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2002/11/01 [金]   

■マスコミを通じての断片的な言葉を材料にした感想である。実際どんなニュアンスで発言されたのか、または発言そのものがあったかも俺は分からないので、意見ですらない。空想に近いものとして書く。
「おれの24年間を無駄にするのか」
この言葉は重いと思った。拉致され、行きたくもなかった土地で一から生活を始めなければならなかったことは悲劇に違いない。それでも彼は、与えられた運命としてその地で懸命に生きてきたのだ。初めての言葉に順応し、風土に慣れ、与えられた仕事をこなしつつ、災厄によって始まった生活に徐々に納得し、手応えを作り上げていったのに違いない。人間は生き続けるために自分を環境に順応させる。そのこと自体も立派な人間の営みなのだ。その24年は軽くない。その出発点は否定されるべきものであったとしても、家族の思いと同じように尊重すべき営みの24年だ。

■親の立場から考える。北朝鮮に我が子を残して日本に帰国してきた人々は、心配しているだろう。俺だったら、自分の親より我が子を取る。たとえ二度と日本に帰れないかもしれないとしても、我が子の側に戻りたいと思うだろうなぁ。拉致被害者の家族が、せっかく戻ってきた我が子を帰したくないという気持ちも痛いほど分かるつもりだけど。親だから。

■麦人の宿題が強烈に面白かった。「かきくけこ・さしすせそ・たちつてとで文章を作る」という宿題。行頭にかきくけこ・さしすせそ・たちつてとを置いて文を書くというやつ。推理小説で暗号を含んだ手紙に使うアレだ。麦人の作品。
がいる
っと
きから
んぶつして
こにきたんだよ

んまが
っとり
ぐにやけたよ
きがでてつばがとんで
っとさんまのうえにのったよ

こが
ょっと
られて
んかであつくなって
ろっとしてやいた


■行きつけのコーヒー豆屋さんがおでん屋を始めた。昼間は普通に豆屋さんなのだが、夕方を過ぎると、豆屋をやってるおにいさんの父上が現れて店の軒先に屋台を出しておでん屋を開業するのだ。コーヒー豆の樽や焙煎機の横にビールケースとおでん鍋、そして客用ベンチが並んでいる。
 豆の味が落ちたわけでもないのでけちを付ける余地もないのだが、やっぱり妙な感じだ。上手く説明できないが。


2002/11/02 [土]   

■最近読んだ本
早川義夫『僕は本屋のおやじさん』(晶文社)
→この本、10年ほど前に一度読んでいるはずなんだが、その時の印象はほとんど残っていない。まだ俺には早すぎたのだろう。今回は新刊の『たましいの場所』と同様、ページをめくるのがもったいない気持ちで最後まで読んだ。
 この人は、本屋を経営していても歌を歌っていても、この人なんだ。早川義夫という人間にしかなれない。ならない。何を仕事にしてもしなくても、専門にしてもしなくても、自分の色が出てしまうような自分。それを自分らしさとか個性というのだろう。ということは、自分に合った仕事を見つけようとか、自分探しというのはやるだけ無駄だということに違いない。
 何をしているか、でその人の価値や魅力が決まるのではない。どのようにやっているか、だ。隠しようがない自分が現れているかどうかだ。早川の言葉を借りれば、「クラシックが一流で、ロックが五流なのではない。クラシックの中に一流と五流があり、ロックの中に一流と五流があるのだ。あなたが一流で、私が三流なのではない。あなたの中に一流と三流があり、私の中に三流と一流があるのだ」

■麦人に「大人になったら何をしたい?」と阿久沢が尋ねたら、5秒ほど間があって、「世界征服」と答えた。ほんとは一日中ゲームをしたりマンガを読みたいらしいが、それは親がダメだと言うと予想したかららしい。うむ。世界征服なら多少の資金援助はしてやらなくもない。

■3連休だが、今日以外はいずれも仕事がある。昼寝できたからいいや。


2002/11/03 [日]   

■麦人が放課後に通っている学童保育所は保護者による共同運営なので、月に一度は全員参加の例会があるし、イベントはそれぞれに専門員会を作って保護者自身で進めるし、必ず1度は役員に就任しなければならない決まりである。俺は会計という役職にあって、例会の際に保護者が持参する保育料を徴収して保育料袋にハンコをつき、お金がちゃんと計算どおりあるかを確かめて銀行口座に出納するという仕事をしている。予算作成とか執行の監視などは、もっと緻密な頭脳を持った方がやっている。

■で、保育料は月額18000円なのだが、20000円袋に入れてお釣りを請求する方々がいらっしゃる。毎月必ずいる。例会をやっている時間内に、あるべき現金と実際に集まった現金を突き合わせ、納入袋にハンコを押さなくてはならないので、先月も「お釣りがないようにしてくれ」と例会でお願いしたばかりなのである。にもかかわらず、5人ほどの人が20000円を入れてくるのである。
 もちろんそのくらいのことで腹を立てたりわざわざ例会で発言を求めたりはしない。粛々と2000円を納入袋に入れてお返しする。ところが、おつりの2000円が2000円札(源氏物語絵巻+守礼門)であったことに抗議し、1000円札×2枚に交換せよと要求する保護者が1名いる。こちとら銀行業務をやっているわけではない。その小渕元首相の形見を黙って持って帰れよ、と言いたいのはもちろんこらえて「来月はお釣りのないようにお願いしますね」と一言を添えて、1000円札に替えてやる。
 こういうどうでもいいことに少々腹を立てている自分に更に腹が立つので、なんか気分悪いぞ、オイ。


2002/11/04 [月]   

2002/11/05 [火]   

■先週あたりから公募推薦入試が始まっていて、特に現役受験生が浮き足立っている。例えば推薦入試は英語+小論文なのに、日本史や国語を勉強する気持ちになれないのは当然である。しかし、推薦で落ちて来年2月の一般入試を受ける可能性を考えると、ここで日本史や国語から遠ざかることはリスクが高い。ジレンマというやつだ。
 この事情は一般入試に入ってもあまり変わらない。AO入試は英語だけで受けられるのに、日本史や国語に手をつける気持ちになれないのは当然である。しかし、その手の科目を絞り込んだ入試は、その科目を得意とする受験生が集中するため合格最低点が上昇し、リスクが高い。受かればよいが、落ちるとあとあと苦戦を強いられるのである。
 結局のところ、科目を絞って勝負に出て、万一失敗しても悔いが残らない大学であれば勝負してみる、というところではなかろうか。特に現役生は勝負に出てもいいかもしれない。
 いずれにしても、僕と関わった受験生のみんなが、行きたいところに行ってほしいものである。

■文人が庭で花を摘んできた。日陰にひっそり咲いている花だ。カップに盛って嬉しそう。
花


2002/11/06 [水]   

■関西文理へ授業しに行ったら、何と校内模試で休講であった。年間のスケジュール表を確認していなかった故のウルトラトンマをやってしまった。まあ、逆(休みだと思ったら授業があった)より千倍ましである。
 普段は受験生に「願書出し忘れるな」とか「ケアレスミスするな」と偉そうに言っているが、本人はこんなもんだ。我が振りを正さずに人の過ちを指摘するのが、教壇の上に立つ人間に必要な厚かましさである。
 思わぬヒマができたので、六甲アイランドでやっている「にっぽんの青春時代展〜1960・70年代〜」を見に行ったがあんまり面白くなかった。展示物の絶対量が少なすぎる。いろいろ考えることもあったが、また後日書くことにする。その後はジムでひたすら運動。走っていたら妙に苦しい。気管が狭くて肺に空気が入りにくい感じがする。あ、やべーかな、と思っていたら、案の定、夕食後に喘息が起きた。

■北予備と大予備の講師室が、今週から禁煙(正確には分煙)になった。俺は煙草吸わないし、喘息持ちでもあるので大歓迎である。喫煙する講師には、表面上は「今さら煩いことですね」などと合わせたりするが、裏ではざまーみろなのである。あっちの陰でこそこそ吸ってくれ。
 講師室での一服はまあいいとして、喫茶店とごはん屋と道を歩きながらの喫煙は許し難い。当たり前のような顔をして道に吸い殻を捨てるのも醜い。たばこ税を100倍くらいにしても良い。断固支持だ。
 3年前だったかな、芦屋税務署に確定申告書類を出しに行ったら、職員が煙草を吸いながら応対したので、その煙草を奪い取って当該職員に投げつけた上、副所長とやらを呼び出して文句を言ったことがある。人から血税をむしり取る際に喫煙など、失礼千万である。


2002/11/07 [木]   

■吉田寮での先輩であったヒデヨビッチ上杉氏のバンド、ジェロニモ・レーベルより、史上最強のライブの告知が届いた。俺は育児をしなければならないので蹶起できないのだが、近隣の各位は是非足を運ばれたし。
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にせジプシー楽士、裏稼業バンド対決!
梅田ハードレインに嵐を呼ぶぜ。
ジェロニモレーベルが、自分史上最高のライブを狙います。

★11/8(金)大阪梅田HARD RAIN /7:00〜/前1500円 当2000円
w/Fee Bees, Rude Boys, the sleazys, 軍鶏礼讃
ひさびさのフルメンバー(山本、糸井)での大阪ライブ。(僕らの出番は9時
ごろと思われますが)この日の対バンはベテランR&Rバンド達に混ざって、に
せジプシー・オヌマーノフが参加している最強見世物バンド「軍鶏礼讃」も
出ます!! これは、見逃すわけにはいくまい。あらゆる困難のりこえて、
梅田ハードレインへ! 前売り予約はハードレインか上杉まで。
ハードレイン/大阪市北区兎我野町3-19 B1 tel:06-6363-5557
*******************************************
GERONIMO LABEL 
http://www.gernm.com
Falsos Gitanos
http://www.falgitanos.com
ヒデヨビッチ上杉  uhide@gernm.com
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■最近読み終わった本
マビヌオリ・カヨデ・イドウ『フェラ・クティ 戦うアフロ・ビートの伝説』(晶文社)
→「どこから来たのかがわからなければ、どこに行くのかは決してわかりはしない」(P112)
川上徹『査問』(ちくま文庫)
→「現代最大の受難、それは消滅させられるものの受難である。パレスチナやアフリカ大陸で日々目撃されるもの、『民族絶滅戦争』の熱狂によって迫害されている人間のそればかりではない。鳥や獣たち、昆虫や樹木たち、土や水や空気までも含めた一切のもの、『ありのままでいる』というそれぞれのものが持つ固有の尊厳を奪われたもの、奪われつつあるもの。これらのものが上げる叫びやつぶやきを受け止めてこそ、私は『昨日の世界』に対して人間としての義務を果たすことができるはずだ。それは『昨日の世界』が今日の世界に生きることでもある」(P268)

■今日買ったCD
西岡たかし『瞳の青年』
→昨日、「にっぽんの青春時代展〜1960・70年代〜」を見て思ったことなんだが、今にして懐かしく思う風景っていうのは、まず自分がリアルタイムで生きた時間と空間、例えば俺の世代なら『ちびまる子ちゃん』に描かれているものがそうなんだけど、それだけじゃなくて、大人になったらこんなことしたいな、と思っていた「おにいさんおねえさん世代」の風俗もそうなんだな。年齢でいうと10〜15年くらい上の。『神田川』的な同棲時代とか、白いフォークギターとか、ヘルメットかぶって機動隊と激突とか、長髪に下駄を鳴らして銭湯とか。憧れってのは体験していなくても郷愁に直結するものらしい。
 西岡たかし率いた五つの赤い風船も俺にとってそんな存在だ。隣の客と肩を組んでシングアウト、やったことないけど何か懐かしいよ。


2002/11/08 [金]   

■麦人の忘れ物癖が激しい。
 おとといは、宿題をやるのに必要な「算数カード」(単語カードみたいなもので、足し算や引き算の式が表に、答えが裏に書いてある)を学校に置き忘れてきたので、宿題に支障が出た。翌朝、その算数カードが見つからない、と大騒ぎしている。忘れたことさえ忘れているのだ。「昨日、学校に置いてきたって言ってたやろが」と指摘すると、「そうだった…」と気の抜けたような声を出して学校へ出発した。さらに昨日は、学童保育所にランドセルを置き忘れて、手提げ袋だけ持って帰ってきた。学童保育所から電話があって取りに戻ったそうだ。
 彼が抜けているというより、あれこれの用事や、やらなければならないことが増えてきたということだろう。思えば、学生時代にメモ帳やスケジュール帳など必要なかった。バイトと会議くらいで、それほど用事はなかったのだ。今や毎日、寝る前にスケジュール帳を確認しないことには安心できない。それでも原稿の締め切りはときどき忘れている。
 そういえば、来年度の
ミスタードーナツ謹製「スケジュールン」応募のスクラッチカードが、今週から配布されている。せっせとドーナツを買わねばならぬ。不要なスクラッチカードは是非俺に下さい。

■来年度の出講予定がほぼ確定。ちょっと我が儘も言ってお手数をお掛けした予備校もある。何にしても、授業をさせていただけるのは有り難いことである。センター試験まであと2ヶ月ちょっと。今年度の受験生もしっかり送り出したい。


2002/11/09 [土]   

■ジムにはいろんな人がいて飽きない。
 絶叫するボディビルダー。バーベルとか持ち上げるたびに「うわぁぁぁおぅぅぅっ!!」と気合いを入れ、支えきれなくなって限界に達するときも「ぐぅぅぅわぁぁぁぁぁっ!!」とフロアのどこにいても聞こえるような声で叫ぶ。快楽にせよ苦痛にせよ、肉体的に表現することって俺の周囲にはあんまりないので、この絶叫さんは好きだ。絶叫が耳に入るたびに頷いてしまう。
 金髪の欧米系の人は、陰毛もやはり金髪であった。話には聞いていたが、実際に見たのは初めてである。
 露出の多い女性ほど、エアロも上手である。予備校で、俺が授業しながらノートとか覗き込んでも、自信のある生徒は隠さないのと同じことかもしれない。
 腹筋運動用のマットで、仰向けに横たわったまま年配の女性が動かなくなってしまった。数十秒間。上体を引き上げようとしているようなのだが、うんともすんとも動かず固まってしまったのである。目を見開いたままなのでちょっと心配したが、結局断念したようで、別のマシンに移動した。

■フェラ・クティがむちゃくちゃ気持ちいい。気持ちがいいっていうか、尖りながら揺れてる感じ。


2002/11/10 [日]   

■麦人の小学校の学芸会があった。体育館の観客席は親たちで満員で、立ち見席も肩触れ合わんばかりの盛況だ。ステージの反対側の壁には2か所の出入り口があり、一つが入り口、もう一つが出口と決められている。結局たいていの親は、自分の子供が所属する学年の演目が始まる前に入場し、それが終わると帰るので、一つの演目が終わる度に大量に人の出入りがあるのだ。俺と阿久沢も、麦人が出演する一年生の音楽劇だけを見た。
 麦人は袖から登場する段階で既ににやにや。晴れがましいのか照れているのか判然としない。一年生は舞台にしつらえられたひな壇にずらりと並んで演じた。麦人は歌ったり演奏したり、自分のせりふの時にはしっかり務めていたが、仕事がない時にはあからさまに退屈そうに、あくびをしたり鼻くそをほじくったりしていた。
 たぬきが罠にかかって「痛いよ痛いよ」と泣くシーンが歌になっているのだが、その歌を麦人は歌っているふりだけして歌っていなかった。帰宅後、なぜかを問うと「あんなのは恥ずかしいからやりたくない」とのことだった。気持ちを込めてせりふを言ったり歌ったり、というのは彼には嘘くさく感じられるのだろう。まあよし。

■関西外語大でマスコミ就職セミナー。受講生の皆さんに書いてもらった作文をネタに、あれこれ話をした。3週間ほど前にやった前回の講義の時はTシャツを着ていた記憶があるが、今日はセーターを着てやった。
 大学生の書いた作文を見るのは楽しい。普段から若い人々と接する機会は多いけれど、それほど打ち解けて突っ込んで話をすることはないし、そういう柄でもない。でも、作文を通じて学生さん一人一人の人柄に少しだけ直接触れられる気がする。仕事だからぐちゃぐちゃ添削したり偉そうにコメントをつけたりするが、大学生活やバイトやサークルや、あるいは恋愛やバンドに打ち込んでいる姿はそれぞれに個性的で、どの作文もにやにや笑いながら読んでいるのである。
 この大学で話をするのはこれで最後だが、受講生の皆さんがそれぞれの自分の道を見つけてもらいたいと思う。

■昨日買った本。
上坂冬子『我は苦難の道を行く─汪兆銘の真実(上)(下)』


2002/11/11 [月]   

■午前中は学童保育所の掃除をする。毎月、学年ごとの回り持ち当番になっていて、今月は1年生の親だった。
 こういう自発的集団労働では、自分の仕事を自分で見つけられないと実に居心地が悪い。ぼーっと手持ちぶさたで突っ立っていると、自分の無能ぶりが一秒ごとにより明らかになってしまう気がする。
 俺は背が高いのをいいことに、棚の上とか冷蔵庫の上とかを拭き掃除して居場所を確保した。社会の中で何らかの(人様の役に立つ)仕事をしていないとダメな気がするっていうのも、きっとこういうことに違いない。他人の目より、自分自身の目が怖いのだ。「心の持ちようさ」(JAGATARA『もう我慢できない』)。

■午後は、近所の小学校(麦人の通っている小学校とは別)の校庭開放に麦人と文人を連れて遊びに行く。二人とも放っておけば勝手に遊ぶし、麦人はその場で友だちを作ったりもしている。女の子に話しかけたりもする。文人は黙々と砂山を作ったり、きゃっきゃと笑いながら大きな滑り台を滑ったりする。俺は花壇に腰を掛け、紅葉した六甲山を眺めてマターリマターリ。
 子供が黄色い声をあげたり、黙りこくって何かに集中するシーンはとっても佳いもので、こういうシーンを演出するために地球はあるようにも思われる。こういうシーンを壊したり奪ったりするものどもとは、全智全霊をかけて闘わねばならぬ。もっとも、成長のどのあたりからその佳さが失われるかは興味があるところだ。声変わりするあたりかな。


2002/11/12 [火]   

■国連安保理決議、とりあえず受け入れてくれや、イラク。大量破壊兵器と国のメンツをとりあえず潰しても、一般ピープルの命を失わせるな。巨神兵のようなあの国は、ほっといてもドロドロに溶けて崩れ去るさぁ。

■ノドが痛い。風邪までいかないが、疲れがノドに集中して現れている感じ。まだ一週間は始まったばかりだというのに。ああ。

■早川義夫『天使の遺言』が一日中頭の中で鳴り響いていた。
あの日天使は 悪魔に抱かれて
白いお尻を くねらせたらしい
迷うことが 生きることだと
汚れた羽根を 血に染めて
というところ。中学生でも書きそうな詩なのに、どうしてこの人が歌うと頷いてしまうのだろう。


2002/11/13 [水]   

■朝、文人が「指輪がない!」と言って大騒ぎして探している。ビーズをつなげて作ったもので、女の子趣味の文人はこういう指輪とかネックレスを身につけて恍惚とするのである。俺もいっしょに探してやったら、すぐに床の上に落ちているのが見つかった。「すごい!パパはいきなり見つけた!」と感動する文人。父親に対する尊敬はこうした些細なところから形作られていくのだ。

■麦人が通う小学校での見聞。廊下に面した5年生の教室の壁に、ドイツ特集の掲示があった。流行りの総合学習なのか、児童たちがそれぞれにドイツについて研究した成果が、模造紙に書かれていた。
 その中の一枚に『ドイツの有名人』というタイトルの研究があって、アドルフ・ヒトラーとアンネ・フランクが上下に並べて説明されていた。上の段には「ヒトラーはたくみな演説でドイツ人を引きつけました」。下の段には「アンネは強制収容所で働かされてかわいそうでした」などと書いてあった。
 マルクスとエンゲルス、またはレーニンを並列するのなら分かるし、東条英機と石原莞爾でも分からぬでもない。蒋介石と張学良でも良いだろう。ジョンとポールなら定番という感じもする。しかし、ヒトラーとアンネを同じ紙に並べてよいものか。いや、悪いというわけではないが、言うなれば食い合わせが悪い。胸につかえるものがある。

■関西文理の授業で、授業が始まってから30分くらいして教室にのこのこ入ってくるやつがいる。遅刻者かと思ったらそうではなく、忘れたのか置きっぱなしにしたのか知らないが、机の引き出しからかばんを取って再び出ていこうとする。
 こうした輩を黙認すると、この講師は授業中に出入り自由なんだなという意識を作り出してしまうので、俺は厳しく対処することにしている。もちろんその程度のことで本気で怒るわけもなく、怒ったふりをするだけなのだが、教室から出るのを禁止し、休憩時間になるまで俺の授業を強制的に聴講させるのである。
 そこで彼もその原則通り、ひとしきり文句を言った上で(「仕事中に邪魔するな、無礼者、etc」)、最前列の席に着席してもらい、休憩時間まで聴講してもらった。
 そしたら彼は、教室の外で待っていて授業が終わった俺に「どうもすみませんでした」と丁寧に詫びるのである。いや、あれは立場上ああしないわけにいかないから大きな声を出したのであって、本気で怒ったわけじゃないんですよ、と、こっちが申し訳ない気分になった。うー、悪かったねぇ。大人げなかったねぇ。仕事なんで、どうぞご理解を。


2002/11/14 [木]   

モンタハ  友部正人

またモンタハに会えてうれしいよ
あの娘の黒い瞳には
バグダッドの青い空がにじんでいる
雲一つない青空を見上げるたびに
あの娘の瞳の中に落ちるのさ
かわいいモンタハ

またモンタハに会えてうれしいよ
あの娘のやさしいほほえみが
病で悲しみに変わる時
もしも日暮れが忘れていったら
地平線をネックレスとして君にあげよう
かわいいモンタハ

またモンタハに会えてうれしいよ
チグリス川の流れのように
君に会いに来たのならよかったのに
来るつもりのないバグダッドだったから
ここにいるのが自分なのかどうかわからなくなる
かわいいモンタハ

もしも僕に絵の才能があったなら
君とバグダッドの町を描くだろう
空には太陽という独裁者がいるけど
地上には一人の独裁者もいらない

またモンタハに会えてうれしいよ
僕たちはもうすぐこの国を出る
今度は戦争のない時に来てみたい
今19歳で学生のモンタハは
その頃いくつになっているだろう
かわいいモンタハ


2002/11/15 [金]   

■正直、俺はかなりシンクロしてしまったのだが。オサマ・ビン・ラディンのものとされる音声テープの発言の一部である(日本語は朝日新聞による)。
いったいいつまで、恐怖と殺戮、破壊と追放、孤児と寡婦は我々の問題で、安全と安定と安寧はお前たちだけのものだというのだ。暗殺には暗殺、爆撃には爆撃だ。
これって正しいのではないか。

■数年前の生徒さんが、所属する劇団の案内をくれたので観てきた。高校の演劇部が母体となって大学生になっても継続しているという劇団。基礎は出来ているし若いから、役者は舞台の上でよく動く。それだけでも十分に楽しい。
 俺はアマチュア劇団に技術とかアンサンブルの巧みさとか期待しちゃいない。そんなのはプロ劇団で金を払ってみた方がよほど上手いから、そうするつもりなのだ。アマチュア劇団に欲しいのは、インパクトとオーラだ。登場しただけで客席がどよめいたり笑ったりする役者だ。せりふなんか忘れたっていい。プロンプの声が聞こえたって、せりふを噛んだって、棒立ちだって構わない。あの役者を観ただけで会場まで来た甲斐があった!という衝撃が欲しいのだ。
 そういうのって、稽古だけじゃ身に付かないんだよね。普段何を考えて(または何も考えないで)生きているか、とか、天性のものがあるかないか、で決まってくるような気がする。だから、アマチュア演劇の若い皆様には、基礎体力をしっかりつけたら、あとはこぢんまりまとまらないよう、役者の個性が全開になるよう、演出をつけて欲しい。というか、脚本より役者先にありきでよいのではないか。役者をスカウトする段階が勝負なのではないか。脚本は、役者に合わせて選ぶか、自分たちで作ってしまえばよいのだ。
 強烈な役者に会いたい。観ているだけでニヤニヤしちゃうようなヤツ。

■おかげさまで、スケジュールンを1冊ゲットしました。次は阿久沢の分です。


2002/11/16 [土]   

■フェラ・クティが言うとおり、「どこから来たのかがわからなければ、どこに行くのかは決してわかりはしない」のである。そんなわけで、年末年始は中学生の頃聞いていた歌を聴いてみようかなぁと思っている。となると、さだまさしも聴かねばならなくなってまるで拷問だが、とりあえず西岡たかし・五つの赤い風船あたりから始めてみようと思い、「西岡たかし・五つの赤い風船 CD-BOX」というのを注文した。
幼なじみと話しても 何一つ伝えられない
彼は一人話し続けた ローンのことや株のこと
相づちだけを打っていた そんな自分を見た時
とても怖ろしいものが迫って 涙が止まらなかった
                西岡たかし『うろこ雲の絵』
 幼い頃=ピュア、大人=穢れた存在、という二項対立で前者を肯定し、後者を否定する。でも大人になっちゃった自分は…というよくありがちな歌に聴こえる。中学生の俺もそう聴いていて、そういう大人にはなるまい、と青いケツと黄色い嘴で誓ったりしたものである。
 が、自分がローンを抱え株を持つ身になってみると、またひと味違う聴こえ方がする(本題とは関係ないが、株を持つことと子供を持つことは似ている。どちらも明るい未来を信じる行為であり、さらに進んで、明るい未来を自分で何とか作らなきゃ、という強烈な動因になる。株はいつの日か買った時より株価が上がることを信じて買うものであり、子供はシアワセになることを信じて作るものだ。だから、日本がこれからも前向きに成長する国であり続けるためには、法律で須く国民は株式か子供を持つことを強制するのが手っ取り早いであろう。無論、そんな成長は必要ないという議論にも一理あり、俺はどちらかといえばそちらに与する)。
 この歌のスポットは「ローンのことや株のこと」を話し続ける幼なじみではなく、「何一つ伝えられない」自分自身に当たっている。ローンや株に象徴される「生活」というものは、どのような生き方をしようといつの間にか肩にそっと乗っているものだ。ならば、その話題を口の端に乗せる幼なじみは、幼い日々にウルトラマンや仮面ライダーに打ち興じたのと同様に自然に振る舞っているのである。ミュージシャンとしてのプライドゆえか、西岡は、そっと肩に乗ろうとする生活ってやつをあくまで振り払おうとしていた。あるいは気が付かない振りをしていたのであろう。
 しかし、いざ生活ではないもの、自分が信じていた夢や理想を語ろうとした時、それがあまりに軽く、コトバにすると吹けば飛ぶようなものに感じられてしまったのではないか。だから西岡は、幼なじみの話に「相づち」を打つ。肩に生活を乗せた幼なじみのコトバは、それに値するものだと感じられたからに他ならない。
 残念なことに、西岡はそれ以上自分を追い込まなかった。この歌のサビはこうである。
時計の針が告げるのは 終わりを告げる時間ばかり
心の中に響く調べは 愛の歌でありたい
 この甘さは、西岡たかしの多くの作品に共通する。大学に入ったあたりから、俺が彼の歌から徐々に離れていった理由はその辺にあったように思われる。

■あと出しジャンケンはずるい。自分たちだって知らなかったか関心も無かったくせに、今になって「あの人は拉致問題に冷淡だった」「あの党は北朝鮮を賛美していた」「北と積極的に交流していた」だってさ。こういうときに人や組織の品性ってのがはっきり分かるね。
 そう。君たちのことだ公明党。そして公明党だけではないぞ。


2002/11/18 [月]   

■文人を連れてひらかたパークへ。彼が愛する「おじゃ魔女どれみ」のキャラクターショーが目当てである。
 一時期は、女児用のパンツ・靴下を履いていた文人。さすがに保育園で「女!」とからかわれて以来、男児用を身に付けるようになったが、アウターは今でも赤・ピンク・黄色・オレンジ以外、身に付けることを拒否している。それも、その日の気分にマッチした色があるらしく、「これ着な」と手渡した服が気に入らないと投げ飛ばす。与えた衣服を文句一つ言わずに着る麦人とは対照的である。もはや俺は、彼が青や緑系の服を着ているところなど想像もできなくなってしまった。
 好んで遊ぶモノは、ビーズにネックレスに指輪。昨日もモーニング娘。のビデオを観ながら、
ステージ上の娘。になりきろうと、頭にタオルを巻いてしてうっとりしていた。
 自分を女の子だと認識しているわけではない。男の子だ、という自覚は持っている。好みが主に女の子市場に傾いているというだけのことなのだが、俺は半分くらい面白がっている。このままそちらの方向に進むのもよし、「男のくせにピンクきてるよ」という風圧に負けて男の子らしい服装になるもよし。ああせいこうせいと外から力を加えることはせず、成り行きにまかせようと思う。

おじゃ魔女どれみキャクターショー
キャラクターショーはこんな感じ。超満員。男の子もちらほらいた。

ショーを眺める文人にやにやしつつショーを眺める文人。幸せそう。


2002/11/19 [火]   

■朝、保育園に出かける前、文人が「セーターを作って欲しい」という。紙とクレヨンを貸してくれと言う。「ふーちゃんは、こういうセーターが欲しいんだよ」と、自分なりにデザインをしている。「一番上が赤で、真ん中が茶色で、白も入ってて、ピンクの線がここにあって…」とデザイナーをやっていたが、だんだん顔が歪んで「うう、ううう」と呻りはじめ、ついに怒って泣き出した。どうも自分の頭の中のイメージが上手に紙に描けないらしい。しかも、その紙を見た阿久沢に「そんなの作れないよ」と一蹴されて、烈火の如く怒り出してしまったのである。
 保育園に行くまで、頑として自分では歩こうとしない。ずっと俺が抱きかかえて連れて行った。着いてからもしばらく、部屋の片隅で膝を抱えてうずくまっていたらしい。クリエーターの悩みは深いようだ。

■NTTの営業電話がウザイ。うちはKDDIのマイラインにしているのだが、NTTに戻せばこんなにお得です、という電話で、週に2回ほど掛かってくる。
 いろいろサービスがあるようだが、果たして我が家の通話状況で多少なりとも節約になるかどうかはよく分からないし、たかだか月に100円や200円を節約するために電話の使い方をシュミレーションするほど暇でも貧乏でもない。話を聴くのがおっくうだったので「パンフレット送って下さい。それを見て検討します」と切り上げたら、確かにパンフを送ってきた上、「ご覧になりましたか?ご不明の点はありませんか?」と再び電話で問いただされ、藪蛇になってしまった。
 しっかり営業してくれる分、電電公社の100倍はましなのだが、俺としてはもちっとNTT以外の通信会社を応援したい気分なのだ。巨人を応援せず、自民党を支持せず、アメリカを好かず、サッカーを観戦しないのと同じくらいの感覚なんだけどね。だから、パソコン買う時にWIN機を選んだのを後悔しているのだ。

■眠い。眠い眠い。


2002/11/20 [水]   

■最近読み終わった本
舌津智之『どうにもとまらない歌謡曲』(晶文社)
→論攷そのものにはさほど新鮮みがあるわけではないが、引用されている1970年代の歌謡曲のほとんどが記憶に残っていることに我ながら驚いた。人間は歴史的存在であり、自分が生きてきた時間の牢獄から抜け出ることはできないのだということを、改めて思い知らされた。それにしても、松本隆─筒美京平─太田裕美ってのは、何てスバラシイ歌をいっぱい作っているんだろう。

石堂清倫『わが異端の昭和史・下』(平凡社ライブラリー)
→膿んでも腐っても社会主義運動・思想が、20世紀という車輪を回し続けた原動力の一つであることは疑えない。そして、若きマルクスが夢想したように「各人の自由な発展が、万人の自由な発展の前提となるような共同体」を夢みる若者は、21世紀も22世紀も現れるに違いない。この著者のように。マルクスやレーニンやグラムシの読書会とか、誰かやってくんねえかな。
「時代が変わったことは誰しも承認するが、前途の展望は必ずしも明らかではなく、これから歩きながら考え、考えながら歩かなければならない。その意味ではミネルヴァの梟はまだ飛びたてないのである」(P391)

■最近買ったCD
ザ・フォーク・クルセダーズ『戦争と平和』
→加藤和彦と坂崎幸之助のデュオに、九州大学教授で精神科医の北山修さんがゲストで参加しました、といった体のCD。北山は好きなので、せっかくフォークルのCD作るなら、ヴォイストレーニングくらいしてくれよぉ、と最初は思ったが、まぁ、これが現実ならまあいいか、と10回くらい聴いて今は思っている。俺はやっぱりフォーク大好き男なのだということを再確認した。『花はどこへ行った』『花』など、背筋がぴんと伸びるような気がする。力作。
 それにしても、はしだのりひこはなぜ参加しなかったんだろう。以前、NHKではしだがソロで『イムジン河』を朝鮮語で歌った時は鳥肌が立つほど伝わってきた。


2002/11/21 [木]   

■マスコミ就職(に限らないが)の際に記入するエントリーシートや、ちょっとした作文のお題に「学生時代に一番力を入れたこと」というのがある。志望者が多いマスコミ就職試験ではエントリーシートでも作文でも目立たないことには話にならないので、ここは採用側が「お?」と思うようなことを書きたいのである。
 が、「お?」という経験をしている大学生はそうそう多くはなく、大半はサークル・勉強・留学・アルバイトの話題を書くことになる。一つ一つの体験はそれなりに面白く貴重なのだが、なにせこれらの話題で書いてくる大学生が多いので、添削していて多少食傷してしまう。(学園祭でサークル企画の中心となった→大成功→打ち上げで涙を流した→みんなの力を合わせることの大切さを学んだ、etc)おそらく、実際の採用試験でも同じだろう。食傷されるとそのエントリーシート・作文は次の段階まで残らない。
 指導者によっては、サークル・勉強・留学・アルバイトの話題は書くな!と言う人もいるらしい。これはこれで一つの見識であるし、俺もサークル・勉強・留学・アルバイト以外に何か力を注いだことがあるのなら、そちらを書くように指導する。しかし、サークル・勉強・留学・アルバイトに真剣に取り組んだ者はどうすればよいのか。他にこれという経験をしていなければ、やはりこの中から書くしかないのである。
 道は二つあるように思う。(1)筆力で勝負する。ありがちなバイトの経験でも、書き方で盛り上げる。(2)自分の中を一生懸命掘り返して、サークル・勉強・留学・アルバイトの経験でも、これは自分しかしていないだろう、というものを発見する。一人一人つかまえて話を聴いて議論吹っかけて掘り返す手伝いをしてみたいのだが、時間的な制約もあるしなあ。早く気付いておくれ。

■冬子供はあったかい。俺がふとんに潜り込むと、どちらかが自動的に抱きついてくる。一瞬で夢の中だ。


2002/11/22 [金]   

■先週から今週にかけて眠いったらありゃしない。午前2時半まで原稿仕事して、朝は7時半に子供と一緒にふとんを出て、予備校に出かけるまで1時間くらい寝ようと思えば寝られるのにジムへ行ってしまうものだから、睡眠不足が何層にも織りなされている状態である。そうなると矛盾は行き帰りの電車に集中することになる。運良く着席できると、催眠術のように10数える間に夢の世界だ。
 俺の眠りの深さは、よだれの量と比例している。ユニクロのオーバーコートの襟に頭を埋めるようにして眠っているのだが、もうぐちゃぐちゃになってしまった。週末に選択しなきゃあ。

■麦人の個人面談があった。阿久沢が担任の先生から話を聞いてきた。要点は以下の如し。
今後の育児方針を阿久沢と相談したが、今のところ、今のままでよかろうという結論に達した。やりたくないことはやらない、身体が動かないというのはなかなかよろしい。


2002/11/24 [日]   

■中津のミノヤホールで『♪ファミリーミュージカル!?第2弾 オヅの魔法使い ドロシィ監禁地獄!!』を観る。宍戸留美が出演しているからに他ならない。ファン暦はもう10年になんなんとする俺だが、ナマ宍戸を観たのはこれで2回目。前は梅田のタワレコのインストアライブで、握手までしてもらった。その時、アイドルとは何と顔が小さく、手足が細いことかと驚いたが、今回の芝居でも、他の役者と並ぶと顔があらためて小さい。
 会場は満席。一度座ると尻を動かすことも困難なほどだ。映像も使ってコテっとしたギャグを次々畳みかけていくお芝居。すぐ後ろに、舞台の上で何をやってもやらなくても、「わはははは!」とものすごく大きな声で笑う男の人が座っていて、つられて俺もずっと笑っていた。面白いから笑うのか、笑うから面白いか分からないが、楽しかった。
 俺は宍戸留美の歌声のファンだから、演技には特に期待していない。棒立ちだって構わない。暗転のとき、自分は舞台に残って次のシーンにつなげなければならないのに、うっかり袖に引っ込んでしまったのもご愛敬だ。アイドルなんだから!そこに立って歌っていてくれればいい。目をつぶってせりふを聴いていると、
瀬川おんぷがそこにいるようであった。

■今日、読み終わった本。
上坂冬子『我は苦難の道を行く 〜汪兆銘の真実 (上)(下)』(文春文庫)
→結果で評価されるのが政治だから、情勢判断を誤ったり能力不足で失敗した者が非難されるのは致し方ない。しかし、その判断とは別に、たとえ失敗し多くの人々に不利益を与えてしまったことであろうとも、その人間が誠意をもってことにあたっていたのであれば、そのことは誰かが理解してやらなければ救われない。


2002/11/25 [月]   

■住吉駅まで4人で行き、俺はジムへ、阿久沢・麦人・文人はシーア内に新しくできたトイザラスへ。麦人は小遣いが数ヶ月分たまったので、クラッシュギアを買うのだという。
 途中、文人の機嫌を損ねてしまい、彼は「うう。ううう」と唸り続けながらの外出となった。今日も彼は、ピンクと白のストライプの長袖シャツ+赤のフリース+赤の長ズボン+ピンクの靴、というコーディネイトだったので、俺と阿久沢で「赤男々々」とか「黄色いカマトンカチか星をを縫いつけてやったらどうか」などと会話していたのが耳に入ってしまったらしい。

■俺がジムへ行った後、文人はフロアに飾ってあったサンタクロースの人形が怖ろしくなって逃走してしまい、そのまま迷子になったそうだ。館内放送で迷子の呼び出しが掛かったが、そこでも「ピンクと白の縞のシャツを着た、戸田文ちゃんとおっしゃる女の子をお預かりしています」とアナウンスされてしまったらしい。阿久沢が迎えに行ったら、係の人に「男の子!」と抗議していたとのこと。


2002/11/26 [火]   

■日曜日に文人のためにピンク色の靴下を買ったのに、彼がリクエストして指さして買ったのに、履かないという。さらにこれも彼のリクエストで買ったピンクのトレーナーも着ないという。ならば、もう君のためには服を買わないよと宣言するとぴーぴー泣く。ピンク色の服は好きなんだけど、それしか着たくないんだけど、保育園で「女の子」呼ばわりされるのがイヤだと言う。どうしていいのか、自分でも分からないと言う(これは言わなかったか)。
 文人は純粋に赤とピンクとオレンジが好きなのだ。それが「女の子の色」とカテゴライズされる社会の遙か手前に彼は立っていて、それらの色を愛している。その気持ちを抱いたままこの社会に足を踏み入れようとすると、「女の子!」と、自分の性別認識とは逆のレッテルを貼られてしまう。なぜ、赤とピンクとオレンジが好きで男の子の自分をこの社会は受け容れてくれないのか。

■文人の気持ちは分かるとはいえ、リクエストして買ったものを着ないのはケシカランので、ピンクの靴下を無理やり履かせて保育園へ引きずっていった。園の入り口で仁王立ちになって泣く文人。こういうときは親がいるといつまでも泣きやまないので、先生におまかせして早々に退散することにする。「ふーちゃんの好きなようにしていいんだからね」と先生が声を掛けてくれていた。ありがたい。

■久々に朝から雨が降っていた。低気圧の時は俺も生徒さんもお互いにダルく、授業は全般に低調。教室全体がぶにゅぶにゅした空気でいっぱいという感じで、何をしても手応えが少ない。俺も余計なことをしゃべる気力が湧かないので、テキストの進度は稼げる。ところが、無駄口を叩き出すと今度は止まらない止まらない。市井紗耶香と後藤真希のアイドル比較論まで、聞かれもしないのにしゃべってしまった。低気圧キライ。


2002/11/28 [木]   

■最近買って読み終わった本
宮本みち子『若者が《社会的弱者》に転落する』(洋泉社新書y)
→「私は両親を尊敬している。尊敬する両親から生まれた私はそれだけで素晴らしい存在なのだ」という文章を某所で読んだが、俺には全く理解できない自己肯定の背景がようやく分かった。消費活動で自己を表現する若者は、ひとえに親の経済力に支えられているのである。豊かな両親の家を巣立たないからこそ若者は社会人にも負けない蕩尽が可能なのである。そんな若者は両親を尊敬しなければそんな生活は不可能なのだから当然だ。ファック。

■最近買ってまだ読んでいない本
北山茂夫『日本古代内乱史論』(岩波現代文庫)
川村邦光『幻視する近代空間 迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶』(青弓社)
見田宗介『現代社会の理論』(岩波新書)
高森明勅『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)

■麦人が小学校でスカートめくり大王・キス魔と化していることが判明した。誰に似たんだ。という問いは俺にのみしか返ってこない。嗚呼。


2002/11/29 [金]   

■「勝ち組」「負け組」「生き残り」ってのは好きじゃない言葉だ。便利だから授業ではしばしば使うんだが。
 勝ち負けってのは確かにあるし、金持ちと貧乏人は分かれていくであろうし、「ツイている奴いない奴」(太田裕美『しあわせ未満』)は間違いなくいる。なんだけど、「勝ち組」「負け組」っていうと、もうそこで完全にゲームオーバーになってしまって、永久に逆転不可能なんだよ!って言われているような気がする。で、実際に日本ってそういう社会になりつつあるあたりがイヤなんだな。
 二昔前なら、自分の会社が潰れたりリストラに遭ったとしても、家業を継ぐとか、田舎へ帰って田畑を耕したり魚を獲ったりしていれば何とか食っていけたのではないかと思うが、今じゃ倒産・リストラ→ホームレス直行だもんなあ。で、いったんホームレスになると復帰するのは困難であることは容易に想像がつく。これも二昔前なら「独占資本が悪い」「資本主義の矛盾だ」と自分の外に敵を作って(実際に敵なのだが)、「万国の労働者団結せよ!」と闘うこともできたのだが、今じゃ「自己責任」にされてしまう。これほど日本社会が過酷だったことって、あまりなかったんではないだろうか。
 「負け組」が、ちょぼちょぼ食っていける社会がいいなあ。そしてジャンケンは3回勝負がいい。世界に冠たる経済大国なんかでなくてもいいし、山椒は小粒でもぴりりと光る国でなくてもいいし、「おかしな国だ」と笑われる国でもいい。そこそこの能力と馬力しかない8割の国民が、毎日1時間でも2時間でも笑えるような国にならないものだろうか。
 「全くもってタイシタコトのない、世界的に見てソコソコの国がいい」(大塚英志編『私たちが書く憲法前文』角川書店、p128)。

■来週の月曜日で後期授業は終了。今年度も休講なしで終えられそうだ。今年は少し身体を動かしたせいか、例年よりは余裕がある。でも身体のあちこちが痛い。特に肩。黒板に書き続けているせいか、右腕を特定の角度に曲げるとビシビシ!と電気が走る。整体&マッサージに行こう。

■棚橋刺される!
http://www.asahi.com/national/update/1128/031.html
> 棚橋さんは救急車を呼ばずに自分でスクーターを運転して、約3キロ離れた病院へ行った。
> 「痛かったが、我慢して運転した」と署員に話した。
ヨシ!


2002/11/30 [土]   

■2ヶ月ぶりくらいに、伸ばしていたヒゲを剃った。顔がつるんとなった。麦人が「いっしょに寝るとちくちくしてイヤだ」と言うから剃ったのだ。ところは今度は文人が「ヒゲを剃ったら怖い顔になった」と言って俺に近寄ろうとしない。「背が高くて38歳でヒゲがない男なんて見たことがない」とめちゃくちゃなことを言う。ここはイスラム世界か。俺が視野にはいると、「はっ!」とわざわざ声に出して、目を両手で覆う。ひどい。

■ある人に頼まれて、遠藤賢司と高田渡の音源を編集してMDに落としているのだが、何万回聴いても有り難い音楽・歌である。
雨の降る日は しがない渡世に理屈をつけろ
貧乏くじはどうだい 貧乏くじはどうだい
どこかの後家よ どこかの後家よ
私のあそこを要らないか
               高田渡『雨の日』
ふぅ。耳が付いててよかったなあ。