トップへ戻る
おっとせい写真日記へ
「過去の日記」トップへ戻る

2003/04/01 [火]   

■三宮へ服を買いに行った。5月になればTシャツメインになってしまうことは分かっているのだけれど、いちおう新学期だし。
 まずジャケットを買った。柿色。4月第1週くらいは使えるだろう。
 さらに長袖シャツと半袖シャツをエディーバウワーで。俺は腕が長いので、長袖シャツは他で買うと微妙に丈が短くなってしまう。その点、エディーバウワーはありがたい。値段も手頃。

■トップページを一新した。この時期にやらないとやる時間がない。この先1年は、このトップページでいくことになる。メールフォームも付けてみたが、感想とか反響とか欲しいわけではない。
 パリの教会に懺悔コーナーがあった。教会堂の隅に置かれたボックス(中学校の掃除用具ロッカーみたいな形。穴が開いていてそこから話す)の中に隠れている(?)聖職者に自分の悪行を告白して楽になる、というものらしい。あるいは、地面に穴を掘って、王様の耳はろばの耳、でもよい。そういうつもりだ。
 ま、一番大きな理由は「単純に面白い」だ。なんか送って下さい。
 とりあえず業者さんの転送サービスを使ったが、近々perlで作ってみるつもり。

■人類の歴史は確かに戦争の歴史だが、同時に戦争をやめさせて平和な暮らしを求めようとした歴史であることも忘れてはならない。山城の国一揆で畠山両軍を撤退させた国人の努力を見よ。織田信長や豊臣秀吉をこの世に呼び寄せたのは、戦乱を終わらせようとする民衆のエネルギーではないのか。徳川政権は、惣無事を保障することではじめて、公儀としての性格を勝ち得たのではないのか。
 人類の歴史は戦争の歴史なんだよ、とか言ってさも訳が分かった風な顔をしているやつを馬鹿というのだ。


2003/04/02 [水]   

■夢をみた。ずいぶんリアル。
 我が家は8階建てマンションの1階なのだが、その専用庭に人が降ってきた。飛び降り自殺である。どしんと音がして、庭に人が横たわっているのが見えた。子供に見せたらマズイと思ってカーテンを閉めて、119番と110番をしたらすぐに来た。警察官か救急隊員と俺が押し問答になる。向こうは室内を通って遺体を搬出したいと言い、俺は冗談じゃない、フェンス越しに道路から搬出してくれ、子供に与える影響も考えてくれ、とか言って抗議していた。
↓「自殺」「死体」に関する夢判断やて。ほうほう。
自殺の夢
嫌な夢のように思われがちですが、死に関する夢は大抵いい夢です。
あなたがいい方向に切り替わるといういい暗示です。
死体の夢
今の状況がいい方に切り替わるといういい暗示。


■朝、文人の機嫌が猛烈に悪かった。着替えを手伝ってやったのに、ふとんに突っ伏したまま食卓に来ない。パンにジャムを塗ってやったのに見向きもしない。いい加減にしろぅ、と声を荒げたら、自分でベランダに亡命してしまう。麦人に懐柔させた上で俺が抱いて家の中に連れ帰り、「何で怒ってるの?」とほっぺたをくっつけて訊ねてみる。
 文人は怒るとブチキレ的な行動を取りがちだが、こちらの愛情を見せてやれば割とすぐにほぐれる子供だ。「あのね…このお洋服取り替えてもいい?」と言う。どうやら俺が着せたピンクのしましま服が気に入らなかったのが怒りの原因らしい。「いいよ。自分で好きなのを選んでおいで」と言うと、あれこれ迷ったあげく、ユニクロのオレンジ色のシャツを着た。いきなり機嫌が直って食事を始めた。
 今日に始まったことではないが、服に対するこだわりにはいつも驚かされる。思春期に入ったらどうなるのだろう。バイトして好きな服を買ってもらうしかないか。

■「反戦を唱える人々は感情に動かされているだけで、世の中に必要な戦争もあることを知らなければならない」と、今次の戦争を支持なり、致し方ないとする人々は説く。後段に関してはそういう場合もあろうと限定付きで賛成しないこともないが、前段に関しては俺は首を傾げる。
 まず、「感情的」であるのはそんなにいけないことだろうか。因果応報にはどんな宗教を信じている人・信じていない人もそれなりに納得するが、超大国が一方的に投下するミサイルで産まれたばかりの子供が殺されたり、産まれることができなかったり、劣化ウラン弾で長い時を苦しんで生きることにはどうにも納得できない。とりわけ正義の名においてそのようなことが行われている場合には。こういう浄化されない感情=恨、がテロを生む。それが因果応報だ。納得するためにはそれが必要になるのだ。だから「感情」をなめるな。

■次に、「感情に動かされる反戦派」を批判する人々もまた、「感情的」というレベルでは反戦派と大差がないのではないかと思う。おそらく反「反戦派」の人々は、「戦争で人が死ぬことばかりに目を奪われていて、イラクが保有している(可能性がある)大量破壊兵器や、日本防衛のためにアメリカのご機嫌を損ねてはまずいということを忘れている」と言いたいのであろう。
 しかし、およそ人間は「感情」を根っこに持って行動するものではないだろうか。「感情」という言葉があたらなければ「反射」「衝動」でも構わない。腹が減ってはかなわないから働く。ぶん殴られたら痛いから自分を守り、反撃する。家族や友人の笑顔を見たいから優しくする。褒められたいから、またはセルフ・エスティームを高めたいから努力する。
 空の上からやりたい放題されて、独裁者を支持しているわけでもない一般市民や子供が犠牲になることに堪えられない。それは確かに「感情」「反射」「衝動」がなせる反発である。我々は、自分の身に直接起きたことでなくとも、想像力で自分の身体や心に痛みを感じることができる。一度も会ったことがなくても、異なる文明圏に住み、肌の色や言葉が違っても、全ての人が幸せに生きる権利がある、と信じる地平に、既にいる。そういう我々にとって、今次の戦争はまさに感情レベルで耐え難い。感情レベルだからこそ、この耐え難さは容易には消えないだろう。
 しかしながら、暴君が統治する国の大量破壊兵器(イラクに限らぬ。イスラエルやアメリカがその最たるもの)が怖いから先手を打って殲滅する、ミサイルを撃ち込まれてはかなわないから大国の陰に隠れて大国の幇間をする、すべて自己防衛という「感情」「反射」「衝動」が根底にある行動だ。「反戦派」を「感情的」と笑えた筋合いではない。

■「反戦派」に反省すべき点があるとするなら、この「感情」「反射」「衝動」がどこから来るのか、どうすればこの耐え難さを伝えることができるのかを自分に向き合って考えることを怠り、「とにかくイヤだ」とデモ行進でストレス発散してしまった人が少なからずいる可能性がある、という点だろう。
 あるいは「自分も戦争で死ぬのはイヤだ」という理由で今次の戦争に反対するのなら、じゃ、お前が戦争で死ぬ可能性がゼロなら反対しないんやな、という反論が容易に可能だ。自分が死ぬのはイヤだ、と、見ず知らずのイラク人が死ぬのもイヤだ、と、フセインにクルド人が殺されるのもイヤだ、と、大義のない戦争で米英人が死ぬのもイヤだ、を、感覚的に結びつけるにとどまらず(最初は感覚的でよい。というか、そこからしか始まらない)、自分なりに腑に落とすための持続する思考を続けるべきである。
 
■こうも思う。今次の戦争に賛成、もしくはやむを得ない、と考える人たちは、実はとても優しいのではないだろうか。まさにこの戦争は耐え難い。この耐え難さから手っ取り早く逃れる術は、無理やりにでも正しい戦争、裂けることのできない戦争だと納得してしまうことだ。「賛成派」の人たちは、納得して安心立命を売るために、とりあえずこの戦争を肯定した。が、肯定という結論が先にあるために、自己防衛という「感情」「反射」「衝動」を前面に出すという点で、「反戦派」と大きく変わることはない。それを押し隠すためにこそ、「反戦派」に対して、ヒステリックに「感情的」だという批判を投げるのではないだろうか。


2003/04/03 [木]   

■午前中に原稿仕事をして午後はスポーツクラブという、オフのルーティンを遂行した。4月は新入会の人が多いのか、マシンもかなりいっぱいいっぱい。トレーナーも新入会員対応モードに入っているのか、いつになく積極的にアドバイスしてくれる。
 なんにせよプロのアドバイスってのはたいしたもので、ちょっと腰の入れ方を深くしたり、胸を張ったりするだけで筋肉への負荷が全然違ってくる。受験生にもこういう「たった一言でぐいっと効く」アドバイスをしなければならないと改めて思った。

■その後、ちょいと三宮に出て、高架下でTシャツを2枚買う。紺染で、龍とか魚の柄が入っている和風のやつ。


2003/04/04 [金]   

■橋を渡って瀬戸内海を越えて讃岐うどんを食べに行った。お昼にうどん、おやつにうどん、夕食にうどん。なぜに海をひょいと越えるだけで、ここらのうどんはかくも美味いのか。うどんとかごはんとか、主食系がおいしい土地というのは豊かだと思う。焼き肉とかフランス料理とかは2日続けて食べたいとは思わないが、うどんなら1日2回くらいいけるもんなあ。
 昔から大志や野望を抱いたことのない人間だったが、トシのせいか、最近とみに、身近なシアワセを嬉しく感じる。もし高松や坂出に暮らしていたら、「くそ!面白くねえ!今日は2玉を生醤油だけで食ってやる!」とか「今日は頑張って仕事したから2玉に天ぷらをのせてやろう」とか「子供うるさい!200円やるからうどん食ってこい!」なんて毎日考えたり言ったりできるなあ。いいなあ。讃岐うどんマンセー。

■この土地の人はほんとにうどんが好きなんだ。うどんのお店を探して車を流していたら、「ライスカレーうどん」「カツカレーうどん」という大きな写真入り看板が目に入った。前者はカレーライスの横にうどんを一玉、後者はカツカレーの横にうどんを一玉添えたものだった。ちょっと驚いた。


2003/04/05 [土]   

■高松のうどん屋さんで麦人が発した言葉が忘れられない。
 その店は民芸風の外観で、入り口の近くに大きな水車が回っている。もちろん粉を挽いているわけではなく、電気で引き上げられた水を上から落としてただ回転させているもの。それでも直径2メートルくらいあっただろうか。それを見た麦人は大きな声で、「この水車は回っているけど、意味がないよ!」と、驚いたように言い放ったのである。
 あまりにも正しい指摘にそのときは可笑しくて笑ったのだが、あとになって考えてみればかなりシンドイ発言だ。7歳にして麦人は、物事には何らかの実用的な意味がなければならないと考えているのだろうか。そうだとすれば、俺のような無用ノ介の親父を、彼はいつか見限ってしまうのではないだろうか。それはそれで仕方ないことだが、無用な部分を排除して、お金になる部分だけを強調する人生はほんまに詰まらないものだと思うので、俺としては麦人に、ただ回る水車のような意味がないモノを楽しむ人になってほしいのだ。
 まぁ、麦人の日々の暮らしを見ていると、新聞紙を丸めて何本も刀を作るわ、つっこみようもない駄洒落を量産するわ、無意味なことばかりしているので大丈夫かな、と思っているが。

■オフもあと1週間で終わり。再来週からは新学期がいよいよ始まる。例年になく体力は増強されているはずなので、今年度は例年以上にテンションを上げて講義することになろう。今年度も休講なしで乗り切れることを祈るのみ。


2003/04/06 [日]   

■学童保育保護者会の2次会で、ウーロン茶だけで2時まで。乱れる人や泣き出す人や大笑いする人がいて面白かった。
 40人規模の学童保育でも、保護者は様々なバックボーンを背負い、様々な哲学や意見を持っている。それらの合意点を探り、運営していくためには、議論の時間をたっぷりかける必要がある。子供を預けている場所だから、潰れては困るし、よりよいものになってほしいのだ。そのためには日付が変わっても話し合いを続けることも希にはあるし、お互いのキャラクターを知る必要だって出てくる。

■学童保育ですらそうなんだから、異なる宗教や文化圏にある人々を理解するにはもっともっと時間と手間が必要なのだろう。あいつらが攻めてくる前にやっちまえ、なんて、幼稚過ぎる。

■文人がまた風邪をひいた。39度の熱とのどの痛みを訴えた。元気に家の中を歩き回っているが、ときどき「のどが痛い〜」と甘えた声をあげる。本人は気の毒だがカワイイ。


2003/04/07 [月]   

■麦人の始業式が近いので、あれこれ指示して持ち物を確認させた。「連絡帳が見つからない」と言って右往左往している。彼の「見つからない」は99%信用できない。親が探すと5秒で見つかることが多い。今回も、教科書入れのプラスチック製書類差しからあっさりと連絡帳は登場した。「お前の目は節穴以下だな」と叱責。麦人はにやにや笑っていた。
 一時間後、文人が「ネックレスがない」と言って探し回っているのを見た麦人が、「お前の目は節穴だな!」と得意げに罵倒していた。その直後、俺の方をちらっと見て、「…まあ、俺の目も節穴だけどな」と追加していたので笑いを堪えきれず。

■庭の隅に山椒の小さな木が植わっている。煮物に添える葉をもらうために植えている。春になって、葉が出て少し大きくなると、揚羽蝶が卵を産み付け、あっという間に成長して巨大な青虫が5匹くらいくっついている。それは仕方ないのだが、青虫どもは小さな木の葉を数日で食い尽くし、食べ物がなくなって衰弱し、土に落ちて蟻に運ばれてしまうのだ。
 青虫がいなくなると山椒の木は再び葉を付け、また揚羽蝶が卵を産む……というサイクルが、春から夏にかけて2、3回繰り返される。
 この光景を見ていると、SFでよくある「現在の人類は実は地球初の人類ではない。かつて地球上に高度な知的生命体が存在したのだが、核戦争で絶滅した」とかいう設定も、まんざらあり得ないことではないような気がしてくる。愛すべき青虫に、かつて同じ山椒の木にいた先輩のことを語ってやりたいが、彼らは無心に葉をむしむしと食べているだけなのだ。


2003/04/08 [火]   

■麦人にゲーム機を買ってやることにした。
 小学校低学年のほとんどが何らかのゲーム機を所有している中、我が家は「小学4年までは我慢せよ」という方針で今まで臨んできた。小学4年という時期には何ら合理的根拠はない。欲しいものを望むままに与えることは子供を悪い方向に導くような気がするので、何らかの制限を設けてみたまでである。

■しかし、先週の土曜日、麦人はゲームがほしくてやりたくて、とうとう涙を見せた。
 学童保育の会合が開かれている間、子供たちは親たちの横で三々五々遊んでいる。ほとんどの子供はゲームボーイ系の携帯ゲーム機を持参している。持っていない麦人は、友だちがやっているのを横からのぞき込んでいる。タイミングを見計らって、「貸して貸して!」とオファーを入れるが、そうそううまく借りられるものではない。ずっと横からのぞき込んでいる麦人。それだけでも十分に哀れを誘うものがあった。
 会合が終わり、後は親の飲み会、ということになったので、麦人に「家に帰りなさい」と指示したところ、彼は目に涙をいっぱいためて、暗い戸外へ走り出した。彼はもう少しうだうだして、友だちのゲームをやりたかったのだ。
 ここまで見てしまったら、買ってやらないわけにはいかない……。

■世の親たちは、ゲーム機やテレビアニメに子供が没頭することになぜあれほど嫌悪を示すのだろうか。思うに、ゲームやアニメの内容ではない。子供が何かに没頭するということ自体におそれを抱いているのだ。『ハメルンの笛吹き』なる童話は、そんな親のおそれを形にしたものだ。
 最近こそ「子供が本を読まない」と嘆かれるが、100年くらい前は「この子は本ばかり読んで、将来が心配だ」と嘆かれたのである。少し前は、映画館に朝から晩まで入り浸っていれば立派な不良だった。要するに、日常生活から離れた空間に子供が彷徨い出ることが困るのである。今や映画は衰退し、読書も学校教育の枠内で管理することが可能になった。いずれゲームに関しても、「良いゲーム」「心の教育に役立つゲーム」が文部科学省によって選定され、そのおそれは解除する方向に向かうだろう。そうなればまた別の『ハメルンの笛吹き』が立ち現れることもまた確実である。

■そんなわけでゲーム機は近々我が家にやってくる。ただ、ゲームボーイ系の携帯ゲーム機は見るからに目に悪そうなので却下。PS2かキューブというあたりに落ち着きそうである。


2003/04/09 [水]   

■麦人と文人が夕食後、いつものようにじゃれあっている。おやつのイチゴを前にして、「おにいちゃんは今、あめちゃんをなめているからイチゴは食べちゃだめ!」と、文人が智恵を絞って取り分を増やそうとする。
 怒った麦人は「てめえ!てめえのようなやつはぶっ殺してやる!」と恫喝。そこで彼は、我が家では「殺す」系の罵詈雑言が厳禁であることをはっと思いだしたようで、大急ぎで言い直す。「あー!言葉が荒い!ぼこぼこにしてやる!…これもだめだ!」と悩んだあげく、「お前にパンチをしてもいいですか?」と、いきなり低姿勢になってしまった。
 麦人にやくざは向いていないことはよく分かった。


2003/04/10 [木]   

■関西文理で新年度の会議があったのでひさびさに京都へ。京都の春はやっぱりいい。早めに行って、駅の周辺を少しだけ歩いた。
 会議は、注意事項の確認と「今年も頑張りましょう」というもので、特段議題があるわけではない。が、今年度の募集が絶好調だというので、良い意味で驚いた。大学受験人口が減少に入って10年以上経過して、毎年この種の会議では景気の悪い話ばかり聞かされてきたからだ。生徒募集や予備校経営に関しては、俺のような一講師の与り知らぬことゆえ、俺は毎年、目の前にいる生徒さんに対して一回一回の授業を誠心誠意を込めて演じるだけなのだが、やはり嬉しいし安心もする。
 会議後、同僚の先生と昼食を食べつつさらりと情報交換をして帰宅。

■麦人は小学校から帰って来るなり、「ゲームキューブ……ゲームキューブ…」と呪文のように唱えつつ部屋中をうろうろする。俺が仕事をしているところにもやってきて、「ゲームキューブ…」と唱えつつ抱きついてくる。「そんなにやりたいなら、目をつぶって画面を想像しな。手でコントローラーを握ったつもりになってみな。ほれ、バキューンバキューン」、と暗示をかけてやったら、10秒だけやって、「こんなの〜」とぶーたれながらテレビの間に去っていった。
 誕生日(25日)プレゼントで与える予定だったが、このままでは精神のバランスを崩しかねないほど思い入れているので、ちょっと前倒しして与えることにしよう。

■これでもう戦争は終わるだろうか。人々の上に爆弾が降り注ぐのも止むだろうか。新たな憎しみが胞子のように散乱していないだろうか。
 誰の目にもはっきり見えた戦争は終わるかもしれないが、たぶんもう少し複雑な形で、人々の血は流され続けるのだろう。そのときに話せる言葉を持ちたい。No war, それももちろん大切な言葉だけれど。
 あと、今後米英によって進められるイラク占領統治が、日本の時とどのように同じなのか・違うのかには興味津々である。米英側の方針も、イラク人の対応も。
 アメリカにあれほどひどい目に遭わされた日本人は、おおむねアメリカの占領を歓迎したとされる。大東亜戦争をかなり本気で戦ったにもかかわらず、である。しかも、その大東亜戦争をアジア解放戦争として高く評価する政治勢力は、おおむね親米保守派である。この捻れはなんなんだ。
 現在のところはフセイン独裁から解放されて、米英軍を歓迎する人々が多いと報道されている。いわばお祭り状態である。それは十分に理解できる心情であろう。が、占領統治が本格的に始まったとき、人々はどういう対応を示すのだろうか。

■あと、絶対に忘れてはならないことは、大量破壊兵器を持っているに違いないから、という口実で始めたこの戦争、いつのまにやらイラク人の自由のため、と目的がすり替えられたこと。強ければ、勝てば、何をやっても言ってもいい、というのがアメリカという国だ、ということは忘れないでおく。


2003/04/11 [金]   

■木曜日は最後のオフだったので、麦人のゲームキューブを買いに行った。誕生日より2週間以上早いが、1年生をしっかり頑張ったし、学童保育も楽しんでくれているし、弟もそこそこかわいがっているので、2週間前倒しはご褒美ということにした。本体は文人の趣味を汲んでオレンジ色。
 箱に入れたまま、何気なくテレビの前に置いておいたら、帰宅した麦人は10分以上気が付かない。前日と同様、「ゲームキューブ…ゲームキューブ…」とつぶやきながら家の中を歩き回っていた。「ビデオ見ていい?」と俺に尋ねながらテレビの前に腰を下ろしたとき、やっと気が付いて「あ」と声を出した。パッと顔を上げて俺を見つめ、「誕生日までは、開けちゃダメ!」と両手で×を作ってみせる。「開けていいよ」と俺が言い終わらないうちに、彼の尻からはしっぽがにょきにょきと生えて、ぱたぱたとちぎれんばかりに振られた。ように見えた。
 保育園から帰ってきた文人と麦人で、「スマッシュブラザーズ」を一通りやっていた。いちおう「お約束」を決めた。
  • 宿題と進研ゼミをやってからやる
  • 一日30分を原則とする
  • パパやママがやめなさいと言ったらすぐにやめる
ということになっている。
 麦人は、夜寝る前、キューブ本体にほおずりしてからふとんに入った。


2003/04/12 [土]   

■麦人が2年生になって最初に書いた作文。
「二年生になって」
ないとう先生(※「先」は誤字。横棒が3本ある)にあだなをつけて、なっとう先生(※同様に「先」は誤字)にしてよろしいですか。よろしければそうよばせてください。
■金曜日は大予備・北予備の会議。いよいよ来週の月曜日から講義が始まるので、会議の後、講師3人連れだってカラオケ屋で発声練習。昨年、1週目でノドをやってしまった反省からである。
 俺はあがた森魚・高田渡・遠藤賢司などを主に歌う。高田渡は画面に本人の歌う姿が出てくるし、エンケンは『夢よ叫べ』なんか入っている。岡林信康バージョンながら、早川義夫の『堕天使ロック』もある。泉谷しげるは『寒い国から来た手紙』に『春のからっ風』まであるんだよ。最近のカラオケはなんか凄いな。ついつい力が入る。これでウォーミングアップ完了だ。


2003/04/13 [日]   

■12日は古川豪のライブを聴きに三宮へ。楽器屋さんの4Fに小さなホールがある。こじんまり落ち着いて良い雰囲気だ。
 神戸のブルーグラスバンドが何曲か演奏した後に豪さん登場。椅子に座って、ギターとバンジョーを曲によって持ち替えつつ、半分目を閉じて、中空を見つめながら歌う。半分白くなった中途半端に長い髪、老眼鏡、額の皺、微笑む口元。
 彼の歌う姿を見ていると、生活と人生と歌が一つになっていると思う。CDとかの音源ではこれは伝わらない。歌っている姿が歌なのだ。古川豪は、京都・新大宮商店街で薬屋さんを営む商店主でもある兼業歌手だ。でも、薬屋さんがフォークを歌うのでも、フォーク歌手が薬屋さんを飯の種にしているのでもない。商売や育児や商店街の活性化運動など、「暮らし」の範疇に含まれるもろもろのことと、歌を作って歌うとことが完全に一つのものとしてそこにいる。古川豪はそういう歌手だ。
いつの時代も繰り返された
頑固な男と不器用な女の
飾りっけなしの細やかな暮らしが
軒を連ねる商店街
という文字にしてしまうと一見平板な歌詞は、古川豪の口から歌われたとたんに商店街の景色を俺に見せてしまう。そこで暮らすたくさんの「頑固な男(女)」と「不器用な女(男)」の表情が古川豪の歌う表情と重なってくる。自分もその1人ではなかったかという錯覚さえ起こしそうになる。

■高校生のころから、いろんな大人たちの背中を見つめて、ああいうふうになりたい、こういうふうにはなりたくない、と思っていた。ああいうふうになりたい、と思った背中も何時しか色あせてしまったり、見失ってしまったり。
 古川豪の歌を初めて聴いたのは18年前、京都に来た年だった。彼の背中はまだ僕の前にあって、ますます大きく輝いているように思う。そのときもライブの最後は『ホーボーズ・ララバイ』だった。
汚れた身体がまたうずきやがるが
ブルーズに一つ微笑んで
この世を生き延びてやる
俺もそろそろこの歌を口ずさんでもいいかな、という気がしたので、少し大きめの声で一緒に歌ってみた。

■実はこの日、学童保育の役員会があったのだがすっかり失念していた。通常は第3土曜日だったのに、今週は第2土曜日にあったのだ。帰宅してスケジュール帳を見て驚愕。ごめんなさいごめんなさい。


2003/04/14 [月]   

■阿久沢は統一地方選挙取材の応援で広島へ。俺と麦人と文人で『クレヨンしんちゃん・嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』の試写を観に大阪・ABCホールへ。お子様と付き添いの保護者で満員御礼状態で、3人で並んで座ることはできなかった。麦人を離れた席に1人で座らせ、俺は文人を膝の上に乗せて観た。立ち見の人もかなりいたようだ。

■子供の笑いを取るツボをしっかりつかんでいる映画で、とにかく上映中、子供たちが笑う笑う。笑わせてやるぞ!と製作側が気合いを入れたところでしっかり笑う。それもサウンドトラックがかき消されるくらいの、腹の底からの声で子供たちは笑うのだ。なんだか、日本の未来は明るいのではないか、という気持ちになった。文人もひときわ大きな声で「ふひゃひゃひゃ!おもしろいねー!」と、膝の上から俺を振り返って繰り返していた。
 映画が終わってエンドロールが流れ出すなり、「おしっこ!おしっこ!」としんちゃんの如く尻を振り出す文人。急いでトイレに連れて行くと、離れた席にいた麦人もちょうどトイレに駆け込むところだった。膀胱の大きさも兄弟で似ているらしい。


2003/04/15 [火]   

■阿久沢は広島泊だったので、俺が朝食を作って子供を起床させて小学校・保育園に送り出し、ゴミを出した。
 親が一人しかいないと、子供連合は数で勝っていると思うのか、いくら声を掛けても二人とも全く起きる素振りも見せない。ふとんを引きはがしても、ちょっと目を離した間にまた頭の上まで引き上げて眠り続けようとする。こいつらなめとる。最も近くにいた麦人の尻に「起きろ!」と軽くストンピングを入れてみた。むくりと起きあがる麦人。同時に文人も弾かれたように起きあがってパジャマを脱ぎ始める。最初からそうしていればよろしいのに。
 食卓では文人が、父親謹製の目玉焼きに対し「味がない」などとケチを付けるので、「じゃあパパが全部食ってやる!」と宣言して彼の分まで平らげてやった。驚いたのか文人は玄関から外へ駆け出し、5分後に何事もなかったかのように席に戻っておにぎりを食べ続けていた。


■いよいよ月曜日から開講。今日のためにあたらしくパンツをおろした。ところが文人を保育園に送り届けたとき、右の腿のあたりに10センチはあろうかというサイズシールが貼り付いたままであるのを文人の同級生の女の子に指摘されてしまった。ああ恥ずかしい。教えてくれてありがとうです。
 講義自体は、午前中にプールで軽く身体に火を点けておいたせいか、かなり好調に進んだ。疲労が残ることもなく、まずは幸先の良いスタートである。


2003/04/16 [水]   

■子供にゲームを与えるタイミングにしても、私立中学校を受験させるか否にしても、各種のお稽古ごとに通わせるか否にしても、何色の服を着せるかにしても、休日にどこに遊びに連れて行くかにしても、子供の存在は親の頭と身体と財布をフルに使わせる。その結果、夜に気が向いたまま遊び歩いたり、気ままに旅行する自由は制限されるし、仕事をセーブしなければならない時期もある。よく働き、社会の中での自己の存在感を拡張し、自己の欲望を満たすことが佳きことで合理的であるとする立場からは、子供の存在はマイナスに機能することは否定できない。
 じゃぁ子供を作って後悔しているかというと、後悔は全体の1%くらいはひょっとしたらしているかもしれないんだけど、それは誤差の範囲としていいと思う。子供って、ものすげぇ存在なのだ。

■一言で言うと子供とは「自分の命よりも大事なものが目に見えて手に触れる形でそこにいる」ということだ。
 俺は、国家や理想やイデオロギーのために命を捨てる、というあり方に、どこかしら人工的で不自然なものを感じる(間違っている、というのではない)。戦死した兵士の名前を大統領が仰々しく読み上げたり、威圧的な神社を作り上げて祀ろうとするのは、国家のために死ぬ、ということを人々がそのままの状態では納得できないからに他ならない。大げさな仕掛けを施さなければ、本人はもちろん、遺された者も肉親や友人の死を意味あるものと受け止めることはできない。従って新たな戦死者を生み出すこともできなくなるのだ。
 一方、夏になると、溺れた子供を助けて親が死んじゃった、という記事をよく見かける。こちらも遺された者は悲しむであろうが、死んだ親本人は特に悲しくも悔しくもないのではないかと俺は思う。仮に、自分が子供を助けて死んだことを誰も知らなかったとしても、そんなことはどうでもいい、と考えているだろう。
 親にとって子供は、日常生活と地続きに、従って何の気合いも衒いもなく、自分自身の命よりも大切なものなのではないだろうか。そういうものが手に届くところにいて、飯を食ったり糞をしたり、抱きついてくる、というのはほんとに凄いことだ。そういうものが側にいると、いわゆる自己実現とか自分探しというのが、優先順位2番目以下に自然にするすると降りてくる。自分の人生は自分のためにある、と若い頃はずっと思っていたし、基本的にはそれで間違っているとは思わないけれど、自分のためではない自分の人生というオプションが付いてきたという感じだ。おぉ、こういうのもあるのかよ、と、俺にとってはかなり新鮮な体験なのだ。
 種族保存本能のなせる技だ、という冷静な分析には深く頷いておこう。だが、それで満足できるほど俺は淡泊ではない。「だから?」という問い返しをしておけば十分なのだ。

■越前そばをいただいた。これが美味いのなんのって、一人で4食食べて、蕎麦湯まで飲み干してしまったよ。汁をつけなくても美味い。

■中島らもを支持する。
中島被告は被告人質問で「根本的には大麻取締法の存在はおかしいと思うが、非合法の大麻を吸ったことは悔しいし、腹立たしい」と述べた。(アサヒコムより)
らもは「大麻が非合法であることが悔しいし、腹立たしい」と言っているのである。この記者の文章はおかしいな。全然分かってないんだろうな。「犯罪者」が法律を批判・否定することなんて、想像もしたことがないんだろうな。
 実は中島らもの本って一冊も読んだことがなかったりする。


2003/04/17 [木]   

■文人が朝から発熱。この1ヶ月、週1のペースで熱を出す。阿久沢が医者へ連れて行った。医者も「気になりますね」とのことで念のため採血し、やはり白血球が少し多いとのこと。なんだろうなあ。大したことがなければいいのだが。帰ってきた文人は「手にちくって針を刺された」と報告してくれた。
 俺も阿久沢も仕事を休めないので、シッター業者に電話して急遽シッターさんを派遣してもらうことにする。夕方からはいつもお世話になっている女子大生のおねえさん(以前の生徒さん)に引き継ぐ。こう書くと大変だが、麦人も文人もおねえさんが来るのを年末から楽しみにしていた。俺がオフの季節はおねえさんは来ないので、毎日のように「ゆりゆりはいつ来る?あややは?」と訊ねていたのだ。いいなぁ、女子大生に遊んでもらえる小学生と保育園児。

■先週カラオケに行って以来、モダンチョキチョキズの歌がアタマの中で鳴り響く。カラオケで歌ったのは『自転車に乗って、』だが、アタマの中で鳴るのは『ふられ節』だ。この歌、随分前にも日記で書いた記憶があるんだが、いい歌だ〜。
アメリカって何処にあるの?
(オノレもよう分からんてか?)
ワタシ住んでる日本から何も見えやしない
ご都合主義でズルいふり
口から泥人形生産
原宿センスで病んでいて気づかずにいたのよ
という今日を見通していたかのようなハセベノヴコの批評眼の確かさは言わずもがな、俺が好きなのは
底抜きの車座で
トホホ人生だけ飲み込んで
ゆるゆるゆるり
というところ。泣き笑い。
 俺が人生最後の瞬間を迎えるときにもし意識が残っているのなら、きっと泣き笑いしてるんじゃないかと思う。最後に笑うのがミソだ。
 結論的には、濱田マリよりハセベノヴコが好きだってことで。また再結成しないかな。


2003/04/19 [土]   

■さっき、リンクに「折田先生を讃える会」を追加した。
 折田先生というのは旧制三高の先生で、京大教養部(現総合人間学部)の正門前に銅像が建っていた。よくありがちな、誰も気にとめない銅像だった。当時、吉田寮という学寮の寮生だった俺は、「全学吉田寮化」のスローガンを掲げて、深夜学内を徘徊しつつ、そこかしこに落書きをしていた。あれは3回生か4回生の時、俺「全学吉田寮化」の一環として、折田先生像の頭部を赤スプレーで塗りたくって、台座に「怒ってゐる」と書いておいた。当時、寮を潰そうとする大学当局の態度とか、自分たちだけが正義とばかりでかいつらをしていた中核派とか、何かと学内に乱入してくる機動隊とか、諸々のことに俺はとにかく怒っていたのである。
 俺の在学中は真っ赤な顔をしているだけだった折田先生だが、卒業して数年後、久しぶりにキャンパスに立ち寄って驚いた。折田先生はアントニオ猪木となり、怒りの表情で宙を睨み付けていた。その次はモアイ像になっていた。その先は…「折田先生を讃える会」を見ていただきたい。

■俺は折田先生の名前を在学中は知らなかった。今も何が専門の先生だったのかさえ知らない。でも俺は折田先生の名は忘れないだろうし、数多ある旧制三高・京大の先生方の中でも(少なくとも在校生・卒業生の間では)、折田先生はかなり有名な部類に属するのではないだろうか。
 人はいつか死ぬが、その記憶が誰かの中に残っている間は生きているのである。折田先生はその意味で、永遠の命を獲得したのである。まさか折田先生は、ご自身がこういう形で後世の学生どもの記憶に残るとは予想もしなかっただろう。全く何が幸いかは分からない。

■俺の息子たちが将来、どこの大学に行こうがあまり関心はないが、相談を受けたら京都大学を候補くらいには挙げるだろう。俺が通ってそれなりに面白かったからである。もし、息子たちが京大に通うようになった暁には、三高にはこのようにご本人には予想もつかない形で21世紀の若者の記憶に残る偉大な先生がいたのだということを教え諭し、お前も先生を記憶にしっかり留めなければならないということを申し聞かせ、22世紀の若者に語り伝えるために、親子で先生の像を誠心誠意を込めて飾りたいと思っている。


2003/04/20 [日]   

■俺はベネッセコーポレーションと縁が深い生活をしている。子供はベネッセ保育園にお世話になっている(なった)し、株も持っているし、仕事ももらっているし、進研ゼミもとっている。
 まあそれは前置きで、昨日、麦人がやっていた進研ゼミ2年生講座の国語を眺めていて阿久沢と爆笑した。それは「きみのすきなものはなに?」というコーナーで、例として「カレーライス」とか書いてある。麦人は「らーめん」と書いた横に「すし(かいてん)」と」書いていたのである。確かに回転寿司しか連れて行ったことはない。しかし、回転すししか連れて行っていないのに、世の中には回転しない寿司屋もあるらしいということを彼は感じているのだ。その世界の広さに対する謙虚さが愛おしい。

■さらにその麦人だが、8歳になろうというのに俺に添い寝を要求する。母ではなくて父がよいというのである。そして、いざ俺が横に寝ると「パパは熱い…。その体温を何とかしてくれ」などという。「僕が寝るとき横にちょっとだけいて、熱くなったら向こうへ行ってもいいよ」と実に勝手なことを言う。

■最近買ったCD
ひがしのひとし『水の記憶』
→人間の持つ特性のうち、最も変化しにくいのが声なのかもしれないと最近思っている。人間=声、とまで決めつけてしまいたいくらいだ。だから、よく届く声・心の中まで響く声を持つ人は、それだけで幸いだ。20年ぶりくらい(もっとかも)の新譜だと思うが、文句なし名盤。聴こえない音、歌われなかった歌詞が聞こえてくる歌々。
野澤亨司『FENDER VENDER』
→俺は楽器の上手い下手はよく分からないのだが、この人はめちゃくちゃギターが上手いと思う。それが中川イサトプロデュースでCD作ったとなれば、想像が付かないくらい凄いことになるのは容易に想像がつく。30年くらい前に出した『白昼夢』という歌が有名な人だが、時間はたっても人間は変わらない、変われない、ということをまたまた教えてくれた。
光玄『ばれたら終わりや』
→20年くらい前に出たレコードがCDで再発になった。今までmicmicさんがビデオテープに落としてくれたもの(ライ・クーダーの映像付き)で聴いていた。改めて聴き直して見てやっぱり凄い凄い。熱い熱い。耳の表面をかすめて終わるのではなく、血の中に流れ込んで、いくら月日が流れても、俺を突き動かす歌だ。尾崎豊以来、戦いがどうしたとか、前を向いて走れとか、希望を持って生きろとか、未来がどうこうとか、ドラゴン・アッシュに代表されるようなファッキン無意味な前向きソングが量産されているが、あの手の糞歌に脳髄を侵されている若者どもに、光玄を無理やり聴かせてやりたいと切に思った。何が違うのかというと、一言に切り縮めて言えば、やっぱり「泣き笑い」だと思う。


2003/04/21 [月]   

■風邪をひいたっぽい。やっぱり先週、予備校で授業がフルに始まったので、まだ慣れていないノドに負担がかかったみたいだ。鏡で素人目に見ても真っ赤っかで、いかにも炎症を起こしています、という色をしている。そのせいか、38度の熱が出た。ただ、悪質な熱ではない。炎症が起きているんで白血球が頑張ってます、という感じの熱。すぐ治るっしょ。

■昨日で学童保育の役員の任期が終わった。引き継ぎも9割方終わり。
 次はそろそろ小学校の役員だな。こっちは少々面倒くさそうだ。遠足の際の辻立ちとか、「パトロール」と称して放課後の公園を見て回るとか、公衆電話のピンクチラシをはがして回るとか、何の役にも立たないことを「子供のため」というマジックワードで毎年続けている神経は理解できない。必要なことならやらなければならないが、俺は忙しいのだから、不必要なことはやりたくないのである。
 戸田さんとこのお父さんはちょっと変わっている、という評判をあえて立てて、名前だけ役員にしてもらって何も仕事をしないですます、という路線を考えているところである。

■麦人と文人は近所の料理教室へ。兄弟で同じグループに属して同じテーブルを囲んで、タケノココロッケとか、ちまきを作るのである。二人並んで座り、柄はおそろいで色違いの三角巾を頭に巻き、肩を寄せ合いながら「またお前といっしょかよ」「だって同じ赤色のバッジなんだからしょうがないよ」などと会話していた。なかなか佳い光景だった。


2003/04/22 [火]   

■あっさりと熱は下がり、体調も上向きである。文人が飲み残していた抗生剤を、文人の規定量×2、飲んだのが効いたのかもしれない。なにはともあれめでたしめでたし。

■月曜日は麦人の授業参観&懇談会があって、俺は授業で行けないから、阿久沢に行ってもらった。以下は阿久沢からの伝聞。
 教室の後ろの方に「僕/私の宝物」という題で全員が自分の大切なものを箇条書きにして貼ってあるらしい。他の子が「ゲーム」とか物体名を書く中、麦人は「おとうさん・おかあさん・おとうと」と書いていたという。有り難い話だ。麦人の寝顔に思わず手を合わせたくなった。
 懇談会の後、保護者の全体会なるものがあり、冒頭で校長が挨拶をしたという。「この福池小学校には、2つの目標があります。一つは、自分で考え学ぶ子供に育つ。もう一つは…えーと…えーと……すみません。どうしても思い出せません」。ユルい学校、正直な校長とプラス評価しておくことも可能だが、やはりここは無能の烙印を押しておいてもよいのではないか。

■阿久沢が麦人用にマジックテープでとめる新品の靴を買ってやったという。今は紐靴を履いているが、授業中、おぼえたばかりのちょうちょう結びをずっとやっていて、授業に集中していなかったからというのがその理由。


2003/04/23 [水]   

■関西文理に出講。春の京都は夢の国のようだ。賀茂川の河原で、水遊びをする大きな犬を眺めながら昼寝したくなった。
 以前、関西文理前のイタメシ屋から、この日記でよく槍玉にあげていたイタイタしいメッセージボードが消失していた。ただのメニュー板に変わっていた。なんでだよ〜。大切な反面教師を失った気持ちである。

■昨年度の生徒さんから合格報告&差し入れのお菓子をいただきました。ありがとうございます <(_ _)>
 合格した生徒さんって、受験生時代と比べて顔色の明度が上がるのだ。声のトーンも心なしか高くなっているような気がする。うれしいね。こっちもね。

■最近買った本。
岩井忠熊『西園寺公望』(岩波新書)
内藤陽介『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)
伊田広行『シングル化する日本』(洋泉社新書)
ローレンス・オルソン『アンビヴァレント・モダーンズ』(新宿書房)

■よさげな服と面白そうな本はなぜ高いのか。


2003/04/24 [木]   

■ジムとフィットネスとスポーツクラブとスポーツセンターと、それぞれどのように定義が違うのかよく分からないが、ともかく午前中、東急スポーツオアシスに行く前に少しだけ寝ようと思って横になったら出勤時刻まで延々寝てしまった。そのせいか授業中身体が軽い。なんかあっという間に一日終わってしまった。これはこれでよいだろう。
 ただ、今年も授業が始まってから忘れ物を取りに教室に乱入してくる輩がいる。前の時間にかばんを置いたままメシでも食いにいっていたのだろうか。いちいち腹を立てるほどのことでもなく、実際に立ちもしないのだが、こういうのは見逃すとクセになるので、例年の如く学期はじめは怒ってみせた。俺はデリケートなので、授業中に奇声を発するものがいたり、教室に出入りされたりするとペースが狂って、言わなければいけないことを忘れたりするのだ。ご協力をお願いしますよ、生徒のみなさま。

■大阪予備校の大便器の水洗コックが微妙な位置にある。地上50センチくらいなのだ。もう少し低ければ迷わず足で踏むし、もう少し高ければ手で押すだろう。別に俺一人の便器ならどっちでもよいのだが、前の人が足と手のどちらを使ったのかが大問題であり、俺の次の人がどちらを使うかもまた、大問題なのだ。前の人が足を使ったのなら俺は手を使うのを躊躇するし、次の人が手を使うなら、俺は足を使うのを躊躇する。どちらをより重視するかで、その人の品性が試されるような気がする。もちろん俺は、×(一字伏字)を使うのである。


2003/04/25 [金]   

■阿久沢の帰りが遅いということなので近所の焼き肉屋へ麦人と文人を連れて行った。ここ3ヶ月くらい、彼らの食欲には目を瞠るものがある。もともと「ごはんを食べない」という悩みはない子供たちだったが、それでも幼児だったころは、「これ食べな、おいしいよ」と皿に乗せてやったり口元に運んでやったりしたものだ。今は兄弟で競争意識が働くのか、片っ端から処理していく、という風情だ。肉も自分で焼き網からどんどん取っていくし、焼き上がるのを待ちきれず、自分で裏返したりする。結局、ロースのセット皿×2、塩タン×2、卵スープ、ライス×2をぺろりと平らげた。俺は全体の4分の1も食べていないだろう。
 思春期がおそろしい、スポンジに衣を付けて揚げておいたら食べるかもしれない。

■アカンのは俺で、家に帰ってからどうにも胃がもたれる。脂っこいものは嫌いではなく、それなりに食べられるのだけれど、最近は食後がアカン。ああ気持ち悪い。
 焼き肉はもう引退することにする。子供たちの食欲が増進するのに反比例して俺の食欲が落ちていけば、エンゲル係数はあまり上昇せずにすむだろうか。

■25日は麦人の8歳の誕生日。ちょうどこの時間だ。あのときは震災の直後で、京都に部屋を借りて住んでいた。阿久沢は出産のため横浜の実家に帰省していて、俺は授業があったから一人でその部屋で暮らしていた。25日の午前1時ごろに電話があって「今から助産院に入る」と言うから、早くて25日の昼かな、と時計を見ながら心の準備をしてふとんに入った。そしたら明け方にはもう電話があって、電話の向こうで赤ん坊が受話器から溢れんばかりにわぁわぁ泣いている声がする。まだ早すぎる、助産院だからよその赤ちゃんの泣き声だろうと思ったら、「産まれた!男の子!」と阿久沢が言った。それが麦人であった。


2003/04/26 [土]   

■最近買って今読んでいる本
小嵐九八郎『蜂起には至らず』(講談社)
→六十年安保闘争で機動隊に殺された樺美智子に始まり、羽田闘争山崎博昭、連合赤軍早岐やす子・向山茂徳・遠山美枝子、日本赤軍奥平剛士・安田安之、東アジア反日武装戦線斎藤和、三里塚闘争戸村一作・東山薫、寄せ場闘争佐藤満夫・山岡強一、中核派本多延嘉、社青同解放派中原一ら、権力との闘争に、反革命との闘争に、党派闘争に、党内粛清に斃れた27人の新左翼運動関係者の小評伝を集めたもの。
 おそらく俺の世代あたりが、60年代後半から70年代にかけての新左翼運動の高揚や情念にほんの僅かでも感応する最後の世代なのではないかとたいした根拠もなく思っている。
 しかしながら俺は、この時代をリアルタイムで体験した人々が、半端な運動体験を若き日々の武勇談のように誇らしげに語るのが嫌だ。某塾の某講師のような同業者を含めて、生き残ったものが死者に与えられるべき花束を全て自分のもののような顔をしているように感じられてならないのだ。どうせなら山本義隆氏のように、一切を黙して語らず、墓場まで想いを持っていくつもりでいてほしい。
 とはいえ、誰かが語り残してくれないと当時のナマの感情が消えてしまうのも事実なので、こういう本は有り難かったりする。作者は社青同解放派の元活動家とか。それだけに中原一に関する部分は気迫尋常ではない。

■朝から下痢。体力が落ちている気がするので、仕事に出るまで横になって身体を休める。講義は普通にやったが、一瞬集中力がとぎれる瞬間があって、その間にくだらない雑談をしてしまったり。反省。


2003/04/27 [日]   

■歩いて15分くらいの所にあるビッグサイズ服専門店の開店記念イベントに橋本真也が来たので見に行った。売り場にステージを設け、ZERO-ONEのリングアナが司会をしてトークショーと称する雑談を行い、その後、高額(3000円)な買い物をした客のみを相手にサインをするというもの。「本日のメインイベント!赤コーナー、三冠チャンピオン!橋本真也!」のコールで、従業員控え室とおぼしき場所から橋本は巨体を現した(写真日記参照)。
 トークショーには記憶に値する発言はなかった。何事もシモネタに流すテクニックの他、司会者「橋本選手、ZERO-ONEにはプレデター、ガファリといった強力な外人選手がたくさん参戦していますが、いつもどんなことを考えて戦っていますか?」。橋本「ガイジン?外国人だと思って戦ってるよ!」なる鮮烈なトートロジーと、「サスケはマスクを取っちゃ絶対だめだ!あいつはすげえ不細工なんだよ!あいつが当選するなんて、世も末だな!」なる議会制民主主義と地方自治を軽蔑する発言が目をひく程度であった。
 ちなみにこの店はサイズマックストリイ神戸東灘店と言う。俺も平均よりは大きいので、俺が着るような服もあるかなぁとトークショーが始まる前に店を一巡してみたが、何のことはない、ここはデブ服の店なのだ。橋本が呼ばれたわけも納得だ。いかなる顧客を対象にしているか実に明快だが、デブ服専門という固定イメージができてしまうと、かえって客足が遠のくような気もするのだが、それは素人考えか。

■麦人が散髪した。自らの希望でくりくり坊主になった(これも写真日記参照)。お金を渡したら一人で床屋さんへ行って、自分で髪型を注文して切ってもらってきた。
 文人はスイミングスクールで水泳キャップを落としてきた。紛失した旨、自分でコーチに名前と共に申請してきた。
 着実に子供は成長している。

■憶え書き抜き。
なるほど、人類史から見ると、キリスト教もイスラム教も神というテーマを除けば、“虐げられし者への愛を”が現代に残した大切な教えという気がするが、いまや“優位なる者への愛を”の感があり、個人の権利、つまり人権が全て。自己のために他者が滅んでもよしとするのがアメリカを中心として日本も含むモラルとなっていくようで、高橋和己さんの小説や評論での思いは饐えていくばかり。(小嵐九八郎『蜂起には至らず』P91)
もう一カ所。
おれは、新左翼運動に参加する前も最中も後も、根が軟弱のせいか、あんまりにも政治的アジテイションに走る詩歌、小説、映像が嫌いである。その上で、もうこれっきゃねえという切羽詰まった叫びのものは、変にあっけらかんと受け容れる単純なところがある。そういう迫力に滾る詩歌や小説とか映画に、ごくごくたまに遭遇する。(小嵐九八郎『蜂起には至らず』P302)



2003/04/28 [月]   

■昨日27日は大阪厚生年金ホールに後藤真希のコンサートへ行った。自他共に認める元モーヲタ・現真希ヲタのkizashiさんのお誘いによるものである。kizashiさんは全38回のコンサートのうち、全国各地を駆けめぐって35回に参加するという。後藤真希と同行二人の全国巡礼だ。そしてよい席を取るために、オークションでウン万円をぶち込むという。筋金入りである。

■彼に声を掛けてもらわなければ、決して俺の意識に浮かぶことは一生なかったであろうイベントだが、「先生、行きませんか?」とメールもらって、ほとんど迷うことなく「行く!」と返してしまったのは、やはり俺は1980年代のアイドル全盛時代に青春を過ごした世代だからだろう。岡田有希子の自死によって宙ぶらりんになった俺たちの夢は妄想は何処へ行った?今さら娘。だの後藤真希だの松浦亜弥に夢中になれるトシではないが、テレビでたまに彼女らが歌ったり踊ったりしていると、基本的に俺は好意を持って見てしまう。小泉今日子の速度や、堀ちえみの肌の色、中森明菜の妖しい瞳が世界を変えるのではないかという気がしたのはもちろん幻想に過ぎないが、「革命的小泉今日子主義者同盟(革キョン同)」なんて名前を名乗った集団(個人?)がいたことは、俺一人の幻想ではなかったことを裏付けている。ユー・メイ・セイ・アイム・ア・ドリーマー、バット・アイム・ノット・ジ・オンリー・ワン、だ。

■で、後藤真希のパフォーマンスだが、2年ほど前にハロープロジェクトで見たときの俺の感想を裏付けるものだった。彼女は一人では輝かないのだ。周りのライバルの輝きを消して、自分が輝くのだ。パンクラス・鈴木みのるのいう「相手の輝きを消す!」だ。モーニング娘。メンバーの中では、客の目はやはり後藤に集まってしまう。これは彼女の持つ華だから仕方がない。ただ、絶対的に強力な有無を言わせぬ華かというとそうではない。ステージからは見えない部分にあるであろう他メンバーとのライバル関係・ドロドロした人間関係(想像するだけだが)が、後藤をヒール的スターとして妖しく輝かせていたのだ。
 すなわち、天性のスターである後藤の存在を認めつつも疎ましく思う他メンバー、でも仕事だから後藤をセンターに置かなければならないというジレンマだ。そういうものが実際にあったかどうかはともかく、そういうものを想像させる磁場がモーニング娘。にはあり、その魔界の主宰者として、後藤真希は輝いていたのである。
 後藤のスタッフはそのことを熟知していたとみえ、今回のソロコンサートにメロン記念日を伴わせた。だが、後藤とメロン記念日では格の差がありすぎる。メロン記念日はただのバックダンサー・バックコーラスになってしまい、後藤がその光を消しにかかるような存在にはなり得ていなかった。従って、後藤も娘。時代のようには輝けない、という結果になったように思われる。

■でも俺は、若い女の子たちが歌って踊って笑っていれば、それだけで断固支持だ。出雲阿国の昔から、若い女の子が歌って踊ればみんな幸せになるのだ。
 後藤真希とは全然関係ないが、ミュージカル『阿国』で上々颱風が歌ったテーマ曲、「ほんとのことをいえば/せつなくやりきれないの/カラスもおうちに帰るのに/わたしにゃおうちがないの/お城作るのもいいけれど/とーちゃんとられちゃいーや/こんなこの世がこの世なら/この世は嘘だと思う/ほんとのいい気持ち/どこかにきっとある/ちょっぴり極楽おすそ分け/阿国と申します」ってのは凄いと思うぞ。アイドルってのは「極楽おすそ分け」してくれる人たちなんだな、きっと。

■俺の隣の席でトランス状態になって踊り狂うkizashiさんさん。佳きかな。kizashiさん含め、実際の生活ではみんないろいろしんどいことも多かろうに、みんなそれぞれに楽しそうだ。発光スティックを振り回す者も両腕を振り回す者もいる。特攻服を着ている者も普段着の者もいる。やはり、何を楽しむかではなくどのように楽しめるか、どれくらい楽しめるかが大事だ。kizashiさん、君の青春に幸あれ。


2003/04/29 [火]   

■今日も平和に終わったなぁと思いながら午後9時過ぎ、遅い夕食を食べていると、道路を隔てた向かいのマンションから、「きいいいいいい!助けて〜!」という女性の悲鳴が聞こえた。最初は酔っぱらった若者がふざけているのかと思って聞き流したが、「助けて〜!ああああ〜!殺される〜!殺される〜!!警察を呼んで〜!!」と、数回にわたって絶叫している。窓を閉めているのに聞こえるのだから相当な音量である。
 どうしようかと30秒ほど考えたが、ほんとに人殺しがあったら困るので110番通報した。状況を説明して外へ出ると、既に近所の人が20人くらい道に出てきている。うちのマンションのベランダというベランダには住人が立って様子を眺めていた。風呂上がりのすっぴんで挨拶をしてくれた近所の奥様は、3秒ほど誰だか分からなかった。
 現場は向かいのマンションの4階で、きゃあきゃあとわめき散らしている女性と、マンション住人とおぼしき数人の人が押し問答というか、女性を説得している様子。少なくとも殺人が行われそうな雰囲気ではないので一安心した。飼い猫?がギャアギャアと鳴く声も聞こえた。

■そうこうするうちにパトカーが3台も到着した。「殺される〜!」が効いたのだろうか。警察官が次々に階段を駆け上がっていく。警察官の姿を見た女性はさらに興奮したようで、ひときわ高い声で絶叫していた。
 10分ほどして、両手両足を警察官たちに抱えられて女性が階段を降りてきた。道路に出てパトカーに乗せられるまでは、ちょっと辛いので見ていない。どういう法的根拠で連行したのかはちょっと気になった。おそらく警察官につかみかかるとか、噛みつくとかはしていると思われるので、公務執行妨害罪の現行犯逮捕とすることはできるのだろうが。もっとも、一晩中あの調子でわめき続けられたらそれこそ犯罪になるだろうし、飛び降り自殺とかする危険もあっただろうから、警察の措置に異を唱えるつもりは今回に限ってはあまりない。110番したの俺だし、警察を呼んでくれと言ったのは彼女なのだ。

■春のせい、にしていいのだろうか。


2003/04/30 [水]   

今日は私、酔っぱらってますんでこんもへっっめ・はい