載ったり、静電気を起こして俺の髪の毛を引きつけたり、机の上の文房具をいらったり、邪魔なことこの上ない。「もう治ったんだから自転車でそのへん走ってこい」と言っても「先生に見つかったら叱られる」と消極的だ。 「邪魔だからあっち行け」くらいのことは言ってもちゃんとセール(分からない人はミスター高橋本を読むべし。プロレスで、相手の技を綺麗に受けることを指す)してくれる信頼関係は構築してある。だから何度でも寄ってくる。俺も麦人が「仕事中のパパに後ろから忍び寄ってわっとおどかす」はきっちりセールしてやる。治ってよかった。でも邪魔だ。 ■昨日買ったCD 加川良『駒沢あたりで』 この世はあんたの正義と優しさばかり 今に空さえ気が狂ってしまうわ 『女の証』
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2003/01/25 [土]
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■スポーツクラブでテレビ見ながらトレッドミルの上をハムスターのように走っていたら、中国人ビジネスマンの商売の様子を取材した番組をやっていた。音は聞こえないので、映像に現れるテロップだけを眺めていた。 「よし、ここの市場は我が社が押さえた。今度は東南アジアの市場を征服しよう」などと会話をしていた。 …なんつーか、つくづく俺は役に立たない人間であるというか、無用の人であるというか、会社の規模を大きくしたいとか、もっともっと大きな商売をしたいとか、そういう欲望がどうにも欠落していることに改めて気づいた。お金は必要だから一生懸命稼ぐが、そのこと自体が面白いとはどうしても思えない。 良い悪いは別にして、資本主義の世の中では、「そういう人々」がいてくれないと回っていかないのである。「そういう人々」が、馬車馬のようにぐわぁぁぁと仕事をするから、俺のような無用の人がぶら下がってメシを食えるというわけだ。そうなんだけど、俺は「そういう人々」がどうしてそこまで発展していこうと思えるのかが分からないのだ。分からないけど、そういう人が多少はいてくれないと、社会というものが保てないのは分かるから、なんか居心地悪い。 ■今週号の『AERA』の「現代の肖像」は高田渡だったので買う。記事自体は、ライブ行って歌を聴けば、別に読むほどのものではない。が、渡さんの言葉がやっぱりよいので覚え書き。 「ぼくは欲がないんだね。家が欲しいとか何が欲しいとか、そういうのはいっさいない。いろんなモノをたくさん持っていると生活がよくなったように、いかにも幸せそうに見えるけど、僕はそうじゃないと思う。モノを買うためにあくせくするよりも、死なない程度にモノがあって、精神的にのんびりしているほうがいいんじゃないのかなって思う」 これに対してなぎら健壱のコメント。 「マンションが欲しいとか車が欲しいとか、そういう物欲はない。普通はそういうものが欲しいから、嫌な仕事だってお金のためだと思ってやるんだけど、でも渡さんはそれをやらない。やらないことが欲なんですよ、彼の場合」 そういう欲が俺にも少しはあるだろうか、あるといい。
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2003/01/26 [日]
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■麦人が小学校で書いてきた作文。隣の子にインタビューして文章にまとめるというもののようだ。 とだむぎと ××さん ××さんさんはおにいちゃんになぐられる。ぼくもおとうとをなぐるからひとのことをいえない。 ××さんのすきないろはぴんくきいろきんいろだ。ぼくのおとうともぴんくがすきだ。 ××さんのすきなひとはおにいちゃんです。 ねるじかんは9じ〜8じだって。 すきなおもちゃはままごとでした。 ××さんのすきなてれびをきいたら「せーらーむーん」っていってくれました。ぼくのおとうとも日ようびにはせーらーむーんをみてます。 ××さんのすきなかもくはさんすうでした。 ××さんさんがきらいなひとは○○くんと●●くんです。 ■こんなサイトを見つけた http://www.loft-prj.co.jp/jagatara/interview1.html 江戸アケミのいないJAGATARAをわざわざ見に行こうとは思わないが、アケミについて語られる言葉には目を通しておきたい。歌を聴くということは、ただの暇つぶしや耳の肥やしという以上の、全智全霊をかけて行うべきことなのだと教えてくれたのは江戸アケミとJAGATARAであった(アケミだけではないけれど)。俺の中で、JAGATARA、どんと、ソウル・フラワー・ユニオンは、一本の糸で繋がっている。この世界で生き続けることに軋みを感じ、それを意識しながら歌っていた(いる)という糸でだ。江戸アケミはリズムで「向こう側」へ突き抜けようとしてほんとに逝ってしまったし、どんとは桃源郷を夢見て歌い続けて、これもまたほんとに逝ってしまった。中川敬は?逝っては困る。 ■洗濯したら、洗濯物に大量の紙の残骸がへばりついていて、3回すすぎをして何とか取り除いた。麦人がティッシュペーパーをズボンのポケットに入れたまま洗濯機に入れたのではないかと嫌疑をかけて追及したが、「絶対に外へ出した」という。確かに彼が言う場所からテレクラの宣伝付きティッシュペーパーが発見された。 昼食の時、ジャンクな活字を探しながら『週刊ゴング』が消失していることに気がつく。そういえば昨夜、風呂の中で読んだ後、洗濯機の縁に置きっぱなしにしたのを思い出した。それが洗濯槽の中に落ちて洗われてしまったのに違いない。犯人は俺でした。すまぬ息子。
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2003/01/28 [火]
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■ SOUL OF どんと 〜どんとトリビュート Soul Show〜に行ってきた。サンディー、THE BOOM、ウルフルズ、忌野清志郎の出演。サンディーは、どんとが亡くなる直前に見たというフラを披露。THE BOOM、ウルフルズは駄目駄目。つまらん。色気無し。 だけどだけど忌野清志郎!!!かっこよすぎ。参った。THE BOOM、ウルフルズなど清志郎の前では中学生バンドにも等しい。比較の対象にすらならない。2次元と4次元くらい違った。 ■忌野清志郎のパフォーマンスはとにかく面白かったので、覚え書きを残しておく。 ---------------------------------------------------------------- (「忌野清志郎出演キャンセル(「拉致された疑いがあります…入場料払い戻しには絶対に応じません」)」の場内放送の後、“名古屋は新栄で人気上昇中の”「セムシーズ」(清志郎&宮川剛)で登場。背中に詰め物・被り物・付け髭の放送禁止スタイルだ。朝霧ジャムバージョンですね。「うしろすがた・まるお」と「せなか・でっぱり」のベタなコントがしばらく続く。『イヤシノウタ』) 「私の見る限り、北朝鮮の工作員が多数紛れ込んでいるように見受けられます。トータス松本なんてのは、ありゃ工作員じゃないかと思われます。えー、あれだけたくさんの、90人とも100人ともいわれている人が拉致されてっちゃったんだから、相当な数の工作員が国内に入り込んでいるわけでございます。こう見渡しても全員工作員のようにも見えます。えー、どうぞ皆さん、工作員の方、あのー、寒くなってきたので、帰り際にカワイイ女でも、何人でも構いませんので、拉致して帰って下さいね。どんとも喜ぶと思うんですよ。ワシの孫のたっちゃんがな、夏休みの工作の宿題で船を造っておったんだがな、あれは、今思えば、工作船…。 (中略) えー、そういうわけなんで、曽我ひとみ、蓮池薫とかね、名前なんかおぼえちゃって困ったもんです。なにしろモー娘。の名前もまだ憶えてないんですから、矢口くらいしか。それでは工作員の方もいっぱいいるので、この曲を大々的にやりたいと思います。」
『あこがれの北朝鮮』 北朝鮮で遊ぼう 楽しい北朝鮮 北朝鮮はいい国 みんなの北朝鮮 キムイルソン、キムジョンイル、キムヒョンヒ、キムヘギョン おーいキムって呼べばみんなが振り向く
北朝鮮で遊ぼう あこがれの北朝鮮 北朝鮮はいい国 ただで連れてってくれる アベックで浜辺にいると拉致して連れてってくれる
いつかきっと北と南 仲良くなれる いつかきっとそんな世界が来るさ 差別も偏見も国境もなくなるさ 食糧不足も独裁政治も弾道ミサイルってものも核査察もなくなるさ あこがれの…… ちょうせーん みんしゅしゅぎー じんーみんー きょうわこく
ピビンバ カルビ クッパ ユッケ マッコリ おーいキムー
(ここで付け髭と被り物を取り、「実は私は忌野清志郎だ!わからなかっただろう!後ろの方のやつは、まだ私が忌野清志郎だと信じていないようだから、証拠を見せてやる!」と言って『雨上がりの夜空に』『空がまた暗くなる』『世間知らず』)
「新しい年がやってきたぜ。もう年が明けた。戦争は終わった。世界中から戦争が終わったんだ。もう新しい年が来たんだ。俺には夢があるんだ。俺には夢があるんだ。それはね、世界中から戦争がなくなることです。人間の頭の中から戦争という概念がなくなること。それが俺の夢だyeah!人間の歴史なんてねぇ、ずっと戦争の歴史だったんだ。もうそろそろやめてもいいだろう。yeah、何を青臭いこと言ってんだって思うかもしれない。でも俺はもう青臭くないんだ。ずっと言ってたら、もう青臭くなくなったんだ。むしろジジ臭くなっちゃったんだ。OK、この国の憲法を知ってるかい?第9条だ。永久に戦争を放棄する。軍隊を持たない。世界の平和のために貢献する。ジョン・レノンみたいじゃないか!ジョン・レノンの歌みたいだ。何でみんな世界中に自慢しないんだ!ジョン・レノンの歌みたいじゃないか!yeah!OK!じゃあ、ジョン・レノンの曲演ります!」
『イマジン』 夢かもしれない でもその夢を見てるのは 君一人じゃない 世界中にいるのさ
「ここにいるぜbaby、あそこにもいる…」
夢かもしれない でもその夢を見てるのは 君一人じゃない 違う 夢かもしれない 夢じゃないかもしれない (『Sweet Lovin'』『君が代』) ■あえて清志郎に言いたいことがあるとすれば、「君一人じゃない」かどうかは俺には関係ない。俺は一人でも「夢を見る」。それで十分だ。
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2003/01/29 [水]
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■俺はユニクロ愛用者である。全身に身につけている6種類の衣服のうち、5種類がユニクロ製であるということも珍しくない。ユニクロ店舗の天井近くにあるディスプレイに飾られていてもおかしくないと自分で思う。ユニクロ謹製ハイネックセーターをまとい、チョークを握りしめる「予備校講師 38歳」。そんなわけで、街を歩いていて同じユニクロ製のコートを着ている人と擦れ違っても、特に照れくさいとかしまったとか、マイナスの感情を抱くこともなくなっている。 しかし昨日、スポーツクラブの更衣室で、柄・色ともに全く同じユニクロ謹製パンツ(いわゆるズボンではなくトランクス型下着)を着用している人と隣り合わせになったときには、さすがにたじろいだ。同じタイミングでパンツ(こっちはいわゆるズボンだ。紛らわしいな)を下ろして、パンツいっちょうになったら、赤チェックの同じパンツを履いていたのである。あっ、と声が出そうになった。 喩えて言うなら、「えっ。お前もあのコとヤッてたんか!」という驚きに近い。実際にそういう経験はないんだけど。
■今日の麦人の忘れ物。筆箱・給食で使う箸・昨日やった宿題。しかも昨日は、ピアニカを学童保育に忘れて帰ってきた。毎日がこんな調子だ。ヤツは一体、何をしに学校へ行っているのだろうか。おそらく、ただ行っているだけなのだろう。まあそれでよい。 俺は「少し恥をかかせてやったらどうか」と言ったが、阿久沢は「これじゃ学校で何もできないじゃん」と、学校まで忘れ物を届けてやった。麦人は、クラスメートが黒板の文字をノートに写す中、何もやることがなくてぼーっと宙を見つめていたそうだ。
■朝干した洗濯物が、さっき見たら凍っていた。今日は寒い。
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2003/01/30 [木]
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■SOUL OF どんとが開かれたのは赤坂BLITZ。TBSの隣にある2000人の箱だ。フィッシュマンズ最後のライブとなった、「男達の別れ」の会場でもある。ステージの上に、俺はやっぱり、ビデオで見た佐藤伸治の立ち位置を探してしまった。 佐藤伸治もどんとも既にこの世の人ではないのだけれど、俺にとっての存在感はまるで違う。フィッシュマンズのCDを聴いたり、自分で口ずさんでみると、佐藤伸治の「不在」がひしひしと身に迫る。もうこの声を聴くことはないのだと。この音楽は、二度と戻っては来ないのだと。 ところが、どんとは違うのだ。どんとの肉体は確かに消えてしまったけれど、その歌を聴くとき・口ずさむとき、彼は確かにここに現在すると感じるのだ。どんとという目に見える形ではなくなったけれど、この空間に彼は波動となって充満していて、それがスピーカーの中から現れたり、俺の口を借りて歌っているのだ、と、俺には思えてならないのである。もう会えないけど、いつでも会える。 もちろん、どちらがいいとか悪いとかいう話ではない。
■麦人と文人が二人で風呂に入っていた。外で話し声に耳を傾けていると、湯気で曇った鏡に麦人が、小学校で習ったばかりの漢字を書いて、文人に授業している様子。 麦「赤・青・白…。文人の好きな色は?」 文「ピンク!」 麦「ピンクなんていう漢字はない!」 文「きいろは?」 麦「きいろもない!」 知らないことは麦人にとっては存在しないのである。無知というものの恐ろしさがよくわかった。アメリカ大統領も、自分の国の軍隊が落とす(落とした)爆弾でイラク国民がどうなるか、知る気もないのだろう。知らないことは彼にとっては存在しないのだ。SHIT!
■イラク国民が何を考えているのかもっともっと知りたい。 そして、太平洋戦争開戦直前の日本人は何を考えていたのだろうか。東条英機は困ったものだと思いながらも、ねちねちと日本を戦争に追いやろうとするアメリカとは、負けるにしても戦うしかない、と腹を括りつつあったのだろうか。そういう日本人を空爆で無差別に殺したり、核兵器を使用して大量虐殺を行ったことは果たして正しかったのだろうか。日本人よ、イラクで何が起こるのか、刮目して見よ。あれは60年前の我が同胞だ。
■A級戦犯を靖国神社に合祀することに関しては、俺は賛成である。戦争犯罪人は連合国が裁いたのであって、日本人が自ら裁いたのではない。従って、戦犯か否かの区分を設けること自体、日本人が自らの戦争責任を考えるきっかけを失うことだと考える。合祀しろよ。靖国とはそういう神社だろう。
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2003/01/31 [金]
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■小学校の同級生が2人、校庭にある鯉の池に転落した、と麦人が嬉々として話してくれた。主人公はEくん、巻き添えを食ったのがOくんである。Eくんが池のブロック製縁石の上に立って、「4番バッターE!」とバッティグポーズを取っているうちにバランスを崩して落ちそうになり、側にいたOくんにつかまろうとして2人とも落ちたそうだ。Eくんは全身ずぶぬれになって泣き出し、Oくんは下半身が水に浸かったそうである。 いいなあ、小学生。こういう愚行を冒す小学生は大好きだ。こういうエピソードは何十年たっても語り継がれてしまう。俺の中学校の同級生は、中学校のトイレで大便をしたために未だに「大ちゃん」である(かつて男子児童・生徒だった者は分かると思うが、男子用トイレで大便をするのは最大級の屈辱なのである)。 先生のお説経がまた傑作。「赤ちゃんだったら死んでいますよ」だそうだ。赤ちゃんじゃないっちゅーに。まぁ、先生も本気で叱る気はしないだろうから、こんなもんでいいだろう。
■前回の日記で書いたことを少し補足して考える。 無知なのは程度問題だから、誰しも無知であるといえる。無知と馬鹿の違いは、自分が無知であることの自覚、あるいは、自分が無知であることに対する畏れがあるかないかではないだろうか。 自分が知らないことがあるかもしれない。知らないことすら知らないのかもしれない。例えば自分は異性愛者だけど、同性愛には自分の知らない快楽や豊かな世界があるのかもしれない。そちらの世界を自分は知る機会はないかもしれないが、そういう世界が存在する可能性に対する畏れは持っているべきだろう。自分は無知なのかもしれない。 アメリカは自由と民主主義を国是に掲げる国なのかもしれないが、その価値観を共有しない社会があるのかもしれない。どちらが正しいのかは誰にも分からない。その可能性に思いを致そうとしないから、現アメリカ大統領とその周辺のアメリカ人は馬鹿の名に価するのだ。ただ、アメリカ人全てがそういう馬鹿というわけではもちろんない。ノーム・チョムスキーのような人だって少なくはないだろう。だから俺は、アメリカ国民一般に対する自爆攻撃には「うむ。気持ちは分かる」と思いつつも、首を縦に振るわけにはいかないのである。
■今日読み終わった本 奥平康弘・宮台真司『憲法対論』(平凡社新書) →なんか、息苦しい本だなぁ。
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