2002/08/01 [木]
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■朝、暑くて暑くて、首筋から肩にかけて汗がだらだら流れるのを感じて目が醒める。暑い。それもそのはずで、仰向けになっている俺の両サイドに、麦人と文人が密着して抱きついている。もちろんこいつらも汗みずくだ。 子供の、親の側にくっついていれば安心だという本能なのだろうか。夜、眠っている子供の側に横たわると、ころころと寝返りをうってくっつきに来る。頭を撫でてやると、かすかに笑顔を浮かべたりする。
■かわいいんだけどね。夏は暑いよ、やっぱり。
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2002/08/02 [金]
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■阿久沢が東京で仕事のついでに文人を連れて実家のある横浜に帰った。俺と麦人で留守番だ。家の中に二人だけだと寂しいので、ビデオを見るときも麦人を膝の上に乗せてやったりする。 久しぶりに寝る前に絵本を読んでやった。いつもは文人に読んでやるだけなのだ。その間麦人はマンガを読んでいて、絵本なんか感心ないよ、という顔をしていたのに、今日はおさるのジョージを持ってきて、読んでくれ、と自分から言った。
■麦人が2歳の時、文人が産まれた。出産直後、助産所で撮った写真の中に、麦人が大きな目玉をさらに倍くらい大きくして呆然としている写真がある。麦人はおそらく、弟の誕生によって自分が戸田家の王座から滑り落ちたことを直感していたのだ。 その日から母親は文人に構い切りとなり、麦人は俺の専属幼児となった。麦人が父親っ子で文人が母親っ子なのは、そのためである。今も時々麦人は、「ふーちゃんばっかりママにくっついている…」と寂しそうに言う。そして彼には、まだ文人が産まれていなかった頃、すなわち自分が父と母の愛を一身に集めていた甘美な黄金時代の記憶が、既に一切無いらしい。お兄ちゃんはたいへんだ。
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2002/08/03 [土]
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■麦人と二人ぼっちの2日目の夜。夕食は三宮まで電車で出かけて、串屋(食べ放題のチェーン店)へ行く。 麦人は真剣な表情で串ネタにパン粉をまぶしたり、揚げているところをじーっと見つめている。彼は目玉が大きいので、こういう作業を真剣にやっているとほんとに真剣そうに見える。ついつい横顔に見入ってしまった。 「パパのもやってあげるよ」と、俺の好きなししとうやシイタケにていねいにパン粉を付けて揚げてくれる。この長男はなかなか良くできた子供である。
■麦人は食べる食べる、串を20本以上、カレーライスまでぺろりと平らげ、仕上げにソフトクリームをなめた。食った食ったと腹を叩いていた。帰り道、やっぱりというべきか、「気持ちが悪い」と路上に座り込み、大ゲロを吐いた。吐いた後は「あー、気持ちいい。もう大丈夫だ」とケロリ。
■サイト管理者という言葉があって、俺も個人サイト「おっとせいのきらひなおっとせい」の管理者ということになるわけだが、この「管理者」という言葉はくすぐったい。 教育実習で生まれて初めて「先生!」と呼ばれたときのような、あるいは飛行機で、エコノミークラスに空席が無くて仕方なくビジネスクラスに乗ったら椅子が大きくてかえっておさまりが悪く、スッチーさんの笑顔も「エコノミークラスより多く笑っております!」みたいでどうにも居心地の悪いぜ、みたいな感じだ。 管理者というのは、例えばマンションの管理人さんのように毎日異常がないか館内をチェックしたり、掃除したり、いろんな連絡業務をこなす人のことだ。だから、サーバー管理者というのなら分かる。 サイト管理者でも、商用サイトとか、毎日のようにBBSでトラブルが起きて仲裁やら削除やらに追われている個人サイトなら、管理者という名で呼んでも構わないだろう。てんてこてんてこ動き回って努力している人間こそ、管理者である。しかし俺は日記を垂れ流しているだけで、こういうのは管理とは言わない。ただ、「やっている」というのがせいぜいなところだろう。 あと、「コンテンツ」っていう中途半端な横文字もなんかイヤだな。複数形にして、さらに「ts」の「ツ」で終わるところが尚更。「中味」でいいじゃん。「リンク」は気にならない。なんでだろ。
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2002/08/04 [日]
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■お札の図柄がまた変わるという。誰の顔が載ろうと、俺はお札の交換価値に主に関心があるのでまあどうでもいい。ただ、銀行券の図柄の変遷を調べてみると、 神話から実在の人物へ 加速度的に最近の人物に近付く という特徴を発見することができた。 明治以後、日本国内で発行された銀行券の図柄は以下の通りである。 「素戔嗚尊と八頭大蛇」 「雅楽演奏」 「田植え」 「神功皇后」 「新田義貞と児島高徳」 「源為朝」 「元寇」 「えべっさん」 「藤原鎌足」 「和気清麻呂」 「菅原道真」 「武内宿禰」 「聖徳太子」 「日本武尊」 「靖国神社」 「八絋一宇塔」 「楠木正成」 「二宮尊徳」 「板垣退助」 「岩倉具視」 「高橋是清」 「伊藤博文」 「福沢諭吉」 「新渡戸稲造」 「夏目漱石」 「源氏物語絵巻」 「守礼門」 「野口英世」 「樋口一葉」 おおよそ時代順。 明治中期までは神功皇后とえべっさんに人気があったようで、複数の銀行券に登場している。明治中期から昭和前期にかけては、藤原鎌足や和気清麻呂、菅原道真といった「忠臣」ぽい人が主流。戦後になると、高橋是清・伊藤博文といった近代の政治家が続々登場するようになる。二宮尊徳は敗戦直後の1946年登場だが、倹約して戦後の混乱を乗り切れという政府のメッセージだろうか。そして、文化人を登場させるのが昭和末期〜平成時代の新しい流れと見える。 この流れで行けば、今日活躍中の人が銀行券に載る日も遠くはないのではないか。長嶋茂雄あたりが次の最有力候補だろう。個人的にはジャイアント馬場の10万円札を出してほしい。あと、若者に媚びて消費を活発にさせるのなら、モーニング娘。なんかもいいかもしれない。ミニモニで100円札復活とか。
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2002/08/05 [月]
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■かつてモーヲタだった文人(4歳)は、半年ほど前のある日を境にぴたりとモの字も口にしなくなり、テレビも見なくなった。「もうモーニング娘。は嫌いになったんだよ」と明言しつつも、その理由は不明のままであった。それが今朝からビデオクリップを熱心に見ている。どうしてまた娘。にアクセスしようと思ったのかそれとなく尋ねてみると、「保田圭が怖いからモーニング娘。は嫌いになった」と言う。そうか、保田が卒業するからもういいのか。可哀想すぎるぞ保田。俺は味方だぞ保田。
■ふと思う。駆け出しの頃の苦労を知っているモーニング娘。初期メンバーたちは、敗戦直後の焼け跡だらけの日本を知っている世代のような気持ちなのではないか。追加メンバー達は、日本が経済発展に突き進もうとする、あるいは突き進み始めた頃の世代。最新メンバーはバブル以後に産まれた世代、という感じなのではないか。 高度経済成長の入り口あたりで産まれた世代にあたる俺などは、さしずめ矢口・市井・保田に相当し、俺が教えている生徒たちは辻・石川・加護・吉沢、麦人や文人は最新追加メンバー(もう名前は知らない)に相当する世代という感じかな。俺の記憶の中には、かすかにだけれど高度経済成長以前の街並みがある。 こういう下らないレトリック遊びに使えることがモーニング娘。成功の一要因とみた。
■昼寝をしたので体調は良好。
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2002/08/06 [火]
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■自宅で原稿仕事と講習の準備の一日。今週から3週間が踏ん張りどころだ。風邪ひかないように気を付けよう。
■原稿仕事はかなり深刻な状況で、講義時間以外はすべて机かPCに向かっていないと間に合わないような気がしてきた。貧乏性ゆえにいただける仕事は全部請けてしまうからこの有様なのだが、講義と原稿執筆が受験日本史屋たる俺の営業種目、つまり本業であるからして、何が何でもやるしかないのである。これは泣き言ではない!水準以上の仕事を必ず期日に間に合わせるぜという決意表明である!というわけで仕事やりますから仕事下さい。
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2002/08/07 [水]
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■最近買った本 永沢光雄『AV女優・おんなのこ』(文春文庫) 外山晴彦・「サライ」編集部『神社の見方』(小学館) 大野誠『体脂肪完全燃焼!』新星出版社
■住基ネットが動き始めたようだ。問題点はちょっと横に置いておいて、俺にどんな番号が振られているのかというのは単純にちょっと知ってみたい。まだ番号は届いていない。簡易書留かなんかで来るのかな。 俺の日記はバックアップ用にレンタルサイト2か所にも同じものをアップしているのだが、その中にも住基ネットに関するコメントが載っているものがあって、検索をかけてまとめて読んでみた。もちろん賛否両論あるんだけど、近代人の資格の有無を検査するにはちょうどいい絵踏かもしれない。 近代国家に生きる者の最低限の常識というのは「権力を持つ者を疑え」である。権力を持つ者=政府こそが、個人の人権と尊厳を最も侵す可能性の高い存在であると同時に、政府なくしては人権と尊厳を守ることもまた困難である。だからこそ我々は納税し、議員を選挙すると同時に、政府を徹底的に監視する必要がある。 住基ネットで自分は何も害は受けないから構わない、と考える人々は、近代国家に生きる資格がない、というか、生きていては危ないのではないか。 一概に国民を番号で管理することが間違いだとは、俺は思わない。牛が10ケタで人間が11ケタ、だから住基ネット反対、とかいう反対の仕方は糞である。しかし、自衛隊のデータすらも簡単に漏洩する政府、原子力立地給付金の受け取りを拒否した住民の情報を提供されていた自治体、そんな信用ならん権力に個人情報を集積する機会は極力減らす必要があると俺は考える。少なくとも今の政府・自治体に住基ネットなどおっかなくて使わせられるかい、と俺はハラハラしてしまうのである。
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2002/08/08 [木]
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■住基ネットの番号が送られてきた。普通郵便で送るな馬鹿! 住基ネットの仕組みについては新聞を読んでもいまいちよく理解できなかったが、 http://www.memorize.ne.jp/diary/01/07180/index.htmlこの方の8月6日の日記を読んでなんとか理解したつもり。ハッキングとかいう高度な手口より、モラルに欠ける自治体職員が、自治体端末からDBにアクセスして情報を抜くというのが一番簡単にありそうで恐ろしいねぇ。 番号は既に配られてしまったのでとりあえずどうしようもなく、番号が書かれた紙は大事に引き出しにしまっておいた。阿久沢によれば「住基ネットには反対です、と書いて番号を黒く塗りつぶして役場に返送する」という運動もあるそうだが、返送する前に番号を控えてしまいそうだし、太平洋戦争中の竹槍訓練みたいな意味のなさも感じるので、それはしない。何千人もが番号変更を毎日申請してサーバーダウンを図るとかいう手もあるかな?ま、気長に考えてみたい。 ■体脂肪を落とすのだ。決定。
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2002/08/09 [金]
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■仕事の合間が3時間ほど空いたので、梅田で『猫の恩返し』を観た。ほれほれ前向きになれ元気出せという映画は、サプリメント食品や課題図書に似ている。役には立つんだろうけれど、そういう何かの役に立つものというのは往々にしてそれだけのもんだったりして。併映『ギブリーズ』の音楽は上々颱風のドラムス、渡野辺マント。
■昨日買った本 北島行徳『弾むリング』(文芸春秋)
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2002/08/10 [土]
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■昨日はほんとに「疲れた」という自分を自覚した。座ったまま目を閉じると意識が飛ぶ。横になると3秒で寝てしまう。甘いモノが極度に美味い。今週を乗り切ればこの夏も終わりが見えてくるのだが。 あぁ、でも仕事は調子良いつもり。
■部屋の掃除をしたいと思うのだが、何をどうすれば整理できるのか皆目見当もつかない。机まわりなど目を覆うばかりの惨状を呈しているが、これらの本や書類、ファイル、珈琲カップ、文房具はどうすれば落ち着きよく配置できるのだろうか。 自分の性格が現れているようでなんかイヤなのだ。
■明日から妻子は実家に帰省するので1週間ほど孤独生活に入る。今年の夏は最初から最後まで仕事が入っているので俺は帰れないのだ。で、年末も既に12月31日まで仕事が入っていたりする。無意識の領域で帰省したくないと思っているのかもしれない。
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2002/08/11 [日]
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■北予備のタームが今日で終わりだったので、一人で打ち上げをする。フェスティバルゲートで大阪プロレス。前に観たときはまだディック東郷や星川や薬師寺がいたころだから、ずいぶん久しぶりだ。 当日券売り場にいきなりスペル・デルフィンがいる。取引先の人か何かと立ち話をしている。おい、それはイカンだろう。確かに故ジャイアント馬場は試合開始まで売店にいてサインをしていたが、それは、あの肉体がそこにあることで全日本の会場に来たんだ、という気分になるから納得できるのだ。これから戦おうという者がチケット売り場で金勘定していてはまずかろう。
■えべっさんがマイクアピールする。「おととい、新日本プロレスの試合に出てきました!…また機会があれば、殴り込んでいきたいと思います!」。こら、ここは大阪の会場だろうが。他団体の宣伝してどうする。新日本の試合にでた俺がここで試合しているんだぞ、という権威主義が気に入らない。俺はえべっさんやくいしんぼう仮面が新日に出たからチケットを買ったのではない。君たちの芸が観たかったから買ったんだ。余計なことを言ってがっかりさせないでくれ。新日に出たことくらい、新日を知っているファンならみんな知っているよ。黙っていつも通りの試合をしてくれたらかっこよかったのに。
■現在のヒールのトップはガンマというレスラー。短髪の金髪で、サッカーの中田という選手に似ていると評判である。ただこのガンマ、会社のために頑張ってヒールやってますってのが透けて見えてしまって、何だか辛い。良くも悪くも、ヒールとベビーをひっくるめた「一座」っていうかんじなんだな。ディック東郷がいた頃は、圧倒的な強さと、みちのくプロレス時代のいわゆるデルフィン股くぐり事件の加害者であることもあって、ヒールとして際だった存在だった。下手をすると、大阪プロレスの予定調和の世界を崩してしまいかねないほどの存在感を放っていた。ガンマもカルトも、大阪プロレスの社員として、このたび担当することになりましたヒールを頑張ってますよろしく!、ってかんじなんだよなぁ。
■会場は100人も入れば満員。だからすぐ目の前で試合しているし、場外乱闘なんて文字通り目と鼻の先だ。俺が床に置いた空のペットボトルで殴っていたレスラーがいた。痛くねえじゃんそんなの。
■メインイベントは、ガンマ&カルト&マグマ VS ブラックバッファロー&ツバサの3対2のハンディキャップマッチ。。試合はガンマがブラックバッファローからフォールを取って終わったが、ダメージが深く、試合終了後も数分間マットに寝たままだったマグマが突然ブチ切れて走り回り、敵味方見境なしに殴りかかって面白かった。俺も客席で右往左往逃げ回った。うん、こうでなくっちゃね。
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2002/08/12 [月]
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■仕事でOCRを使おうとしたら、スキャナが働いてくれなくて2時間ほど時間を取られた。スキャンする画面がえらく薄くて、OCRが文字を読みとれないのだ。このスキャナは最初のパソコンを買った1995年以来我が家にある最古のIT機器なので、そろそろ定年退職なのかなぁと悲観していたが、結局win98用のドライバを入れてみたらちゃんとスキャンするようになった。winXPの標準ドライバ(古い機械なので、専用のXP対応ドライバは提供されていない)だとダメなのだ。なぜかは不明のままだ。理由は分からないが、うまく行くならまあいいやと、その時点で追求をやめてしまうのが俺。 ■昨日読み終わった本。 北島行徳『弾むリング』(文芸春秋) →著者はあの障害者プロレス団体 「ドッグレッグス」の代表・アンチテーゼ北島である。障害者レスラーを容赦なくボコボコにする健常者レスラーだ。 引用。 「確かに、リング作りは割に合わない商売なのかもしれない。だけど、人間は割に合わないことにこそ、生きる喜びを見いだしたりする。」 これは将来何かの役に立つだろうかと考えて何かをしたりしなかったり、損得を考えて動いたり動かなかったりするのは8割程度の場合において正しい選択かもしれないが、それが10割に近付いている人々が多くないか。人はここ一番で取り返しのつかないこと、無駄なこと、不合理なことをしなければならないのだ。
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2002/08/13 [火]
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■今日は終日、自宅で原稿関係の仕事を片づける。スパイスセット買ってきてカレーを作り、昼・夜の孤独飯とする。明日の朝も多分カレー。
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2002/08/14 [水]
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■今週は大予備のターム。講義が終わって日本橋の電気街を歩いていたら、ベトナムカフェ+雑貨屋さんができていたので入ってみた。何を置けばよいのか理解不能な棚やら、底が深くて手が届かないゴミ箱(どうやってゴミを取り出すのだろう)やら、扉を開くとその扉が邪魔になって物を入れにくい小物入れやら、機能性をまったく無視して装飾美に徹した逸品が山ほど並んでいた。 これでいいのだ、と思う。こういう物を愛せる人になりたい。そもそも人生に効率や機能を持ち込んだらだめなのだ。こういう一見役に立たず実際役に立たない物を愛せない人は、きっと人生も愛せない。これらの愛しい物どもは、誰かの、または何かのためにあるのではなく、ただそこに在り、時の流れの果てに朽ちるのを待っているのだ。その僅かに間に、自分を愛してくれる人と出会うことだけを楽しみに。 結局、ココナツカレーの素と、初めて見た果物のシロップ漬けを買った。愛しい雑貨は1年くらいかけて出会いを待つことにする。
■今日買った本とLP 永島勝司『背広レスラー』(メディアファクトリー) ひがしのひとし『マキシム』(URCレコード) ※YAHOO!オークションにて
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2002/08/15 [木]
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■今日も講義が終わった後、足が自然とフェスティバルゲートに向かってしまい、気がついたらわくわくしながらデルフィンアリーナ自由席。また大阪プロレスを見てしまった。なぜ俺はこんなにプロレスが好きなんだろうか。僕プロレスが好きだ。中途半端な気持ちじゃなくて。ほんとに心から好きなんだ。僕プロレスが好きだ♪
■今日も受付にスペル・デルフィンがいる。しかも自分で受付をしている。「毎度おおきにぃ」と言いながらチケットをもぎってもらった上、お釣りまで渡してくれる。つい「こんにちは」と挨拶をしてしまった僕。 メインイベンターが試合開始前にひょこひょこ出てくるものじゃないという考えに変わりはないが、デルフィンがマスクの奥の円らな瞳で「おおきにぃ」と言うのを聞くと、まぁ、これはこれでアリなのかな、という気になってしまった。 今日はブラックバッファローが負傷欠場。今の大阪では一番好きなレスラーだったので少し残念だが、“亀戦士”トゥルトゥガーが特別参戦していたのでちょっと得した気分だ。若手の試合が良かったな。高井憲悟&くいしんぼう仮面 VS カルト&マグマの試合で、くいしんぼう仮面がつかまってピンチに陥る度、高井が大まじめに「くいしんぼうさん!」と絶叫するのが可笑しかった。
■デルフィンアリーナみたいに、100人でちょうど良く、200人でかなりいっぱい、というくらいの会場が好きだ。ドームや城ホールよりライブハウスが好きなのと同じ理由だ。 プロレスが好きな理由の一つに、ナマの人間が汗や血を流し、顔を歪めて戦っているのを見ると心が震えるからである。レスラーのバイブレーションが伝わってくるのが快感なのである。プロレスに限らず、バイブレーションが伝わってくるのは気持ちが良く、元気になるものなのだ。だから、レスラーと近い方がいい。せめて表情が見えるくらいでないと伝わらない。
■土曜日の試合より客入りがよかったためか、選手のノリも良く、満足度の高い興行だった。しかし、メインでえべっさんふざけすぎ。試合中にしゃべりすぎ。メインでお笑いをやりすぎると締まりがつかず、よっしゃ!という気分にならない。えべっさんはちゃんと試合できるレスラーなんだから、メリハリを付けてもらいたい。デルフィンもデルフィンで、楽しすぎ。若手に期待するのはいいが、あんたの団体なんだからあんたが一番仕事しなきゃだめじゃないか。
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2002/08/16 [金]
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■わあああ!夕方の6時半に眠りに落ちて朝の6時までノンストップで寝ちまった!寝過ぎて身体中がバキバキだ。なおかつまだ眠い。久々に永久睡眠理論(寝過ぎて寝疲れて、いつまででも寝てしまう)にはまりこんでいる。そろそろ仕事いかなくちゃ。
■昨日はテアトル梅田で『ピンポン』観た。話を端折っている感は否めないが、面白かった面白かった。 俺は結局、何ほどの才能にも恵まれず(また望みもせず)、それゆえアクマやペコのように悩んだりもしなかった。ただ、こういう映画を観たり、いろんな音楽を聴いてワクワクしたり泣きそうになったりできることはシアワセなことだと思うぞ。
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2002/08/17 [土]
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■「テロに対する先制攻撃も必要」って、そういうのをテロっていうんじゃねえのか?まさに世界最大の開き直りテロ国家=アメリカちゃん。アメリカ人もスタバも好きだけど、アメリカ国家と政府は大嫌いだ。何でこんなに頭が悪くて知性と品性に欠ける国なのだろうか。なのにどうしてあんなに強いのだろうか。そして、強いのにどうして優しさというものが欠片もないのだろうか、あの国には。象さんを見習ってほしい。 ■引用。E.W.サイード『戦争とプロパガンダ』より。 彼は、何かをして反撃したいのです。これは、ほんとうにせっぱつまった人間が、不当に押しつけられた状況から自分を解放しようとして訴えた行為として理解することができるでしょう。それに賛同することはできませんが、少なくとも理解することは可能です。 ■毎晩ウォーキングしている俺だから分かる。今年の夏も息切れしつつある。秋は地平線のあたりまでは来ているぞ。俺は勝った。
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2002/08/18 [日]
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■一仕事終えて、夕方に三宮の市役所前でソウル・フラワー・モノノケ・サミットを聴く。震災後、年に2回ずっと続いている震災イベントでのライブだ。 自分の原点というと大げさすぎるが、鉄道の切り替えポイントみたいなシーンが俺の37年の中に確かに何回かあって、1981年、高校2年の時に東京の中野駅前広場でやっていた中野民主(くさのね)コンサートなどはかなり大きなポイントである。あの時も、夕焼けの中、トラックを2台並べて作った特設ステージの上で、ギターやドラムやベースが響いていた。紅龍&ひまわりシスターズ、ホン・ヨンウン、白竜、ひのこバンド。老若男女、てんでに手や足を振り回しながら、目を閉じたり口を開けたりして踊っていた。俺はロン毛の汚らしい高校生であった。 追憶は後悔すべき美化につながるのでこれ以上は止めておく。20年以上経った今日も俺は、夕焼けの下、野外ステージの下でふらふら踊っているのである。しかも俺の腕の中には20キロに達した文人がいる。文人もニヤニヤ笑って揺れている。 あのときの俺は馬鹿だったなぁと穴があれば入りたくなることは星の数ほどある。一方、あのときに感じた昂揚は確かにホンモノだったよと胸を張って言えることもごく稀にあるのだ。
■今日やった曲。『水平歌〜農民歌〜革命歌』『聞け万国の労働者』『がんばろう』『満月の夕べ』『お富さん』『インターナショナル』『アリラン』『さよなら港』。他になんかあったような気もする。『インターナショナル』は何度聞いてもおおおおおっ!って気になるねぇ。いい歌だ。
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2002/08/19 [月]
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■梅田で阿久沢と『チキン・ハート』を観た。忌野清志郎が出ている映画だ。『ピンポン』みたいにカタルシスがある映画と、『チキン・ハート』みたいにカタルシスがない映画があって、昔はカタルシスがないと入場料を損した気持ちになったものだが、さすがに最近はそういう対症療法的な映画の見方はしなくなった。ヨノナカもニンゲンも割り切れないものだから、その割り切れなさが「成る程…」と頷くような表現になっていれば納得するのである。 忌野清志郎や遠藤賢治のような50歳になってみたい。泉谷しげるでもいい。
■そして、太融寺近くのラブホ街のど真ん中にあるタイ料理屋で夕食。日本人用にアレンジしていないので超旨辛であった。胃にスパイスがじんわり沁みている。明日の朝、糞が大量に出そうだ。
■文人の誕生会で食べたケーキが大量に余っていたのでありがたくいただく。体脂肪リストラミッションは今日のみ全舷。
■昨日読み終わった本。 阿久悠『転がる石』(文芸春秋社)
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2002/08/21 [水]
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■京都で3時まで講義した後、新神戸での会議に出席。会場は新神戸オリエンタルホテルなので、京都駅から新幹線で行こうとしたが、新大阪以西の接続の悪いこと悪いこと。普通に乗り継いだら新大阪で30分近く待たないといけないのだ。 それでは遅刻してしまう。仕方がないので自由席特急券のまま、京都駅から博多行きの「のぞみ」に飛び乗る。。すぐに便所にこもり、新神戸までの30分間、洋式便座に腰掛けて、京都駅で買った『週刊SPA!』を熟読。 ■その『週刊SPA!』に、敬愛すべき友人であるプロ市民・ 日比野真のパレスチナ体験が1ページ載っている。「イスラエルは人権を尊重するとっても民主的な国でした。それなのに、パレスチナ人だけは人間だと思っていない」と。 日比野の肩書きは「フリー活動家」となっているが、やはりここはプロ市民・ニセ市民としてほしいところだ。プロ市民・ニセ市民はヨノナカの進歩のために必要な存在である。プロ市民・ニセ市民であるというだけでその発言や行動が胡散臭いものであるかのような捉え方をされがちだが、言論と行動の価値はその主体如何ではなく、内容で判断されるべきである。大杉栄も「思想に自由あれ。しかもまた行為にも自由あれ。そしてさらにまた動機にも自由あれ」と言っている。 ■今日買った本 清水ちなみ『大育児』扶桑社 大塚英志『私たちが書く憲法前文』 小谷野敦『退屈論』
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2002/08/22 [木]
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■このまま秋に雪崩れ込んでくれないだろうか。この夏もやっと生き延びた。身体中の細胞が戦時状態を解いたのか、割と睡眠時間は確保しているはずなのに眠い眠い。でもいい感じの眠気だ。下らないことをいつまでも考えながら、昼寝していたい。
■摂津本山駅で、JRの各駅停車がホームに滑り込んでくるシーンをハンディカメラで撮影している欧米系の旅行者2人。 俺も旅行に出て日常生活を観たいタイプなので、何だか親近感を抱いた。どこの街に行っても、本屋とCD屋と喫茶店をめぐってしまう。寂れた商店街やスラムっぽい一画や駅地下を歩くのが好きだ。神社仏閣も好きだが、ベンチや階に座り込んでボーっとしているうちに時間が過ぎていく。 タイに旅行した時のことを思い出す。俺を含む日本人旅行者はタイ人みたいになりたくて、タイの農民が着るような服をわざわざ買い求めて着たがるが、タイ人は欧米人もしくは日本人のようになりたいと思っていて、「そんな格好はやめなさい」と言う。俺がカタコトのタイ語で話しかけてみると、タイ人はカタコトの日本語で返事をしてくれる。
■俺はどこにいても日常ってやつをやってみたいのだ。それだけ俺が日常じゃないアタマを抱えて生きているということなのかもしれない。
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2002/08/23 [金]
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■麦人をかなりシビアに叱り飛ばしてしまった。文人が同情して「ごめんなさいって言っているから許してあげれば…」と言うほどに。 阿久沢が泊まりなので、俺が子供にメシ食わせて風呂入れて寝かせる夜だった。9時半になったので子供を風呂に入れるべく、てんでんに遊んでいる二人に「お風呂入るぞ〜」と声を掛ける。文人はすぐに「はーい」と返事して服を脱ぎだしたが、麦人は『あずまんが大王』第4巻を寝そべって読んでいて返事もしない。 まぁ、ここまではよくあることなので、先に俺と文人で風呂に入ったが、麦人は一向に来ない。「おい!早くしろ!」「おにいちゃ〜ん、お風呂入ろうよ〜」と俺と文人でかわるがわる声を掛けるが返事もない。そうこうするうちに文人は身体も頭も洗い終わり、歯磨きまで終えてしまった。仕方がない。2人で風呂を出る。 すると麦人はまだ仰向けにひっくり返って『あずまんが大王』を読んでいるのである。マンガが好きなのは良いことだが、共同生活を営んでいる以上はルーティンの励行に協力するのが義務であろう。ただでさえこの長男は、マンガを読み出すと他のことはまったく視野に入らない習性がある。今日に始まった話ではないのだ。マンガを読みながら宿題をやろうとするし、「ごはんだよ!」と声を掛けてもいつまでもマンガを読んでいる。 フォークギターの1弦が切れるくらいの軽いキレ方ではあるが、俺のアタマの中でブチっと音がした。『あずまんが大王』第4巻を麦人の手からひったくり、窓から外へ投げ飛ばす。柵に当たる音がした。「うううううううぅぅぅぇ…」と咽び泣き始める麦人。「ごめんなさひぃぃ…」と、彼にしては珍しくすぐに詫びが入った。
■俺も真に腹が立つのは一瞬のことであり、この怒りを持続するのは正直無理があるのだが、もう引っ込みがつかないのでここからは演技である。「全部捨ててやる!」と大見得を切って、泣いている麦人を尻目に、部屋にあるマンガを次々にゴミ箱に放り込む。目を大きく見開いて、麦人は動揺している。一通りゴミ箱に放り込み終わったら部屋の明かりを消して「寝るぞ!」と子供たちに命令する。文人が「ごめんなさいって言ってるから許してあげればぁ…」とぼそっと言う。なんだかんだ言って兄弟は連携して親に対抗しようとしているのだ。佳きかな。 15分ほど麦人の泣き声を聞いたところで、「何で怒られたか分かるな?」と、大団円の準備へ。こくんと大きくうなずく麦人。「よし。じゃあお風呂に行ってきなさい」と、風呂に麦人が入っている間に、捨てたマンガを全部回収して所定の箱に戻した。「あずまんが大王」だけは明日の朝回収することにする。
■関西文理での俺の講義を、京都市内の高校の先生が見学に来た。なかなか熱心なことだ。ただ、」俺の授業なんか見るよりも、自分の生徒に授業が分かるかどうか、面白いかどうかを聞いて見る方が、100倍くらい骨身に沁みて参考になると思うがなぁ。逆に、俺に授業を見せて批評させるとかね。
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2002/08/24 [土]
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■今日で今年度の夏期講習は全部終わり!明日からやっと夏休みだ。自分への褒美として、京都駅アバンティで足裏マッサージをしてもらう。30分。 今日俺を担当してくれたおねえさんは比較的優しく揉んでくれる人。こういう時、痛いほどツボを押してもらわないと損したような気になってしまう。俺にはどうも過剰を尊重するようなところがあり、風呂も熱くないと入った気がしないし、床屋に行けばとにかくたくさんカットしてもらわないともったいないような気がするし、お代わり自由のメシ屋ではゲボが出そうになるほど詰め込んでしまう。 だがしかし、こんなふうに優しく押してもらっても十分に気持ちがよい。それどころか、この方がより良いに違いない。腹八分目、七分目で満足することを知るべし。 マッサージが後半に入るあたりから、胃腸の動きが活発になってきた。よい刺激になるのだろう。それは良いのだが、腸が活発に動くあまり、屁が出そうになって困った。
■今日読み終わった本。 川上潔『アカ』(筑摩書房) →面白い〜。引用したいフレーズがたくさんあるので、後日まとめて書く。昔の左翼ってなかなかに面白い。学ぶべき部分多々あり。
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2002/08/25 [日]
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■近所の夏祭りで学童保育がビールを売るというので、ちょっとだけ手伝いに行った。普段は子供が走り回ったり、高校生がいちゃこいたりする公園の真ん中に櫓が据えられ、提灯が至るところにぶら下げられた。夕闇が濃くなって提灯に明かりが灯ると、何だか夢のような光景になった。 何でもない場所で祭りをやるから、それは祭りになるんだ。何でもない今日と此処が、間違いなくアノ世や異世界につながっていることを示すために、祭りがある。大阪プロレスの常設会場・デルフィンアリーナが、見やすくてよい会場なのに今ひとつ心躍らない理由が分かった。常設されているリングではダメなのだ。何でもない体育館やホールにリングが据えられ、異形のレスラーが組んずほぐれつ殴り合い、そして次の朝には跡形もなく消え去っている。それが大切だったのだ。
■沖縄へ行く。3日ほど。その間は更新しません。
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2002/08/28 [水]
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■2泊3日、沖縄へ行って来た。子供連れなので、リゾートホテルに泊まってあまり動かず、食って寝て泳いでいた。いやぁ最高。 ホテルは宜野湾市にあるので、那覇に出るのもそれほど時間もかからない。で、沖縄に着いたその日、少し泳いで夕食を済ませた後、国際通りの「チャクラ」へ出陣。言わずと知れた 喜納昌吉&チャンプルーズの常打ちライブハウスである。 俺は全ての音楽は宗教であると考え、宗教でない音楽など糞だと思っている。グッドミュージックを聴き続けることイコール生き続けることである。喜納昌吉は、そのことを最もはっきりと示してくれるミュージシャンの一人である。さしずめ尊師というところか。「チャクラ」は昌吉サティアン。ライブは祈祷だ。 ■最初に昌吉の父上である喜納昌永師匠のバンドが登場し、琉球民謡を数曲。琉球舞踊をはさんでいよいよチャンプルーズ登場だ。3曲ほど昌吉抜きで演奏した(いきなりしょっぱなから『命のまつり』を演ったので嬉しくて笑ってしまう)。そしておもむろに尊師登場である。喜納昌吉がバンドと客席に一瞥をくれた瞬間に空気が変わる。ざわっと風が流れた。祈祷の始まりである。 ■喜納昌吉を見るたびに思う。プロレスラーを見ても思う。この世にはオーラを持つ人間とそうでない人間がいる。オーラを持つ人間の前にいると、顔が笑えたり口が開いたりしてしまう。体が軽くなって動いてしまったりする。昌吉のこの存在感、魂が震える感じはいったい何なのだ。ビデオで観たことのあるボブ・マーリィ、彼によく似ている。僕、グッドミュージックが好きだ♪中途半端な気持ちじゃなくって♪ほんとに心から好きなんだ♪僕、グッドミュージックが好きだ♪ 阿久沢が言う。「昌吉はきっと、その気になったら人を呪い殺せると思う」。同感である。 ■締めの一曲はやっぱり『花』であるわけで。俺はライブで手拍子を打ったり一緒に歌わされるのが大嫌いなのではあるが、「泣きなさい、笑いなさい…」は、もう身体が歌ってしまう。歌うなと言われてもこれは歌ってしまう。 俺はこういう歌を知っているのだ。だから、「『君が代』を歌うように指導する」などという文部科学省や教育委員会のコメントを読むと可笑しくてたまらないのだ。指導しないと歌われない歌、そんな小さい歌を歌わせて何ほどのことがある。指導なんかしているうちは、歌わない者を指さして爪弾きにしようとしているうちは、お前達に勝ち目なしだ。勝手に指導してろ。俺は、ほんとにいい歌をいっぱい知ってるんだよ。
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2002/08/29 [木]
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■沖縄では泳いでいるかごはんを食べているか寝ているかしていた。つくづく俺は貧乏性で、プールや海に入るとつい泳いでしまう。遊泳区域を囲んでいるフェンスまで行って帰ってこよう!と思い定めて、息を切らして泳いでしまう。ただ土左衛門のように浮かんでみるとか、プールサイドにただぼーっと座っているということが長続きしない。泳いでいないと申し訳ないような気がして手足をばたばた動かしてしまう。これではだめなのだ、と思って長いすに寝そべっていても、焼かないと損だぜ、とか心のどこかで思っているみたいで背中が痛い。情けない。 ■で、背泳ぎで脱力して浮かびながら考えた。アタマの中で鳴り響く音楽はもちろん 目的は何もしないでいること そっと背泳ぎ決めて浮かんでいたいの 行動はいつもそのために起こす そっと運命に出会い運命に笑う フィッシュマンズ『素晴らしくnice choice』 だ。地上で生きている限り、我々は時間の流れと重力からは決して逃れることができない。化粧をしてみたり髪を金色にしてみたところで、時間の流れに抵抗してますよという意思表示以上の域を出ない。ただ、水に浮かんでみることで、ごく限られた範囲ではあるが、重力からはしばし逃れることができるのだ。これって結構スゴイことではないか。…などと考えていたら、麦人が水を顔に掛けたので沈没してしまった。 ■国際通りの市場の入り口にある食堂で食事をした。電機屋の3階ににあって、体当たりをすればベニヤでできた扉は簡単に突破できそうな作り。雑居ビルというのもおこがましい怪しい建物で、台風でできた廊下の天井の穴は放置されているとおぼしい。トイレに行くためにはいったん店を出て廊下を歩く。麦人は「ねこがいる…」と言って、途中で引き返してきた。 メニューを見ると「フーチャンプルー」というのがある。チャンプルーの一種であることは分かるが、「フー」が気になる。我が家の次男・文人は「ふーちゃん」だからだ。当然注文する。料理が出てくるまでの間、「フーチャンプルー」とはどんなのだろうとしばし考える。文人は「あのね、おとうふの上でふーちゃんの指をちょっと切って、血のじる(血液のことをかれはこういう)を垂らしたんじゃないの」と予想。 結局出てきたのは、野菜を卵でからめて炒めたものだった。「ふーちゃん、ちょっとうそをついてあげようか?あ、ママがふーちゃんを食べた。痛い痛い」と。
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2002/08/30 [金]
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■引用特集。 思想は冷凍保存を許さない。(古在由重)世の中のあらゆる熱狂は、現実を無視することによって成り立つ。歴史的に根拠のない日本精神とか大和魂とかのイデオロギーは、歴史にも現実にも眼を背けることによってのみ民衆の心をつかむことができた。(川上徹『アカ』) 少なくともこうは言えるだろう。人が大人になってからする人生の選択には、たとえそれが他者による影響のもとで行われたものであったとしても、それを呼び込む魂は彼自身の体内のどこかで培われてきたのだと。(同) 過去は単に過ぎ去った事柄ではない。あらためて発見されるものである。そこで何を発見するかは、現在の私が何を考え、何を感じ、どう生きようとしているかによって決まることである。だから、明日にもまた発見されるかもしれないし、もう発見できないかもしれないという意味で、私自身の未来にかかわることでもあるのだ。(同) ■今日買ったCD。 ソウル・フラワー・ユニオン『ラヴ・プラスマイナス・ゼロ』
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2002/08/31 [土]
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■学童保育の一日指導員というのに行った。夏休み中は保護者が毎日交代で入って経費削減を図るというのが第一の目的。さらに保育の様子を親が知り、みんなの子供をみんなで面倒を見る共同保育の意義を確認するという位置づけもある。午後から短時間の会議が入ってしまったので、阿久沢にその間は代わって入ってもらうことになった。 小学生の子供たちだから、ほっておけば勝手に遊んでいる。指導員にも自分たちのやり方があると思うので、こっちから子供たちに積極的に働きかけることはせず、子供たちが相手にしてくれるときだけ、俺も動く、という感じ。午前中はまずみんなで宿題をする。ついつい遊んでしまったり、他の子にちょっかいを掛けてしまう子供を注意する程度。隣の小2の女の子が漢字練習をしているのを見ていたら、その子が「コンタクトレンズをしているでしょう?外してみせて」という。妙なことに関心を持つものである。 宿題をやり終わったら、10人ほどの子供たちがドッジボールをやろうというので、いっしょに公園へ行く。ドッジボールなんて小学校卒業以来ついぞやった記憶がない。俺と指導員の2人でオトナチームを組んで、子供全員チームを相手にして片っ端からぶつけまくって全滅させる。ああ面白え。 はしっこい麦人は逃げるのが上手い。投げる方はまだ片手投げができず。両手で斜めから振り下ろすように投げるため、相手チームにパスしているようなものだ。まだまだ修行の必要がある。
■喜納昌吉も使っていたが、「沖縄の心」とかいう言い方で平和を希求する心情を語るやり方、俺は好きではない。 ウチナンチューの中には米軍基地の存在と全ての戦争に反対し、「全ての武器を楽器に」のスローガンのもと、絶対平和の思想を世界にひろめていこうとする人々もいるだろう。俺もそういう人々に対して敬意を払うことに吝かではない。しかし、基地がなければ沖縄の経済は成り立たないから基地は撤去すべきではないと考えるウチナンチューもいるだろう。正しいか誤っているかとは別問題として、そのように考える人々がいるということが重要だ。それをまるでなかったかのように「沖縄の心」=絶対平和・基地撤去、と括ってしまうのは乱暴すぎる。「日本人は天皇を敬愛している」などという言い草を耳にすると、俺などは、へっ!俺はその日本人とやらの仲間には入れないでくれ、と冷笑したくなるが、「沖縄の心」という言い方にも同じような働きがあるのではないだろうか。
一人称でものを言いたい。「日本」「沖縄」あるいは「党」に何かを考えさせたり、判断の重要な部分を依存するのではなく、俺がこう思うのだ、と断言したい。
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