2002/10/01 [火]
|
■台風はまたもや関東地方の方へ行ってしまうらしい。こっちの方にもガツンと来いガツンと。 ■ 笑わせるつもりもあって、「俺、友だちいないから」って何度か口にしていたら、本当に友達がいなくなってしまった。 早川義夫『たましいの場所』P227“友だちがいない” こういうことをさらっと書けたり歌ったりできる人はいいなと思う。自慢するでもなく悲しむでもなく、人ごみの中でベンチに座り込んでぼーっと空を見上げている感じが。ただそれだけで、ああ、いいな、っていう感じ。
■ふと麦人の足を見たら、靴下がものすごいことになっていた。ここまで履き尽くされれば、靴下も本望であろう。新しい靴下を買ってやり、この靴下はお役御免とした。合掌。
|
2002/10/02 [水]
|
■ベネッセの原稿を午前2時まで頑張った。締め切りを既に1日過ぎているので必死であった。あー、くたびれた。俺、自分で思っているより、かなりよく働いているのではないかと思ったりしている。
 ■麦人が寝る直前になって宿題を思い出してしまい、パジャマのまま机に向かう。普段、「宿題終わったか?まだ?じゃあテレビ見る前にやれ!」と親に命じられてやる時よりも、格段に集中している。彼は、自分でやる気になると本気を出してやることが分かった。本気を出せばやれるので、親としてはあまり口を出さなくてもよい子供なのかもしれない。 その横で文人が「みて!バレリーナだよ!」と、ぐるぐる回っていた。自分の尻尾を追いかけ回す子犬みたい。
|
2002/10/03 [木]
|
■俺が新聞社を辞めた理由は「つまらない」「しんどい」という甚だ後ろ向きなものである。マスコミを内部から変えようと思えばできる立場にいたにもかかわらずそうしなかったのだから、俺にマスコミの在り方を批判する資格はない。でも愚痴くらいは言う。 ここ数年、ていうか新聞社を辞めて以来、『天声人語』などほとんど目を通したこともなかったのだが、家にあった日垣隆『エースを出せ!』(文芸春秋)に、最近の『天声人語』がものすごくつまらない、レベルが低い、と書いてあったので、つい読んでしまったらほんとにものすごくつまらない。以前、朝日に連載されていたマンガ『ワガハイ』『サミット学園』に匹敵するつまらなさである。 『ワガハイ』『サミット学園』は、毎回、「今日もつまらないかな?面白かったらどうしよう?」と、胸をワクワクさせながら紙面を開き、「ああああ!予想以上につまらねぇ!!!最高!!」という楽しみ方をしていたが、『天声人語』もどうやらその高みに達しつつあるようで、これを読むのが毎朝の楽しみになってしまいそうだ。
■もっとも、『天声人語』が名文だとか名コラムだと思うから、何これ?という気にもなるのだが、そう思わなければ別にどうということもない。ただ、これを模範として文章修行しているマスコミ志望者も多いし、小学校や中学校でこれを筆写することを宿題とする学校も未だにあると聞いている。さすがにそれはちょいとまずかろうと思うのだ。今の『天声人語』なら、家庭面の投稿欄『ひととき』の方がはるかに面白い。
|
2002/10/04 [金]
|
■大学を出るとき、新聞社なんかに入らずに、公務員試験を受けて地方公務員になればよかった。あの頃はバブルだったから、公務員試験って易しかったしなあ。 公務員にもいろいろあって、民間企業よりしんどい部署もあることはもちろん知っている。少なくとも、公務員の8割以上は今の俺より忙しいだろうと思う。俺は、そういうのになりたかったのではない。俺は、毎日9時5時で仕事が終わり、テンションの低い仕事をして、完全に週休2日が取れる地方公務員になればよかったと思っている。 実は学生の時からうすうすは分かっていた。帰省したときに父親に「公務員にでもなってのんびりやろうかな」と話したら、父親は「やめておけ。退屈するぞ。人生ってのは半分以上暇つぶしっていう面があるから、仕事が忙しくないとやることがなくて退屈する」と言った。その時、「そういうもんかな。確かに俺は退屈するかも」とうなずいてしまったのが当時の俺の限界だった。 己を知るというのは大事なことだ。俺は、若いときの思いこみとは違って、本当は退屈な人生というのをこよなく愛しているようなのである。やることがない状態──「手にてする/何もなし(中原中也)」でこそ、俺の心は安息の境地に達することができる。早川義夫『たましいの場所』(晶文社)には、早川のこんな一日が紹介されている。 夜十時には眠くなり、朝六時には起きているのだが、犬の散歩、写真のプリントアウト、原稿、練習、プール、本屋、それで、もう夕方になってしまう。スカパーで野球、あるいは、映画を観る。 こういう一日を味わい、積み重ねて、年老いていくというのが、とても眩しく思われる。地方公務員になっていたら、20代のうちからこういう境地に達することができたのではないか。んなわけないか。 ----------------------------------------------- 本当の評論は、人のことより、自分のことを書く。自分がいったい何ものなのかを書く。なぜそれに感動したのか、感動はどこからやってくるのか、なぜそれに感動しないのか。自分の心を書く。人の作品を題材にするだろうけれど、書くべきことは、掘り下げるべき相手は、人の心でなく、自分の心なのだ。言葉は、いつだって、自分を語るためにある。 早川義夫『たましいの場所』(晶文社)P209 書評に限ったことではないが、面白くないのは、自分が何者なのかを語らず、自分の心を見せず、ただ、上からものをいう文章だ。 早川義夫『たましいの場所』(晶文社)P235
|
2002/10/05 [土]
|
■午前中、調子に乗ってジムで走り回っていたら(ランニングマシンの上)、午後になってへたばりそうになった。やっぱり週末ともなると、疲れが身体のあちこちから顔を出す。ゆるゆるやるべし。
■明日(もう今日だ)は麦人の小学校で運動会がある。徒競走頑張れよと言ったら、「一位になるに決まってるじゃんよー」と当たり前のような顔をして言う。小学校時代はやや肥満していた俺は、逆上がりはできないしかけっこはビリと決まっているしで、体育関係では相当にコンプレックスを抱いてきた。運動が得意なだけでも、少年はとりあえず中学校卒業くらいまではかなり幸福な人生を送れるのではないだろうか。 生意気なので、「一位取れなかったらどうする?二位は浣腸(麦人はおたふく風邪の時に便秘になって浣腸されて以来、浣腸を極度に恐れている)。三位はテレビ禁止。四位はおやつ禁止だ!いいな」と言い渡すが、麦人は「絶対一位だよ」と表情一つ変えない。
|
2002/10/06 [日]
|
■麦人の小学校で運動会。自分の子供が出ない競技はどうでもよいので、木陰にシートを敷いて昼寝タイムだ。出番を迎えた子供たちは、4列縦隊を作り、手をつないだり腕を組んだり組まなかったりして、先生の先導でリズムに合わせてフィールドに小走りで出ていく。その光景が、学生時代によくキャンパスや街頭でやっていたデモ行進にそっくりなのでニヤニヤしてしまった。
■かけっこで麦人は油断したとみえ、薄氷の1位であった。どうも彼は筋肉がついた分、体重も重くなって動作が鈍くなっているのではないかと思われる。 いろんな子供がいろんな表情をして走っていた。淡々と2位。顔を真っ赤にして3位。(麦人のように)後ろを気にしながら1位。泣きそうになりながらビリ。 そこで気がついた。かけっこはつまらない競技かもしれないが、それを本気でやっている子供は実に良い顔をしている。やっていることが下らないか価値があるかではなく、本気で、顔を真っ赤にして取り組んでいるかどうかが問題だ。成功するか失敗するかもさほど問題ではない。どっちにしても、顔いっぱいに笑えるか、どろどろに泣けるか、そこが問題だ。
■保護者参加競技の綱引きに出動する。始まりの「ドン!」が鳴る瞬間まで、俺は薄笑いを浮かべながら綱を手にして「ま、テキトーにやろ」と思っていたのに相違ないが、いざ始まると本気が出てしまう。この野郎。手のひらと、綱がこすれた二の腕を擦り剥いた。2回戦やって2回とも負けた。 いざ本番となると、それまで緩みきっていてもいきなりスイッチが入るのは俺の長所である。仕事でもそうだ。睡眠不足や風邪とかで、今日はどうしても授業したくねえよ、という日は年に何回もあるけれど、教壇に立ってマイクのスイッチを入れた瞬間に俺のスイッチも入る。あれは何なんだろうなあ。あの快感があるから、この仕事続けてるんだろうなあ。
|
2002/10/07 [月]
|
■『さんまのからくりTV』が見たい麦人は、7時になると「ごちそうさま!」と、夕食をそうそうに切り上げてテレビの前に座った。それはまあいいのだが、30分もしないうちに「あーお腹が空いた!」と叫んで、冷蔵庫を探り始めた。これは根本的に間違っている。俺は直ちにテレビを消し、風呂に入って布団に入るように命令した。麦人も自分が悪いのは自覚したようで、目に涙を溜めながらも粛々と従う。とばっちりを受けて文人も。寝る前に絵本を1冊ずつ読んでやった。いちおうフォローのつもりだ。
■個人サイトには「一周年の壁」というのがあると聞く。9割近くの個人サイトは、開設から1年以内に、閉鎖してしまうか、もしくは更新が途絶えるという。俺のところはもうすぐ2年になる。今のところやめる予定はない。 思うに、短期間で閉じるサイトは、サイトを通じて何かをなしたり、表現しようという目的を持っていたから、反響がないと空しくなってしまったのではないか。もちろん、そういう目的を持つのが悪いとは言わないが、特にテキスト系サイトの場合、個人がネット上で何かを発信することは、流れる水に文字を書く如しと言うべきである。というか、流れる水に文字を書くことを楽しめないと、テキスト系サイトの運営は辛いのではないかと思う。だからこそ、どんな形であれ感想をいただけるのは、やってる人間には望外の幸福というべきであろう。 俺は、日記その他の文章を書くためには他人の視線を必要とするので、このサイトを始めた。メールやBBSの書き込みで「見てますよ」という具体的なメッセージがあればそりゃもうものすげぇ嬉しいが、なくても続けられるだろう。カウンターは回っていればいいのであって、数字は問題ではない。他人の視線に触れるかもしれないという可能性が大切なのだ。 そんなわけで皆様、いつもありがとうございます。
|
2002/10/09 [水]
|
■月曜日の朝からノド痛いは鼻水は流れるはで、かなりシンドイ目を見た。熱はないので頭は明晰なのだが、タオルで鼻を押さえながらの授業となった。ノド周辺は商売道具なので、それなりにメンテナンスはしているつもりなのだが、酷使する部分だけに年に1,2度は壊れそうになる。ペットボトルのお茶を2本飲み干した。流れた鼻水の分だ。 帰宅したら少し喘息の気も出てきたので、医者にもらってストックしておいた薬を胸に貼付。これは経皮で気管に達し、気管を広げて呼吸を楽にしてくれるという優れものである。貼付して30分もすると劇的に呼吸が楽になる。 ■火曜日は午前中、30分ほど横になっていたらかなり元気になってきた。さすがにジムには行かなかったが。夜はマスコミセミナーで作文の書き方などをしゃべってきたが、講師室でズボンのチャックが開いていることに気づいて愕然とする。いつから開いていたのか? ■ピート・シーガー、今も歌っていた!そして、こういう時に歌ってくれて俺は嬉しい。こういう人間がいるから、アメリカ国家は大嫌いだけど、アメリカ人は結構好きだったりする。 米フォーク界の長老、反戦集会で存在感 「花はどこへ行った」「勝利を我らに」などの作者として知られる米フォーク界の長老ピート・シーガーさん(83)がこのほど、ニューヨークで開かれたイラクへの武力行使に反対する集会に登場し、相も変わらぬ反骨ぶりを見せた。 長い手足をジーンズの上下に包んだシーガーさんが壇上に現れると、1千人近い参加者は総立ちで歓迎。12弦ギターでいくつか和音を奏でただけで、会場内は彼の名曲「ハンマーを持ったら」の大合唱となった。 シーガーさんは40年代に第一線で歌い始め、「赤狩り」の時期を乗り越えて、60年代には公民権運動やベトナム反戦と絡んだフォーク・リバイバルを担った。この日は9・11に絡む2曲目をひょうひょうと歌い終えると、さっと舞台から消えた。それでも人気俳優や著名文化人を圧倒する人気と存在感を見せつけた。 (アサヒ・コムから) 「ひょうひょうと歌い終えると、さっと舞台から消えた」なんてのがかっこいいよなあ。見た訳じゃないけど、目に浮かぶ気がする。そして、「9・11に絡む2曲目」ていうのが気になる。新曲だったりしたら凄い。その一曲を聴くためにだけでもアメリカに行きたい。 ■久しぶりに秀丸エディタを使っているが、やっぱ早い/軽いわ。 ここ数年はMMエディタをメインに使っていた。仕事で模擬試験の問題とか作ることが多くて、「(1)〜(4)の中から正しいものを一つ選べ」的な短文を右クリックで簡単に挿入できるからだった。でも、秀丸エディタは、こっちの打ち込み速度に絶対遅れることなくついてくるんだなぁ。MMだと、一瞬考えるようにしてディスプレイに文字が現れる感じ。また秀丸に戻ってしまいそう。マクロ探したら、短文挿入の問題も解決するかもしれん。
|
2002/10/10 [木]
|
■【虐待】今日も叱られる子供たち【反省】 《麦人》 小学校の図書室の本を紛失したという。「最後はどこで見たのか」と問うと、学童保育だという。「ちゃんと探したのか」と重ねて問うと、どうもそうではない様子。「じゃあ、明日もう一度探せ。見つからなかったら、金曜日に父ちゃんも一緒に学童に行って探す」と申し渡した。その後、靴下が洗濯に出ていないのでどうしたのか聞いたところ、これも学童保育に忘れてきたとのこと。「オマエは何でもかんでも学童に忘れてくるんだな!いい加減にしろ!」と声を荒げてしまった。風呂の中で涙ぐんでいたので反省。図書室の本の件はともかく、靴下くらいで叱る必要はなかった。 《文人》 床の上に本を散らかしていたので注意。叱ってはいない。
■理系のノーベル賞って、何がすごいのかちょっと分からない。知識がないからに他ならないが、「なんとかさんの発見・発明は、○×にとても役に立った」とかいうニュースの解説を聞いていると、他にも役に立ってるものってたくさんあるじゃん、それとこれとどのくらい役に立ち方が違うのだろうと不思議に思った。が、如何せん知識がないのでよく分からない。 さらに言えば、物理学賞とか化学賞は確かに何かの役に立ちそうだが、数学賞とかはとりあえず何の役にも立たなそうだ。文学賞もそうだな。とすると、役に立つか否かというのは直接の受賞資格ではないことになる。ニュースの「○×にとても役に立った」という解説はオカシイのではないかと思った。すごいからすごい、でもよいのではないか。 ただ、小泉“感動した”純一郎他の反応を見ていると、ノーベル賞受賞→すごい、ということらしい。これって失礼ではないか。彼らは(俺にはよく分からないが)受賞する前からすごかったのではないだろうか。つまり、すごい→ノーベル賞受賞なのである。それを、受賞して始めてそのすごさが分かった(俺にはよく分からない)というのは己の不見識と無知を恥じるべきなのであって、断じて小泉“感動した”純一郎の如く「大したもんだろ(アサヒ・コムより)」とはしゃいではならないと考える(そもそも、お前が受賞した訳じゃないのに何浮かれてんだというツッコミも可能だが、これは措く)。 最初に受賞したどこかの大学の先生(島津製作所の研究員さんじゃないほう)は、頭の上から圧力をかけて潰したような体型をしていて、つい見入ってしまった。
|
2002/10/11 [金]
|
■【虐待】今日も叱られる子供たち【反省】 《麦人》なし。 《文人》朝、保育園に行く時間に庭で遊んでいたので、「ふー。行くよー」と数回を声を掛けても返事がない。「呼ばれたらすぐに返事する!」とやや大きい声を出したら、ヘソを曲げてしまった。保育園までの5分ほどの道のり、俺と顔を合わせず、10メートルほど距離をおいて自転車でついてきた。なぜか駐車してある自動車にぶつかって転倒。特筆すべき鈍さである。保育園に着いて「じゃぁ、パパ行ってきます」と声をかけても返事もしない。この子は一度叱ると後に引きずるタイプなのである。
■今日買った本。 週刊プロレス編集部『翼をください FMW・荒井昌一さんの証』(ベースボール・マガジン社) 川上徹 『査問』(ちくま文庫)
■最近読み終わった本 早川義夫『たましいの場所』(晶文社) →読め聴け。 香山リカ『ぷちナショナリズム症候群─若者達のニッポン主義』(中公文庫ラクレ) →両親を何の屈折もなく尊敬することと、自分の生まれた国を好きと言って何が悪いという屈託の無さに共通性を見いだす視点が面白いと思った。 日本を好きだ、と口に出そうとしても、俺などはこの国の恥ずかしい過去と現在がアタマの中を駆けめぐり、苦笑してその言葉を飲み込むしかない。それは俺が自分が生を受け、おそらくは生の終わりも迎えるであろうこの地と、この地にすむ人々にそれなりにこだわりを持っているからに他ならない。こだわりを持っているから、自分を含む日本人・和人・ヤマトンチュがかつて、どのように先住民族を虐殺してきたか、近代において朝鮮・中国で何をしてきたか、琉球をどんなふうに切り捨て利用してきたか、などを考え、時には赤面し、時には腹が立つのであろう。そして時には、例えば関東大震災の折に身を挺して朝鮮人を守り、逆に暴徒に殺された侠客がいたことを知ったりすると、全く捨てたものでもないのかな、という気持ちになる。 何かを好きになったりこだわるとき、必ず否定を媒介にしていなければならないと考える。日本という国を好きになるとしても、この国やこの国に住む人間がかつてやってきたことを知り、検証し─という作業を欠かすことはできないだろう。それを「自分が生まれる前のことだから知らない」とか「生まれた国を好きになるのは当たり前のことだ」と恬淡とできる人々は、頭が悪いとしかいいようがない。
|
2002/10/12 [土]
|
■文人が「こうちってなあに?」と聞く。「こうち?高知?高知県ってところがあるんだよ」と説明するが納得しない。「あのね、プール教室の先生はみんなこうちって名前なんだって」。なるほど。
■摂津本山駅で電車待ちをしていた高校生カップル。じゃれ合っているうちに女の子の携帯が線路にぽーんと落っこちてしまった。にやりと笑った男の子、「ハイ。」と女の子に自分のかばんを渡すや否や、ひらりと柵を乗り越えて線路に降りて携帯を拾い、ひょいってかんじでホームに戻ってきた。1,2,3,4、ってリズムだ。女の子は「え?」という感じで言葉もない。そのフットワークの良さと身軽さが眩しい。若いっていいね。
■【虐待】今日も叱られる子供たち【反省】 《麦人》なし。 《文人》なし。
■三連休だが、うち2日は仕事である。
|
2002/10/13 [日]
|
■関西外語大でマスコミ就職対策講座。エントリーシートの書き方と、論作文の概論みたいな話をする。計3時間。同じ受講生相手に3時間続けてしゃべるのは、お互い飽きてしまってしんどかったりするが、就職が関係していると実に真剣。こっちも煽られて気合いが入る。こういう雰囲気の中で講義するのは好きだ。 作文とかいうのは筋トレと同じで、書き方をいくら知っても、実際に自分で書いてみないと上手くならないかわり、数を書いてみればそこそこのレベルには行く。だから書け。諸君。 就職対策のお手伝いをして感じることは、大学受験よりも俺が積極的に働きかけることのできる余地が少ない、ということだ。大学を卒業しようという年齢の人たち、それも社会人一歩手前まできている人たちに、エントリーシートやら作文の書き方を手取り足取り指導するものではない。そして、それらに書くべき内容については俺は手を触れられない。「こんな風に書け」とは言えるが、「これを書け」とは言えない。俺にできるのは、彼らが二十数年の人生で培ってきたものについて、マスコミ就職に有利な形に演出した見せ方を伝えることだけだ。 あと、講義後の質問のバリエーションが大学受験より豊富で面白い。
■コンビニでレジに並んでいたら、若僧が横入りしたのでたいへん腹が立った。しかし、コンビニを出て秋の風に当たっていたら、1分もたたないうちにどうでも良くなってしまった。彼もコンビニでジャンクフードばかり食べているからカルシウムが不足して、レジで20秒ほどの時間を待つことができないのだろうとか想像して、ちょっと楽しくなったりする。つまらんことに執着しなくなったのは心の平安を保つ上ではよろしいのだが、こんなことでいいのかと忸怩たる思いも多少ある。
|
2002/10/14 [月]
|
■最近買ったCD フランク・ザッパ『ザ・マン・フロム・ユートピア』 フェラ・クティ『ロフォロフォ・ファイト』 →買ってプレイヤーにかけた瞬間から、おおこれは!という音楽と、何回か聴いてやっと、おおこれは!となる音楽と、結局どうにもならない音楽とがある。この2枚は紛れもなく最初の例。2番目のパターンもじっくり嬉しくなるけど(RADIO HEAD なんかが俺にとってはそうだ)、やっぱり第一印象でビビっとくるのは実によい。
■ジムに通い始めて1ヶ月半経ち、思ったより効果が上がっている。当初の体重から5キロ減、体脂肪は6%減である。まぁ、運動を始める前が危機的状況だったということに他ならないが、学生時代末期の体重に復帰させることに成功した。あと5キロほど落とせば、ベストシェイプになるはず。積年の懸案事項の一つである腰痛がほとんど出なくなった。結局、体重がありすぎたということか。 有酸素運動にもだいぶ慣れ親しんできて、ランニングマシンの上で30分くらいなら何てこともなく走れるようになった。ただ、大きな壁に突き当たりつつある。それは、退屈という壁だ。ジムの壁にはそのためにテレビが架けてあるし、俺も自分で作ったMDを聴きながら走ったり歩いたりするのだが、いくら走っても風景は変わらないし、ちょっとよそ見して隣の綺麗なねえちゃんでも眺めると、走行ベルトから足を踏み外して転びそうになるしで、20分を越えたあたりからかなり苦痛である。エアロビクスのダンスというのは、この有酸素運動の退屈対策として考え出されたものに相違ない。
■鼻水をかみすぎて、鼻の穴の入り口が擦りむけてしまった。痛い。
|
2002/10/15 [火]
|
■先日、昼飯を食べにラーメン屋には行ってカウンター席に座ると、隣のおっさん(俺と同じくらいの年齢・固小太り・やや額が後退)がいきなり怒鳴りだした。自分は家族連れ(奥さん+子供3人)で来ているのに、なぜテーブル席ではなくカウンター席に座らせたのかと怒っているらしい。 アルバイトのお姉さんは「テーブル席は4つしか椅子がありませんので…」と言う。これがおっさんの怒りの炎にさらに油を注ぐ結果となり、「お前ら客商売やろが!カウンターの椅子を一つ動かせばすむ話やろが!」とボルテージ上昇。店長も出てきて頭を下げるが、「俺は当たり前の話をしてるだけや!」「どういう接客しとるんや!」と、家族がラーメンを食べている間、大声かつ饒舌に怒り続けていた。 女将さんはさすがにこの手の馬鹿客のあしらいには長けているようで、おっさんではなくもっぱら子供に語りかける。「ごめんなぁ。気ぃ悪くせんでなぁ」。馬鹿を相手にすれば、馬鹿はますます怒り狂うことを熟知しているのであろう。
■どうやら、怒りというものは自分自身の中へ向かって自己増殖するらしい。このおっさんはきっと、下らないことを口に出して怒ってみたら、次は本当に腹が立ってしまってさらに大きい声になり、それがさらに自分の怒りを呼び起こし……という悪循環を招いてしまったように思われる。この悪循環に外からエネルギーを加えれば、拍車がかかって悪循環は永久機関と化す。女将さんが子供に語りかけたのは、悪循環にエネルギーを供給せず、回すだけ回さして疲弊を待つという、実に正しい方針であったといえる。
■こういった怒りと、テロリズムや実力闘争に向かう憎しみとは違うような気がする。憎しみは循環しない。冷静に、効果を計算しつつ、敵に打撃を加えるのだ。 学生時代、学内で原理研=統一教会の宣伝を妨害する際に勢いで暴行を加えたことがあったが、その時も俺はかなり冷静に原理研メンバーを殴っていたような気がする(あとで赤ヘルの親分にはものすごく叱られた。それは「学生大衆に残虐性しか感じさせない誤った暴力」だそうだ)。殴れば殴るほど殴りたくなる、という感じは全然なくて、ま、こういう状況になったら多少は殴らんわけにはいかんだろう、という感じだった。 民青同盟員の胸ぐらをつかんで振り回したときも、民青のトラメガをぶん投げて壊したときも、民青のサークルボックスに消火器をぶちまけたときも、そこに行き着くまでは怒りの循環があったかもしれないが、やってる最中は、冷静に任務を遂行する、という感覚を持っていた。
■思うに、イスラム原理主義組織が起こしたとされる各種の攻撃は、もはや確信的な憎しみの段階に達しているのに対し、ブッシュたちの「対テロ戦争」とか「対イラク先制攻撃」はいまだ馬鹿おっさんの怒りのレベルにとどまっているような印象を受ける。彼らは、なぜアメリカが攻撃対象になるかを理解していないから、怒るしかないのだ。ブッシュたちは「テロが憎い」「アメリカは強い」と連呼しつつ、怒りの悪循環に嵌っているだけのように見える。 こうなると、どちらが戦いの上で優位に立っているかは明らかではないか。短期的にブッシュたちは軍事的勝利をおさめるかもしれないが、確信的な憎しみの視線から逃れることはできないだろう。それでもやるのか?ブッシュよ。
|
2002/10/16 [水]
|
■【虐待】今日も叱られる子供たち【反省】 《麦人》叱った訳ではないが、なぜか俺の股間にやたら顔を埋めようとするので、やめろ!とはねのける。素直に離れた。麦人は3歳ぐらいから寝るときに俺の股間をまさぐったり、逆に俺の手を自分の股間に持ってこようとする癖がある。女より男が好きなタイプなのかと思っていたらそうでもなく、最近は女の子のパンツに興味があるようだ。結局、父ちゃんへの愛情表現ということらしい。 《文人》朝、食事の用意が出来ているのに、いつまでも布団の上で転がって遊んでいるので、少々大きな声(普段が10とするなら、12くらいの音量)で「ふーみーとー!」と呼んだら、「はい!」と勢いよく返事した(返事はいつも良い)。返事をしながら、布団の上で頭を軸にぐるりと半回転していたので笑いそうになった。
■なんか疲れた。そういう季節だから仕方ないな。仕事帰りに30分だけ足ツボマッサージをしてもらう。消化器にキク。屁が出そうになった。
■今日読み終わった本。 小浜逸郎『人はなぜ働かなくてはならないのか』(洋泉社新書Y) →「なぜ人は結婚するのか」とか「本当の自分なんてあるのか」「なぜ普通に生きることはつらいのか」あたりは非常に面白く、うなずく部分が多かったが、最後の「戦争は悪か」の章はかなり粗雑な印象を受けた(問いを立てること自体は必要であろう)。「攻撃目標をなるべく限定するアメリカのハイテク軍事技術の行使とに象徴される、今回のアメリカおよびアメリカの側に『ショウ・ザ・フラッグ』した国家群の協力体制のあり方の中に、戦後国際政治の一定の成熟を見る、というのが私の判断である」など、どこをどう見ればこんな判断が出来るのか謎である。小浜は、自分の人生で苦しんできたのであろう「愛」「結婚」「普通に生きる」「学校」に関しては綿密に思考をめぐらし、それなりに説得力ある言葉を吐くことができるのだが(「人生はダメもとと心得べし」(P218)なんて、イイ言葉ですよ)、国家とか戦争とかいう、自分個人の肉体をある程度離れた問題になると、途端に空中戦のような空疎な議論を展開し始める。 それでいいんだけどね。自分の参考になる部分をしっかり読ませてもらうことにする。
|
2002/10/17 [木]
|
■ノドを腫らし、鼻水を垂れ流しているのを哀れに思ったのか、生徒さんから薬をいただいた。「オトギリ草」という植物を焼酎に漬けた赤い液体。お祖母さんが作ったものだそうだ。「何にでも効きます。でも、ものすごく滲みる」とのこと。手始めに洟をかみすぎて擦りむけた鼻の穴の入り口に塗ってみた。あ、なんだか痛くなくなってきたよ。ありがたい。お祖母さんもありがとう。
■麦人がさっき、寝ぼけて起き出して、台所で放尿しかけていた。大急ぎでトイレに誘導したが、廊下に小便を垂れ流しながら歩き、あまつさえ濡れたパンツとパジャマのズボンをゴミ箱に捨てた。眠くて訳が分からなくなっているのだ。こういうシーンが見られるので、育児は結構面白い。
|
2002/10/18 [金]
|
■俺の仕事は、受験生が試験会場で入試問題に出来得る限り多くの正解を出してくることができるように、知識を伝え、かつ問題を解くトレーニングを施すことである。 入試問題に正解を出すためには、正確な知識を記憶し(インプット)、それを問題ごとに要求される形(選択・記述・配列・論述etc)ごとに、答案に表現(アウトプット)すればいい。俺の場合、通常授業ではインプットに必要な素材を選別し、記憶しやすい形に加工して提供する。アウトプットのトレーニングは時間の関係で手が回らないので、正しい方法を伝授して各自に委せる。夏期や冬期の講習で、受験生が独力ではなかなか手が回らず、かつ入試に頻出する問題を使ってアウトプットのトレーニングをする。
■インプットの講義には特に課題はない。俺のスタイルはほぼ確立しているし、受験生にもそこそこ受け入れられていると感じている。悩むのはアウトプット系の授業である。 一言で言えば、教室に来て俺の話を聴くより、自習室で自分で問題集をやった方が効率が良いのではないか、としばしば考えてしまうのである。時間とお金をいただいて授業するのだから、自分で問題集をやる以上の大きな付加価値を提供する義務がある。が、ある程度以上の量をこなす、ということがアウトプットトレーニングの大きな要素である以上、教室に来て講師の話を聴く、という部分とは根本的に相反する部分がある。予備校の授業は多人数を相手にするという性質上、講師は(多少の軽重を付けるとは言え)基本的に全ての問題に解説を施すことになる。問1に正解を得られた受験生は問1の解説を聴く必要はあまり無いから、その時間は無駄になるのである。
■この課題を突破する方法は、俺が思いつく限りでは2つある。 1.アウトプット系授業は、一人では問題演習できない受験生をトレーニングする場だと割り切る。 2.入試問題を素材に、インプット系授業とは別の角度から知識の再整理を試みる。すなわち、アウトプット系の外見でインプット系の授業を行う。 の2つである。 このうち、1はイヤだ。そういう受験生は大学へ行くべきではないと思うし、俺はあまり相手にしたくない。2は、夏期講習で採用しているスタイルである。これはこれで有効なのだが、冬期講習の教材を作っている最中なので俺は悩んでいるのだ。
■冬期講習の時期に、正直な話、のんびりインプットをやっているヒマはない。少なくとも、出来事の背景や因果関係をじっくりと板書しながらしゃべる時期ではない。冬期講習では、できるだけ多くの問題を解き、インプットされた知識がアウトプットできるかを確認し、できなかった知識を再インプットする、という作業を、ある程度以上の問題演習を通じてやる時期なのだが、そこに俺はどう介入するのがよいだろうか。 昨年度までは、復習用に再インプット・確認するのに便利な(レイアウトを多少キレイにした)プリントを出した。これはこれで良いのだが、講義の最中に何をしゃべるのが一番良いかで悩む。大学ごとの傾向とか今年の出題予想を話すのは当然として、やっぱり知識の確認なんだよなぁ。せめて自習室で自分でやるよりは100倍くらい印象に残るように大きな声で話すとしよう。
■今日は有酸素運動と筋トレをいつもの倍、やってみた。へろへろ。
|
2002/10/19 [土]
|
■何が怖いかというと、ここであの国がイラクに爆弾落とすことを許してしまったならば、次は北朝鮮だからである。自分のいうとおりにしない国の政府は武力で転覆しても構わない、誰も文句は言わないんだとあの国に思いこませたら、次は北朝鮮なんである。我が国は出撃基地となり、当然報復の爆弾も降ってくるだろうし、「工作員」とやらが我が国内に山ほどある攻撃対象に捨て身の攻撃を仕掛けるかもしれぬ。 そういうことだ、諸君。素朴すぎる予測かもしれんが、あの国のあの男の頭はもっと粗雑だから、これくらいが逆に的確であろう。
■大量破壊兵器を懸念する声は尤もである。もちろん、俺が最も懸念するのはあの国の持つ大量破壊兵器だ。だって、歴史上、人間に対して核攻撃を行い(それも二回に亘り)、未だに謝罪の言葉一つ述べず、うっかりとはいえ三回目の被害をもたらしたのもあの国だけなのだ。「二度あることは三度ある」を身をもって示したあの国こそ、危険度最高である。自分が持っていることは不問に付し、他人の手のひらを開かせようとするあの国こそ。
|
2002/10/21 [月]
|
■土・日とも仕事が入ったのでさすがに疲れて、昨日は子供たちと一緒に早い時間から寝てしまった。そろそろ気温が下がってきて、ほこほこ暖かい子供たちと添い寝するのによい季節だ(夏はベタベタしてイカン。)ただ、二人とも成長してきたので、寝返りの際にお腹の上に膝小僧が降ってたり、顔を蹴られたりして悶絶することもある。 それにしても、子供たちの寝返りの移動距離には呆れる。毎晩、布団の隅から隅まで2往復はしていると思われる。
■そんなわけで、土曜日に行われた文人の保育園の運動会には参加できず、阿久沢が撮ってくれたビデオで後から様子を見た。文人はダンスの時に両手・両足と頭を振り回し、くるくる回転して、ニカニカして踊っていた。身体が大きいのもあるけれど、誰よりも動きが大きい。絵を描くのも好きだし、彼はそっち方面=表現系に行く者なのかもしれない。もう何年か様子を見ないと分からないけど。 かけっこではゴールするなり前のめりになって頭から転倒。この鈍さも特筆ものである。ヒマができたら動画を編集してアップしたい。
|
2002/10/22 [火]
|
■11時近くまで、麦人と文人が布団に寝転がって延々談笑していたので、軽く一喝した。すぐに寝息を立て始めた。寝るきっかけが必要だったようだ。 ふすま一枚隔てたリビングで聞き耳を立てていたが、話の内容までは聞き取れない。麦人が何かを言うと、文人が鈴のような声で笑い転げる。その繰り返し。明日があるから一喝したものの、これはかなり感慨深い光景なのだ。
■子供が産まれる前は、
俺─阿久沢
という空間しかこの家には存在しなかった。麦人が産まれて、
俺─麦人 阿久沢─麦人
という空間が加わり、文人が生まれて、
俺─文人 阿久沢─文人
という関係が増えたものの、麦人と文人が関係らしい関係を持ち始めたのは実はつい最近、ここ半年くらいのことである。麦人からすれば文人は幼すぎるし、我が儘し放題なので相手にしなくない。文人も、麦人に叩かれるのはイヤなので関わろうとしなかった。二人とも、親を介してお互いの関係を結んでいた。 それが、麦人が小学校に入学したあたりから、二人で遊ぶようになった。麦人も手加減を覚え(文人はゲームやプロレスを麦人に挑むとき「麦ちゃん、弱気でやってね!」と注文を付ける)、文人も叩かれたらやり返すようになった。そして、二人で同じマンガを読んで笑い転げたり、テレビの真似を見せ合ったりしている。今夜のように、何事かを布団に転がりながら延々と密談しているのである。
麦人─文人
という空間が、そこに完成している。
■7年ちょっと前まで、こいつらは存在すらしていなかったのに。今や、彼らだけの「世界」がここにある。これは結構すごいことのように思う。 何年かすれば、俺と俺の弟がときにそうしているように、自分の親についてあれこれ論評するようになるのだろう。今は、声だけでも聞こえる場所にある彼らの世界は、その時には俺たちから完全に離れた場所に行く。その日に向けて、時が動き始めたということだ。
|
2002/10/23 [水]
|
■【虐待】今日も叱られる子供たち【反省】 麦人は同じマンションのMちゃん・Uくんとエントランスで待ち合わせをして一緒に小学校へ登校する約束になっているのに、今朝は約束の8時5分を3分ほど過ぎても、リビングでうだうだして立ち上がろうとしない。親から「早くしな!」と言われているのに、「もうちょっと遊びたいんだよなぁ」などと言っている。どうやら彼は、人を待たせることに対する罪悪感というものが無いように見える。「そうやっていつも友だちを待たせていると、今度は麦人のことを誰も待ってくれなくなるよ!」と諭したところ、「別にいいよ!」と言い放ったので、肉体言語で教育的指導を行う。全力を100とするなら、10くらいの力で左右から1発ずつ頬に平手打ちを加えた。叩くときも子供の頬はふわふわで柔らかい。その分、こっちの手は痛い。 夜、俺が帰宅すると同時に駆け寄ってきたので抱き合って頬ずり。一緒に風呂に入って関係修復を図る。
■北予備で予備校生カップルを多く見かける。クラスの結束の固い予備校なので、仲良くなる機会も多いのだろうか。十三駅前の商店街から信号を渡って予備校に着くまで、4組ほど見かけた。みんな肩を抱き合っている。OBの大学生によると、この時期は試験が迫ってきて焦りが深まり、模試の結果も思わしくなくて不安に苛まれるため、ついお互いの温もりで癒し合いたくなるらしい。善哉。 昔から、受験生カップルは男が落ちて女が受かるという。統計などは見たことがないから真偽は不明とはいえ、そうかもしれぬという感触はある。この仕事をしていると、受験生の恋愛相談みたいなものを受けることがままあるが、男の子は「僕、今の成績だと地方の国立大学を受けることになりそうなんですけど、彼女と遠距離になっても大丈夫でしょうか?」などと純粋。これに対して女の子は、「まぁ、大学に入ったら別れることになると思うんですけど、彼氏がいてもちゃんと勉強すればいいですよね?」と、地に足が着き過ぎの感もある。 ともかくも頑張れ受験生。闘魂必成。戦えば必ず勝利する。
|
2002/10/24 [木]
|
■英語が聞き取れるようになりたい。日本人と話をするのもさほど好きではないから、別に外国人との会話を楽しみたいわけではない。ただ、ボブ・ディランやボブ・マーリィやロバート・ジョンソンやニール・ヤングやバディ・ガイやエルモア・ジェイムスやブラインド・レモン・ジェファーソンやU2やシンニード・オコーナーがメロディに乗せている言葉を、歌詞カードを見ないで聴き取れたら、もっともっと気持ちいいだろうなぁと思うのだ。言葉とメロディが一つになって歌は最強になるのだ。聴いていれば聴き取れるようになるかと聴き続けて20年以上になるが、一向に駄目だ。でも今日も聴く。
■俺が通っているジムにはサイトがあって、会員の意見や苦情を書き込めるBBSも付いている。さっき眺めていたら、俺が通っているのとは別の某支店の会員が「パウダールームに備え付けてあるドライヤーで、下の毛を乾かしているおじさんがいるので注意してほしい」と苦情を書き込んでいて可笑しかった。普通、下の毛をわざわざ乾かす気になるだろうか。件のおじさんは、股を開いて、ぼわーと熱い空気を当てていたのだろうか。それは乾燥のためではなく、ひょっとしたら精力増強・持続力強化の一環ではないのだろうか。 人が服を脱ぐ場所ってのは、いろいろなことが起きるようだ。面白い。
|
2002/10/25 [金]
|
■これがランナーズ・ハイというやつか、というのを味わった。それは俺の場合、走り始めて25分のあたりでやってくる。このまま何時間でも走れそうな気持ちになって、笑ってしまいそうになる。ていうか、顔は多分へらへらしている。実際には45分を過ぎたあたりで腰が痛くなって、ウォーキングに移行するのだけれど。うん、なかなか楽しいよ、走るのは。
■今日のオトナ買い。 ザ・ローリング・ストーンズ『フォーティー・リックス』 The ピーズ『ブッチーメリー SIDE A』 The ピーズ『ブッチーメリー SIDE B』
|
2002/10/26 [土]
|
■【虐待】今日も叱られる子供たち【反省】 文人は足癖が悪い。気が付くと必ず何かを踏んづけている。本を下駄のように履いて歩き回ったり、洗濯物を足先でいらったり、床に落ちた食べ物を踏んづけてペースト状にしたりする。 今日も風呂に入る直前、真っ裸になって足先でミニカーを動かしていたので、「足でものを触るな」と注意した。文人はなぜか、ちんこを右手でぐにぐにといじくり回して見せた。いつもながら謎。 ■夜の9時過ぎに 珍走団が、我が家のすぐ前の細い道を、爆音+ファンファーレ付きクラクションで激しく珍走していった。わざわざ金と時間を使って人に迷惑をかけて何が面白いのかと眉をしかめようとして、学生時代の自分を思い出し、一瞬で眉を開いた。自分に聞けば分かることであった。 あのころ俺たちは、深夜の3時とか4時に、酒に酔ったりまたは酔ったことにして、学生寮の廊下をシュプレヒコールしながら床を殊更に踏みならして歩き回ったものだ。時には居室に乱入し、住人を布団蒸しにするなどもしていた。俺は何でだか参加していないのだが、西寮と南寮の寮生が消火器で武装して抗争した「西南戦争」という騒ぎもあった。翌朝、全寮が消火器の粉で真っ白になっていた。粉を吸い込んで、胃を洗浄するために病院へ行ったものもいた(現在、某有名私大助教授)。あれなどは、大学生という知識人(の卵)が行った珍走団の抗争以外の何者でもない。迷惑を掛けられた方はたまったものではないが、あれは俺たちなりのコミュニケーションを仕掛けていたのだ。俺はここにいるよ!見えるか聞こえるか!と。 さらに、歩き回りながら行う「□○殲滅!」「闘争勝利!」などの政治的スローガンの連呼は、珍走団がしばしば使う、「夜露死苦!」「愛裸撫癒」などの4字熟語に相通じるものがある。それぞれが属する集団内で通用する合い言葉みたいなものだ。連呼することで、または特攻服に縫いつけることで、仲間意識を確認しあっていたのに違いない。 結論を急げば、アクセルを空吹かししつつゆっくりと過ぎ去る珍走団を暖かい眼差しで見送るのが、俺の取るべき態度であるということである。 ■掛け値なしに今から12月にかけてが一年で一番忙しい時期なのである。土・日のどちらかには仕事が入るし、あれこれと原稿仕事も多い。それでも合間を縫ってジムへ行ったり、うだうだしたりはしているので、本当は追い詰められているのだけれど実感がないのがちょっと怖ろしいところではある。 よく、受験シーズンにはいると「お仕事、いよいよ大変ですね」と近所の人に声を掛けられるのだが、これは全くの誤解である。受験シーズンに入ってしまえば、もはや受験生は予備校には来ない(入学試験を受けているのだから当然だ)。従って俺も授業をする必要がないので、仕事がなくなる。よく言えば高等遊民、悪く言えば失業状態になる。オフってやつだ。あと3ヶ月ほど。踏ん張るべし。
|
2002/10/28 [月]
|
■日曜日は大阪産業大学推薦入試対策授業というのをやった。普段、予備校というところに来たことがない生徒が多いようで、いつもの講義と雰囲気が違って面白かった。 まず、俺がしゃべっているときでもお構いなしに質問をする。俺としては話の流れを遮られるのでやりにくいのだが、要するに慣れの問題だろう。慣れればこれでもいいかもしれないと思った。疑問を感じたその場で質問した方が頭にも残るし、質問したれと思いながら授業を受けてもらえればこちらも張り合いがある。 さらに、一問一問解説するたびにどよめきが起きる。自分の解答と違っていれば、悔しさのあまり声が出てしまうし、正解ならば嬉しくて声が出てしまうらしい。これも活気があっていいかもしれない。ただ、雰囲気としては小学生や中学生対象の塾みたいな感じになる。やっぱり、予備校という場に慣れていないんだろうなあ。基本的に予備校では、黙って講師の話を聞き、要所要所で笑って、疑問があればあとで講師室に行くという流れだからね。 ただし、私語が多いのには閉口。高校の先生はきっと、こんな環境で授業しているんだろうな。同情した。こそこそ話すんじゃなくて、おおっぴらに、大きな口を開けて、教壇に会話内容が聞こえるくらいの声で話すのだ。授業中は私語をするもんじゃないという認識がないように見えた。「黙って聞け」と一発だけかましてやった。
■「ある意味、○×だ」という言い回しが嫌だ。ある意味ってどんな意味なんだよ。もったいぶった言い方するなよ。ほんとはお前も分かってないから、そういう逃げを打つんだろ、という感じでムカッとする。俺も全く使ったことがないわけではないが、今後は決して使わないことにする。
|
2002/10/29 [火]
|
■「支持する」ことはできないが、「理解できる」ことが最近多い。パレスチナ人の自爆攻撃も、モハメド・アタらの攻撃も、チェチェン人の捨て鉢な攻撃も。 それが最善の方法であったと言い切ることはできないが、ではどうすればよいのか、という問いに対する解答は持ち合わせていない。少なくとも、彼・彼女らを、現在のような状態に放置しておいて良いはずはないだろう。さらに、俺の乏しい情報と想像力でもって、俺が彼・彼女らと同じ立場に立ったことを夢想すると、俺も同様の行動に出る可能性は相当に高いと思うからだ。 だから俺は「支持」はしないが「理解」はする。場合によっては共感しているかもしれない。彼・彼女らを「テロリスト」に分類して安心する者たち、「どんな場合も暴力はいけない」と安全地帯で眉を顰める者たちを、俺は軽蔑する。 われは知る、テロリストの かなしき心を――― 言葉とおこなひを分ちがたき ただひとつの心を、 奪はれたる言葉のかはりに おこなひをもて語らむとする心を、 われとわがからだを敵に擲げつくる心を――― しかして、そは真面目にして熱心な人の常に有つかなしみなり。
はてしなき議論の後の 冷めたるココアのひと匙を啜りて、 そのうすにがき舌触りに、 われは知る、テロリストの かなしき、かなしき心を。 石川啄木『ココアの一匙』
|
2002/10/30 [水]
|
■げ。ローリング・ストーンズってこんなにかっこよかったのかよー。今まであまり聴かなくて損した。
■今日の夕食は鍋だった。冬は毎日に鍋か湯豆腐がいい。寒い日にみかん食べるのもいいなあ。風邪さえひかなければ、冬は大好きだ。こたつでうとうと。
|