■かつて自分がどういう位置で存在していたかということを明確に位置づけられるのは、つまり一つの歴史として記述されるのは、なかなか新鮮な感じがする。
それでも保坂(展人)や辻元(清美)のポップな社会運動は、内ゲバや、あまりに硬直しすぎた“反差別”の倫理主義に覆いつくされ疲弊した八〇年代初頭の左翼シーンにおいて新鮮であり、多くの若者を惹きつけた。惹きつけられたのは、ポストモダンやサブカルチャーの隆盛には間に合わなかった、より下の時代に属し、かつそれらが無害に変質したものに過ぎないオタク文化や、八〇年代半ばから始まるバブル経済下の消費文化にも乗れなかった、素朴で生真面目な若者たちである。(中川文人・外山恒一『ポスト学生運動史 法大黒ヘル編 1985→1994』、p22)
俺が素朴で生真面目な若者だったとは一概には言い難いが、確かにポストモダンにもサブカル乗れず、消費文化にも乗れない、ダサダサの長髪高校生として保坂展人の青生舎の門を叩いたのだった。
同じ本の中で、中核派の松尾真の言葉としてこんな一節もある。
「中川よ、俺が全学連委員長をやっていた時は、全国から問題意識のある奴が結集してきた。が、最近は問題のある奴しか寄ってこない」(前掲書、p160)
確かに、俺は困った若者であった…。「生きづらい」若者が「生きる場所を探す場所」として、80年代のムーブメントが機能していたことは否定できない。
外山恒一『青いムーブメント』(彩流社)も注文。
■誰か、『京大赤ヘル編』書かないかね。赤ヘルの話はあまり面白くないと思うが、東西の中核派の振る舞いの違いとか、興味深い話題はありそうだ。
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