現在の視点で歴史を裁いてはいけないとは自由主義史観の人々がしばしば口にすることであり,確かに今さら,律令政治による農民搾取や,織田信長の比叡山焼打ちや,江戸幕府による吉利支丹弾圧をどうこういう気はさらさらない。 

 だが。

一個体として連続した意識を抱いて生きていた自分の過去に責任を持たぬ訳には行かぬ。これに目をつぶることは,まさに歴史修正主義者の汚名を着せられて当然といえよう。

 

醜い。醜悪。なんという満足しきった,ハングリーさにかける人相であろうか。また,今にも「僕は世の中のことが分かったよ」などと口に出しそうだ。相田みつをのように,ご町内を一周しただけで世界を理解したとでも思いこんでいたのだろう。皇族に名を連ねていても違和感のない目と口元だ。こうなった原因ははっきりしている。さだまさしを聴いていたからである。ちなみに生徒会長。



 


 

きたねー。このころの私は,既に伝統芸能の域に達していた新左翼運動に首を突っ込み,将来は日本赤軍に合流するつもりでいたようである(当時の日記を実家で発掘)。抱くことだけに意味のある反抗精神が,まったく手入れされていない長髪に結晶したのであろうか。この長髪状態で「スキだ」と告白した女性3人。さぞ迷惑であったろうと思う。初対面の人には高校生には見られなかった。20代半ばに見られた。ちなみに童貞を失って間もない頃であった。

 

 

 紆余曲折を経て私の顔には皺も増え,頭髪は金色となった。 こういうページを作ることからして,今の自分の人相が若い頃より改善されているという認識があるからなのだが,いかがであろうか。「心の持ちようさ」(JAGATARA『もうがまんできない』)。

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