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おっとせい写真日記へ

  
2010/03/09 [火]   

■改めて。ツバキさんのmixiから、弟・戸田興人一周忌ライブの記事を転載します。

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3月19日(金玉曜日)
西荻窪ターニング
『〜romantics presents〜 オルタネイティブ快癒器2010』

18:30 open
19:00 start
前売り\2000(D別) 当日\2500(D別)

出演:クリトリス・ガールズ/我々/ハチロック(宅八郎)
   ぐしゃ人間/我意殺(ガイキル) 

DJ:タチザキ


今回のコンセプトは「戸田興人が生きていたなら企画したであろうイベント」
です。
故人の好きだった、あるいは好きそうなバンドを集めました。

去年8月の追悼ライブは「お葬式」でございました

故人が私たちの中で生き続けている事の証明の為に
今回はパーティー色の強いイベントに致します。

戸田興人の魂を感じに来てください。
今宵はタチザキ君と戸田のコンビの復活の夜です。
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2010/03/08 [月]   

■今日読み終わった本。
内田樹・釈徹宗『インターネット持仏堂2 はじめたばかりの浄土真宗』(本願寺出版社)


2010/03/07 [日]   

■もうすぐ、弟・戸田興人の一周忌を迎える。その日がどんな日であったのか、そろそろ書き留めておきたいと思う。
 弟の墓は神戸市の北の方にあるが、納骨の時に行ったきりだ。これから行く気もあまりない。だって墓参りなんか意味ないもん。そんなところに弟はいない。生前、自分のブログのトップに「私のお墓の前でうんちをしないでください」と書いた男だ。墓に行っても弟には会えない。会えると思う人は、行ったらいい。案内はする。

■弟の兄は俺一人である。だから、俺がどんなふうに弟のことを考えているかは、俺以外の誰にも分からない。いろんな人が、それぞれ弟との関わり方によって、様々に彼を偲んでくれるであろうが、俺のように偲ぶ者は俺以外にはあり得ず、そのことを理解する人間もいないだろう。それでいいのだ。

■弟と最後に会ったのは、2008年の大晦日〜2009年の正月だ。大晦日に鎌倉の実家で落ち合うことを申し合わせていた。弟が先に実家に到着して、俺が8時過ぎにモノレールの湘南町屋駅を降りて、夜道を歩いていたら「紅白歌合戦、Perfumeは見た方がいいと思いますよ」とかメールが入って、分かってるよ、とか思いながら実家に到着して、テレビの前に2人で並んで座って、Perfumeが『ポリリズム』を歌うのを見たんだった。「のっちがいい」「のっちしかあり得ない」とどちらからともなく合意して、互いの中を流れる血の近さを確認し合ったのだった。
 かくして、Perfumeと、のっちの太ももは、俺にとって特別な意味を持つものになった。(続く)


2010/03/06 [土]   

■かつて自分がどういう位置で存在していたかということを明確に位置づけられるのは、つまり一つの歴史として記述されるのは、なかなか新鮮な感じがする。
それでも保坂(展人)や辻元(清美)のポップな社会運動は、内ゲバや、あまりに硬直しすぎた“反差別”の倫理主義に覆いつくされ疲弊した八〇年代初頭の左翼シーンにおいて新鮮であり、多くの若者を惹きつけた。惹きつけられたのは、ポストモダンやサブカルチャーの隆盛には間に合わなかった、より下の時代に属し、かつそれらが無害に変質したものに過ぎないオタク文化や、八〇年代半ばから始まるバブル経済下の消費文化にも乗れなかった、素朴で生真面目な若者たちである。(中川文人・外山恒一『ポスト学生運動史 法大黒ヘル編 1985→1994』、p22)
 俺が素朴で生真面目な若者だったとは一概には言い難いが、確かにポストモダンにもサブカル乗れず、消費文化にも乗れない、ダサダサの長髪高校生として保坂展人の青生舎の門を叩いたのだった。
 同じ本の中で、中核派の松尾真の言葉としてこんな一節もある。
「中川よ、俺が全学連委員長をやっていた時は、全国から問題意識のある奴が結集してきた。が、最近は問題のある奴しか寄ってこない」(前掲書、p160)
 確かに、俺は困った若者であった…。「生きづらい」若者が「生きる場所を探す場所」として、80年代のムーブメントが機能していたことは否定できない。
 外山恒一『青いムーブメント』(彩流社)も注文。

■誰か、『京大赤ヘル編』書かないかね。赤ヘルの話はあまり面白くないと思うが、東西の中核派の振る舞いの違いとか、興味深い話題はありそうだ。

■【緊急署名・沖縄の民意に応えてください】にご協力を!! http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/ae6c974f85e9671a34c6fd62fe50b085?fm=rss


2010/03/03 [水]   

■「祝・春一番2010」の出演者発表第一弾が出た。
http://haruichiban.sakura.ne.jp/haruichiban08/top-page-all/top-page-all.html
 5月2日(日)がすごい。

 有山じゅんじ
 石田長生
 遠藤ミチロウ
 長田TACO和承
 加川良
 桜川唯丸一座
 シバ
 ハンバートハンバート

だって!名前を見ているだけで俺の頭の中はジャムセッション。この日のために何とか頑張る。

■1日前の日記で、「父ちゃんはえらく頑張った」などと書いているが、よく考えるとほとんど頑張っていなかった。子どもが生まれてからは、多少頑張った。


2010/03/02 [火]   

■「俺は、父ちゃんみたいにはなりたくないと思っている」。
 その意気やよし。でも、父ちゃんは、父ちゃん程度になるのにもえらく頑張ったのだよ。

■「うん。父ちゃんも、お前くらいの頃はお祖父ちゃんみたいにはなりたくないと思っていた」
 「だけど、父ちゃんとお祖父ちゃんって似てるんだよなー。怒ったときとか」


2010/03/01 [月]   

■終日蟄居。YMOの『ライディーン』が今さらながらかっこよく聴こえて仕方がない。
 俺は1980年に高校に入学し、だらだらと学生生活が長引いた結果、1990年に社会人となった。1980年代こそ我が青春時代だったのだ。
 1980年代当時の俺は、1980年代が嫌いであった。超消費社会に突入し、どう足掻いても戻れないことが誰の目にも明白になったのが1980年代であり、そのことに俺は苛立っていたのだと思う。YMOのピコピコ音は、その苛立ちをさらに加速させた。大嫌いであった。
 今更悔いても詮無きことだが、どうせなら1980年代にどっぷり浸かってしまえばよかった。窒息するまで浸かってしまえば、何か見えたのかもしれない。そうでなければ、お金を貯めてアラブへ渡って、当時の日記に書き殴ったように日本赤軍に合流するくらい気合いを入れて足掻けばよかった。
 中途半端はよくない。でも、中途半端なりに見えるものもあり、幸せでもあるのだが。まあ、これは開き直りだ。よい妻が来たので、よい。
 で、今日聴く『ライディーン』はかっこよかったなあ。風の中で一人で立ち尽くしているような音だった。