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2002/12/01 [日]   

■街にケータイ屋とマンションばっかり増えているような気がする。JR芦屋駅のホームから見えるアニメグッズ屋のディスプレイにこの間まで、巨大なマジンガーZがいた。快速待ちをしているときに心の中で挨拶するのが習慣になっていたのだが、この間見たらやっぱりケータイ屋になっていた。ちょっと可愛くて気になってた隣のクラスの女の子が、夏休みが終わったらズベ公になってたような、複雑な気分だ。

■中海・宍道湖淡水化事業中止。
http://www.asahi.com/politics/update/1129/010.html
かつて、芝居で中海のゴズ役を演じた僕としては誠に慶祝の至りである。急に松江に行きたくなってきた。


2002/12/02 [月]   

■朝は学童保育の餅つきバザーで働く。道具を運んだり、かまどでお湯を沸かしたりした。

■午後から、某新聞社記者の大阪プロレス取材に同行する。阿久沢の代理である。プロレスの見所とか文法などを、試合を観ながらあれこれ横から口をはさむのだ。某新聞社の経費でチケット買ってくれたので実に有り難い。浮いたお金でえべっさんにお賽銭を入れる。
 「プロレスは試合の勝ち負けより、観客を喜ばせたり感動させることが大切なんですよ」などと好き勝手を言いながら、改めて分かった。レスラーが弱かろうが強かろうが、技をキレイに掛けられようが掛けられまいが、俺にとっては二次的なことだ。リングの上のレスラーが光っているかどうかだ。表情、背中、髪の毛、脚の筋肉、一つ一つに「おお」と思わせるものがあるかどうかだ。下手なレスラーより上手いレスラーの方が「おお」と思うことは多いかもしれないが、それは絶対的な条件ではない。
 ただ「おお」と思うようになるには多少の熟練が必要なのも事実である。かつては金曜夜8時のテレビ放送があったし、小学生から高校生までが前夜の放送を参考に教室でスパーリングしていたから(乱闘・乱入・凶器攻撃含む)、その熟練を身に付ける機会は簡単に得られたのだが、プロレス放送が深夜枠に追いやられた今、難しくなっているのは否定できない。ジャンルとしてのプロレスが衰退している原因は、やっぱりテレビでやらなくなったのが大きいなぁ。


2002/12/03 [火]   

■文人を寝かしつける時、「ふーはかわいいねえ」と言ってやったら、「うふぅ」と笑い、「パパはかっこいい。ママはすてき。おにいちゃんは強い」とすぐに返してきた。こいつ、見かけ以上にアタマの回転が速いのかもしれない。
 麦人は風呂上がりに鏡の前でマッチョポーズを取るのが日課になっている。両腕を└┘こんな風にして、両脚は┌┐こんな風にして、腕と胸に筋肉を浮かび上がらせ、怖ろしげな顔を作っている。アホな子供だ。佳い。
 で、そんな兄弟は毎晩ふとんの中で、マンガの話、テレビアニメの話、保育園や学校の話を延々としている。まるで毎晩が修学旅行のようだ。中学生ともなれば、猥談を親に隠れて交わすようになるのだろう。で、ここからは妄想だが、兄から知識を仕入れて耳年増になった文人の童貞喪失はかなり早いのではないだろうか。

■今日で予備校本科の後期授業終了。最後の授業くらいは雑談を多めにして、来るべき大学生活を祝福してあげたいのだが、たいていテキスト進行がいっぱいいっぱいで、ひたすら日本史の話をしまくって、チャイム鳴って5分延長してようやく全範囲終わり、と慌ただしい。そこからさきは「おっとせいのきらひなおっとせい」を見て下さい、ということだな。もちろん授業では言わないけど。
 今週はオフだ。部屋を片づけて、睡眠不足を解消して冬期講習に備えるべし。原稿仕事も片づけなきゃ。

■阿久沢が入院してハラを切ることになった。今週から仕事も休んでいる。正月までには帰宅できると思うが、まだ日程が固まらないので落ち着かない日々だ。


2002/12/04 [水]   

■久々に一日オフ。明日も明後日もだ。ぼちぼち原稿仕事をした程度。ふと浜崎あゆみのCDを持っていたことを思い出して聴いてみる。余裕のない歌声と歌詞だなぁ。こればっかり聴いているのは辛い。

■阿久沢の診察に同行する。六甲アイランドH。数年前に俺も腹を切った病院だ。病院食はまあまあ美味かった。
 いろいろ話を聞くが、セカンドオピニオンも求めた方がよかろうということで、明日は別の病院へも行くことになった。入院中の見舞いのことを考えると、自宅から車で15分で来れるこの病院で切るのが何かと都合は良いのだが、一番安心できて納得できる病院で切るのがいいに決まっている。何にせよしっかり治してほしい。
 しっかり検査してその結果が出るまで心配しても仕方ないんだが、あれこれ関係サイトを覗いて回っているところだ。


2002/12/05 [木]   

■麦人が筆箱を忘れて登校したことに、昼前になって気が付いた。今さら届けても遅いので、今日はたっぷり先生に叱ってもらい反省を強いようと思った。
 帰宅した麦人に「今日、忘れ物をしただろう!」と問いつめたのである。
「えー?うーん。わかった!給食のお箸!
(をい)「他にもあっただろう!」
「んー、んー…!」
「筆箱を忘れただろう!」
「あ、そうだった」
筆箱を忘れて学校で一体何をするつもりだったのか。彼に勉学の意欲が全くないことはよく分かった。さらに問う。
「筆箱忘れて、鉛筆とかどうしたの?」
「○×君から借りた」
「給食はどうやって食べた?」
「パンで全部すくって食べた」
 忘れ物にまみれながらも何とかしちゃっているので、まあよしとする。物事をソツなくやるのが無理な人間は、ソツが出た時に何とかするスキルを身に付けておけばよいのだ。

■阿久沢と一緒に国立大阪病院へ。セカンドオピニオンをもらいにだ。ここの先生はプレゼンテーションが実に上手くて、俺も阿久沢も感心した。他人に何かを理解させるためには、その分野の知識を持っていることは当然のことながら、それとは少し別の能力が必要だということを改めて感じた。
 おかげで、どこをどのように心配したらよいのかということが分かったので、気持ち的にはかなり楽になった。あとはやることをやるだけだ。


2002/12/06 [金]   

■風邪をひいたみたいで微熱+胃がむかむかする。朝と昼はご飯を抜いて、こたつでごろごろしていた。こういう暮らしはキライではないが、ああ、むかむかする。気持ち悪い。

■ごろごろしながらボ・ガンボスの解散ライブを爆音で聴く。やっぱりミュージシャンが歌ったり楽器を弾いているのが一番カッコイイ。特に、ギターを抱えて、左手を少し前、右の脇を締めるような体勢でマイクに向かうのが好きだ。
 夜は夜でおニャン子クラブの再結成というのを見た。うぅぅぅぅむ。冷静に評価できるのはもう少し後になってからだ。現段階で確実にいえるのは、同日同価格でおニャン子と娘。のライブチケットがあるとするなら、俺は後者を取るということだ。


2002/12/07 [土]   

■阿久沢の入院日・手術日が確定した。不安というものは、何を・いつ・どのように心配しなければいけないかが分からないと尚更募るものだが、今回はそれが大方クリアされている。粛々とやるべきことをやるべき時にやればよい、という心境になってきた。今回の病巣発見が遅いか早いかはよく分からないが、もっと遅れていた可能性は相当に高いので、まあよしとするべきなのだろう。
 あと、甚だ実務的な教訓として、30台半ばを過ぎたら健康診断は真剣に受けるべきだ。いくら検査しても見落とす時は見落とすようだが。俺も来年のオフは人間ドックに入ろうと思った。

■文人は母の入院がまだピンときていない様子。「ママお腹切るの?どこで切るの?藤原先生(最寄りの内科医。保育園の正面にある)?藤原先生で切るの?保育園から見えるからいやだ!」と自分勝手なコメントをしていた。多分、文人は入院とは病院へ行ってしばらく帰ってこないことを意味することを理解したら泣く。麦人はもちろん入院は理解しているから、入院したからといって泣きはしないが、夜中に目を醒まして一人さめざめと泣くのは麦人の方なのである。

■俺の風邪は全快。3日ぶりにジムへ行って汗を流す。


2002/12/08 [日]   

■今日くらいはジョン・レノンを一日中聴いていようかと思ったが、『ウォッチング・ザ・ホイールズ』以外ピンとせず、結局ソウル・フラワー・ユニオンになってしまった。『杓子定規』という少し古めの歌がいい感じだ。
大きな栗の木の下 あなたと私
汚れた雨を避けながら 踊り明かそう
大きなビルの谷間でよく見る奴らが
小さな蟻を踏みつぶす ハナシしてたよ
小さな嘘もいつしか 膨らみすぎたね
おまえ気付く暇もなし 変わる気もなし
小さな蛇口ひねって 水を飲んだら
大きな嘘の習わしが 腹に溜まった
 自分が小さな蟻であるにもかかわらず、大きなビルの谷間でよく見る奴らだと勘違いしてモノを言うのはやめにしたい。ドラゴン・アッシュとか長渕剛とか聴いて気だけが大きくなっている若者オヤジなんかには特に苦言を呈したい。そういう若者オヤジより、ソニンの乳を見てちんこを大きくしている正直な若者が俺は好きだ。ちなみに俺はソニンより「あー」「いえい」しか言わせてもらえなかったユウキがもっと好きだ。

■1時過ぎからこたつの中で横になったらそのまま動けなくなり、5時前までカーペットに溶けるように惰眠を貪る。よだれが半径10センチくらいに広がっていた。これだよこれ!俺に足りなかったのは!筋肉という筋肉、関節という関節から疲労が溶けて流れ出していく感覚。俺が「生きているぞ!」と確認するのは、恥ずかしながらこういう時である。


2002/12/10 [火]   

■阿久沢が入院した。仕事が終わって様子を見に病院へ行ったら、入院手続きをして3時間も経っていないのに「退屈だ退屈だ」と手足をばたばたさせていた。「新生児室に赤ちゃんを見に行きたい」と言う。うん、それはいいかも。編み物をするというので、三宮で毛糸玉と編み棒を買ってくるように仰せつかった。
 俺の経験だと、昼間はあまりに退屈なので昼寝してしまって昼夜が逆転し、夜中にテレビを見たり本を読んだりということになりがちだ。ナースさんが巡回にきたら寝たふりをする。修学旅行と同じである。

■いろいろ思い出してきた。俺が阿久沢と同じ病院に入院したのは4年前の夏だった。
 病室では当然ではあるが、病気が患者たちの共通の話題になる。こうなると、いきおい最も重い病を抱える患者が座の中心となり、彼らの重病自慢を延々聞かされることになる。俺がそけいヘルニアで入院した6人部屋には末期癌患者が2人いて、どこそこに転移した、どこそこの病院で放射線治療したんだが効果なくてなぁ、と熱心な説明を何度も聞いた。ヘルニアなんぞというちんけな病気で入っている自分は肩身が狭かった。

■阿久沢は「退屈だ。クリスマスまでには家に帰る」と断言した。手術そのものは楽勝らしいので、感染症にさえならなければ大丈夫だろう。


2002/12/11 [水]   

■買うだけは買った本
竹中労・かわぐちかいじ『黒旗水滸伝・下巻』(皓星社)
丘真也『吉良上野介を弁護する』(文春新書)
野口武彦『幕府歩兵隊』(中公新書)
岡村正史編著『力道山と日本人』(青弓社)

■阿久沢が癌になったからという訳でもないが、俺は無駄に長生きをしそうな気がしてきた。トシとっても身体はそこそこ丈夫で、アタマもそんなに呆けることもなく、けれども何の役にも立たず、悠々自適の老後の日々とはほど遠く、あまりにもヒマなので子供から小遣いをもらって毎日ぶらぶら散歩しているうちに、いつのまにか90歳を越えているような、木偶の坊のような老人になりそうな気がする。ていうか、そうありたい。で、六甲山かどこか林の中を散歩しているうちに行方不明となり、「戸田さんは仙人になった」「いや天狗になったのだ」などと無責任な噂を立てられるようになるとさらによいなあ。


2002/12/12 [木]   

■明日手術をする阿久沢のもとへ、子供たちを連れて見舞いに行った。手術に備えて消化管をきれいにするために、透明な液体の下剤を2リットルも飲まされていた。その薬の名前は「ムーベン」。何で日本の薬の名前って、そのままやないかい、というものが多いのだろう。薬品名命名中央司令部がどこかにあって、この手の名前を付けているように思えてならない。

■文人は次男だけあって甘え上手で、「ママ、ママ」と抱きついたり、身体中にしがみついたりしていた。その一方で、点滴スタンドを押しながら病棟を歩いている患者さんを「おぉ、あれは何だ!」と堂々と指さす。「あれは点滴をしてるんだよ」と教えてやると、同じような点滴スタンドを見るたび、「てんてきだ!てんてきだ!」と大きな声を出すので少々困った。
 麦人はもう照れが入る年齢なので、『ハリー・ポッターとなんとかの囚人』をじっと読んでいた。阿久沢に呼びかけられても、眼を合わさずに手を握るだけだ。最後に、ホントに恥ずかしそうな表情で抱きついていた。


2002/12/13 [金]   

■阿久沢の手術は無事終了。ICUで面会した阿久沢は、まだ麻酔が効いていたため朦朧としながらも、俺が来たことに気づいて小さく頷いてくれた。寒いらしく、電気毛布をかけているのにガタガタ震えていた。俺も経験があるが、麻酔の影響だ。「時間が経てばおさまります」とナースさん。
 執刀医と主治医から話を聞いた。とりあえず見た目には他臓器への転移はないが、今後転移・再発する可能性も高くはないがあるので、今後も検査をしっかりやりましょうとのこと。詳しくは切除したリンパ節の病理検査が出てからのことになる。
 結腸ごと切除した癌も見せてもらった。ホルモン(結腸)の上に明太子(腫瘍)が乗っかっているような外観だった。でかい。写真も撮ったが、ちょいとグロいし、阿久沢の許可がないと公開はできないのでちょっと保留だ。

■手術は終わったものの、完治までには数年かかる病気なので、「できること」「しなければいけないこと」と、「心配しても仕方ないこと」「してはいけないこと」を分別して、前二者に精力を集中していかなければならない。家族ぐるみで闘病していくのはもちろんだが、その中には仕事も家事も育児も当然入ってくる。必要以上に暗く重い気分を抱え込んだら癌の思うつぼだ。闘うことは、いつだって、何と闘う時だって、楽しくなければウソだし、闘って守ろうとするものが楽しくなければもっとウソになる。


2002/12/14 [土]   

■麦人が強くなった。見た目はまだ幼くて、ひよひよという感じでしゃべるのだが、プロレスごっこをすると相当な筋力が付いてきているのが分かる。1年前なら片手で制圧できたが、今では両手で押さえ込んでも足が飛んでくる。こちらの意表をついて踵落としやスライディングキックを仕掛けてくるので、いい加減な気持ちで相手をすると本気で痛い。
 強くなったなあ、と彼をまじまじ見れば、足とか尻に肉がたっぷり乗っている。俺も標準よりは大きいので、たぶん麦人も文人も身長180センチに達する大男になるのだろう。家が狭くなるなあ。

■麦人と文人は、「本気でやる」「手を抜いてやる」の意味で、それぞれ「強気」「弱気」という言葉を使う。その中間という意味で「中気(ちゅうき)」とも言う。「パパ、弱気プロレスをしよう!」という具合に使う。
 我が家だけの用語かと思っていたら、どうやらそうではないらしいことが分かった。麦人が通う学童保育でもこの用語を使っているようだし、大阪市内でも、小学生がそのような使い方をしている旨、某大阪市民に教えてもらった。いつからこういう使い方があるのだろう。もう少しサンプルを集めてみたい。

■夜だけ仕事が入っていたので、その前に病院へ寄る。阿久沢は目を覚ましていた。トイレも自分で歩いて行っていた。手術につきものの熱はあるが、顔色はかなり良い。
 「切ったところが痛い」と言う。昨日の今日だから仕方がない。「もう手術はいや。お産より痛い」と。うむ。これを最初で最後にしよう。

■東京へ行って来ます。遊びにです、はい。


2002/12/16 [月]   

■土曜日は東京に遠征してROOTS MUSIC 音楽祭、日曜日は心斎橋ビッグキャットでソウル・フラワー・ユニオン。阿久沢の入院中は、阿久沢のお母さんが子供の面倒を見に来てくれているので、それをいいことに遊び歩いていた。グッドミュージックが頭と身体を満たしてくれている間は、いらん心配をしなくてすむしな。

■思えば1979年、五つの赤い風船が再結成コンサートをしたことをきっかけに俺は関西フォークというジャンルを初めて知り、高校時代は横浜のレコード店というレコード店を、URCの音源を探して歩き回った。そしてとうとう関西に移住し、紆余曲折を経て現在に至る。音楽で社会は変わらなかったが、俺の人生は確実に変わった。ルーツという言葉は胡散臭くて好きではないが、俺の幾つかある根っこのうちの一つは確かにこの手の、1960年代後半に百花繚乱した音楽にある。ということは、こいつを聴き続けていれば俺は枯れることはない。東京まで行って確かめたのは、要するにそういうことだ。

中川五郎。正直期待していなかったのだが、一曲目が『ボー・ジャングル』だったので、素直に感動してしまった。さらに茨木のり子の詩に曲を付けた『自分の感受性くらい』をやってくれたので嬉しくなる。
初心消えかかるのを暮らしのせいにはするな
そもそもがひ弱な志に過ぎなかった
その通り。
自分の感受性くらい自分で守れ
ばか者よ
うむ。自戒すべし。

高田渡。既に、そこにいるだけで手が合わさってしまう存在になりつつある。『生活の柄』はライブやレコードで何千回聴いたか分からないが、そのたびに俺の中には違う風景が浮かんでくる。これからも何千回でも聴くだろうさ。

遠藤賢司。音の一つ一つが煌めく粒子となって飛び交っていた『カレーライス』。歌詞とかメロディーとかリズムとか、みんな渾然とわやくちゃになって飛び交っていた。これぞ純音楽。どうしたらこういう人になれるのだろうか。「トシなんて関係ない」とは、彼の口から出ると説得力がある。

早川義夫。『サルビアの花』『からっぽの世界』『父さんへの手紙』と、拍手する間も与えずに歌い続ける。サポートのHONZIが、いつもいつもながら素晴らしいとしか言いようがない演奏をする。やべぇ、と思ったが『父さんへの手紙』で涙が出た。早川義夫をナマで聴くのは5回目か6回目だが、そのうち4回か5回は涙が出ている。こんなのは早川だけである。
ねえ父さん、お元気ですか
あれから僕は歌を歌ってます
自分の中の手に負えぬ部分や
行き場のない悲しみや思いを
とか、
相も変わらず僕は偏屈なので
人と同じ気持ちになれない
とか
ねえ父さん、あらゆる儀式はわざとらしく無駄で滑稽なものだよね
ねえ父さん、どうしたら僕は素直になれるのでしょうか
とか。こうして書いてみると、中学生の作文のように見えないこともないが、あの声で、あのメロディーで、あの姿勢で歌われると、震えて震えて仕方がない。

五つの赤い風船。『血まみれの鳩』で、西岡たかしが笛を吹くのを見ることができた。ま、そんなところだ。

■飛行機で伊丹空港へ、そのまま病院へ寄って阿久沢を見舞う。今日はもうベッドに起きあがって話すことができた。中年に達した俺と阿久沢だが、こういうときはまだ若い方なんだなぁと思う。まだ熱があるのが少し心配。

■ソウル・フラワー・ユニオンの感想はまた明日書く。疲れた。『中川敬語録』なる暑苦しそうな本を発売したそうだが、購入するかどうかは検討中である。


2002/12/17 [火]   

■毎日のように麦人・文人とプロレスごっこをする。今まで、文人は「ふーちゃんはパパのけらいだ!」と自称して、俺&文人 VS 麦人の変則タッグマッチで戦っていたが、阿久沢が入院してからは文人は麦人と組み、父親 VS 兄弟の世代闘争になることが多くなった。
 きっと、母親が入院したことで、兄弟で支え合う気持ちが強くなっているのではないかと思われる。布団の中でもときどき抱き合って寝ている(正確には、文人の尻を後ろから麦人が抱え込んでいたり、文人が麦人の腹の上に頭を乗せている)。禍福は糾える縄の如しというが、ほんとにそうなんだなぁ。

■昨日のソウル・フラワー・ユニオンの感想。一曲目は『サヴァイヴァーズ・バンケット』。どんと命日が近い(といっても来月)からかな?「墓場はおまえの歌でみな踊る」。あの世へ行けば、江戸アケミもどんとも佐藤伸治もフランク・ザッパもまた聴けるのだろうか。そう思うとちょっと楽しみではある。
 新しい曲もかなりやった。中川、気合い入りまくりである。ただ、俺はコトバでイク人種なので、新曲が続くと、歌詞を聴き取りにくい大音量のロックのライブでは、ちと欲求不満がたまる。とはいえ、昔の曲ばかりやっていてはベンチャーズか憂歌団になってしまう(それはそれで良い)。ま、何事もバランスが大事だということだろう。新曲をやったと思ったら、『戒厳令下』とかえらく古い曲もやる。古い曲は歌詞が分かるのでやっぱり嬉しい。にやにや笑いながら踊ってしまう。俺は曲に合わせて手拍子をするのが嫌いだ。ミュージシャンが手拍子を強要すると絶対にするもんかと思う。歌わせるか踊らせるかしてほしいと思う。ソウル・フラワー・ユニオンのライブでは、歌うか踊るか自動的にしてしまうのでシアワセなのだ。
 育休中?の伊丹英子&ドーナル・ラニーも入って『満月の夕』。何回聴いても、この曲は特別過ぎるなぁ。あの晩、ほんとに月が怖いくらい真ん丸だったことを俺は今でもはっきり憶えている。阿久沢と夜道を歩きながら、「凄い月だねぇ」などと言い合っていたら、明け方に地震が来たのだ。散乱したガラスを踏み分けて表へ出て眺めた明け方の月も、やっぱり怖いくらい真ん丸だった。震災を生き延びたんだから、癌だって大丈夫だ。
 『海行かば山行かば踊るかばね』が始まると、やっぱり身体がうずいてステージ下に突進してしまう。伊丹英子が歌う「アイヌモシリに風よ吹け吹け」「魑魅や魍魎山河を撃て撃て」のところは、ほんとに血が騒ぐ。ざわざわざわ、と音がしそうだ。若い衆のダイビングが降ってきて、避けようとしたが肩口に膝がかすって痛い。どさくさに紛れて尻のあたりにストンピングを入れてやった。
 汗びっしょり。

■仕事の前と後に病院へ。阿久沢はだいぶ元気になっていて、点滴スタンドを押して歩き回っていた。「ご飯が食べたい」と言う。体力も順調に回復しつつある様子。

■寝違えた。左の脇腹から背中にかけて痛い。


2002/12/18 [水]   

■阿久沢は今日から重湯を飲み始めた。明日から三分粥。早ければ週末から普通食に戻れるかもしれないという。早くも退院の算段をしているが、主治医は「風邪でもひいて菌が入ったら困る。通常は手術後2週間は入院してもらうのだが…」と消極的らしい。ちなみに明日でちょうど手術後1週間である。
 最悪でもクリスマスには外出許可が出そうだ。

■朝、文人が頭を抱えて髪をかきむしり、顔を歪めて「むぅう、むうぅ」と悶え苦しんでいた。こたつの中に入って出てこなくなった。どうしたのかというと、麦人が「文人の頭にはつむじが3つある!」(事実)と指摘したのにプライドが傷ついたのである。おばあちゃんに「どうしたの!どうしたいの!怒ったって3つあるんだから仕方ないでしょ!」と言われてさらに悶えていた。結局、どういうわけか俺につむじを見せろと言う。見せてやったら「パパのつむじは一つだ」と納得して笑顔になり、保育園に出発した。よく分からないが面白い子供だ。

■「向上心を持って努力せよ」と子供や若い人々に向かってよく説教されるが、向上心ってそんなによいものなんだろうか。向上心を持って努力した結果が、オゾン層の破壊や炭酸ガスの増加や半分の人間が飢える地球やダダ漏れの原子力発電所やゴミの山なのではなかろうか。そこそこで満足してちまちま暮らすことを正当化してくれる、美しい言葉を持った人がどこかにいないだろうか。
 10年ほど前、俺はある人に「戸田さんは10ある能力を3だけ使って呑気に暮らす人ですね」と言われたことがある。彼は俺を激励するつもりだったようだが、なんかすごく嬉しかったのを憶えている。今もそうでありたい。


2002/12/19 [木]   

2002/12/20 [金]   

■麦人がサンタクロースに手紙を書いた。小学校の友達に「サンタクロースなんていない」と吹き込まれ、今年はもう信じていなかったようだが、
http://www.noradsanta.org/japanese/radar/index.html
を見て改心したらしく、持ってきて欲しいプレゼントやら、サンタへの質問やらを書き付けていた。明日の朝、小学校へ行く前にポストへ投函するというので、さっき封筒に「Mr.Santa Claus, Finland」と表書きをして切手も貼ってやった。麦人はさらにビスケットを一枚用意し、「サンタさんが来たら、これを持っていってもらう」と、なかなかの心遣いを見せていた。
 たぶん、麦人のところにサンタクロースが来るのは、今年が最後なんだろうなあ。難癖を付ければいくらでも付くけれど、よい風習であると俺は思う。

■最近読み終わった本。
岡村正史編著『力道山と日本人』(青弓社)
松尾剛次『「お坊さん」の日本史』(NHK出版)


2002/12/21 [土]   

■神戸ルミナリエへ、麦人・文人・阿久沢のお母さんと4人で行った。事情はどうあれ、せっかくこのタイミングで神戸に来ているのに、お母さんを連れて行かないわけにはいかないのである。予想するまでもなくJR元町駅からうじゃうじゃと人がうごめいている。寒い寒い。しかも、昨年の明石市で起きた花火大会将棋倒し事故で大ミソを付けた(大ミソには枚挙に暇がない)兵庫県警は、警官を大量に動員して雑踏警備に青筋を立てている。あっちへ行け、立ち止まるなとスピーカーでわんわん喚いている。
 来なけりゃよかったと、これも予想するまでもない感想を思い描き始めたころ、ようやくモニュメントが見えてきた。文人が「うわー!きれいー!」と声をあげた。あ、やっぱり来て良かったな。文人はきれいなものが大好きなのだ。
 麦人は「こんなに電気を点けて、停電したらどうする!」と心配していた。
 俺は偏屈なので、昼間に見たらオモシロイかもとか、俺が一人でここを歩くなら多少は情緒があるかもとか、そんなことばかり考えていた。

■再び人波に押されるようにしてようやくJR三ノ宮駅に辿り着いたら、またもや人身事故で運転見合わせ中だという。もう、何というタイミングの悪さだろう。この季節、この週末に関西随一の幹線で命を断つ、という行為には、その人の最後の意地・最後の叫びを感じざるを得ない。どこのどなたとも存じませんが、確かに受け取りました。
 駅員にくってかかる客が何人もいた。駅員のせいでないのはわかるが、客の気持ちも分からないではない。仕方がないのであらかじめ買っておいた切符を払い戻してもらって阪急で家に帰った。麦人も文人も、混み混みの電車によく耐え、岡本駅から家までの15分間、しっかり歩いて帰った。えらい。

■阿久沢のところには昼過ぎに行った。もう点滴は朝・晩だけでよいということで、昼間は点滴を抜いていた。売店にいろんなものを買いに行くこともできる。エレベーターの中でで他の病室にいるおっさんと喧嘩したらしい(ナースさんに「ニンニク臭い」と指摘したおっさんの口臭および煙草臭が凄まじかったので、その旨を指摘したとのこと)。この手術に関してはもう大丈夫だ。来週末には帰ってこれるかな?
 弟のサイトに紹介してあったのだが、こんな病院は絶対にイヤだ…。

■今日買った本。
木田元『詩歌遍歴』(平凡社新書)
奥平康弘・宮台真司『憲法対論』(平凡社新書)
樋口裕一『ホンモノの文章力』(集英社新書)


2002/12/22 [日]   

■朝一番で京都で仕事をして、阿久沢の見舞いをして(スタバのコーヒーを飲んだ!「久々の娑婆の味」だとコメント)、文人をプールへ迎えに行き友達の家に送り届け、学童保育の例会に出席して、忘年会にもちょっと顔を出してこの時間に至る。普通の社会人ならありがちな行動スケジュールだが、俺にしてみればかなり動いた方である。昨日のルミナリエで風邪をひいたっぽく、ノドが痛い。もう2度と行かん!

■阿久沢が退院したら、麦人にゲームキューブを買ってやることにした。サンタさんのプレゼントとは別口で、サンタプレゼントが霞まないように、年明けに与える。もちろん、ママがいない間よく頑張ったね、という慰労なのだが、小学校や学童保育の友人でゲーム機を持っていないのは麦人を含めて2、3人しかいないことが判明したせいもある。何かにつけて「早く4年生になりたい!4年生になるといいことがあるんだ…」(10歳になったらゲーム機を買ってやるというのが現行政策なのだ)と、控えめにアピールするのがいじらしい。
 大勢に与するのは俺の趣味ではないが、子供にそれを押しつけるつもりはないし、逆にこの年頃で押しつけると思春期に反動を起こしてしまうだろう。
 問題は文人に何を与えるかである。彼に聞けばきっと、ビーズセットとか千代紙セットを所望すると思うが、ゲーム機との価格差はどうしたものか。いいんだろうか。


2002/12/24 [火]   

■センター日本史試験の対策講義の覚え書き。もう少し肉付けして来年度にはかっちりしたレジュメにしたい。こういう視点で勉強してねっていうリストだ。
  • 遺跡名─時代─県名─出土物
  • 道具─時代─形状─用途
  • いつの時代の出来事・政策か、同時代には何かあったか
  • 仏像など文化財─どの時代の文化か─政治史ではどんな時期に当たるか─作者─材質・技法
  • 人物─肩書き(血縁・師弟関係・役職・出身地)
  • 学者─学派─著書─師弟関係─仕えた権力者・開いた私塾
  • 権力者の名前と順番─政策や出来事・事件
  • 作品と作者
  • 用語そのものではなく、その意味・内容
  • 商品作物と商品の組み合わせ
  • (近現代で)経済状況が政治に与える影響


■昼食はお好み焼き。天かすのことを麦人が「そばかす」と言い間違えていて、結局最後まで修正しなかった。「そばかすを入れるぞ!」「文人!そばかすを勝手に入れるな!」(「そばかすって何?」と横を向いてぼそっとつぶやく文人)。こういうどうでもいいシーンが育児の醍醐味。

■温水でけつを洗う便器を設置した。なかなかいいもんだなこれは。ねじを閉めるとき指を挟んで血豆を作った。子供たちには温水シャワーの使用を禁止し、自動で便器・便座の開け閉めをすることのみ許可する。

■阿久沢に外泊許可が出る見通しとなり、24日は家でクリスマスイブができそうだ。
 阿久沢のもとにはたくさんのお見舞い品が集まっていて、その多くはお菓子だ。消化器を切り取ったばかりの阿久沢が食べられるはずもないので、おいしいそれらはほとんど俺の舌を楽しませてくれている。ありがとう、皆様。佳きクリスマスを。


2002/12/27 [金]   

阿久沢は27日(本日)退院と決定。リンパ節転移なしと確認。とりあえず目に見える範囲に癌細胞は存在しないということなので、ひとまず胸を撫で下ろした。今日、仕事が終わったら車で迎えに行く。

■文人はクリスマスプレゼント(おジャ魔女どれみ機織り機)で、早くもミニバッグを作り上げた。「ほら見て」と自分の頭より高く掲げて俺に見せるのがカワイイ。また、彼はルミナリエ体験後、浜ビーズの腕を飛躍的にアップさせており、恐るべき繊細な幾何学模様を作り上げるようになった。こういうかんじ。
浜ビーズ
横で見ていると、自分はデザインを指示するだけでビーズを並べるのは麦人にやらせている。早くもプロデューサーの才覚を発揮しているのか。
 麦人には仮面ライダー龍騎のリモコンバイク。こちらも嬉々として室内を走り回らせ、襖にぼこぼこに穴を開けていた。この兄弟、最近はかなり仲がよい。こんなかんじ。
仲良し

■一昨日から昨日にかけて発熱して、どうなることかと思った。ルミナリエ風邪の総決算だったようである。一昨日は帰宅してからの記憶がほとんどない。帰り道、水を飲まなきゃ、と、電車の中や道すがら、ペットボトルや缶のお茶を3本飲み、帰宅後風呂から出たまではかろうじて憶えているが、そこから先の記憶がない。気が付いたら朝で、麦人が横に寝ていた。ふとんが汗でびっしょり。熱はひいていた。念のため点滴を1本入れてから仕事へ行く。ちょっと遅刻。

「日本史占い」というのをやってみた。生年月日だけで決めるんだけど。俺は石川五右衛門だって。八百屋お七のイラストがなんかいい。目はいっちゃってるし、マジックみたいに指から火が出ているし。こういう何をしでかすか分からないフツーの女の子って好きだ。


2002/12/28 [土]   

■阿久沢は無事退院!そこにいるべき人がいると、やはり安心する。子供たちは入院中、大きく動揺することはなかったけれど、見えない部分ではきっと不安を感じていただろうと思う。それが証拠に文人は、イブの夜、阿久沢が外泊許可を得て一晩だけ家で寝たとき、安心のあまり寝小便をした。

■今週はずっと京都での仕事なのだが、京都は昼間も雪が舞っている。比叡山や大文字山は真っ白だ。京都に来た最初の冬、高野川が凍り付いているのを見てびっくりしたのを思い出した。懐かしい、肌を刺すような寒さだ。
 懐かしいと言えば、冬の日中に曇って雪が降るのは山陰地方の天候である。「雪起こし」と言って、雷がごろごろ鳴っては雪がガンガン落ちてくるのだ。そんな日本海の沿岸を走る国道9号を毎週のように往復していた。仕事の都合で、俺は松江に、阿久沢は鳥取に住んでいたからである。鳥取県の青谷町や気高町のあたりで、真っ白に荒れた日本海が車の窓から見える。雪がフロントガラスに叩き付けるように落ちてくる。何だか無性に懐かしい。山陰に行きたくなった。田圃や畑以外何もない県道でぼーっとしたり、海辺に車をとめてラジオを聴きながら昼寝したい。

■思い出した。島根県の山間部のある町に、冬だけ開かれる小学生の合宿所があった。雪が積もると周辺集落からは小学生が登校できなくなるので、11月ごろから小学生は合宿所に寝泊まりして学校に通うのだ。毎日が修学旅行のようで楽しい反面、低学年の子供はホームシックにかかって毎日のように泣いていたという。今もあるのかなあ。


2002/12/29 [日]   

■ものすごく眠いのだが。一日中、なぜ自分が目を醒ましているのか不思議なくらい眠かった。電車で着席できたとたん目の前が暗くなる。今日のJR神戸線快速電車では通路側の座席に掛けていたら、通路に身体が半分以上、45度くらい傾いてはみ出す格好で寝込んでしまい、口の横からよだれが流れていた。時代劇の死人が口から血を流すみたいな流れ方だった。
 睡眠が足りてないわけでもないのになー。ま、今日は日付が変わったらすぐに眠ることにする。

■話題の正義.jp。徳田氏の主張とか取り調べ状況とかどんどんアップされることを期待しているのに、更新がないようだ。頑張れ部下女性3人。

■この仕事をしていると、年末年始が全然それっぽい気持ちにならないので、どうも1年のメリハリに欠けてしまう。もともとメリハリが嫌いな人間だから尚更だ。大掃除もする気にならないし(これはこの仕事をする前から)、おせち料理もべたくないし、初詣などルミナリエと同レベルで時間の無駄だと思うし、年賀状も自分からは書かなくなって久しいので仕事関係の方以外からはほとんど来なくなってしまった。たぶん元日も原稿仕事をしているだろうなぁ。
 明日は仕事が終わったらジム納めに行こう。唯一のメリハリ活動。

■クローン人間ねぇ。とりあえず生まれちゃったらかわいがるしかないな。クローンだってなんだって、赤ちゃんはめでたいし、親とは別の人格なんだから。
 子供は欲しくないっていう人の気持ちも分かるが、どうしても子供が欲しいっていう人の気持ちも分かる。

■今日買った本。たぶん今年最後。
山田風太郎『新装版 戦中派不戦日記』(講談社文庫)


2002/12/30 [月]   

■ヴェトナム戦争たけなわの頃、米軍基地のゲート前とか全国のあちこちに「反戦喫茶」というのがあったという。ベ平連のたまり場になったり、米軍脱走兵の援助をしたり、様々な情報の集散地の役割を果たしていたという。中川六平さんが岩国基地前でやっていた「ほびっと」というのが有名だ(もちろん行ったことはない)。
 単純に、今、そういう場所があるといいなと思った。アメリカが正義と力を独占し、恣意的に全世界で戦争を仕掛けられる時代となってしまった今、「反戦」という言葉は再び力と意味を持ちうるのではないか、という気がした。
 俺がマスターやろうかいね。摂津本山駅前で。

■今日読み終わった本(再読)。
網野善彦・鶴見俊輔『歴史の話』(朝日新聞社)
「(鶴見)…『鉄の団結』がこわいんです。お互いの間のすき間、違いが分かるだけじゃなくて、違いを大切にするバラバラの集団が、考えていく力を持つんですから。団結しちゃったら思索力の低下なんです」
「(鶴見)私の哲学の立場は、『真理は方向にある』ということなんです。…間違いの記憶は確実に手の中にあるから、これで方向性が出てくる。間違いによって敷き詰められた方向なんです」
「(鶴見)私の関心の中心は戦争なんです。戦争はいやだという考えがあるんです。なだらかな私生活を優先する人がこれだけふえて、つまり『ガキデカ』がふえて、これではもとのような戦争はできないなと思って、私はそこに安心しているんです。…
 (網野)歴史は逆転しませんからね」

■今、読み中の本
竹中労・かわぐちかいじ『黒旗水滸伝・下巻』(皓星社)
「…社会主義者&朝鮮人の反乱、もしくは“反乱の恐れ”が現実にあったのだと措定するとき、関東大震災のいわゆる『惨劇』のよってきたる所以は実に明らかなのです。
 超法規の戒厳令実施、警察・軍隊による流血の弾圧、それはまさしく内田良平の指摘するがごとく、けっして風声鶴唳の流言蜚語に脅えたのではなく、国家権力の当為の自衛手段であったと理解しなくてはなりません。朝鮮人&社会主義者の虐殺を“無辜の犠牲”と眺める、やわな視点をしか持たない戦後左翼は、たとえていえば立花隆の『日共リンチ事件』をめぐってのデマゴギーに対抗できないのであります。社会主義者・朝鮮人は、殺されるべくして殺されたのだという真の理解に、我々は立たなければなりません。内田良平風にいうなら、ようはヘゲモニーの問題であり、関東大震災の“好機”を革命と反革命のいずれかが掌握し得るかということなのです
 …もし彼ら朝鮮人&社会主義者が、闘うことなく(あるいは闘う意志すら持たないで)むざむざ無抵抗の死を与えられたのだとする解釈は、あの時代に革命を、大逆を志した人々への冒涜といわなければなりますまい。…ごく少数であっても、日和らずに、“コノ良挙”を民衆の反乱に転化する機会を狙い、実行に移そうとしていた者が存在しなかったら、この国の革命運動はすべて嘘になりましょう」
「『彼ラハ最後マデ革命万歳ヲ叫ビ居リタリ』(亀戸事件に関し、騎兵第十三連隊より戒厳司令官宛の報告)」


2002/12/31 [火]   

■2年前の生徒さんがファッション雑誌でモデルさんやってて、けっこう順調にメジャーへの道を歩いているみたいなのだが、さすがに40を前にした男が『cancam』とか『JJ』を買い込んでくるわけにはいかない。エロ本を買うより人目が気になる。
 そんなわけで、書店で表紙だけ見て応援の念を送ることにする。