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2002/04/01 [月]   君の居ぬ世界にメロディー暗く流れ大きな答え出しあぐねたまま


■NHKラジオで北山修がしゃべっていた。肩書きは「精神科医」と紹介されていて、もちろん間違いではないんだけど、やっぱり「じーきるはーいどです!ひゃっひゃっひゃ!」という北山修=自切俳人のカードを最近切ってこないのは寂しいのである。50過ぎてやってくれたら、ほんとに尊敬します。今でも少しはしてますけど。

 で、番組の中で、フォーク・クルセダーズの『イムジン河』が最初から最後までかかった。『紅白』でキム・ヨンジャも歌っていたことだし、レコードの発売が自粛された三十数年前を考えると隔世の感があるが、聴きながらこちょこちょと考えた。

 日本による朝鮮植民地化や、その後の皇民化政策・強制労働や、朝鮮人女性に従軍慰安婦となることを強制したことは、大日本帝国の誤った政策であったと考える。少なくとも、「従軍慰安婦など存在しなかった」と嘘を宣伝したり、「ロシアやイギリスやアメリカのアジア侵略に対抗するためにはやむを得なかった・必要であった」と正当化することは見苦しい。「日本が植民地にしたおかげで、韓国の近代化の基礎が作られた」と風が吹いたら桶屋が儲かる的な理屈を捏ねる連中は、日本が朝鮮を植民地にしたことが、今日に続く南北朝鮮分断の原因であることには口を拭うのが通例である。
 問題はその先にあって、「それは俺とどういう関係があるのか?」ということだ。日本政府に補償を求める元従軍慰安婦の要求は正当だし、「金が欲しいだけだろ」などと言う輩にはクソ掛けてやるよ(長州力風に)と思うのだが、日本政府と共にこの俺が謝罪したり反省する必要があるのだろうか、または、その資格があるのだろうか。

 つまり、日韓併合も皇民化政策も強制労働も従軍慰安婦も、俺が生まれるはるか以前に起きたことであり、俺が直接手を染めたわけでもなく、当時の日本政府・軍部の意志形成に俺は何ら関わってもいない。となれば、俺が日本の朝鮮植民地支配に何らかの責任を感じ、行動を起こすとすれば、俺が大日本帝国を構成していた天皇と日本臣民の後継者であることを自認すること、言い換えれば、日本民族の一員であることを引き受けるという自覚が必要になる。
 それが俺にはどうもピンとこないのである。親や祖父・祖母がしたことは、それが良いことであっても悪いことであっても、しょせん親や祖父・祖母がしたことに過ぎず、その子孫に無条件で引き継がれる訳ではないと考える。皇太子が婚約した折、皇太子妃雅子の祖父が水俣病原因企業チッソのオーナーであることをもって彼女を貶めようという記事も見られたが、たとえチッソ関係者が一族にいたとしても、それは雅子の責任ではない。皇室を無理して存続させることに意味はないと俺も考えるが、それとこれとは別問題だ。
 かつて中核派の機関誌に「朝鮮人民への血債にかけて」なる表現がよくあった(今もあるかも知れないが読んでいない)が、血債を負ったのは俺たちの祖父・祖母の世代であって、なぜそれを俺たちが無条件で相続することになるのか。いや、いっさい相続する余地がないと言うのではない。何の自覚も覚悟もなく、血債を相続するというのは軽すぎるのではないかと思うのだ。その覚悟とは、中核派がよく言っていたように「命を賭けて闘」えば良いというものではない。それも思考停止の一形態に過ぎない。

 「政治的」に立ち回ること、すなわち韓国と日本の経済交流を活発化するとか、北朝鮮との緊張を和らげるとかいう目的で、日本政府が「反省」し「謝罪する」、というのは、まぁヘンな感じはするけど、それはそれでアリだと思うんだよ。誰も困りはしないし、良い方向に進む材料にはなるんだから。
 でも、俺が個人として「反省」し、「謝罪」するのは全く別だ。朝鮮人女性を従軍慰安婦に動員し、皇民化政策を強制したかつての日本人たちと俺とがどう関係しているのか。関係があるのか。そこのところを突き詰めていかなければ、反省も謝罪もあり得ない。(たぶんいつかに続く)

■おととい買った本
ユセフ・トルコ『プロレスへの遺言状』(河出書房新社)
→ユセフ・トルコがまだ存命だったとは知らなかった。失礼しました。プロレスについて誰かが何かを語るのを聴くのはシアワセである。


2002/04/02 [火]   春休み制服を着ぬ少女らは母と腕組み交差点渡る


■麦人は今週から小学生に進化した。保育園ではなく、昨日から学童保育に通い始めている。本来は放課後、午後5時まで面倒を見てくれる場所だが、長期休暇時は8時半から開けて、子供を預かってくれるのだ。
 彼にとっては大きな環境の変化なので、まぁ大丈夫だろうとは思いながらも、昨日はどうなることかとハラハラして彼の帰宅を待っていた。上級生の存在に萎縮しはしないかとか、歓迎代わりのちょっとしたちょっかいを受けていないか、とか。もちろんそんなことはこれから幾らでもあることだし、そんなんでめげるようでは困るのだが、やっぱり麦人の泣き顔や落ち込んだ顔は見たくないのである。

 昨日。同じマンションの5Fの子と一緒に帰ってきた麦人はニコニコしていた。「どうだった?」と尋ねると、「ドッジボールをした。面白かった。でもおにいちゃん(=上級生)に『ぼけ』って言われた」。「こわいお兄ちゃんはいる?」「……」。一日で小学生の顔になっていたのに驚いた。目に力があって、肝が据わった感じ。やはり環境は人を変えるのか。
 今日。今日は一人で家に入ってきた。「たっだいま〜」「今日はどうだった?」「頭にボールを2回ぶつけられた」「痛かったか?」「ううん。でも、2回こけて泣いちゃった」。「友達はできた?」「……。でも、ちょっと話はしたよ」。
 まぁ、順調といっていいのだろうか。麦人は親にかなり気を遣う子供なので、心配を掛けないように配慮しているのかもしれない。

■日付が変わる前後に、毎日自宅周辺を走っているが、角々に自転車やバイクをとめて、数人の若者が集ってうだうだと談笑している。春休みだし、あったかいし、でも金はないしで、路上で話の花を咲かせるのだろう。佳い光景である。中年や老人もこうありたいものだ。



2002/04/03 [水]   今生の別れに一つ踊りましょう 散る桜花に神様宿る


■午前中、新学期に備えて散髪に行く。いつもの床屋さん。全体を脱色して金髪にしてもらった。#F3E731という感じだ。春だし。今年も暑くて太陽が眩しそうだから、負けないような明るい色系のシャツをアメ村か高架下で買いに行こう。8ヶ月のお父さんとなった床屋の若旦那は、赤ちゃんのかわいさをずっと語り続けていた。

 床屋さんでもなければ見ない選抜高校野球をテレビで観戦する。ちょうど広島商業がメタメタに打たれている時だった。受験生でも、普段は圧倒的な実力を模擬試験で発揮しているにもかかわらず、何かの拍子でペースを崩して本番でボロボロになってしまうことがある。防ぐための確実な方法などないかもしれないけれど、そういうことがあり得ると言うことを、来年受験する人たちは知っていてほしい。逆に、今年の阪神のようなこともあるのだから、気分とか勢いというものは大切なのだ。特に勝負事では。

 いつもは気にも留めないのだが、今回はなぜか眉毛が黒いのが気になる。今度カットするときに少し色を抜いてもらおう。

■天気予報が「明日は雷雨があるでしょう」というのを聞いて、文人は「ライウ?わかった、レイブ(RABE)のことか!」と自分の知っている。テレビ番組を挙げる。麦人は「何言ってんだよ!ライブっていうのは、人が歌うことだよ!」と恥を上塗りする。もちろん訂正はしない。

■今日も学童保育に朝から行った麦人は、夕食時に「今日はおにいちゃんに将棋を教えてもらった!」と言う。少年とは親に自分のことを話さぬものだから、彼の気持ちは僅かな言動や顔色を通じて推測するしかないのだが、この分ならきっと大丈夫だろう。「歩が一番前に並ぶの。飛車はびゅーんて前に行けるんだよ。王様は前へも後ろへもどこへでも行ける」と説明してくれた。


2002/04/04 [木]   十七の俺が隠した不発弾花散り積もり増殖しゆく


■今日も眠い眠い眠い。春だけが眠いだけではなく、俺は一年中たいてい眠いのだが、春の眠さは格別だ。身体が未だに成長や生殖に備えてエネルギーを蓄えているようだ。もういらんっちゅーに。
 前にも書いたことだが、人は「明日、元気に活動するために今日しっかり眠る」タイプと、「今日、気持ちよく眠るために起きて活動する」タイプがあり、紛れもなく俺は後者である。ここのところを勘違いすると、少し辛い人生になるかもしれない。大学に合格した若い皆さんは、講義やサークルなど二の次でよろしいから、まずはよく眠って、自分がいかなる人間であるかをよく考えよう。

■三宮〜元町高架下でTシャツを2枚購入。おさるの柄のが気に入ったので。あとは体重を落とすだけ。今夜も走ってくるとしよう。


2002/04/06 [土]   国家の名冠せぬ故かアルカイダ・アブサヤフなどどこか爽やか


■麦人も文人もベネッセコーポーレーションの看板商品「進研ゼミ」のユーザーである。今日、麦人が初めて提出した小学講座「チャレンジ1ねんせい」の答案が、「赤ペン先生」に添削されて返ってきた。麦人は、教材が届いた日に添削課題をやり終えて提出してしまったし、本冊の書き取りや簡単な計算問題のドリルも、3日以内には全部終わらせてしまうのである。で、今日返却されてきた赤ペン入りの添削答案を眺めては「よーし!やったぞ!」と、呆れるほど教材開発者の思う壺にやる気を出しまくっている。

 俺も受験産業に身を置く人間なので、塾も予備校も通信添削教材も、本人がその気でやらなければ豚に真珠以下になってしまうことは熟知している。だから、「やる気」を引き起こさせるまでが仕事の半分から三分の二を占めると思っている。その視点から見ても、この会社の教材の完成度は驚嘆に値する。

 「進研ゼミ」の、子供に「やる気」を起こさせるツールに、やり終えたページにシールを貼る、というのがある。1ページやり終えるごとに、小さなシールを見出しの横に貼り付けるのだ。添削課題を提出しても、何十枚か集めるとプレゼントがもらえるという特別なシールが添付されて返ってくる。この、「小課題達成」→「小さなご褒美」、という繰り返しがミソなのだろう。
 目の前にチンケなニンジンをぶら下げてどこまでも走る馬のようだと言ってしまえば実も蓋もないが、凡人がその程度のことでそこそこ頑張れるのであるから、そう捨てたものでもない。

 大卒の両親の間に生まれた彼らは、おそらく大卒以上の学歴を身につけることになるだろう。俺もその予定で資金計画を立てているのである。ただ、学歴商売でメシを食っている俺であるから、その限界などはいちおう分かっているつもりだ。すなわち、
1.俺も阿久沢も世にいう有名大学を卒業したが、所詮はこの程度のモンである。
2.多くの人が感じているように、大学の偏差値序列と、人間のセンス・知力、ひっくるめて頭の良さは繋がらない。もっとも、ホントに有能で賢い人々は、受験勉強など小指の先でこなしてしまうので、有名大学にそういう人間が多いことはあり得る。もちろん、そこに多いかもしれないというだけで他にいないというわけではない。
3.受験勉強という作業を確実にこなし、いわゆる有名大学に入学できた人々には、そういう一定の作業を効率よくこなせるという品質保証は伴う。
 要するに3があるから、企業はある程度は安心して学生を採用するということだろう(その程度ではあるが、これが意外に大きなアドバンテージではある)。

 麦人はそういう、学歴で保証された労働力品質を売りにして生きていくタイプなのかもしれない。それはそれで能力の一つだし、この世の99.9%は凡人に過ぎぬから、学歴でも何でも利用できるものは利用してメシ食っていかなければならないわけで、それだって十分に「生きる力」の名に値する。飽きるまでやればよかろう。飽きたらまた考えればよいのだ。


2002/04/07 [日]   抜け落ちた乳歯の隙間成人の君の表情想像してみる


■麦人が通う学童保育の保護者の会合。10時過ぎから話し合いを始めて、午前2時までやっていた。運営をめぐってこれが正解という答えなどどこにもない中、原則論と現実論が交錯し、時計はどこまでも廻っていく。
 学生時代、寮でやっていた会議を思い出した。どうやったら寮を残せるかをみんなで考え、ビラの文章の一字一句をめぐり、あるいは教官たちをいかに追い詰めるかをめぐり、あるいは敵対的な人々にどのように対応するかをめぐり、明け方まで議論をしたものだ。ただ、今はあの頃ほど体力も自由になる時間も少ない分だけ、ちょっとしんどいかも。

 どこでも、時間と重ねられた言葉の量が納得のいく合意に至る唯一の道なのに違いない。強力そうに見えるリーダーの言葉に従うのは楽だし、効率良く見えるかもしれないが、遠回りの道がいちばんいい道なんだろうなぁ、と再確認したのである。


2002/04/08 [月]   たった一つ心の底から笑うため生まれてきたと向日葵は咲く


■30台以上ならみんな知っている『ピンポンパン』の壁紙をネットで見つけて、我がPCに遷座賜った。しんぺいちゃん・カータン(かっぱの着ぐるみ)・青虫(?)がポーズを取っているやつ。
 俺が麦人くらいだったころ、実家のテレビは色合いが不調で、本来緑色のカータンが黄色に映っていた。新しいテレビに買い替えたとたんカータンが緑色に変わったので、友達に「カータンが緑色になったぞ!」と説明してクビをかしげられたのをまだ憶えている。
 ネットが普及して、世代の共通体験を思い出すことが容易になった。検索エンジン一つ開くだけで、30年前のことが思い出せるのだから便利なモノだ。ありがたい。でも、6歳の俺が毎日眺めていた黄色いカータンだけは、俺の心の中以外、どこにも居ない。

■2ちゃんねる。
早川義男スレ
http://music.2ch.net/test/read.cgi/legend/1010588462/l50

どんとスレ
http://music.2ch.net/test/read.cgi/legend/1010406558/

良スレにつきageでいきましょう。


2002/04/09 [火]   コンタクトレンズの汚れ落とすときイエス流した血の量を思う


■いよいよ明日は麦人の入学式。下らない制度に彼も呑み込まれて行くのだが、下らない社会での生き延び方は早いうちにどこかで学んでおいたほうがよいだろう。よって祝福するべし。

 で、例の下らない歌と下らない旗にどう対処するかだ。細かい身のこなし方は、式場に入ってから決めようと思うが、今回は麦人の入学式であって俺と阿久沢のアピールの場ではないので、式進行に茶々を入れることはしない。麦人にあれこれ説明することもしない。起立せず・頭下げず・歌わず、でいこうと思う。そんな感じなら、特にもめることもなかろう。

 あとは担任の先生だな。プロな教師についてもらいたい。

■動画です。文人の必殺技、「ふーちゃんキック」。
http://ottosei.com/photos/kick.mpg


2002/04/10 [水]   ファイティングポーズは笑顔と両立し伊礼喜洋今日天翔ける


■麦人の小学校入学式。麦人は朝に弱いうえ、かなり緊張していたようで朝食もほとんどノド通らず、出かける直前になって寝そべったり座り込んだりして抵抗する。嬉々として胸を張って出掛けるようではまた困るのだが、着替え終わってさあ出掛けようという段になって消極的な態度に出られてもまた困る。「ようし!じゃ、入学式はやめだ!」と半ば本気で言い渡したら、「行く…」と蚊の鳴くような声を出して立ち上がった。学校まで大人の足で3分の道のりを、途中で靴を何度か脱いだりしてようやく学校へ到着する。正門前で記念写真を撮ろうとするが、甚だ非協力的であった。

 ステージの後ろの方に、白地に赤丸の付いた旗あり。申しわけ程度の存在感。
 歌については、始まりの言葉で起立させ、そのままキミガヨ斉唱という流れだったので、前奏が始まったところで着席する。来賓席の警察官(交番のお巡りさん)は、最初から最後まで帽子を取らなかった。それでよいのか?まあいいけど。

 校長が、人の目を見て話を聞けだの大きな声で返事しろだの、つまらん説経をする。麦人はと見ると、手を摺り合わせたり下を向いたりして退屈している。大きな口を開けてあくびもしていた。しかし、小学校の先生方はみんなジャージがよく似合いそうだ。
 2年生がステージ前に設けられたひな壇に並んで「今日からみんなは福池小学校の一年生!」と唱和し、下に降りて新一年生と強制的に握手をする。子供に悪気も罪もないのは百も承知だし、教師たちも善意でこういう演出をしたことを疑いはしないが、こういうふうに学校に組み込まれていくのは少々気持ちが悪い。うん、旗や歌よりずっとイヤである。

 入学式の後、新入生は6年生に引率されて学校のあちこちを案内してもらう。このころになってようやく麦人は持ち直したようで、目に力も出てきていた。その間、保護者は教室で担任教師から学校生活についてあれこれ説明を受ける。持ってくるもの・記入しなければならない書類など煩瑣である。担任の女性教師は学校一厳しいという評判の先生だ。実際のところは始まってみないと分からないが、人前で授業する技術は十分にお持ちと見た。
 まぁ、教師がブチ切れるのは(自分が被爆しない限り)、退屈な学校生活における一大イベントだから、そこそこ怒る先生の方が楽しめるかもしれない。

■入学式が終わり、麦人を学童保育に送っていく途中、警察官やら白バイがやたら出ている。さらに、銀行で麦人名義の口座を作るために、JRの踏切を渡って銀行に向かおうとしたら、黄色いテープが張ってあって通れない。すぐ近所で、真っ昼間に強盗事件が起きたのである。スプレーを顔に噴射されて、2000万円入りのバッグを奪われたという。命を取られた訳ではないのが不幸中の幸いである。
 うーむ。2000万円か。俺の財布には2万円以上入っていることが滅多にないので、こういう被害に遭うことは一生ないと思うが、万一、怪我させられたり殺されたりして2万円ぽっち奪われたら、何だか悲しいかもしれない。2000万円ならアキラメがつくかっていえば、もちろんそんなはずはないけど。


2002/04/11 [木]   行くことも会うこともない今は今はただ生き延びよパレスチナの君


■関西文理で教科会議。いよいよ来週から授業が始まる。3ヶ月のオフがあるので、最初の1週間はノドがやられるのが毎年のことだ。ヴォイストレーニングのためにカラオケにでも行きたいなぁ。

■昨日の入学式での、「人の目を見て話を聴け」という校長の言葉がどうにもひっかかって、つらつら考えている。
 これって普通、「人の目を見て話せ」という言い方をするのじゃなかろうか。人の目を見るという動作はまず、話し手に要求するべきものである。
 これも学校や教師がしょっちゅうやっている、児童・生徒への責任転嫁の一形態なのだ。すなわち、「人の目を見て話を聴く」のは、児童・生徒のためではない。それは本来、教師の利益のために、児童・生徒に要請される身のこなし方なのだが、それが恰も児童・生徒のためを思っているかのように説教されるから不快なのだ。

 俺も人前で話をするのが仕事なので分かるつもりだ。俺が教壇から話をするとき、よそ見をしたり、ずっとうつむいたままだったり、関係ない書類を見ている生徒がいるとどうにもやりにくい。気になる。はっきり言えば、自分が無視されているような気がして腹が立ったり不安になる。
 もちろん、うつむいたりよそ見をしていたからといって、それがイコール俺の話を聴いていないという訳ではない。俺の顔を見ているからといって、俺の話を聴いているとも限らない。それは俺自身が生徒だったときのことを思い出せば自明だ。人にはそれぞれ、話を聴きやすい姿勢というのがあるし、ずっと同じ姿勢でいれば聴き辛くもなる。どんな姿勢を取ろうが、それは児童・生徒の自由というものだ。
 にもかかわらず、教壇に立つ俺が内心では「おーい。俺の方を見て話を聴いてくれよぉ。関係ないモノ見ないでくれよぉ」と思うのは、度量の狭い俺は、「あ!アイツ俺のこと無視してる!」と感じた瞬間に授業のペースが乱れるからだ。言わなければいけないことを一つか二つ言い忘れる可能性もなくはないからだ。だから、俺がペース乱さないように俺の顔を見て(見ているように見せかけて)話を聴いて欲しいのだ。

 このように「人の目を見て話を聴け」とは、徹頭徹尾、教師の都合によるものである。「人の目を見て話を聴け」と言うなとは言わない。せめて、偉そうに説教するのではなく、児童・生徒にお願いすべき事柄であろう。多くの教師たちはその自覚がなさそうだから、むかつくのである。

 ま、原則は、自分も含めてだけど、目を見て聴いてほしかったら、それに値する話をしろってことだ。

■麦人は小学校生活2日目。「隣の席の○○くんと友達になった!友達になろうって約束したんじゃないけど、お話をしたから○○くんは友達だ!」と。
 いつか俺も忘れてしまう日が来るかもしれないから、ここにはっきり書きとめておこう。俺は君にそれ以上のものは求めない。今以上に強くも賢くもならなくてよろしい。これでイイのだ(バカボンパパ風に)。


2002/04/13 [土]   兄弟は他人の始まり上になり下になりして転がる彼らも


■我が家はマンションの1Fで専用庭がある。昨日、洗濯物を取り入れようと庭に出たら、見たことのない女性用パンツが落ちていた。白で、尻の部分に「SEXY GIRL」などと赤で刺繍されている。阿久沢に聞いても、そんなパンツは持っていないという。上の階の住人が落としたのに違いないが、さてどうしよう。ときどき管理組合の共用掲示板に「落とし物です」と駐車場のキーやハンカチが貼り付けてあるので、当該パンツを掲示板まで持っていって貼り付けようと掲示物の中にあてがってみたところであまりに下品なのに気づいて中止。上層階のを一軒一軒尋ねて歩くわけにも行かないので、パンツは廃棄処分となった。

 数年前には敷き布団が落ちてきたこともある。この時はさすがにお詫び&回収にやってきた。1階は何かとスリリングだ。

★最近読んだ本★
上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』(太郎次郎社)
→なるほどなるほどと思う記述多数あり。東大生は要約能力が高い、普通の素直な子だとか、学問も芸事・芸能の一つだと考えるとよい、とか。未来のために今を犠牲にするのではなく、今を楽しむ生き方に変えよう、とか。だいたい俺が今まで考えてきたこととシンクロする。が、違和感というほど積極的なものではないが、シャリシャリとした後味の悪さがある。なんでなのかなぁ。多分、この人はすごく頭が良くて、言説も整い過ぎているからではないか。宮台真司にも同じような部分があるが、彼はテレクラ通いを研究だと強弁する可愛げが多少ある分だけ、少し救われる。

 上野は、フリーターを多角経営の自営業者だと位置づけ、一生それで行くのもありだという。「自営業はいいですよ」という。」一つの会社に属するのは近代のごく僅かな一時期の生き方に過ぎないのだから、かつての百姓(=ひゃくせい。ひゃくしょう=農民ではなく、農業・漁業・手工業などあらゆる手段を組み合わせて生計を立てていた庶民)のように、いくつもの食い扶持を確保して、それを組み合わせて生きていけばよいという。それもそうなんだけど、それが簡単に出来れば苦労しないわけで、それが難しいからみんな大変な思いをするわけだ。続けて上野は、自らも自営業的な立場でやってきたと位置づけ、現在の東京大学教員という立場もリスクマネージメントの一環に過ぎないという。そりゃ、あなたほど有能で切れる人なら何でもアリでしょうけど…と言いたくなった。そうやって生きることが出来る人と出来ない人、という深刻な階層分化が起きるかもしれない。それでもいいのか?

 ま、俺は無能なので、上野にコンプレックスを抱いたということなのだろう。

 さらに、「だめ連」について「後期資本主義社会におけるセカンドクラス・エリートのための社会的ニッチ」だといい、社会の安定維持のためにはローコストで済む「よくできた仕組み」であると。
 うむうむ、なるほどなるほど、なんだけど、上野のような有能かつ優秀な人物が、全てを見通して、きちんと整理して位置づけてモノを言うと、何か零れ落ちるものがあるように感じてしまう。「だめ連」が社会的ニッチで低コストなのはそうかもしれないけど、「だめ連」になりきれなくてばたばたする連中があちこちでもがいているように俺には思えてて、そういう連中の焦りや無駄なエネルギーが見えなくなってしまうように感じるんだ。
 こういう本を読んだときに感じる爽快感がほとんどなくて、だからぁ?とひねくれてみたくなるような感じ。

 社会学者っていうのがどういう人々なのか今ひとつ分からないが、上野は社会全体を「おさまりよく」したいのかなぁ。それでいいんだけど、その「おさまりよい」世界にきっちりおさまる人間像を提示しているあたりがひっかかるのかなぁ。でも、読むに値する面白い本でした。上野の本で一冊全部読んだのはこれが最初です、実は。

■昨日は大予備・北予備の教科会議。これで今年度の授業日程が全て固まった。来週からいよいよ開講である。


2002/04/14 [日]   薄笑い浮かべて読んだ学者本最終ページで薬指切る


■アナン国連事務総長が、パレスチナへの多国籍軍派遣を安保理に要請したという。ふと思う。自衛隊をこの多国籍軍に派遣するというハラは日本政府にはないのだろうか。せめて、どこかの政党の誰かが国会で質疑してみたりしないかなぁ。かなり面白い議論が出来ると思うのだが。

■生まれてすぐから保育園でいっしょだったTくんの誕生会が夕方からあり、麦人と文人は連れだって出かけた。と思ったら、麦人だけ到着して文人が来ていないと電話が入る。あわてた。麦人は2週間ぶりに保育園の友達と遊べるというのでどんどん走っていってしまい、文人は置き去りになったらしい。泣き声がだんだん遠ざかっていくのは聞こえていたが、声が遠ざかっていったので、当然麦人にくっついていると思いこんでいたのだ。
 結局、道路を隔てて向かい側の酒屋さんに保護されていたことがすぐに分かり、一件落着。30分以上そこでジュースを飲んだりチョコを食べたりしていたらしい。篤くお礼を申し上げた。

 物心つく前から一緒の部屋で遊んでいた彼らは、もう遊ぶ遊ぶ。佳い光景である。

■阿久沢からの伝聞。麦人は、「○○先生(担任)は『すてきな1年生ね』と言ったかと思うと、すぐに『だめな1年生ね』と言うよ。頭悪いんじゃないかな」と言っていたという。子供恐るべし。教師が子供に迎合しようとする姿勢や、矛盾した言動はお見通しである。さらに、そこから「馬鹿」という結論を出すこともできるのだ。こういうことを実地で教えてくれるところに学校の存在意義はある。

★最近買った本★
ターザン山本『プロレスファンよ感情武装せよ!』(新紀元社)
河合隼雄・成田善弘『境界例』(日本評論社)


2002/04/15 [月]   

■昨日から走り方を少し変えてみた。一昨日までは、とにかく気合いを入れて、走り出して3分後には息が切れるほど最初から飛ばしていた。昨日からは、歩くのよりほんのわずか早いかな?という速度で、とぼとぼと走るようにしている。その分、距離を倍くらいに伸ばした。だから、時間でいうと4倍くらい走っていることになる…のか?

 どっちが身体にいいかはよく分からないが、とぼとぼ走る方が走りながら考えごとをしたり、頭の中で歌を歌ったりできるので楽しい。しばらくこのペースで続けてみることにする。
 それにしても、夜中、携帯電話を耳に当てて歩き回る人の多いこと。やっぱり、家族に聴かれたくない会話なんだろうな。
 昔、携帯電話などなかった俺の若い頃、実家の電話はリビングにあったので、女の子からの電話などの時には、親の耳が本当に気になった。こっちから掛ける時は、徒歩5分の公衆電話まで歩くのは当然であった。公衆電話からかけても、相手の女の子の父親が出たりすると、緊張で頭がガンガンした。
 今は携帯電話という便利なモノがあっていい時代だと思うが、ああいうハードルをいくつも乗り越えて会話したりデートしたり、ってのが、楽しさの一つの供給源だったように思う。

■いよいよ明日から授業。いきなり7コマ。最初が肝心。がんばるべし。気合い入れて来い受験生!


2002/04/16 [火]   

■叔父が亡くなったので、明日同志社女子大で講義をした後、新幹線で静岡県の清水へ通夜に行く。父の故郷だ。何年ぶり、十何年ぶりに顔を合わせる親戚も来るはずだ。

 俺が小学校に入学する前に、4人いた祖父と祖母はみな亡くなっていたので、それ以後父の故郷である清水、母の故郷である静岡に行くことは極端に少なくなった。だから、父方・母方の親戚と交流することも自然になくなった。この十年くらいは、誰かの結婚式か葬式で会う以外で顔を合わせることはほとんどなくなっている。で、結婚する年代で結婚しそうな連中はみんな結婚してしまったので、ここしばらくは葬式や通夜でしか顔を合わせないということになっているのである。明日の通夜もそうだ。

 ということは、この次、親戚の人々と顔を合わせることがあるとすれば、やっぱり誰かが亡くなるときなのだ。それは俺の父や母であるかもしれないし、俺かもしれないし、俺の弟かもしれない。つまり、顔を合わせる度ごとに、誰かが一人ずついなくなっていくわけだ。誰かが、これでこの世で顔を見る最後…ということになる。
 そういう親戚同士の付き合いになってしまったが、何となくそれで納得している自分が特に悲しくもないのがほんの少し悲しい。


2002/04/17 [水]   

■叔父の通夜に出席して、朝に帰ってきた。清水に到着したのは午後10時を回っていたため、もはやわずかな親族以外誰も残ってはいなかった。お寿司をいただく。故人は83歳。最期も安らかなものだったということで、通夜の席も比較的明るく、無沙汰を慰め合うといった風であった。この世を去る者が最後に行う善い事なのかもしれない。

 昨日も書いたように、俺は親戚付き合いを極度に怠ってきたため、故人との間に何か濃密な交流があったわけではない。数少ない思い出からいくつか記して追悼とする。

●俺が小学生の頃、鎌倉の実家に遊びに来てくれた。叔父さんはトイレに入ったんだけど、これが長い長い。俺は小便を我慢できなくなり、庭の樹の下で立ち小便してしまった。

●俺と阿久沢の結婚披露宴。親族の中で最年長でもあり、社会的地位もある人だったので、親族代表でスピーチをお願いした。マイクを持った叔父さんは、「えー、キミトくんなのですが、実は私はキミトくんのことを良く知らないのです…」とのっけから正直に仰った。その後の話は憶えていない。


2002/04/18 [木]   若者にメシ食わすべし東から積乱雲が押し寄せる前に


■しかし新幹線って疲れる。年に数回しか乗らないけど、首と背中がばりばりだ。

 大手予備校の講師だと、関西から広島や名古屋や博多などの地方校舎に週に1,2回出張していることが珍しくないらしい。俺もこの仕事を始めた当初は、そういうのがカッコよく見えて憧れもしたのだが、週に1度以上新幹線に乗るのは相当な重労働だということが分かった今(4時間講義するより疲れる)、ちょっとそういう気にはなれなくなった。
 関西ローカル講師として頑張ります。

■麦人が通い、今も文人が通う保育園(ベネッセチャイルドケアセンター)が、今度認可申請をして認可園になるため、在園児も神戸市に改めて入園申し込みをしないといけなくなり、今朝阿久沢と二人で東灘区役所に行ってきた。親の勤務状況や祖父母が近所に住んでいないかとか収入とかをチェックされて、入園できるかどうかが決まる。もし選考に漏れても、ベネッセが新たに設置する非認可園が受け入れることを約束しているので不安はないが、めんどくさいことだ。めんどくさいが、こういう手続きは嫌いではない。我が事になってようやくいろんな仕組みがわかるからねぇ。


2002/04/19 [金]   

■麦人の小学校で初の授業参観があった。俺も行きたかったけど授業があるので、阿久沢に仕事を休んで行ってもらった。以下、阿久沢からの聞き書き。

●麦人は家庭での言動からは優等生・学級委員タイプかと思われていたけど、全然違う。先生の話はろくに聞いていないし、先生が「○×わかる人?」と挙手を促しても手を挙げようとしない。クラスの半分以上が挙げてから、ようやく少し手を挙げる。先生が「先生の方を向いて話を聞いて!」と呼びかけると、ことさらに横を向く。どうも、先生の期待に正面から応えることを避けて通っているように見える。
《俺の感想》たいへんよくできましたはなまる。教師の話を真に受けるとろくなことはない。

●ひらがな「し」の練習をする時間に、後ろの席の子が下敷きで静電気を起こしてノートを1ページ持ち上げ、麦人に「おい、これ何で持ち上がってるか知ってるか?」と尋ねた。麦人は「のり…」と答えて失笑を買ってしまい、自分でもムキになって静電気を起こしてノートを下敷きに貼り付けようとしていた。先生に見咎められ、「今はおしゃべりする時間ではありません」と注意されても、口を閉じたまま静電気を起こし続けていた。
《俺の感想》「のり…」がよいと思った。

●隣の子と仲がよい。「パーンチ!」と言い合いながら、お互いのパンチを手のひらで受け止め合っていた。
《俺の感想》小学校で最初にできた友達って一生忘れないよね。俺も憶えてるよ山田くん。元気か?

バッシーさんのアドバイスに従い、今夜から走るのではなく歩くことにする。俺は腰が弱点だし。MDにグッドミュージックを仕込んで深夜徘徊30分。神戸ってあんまり好きな街じゃないんだけど、『あこがれの地へ』(ボ・ガンボス)聴きながら六甲山の灯を眺めたらちょっと良かったよ。ほんの少しだけ空を飛んだかもしれない。


2002/04/20 [土]   

■今年の生徒、何だか2浪が多いような気がする…。去年見たような顔がちらほら以上に見当たってしまう。
 2浪でも全然構わないんだけど、俺の授業は去年と8割くらい同じ内容だから、ちょっと申し訳ない気がするのである。とはいえ、去年やった授業がその時点で俺のできる最高のものなんだから、その直近の延長にある今年の授業もそうそう変わるはずはない。まぁ、去年の授業を憶えているくらいなら2浪しないとも言えるので、同じ話を2度聞いてもらうのも悪くはないだろう。

■今年から、早稲田マスコミセミナーっていうところで少しだけ講義をする。マスコミ就職試験の論作文指導とか、面接指導とか。仕事の幅を広げるとかリスク分散とか勿体は付けられるが、要は教えることは楽しいし、もう一度イチからスキルを積み上げるってことも面白そうだ。
 マスコミが就職先としてどうか、と友人なり先輩として尋ねられれば、やめときな、とその人が佳い人であればあるほど強調すると思うが、入りたい人を入れてみたくなるのは受験屋の性だ。アホな試験官のために、マスコミ向けの自分っつーものを一瞬だけ演出してみせるのだ。そういう罪のないテクニックなら教えてあげられる。マスコミ向け人格は教えてあげられないしその気もないけど。

■麦人が小学校でひらがな「お」を練習してきた。
 マス目の書かれた練習シートに「お」をたくさん書いたら、その裏に「お」の付く言葉を知っている限り書きなさい、という課題だったらしい。彼が書いたのはこれである。
 正しく小学生してるなあ、と胸を撫で下ろしている。


2002/04/21 [日]   

オットセイ製薬なる会社があることが先ほど判明した。精力剤メーカーである。「オットセイのオスはたった一頭で、20〜30頭のメスを従え、1ヶ月あまりも飲まず食わずで性行為に没頭します」、なんだそうだ。はぁ…。同じオットセイでもえらい違いだ。「製品物語」というコーナーが秀逸。リンクも意外な充実ぶりだ。占いコーナーもある。やってみた。大凶だって。「難問は年上のSM嬢の指導を仰ぐとうまく解決します。ペニスを大火傷する可能性もあります」などとよけいなお世話だ。

 我がサイトに広告バナー出してくれないかしらん。

■学童保育の役員会。日付が変わってようやく終わる。今日も議論百出で面白大変だったが、こんなやりとりがあって、うんうん、とうなずかされた。

新会長「今年度は、学童の運営も役員会もソツなくやりたいんですよ」
旧役員「ソツは必ず出ますよ」

 ソツは出ないようにやるか、出た後の処置をしっかりやるか、どちらかまたは両方の対応が必要だが、ソツはある程度出るものとしておおらかに身構えている方が、何事につけよいと思った。

■同志社女子大での講義日程について質問メール下さったT大学のM.Mさん。アドレス違ってるみたいで戻ってきます。すみませんがもう一度メールちょうだい。


2002/04/22 [月]   

■敬愛すべきロックンローラーであり京大吉田寮での先輩でもある上杉氏は、世界旅行体験記を自分のバンド(ジェロニモ・レーベル)のサイトで公開しているが、このたび、2000年11月のパレスチナ訪問記をアップした。読むべし。何はおいても読むべし。自分の部屋と頭の中だけであれこれ考えをめぐらして分かった気になる俺のような人間としては頭が下がる。頭を下げて、読むのである。

■大学生だったとき、いろんな機会を見つけて機動隊が学内に乱入してくるたびに、赤や黒や桃色のヘルメットをかぶったりかぶらなかったりして押し合いへし合いしていた。教官どものほとんどは他人事のように腕組みをしてニヤニヤしているだけだったが、教養部の住友さんだけは違ったのだ。

 住友さん、正式には住友則彦教養部教授(地震学)は学生部寮問題小委員会の教官だったので、寮問題に関しては吉田寮生の「敵」ではあったのだが、明らかに彼は寮生の肩を持って学内で行動し、文部官僚による廃寮への策動の緩衝としてそこに立っていた。立場上、ビラや大衆の前で呼び捨てにはしていたが、俺を含む吉田寮生は住友さんが大好きだった。
 で、学生たちがスクラムを組んで機動隊にぶつかっては押し戻されしていたとき、住友さんは無言でその衝突点に我が身を置いた。学生に背中を向ける姿勢、すなわち機動隊に顔を向ける形でだ。学生に後ろから押され、機動隊に前から小突かれる格好で、住友さんは天を仰いでいた。
 学生と一緒になって機動隊を追い返すわけにもいかない。教官として、学生が傷つくのも座視できない。住友さんはただただその場に我が身を投げ出すことで、流血の事態を防ごうとしたのである。住友さんの2列ほど後ろで黒ヘルをかぶっていた俺には、彼のレーニンのような禿頭から後光が差して見えた。

 学生時代、教官で尊敬できる人などほとんどいなかったが、住友さんだけは別格である。今はここにいらっしゃるようで。
http://www.kobegakuin.ac.jp/~human/staff/sumitomo.htm

 パレスチナで続く虐殺に際しても、ヨーロッパの人権活動家たちが、ただそこに居ることでパレスチナ人の盾となり、イスラエル軍の蛮行を防ごうとしているとニュースを読んだ。
 本来こういう行動は、日本人がやらなければならなかったのではないか。憲法9条の精神を生かすとは、こういうことなのではないか。もちろん自分も含めての反省なのだけど、ガイドライン法や有事法制が画策されるはるか以前に、憲法9条など死んでいるのである。

 だから俺は、有事法制に反対する理由として憲法9条を持ち出す気にはどうしてもなれない。憲法9条に恥ずかしい。

 憲法9条の精神とは言うなれば、自分の命が失われても戦いをしない・させないということであり、それはこの列島内に限った話ではない。アフガニスタンでもパレスチナでも、日本人は無駄死にするためにそこに往き、居るべきであった。そういう日本人のためなら、なんぼでも日の丸を振ってやるよ。


2002/04/23 [火]   

■麦人は学童保育から、同じマンション・隣のマンションの子供たちといっしょに帰ってくるのだが、毎日のように隣のマンションの2年生2人(Kくん・Sくん)にランドセルを後ろからつかまれてコントロールされたり、「処刑するぞ」などと脅されているという。

 要するに2年生は後輩ができて嬉しくてかわいがってくれているのだが、麦人は今まで保育園で王座にあったため、そういう扱いを受けることに慣れておらず、恐ろしく思っているのだ。男の子が乗り越えていかなければならない(極めて低い)ハードルの一つといえよう。

 親が介入するべき事柄ではないのは言うまでもないが、「明日は処刑されちゃう…」と、日曜日の夕食の時点から麦人の表情がみるみる暗くなっていくのを放っておくわけにもいかず、2年生に「処刑」されそうになったときの作戦を練ってやることにした。

 具体的には、

1.ランドセルを後ろからつかまれたらさっと身体を沈め、相手の股間に潜り込んでキックを打つ。
2.身体を沈めないでそのまま脚を後方に振り上げ、相手の股間を狙う。

の2つの作戦を伝授した。そして、俺が2年生役となって麦人のランドセルをつかんで後ろから振り回したり、「処刑するぞ」と脅し、麦人が作戦通り反撃に出る、というシュミレーションを繰り返したのである。

 その結果、麦人は異常に自信を持ち、「よし!これで処刑されないぞ!」と気合いを入れて就寝した。

 さっき、今日、「処刑」されたかどうかを聞いてみた。
 シュミレーション通りには行かなかったものの、本当に彼は2年生に蹴りを入れて撃退したらしい。おぅ。ハードル、越えたな。


2002/04/24 [水]   

■昨日、同志社女子大へ向かう途中、坂の登り口のあたりで、同志社大1回生のパク・ヨンセさんとばったり。パクさんは関西文理で僕の授業を聞いていてくれていた学生さんで、ネット上で交流はあったものの、ナマで話をするのは実は初めてであった。彼の日記は読み応えがあるので、ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思う。気骨ある在日の青年である。
 日記から受ける印象よりずっと柔らかい、にこやかな人でありました。

■予備校は受験という喉元の熱さが過ぎてしまえば忘れ去るべき通過点に過ぎず、予備校講師もまた同様である。逆に俺などは、そういう通過点としての予備校講師というものに美意識を持って仕事をしているわけだが、パクさんをはじめとして、大学に入っても記憶の片隅にとどめておいてくれる学生さんがかなりの数いて下さって、それはもうひたすら感謝するしかない。人生楽しんで下さい。俺も楽しんでますから。


2002/04/25 [木]   

■夕食はカレー。試しに「このカレーは辛れー!」と言ってみたら、麦人と文人がゲラゲラ笑う。二人で言い合いっこして、腹を抱えて笑っていた。そんなんでいいのか?21世紀を担う少年よ。

早川義夫のライブCDが7月に出るという。欣喜雀躍である。

 ほんとに星になってしまった江戸アケミや佐藤伸治やどんとを別として、俺にとって最も神に近いミュージシャンが早川義夫だ。

 例えば、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬が「メシ食わへんか?」と声を掛けてきたら多少は喜んで食いに行くし、浜崎あゆみにタコ焼きオゴるのも何とも思わないが、早川義夫が「ごはん、どうですか?」と言ってきても、涙を流して有り難く思いつつ謝絶するだろう。神と食卓を囲むなど、人間の能くなし得るところではない。

 復活してからの早川義夫の歌詞は、もしかすると高校生でも書けるのではないかと思うほど、一見素直で素朴だ。が、それがいったん彼の口から歌われると、とんでもない存在感をもって俺を圧倒する。あれは何なのだ。あれが歌だ。
 早川義夫のライブには3回行っているが、うち2回は泣けて泣けて仕方がなかった。悲しいのでもなく、感動したというのとも違う。それはまさに、神の姿と声を目の当たりにして、自動的に流れた涙としか言いようがない。


2002/04/26 [金]   

■25日は麦人7歳の誕生日。BBSでお祝いの言葉を下さった皆さん、ありがとうございます。本人は日々を楽しむのに精一杯で、多くの人々が祝福してくれていることを顧みる余裕がないようですが、いつか気づく日も来るでしょう。その日まで麦人になりかわりましてお礼申し上げます。

 放課後、俺と阿久沢が帰るまで麦人と文人を見てくれているユリおねえちゃんが、誕生日プレゼントにクラッシュギアとベイブレードを用意してくれていた。もう天国状態の麦人。ほんまにありがとうございます、ユリおねえちゃん。

■麦人が生まれたとき、阿久沢のお義父さんに「どうですか、父親になった心境は?」と問われて、つい「いやぁ、親は無くとも子は育つと言いますから…」と本当のことをいってしまった。俺は、子供が育つ上で親のできることなど知れているし、子供が行きたい方へすっ飛んでいくのをハラハラしながら見守るだけが親の仕事だとそのころから考えていて、そういう意味で言ったのだが、やはりうまく伝わらなかったようだ。「公人くんは父親の自覚がない!」と怒っていた、と後日聞いた。
 正しいことを言っても、きちんと伝わらないと意味がない。正しく伝わらないなら言わない方がよいこともある。長男が生まれて僕もまた少しオトナになりました。


2002/04/27 [土]   

■最近読み終わった本
加藤典洋『日本の無思想』(平凡社新書)
→読み終わるのに足かけ2年かかった。もちろん熟読したりノートを取ったりしていたわけではなく、断続的にだらだら読んでいるうちに間が空きすぎて前後が分からなくなってしまい、最初から読み返したりしていたからである。書評は俺の手に余るので、頭の隅に残っている言葉を思い出して本の中から探してみた。
啓蒙とはカントによれば、人間が自分の力で未成年状態から脱することです。もしここで、もう一度人間がそのような啓蒙的存在であることを確認しようと僕が言えば、あまりにナイーブな近代主義者の言だとして笑われるでしょうか。しかし、人間が本来そのような存在であり、心のどこかに「世界公民的社会」の可能性を信じているからこそ、僕たちは今も考えることをやめようとしないのだ、ということは、どんなにバカげたものと聞こえようと、おぼえておかなければなりません。
                 加藤典洋『日本の無思想』P244
『イマジン』的な、あるいは安藤昌益的な理想郷を(夢物語であると百も知りつつ)思い描くからこそ、俺たちは怒り悲しみ言葉を紡ぐ。差別もなく戦争もなく搾取もなく、花のように鳥のように自由な呂律が回る世界。それが近代の産み出した夢ならば、俺もまた近代の子だ。
 怒りと悲しみは、いつの日か実現する(ほんとはしない)絶対的理想郷からやってくる。それは、無限の時間の果て、遙かな海の向こう、ニライカナイの国にある。

 30歳を前にして子供がいるといいなぁと思ったのも、一つには自分のDNAを残すことで無限の時間の果てに少しでも接近し、怒り悲しむ根拠を強くしよう、という情動だったのかもしれない、とふと思う。30歳の時に麦人が生まれたから、30年分だけ近づいたわけだな。

■今日買った本
香山リカ『若者の法則』(岩波新書)
→電車の中で何となく読み終わってしまった。無理に結論を出そうとしないで、淡々と現象を紹介し分析するという軽い感じがいい。ただ、どの章も「大人が若者に○×を示してやることが大切だ」という教訓になっていて、大人である俺はかなりプレッシャーを感じた。しょうがないんだけど。

■今週はカラダがあまりにもしんどくて、京都での仕事が終わった後、京都駅アバンティのマッサージ20分コースに行く。20歳台のお兄さんにしてもらった。終わって俺のシャツを見た彼は「あ、それソウルフラワーじゃないですか…」と。思いもかけないところでファンに会うとウレシイっすね。


2002/04/28 [日]   

■4月1日の続き。
 整理すると、俺は戦争責任や植民地支配責任を俺の世代が「引き継ぐ」のには、次の2点を考えなくてはならないと感じている。
 「後の世代は前の世代の功罪を継承するのか?」
 「継承するとして、それは無条件にそうなのか?何らかの自覚や手続きはいらないのか?」

 俺の世代特有の問題として、高度経済成長に伴う核家族化という現象がある。
 つまり、俺の父は大学入学と同時に故郷を離れて東京で就職し、以後故郷には帰っていないため、俺は祖父・祖母や叔父・叔母たちと同居した経験がない。毎日顔を付き合わせていれば、「俺はこの人たちと血を分けているのだな」という自覚が持ちやすくなり、その結果、継承の意識も自然と芽生えていたのかもしれない。が、親戚たちと年に1,2度しか顔を合わせない状態では、頭で納得しないと「血縁」は感じられない。

 それはおそらく個別祖父・祖母だけではなく、世代全般に渡る影響を俺に与えたのではないかと考えている。あの世代が過去に何かをしたとして、それは俺のしたことではない、と。

 加藤典洋が言うように、俺がいくら自分でそう思っていても、日本の侵略行為の被害者となった国の国民が俺のことを「加害国の国民・加害者の子孫」と見るであろうから意味がない、というのも分からないではない。がそれは、俺にとって一つの規範には違いないが、やはり外部から与えられる規範であって、そうは言うけどさぁ、という口ごたえが俺の中から浮かび上がってくるのを止める力はない。

 またいつかに続く。

■今日も学童保育の役員会。先週より1時間早く、午前1時に終了。


2002/04/29 [月]   

■麦人のバースデイパーティを2部にわたって開催した。1部は小学校の同級生たち、2部は保育園の同級生たちと。麦人は友達が好きである。

 第1部で麦人のキャラクターをまた一つ発見した。遊びに来てくれた小学校の同級生はKくん、T1くん、T2くんだが、KくんとT1くんがおもちゃの取り合いか何かで古典的な取っ組み合いのけんかを始めた。上になり下になりして罵り合っている。怪我しない程度ならやらせておこうと思って放置していたら、T2くんは「けんかはアカンて!やめーや、けんかは!」と止めようとしていた。ところが麦人は、我関せずといった風で、別のおもちゃで遊んでいる。ときどき横目でちらちらと楽しそうに眺めていた。これはずるい。世渡り上手だ。
 どうも麦人は、学校とか会社とかの人間集団を無難に泳いでいくタイプのようである。

 第2部は、恐るべきハイテンションで子供達が狭い家の中を駆け回る遊園地状態になった。やっぱり保育園仲間は気心が知れているのか、安心して自分を開放できるようだ。頭がくらくらしてきた俺は、子供用2段ベッドで仮眠する。
 そんな中、文人はいつも冷静だ。お兄ちゃんたちに味噌っかすにされるとこに慣れてしまったのか、普段から一人遊びが得意で、本を読んだり一人ベランダに出てホースで水をまいたりしていた。「だって、誰もふーちゃんと遊んでくれないんだもん」と。少しは寂しいのか、やっぱり。


2002/04/30 [火]   

■目覚まし時計を床に落としたら、その衝撃で針が折れて、こんなふうになってしまった。何だか耳を失ったドラえもんみたいでかわいい。目覚ましが鳴る時間を調整する針だけ残っている。時間は正確に刻んでいるらしく、指定された時間にベルが鳴る。健気なので、捨てるのもなんだなあと思っているのだが、どうしたものか。全面のガラスだけ外す方法ってあるのだろうか。

■ノドは復調。ノドが調子悪いと倍は疲れる。気を付けるべし。