■日曜だが仕事があり、帰りに梅田のHEP HALLにて「忌野清志郎の世界」
http://www.lapnet.jp/eventinfo/special/lm/kiyoshiro/ を見る。
■やはり心に残るのは清志郎の描いた絵だ。
俺の知る限り、佳いミュージシャンは例外なく佳い絵を描く。きっと、絵を描ける人というのは、自分が住みたい世界、往きたい世界を
トータルに心の中に思い描いているんだろう。そのトータルなイメージは、絵でも文章でも歌でも伝えられるものなのだが、中でもよりトータルに伝えきれるのは、絵、というジャンルなのではないかと思う。
思いつきレベルでいえばこんなことだ。歌や音楽、文章は、受け取るのに「時間」の経過を必要とする。ある歌を聴き始めた戸田公人Aと、聴き終えた戸田公人Bは、「時間」が経過した分、同じ人間とはいえない。同じ人間でないAとBに何かを伝えても、何かが失われてしまう。
絵の場合も「時間」の経過がないとは言わないが、ほぼ一瞬にしてそこに描かれた世界を感じ取ることが可能である。それゆえ、絵が他のジャンルよりよりトータルな世界や宇宙を伝えることができるのであり、そのような絵を描ける人は、そういう世界や宇宙を抱いていると言えるのだ。
■忌野清志郎は、確かにトータルな世界と宇宙を自分の中に描き、細部に至るまで造形し着色し、歌の形で、絵の形で我々に見せてくれた。
数多のミュージシャンが反戦平和を口にするが、そんな凡百のミュージシャンと忌野清志郎が決定的に違うのは、清志郎は世界の全ての人間が平和に暮らす世界を全体的かつ細部に至るまでイメージしていたことだ。清志郎の絵を見て俺はそれを確信した。そんなことができたのは、忌野清志郎とジョン・レノンくらいのものだ。
ジョン・レノンは歌った。
想像してごらん、国家なんてないと。ジョン・レノンにも、はっきり見えていたのだ。そして忌野清志郎はその歌を訳して歌った。
僕らは薄着で笑っちゃう、ああ、笑っちゃう。そしてさらに歌う。
君一人じゃない、ひとりぼっちじゃない、違う! 忌野清志郎は言っているのだ。君もやってみろよ、と。君の住みたい世界、君の好きな人といっしょに住みたいと思う世界をトータルにイメージしてみろよ、と。
■だから、俺はやってみることにした。清志郎が渡そうとしたバトンの埃くらいは、俺が引き継ぐ。まずは絵を練習したい。