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2002/05/01 [水]   

■6/28ソウル・フラワー・ユニオン(in BIG CAT=アメ村)のチケットを確保。整理番号236だと。始まってしまえば前進あるのみだから関係ないのだ。

■関西文理での授業中、私語していた生徒がいたので注意する。こういうのは最初が肝心だ。アイツの授業でしゃべるとうるせーぞという評判を立てておく必要があるのだ。お互い気持ちよく勉強したり仕事したりするためにね。全く腹が立たないというと嘘になるが、見た目ほど怒っているわけではない。職業的使命感から出る行動である。
 で、しゃべっていた生徒が教室内で帽子を被っていて(これは俺的には全然構わない)、その帽子が白いスケート帽みたいにちょっと長くなっていて、頭にスポッと被ると先っちょの方が余ってブラブラするという形の帽子だったんで、思わず「そこのコンドーム帽子の奴!」と言ってしまいそうになってグッと言葉を飲み込む。辛うじて「ヘンな帽子の奴!」と言い換えた。


2002/05/02 [木]   

■麦人が「4年生と5年生と6年生の女の子に『目がくりくりしててカワイイ』って言われた」と喜びを押し殺したように報告。鏡の前で目を見開いたりしていた。

■4年前の生徒さん、つまり現在4回生の学生さんが、就職活動の合間にリクルートスーツで予備校に登場。授業にも出席して「元気が出ました」と言って下さる。有り難や有り難や。
 以前にも書いたが、通過点に過ぎない予備校講師を大学生になった後も記憶していてくれるのは望外の光栄である。しかもシュークリームを差し入れにいただいた。いやいやもうもう、ひたすらありがとうございます。今度お目にかかるときは、もう一回り腹を絞っておきます。だから就職活動、頑張って下さいよぅ。

■その元生徒さんは、4年前に使った日本史テキストを今も保存してくれている(これも有り難い…… <(_ _)>)。見せてもらうと、板書内容とか今の授業とほとんど同じだ。おお、進歩ないのぉ。
 しかし、俺は5年ほど前に自分の授業スタイルをほぼ固めているし、歴史が去年と今年で違うわけはなく(新たな発見を付け加えたり捏造を消したりはするけど)、入試問題の傾向が劇的に変わるということもあり得ない。だから、授業の内容やスタイルが大きく変わる方がおかしいのである。
 一般に予備校講師は、公教育の教員より採用されるのは易しいが、講師であり続けるのはずっと難しい。一つは生徒のアンケートという外部からの評価で「切られる」ことがあり得る。もう一つは内的なことで、「同じことを毎年やるのに飽きる」という場合だ。
 ある程度の経験を積み、そこそこの実績を出している講師の場合、去年の授業と今年の授業のスタイル・内容が大きく変わるということはない。去年の授業内容を評価されているから今年も教壇に立っているのである。下手にいじるリスクを冒す必要はどこにもない。だから同じような話を何年も繰り返すことになるのだが、これに飽きないで済むかどうかというのが予備校講師の適性を占う一つの基準である。

 で、俺は飽きないんだな、これが。芸だと思ってやってるから。芝居のホンか、落語家のお噺みたいなもんで。やればやるほど味が出るもんだと思っている。
 自分が面白いと思ってしゃべってれば聴く方もたいてい面白がってくれるわけで。人前に出るのが好きか嫌いか、なんてことよりもずっと大切な適性である。


2002/05/03 [金]   革命戦士・長州力の跫音が響き渡りし蔵前の夜


長州力が新日本プロレスに辞表を出したという。権力内闘争に敗れたというのが大方の見方だ。
 猪木との対立とか、橋本ととの遺恨とかあれやこれやの噂はあるが、結局は一ファンにはよく分からないことだ。

■俺が言いたいのはそんなことではない。18歳から20歳にかけて、俺が一番迷走しイラつきグチャグチャしていた季節、革命戦士・長州力のファイトが、長州力こそが俺に力を与えてくれたのだ。長州のラリアットが火を噴くたび、俺の中の悩みの泡が音を立てて砕けていくような気がした。アニマル浜口とのツープラトンパイルドライバーは、俺の憎しみを鋭く研いだ。真夜中、道を走りながら、電信柱という電信柱にラリアットを打ったものだ。
 革命家が権力を握れば独裁者になるというのは普通のことだから、新日本プロレスの現場監督となった長州が、周囲の人間に対してロクなことをしなかったのだろうなというのも、まあ、想像は付く。革命戦士から現場監督になってからの長州のファイトには、どこにも思い入れの入る余地がなかった。正確に言えば、見る気が起こらなかったからほとんど見ていない。偉くなっちゃった奴が偉そうに戦うのなんて面白いはずがない。
 しかし、そのことによって、若かった時の俺が長州に力を与えられていた事実は消えないし消そうとは思わない。長州と共に過ごした金曜夜8時があったから、俺はあの時期を乗り越えた。一ラリアット一サソリ固めの恩義だ。長州がこれからどのような道を歩くにせよ、俺はたとえ遠くからであろうとも見続けるだろう。

■喩え。会社社長の次男が学生運動に走って、オヤジと大げんかして、いったんはライバル会社に就職したんだけど、オヤジの会社の危機に舞い戻って取締役に収まる。ところがやっぱりオヤジとの確執は深く、自分がいない間に入社して力を付けてきた中堅社員とも仲が悪くなって、やっぱりまた辞めてしまう。さあ。これからどうするのか。自分で新しい会社を作るのか、野垂れ死にするか、フリーの職人として生きるのか。あるいは今度こそ、真の革命家として起つのか。


2002/05/04 [土]   

■摂津本山駅前のモスバーガーの黒板に、
昨日、人体の不思議展を見てきました。
最初は気持ち悪かったけれど、たくさん触ってきましたよ。 N本
という店員さんの一言が丸っこい文字で書いてあった。第一印象は、おいN本さん、標本を触りまくったその手でハンバーガー作らないでね、ということだったけど、信号待ちをしている間にいろいろ邪念が湧いてきた。

■まず、俺が摂津本山店の店長なら、このようなコメントは客の目に触れさせない。これではまるで、目黒寄生虫館の前でラーメン屋を経営するようなものだ。このコメントを見てハンバーガーを食べることを断念するお客さんが10人に1人くらいはいるのではないかと思うのである。
 ということは2つの可能性がある。一つは、この店においては黒板コメントは店長のチェックを経ていないのではないか。アルバイト店員が便所の落書きとして好きなことを書く解放区として機能しているということであり、これからも面白いコメントが読める可能性がある。チェキ!ということである。
 もう一つは、店長がチェックした上で公開されている可能性。店長は人体の不思議展という催しを知らないのか。いや、知った上で許可した可能性、つまり、仕事が忙しくなるのがイヤなので、客を1割ほど減らす目的であえてこういう黒板を放置しているのかもしれない。

■いやいや、こういう可能性もあるな。ここの店長、我々が日頃、動物の死体を食らって命をつないでいるということを客に思い知らせたくて、N本さんにこういうコメントを書かせたのかもしれない。
 ハンバーグは牛や豚の死体をミンチにしてさらに焼死体としたものだし、チキンナゲットは鳥のバラバラ死体を焼却処分にしたものだ。焼き魚など言うに及ばず。焼死体をまんまの姿でバリバリ食べているのだ。
 そう。生きとし生けるものはみな、他の生命を犠牲にしている。感謝々々。改めて思い至りました。ありがとう店長、N本さん。

■今日読み終わった本。
野口武彦『幕末気分』(講談社)
→幕末と現代は、ピンチでありながらみんな訳が分からなくて遊んだりダレたり、政治をワイドショーに矮小化しているという点で似ている、という本。面白いんだけど、過去のどの時代も、どこかしら現代に似ている(人間がそれほど成長していないんだから当たり前だ)んだから、こういう視点はやや新鮮みには欠ける。個人的には、信義と友情ゆえに負けると分かっていながら幕府残党に付き合って、五稜郭の戦いまで肩を並べて戦ったフランス人士官が大好きだ。


2002/05/06 [月]   

■朝日の読書欄に載っていた山崎浩一の言葉に成る程とうなずいて書く今日の日記。「激励の言葉が『頑張れ』だけでは貧しい」と。そうそう、俺もそう思ってたんだよ、と膝を叩くことは誰でもできるが、自分で最初に言葉にできるからプロの物書きなのだな……と、少し感嘆する。

■仕事柄、受験生を激励する毎日を送っているが、ほんとに「頑張れ」っていうのは言いたくない言葉だ。
 だいたい、「頑張れ」なんて「ナンマイダ」とか「最高ですか?」と同じで、具体的な中身がない。こういう空虚な精神主義はダーイキライなのだ。それに、「頑張れ」ではなくて「どう頑張るか?」を教えるのがプロの仕事なのであって、ただ「頑張れ」と声を掛けるのなんて誰でもできる。手抜きだ。
 さらに、受験生は頑張れるのならとっくに頑張っているのであって、それが何らかの事情でできないから悩んでいるのである。そういう彼に改めて「頑張れ」と言うのは、傷口に塩を擦り込むようなものだ。

■そんなわけで、俺はなるべく「頑張れ」は使わずに激励したいのだが、これに代わるピタッとくる言葉が見つからないのが現状である。センター試験の前日とかに「何か一発言って下さい!」なんて言われると、やっぱり「頑張ってこい!」と叫んでしまったりもする。アントニオ猪木みたいに激励ビンタでもしてみようかなぁ。


2002/05/07 [火]   

■連休はほとんどどこへも出かけなかったが、最終日は形ばかり淡路島へ出かける。麦人は「釣りをする!俺の釣りの腕を見せてやる!」と鼻息荒く釣り道具を積み込む。俺は釣りには関心がないので、今日のプロデュースは阿久沢にまかせることにする。
 行きの道路は空いていて、窓を開けていたら意識を飛ばすように気持ちの良い風が勢いよく車内に入り込んできたため後部座席にいた俺は爆睡。気が付いたら「ONOKORO淡路ワールドパーク」の駐車場にいる。満潮が夕方なので、ここで子供を遊ばせてから、ということらしい。

■「ONOKORO淡路ワールドパーク」は特に目新しいものがあるわけではないが、港のすぐ脇にあるせいか、空間が大きく開かれているような気がして気持ちがいい。USJに疲れた人々がマターリする場所かも。
 連休中はヘリコプターでそのへんを一周というのをやっていたので、これに乗せてやることにする。チケットを買って麦人と文人を連れて行こうとしたら、文人は喜んだのに麦人は「いやだ」という。「滅多に乗れないんだから、乗ろうよ」となだめすかして離陸・着陸場所に連れて行くと、ヘリコプターの姿を見、その風圧を感じた瞬間に態度が一変。いきなりニコニコになって「乗る!」と言う。単細胞だ。
 俺もヘリコプターは初めてだ。飛行機が離陸・着陸するときに周囲の景色が傾きつつはっきり見えるが、あれがずっと続く感じ。傾いているのはヘリコプターに乗っているこっちなのに、回りがぐるんぐるんと回るので面白かった。頭の中では
心は変わり易いけれど ほんとは何も変わっちゃないのさ
回りだけがぐるぐる回るのさ
                  ジャックス『堕天使ロック』
が鳴っていた。

 飛行が終わって降りるなり、麦人は「もう一度乗る!」などと言う。現金なヤツだ。

 下界を見下ろしながら思った。アフガニスタンやパレスチナで、アメリカ軍やイスラエル軍が地上の人間を虫けらのように殺すのに使う「武装ヘリ」ってのは、この足下に機関銃を仕込んでいるんだろうな。ヘリコプターみたいな面白いおもちゃはぐるぐる回って遊ぶモノであって、人を殺すのに使ってはいけないと改めて思った次第である。

■遊園地の次は岩屋漁港で釣り。俺は車で昼寝を決め込む。
 1時間くらいしたら文人が「うんち…」とつぶやきながら戻ってきたので、公衆便所に連れて行く。うんちが終わった文人を阿久沢と麦人が釣りをしている場所まで連れて行こうとしたら、岩場でこけて腕を軽く擦りむいて泣いてしまったので、慰めがてらたこ焼きを買ってやる。8個入り。
 車の中で俺と文人で4個を食べたので、「残りはママとお兄ちゃんに持って行きな」と持たせる。ちゃんと持っていけるかな、と車内から見ていたら、20メートルくらい歩いたところで立ち止まって、猛然と食っている。ちらっちらっとこっちを見ている。どうやらたこ焼きを麦人には分けてやりたくなくて、少しでもたくさん自分のモノにしたかったと見える。子供の欲望とかズルさってのはほんとに分かりやすいので面白くて憎めない。鈴木宗男のような政治家の欲にも似たような分かりやすさがあり、こちらは全然かわいくない。だからこそ腹が立つのであろう。

■結局何も釣れず、ゆるゆると帰宅した。夕食はロイヤルホスト。


2002/05/08 [水]   

■最近の若い女の子は、スカートのような布の下にズボンのようなものをはいていることが多い。いや、オヤジが若い衆のファッションをあれこれ批評するような大それた真似をするつもりはない。あれを見るたび俺は『風の谷のナウシカ』を思い出すのだ。

 スタジオ・ジブリの『風の谷のナウシカ』では、ナウシカがメーヴェなるジェット凧に乗って滑空するシーンが随所に出てくるが、18歳のころ最初に見たときには、ナウシカはミニのワンピースっぽい戦闘服スカートの下に何も履いていないように見えたのだ。
 空を飛ぶナウシカを後ろから撮るシーンではナウシカの尻が丸見えで、それが肌色なもんだから、おいおい、パンツも履いてないんかい、とハラハラもんだったのである。ほんとにナウシカがノーパンツで飛んでいるのかを確認するため、もう1回見たりもしたのである。
 結局あれは肌色っぽいスパッツを履いているということらしい。なんだ。

■麦人の足が臭い。彼は靴下が嫌いで、生足のまま靴をはくので、もうとんでもなく臭い。

■その麦人だが、彼は寝ぼけ癖がある。それも、夜中にトイレに起きるといきなりその場でパンツを下ろして放尿しようとする。あるいは、廊下まで出て廊下で放尿しようとする。
 たいてい、すんでのところで阻止しトイレに連れ込むのだけれど、ついに寝室でやってしまった。俺も阿久沢も、彼のジョジョジョ〜、と勢いよく放尿する音で目が醒める。麦人は寝室のふすまに向かって、ズボンを下ろして立っている。「おい、何してるんだ!」と震える声を掛けると、にやりと笑って尻丸出しのまま昏倒し、すーすーと再び寝てしまった。かなわん。


2002/05/09 [木]   

■夕食後、麦人が自作の歌を朗々と歌い出した。
♪麦人は偉い 偉いは麦人
 麦人は偉い 偉いは麦人 麦人ぅぅぅ
 10分以上、家の中を歩き回りながら吠えていた。これでは一人自己開発セミナー状態だ。「子供に自信を持たせることが大切です」と育児雑誌でよく読んだが、自信過剰の子供にどう対応するかは読んだことがない。

■庭に朝顔と向日葵の種を蒔いてあったのだが、せっかく芽を出した向日葵が全部鳥に食べられてしまった。朝顔は無傷。向日葵はおいしいのだろうか。


2002/05/10 [金]   

■今日買ったCD
大正九年『KYU-BOX』
HONZI『TWO』

■今日読み終わった本
宮台真司・宮崎哲也『われらの時代に』(朝日新聞社)
→アタマがいいのをハナにかけていろんな人を罵倒するんだろうと思ったら予想通りの本であった。面白かったけど。

■明日は中学校のミニ同窓会があるので鎌倉に帰ってきます。二十数年ぶりに顔を見る人がほとんど。半分以上怖いもの見たさ、というか、猿の惑星気分である。


2002/05/11 [土]   

■中学校のミニ同窓会へ出席するため鎌倉へ。出席者は先生1人を含めて計10人。連絡が取れた人間だけの、全クラス横断の会である。
 呼びかけてくれたのは、去年京都を案内したミカさん。彼女がいるからこういう会が可能になる。人と人との結び目になる人っていうのがちゃんといてくれるのは幸いなことだ。それはきっと彼女が音楽家であることにも関係しているに違いない。グッドミュージックに人は吸い寄せられ、祝祭空間が生まれる。ボブ・マーリーやジョン・レノンの歌が、人間関係の束である世界を揺すぶるのと同じように、ミカさんによって卒業式以来拡散する一方だった同期の桜たちがすとんと交わったりするのだ。月なみな言い方だが、有り難いことである。

■ミカさん以外、卒業式の日以来一度も会っていなかった人ばかり。一人一人とゆっくり話をした訳ではないが、みんながそれぞれの場所で前に進み続けたり、踏ん張って立ち続けていることがわかったのでOK。中学生の時は訳も分からずふざけて遊んでいた。今も遊んだり働いたりしているんだな。その二十数年の間に何があったかなかったか、そんなこたぁいちいち話さずとも、今俺の目の前で笑ってるじゃねえか。そういうことだ。善き哉。

■亡くなった人、どこにいってしまったか分からない人の話も少し出る。今となっては何ができるわけでもないが、俺たちはお前を記憶している。

■出席して下さったH先生の若さと記憶力には驚くばかり。だいたい、見た目が二十数年前とほとんど変わらない。H先生が俺たちと関わりがあったのは20台後半のころで、今の俺たちよりずっと若いころだ、というのも何か信じられない。俺たちの顔と名前、エピソードを正確に憶えていらっしゃる。管理職には関心もなく、これからも現場を全うするという。ミスター中学教師と言うべきか。俺はH先生には、数学の時間にふざけていて額を小突かれた思い出がある。
 H先生がしみじみにおっしゃるには「君たちは素晴らしい時代に中学時代を過ごした。あの頃は子供の数も多く、その割には教員の数が少なくて毎年大量に新規採用していたから、若い教員が学校にたくさんいて、活気があった」と。確かに、23とか24とかの先生があふれていたものだ。Aくんの証言。「A先生、強かったよ。卒業式の後、卒業生にお礼参りされたときも、相手のバット奪い返して馬乗りになってボコボコにしていたもん」。

■朝イチの新幹線で帰神。自分のいびきで目が醒めて新大阪着。


2002/05/13 [月]   

■動画です。夕食とおやつを食べて眠そうな文人。この後ふとんに直行し、昏倒した。

■俺が小学生の頃、朝学校へ出かける直前の時間にやっていたモンティパイソン風教育番組『カリキュラマシーン』のビデオを買っちまった!「メザシとタイルの数は同じ」!わはははは!「エンピツのジョー」!あっはっはっは!「くっつきの『を』」!あははははは!「わけもわからずわいうえを、んー」!ぎゃっはっはっは!
 いやー、こういうテレビ番組を作ってくれた大人たちに感謝するよ。俺もこういう大人でありたい。ただ、頭が半分眠っている朝、それも学校へ出かける直前のクソ忙しい時間に見ていたから、あの子供にはさっぱり理解できないギャグがよけいに印象深かったのかもしれない。テレビの前で落ち着いて見ていても、オモシロイにはオモシロイんだけど、ちょっと味が薄く感じられる。
 一時期の『ポンキッキーズ』、安室奈美恵や鈴木蘭々、ピエール瀧とかスチャダラパーのボーズまで出演していて、制作サイドの心意気を感じたものだが、最近見ないね。やってないのかな。


2002/05/14 [火]   

■午前中、ちょっと一休みのつもりで横になったら眠ってしまい、はっと目覚めたら開講40分前。阪急岡本まで死ぬ思いで走って、十三からはもう力尽きて精一杯の早足で、チャイムが鳴る2分前に滑り込みセーフ。
 こういう時の方が授業の調子は良かったりするからよく分からない。高校生科をあわせて7コマ授業の日だったが、最後までテンション下がらず。血の巡りがよくなるんだろう。

■家庭でちょっとマイペースに振る舞いすぎていると反省の一日。阿久沢に負担を掛けすぎている。ごめんなさい。家では不機嫌な顔をしないようにしたいと思います。やっぱり俺は対人交流に何か根本的な障害があるのではないか。小学生の頃からそう感じてきたが、改めてそんな気がする。


2002/05/15 [水]   

■お世話になっているユリおねえちゃんが、お友達を2人連れてきて麦人・文人の面倒をみてくれた。女子大生3人に囲まれた幸せ者の兄弟である。とうちゃんが替わってほしいくらいである。
 にもかかわらず文人は照れまくって、2段ベッドの下に潜り込んでしばらく出てこなかったそうだ。麦人はカリキュラマシーンのビデオを見たり、将棋などをして楽しんだ様子。いやぁ、シアワセだ。あらかじめ言っておくが、今後君たちにそんな華やかな時期は2度とないと思えよ。

■最近読み終わった本
酒井順子『制服概論』(新潮文庫)
→女子高生の制服の話はありきたりで面白くないが、自衛隊員やニッカボッカ、学ランについての考察はなかなか秀逸。今だから言えることなのは重々承知しているが、制服を強制されることは自意識を育てる上で実は役立っているのだ。寺山修司が「伸びすぎた身長がシャツの中に隠れたがるように、僕は短歌という定型を必要とした」(極めて不正確な引用。うろ憶え)と言うように、制服を押しつけられることでその中から溢れ出す過剰な自己を意識できるのである。

塚原史『人間はなぜ非人間的になれるのか』(ちくま新書)
→「人間的」というのもまた近代の産物。「非人間的」も同じ。文部科学省などが「個性」を一律に強制するあたりから非人間的である。岡本太郎の話が面白かった。

■最近立ち読みか何かで頭に残っている文章。「親は子供に楽をさせよう、苦労させまいと思うけれど、楽をする子供はかっこよくない」と。うむ。俺も子供たちに苦労させたくないと確かに思っている。だって、泣き顔見るの辛いもん。でも、それを乗り越えない子供は確かにダメだな。逃げ帰ってこれる場所をしっかり用意して、ばっちり苦労してもらおう。


2002/05/16 [木]   

■今週に入って、思いがけない場所で思いがけない人にばったり会うことが2回続いている。その人達は、絶対こんなところにいるわけないじゃんという場所に現れるので、顔を見て「あ、この人知ってるよ!」とピンと来てから、3秒ほどしてやっと記憶の糸がつながりハタと膝を打つ。
 そういう風が吹いているんだろう。明日は誰に会えるだろうか。楽しみである。

■北予備での授業中、忘れ物を取りに教室に侵入してくるヤツがいたので厳しめに注意する。だって、ほとんど満員(3人席に3人びっちり座ってる)の教室の中をかき分けるようにして、前の時間に自分が座っていた座席まで歩いていくんだもん。こういうのを黙認すると、この予備校では授業中も教室の出入り自由なんだなと思われてしまうので、気の毒だが生け贄になってもらう。
 授業中わざわざ入り込んでくるということは、俺の講義を聴きたくてたまらないっつーことだな。よし。特等席で聴かせてやる。ちょっとこっちへ来い。黒板の横に立たせたまま、その時限の最後まで過ごしてもらいました。
 教室の生徒さんたちには、俺がものすごく怒ったように見えたらしい。俺の演技力も捨てたもんではない。うふふ。彼には気の毒だったかもしれないが、授業環境の維持も仕事のうちだからね。


2002/05/17 [金]   

■今日はどこかで誰かとばったり、というのはなかったが、I先生が見せてくれた河合塾のパンフレットに大学の同級生を2人も見つけてしまった。いやいや、生きていたかお前ら。俺も生きてるぞ。
 文学部ってどうしてこの業界に吹きだまってくるのだろう。…って、分かっているくせに独り言をしてみる。I先生、アリガトウゴザイマシタ。

■2ちゃんねるに俺を発見!やられた!晒された!
 受験板に大予備・北予備のスレッドと、関西文理学院のスレッドがあるのでときどきウォッチしていたのだが、関西文理学院のスレッドにさっきこんなのがあった。
59 :ベティ― :02/05/16 23:29 ID:IttjJp/5
日本史の戸田、金髪似合ってない!!
こないだ電車が一緒やったとき生指で鼻くそほじってた。ひいた。
 金髪が似合わないという批判は甘んじて受けるが、鼻くそくらいほじるわい。一日中、チョークを吸い込みながら仕事してるから、鼻毛は伸びるわ、白い鼻くそが大量に蓄積されるわ、君たちには分からんところで苦労してるんだよ。鼻くそは取れると面白気持ちいいから、仕事が終わったらすぐにほじりたくなるんだYO!ほっといてくれい。
 得意技「実名による反撃」に打って出ようか検討中。

■でも、鼻水とか鼻くそとか唾液とか精液とか尿とか糞とか、人間の身体の中にある液体的なものは、身体の外に出たとたん、どうして忌み嫌われるのだろう。ついさっきまで身体の中にあったものなのに。
 人間は自分の肉体を愛していないのだ、きっと。


2002/05/18 [土]   

■「お下がり下さい!お下がり下さい!選手に近づくと危険です!お下がり下さい!」。
 彼のハリのある絶叫は今も耳に残っている。スキャンダラスで、下品で、ケレン味たっぷりで、浮き足立つような声だった。俺は今、プロレス会場に来ているのだ、異形の神々が集い舞う祝祭空間にいるのだ、と、彼の声は教えてくれた。世界一のリングアナウンサーだった。「おおにたぁぁぁぁああ!ぅあつしぃぃいい!」のコールで、足に重傷を負っているポンコツレスラーが一瞬だけ神になった。

 「お下がり下さい!」「危険です!」とは、誰に対して言っていたのだろうか。「爆発まであと10秒!」とは、何をカウントダウンしていたのだろうか。何かを愛しすぎ、近付きすぎると彼みたいになるかもしれない。だから、本当に大好きで、愛してやまないものには、これ以上決して近付くな。安全地帯から笑顔を浮かべて鑑賞していればよい。

 いやしかし、彼は決して後悔していないだろう。愛すべきものに寄り添い、身を滅ぼしてもよい。そういう覚悟を持ってプロレスを愛したのだ!誇るべき人生だ!笑って天国へ往くがいい。
 お前は、それだけの覚悟を持って何かを愛したことがあるか?

 プラム麻里子。門恵美子。福田雅一。オーエン・ハート。そして荒井昌一。プロレスに殉じた者の墓碑銘に、また一人が加わった。合掌。俺は記憶する。

http://www.nikkansports.com/news/battle/p-bt-tp0-020517-03.html

■深夜ウォーキング中、山手幹線で猪とすれちがった。脇目も振らず歩いていた。


2002/05/19 [日]   

■麦人が今夜もふとんの上に放尿しようとした。あわてて止めてトイレに送り込む。だんだん笑えない段階に入りつつある。いや、何か不安や不満が行動に表れているんじゃないかとかいうことではなく、洗濯が大変だという極めて実務的な問題で。

■宮台真司の本に「この世の全てを条理によって理解しようとするのが左翼で、訳の分からんすごいものの力を感じるのが右翼だ」とかいう話があった。なるほどと思った。これでいくと、俺はまぎれもなく右翼だ。ただ、天皇とか国家とか言うものには爪の先ほども「すごいものの力」を感じないというだけの話で。どっちかというと「世界革命戦争」とか「大衆的実力闘争」とかいう方にビンビンくる方で。


2002/05/20 [月]   

■庭に置いたサンショの鉢植えに、アゲハチョウの幼虫が6匹もついた。葉を食べ尽くしそうな勢いだ。食べ尽くしたらどうするんだろうという心配をよそに、こんなに大きくなった(青虫が嫌いな方は見ない方がいいかも)。なんかカワイイね。

■今夜も麦人はむくりと起きあがって風呂場で放尿しようとしていた。「違う!そこじゃない!」と駆けつけると、「あ・・・そうか」とつぶやいてトイレへ。「おふろのマットがトイレみたいだ」と。足ふき用のマットが、トイレに敷いてあるマットと感触が似ているので間違えた、と言いたいらしい。


2002/05/21 [火]   

■今日の北予備の文系クラス(前近代)、参った参った。人多すぎてマジ酸欠になった。
 最初から多いのか、どっかから流れ込んでるのか。先週、一人追放して、別の授業では授業中に侵入してきたヤツを晒し者にしたから、受講生は激減するんじゃないかと踏んでいたんだが。

[こういう状態]
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         教 卓
          俺

 三人座りの長椅子に、ほんとに三人、びっちり詰まっている。
 受講生が多いのは予備校講師冥利に尽きる。だが、人間の身体は音を吸収(皮膚は柔らかいし、衣服も吸収する)ので、ここまで人がいるとマイクを使用しているとはいえ、普段の倍以上の声を出さないと教室中に通らないのだ。そして、ほんとに酸素の絶対量が足りない。生徒さんは座っているだけだから眠くなるだけだが、こっちは大声出し続けなのである。最後の15分くらい、マジで頭がくらくらした。何しゃべったんだか、自分でもよく分からない。ちょっと反省材料だ。教壇側の窓を開けるなどして酸素を補給する必要がある。
 生徒さんにはやや申し訳ないことをしたので、来週プリントでも配ろうかなぁ。

[理想の状態]
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         略
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        教 卓
         俺

 あんまり少ないのは寂しいが、あまりにも多いと俺も疲れるし生徒さんも気の毒だ。このくらいになるとちょうど良い。


2002/05/22 [水]   

■首相官邸に「有事法制を強行採決したら承知しねえぞゴルア」とメールしたら返事が来た。
 小泉総理大臣あてにメールをお送りいただきありがとうございました。いただいたご意見等は、今後の政策立案や執務上の参考とさせていただきます。
 皆様から非常にたくさんのメールをいただいておりますが、内閣官房の職員がご意見等を整理し、総理大臣に報告します。あわせて内閣官房安全保障危機管理担当、防衛庁へも送付します。
 今後とも、メールを送信される場合は官邸ホームページの「ご意見募集」からお願いします。

                   内閣官房  官邸メール担当
 まあ一応は受け取っているようである。

> 皆様から非常にたくさんのメールをいただいておりますが、

というのは心強い。メール送ってどうなるものでもないが、各々の場所で各々のできる闘いをするべきだ。官邸以外に与党3党にも同様のメールを送っているが返事はない。せめて公明党が強行採決反対に回ってくれることを密かに期待しているのだが。

> 今後とも、メールを送信される場合は官邸ホームページの「ご意見募集」からお願いします

これはどういう意味だろうか。メールソフトにメールアドレスを入れて送信するのはダメだということか。それなら何のためにメールアドレスが公開されているのだろうか。生意気だ。

■今日買った本。
汐見稔幸『親子ストレス』(平凡社新書)
荒井昌一『倒産!FMW』(徳間書房)
渡辺晃宏『日本の歴史04 平城京と木簡の世紀』(講談社)


2002/05/23 [木]   

■麦人が小学校から持ち帰ってくる宿題が超下らない。いずれ「学校を教育するpart2」のためのネタ帳として書きとめておく。

1.「お父さんかお母さんにだっこしてもらう」。
 宿題ってのは普通、「やりたくはないけど、やらなくちゃならないもの」として与えられるものだ。少なくとも、9割以上はそうだ。だから毎晩、麦人に「宿題やったのか?」と何度も確認するのだ。「だっこ」をその仲間に入れていいんか?親に抱かれるのは義務なんか?宿題だから、仕方なくだっこされるんか?
 俺は自分を、父親の中でも子供をたくさんだっこしてきた部類だと自負している。だっこが最高に気持ちいいことくらい、俺が一番よく知ってるんだよ。おそらく教師は、宿題にして親子のスキンシップを促進しようという意図で、こりゃステキな宿題だと自分で目を細めているのだろうが、生意気にも程がある。
 だっこしてほしけりゃ、中学生になろうが高校生になろうがしてやるよ。麦人が「もういいや」って言うならしないよ。それだけだ。下らない指図をするな。介入するな。クソ学校め。

2.「毎日、国語の教科書を音読して親に聞いてもらう。親はそれをチェックして、チェックシート指定の欄に、正しく読めたら半分色を塗る。大きな声ではっきりと読めたら、残りの半分も塗る」。
 音読自体には問題ないのだが、10日間同じものを読むのである。「あさひだあかるいあいうえお…」ってのを、毎日毎日繰り返し繰り返し。読経じゃあるまいし。いや、経典なら面白いから何度読んでもいいが、「あさひだあかるいあいうえお…」を10日間連続で読んで何が面白いのか。典型的な「やることに意味がある、そして、やることにしか意味がない苦行」である。
 案の定、3日目の今日、麦人は「飽きた」という。俺も聞き飽きたので、音読は省略してチェック欄に色を塗ってやった。

 小学一年生に、般若心経を一日10回読むっていう宿題を出す先生がいたら尊敬する。

3.「国語の教科書をノートに書き写す」。
 これも、書き写し自体は問題ない。問題は、8文字詰めのノートに、8文字ずつ文章をブツ切りにしたり、句読点を全く無視して書き写させていることだ。例えば昨日、麦人は「うさぎさんのおう」「うさぎさんのおう」「うさぎさんのおう」「うさぎさんのおう」「うさぎさんのおう」「うさぎさんのおう」「うさぎさんのおう」「うさぎさんのおう」「うさぎさんのおう」「うさぎさんのおう」と10回書写していた。なんだよこれは、と聞いてみると、「うさぎさんのおうちがあるよ。あそびにきてね。」と文が続くのだという。
 一連なりの意味を持つ文章をわざわざ破壊した上で、こういう作業をさせる意図が理解できない。

 生きる力だの考える力以前に、まともな宿題を出してもらいたい。こういうのをやらせる親の立場になってくれよ。アホくさいからやらんでいいよ、と言いたくなる(言ってしまった)。

■アゲハの青虫、サンショの葉を食い尽くしていなくなってしまった。地面に落ちてアリに食われてしまった説が有力。

■大予備で授業。腹が下って苦しむが、何とか乗り切った。多分、水の飲み過ぎ。


2002/05/25 [土]   

■まだまだ疲労ののピークというわけではないが、新学期が始まって1ヶ月半、少し疲れがたまってきたかなぁというところだ。先週は雨も多かったし。
 草臥れているので、子供を寝かしつけながら10時過ぎに自分も一緒に寝入ってしまう。次の日の授業の準備があるので、1時過ぎに起きて3時ごろまでごそごそ仕事をする。それからまた寝る。というように、睡眠時間が分断されがちなのも良くないのだろう。
 往き帰りの電車で座れたら眠ってしまうのは当たり前として、疲労の度合いによって眠りの態勢が違ってくる。ほんとに疲れていると、眠ってしまうと身体をまっすぐ支えられず、隣の人に寄りかかっては、ハッ、の繰り返し。そして、降りるべき駅が近付いても目が醒めない。平常時は「まもなく○×に到着です」と、到着予告のアナウンスで目が醒めるのだが、疲れていると、ドアが開く音、または「ドア付近の方は途切れずにお降り下さい」というアナウンスで飛び起きる。今週はずっとそんな調子であった。
 まだまだ大丈夫だけどね。風邪ひかないようにだけ、気をつけよう。

■最近読み終わった本
石堂清倫『20世紀の意味』(平凡社)
→社会主義運動とか共産主義運動の歴史をちゃんと知っておきたいなと思った。特に、日本共産党のイケズな面とか。20年前から思っているけど。改めて、はい。中野重治とか石堂清倫みたいな人に接すると(文章を通じて)、正直、アタマが下がります。


2002/05/26 [日]   

■今日買ったCD
椎名林檎『唄ひ手冥利』

 林檎姫、産休明け復帰の第1弾。
 椎名林檎については、1stアルバム『無罪モラトリアム』、それも『正しい街』が最高傑作だと思っている。これを超える曲を書くのは無理なのではないかという予感がそのころから僕にはあって、新作が出るたびにその予感がだんだん確信に近付いてくるわけだが、それでも期待して買ってしまうのはやはり椎名林檎だからである。

 林檎姫のフェイバリットソングを集めたカヴァーアルバム。俺的には『木綿のハンカチーフ』に背筋がゾクゾクした。特に女の子のパート。あぁ、この女の子は、こんなふてぶてしく、どしん、とした女の子だったんだ…。

 本歌は言うまでもなく、松本隆─筒美京平─太田裕美の名曲。1970年代後半の太田裕美は、山口百恵より光っていた。

 街へ出た男が、故郷に残した彼女を捨てる歌、と、俺はずっと聴いていた。椎名林檎は、それは違うよ、と歌っている。これは、女が男を捨てる歌なのだ。
恋人よ 君を忘れて 変わっていく僕を許して
 生き続けていくことは変わり続けることであり、こういうご時世ならなおのことだ。そんな自分をこの男は真面目に、故郷の彼女に伝えようとした。スーツを着た写真を送って、わかってもらおうとしたのだ。なのになのに、女の子の方は、男が必死に呼びかける「恋人よ…」に対し、すべて「いいえ」で答えるのだ。
いいえ 草に寝ころぶあなたが好きだったの
ときたもんだ。
 変わることは成長することである。変わることは日々、古い皮を脱ぎ捨てて、新しい河を渡っていくことである。変わろうとする男と、変わるまいとする女。二人が別れるのは当然であったろう。

 でも、この女の子は潔い。別れるしかない運命を初めから悟っていたように
いいえ あなた 私は欲しいものはないのよ
とあっさりしたものだ。
 これと比べて思い出されるのは、荒井由美の『卒業写真』のいやったらしさである。
あのころの生き方を あなたは忘れないで
だと。自分はどんどん変わっていくのに、その不安を紛らわすために他人に停滞を求めるという歌だ。こんな歌を歌いかけられたら、一言「嫌だ」で全てが終わるが、『木綿のハンカチーフ』の女の子は、「嫌だ」と言われても自分でハンカチ買ってきて、一晩だけ泣いて次の朝には笑っているんだろう。

■でもまあ、やっぱり、『無罪モラトリアム』には及ばないです。でも悪くありません。


2002/05/27 [月]   

■昨日、今日とベネッセ主催の進研ゼミ会議。俺は書くのとしゃべるのとではもちろんしゃべる方が得意だが、あれこれ試行錯誤しながらもそもそ作業するのもとても楽しい。今年度のアンケートで、進研ゼミ高校講座の中でも日本史の教材はダントツの満足度を弾き出したとのことで、自分もお手伝いした仕事に良い評価が出ているのは素直にウレシイ。何かいい参考書・問題集はありませんかと言われたら、進研ゼミ日本史講座をオススメします、はい。

■会議の途中からちょっとぼーっとしてきて、やたらのどが渇く。帰宅してからも奇妙に疲れた感じがするので熱を測ってみたら、おぉっと38度2分。しかも明日は高校生科入れて7時間講義の日やん。熱さまシート貼って素直に寝ます。


2002/05/28 [火]   

■今日は高校生科の授業があって遅く帰宅したので、麦人のことを阿久沢から聞く。なんでも、担任教師に「ペットボトルのお茶は凍らせてきてはいけません」と注意されたという。

 ペットボトルにお茶を入れて持っていくのは許されているのである。休み時間にカビ臭い水道水を飲むよりは良いということだろう。が、学校で冷たいお茶が飲めるように、前の晩から冷凍庫で凍らせて持って来るのはいけないと言われたらしい。麦人は理由が分からず、俺に報告して相談しようと思っていたらしいが、俺が帰宅したときにはすでに熟睡していた。
 「N先生はおかしいよ」と麦人は言っていたらしい。阿久沢も「何でだろう?私もわからない」と言う。阿久沢が「凍らせたペットボトルで友達を叩くといけないからじゃない?」と思いついたことを言うと、麦人はしばらく考えて「…そんなことはしないよ。それとも、先生は自分がペットボトルで叩くからそんなことを言うのかな?」と言ったらしい。そして、「学校って、ほんとによくわからないな!」という結論に自分で達して寝てしまったとのことだ。

 凍らせたペットボトルを禁止する理由は、俺にも皆目見当が付かない。俺たちが想像も付かない理由があるかもしれないので、今夜の時点では学校や教師を批判するつもりはない。明日、連絡帳を通じて、「子供に凍らせたペットボトルがダメな理由を聞かれましたが何も思い当たらず困惑しています。なぜいけないのか教えて下さい」と素直に教えを乞うつもりである。

 ただ、麦人が学校と担任教師を極めてクールな目で眺めていることが分かって安心した。学校的価値観に正面切って異議を唱えることはしないが、「まぁ、あの先生はああいう先生なんだよ。バカだな」という突き放し方が自然にできているのだ。きっと親に対してもそうなのだと思う。それでよい。

■熱は36度8分。まぁまぁ大丈夫。今夜もお茶を大量に飲んで汗かいて寝ることにする。


2002/05/29 [水]   

■ペットボトル問題、担任教師からの返答があった。全文を引用する。
のどのかわきをうるおすためにお茶を持ってきてもよろしいと考えています。子供の特徴として、凍ったものを持ってくると氷をかじったりすったりすることで時間を費やし、又、普通のお茶では物足りなくなり、より冷たいものを求めていき易いのです。ひとりが持ってくると次々と広がっていって困った経験から、福池(註:神戸市立福池小学校)では、凍らせない、人にあげない、もらわない、という学校のきまりをつくって指導しています。
「凍ったものを持ってくると氷をかじったりすったりすることで時間を費やし」というのは多分その通りだろうし、冷たいものを大量に飲んで腹をこわすということもあり得るので、納得しておくことにする。
 ただ、「人にあげない、もらわない」というのはいかがなものだろうか。たいていの小学校では「友達に親切にする」という方向の指導をしていると思われるが、矛盾しないのだろうか。学校ってそんなところだから、テキトーに生き抜いていけばいいよ、という生きる知恵は確かに身に付きそうではある。

■読み終わった本
荒井昌一『倒産!FMW』(徳間書房)
→………

正高信男『父親力』(中公新書)
→俺はオトウサンなので、オトウサンになった以上はしっかりオトウサンを味わおうと日々努力をしている。それなりに勉強もするのだ。俺は急進的な現場主義者なので、子供がいない者や、いても育児にタッチしていない者の説経は基本的に聞かない。子供のいない人が「電車の中で子供がウルサイ。親がマナーを教えないからだ」と言っても、ああそうかい、で流してしまうが、子持ちが言うと「その通り!親が教えないといけないよね」と思ってしまう。発言の内容ではなく、発言した者が誰かによって正邪を分けてしまうところがある。
 そして世にオトウサン本は多いが、父性の復権がどうしたとかいう小林よしのりチックな精神論は真っ平ゴメンだ。でも、こういうデータで書かれた理系チックな本、それもオトウサンによって書かれた本は説得力がある。実践できるかというと自信はないが。


2002/05/30 [木]   

■ペットボトル続報。
 神戸では「氷をかじると時間を費やす(=学級統制上の理由)」「もっと冷たいものをほしがるようになる(=健康上の理由)」という理由で中身のお茶を凍らせることが禁止されているが、京都では「凍らせたお茶は昨日のお茶だからダメ(=衛生上の理由)」、広島では「6月から9月までの夏季限定でペットボトル持参可」ということになっていることが分かった。
 さらに阿久沢によると、O-157による食中毒事件が起きた際、学校の水道水が汚染源となる可能性が指摘されたため、文部省が「お茶を持参して飲んだ方が望ましい」という通達を出しているという。

 以上の情報を総合すると、次のような結論を出すのが一番しっくりする。

 小学校の教師たちは原則として、勉強とは関係ないものを子供が持ってくることを極力避けたいと考えている。だが、文部省から通達が出たし、食中毒という事実もあるので、ペットボトル持参を認めないというわけにはいかない。従ってペットボトル持参は容認するしかないが、そこに教師の威厳というかメンツというか主導権を留保するためには、何らかの制限を加えないとだめだ、という意識が働いているのである。まず、「何でもいいから制限したい」という欲求が先にあるため、地域によって異なった理由を付けてしまったり、杓子定規な期間限定をしているのではなかろうか。

 結局麦人は、「凍らせたお茶を持っていって、先生にはばれないようにする」という選択をした。

■さらに麦人の通う小学校には「遠足の時にはPTA役員が辻々に立って見送りをする」という風習がある。働いている親は、そのために仕事を休んだり半休を取ったりするらしい。
 俺はまだPTA役員は経験していないし、会合にも参加していないので、なぜそんな風習が続いているのか理由は聞いていないが、端から見ている分にはどうにも馬鹿げた風習のように思われる。少なくとも仕事を休んでまでする必要はないのではないか。
 う〜ん。学校はワンダーランド。


2002/05/31 [金]   

■大阪駅の地下街にある薬局(よくありがちな、ディスカウント系ドラッグストアで、茶髪の兄ちゃんがレジ打ったりハタキを掛けたりしている店)で見かけた広告。「アダルトニキビに効きます」。とりあえず一首。

青春の苦い思い出語らんと口元に咲くアダルトニキビ

駄。